読んだ本:
欧米の隅々 市河晴子紀行文集(2021 元の書籍の執筆は主に1930年代)
編者:高遠弘美
素粒社

https://soryusha.co.jp/books/009_obeinosumizumi_910413082/
わたしはただただ圧倒されています。この市河晴子という人に。
先に言ってしまうと晴子はかの渋沢栄一の孫(母が娘の歌子)で、1986年に生まれ1943年に亡くなっています。東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)卒業後、19歳で10歳年上の英語学者の市河三喜(日本人初の東京帝国大学英文科教授)と結婚します。
個人的には、渋沢栄一にあまり興味はないものの、その孫の渋沢敬三が自宅に「アチック・ミューゼアム(屋根裏博物館)」を開設し、多くの民俗学者を育て、岡正雄、宮本常一、網野善彦らに援助を惜しまなかったこと、さらにそのコレクションは、現在吹田の国立民族学博物館の収蔵資料となっていることは知っていました。
渋沢栄一は、ウィキペディアに曽孫から先の玄孫(やしゃご)、来孫(らいそん)まで記述があり、日本の中枢に大勢の子孫を送り込んでいるので、まさに渋沢一族恐るべしではありますが、とりあえず晴子と敬三が生まれてくれたことは喜ばしいです。
この本の主な部分は、第二次世界大戦が勃発する10年前の1931年に、夫の欧米諸国視察の旅に同行した際の紀行文です。日本女性が見た欧米というその内容の新鮮さから、発表当時にも大きな反響があり、なんとイギリスとアメリカでも出版されたというのは驚きです。
市河晴子のすごいところは、とにかく博覧強記、とてつもない教養の持ち主で且つ好奇心が強く、興味を持ったらどんどん入り込んで行くような行動力です。そして、今で言うところのフェミニズム的な考え方の人でもあり、物事を公平に見ています。その文章は時にユーモラスで、時に辛辣に船旅やヨーロッパの国々を縦横無尽に駆け巡ります。100年近くも前のことなのに、少しも古びたところがなく、読む者の旅心を刺激します。
もちろん、当時の日本でこのような境遇にあるというのは、ごくごく一部の恵まれた人々だけであり、彼女もそのひとりであったことは言うまでもありません。しかし、彼女がその類い希なる資質とこの文章力を持たない、ただの富豪の令嬢であったら、この本を今読むことは出来ませんでした。そこが一番肝心なところです。
引用したい文章が盛りだくさん過ぎて困るものの、やはりわたしはこの「スペインに入る」の冒頭を記しておきます。
「黒ビロードの上に、ルビーをばらまいてスペインを想え。鑢紙の上に鮑貝を伏せてスペインを想え。荒涼と絢爛との卍に入り乱れた国。光と影、寒暑、貧富、愛憎、全ての物が偏在してその極端から極端へと飛び移る国。ほどのよいとかほんのりとか中庸などという生温い味は、ただしめっぽい国に、黴と共にのみ存在を許させる」
常に現実的で実際的な晴子の文章にしては、やや詩的なのですが、非情に的確にスペインという国を表しています。
長生きしてくれたら、戦後も様々な物を見聞きして素晴らしい文章を遺してくれたであろう市河晴子は、たったの46歳でその生涯を閉じてしまいます。その経緯を知ったとき、わたしは唖然として悲しさと悔しさを押さえることが出来ず、ひとり大声で「ええええ〜〜〜」と絶叫しました。
この本の元となったほぼ忘れられていた晴子の本を、編者でフランス文学者の高遠弘美氏が、2006年に神保町の古書店で偶然手に取るエピソードも、鳥肌が立つようなすごい話なので、「はじめに」と「解説」もお読みください。
観た映画:
7ボックス(原題:7 Cajas)2012 パラグアイ
監督:フアン・カルロス・マネグリア(Juan Carlos Maneglia)、タナ・シェンボリ(Tana Schémbori)
出演:セルソ・フランコ(Celso Franco)、ラリ・ゴンサーレス(Lali Gonzalez)

https://www.imdb.com/title/tt2333598/
Amazon Prime Videoで視聴可能
映画産業はあまり盛んではないといわれている南米パラグアイの映画です。本作は、スペインのサン・セバスティアン国際映画祭のコンペティション作品として出品され、Cine en Construcción賞を受賞しました。2012年に公開されるやいなや、それまで一位だった『タイタニック』を超えて、パラグアイの映画興行成績を塗り替え、批評家だけでなく一般の観客からも強い支持を得ました。
物語はごくシンプルですが、侮れないスピード感と面白さに満ちていて最後まで一気に観てしまいます。
時は2005年、首都アスシンオンの有名なメルカド4(市場4)で、粗末なネコ台車で運搬の仕事をしている17歳のビクトルは、ライバルのネストルがある理由で遅刻したために、7つの箱を運ぶ仕事を得ます。運び賃は破格の100米ドルですが、半分に裂いた100ドル札の片方を渡され、無事配達が終わったら残りを渡すと言われます。その時点で、めちゃくちゃうさんくさい。
カメラ付きの携帯電話がほしくてたまらないビクトルは、とにかく箱を送り届けようとするのですが、仕事を取り戻そうとネストルが組織した荒くれ運び屋集団や、完全に犯罪者の依頼主周辺、そして少々ぼんくらな警察が要り乱れて大混乱となります。そもそも、箱には何が入っているのか?物は途中でわかりますが、理由は不明のまま追跡劇は続きます。
果たしてビクトルは箱を届けて、携帯電話が買えるのか!?
ビクトルを助けたり邪魔したりするリズ(演じるラリ・ゴンサーレスは今や大スター)、ビクトルの姉のタマラ、そのタマラに気があるので必然的に活躍してしまう韓国系青年のジム、最後の方にちょっとだけ出てくるトランス女性(演じるベト・アラヤはパラグアイを代表するダンサー)など魅力的な出演者と、超弩級の面構えの悪役の皆さんとの対比もすごくて飽きません。