花びらとその他の不穏な物語(原題:Pétalos y otras historias incómodas 2008(日本での出版は2022)
著者:グアダルーペ・ネッテル(Guadalupe Nettel)
翻訳:宇野 和美
現代書館

http://www.gendaishokan.co.jp/goods/ISBN978-4-7684-5931-7.htm
短編集『赤い魚の夫婦 (El matrimonio de los peces rojos)』で読者の度肝を抜いたグアダルーペ・ネッテルの第二弾が、同じ翻訳者で発売されました。執筆年は今回の『花びらとその他の不穏な物語』の方が早いのですが、何とも言えない不穏な(incómoda)雰囲気はしっかりと確立されています。強いて言えば、本作の方がもやもやとした不穏さはより強いと言えるでしょう。

収録されているのは、「眼瞼下垂」「ブラインド越しに」「盆栽」「桟橋の向こう側」「花びら」「ベゾアール石」の6作品です。誰にでもある(かもしれない)、他人には言えない奇妙な癖や嗜好、思い込みを持った人々が主人公です。それだけでちょっと怯んでしまう方もおられるかも知れませんが、「大丈夫、とにかく読んでみて」と言っておきます。
「眼瞼下垂」は、まぶたが垂れ下がり見えにくくなったために、形成外科手術を受ける患者の術前と術後を撮影する写真館の息子の話です。彼はある術前の瞼に強く惹かれてしまいます。さてどうする?
「ブラインド越しに」は、通りを隔てた向かいに住む男をのぞき見ることがやめられない女の話。男の行動が超弩級ではないものの図抜けて変態的です。
「盆栽」は、日本が舞台のお話で、村上春樹の影響が伺われると言われている作品。村上春樹を読んだことがないので、そういうことなのか、と思うことしかできないのですが、馴染みの植物園の園丁に示唆されて自らをサボテン的である思い、妻との関係が悪い方向に変化して行く男の話です。
わたしが一番好きなのは、次の「桟橋の向こう側」。〈ほんものの孤独〉を求める少女が、叔母夫婦の買った離島のしょぼい別荘で過ごすひと夏。ワケありのフランス人少女との交流もあり、どうにも面倒臭く子供でありながら、少し大人びてもいるローティーンの切なさがたまらない。中学の時の友人で、今はまったく交流がなく消息も不明のMさんを思い出しました。
表題作の「花びら」は、女性トイレの(臭いを含む)痕跡を探し回る男の話。ある日、理想的な痕跡に出会い「それ」に「フロール」と名付け、遂にその主と出会うのですが...。読後にどんな感情を抱けばいいのか、正直戸惑いました。渦巻くような且つ大胆ではない変態的な行動の果ての「無」とでも言っておきます。
「ベゾアール石」は抜毛症の少女が、ある男と出会い散々な目に遭い、出口のない入院生活を過ごす病室で書いている手記という体裁の話。抜毛症は思春期の女性に発症することが多い強迫症の一種で、重症の場合は全身の毛を抜きたくなるという病。読んでいて息苦しくなりますが、ある種の清々しさも感じる作品。
奇癖悪癖、あるいはフェティシズム、人には言えない、言わない方がいい秘密は,多分誰もが持っているでしょう。好き嫌いは分かれるかも知れませんが、とにかく全編、妙に引き込まれる物語ばかりです。次は長編が読んでみたい作家です。
観た映画:
アルゼンチン1985〜歴史を変えた裁判〜(原題:Argentina 1985)2022
監督:サンティアゴ・ミトレ(Santiago Mitre)
出演:リカルド・ダリン(Ricardo Darín)、ピーター・ランサニ(Peter Lanzani)
https://www.imdb.com/title/tt15301048/
Amazon Prime Videoで視聴可能

わたしが初めてアルゼンチンを訪れたのはもう30数年前のことで、冷静になってみるとこの映画の裁判(Juicio a las Juntas)が行われて間もない時でした。一観光客には何の影響もないことではありますが、今思うとちょっと背筋が寒くなります。
この映画は、軍事独裁政権の弾圧に対する裁判を映画化した作品です。その弾圧とはいったいどういうことだったのかを細かく解説すると、とんでもない文字数が必要になるのと、未だ完全に解決したとは言えないことなので、簡単な説明にとどめます。
現在は民主国家であるアルゼンチンは、1976年から1983年の間、国家再編成プロセスという名の下に軍事独裁政権下にありました。そこでは組織的で大規模な弾圧と人権侵害(拉致拘束、性的虐待を含む拷問、自白の強要、関係のあるなしに関わらず友人知人の密告など)が行われました。ほとんどの人は証拠のない告発やイデオロギーを元に行われた強制的失跡(desaparecidos)によって、突然姿を消し、現在でも多くの行方不明者がいるだけでなく、正確な犠牲者の数は今もわからないままです。また、妊娠中だった女性は、獄中で出産した子供を取り上げられ、その子供は軍関係者の養子にされました。映画の中にも出てくる白いスカーフを身につけた女性達は、「5月広場の母たち(Madres de Plaza de Mayo)」という行方不明者の家族会で、今も活動を続けています。彼女たちが探しているのは、息子や娘だけではなく、生まれたはずの孫たちの捜索も訴えています。
今までも、この暗黒の時代とそれがもたらした出来事は何度も映画化されています。わたしが覚えているだけでも、出自が明らかでない養女を巡る『オフィシャル・ストーリー(La Historia Oficial)』(1985)、実際に拉致された青年の著作の映画化の『ナイト・オブ・ペンシルズ(La noche de los lápices)』(1986)、獄中生活を送った主人公の心情を描く『スール その先は...愛(Sur)』(1988)、亡くなった母の秘密を知ってしまう少女の心の変化『瞳は静かに(Andres no quiere dormir la siesta)』(2009)などが挙げられます。いずれも機会があったら鑑賞していただきたい良い映画です。
さて、前置きが長くなりましたが、本作は1985年に行われた軍事独裁政権に対する裁判の映画です。元大統領のビデラを含む、あまりにも強大な権力を相手にするために、検察側の人選が難航します。引き受けたただ一人の検察官が、名優リカルド・ダリン演ずる本作の主人公、フリオ・セサル・ストラセラ検事でした。さらに彼を補佐する副検事に、裁判未経験のルイス・モレノ・オカンポが決まりますが、彼の家族は軍を支持する立場を取っていました。難しい証言や証拠を集めるために多くのスタッフが必要ですが、皆軍部を恐れているため集まりません。なんとか手配できたのは、法学部の学生だった若者たちでした。

もちろん、ストラセラ検事は何度も脅迫に遭います。時間がない中、いったいなぜそのような恐ろしい拷問や殺人が行われた理由を突き止めることが出来るのか、必死で裁判を進めていく彼等に勝機はあるのか、とハラハラしますが、これは歴史的な事実なので心配は要りません。勝ちます!
とにかくテンポが素晴らしく、登場人物の心の内も表しながら、物語はどんどん進みます。生還者の恐ろしい証言や、実際の映像も使われ臨場感もたっぷりです。

今のアルゼンチンではこのようなことは起きていません。しかし、国民はこのことをずっと背負って生きているのだと思います。歴史を塗り替えることは出来ませんが、忘れずに心に留め置くことは出来るのです。それは、他のどの国にも言えることで、たとえそれが辛く悲惨なものだとしても、歴史から学ぶことは本当に大切だと気づかされる傑作映画です。
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