(2024/11/10 zoomにでインタビュー)
「その1」に続き、チリで吟遊詩人の世界を研究し、実際に現場で演奏もした千葉泉さんに、今度は研究対象となった宗教歌としての十行詩の世界のお話しをうかがいました。(聞き手:水口良樹)
<カント・ア・ロ・ディビーノの世界>
千葉泉
もう一つの世界行っちゃっていいですか?で、もう一つが結局、僕そっちの方に研究のテーマを絞ったんですけど、カント・ア・ロ・ディビーノっていう宗教詩なんですね。で、宗教詩って即興詩と関係ないやんけって思いがちなんですけども、なんていうかな。その即興詩を即興するための歌ではないんですが、基本的には、聖人、マリア様だったり、十字架だったり聖フランシスコだったり、その聖人の日ってありますよね。
○○聖人の日って。例えばマリア様だったら7月16日カルメンの聖母の日というのがありまして、で、その7月16日に一番近い土曜日の夜から翌日の日曜日の朝にかけて一晩中十行詩だらけというか、すべて十行詩でできた「ベルソ」って言うんですけど、その詩を歌っていくっていう夜会があります。
水口良樹
それは首都のサンティアゴであるんですか?
千葉
サンティアゴでもありますし、言ってみたら関東地方から関西地方にかけてぐらいですかね?チリの中央部地帯。だから北海道とか沖縄ではないんですよ。九州でもやってないですみたいな感じ。中央部地帯に幅広く広い範囲でやられている。で、それは至るところに歌い手がいました。パジャドーレスよりもはるかに人数は多いと思います。
で、カント・ア・ロ・ディビーノは、そもそも即興するための歌ではないので基本は伝承詩。もしくはプエタ(ポエタ:詩人)。これはなんでプエタって言ってるかっていうと、自分で詩を書くんですよ。実際に創作するというか。だからプエタって言うんですね。だから先祖代々受け継がれてきた読み人知らずの十行詩、そういう伝承詩もあれば、何月何日に私が作りましたっていう特定のテーマ、例えばイエスの受難のテーマ、天地創造のテーマ。ダビデ王、ソロモン王のテーマ、みたいな聖書のテーマにちなんでたくさんの伝承詩が何百何千ってあるんですけど、それをもちろんモデルにしてたと思うんですけど。
じゃあ俺も書こうっていうことで、自作の受難の詩だったり、自作の天地創造のテーマの詩だったり。で今、十行詩って言ってるんですけど、正確には単独の十行詩ではなくて、ちょっと話がややこしくなるんですけど、最初にクアルテータ、要するに四行詩があって。で四行詩の1行2行3行4行目が言ってみればシンテシスっていうか、テーマを前倒しで予告編みたいに言ってるんですけど、その四行詩を十行詩の一番最後の7行目から10行目に持ってきます。これって全部さ、十行詩の形じゃないといけないんですよね。だってメロディは十行詩用のメロディーだから四行詩だと足りないじゃないですか。
だからその四行詩は7、8、9、10行目にセットされて、1行目から6行目は例えば「ブエノスディアス、カバジェーロス(みなさんおはようございます)」みたいな、「ジョ・ベンゴ・デスデ・ハポン(私は日本から来ました)」みたいなね「パラ・カンタールレ・コン・アモール(あなたに愛を込めて歌うために)」みたいなね。こういう感じで作ってって。この最初の6行はまあその場で作ったり、あらかじめ自分で考えといてもいいんですけども。宗教詩とは必ずしも関係なくてもいいのでとりあえず作って。
これイントロドゥクシオンっていう名前のデシマ、導入デシマみたいな。そんなのが来るんでその六行は別にその場で作っちゃってもいい。韻は踏まなきゃいけないんだけど。であの7から10行目までは、伝承詩でもいいし、創作詩でもいいんですけども。まあ最初から作られている、知っている四行詩が来ますよね。 で、その7から10行までの四行詩の1行1行がそれぞれピエ・フォルサードとなると。
水口
次に続いていくデシマの最終行になると。
千葉
そうそうそう。第1デシマの7行目の8音節が2つ目のデシマの10行目に来る。で3つ目のデシマの10行目に第1デシマの8行目の詩が来る。で9、10っていうふうに全部で4つ、さらにデシマが続くので、まあ最低5つありますよね。でさらにコンプレート(完全形)の場合は、一番最後に冒頭の四行詩に左右されない独立した「デスペディーダ(別れ)」っていうデシマが来るんですよ。だから完璧な形っていうのは、イントロドゥクシオンとデステディーダを含めると間に4つ来るから6デシマ。 六連形式っていうのが一応伝統的な、一番完璧というか、ベルソって言われる形式なんですけどね。
で、このめっちゃめんどくさい、要するに真ん中の四行詩が最初のクアルテータ、テーマですよね。これに韻律の意味でも影響を受けるということで、すごい複雑な形式ですよ、これ。デシマ・グロサーダっていうのは、これも論文に書いてから多分読んでくださってるかもしれないんですけど、これは中世とは言えないから…16世紀ぐらいの、ちょうどコロンブスの時代ぐらいのスペインで、いわゆる宮廷詩人たちがもてはやしていたスタイルで。
「かっこいいだろうこれ」「これがもう流行なんだぜ」つってさ。ちょっと技巧的じゃないですか、これ。デシマ・グロサーダ、このグローサっていうのはそういうふうに短い詩をテーマにして、その後で長い詩でこれを展開するっていうのがグローサっていう形式なんですけど、それにデシマを使ったデシマ・グロサーダっていうのが、当時流行っていて、まあそれが北はメキシコから、南はチリ、アルゼンチンまで、すべての国で今でもデジマ・グロサーダ型の民謡っていうのがあるんですけど。チリの場合はすごくそれがめちゃくちゃ残っていて。
だからそれは起源という意味では吟遊詩人とはちょっと違う系譜だと思うんですけど。宮廷詩人たちだから、別に歌を歌う人たちではないというか。まさに教養ある人たちが王侯貴族に囲われてというかさ。詩としても使ってたし、あと演劇の脚本が当時ってわりと詩で書かれていたので、脚本の中にデシマは使われたりしていたので、どちらかというと書かれたものというか、書くための詩の形だったんですよ。
もともと「俺らめちゃめちゃ教養ありまっせ」ていう人たちが使っていたわけ。それがなぜか今日までラテンアメリカのほぼすべての国で、デシマ自体、単独のデシマもそうだし、デシマ・グロサーダっていうのが本当にすべての、パナマでもね、プエルトリコでも、今日まで民謡の形式として残っていて。恐らく布教活動の過程でデシマ型の詩が使われたことが理由だと思うんだけど。
でそういう地域の一つ、一番強固に残ってるのがチリだと思います。で、それは即興詩のためというよりは、今言ったみたいに宗教詩というか、宗教儀礼の場で歌われるための詩として残っているので。ただ、このデシマ・グロサーダっていうのは、そのカントールたち、プエタたちっていうのは、世俗的な詩も歌わないわけじゃなくて、それカント・ア・ロ・ウマーノって言うんですけど、できるんだけど、あんまり発表する機会っていうのが宗教儀礼ほどないじゃないですか。
宗教儀礼やったら必ず一年に何回かさ、なんちゃら聖人とか十字架とかさ、そういう機会があるから必ず宗教詩っていうのはリノベートされていくわけですけど。世俗の詩ってなんかさ、意識して歌わないと歌う機会ってあんまないじゃないですか。ということで多分、僕はちょっと今それ感じたんですけど、宗教的なデシマ・グロサーダ型の詩の方が、宗教儀礼っていう文脈の中で一晩中歌いますから。かなりの数を歌いますよね。それが年に何回か繰り返されるので保たれるっていうのがあります。
<アンヘリートの通夜の儀礼>
https://www.youtube.com/watch?v=dYm9Ccro7jk
アンヘリートの通夜の儀礼
千葉
で、もう一個カント・ア・ロ・ディビーノが現在でもめちゃくちゃ歌われる重要な機会にアンヘリート(小天使)のお葬式、葬礼、これがすごくありまして。で、僕自身も最初に留学した時は話を聞いただけだったんですけど、就職した直後にもう一度文部省のお金もらって10ヶ月行けた時に、2回お呼びがかかって行ってるから。で僕自身が2回も出てるってことは、相当ベロリオ・デ・アンへリート(小天使の通夜:幼子のお葬式)はいろんなとこでやられてるんですよ。80年代、あ、でも90年代になってたか。だから今はちょっとどうなってるかわからないですけど、当時は全然ベロリオ・デ・アンヘリートっていう儀礼が廃れるっていう感じはなかったですね。
その場でも、その宗教的な儀礼、宗教的な内容の詩、聖書にちなんだ詩がもちろんたくさん歌われるんですけど、そのアンヘリートのお別れ、デスペディメント・デ・アンヘリートっていう詩が一番大事で一番最後に歌われる。夜が白んできた時に、翌朝ですよね、これから幼児の魂が天国に登りますよっていうのを迎えた時に、幼児が主語になって、私が今から参ります。お母さんお父さん泣かないでくださいっていう。それめっちゃ泣いちゃうんですけど。号泣する。その詩が一番最後に来るんです。
でちょっと順番逆になりましたが、僕が実際に歌わせていただいた2回あったベロリオのうち、そのまあ1回目も2回目もそうだったんですけど、僕以外の歌い手が即興詩人だったんですよ。あ、この場合は即興詩人であり、かつカントール・ア・ロ・ディビーノ、要するにあの両方兼ね備えた人たちだったんですけど。でその2回目のベロリオの時っていうのは、全部で4人いたんですね、僕含めて。で僕以外の3人がもちろんチリ人の歌い手なんだけれども、で全員即興詩人だったんですね。で驚くことにアンヘリートのお別れの歌を3人とも完全に即興したんですよ。その場で。 すごかった、あれは。でまあ本当にあの幼子の名前ですとか、亡くなった病院の名前とか、何病で亡くなったみたいなことも全部盛り込んでいくんですね。
で、これはすごくある意味、残酷というか、親からにしたらさ。 その幼子の死っていう現実から絶対逃れられないっていうとこがあるんですけど。でも本当にその臨場感を高めることで、まさにその場で幼子、その子、赤ん坊だったんですけどね。赤ん坊がだからそもそも話すはずがないのに、親に対して、私は今、満足な気持ちで、短い命だったけどもすごく楽しい人生だったから、泣かないでほしいっていうことを、泣いたらダメだよ、母ちゃんって言いながら去っていくっていう場面を演じるわけですよ。
言葉にして。それはありえないのよ。普通だったらね、それをまさに即興でする。それはだからそれは吟遊詩人って言ってもいいかもしれないね。その場の3人は歌い手以上、というかまさに吟遊詩人そのもので、それは現世に残された人々の、もうとてつもない悲しみを少しでも和らげるというかなんというか。和らぎはしないけど、あ、本当にこの子供が亡くなったのは悲しいけれども、こういう運命だったんだなと。私たちはできるだけ悲しんではならないのだなっていうふうに、その伝統的な考え方はあるけど、信条としてはさ、そんな子供がなくなってよかったねみたいに思えないです、そんなもんね。
水口
無理ですよね。
千葉
とてつもない悲しみなんですよ。
で1世紀前ぐらいのアンヘリートの文献、僕たくさん読んだんですけど、どうも当時って流行り病で、例えば15人兄弟のうち10人亡くなりますっていう状況だったから、ちょっと言い方が残酷になるけど、子供が亡くなるっていうのがまあ日常茶飯事だったわけですよね。
で多分もしかしたらラテンアメリカの多くの国ではまだそうかもしれないけど、チリの場合は幸か不幸かさ、だんだん中進国になっていて、で都市サービスもだんだん発達してきて、医療のシステムなんかも、それでも日本と比べたら大変だと思いますけれども、ある程度予防接種とかも幼い頃からやってるから、やっぱり子供が亡くなるっていうことが例外になってきたんですよ。だから僕らが日本に住んでいて、子供が亡くなったらとてつもなく悲しいですけど、それとほぼ同じ感覚で悲しみに直面してるわけですね。
そういう状況の中で、そのかつて1世紀前のアンヘリートの儀礼とは明らかに異なる、より切実な必要性を持って儀礼そのものが行われるし、でその場で歌う歌い手っていうのが単なる歌い手ではなく、現世に残された両親とか親戚とかの人たちがとてつもない悲しみから、こうなんていうかな、救われるわけじゃないけど、その順応していく、その状況に。あ、これはこれで良かったんだなと。
で天国に行ってエンジェルになってくれるんだから、私たちの安寧を祈ってくれるんだから、むしろよかったと思うべきなのだっていうふうに。もともと信仰はそうなんですけど、実感としてはそんなふうに思えないのが、あ、本当にそうかもしれないっていう転換を行うのに、まさに決定的に大事なのがアンヘリートのお別れなんですよ。
なぜかっていうと、幼子が自らの言葉で「悲しんではダメですよ」って呼びかける。実際にはもちろんそんなことないんですけどね。ていうことを思いっきり演ずることによって。その場の人たちがすごく臨場感に溢れたね。で、だからそのために多分抽象的なアンヘリートのお別れのシーンよりも、僕が感じたのは名前も言っちゃうわけですよ。私は誰それですって。残酷です、ある意味でね。
本当にそこにその子供がいて呼びかけているかのように、その場を設定していく、これまさに僕ちょっと感じたんですけど、最初から決まっていた、既存のアンヘリートのお別れの詩をただ歌うより、僕はそれしかできなかったんですけど、即興できなかったんで。だけど、その3人がまさにその場にあって、家の人からもお話を聞いて、その情報も盛り込みながら最後の詩をそうやって歌ったっていうことによって、その臨場感は否が応でも高まったから。それで逃げ場がないっていうかさ。あ、子供が本当に行くんだなと。
だけど満足していくんだなと。だから泣いていてはだめ、まあ泣いてるんだけど泣きながら、泣いてはダメなのだって、だんだんこう思えるようになってくるっていうかね。そういう心理変化が本当に起こっていって、でだから一時間ぐらいこの歌ってかかるんですけど、歌が終わった頃には、おじいさんとかお父さんが泣いてたんだけど、涙が濡れた目のままで微笑んでるんですよ。一番最後に。途中はすごい号泣みたいになるんですけど。
ていうのを目の当たりにして。でアンヘリートの儀礼自体が意味があるし、トロバドールっていうテーマで機会をくださっているのでさらに感じるんですけど、やっぱり即興でそういう、まさにその場にあった、その子のための、その家族のための死をその場で作れるっていう能力というかさ、それがいかに大切なことかってそう思いました。ていう感じで(伝統が)生きてるんですね。
なので僕が体感体験した2回のアンヘリートの儀礼では、特にその一番最後のお別れのシーンの時に、結構即興って行われているのではないかと。まあ、僕が体験したのは2回だけだから一般化はできないけど。さらにその2回っていうのも僕を誘ってくれたのがホルヘっていう同一の歌い手なので、一般化してはいけないかもしれないんですけど。でも3人が3人とも即興したっていうことは、即興してもいいんじゃねえのっていうなんとなく暗黙の了解があるような気がするんで。そうするとそれが歌い手たちの感覚であるのならば、そういうことが多分いろんなベルリオ(アンヘリートの通夜)でも起こっているんじゃないかなっていう感じがしました。
だからこれは即興の夜会ではないです。即興の会ではないですけど、事実上即興という行為がすごく行われていて、さっき言ったように社会的な悲痛な状況の中で、家族が信仰というものを持っているけれどもその信仰を実感できていないところを、本当にそうなんだって実感できる転換を起こすっていうか、その上で即興ができるっていうことが、非常に意味があるんだなっていうことを、僕が実感した、そういう経験ですね。それがアンヘリートの儀礼の話です。
<宗教詩を現場で歌うということ>
千葉
それでちょっと話がぐちゃぐちゃになっちゃうんですけど。カント・ア・ロ・ディビーノの方に戻るんですが。聖人とかマリア様とか、あと十字架とかに対して歌うというこれは平時というか、緊急事態ではないですよね。特定の日にちが決まっていて、何月何日にやりますから来てくださいみたいな感じで呼ばれたりとか。で歌い手の場合は呼ばれなくてもいけるんですよ、歌い手だから。僕も勝手に行ったことも結構あって。で、そうすると歌い手やからっていうことですごい歓迎されるんですけど。
でその場でも時々ですね、ちょっと難しい、旧約聖書のテーマとかって割とレアもんっていうかさ。テーマの中でもすごい一般的なテーマ、例えばイエスの生誕とか受難とか天地創造っていうのは誰でも知ってる、ものすごいポピュラーなテーマなんですけど。ダビデ王、ソロモン王とかそういう放浪のユダヤ人とかちょっとレアもんのテーマがあって、その時っていや俺知らんわっていう時もあるんですよ。そのテーマはちょっとうーん(レパートリーに)ないなって。でそういう時に歌うのを辞める人もいるし、俺作ったろって作る人もいる。そしたら事実上即興になりますよね。
で僕の友達のホルヘっていうやつは、アンヘリートのお別れどころか、すべての詩をその場で作ってました。宗教儀礼で。宗教儀礼なのに。でそういうふうに自分が準備していない、記憶していないテーマが来ちゃった時に悔しいからその場で作っちゃうっていう意味での即興もあるし、さっき言ったように、イントロドゥクシオンっていう最初のデシマ、その四行詩を抜いた1行目から6行目っていうのは、もともとその場で歌うようなもんやから作って歌う人もいるけれど、かなりの人は最初の6行ぐらいはどの歌い手でも、即興詩人じゃなくても割と即興するんですよ。
で、自分の出身地だったり、僕だったら自分の名前を言ってみたりね。あるいはその場のにいる人のこと、誰々に感謝しますみたいなね。とっても美しい場所で、みたいなことをちょっと入れたりするっていう。まあそれぐらいのことはさすがに歌い手であればなんぼでもできるんで。そういう部分的に即興するっていう習慣はカント・ア・ロ・ディビーノという非常に保守的な宗教儀礼の場でもしばしば起こってました。部分的に即興するっていうことはね。
ちょっと順序がぐちゃぐちゃになっちゃったんですけど、だから意外と即興っていうことが普通で。でもう一個ちょっと観点を変えていうと、詩を作るかどうかっていう意味での即興ではないんですけど、歌というものもね。日本で言うとカラオケでもなんでもメロディがあって詩があるじゃないですか。なんか当たり前のようですけど、この歌のメロディーはこれで詩はこれですっていう一対一の対応関係ありますよね? でそもそもそれがないっていうのがカント・ア・ロ・ディビーノ。
だから全部要するにすべてのテーマのすべての詩が十行詩の形式なので、例えばA村っていうところに即興詩人、歌い手が十人住んでいるとすると、そのA村の十行詩、カント・ア・ロ・ディビーノを歌う用のメロディが1個じゃなくて6個とか10個とかあるんですよ。ABCDEFGHIJぐらいまでで全部違うメロディーなんだけども、すべてどのメロディーでもどの十行詩も歌えるメロディーなんですね。
で、だから例えば今日僕が行って、聖像というか十字架を目の前にして、十字架の方を向いて歌うんですけど(観客のために歌うわけじゃないから十字架の方を向いて歌う)、一番左に座った歌い手が、まあギターかもしくはギタロンですよね。25弦ギター。どっちでもいいんですけども、それを持っておもむろに弾き始めるんですけど。で、宣言はしないので「今から○○のテーマを歌います」とか言わないわけですね。いきなり何も言わずに歌い始める。そうすると歌い始めるっていうことはメロディーがあって詩がありますよね。当たり前ですけど、どのメロディーが来るかもわかんないし、どのテーマの詩が来るかもわかんないと。
でいきなり歌い始めて「あ、これはCメロだな」ってわかって、「あ、これはどうもこの詩からすると、これはイエスの受難っぽいぞ」って。そうすると2人目はそのCのメロディで、最初の歌い手が歌ったのとは異なる受難の死を歌う。同じ詩をリピートしたらダメなんですね。だから十人いたら十個全部違う受難の詩が出てくると。だから即興のもう一個の可能性としては、「俺さ受難の詩は3つ知ってたんやけど全部歌われちゃったわ」っていうこともあるんですよ。で受難のテーマぐらい、すごいポピュラーやから大体ストーリーはわかってるじゃないですか。そうしたらしゃあねえから即興するかっていうのもありですね。自分の持ち歌もあるけど、全部歌われちゃった場合も、即興っていう手段に訴える人もいます。
そんな形でその場でCメロでこの受難の詩を歌うっていうことになるので、だから詩自体は持ち歌、持ち詩といいますか、もともとの伝承詩でもいいし、自分が作った詩(これは即興じゃなくてもうあらかじめ作ってある詩ですよね)であっても特定のメロディーで歌って覚えたらダメなんですよ。だからカラオケ行ったらダメなんですよ。なぜかというと、特定のメロディーに特化しちゃうから他のメロディで歌えなくなっちゃうんですよね。だから吟じるみたいにして「Yo me llamo Izumi Chiba, Yo vengo desde Japón.(私は千葉泉、日本から来た)」みたいに、メロディーをつけずに吟ずるっていうか、これで覚えてる。だから百人一首を覚えるみたいなもんですね。なんちゃらの〜なんちゃらなんちゃら〜なんちゃららっていうふうに節をつけずに覚えとくことによってどのメロディーでもいけるっていうかさ。
だから、そういう意味では即興詩じゃないけども、ちょっと即興的なところありますよね。どのメロディーでどの詩を歌うかっていうのは、その場にならないとわからない。どのテーマが来るかもわかんない。ていう意味では僕の中ではかなりハードルが高い民謡。実はなんか簡単そうに見えるんですけど、相当難しいです。カント・ア・ロ・ディビーノは。他の、いろんなリズムが複雑な曲っていっぱいあるやん。ホローポになんにしてもね。クエカにしてもね。もう全然レベルが違うぐらい難しいです。カント・ア・ロ・ディビーノは本当に言うと。めちゃめちゃ緊張するし。メロディーが決まってないからね、その場まではね。ていうか別の難しさですよね、言ってみたらね。
水口
なんかやってることが全く全然別のことやってますね。
千葉
そうですそうです。難しさが違うね、確かにね。であとはね、多くのメロディーがまあつかず離れずっていうかさ、ギタロンとかギターはトゥンチャントゥンチャントゥンチャンってこう割とこうリズミカルなんですけど、それに合わせたらいけないから。なんていうかな、朗々と吟ずるみたいな感じで、つかず離れずっていうのがまた難しいんですよ。それが全くギターとかギタロンのトゥンチャントゥンチャンっていうメロディ、リズムを一定にしながら、それに縛られずに、詩のなんていうか自然の抑揚、読んだ時に自然に読める抑揚ってあるじゃん。その感じで歌わないといけないから。
それこそ二つの理性があるみたいな。さっきの言い方じゃないけどね。弾くためのリズム感と詩を吟ずるっていう部分のリズム感って全然違うから、その両方ともをわかっててやらないといけないから、そういう意味でめちゃくちゃ難しい。リズムが一定で合わせていけばいいんだったら、いくらすごいシンコペーションがあるリズムでも決まってるからさ、なんとかなるよ練習したらっていうところがありますね。
であとはスペイン語の自然なイントネーションがあるから、これはスペイン語ができない人は歌うのは無理です。あ、無理ですっていうか、真似すればできると思うんだけど。でもそんな全ての詩をさ、録音しておくわけにはいかないから。多分スペイン語わかんない人はローマ字式に「あいうえお」でただ読んでも多分歌えないと思いますよね。ちゃんと意味が分かりながら吟じないといけないから。
だから、最近やっぱすごい思うのは、カント・ア・ロ・ディビーノは本当に難しいなっていう。だから留学した当時はやっぱり僕ね、あのギターのリズムにちょっとこうなんか影響受けちゃったりとかね。それからスペイン語のあの自然なイントネーションではやっぱり歌えてなかったんですよ。だから水口さんたちがいらっしゃった時に何度かね、カント・ア・ロ・ディビーノを僕、歌ったことあると思うけど、うまく歌えてなかった。ごめんなさい。うまく歌えてなかったです。
水口
今思うとということですね。
千葉
もう縛られてました。はい。全然ダメでしたね。というのがありますね。ごめんなさい。ちょっと一気に喋っちゃったんですけど、だいたいあの話尽くせた感はあるんですけど、何か、何でも聞いてください。
<アンヘリートの通夜の起源>
水口
アンヘリートのお通夜の儀礼っていうのは、今改めて聞いても本当に自分の精神であったり状況っていうのを変える、本当に儀礼としての効果を持ったものだったたんだなっていうの今日のお話ですごいよくわかって。
千葉
そうですね。2回ともそうでした。それは本当にね、矛盾するようですけど、涙目でニコニコしてました、お父さん。一回目がお父さん、2回目はおじいさんでした。
水口
それで確か論文にも書いておられたような気がするんですけれども、改めてこのアンヘリートの儀礼っていうもののルーツっていうのはどちらに、どういう形でこれがチリにあることになったっていうのはどんな感じでしょう。
千葉
はい。これについてもちょっと調べて書いたんですけども、めちゃくちゃ古くは古代ローマ帝国の時代に、なんていうかな、慣習法みたいな法律、書かれた成文があって、幼子が亡くなった時には喜びの鐘を鳴らすようにっていう記述があるんですよ。だからラテン語で書かれた時代、紀元前とかさ、そういう時代に子供が亡くなるっていうことは、大人とは違ってなんか喜ばしいことなんやと。多分魂のピュアさとかっていうのもあると思うっていう考え方がめちゃくちゃ古くからあったみたいで。
ていうことは、キリスト教以前ですよね。で、その後でキリスト教が広まっていって、その周辺地域であった地中海、イタリア、フランス、スペインとかにキリスト教が布教されていく過程で、要するに異教徒の人たちですよね。非キリスト教徒というか。
で、おそらくですけれども、その布教の過程でエンジェルの概念を教えるために、要するに天使っていう人たち、あ、人というか魂がいるんだと。キリスト教にはね。天使っているじゃないですか。 「それなんやねん」て言われますよね。「あのな。 幼い子供が亡くなるとするだろ?」みたいな。「ピュアな魂のままでさ、天国に行くんだよ」みたいにですね。「そういう純粋な魂を持っている存在のことを天使って言うんだよね」みたいにおそらく教えていて。
でその結果ですね。スペインとかフランス、イタリアに、少なくとも19世紀に至るまでは、小さな天使の葬礼っていうね、全く同じようなお祝いするための幼子の葬式っていう習慣があったんですよ。どう考えても別に新大陸で発達し、作られた儀礼じゃなくて、ヨーロッパのカトリック諸国のいわば民間信仰として古い時代、いつ頃からかもちろんわからないですけども定着していた小さな天使の概念っていうか信仰っていうのがあって、おそらく修道会士たちが新大陸を征服するために、ペルーとかボリビアにもありますからね、アンヘリートの儀礼って。
そうすると多分形式としてキリスト教を教えるその中でもアンヘルの概念を教えるときには、アンヘリートを使おうぜっていうカトリック教会内の御触れみたいなのが多分あって。もう本当に北メキシコから南はチリ、アルゼンチンまで、すべての国でアンヘリートの儀礼っていうのがあるので、まあ言ってみたらそういう意味でヨーロッパ起源でおそらく征服期に伝わったんじゃないかなっていうふうに思いますね。で、それは誰が教えたのかっていうと、おそらくですけども、修道会士たちが布教する時に多分、すでにヨーロッパにあった民間信仰を取り入れて、それで布教したんじゃないかなっていうふうに思われるみたいなこと書いてます。
水口
ありがとうございます。興味深いですね。あとこれも千葉さんが確か書いておられたと思うんですけど、子供が亡くなった時に、うちも守ってほしいからって子供の貸し出しみたいなのが確かあったとか。
千葉
ありました。実際にありましたありました。そうそう、だからそれは60年代の映画にもなってますし、それから歌い手たちの証言でも聞いたし、それから19世紀の後半から20世紀の初頭にかけてのいろんな文献があるんですけど、新聞記事もあるし、あと旅行者の記録、外国人旅行者ね。あとはチリ人民族学者、つまり民間信仰を別にその蔑視はしていないはずの進歩的な知識人の人たち、進歩的なっていうとは語弊があるかな。民間信仰というものを非常に尊重してるような立場の人の中でもやっぱり貸出ってやってるんだよっていう記述が出てくるので、おそらく本当にやってたんだと思うんですよ。
でさっきもちょっと言ったんですけど、おそらく一昔前、20世紀の前半ぐらいまで、半ばぐらいまでは、要するに幼児死亡率がめちゃくちゃ高かったんで、だから要するにちょっと言い方が残酷なりますけど、幼子がなくなるということがそんなにとてつもなくレアなことではないので、まあそういうこともあるよねっていうおそらく感覚がどっかにあった。
水口
生まれたら半分は亡くなるもんだ、みたいな時代…。
千葉
そうそうそうそう。で、中にはお母さんとかお父さん自体もそんな感じで描かれたりしてて。で、ある人たちからはそれを進歩主義者が民間信仰を蔑視してネガティブに書いてんだっていう反論もあったんですけど、僕はいろいろ文献調べてみたところによると、いや、そうでもないんじゃないかな、ていう。それは僕、別にネガティブには捉えてないんですけど、本当にそういうふうに感じてたように思うんですね。なので、そういう形で2日3日、貸し出しして本当にお金も受け取ってアンヘリート(幼な子)を借りてくることによって、お祭りをするような習慣がどうもあったみたいですね。
それは歌い手たちも、僕が知り合った歌い手たちはみんなカント・ア・ロ・ディビーノの歌い手だから中央部地帯の人なんですよ。だから彼らによると、私もそれ見たことがあるっていう人はなかなかいなかったんですけど、もうちょっと南部の方だったり、一昔前にはそうやってたらしいだったり。この中央地帯でも、俺らは知らんけども、親父の話によると、そういうこともあったらしいみたいなことは一応聞いたので、それはあながち嘘ではないんだろうなっていう感じですかね。
だから同じアンヘリートの信仰にしても、一昔前までは本当に純粋に信仰の対象としてありがたい存在になってくれてありがとうみたいに本当に思ってたのではないかっていう感じがします。だけど時代が変わって、もう全く異なる状況というかね。同じ幼い子がなくなるっていうことの両親とか肉親に生じさせる感情というのは多分真逆って言ってもいいかもしれない。
今の現代社会に住む我々にとっても多分同じであろうっていうぐらいの感覚だから。これはもう最悪。もう最大の不幸みたいなね感覚ですよね。だからこそ逆に言うと、以前よりもさらに歌い手たちの意義っていうのも増してるんじゃないかなっていう感じが。で、その中でもちょっと今日水口さんと話して初めてそう思ったんですけど、特に即興ができるっていうことが、やっぱりすごく大事なんじゃないかって初めて思いました。今日。
水口
やっぱり伝統が生きているので、状況が変わるとちょっとずつ儀礼のあり方であったりが時代の要請に応じて、特に何ってしなくても自然と変わってくるんですかね?
千葉
そうですね。だから逆に言うと、それこそ伝統が生きているという感じがするよね。
水口
しますよね、本当に。
千葉
逆にそれは嘆かわしいことではなく、伝統本当に生きてるから、フレキシブルに時代の要請に応じて、それぞれの時代に応じた機能を果たし得ている、果たして続けているというか。そんな感じですよね。
水口
そんな風に感じますね。
千葉
確かにそうだ、こうしてみるとやっぱりあれやね。今日さ、対話にしたやん。これが良かった気がしますね。
水口
いやでもやっぱりすごい。やっぱりこれを僕はエッセイとか。あの論文じゃなくていいと思うんですよ。一般の人たちにこんなこういう生き方やこういうあり方があるんだっていうことを日本語でぜひ千葉先生書いてほしいなって本当に思うんですね。改めて本当に思いましたね。
<補足>
※千葉さんより、書き起こし原稿のチェック時に補足としていただいたコメントを最後につけさせていただきます。
千葉
ぼくが2回のアンヘリート儀礼で歌った「お別れの詩」は、友人の即興詩人であるホルヘ・セスペデスさんが、1回目の儀礼の当日、ぼくのために作ってくれた詩だったんですけど、これをお送りします。もし可能でしたら、こちらも載せていただけたらうれしいです。
(以下の歌詞はクリックすると拡大します)


「作ってくれた」といっても、出発前にホルヘの家で腹ごしらえをしながら、彼が「即興的に吟じていく」詩を、必死に書き取った(早すぎて書きとれないスピードで彼は即興していきました。)詩です。
そしてホルヘは、実際の儀礼の時には、これとは全く異なる(お別れのテーマの)詩を、まさにその場で吟じていきました。2回ともそうでした。
この「お別れ」の詩ですが、第一デシマ〜第4デシマの最終行を合わせると・・・
Ya se va para los cielos
ese querido angelito
a rogar por sus abuelo
por sus padres y hermanitos.
という4行詩になるのですが、これはもともと、ビオレタ・パラのオリジナル曲「アンヘリートのリン Rin del angelito」の1番の歌詞だったものです。つまり、既存の4行詩を使って、4つの十行詩を創作した、デシマ・グロサーダ型の即興詩ですね。
Violeta Parra - Rin del angelito
https://www.youtube.com/watch?v=3oLq7MENsBs
Violeta Parra "Rin del angelito"
で、ぼくの記憶では、ホルヘがこの4行詩を使って最初の十行詩を即興したので、それに続く二人の即興詩人たちも、この同じ4行詩をベースにして、それぞれ違う詩(デシマ・グロサーダ型)を即興しました。
(つづく)
次回予告:第3回は千葉さん自らがどのように現地で歌ったのか、その模様をお聞かせいただきます。