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わたしたちの間にある壁をどのように乗り越えていくべきか、粘り強く思考するためにby高際裕哉

2019.11.20

 eLPopメンバーの友人の一人でもある高際裕哉さんが、facebook上でチリの劇団ボノボの公演『汝、愛せよ』の観劇レポートを、今まさにチリが直面している社会闘争、そして日本における芸術をめぐる問題、そしてそれらすべての根源ともいえる分断と階層化による社会の地滑り的組み換えなどと絡めて非常に熱量あるエッセイを書かれておられた。高際さん曰く「勢いに任せて書かずにはいられなかった」というその文章に感銘を受け、今、少しでも多くの人にこのメッセージを呼んでほしいと思ったので、高際さんの許可を得て、ここに転載させていただくことといたしました。(水口)

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東京芸術祭ワールドコペンペティション2019 Photo Maiko Miyagawa


【基礎情報】
東京芸術祭ワールドコンペティション2019
アメリカ部門
劇団ボノボ『汝、愛せよ』
11月2日 (土) 14:00 / 18:00
東京芸術劇場 シアターウエスト


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posted by eLPop at 20:08 | Guindahamacas

カッサヴとズーク(その3) by 山口誠治

2019.10.09

山口誠治さんの記事、ひとまず完結編です!!
◆◆◆◆◆◆
(その2から続く)

大丸1️カッサヴとズーク(6)

個々の活動も豊かなタレント集団、再来日するカッサヴのオリジナルメンバーはこういったミュージシャン。
次はデシムス兄弟です。

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Pierre-Eduard Décimus(ピエール=エドゥアール・デシムス)1947-
Georges Décimus(ジョルジュ・デシムス)1955-

カッサヴが結成されブレイクしていく過程には、フランス海外県としてのグアドループやマルティニークの社会背景が少なからずの影響があったことは、ジャコブ・デヴァリューの項で触れた。

1978〜79年にはセントルシアやドミニカ国など、共通する文化を持つ近隣の島々が英領から独立を果たしていく。精神的な植民地主義〜フランスへの同化への危機感が思想・文学者たちの中から唱えられ、フランス語に対して低劣意識があったクレオール語の復権運動も。80年代になると独立派過激組織による各所テロの頻発…。グアドループやマルティニークの人々が、様々なナショナリズムの刺激を受けた時代だ。音楽文化の面でも、グアドループでは島の人間としてのアイデンティティの象徴として、グウォカを活発化させ、モダンなグウォカが拡大していった時代である。(※グウォカ=農村地帯で行われていた、ダンスをともなうグアドループの民俗的な太鼓&歌で、それぞれに意味を持ついくつかのリズムがあり、それらを総称してグウォカと呼んでいる)

レオパーズ、ギャラクシー、マクセルズ、スーパースターン、プロテスタ77、セレクタ、ペルフェクタ、ティピカルコンボ…etc. ズーク前夜1970年代のカダンス(・リプソ)時代に活躍していた、マルティニーク&グアドループの音楽グループ。「この時期のバンドはマラヴォワを除くと、島にはいない動物とか、意味不明のよその言語とかばかり」と語った島出身のミュージシャンがいたが、両島の人々にとっては、身近とはいえない名前のグループが多かったことは確かだ。ヴィキング(=バイキング)のメンバーだったピエール=エドゥアール・デシムスも「何ていうバンド?」とよく尋ねられ、答えるのが恥ずかしかったという逸話もある。

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キャッサバ(KASSAV)

さて、PEデシムスは何故新プロジェクトに「カッサヴ」(キャッサバ)と名付けたのだろう? まず最初に思いついたのが「ゴルドラック」らしい(笑)。なんか前述のカダンス・グループと変わらないのが悲しいが「ゴルドラック」は70年代の日本アニメ「UFOロボ グレンダイザー」のことで、フランスでは爆発的な視聴率だった。

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UFOロボ グレンダイザー

デビュー時の歌手フレディ・マーシャルと色々とアイデアを出し合ったようで、キャッサバ粉を作っていた隣人のところで水遊びをし、取り乱した母親にひどく怒られた(キャッサバには毒性があり調理過程で毒は抜ける)少年時代の記憶を呼び起こし「カッサヴ」に至り、表記上も気に入ったよう。しかし、グアドループの多くのミュージシャンがそうであったように、デシムスのプランの中にグウォカのモダナイズがあった(または芽生えた)ことは初期のレコーディングを聴けば明らかで、カッサヴのライブでも伝統的なグウォカのパフォーマンスがしばしば行われる。デビューアルバムにあるグループ名そのものの「カッサヴ」という曲には「Lévé Yo, Lévé Yo Ka…」という、島の人間なら誰もが知っている歌のフレーズが用いられている。マルティニークではベレの演奏で歌われるが、グアドループではグラジの歌として認識されている。グラジはグウォカを形成する基本リズムのひとつで、キャッサバ芋の収穫小屋での作業に由来するものだ。島の生活に根ざした、クレオールの伝統への思い入れが見て取れるグループ名、と解釈している。

PEデシムスはヴィキング時代はベーシストだったが、プレーヤーとしての意識は低いみたいだ。作曲もする音楽家ではあるけれど、ステージで演奏することとは色濃い線引きがあるよう。カッサヴのベースは弟のジョルジュに任せ、裏方に徹している。

故パトリック・サン=テロワとともに、ヴィーナス・ワンで活動していたジョルジュ・デシムスは、カッサヴの創始メンバーであり、カッサヴで数々のヒットを生みだし、現在もカッサヴのメンバーだが、1990年にグループを去り、グラマックス(ドミニカ国のカダンス・グループ)のメンバーだったジェフ・ジョセフとともに、ズーク・バンド「ヴォルトフェイス」を立ち上げ、成功させている。ここから巣立ったズーク第2世代のスターも多い。パトリック・サン=テロワの脱退と入れ替えに2004年作品からカッサヴへ復帰。新しいサウンドへの探求心は、兄弟に共通するもののようだ。

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●カッサヴとズーク(7)

亡くなってしまっているので、今回の来日では姿を見ることができません。が非常に重要なので番外編。パトリック・サン=テロワです。

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Patrick Saint-Éloi(パトリック・サン=テロワ)1958-2010

つい先日もそう。毎年9月18日の翌日、自分のFacebookのニュースフィードは、この歌手の写真が溢れる。故人を偲ぶ記事のポストによって、偉大なミュージシャンの命日を思い出すのは日常だけれど、パトリック・サン=テロワ(以下PSE)の場合は数が違う。フレンチカリブ周辺で、たぶん他に匹敵するのはエディット・ルフェールぐらいだと思う。記憶に新しいこともあるとは思うが、ズーク世代あるいはグアドループの人々に最も愛された歌手のひとり。20年間、カッサヴのフロントマンとして活躍してきた。

写真は1998年にリリースされた「Lovtans'」というソロCD。発売当時、雑誌「アンボス・ムンドス」でのCDレビューに「病気でもしているのではないかと変に勘ぐってしまった」などと書いたが、当時の個人的マストバイのアーティストに、それまでとの覇気の違いを感じたことを記憶している。もちろんこの頃に彼の健康状態がどうであったのかは知らない。2002年にカッサヴを離れ故郷グアドループを拠点としたが、2010年に51歳で帰らぬ人となった。癌との長い闘いだった。グウォカを愛したアーティストだったこともあり、セレモニーでは故人の名前と同じグウォカの有名曲「Elwa」の大合唱とともに棺が運ばれた。スピーチでのピエール=エドゥアール・デシムスの表情がとても悲しく、また見たら泣きそうなので、動画は探さない。

グウォカを初めて聴いたレコーディングは他だったが、グウォカへの興味を持たせてくれたのはこのPSEだった。まだビデオテープの時代だったので、カッサヴに関する何かのVHSのはずだが、バス中でPSEがユニークな発声でリズムを取っていたのが「何だこれ?」だったのだ。これがグウォカの文化を形成しているひとつ「ブーラジェル(ブーラゲル)」で、奴隷制時代からグアドループに残る伝統的な音楽表現であることを後に知る。

歌手としてのスキルを磨くため、17歳でパリに渡る。ジョルジュ・デシムスと出会い、ヴィーナス・ワンというグループで共に活動をする。その頃のジョルジュにタレント・ファインダーの才能が既にあったかは分からないが、1980年頃からほぼカッサヴ仕切りによる、サルタナ・シニタンビなどのレコーディングに参加。1982年にはカッサヴのフロントの一人として自身の名義でデビューアルバムをリリースしている。以後脱退する2002年まで、レギュラーメンバーとしてカッサヴに欠かすことの出来ない存在感を示してきた。

PSE脱退後、カッサヴは大がかりなライブ映像を3度ほどDVD発売している。いない筈だが何故かステージに存在が見えてくるのは自分だけだろうか?

2016年には、現在のコンパ〜ズーク〜レゲエ・シーンの中堅・若手らによる、ナイスなPSEトリビュートアルバムがリリースされた。

●カッサヴとズーク(8)

カッサヴのメンバーについては前回で終了ですが、今回のパシフィック・ツアーを含む40周年のステージには、メンバー以外に強力なシンガーが参加しています。こちらも大いに楽しみなので、東京公演にも来ていただかないとダメ(笑)です!

Marie-Céline Chroné(マリー=セリーヌ・クローネ)

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フレンチカリブ最高のコリスター。(と勝手に呼んでいる)マルティニーク出身のベテラン歌手MCクローネの場合、自身のソロリリースもひとつふたつある(1枚は児童向け)のだけれど、ファンとしてはもう一作でもズークにこだわらない、彼女のスキルが活かされた、これぞMCクローネ!というズドンとしたアルバムを、分かっているプロデューサーに作っていただきたい。

シャンソン・クレオール/フランセーズ〜ビギン、ズーク、ヘイシャンなどはもとより、ジャズ、ゴスペル、R&Bなどにも、信頼と実績のコーラス要員として、数多くのレコーディングやステージに関わってきている。



バイオグラフィがないので、ボヤっとしたことしか書けないのだけれど、幼少期から歌を学び教員養成学校で音楽教師として学んだ後、1970年代の終わりにはプロとして活動の場を広げていったようだ。個人的に彼女の存在を知ったのは、ビデオも国内発売されたマラヴォワのライブ「Live au Zenith」(1987)で、故エディット・ルフェールとともにコーラスを担っていた。近年はカッサヴでの活動のほか、デデ・サン=プリのレギュラーメンバーとしても働いている。ビギン、ズーク、シュヴァルブワそれぞれのランドマークとなる大御所に声を貸す、唯一無二の存在。

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Marie-José Gibon(マリー=ジョゼ・ジボン)
マリー=ジョゼ・ジボン(以下MJG)はフランス本土モンテリマール出身。90年代に大手レーベルから数々ソロアルバムをリリースしていたので、コーラスのスペシャリストというよりも、ズークR'n'B系の歌手というイメージ。

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4歳から9歳まで母親の故郷グアドループで過ごしたそう。このときに音楽とダンスに目覚め、パリに戻って様々な芸術経験を積んだようだ。
カッサヴには1982年から14年間コーラス&振付師としてツアーメンバーに。ということは89年に来てたの? と思い、手元の来日公演の映像を確認したところ、日比谷野音のステージにはコーラスはいなかった…のだが、カッサヴ・ダンサー二人のうち一人がMJGであることを発見!(もう一人はカトリーヌ・ラウパ) 当時気にもしていなかったので、31年目の発見なのだ。
ジャン=ミシェル・カブリモル率いるラ・マフィアや、ヴォルトフェイスなどでも歌っていたこともFBに記されている。
2005年にカッサヴのコーラス要員として復帰。31年前のようなキレのあるダンスは無理だろうが、グウォカのパートで見せる華麗なステップを今公演でも期待している。



posted by eLPop at 13:44 | Guindahamacas

カッサヴとズーク(その2)by 山口誠治

山口誠治さんによる『カッサヴズーク』続きます!!

◆◆◆◆◆◆
(その1から続く)

●カッサヴとズーク(3)

個々の活動も豊かなタレント集団、再来日するカッサヴのオリジナルメンバーはこういったミュージシャン。
続きましてジョスリーヌ・ベロアール。

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Jocelyne Beroard(ジョスリーヌ・ベロアール)1954-

マルティニーク出身のシンガー。カッサヴのメンバーの数多いアルバムの中で、写真は珍しく日本盤が発売されたソロ3作目。手前味噌だが解説を書かせていただいた2003年度作。デデ・サン=プリ、マラヴォワ、カリ、サム・アルファ、エリック・ヴァーガル、マリオ・カノンジュ、ジョスリーヌ・ラヴィル、タブー・コンボ、クリス・コンベッテ、トニー・シャスール、タチアナ・ミアス、EZ..ケネンガ、ストライカD、アウィロ・ロンゴンバ…と、彼女もまたズークの枠を越え、数え切れないアーティストのレコーディングに声を貸す、引く手あまたの人気歌手。ソロ活動は多岐に渡るけれど、プライオリティはカッサヴに置く。

20歳のときフォール・ド・フランス(マルティニーク)から薬学を学ぶためフランス本土カーンに渡ったものの、音楽への情熱が勝り歌い始めたようだが、プロ歌手としては、ジャマイカのリー“スクラッチl”ペリーのスタジオで、バックボーカルなどを務めていたのが最初だそうだ。80年にパリへ戻り、カッサヴをスタートしたばかりのデシムス兄弟とジャコブ・デヴァリューに会い、カトリーヌとジョスリーヌのベロアール姉妹で、カッサヴのセカンドアルバムにコーラス参加。

ジョスリーヌ・ベロアールといえば、個人的にはフィリップ・ラヴィルとのデュエット曲「Kolé Séré」が真っ先に頭に流れる。元は彼女のソロ1作目『Siwo(シロップ)』に、作曲者であるカッサヴのジャン=クロード・ネムロとのデュエットで収録された曲で、アルバム共々大ヒット。ダブル・ゴールドディスクを獲得している。フランスでゴールドディスクを獲得した最初のカリブ海の歌手ということ。ほぼカッサヴによる布陣にもかかわらず、この1986年にファーストソロを出したタイミングについて、カッサヴとして1年に2度のリリースはできず「Mové Jou 」や「Pa bizwen palé」など、すでにカッサヴのフラッグシップとなる曲も歌い、ソロスキルをマーケットに割り込ませるだけの能力が備わっていたことに加え、ズーク・マシーン(女性歌手3人組)のデビューリリースがあり急いだ、という事由もあるようだ。

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セネガルの恵まれない子供たちへの支援に対し、1996年にジャコブ・デヴァリューと共に同国から受勲。

彼女の写真好きはよく知られている。以前ジャン=クロード・ネムロのジャケット写真について「私が撮った写真だけれど、ちょっと赤く加工された」とプチ不満のメールをいただいたことを記憶している。『Siméon』や『Nèg maron』『Le gang des Antillais』といった映画ほかテレビドラマ等、女優としての仕事もこなすマルチな才能を発揮。
こちら↓は昨年制作されたジョスリーヌ・ベロアールのTVドキュメンタリーの告知です。





大丸1️カッサヴとズーク(4)

個々の活動も豊かなタレント集団、再来日するカッサヴのオリジナルメンバーはこういったミュージシャン。
お次はジャン=クロード・ネムロです。

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Jean-Claude Naimro(ジャン=クロード・ネムロ)1953-

マルティニーク出身のキーボード奏者。幼少からクラシック・ピアノを始め、1970年にフランス本土に音楽留学するまで、既にローカルシーンで様々な音楽活動を行っていたよう。1975年には、ロック〜ディスコ・バンドのマルタン・サーカスのベーシスト、ボブ・ブローとモザイクというバンドを結成。この年にパリのマルティニーク系バンド、ガウーレのレコーディングにも参加していて、歌とギターを担当していたのが、当時16歳のカリ。翌年にはエディ・ミッチェル、ミシェル・フーガン、ストーン&チャーデン等のアーティストとツアー。1979年にはLAに向かい、バリー・ホワイトとのコンビで知られる名アレンジャー、ジーン・ペイジのレコーディングに参加。一年間のLA生活からフランスに戻ったJCネムロは、同郷フィリップ・ラヴィルのツアーで、デビューしたばかりの少女セリーヌ・ディオンとステージに立っている。

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1980年から、マヌ・ディバンゴ、ミリアム・マケバのツアーに同行。JCネムロの名前がカッサヴのレコーディングに登場するのは、その後ジョルジュ・デシムス名義の最初のアルバム(1983年)あたりからだと思うが、カッサヴのサウンドに変化があったのはこの頃だ。ジャコブ・デヴァリューはカッサヴ結成時を振り返り、RFIのインタビューにこんなことを述べている。「今までとは違うバリエーション、オーケストレーションの模索は楽しかったが3〜4年かかった。各々の表現に何を持ち込んで公式化するか。もし自分たちメンバーが同じ環境から来たのだったら、それはうまくはいかなかっただろう。」音楽経験のレンジの幅やカラーが異なっていたJCネムロの登場は、少なくはない状況の変化をもたらしたのだと思う。

1985年にマヌ・ディバンゴも参加したソロアルバム(といってもほぼカッサヴ)を制作。収録曲の「En Mouvmen」はカッサヴの代表曲のひとつとなっている。カッサヴのヒットチューンにはジャコブ・デヴァリュー&ジョルジュ・デシムスのコンビによるものが多いが、この「En Mouvmen」にしてもジョセリーヌ・ベロアールの項に書いた「Kolé Séré」にしても、JCネムロが作ったメロディは記憶に残る。しかしながら、このアルバムタイトルの「バラテ」とは一体何?何処? でジャケットに写る本人以外は何者? どうして酒瓶が並んでる? というかねてからのナゾはいまだ解けず。

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その後新コンセプト「ターボII」によるアルバムを1988年と1991年に制作している。
1993〜94年にピーター・ガブリエルのワールドツアーに参加(DVD『Secret World Live』がリリースされた)するため、カッサヴでの仕事を行えなかった。この間、彼の代役を務めていたのは、現在ミジックオペイ他ビギン〜ジャズ・クレオールでの仕事が多い、ピアニスト/ディレクターのティエリー・ヴァトン。

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カッサヴや自身名義、あるいは他アーティストへの提供も含め、JCネムロの作品にはマズルカ曲が多いことを2000年リリース『Best of Mazukas』で気づかせた。初期は親アフリカ楽曲の印象だったが、やはりこのあたりはマルティニークの人間なのだ。



●カッサヴとズーク(5)

個々の活動も豊かなタレント集団、再来日するカッサヴのオリジナルメンバーはこういったミュージシャン。
引き続き、ジャン=フィリップ“ピポ”マルテリーです。

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Jean-Philippe Marthély(ジャン=フィリップ・マルテリー)1958-

マルティニーク出身のシンガー。歌う際に独特の節回しがあり「うまい!」と思わず言ってしまうテクニックと、MCや曲中での観客の盛り上げ方は、昔から評価が高い。

1970年代のマルティニークを代表するカダンス・バンド「ラ・ペルフェクタ」を脱退したギタリストのシモン・ジュラッドが、1978年に結成した「オペレーション78」。このグループでの活動が、JPマルテリーのプロ歌手スタート地点。カッサヴを立ち上げたピエール=エドゥアール・デシムスが、オーディションで歌手を探している際に、マルテリーとさらに同じくオペレーション78で歌っていたジャン=ポール・ポニヨンを気に入り、カッサヴ3作目「N°3」(1981)にこの二人の歌手を呼び寄せた。JPマルテリーはカッサヴに残ったが、ジャン=ポール・ポニヨンは留まらず、引き続きシモン・ジュラッドやグループ・サキヨ、ソロ歌手またサイドマンとしても需要の高い人気歌手となっている。

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他のメンバー同様、ほぼカッサヴのメンバーによるソロリリースをJPマルテリーも行っており、「Rété」「Bèl Kréati」ほかカッサヴの代表曲となるヒットソングを歌っていくのだけれど、それより以前カッサヴに加入した頃に「ジャン=フィリップ・マルテリー&ファクトリー・ズーク」としてリリースしたアルバムが印象深い。ペルフェクタのような重厚なカダンスだが、1曲だけフュージョン風味のマズルカが入っていて、初めて聴いたときに私的ツボにひっくり返った。JPマルテリー=カッサヴの思考が働くので、ソロアルバムに関しても聴く前から勝手な予測が働いてしまうのだが、作品にによってはマラヴォワっぽくバイオリンを前面に置いたもの、あるいはシュヴァルブワを取り入れたりと、案外ビックリさせてくれるアルバムのリリースを続けている。

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カッサヴ・メンバーの中では年少組となる二人の看板歌手、マルティニーク出身のJPマルテリーとグアドループ出身の故パトリック・サン=テロワは、それぞれの故郷のリズムの使い分けを行う、カッサヴのコンセプトやサウンド面での戦略にフィットした存在で、「マルテロワ」などコンビの名義でリリースされた作品も忘れてはいけない。

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90年代にいくつかアルバムをリリースした若手に「セカンス」というグループがあり、ハードドライヴなズークと紅一点のフォーメーションは、カッサヴの弟分みたいな印象だった。それもそのはずで、このバンドのJPマルテリー似の声の主は、弟のティエリー・マルテリー。またコンポーザーにはパトリック・マルテリーなる人物もいて、顔を見ればJPマルテリーの複写のような感じなので、彼もまた兄弟なのだろう。昨今活躍しているシンディ・マルテリーは、親子共演も多い愛娘。確か息子も、と記憶が曖昧なので検索してみると、本人同様マルティニーク東岸ロベールの音楽好きのマルテリーさんが何人も見つかったので、断念することにした。


(その3へつづく)
posted by eLPop at 13:33 | Guindahamacas

カッサヴとズーク(その1) by 山口誠治

2019.10.05

久しぶりのゲスト・コーナーに登場頂くのはグラフィック・デザイナーにして、フレンチ・カリビアン・フリークの山口誠治さん

ズークを代表するグループ、カッサヴの今月‪10/21‬の公演に併せ、SNSでの連載があまりに濃くて楽しくて、eLPopサイトへの転載許可をお願いし、快諾頂きました!!

スペイン語圏の音をカバーするeLPopですが、カリブ海の音には欧州のコントルダンス/コントラダンサを共有し、アフリカからの音はカリンダやジュバなど今でも英仏西語圏に共通して残るリズム名からも「ひとつのカリブ」の土台が伺われます。その後もヴィキングスのようにNYサルサを取り上げるなど交流のある中で、仏語/フレンチ・クレオール語圏で生まれたカリブの強力な音がズーク。ぜひお楽しみください!

【山口誠治さんプロフィール】
グラフィックデザイナー。また月刊フリーペーパー「SALSA120%」編集長として、スペイン語圏カリブ/ラテン音楽に通じながら、大のフレンチカリビアン・フリーク。『カリブ・ラテンアメリカ 音の地図』『世界は音楽でできている』などガイドブックや音楽誌への解説、CDライナーノーツなど執筆多数。日本で唯一(?)グアドループの音楽グゥオ・カ(Gwo ka)の太鼓を所有し伝統のリズムをガンガン叩き分けたりもされます。毎月池袋のBar King Rumでフレンチカリブとスパニッシュカリブの音をかけてラムを楽しむイベント"Dos Antillanos"も行っています。

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posted by eLPop at 13:14 | Guindahamacas

世界を翔るトラックドライヴァー:修(しゅう)ちゃんの「中南米めおと珍道中」その2

2017.02.08

静岡・沼津市在住のパーカッショニストでトラック運転手……
現在、奥様とともに中南米を旅行中の高木修二さんからのレポート第2弾!
ドミニカ共和国編です。

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posted by eLPop at 22:18 | Guindahamacas