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来日中《トリオ・アルデマロ・ロメロ》で聴く アルデマロ・ロメロの世界

2014.11.12

 20世紀初頭。ベネズエラはコーヒーとカカオの輸出に依存する国だった。小規模ながら都市文化も芽生えた熱帯の国に運命の転換が起こったのは1910年代末。油田が発見されたのだ。10年後、南米最北の農業国は、世界最大の石油輸出国に転換していた。以来、この国は、都市化を加速させていく。そんな時代、ベネズエラ第2の都市バレンシアに生まれたのが、アルデマロ・ロメロ(1928-2007)だ。石油ブームとともにベネズエラに生をうけた音楽家は、のちにベネズエラ・ポピュラー史上もっと多才な音楽家として、若くからその頭角を表していく。二十歳そこそこにしてベネズエラ初の、ボレロの国際的ヒットを作詞作曲する。50年代にはマンボブームのさなか、ニューヨークのラテンシーンで活躍する。
 60年代にはベネズエラ音楽の新スタイル、オンダヌエバを創唱する。クラシック音楽の分野でも大きな業績を残し、イージーリスニング史上でもセールス記録を打ち立てた。とらえどころのないほど多彩な巨匠アルデマロ・ロメロの業績は、同世代の日本人音楽家に例えるなら、冨田勲と松岡直也に中村八大&永六輔を統合したような存在といえるかもしれない。アルデマロ・ロメロの作品は、巨匠亡き後、ベネズエラのジャズ〜ポピュラー音楽シーンに大きな影響を与え続けている。むしろ死後、その評価は高まっているとさえ言える。
 そうした潮流を見越して、巨匠と長年共演したベテラン音楽家が、オンダヌエバを中心としたアルデマロ・ロメロ作品を、巨匠が愛したミニマム編成ピアノ、ベース、ドラムスで再現するために2013年に結成されたのが現在来日中の《トリオ・アルデマロ・ロメロ》だ。ベースのグスタボ・カルシとピアノのペドリート・ロペスは、長年巨匠の音楽行脚に同行した《助さん、格さん》コンビだ。アルデマロの盟友としてリズムを支えたもう一人の巨匠・故フランク《エル・パボ》エルナンデス(ドラムス&ティンバレス、1934〜2009年)の衣鉢を継いだのは、ドラマーのミゲル・デ=ビンセンソ。最終公演が14日金曜日と迫ったトリオの楽日には、若手女性シンガーのカルメラ・ラミレスが駆けつけ有終の美をかざる。

その略歴
 アルデマロ・ロメロはダンスバンドのリーダー/オーナーだった父のもとで幼少期から音楽活動を開始。マンボブーム前夜、弱冠20歳で首都カラカスの一番人気楽団《ルイス・ララインと彼のオルケスタ》のアレンジャー兼ピアニストなり、放送・舞台・ナイトスポットで演奏経験を重ねる。1950年代、マンボとアフロ・キューバン・ジャズの時代がやってくると、たびたびニューヨークに渡航、《アル・ロメロ・クインテット》率いて活動。ピアニスト、アレンジャーとして、スタン・ケントン、マチートなどジャズとラテンの巨匠達と共演。並行して当時勃興しつつあったイージーリスニング市場をねらったプロジェクトにより、RCAビクターの契約を獲得。ラテンアメリカ各国のポピュラースタンダード楽曲を自らの編曲・指揮で録音。20代にして国際的大成功を収める。のちに自身のラテン・ビッグバンドを組んで、数多くのマンボ、チャチャチャ、ボレロの楽曲を手がけ、北米〜カリブ海各国をツアー。ベニー・モレー、トニャ・ラ・ネグラなど、国際的な歌手たちに作品を提供した。
 1960年代には活動拠点をカラカスに戻し、テレビを中心とする草創期のベネズラ芸能界・音楽業界で作・編曲、音楽プロデュース、パーソナリティとして活躍。ベネズエラ音楽の新フォーマット「オンダヌエバ」を提唱・推進したのは60年中頃から約10年間だ。楽団《アルデマロ・ロメロと彼のオンダヌエバ》を率いて精力的に活動し、米国、欧州でもアルバムをリリース(US盤ではチャーリー・バードと共演)。これら国際盤は日本でもたびたびリリースされている。
 70年代後半からは、クラシック音楽に傾倒。75年から77年にかけてロンドンに滞在。ロンドン交響楽団を指揮し、自作曲「シモン・ボリバルに捧げるオラトリオ」を録音。79年にはカラカスフィルハーモニー管弦楽団ならびに付属音楽学校を設立。83年に解散するまで活動する。90年代から21世紀にかけては、みずから創立したレコード会社SUPRABOXを拠点に、自作曲の再版・再録音、トレンドは無縁の新録を進めるなど、悠々自適の「趣味的」創作ならびに「文化人」としての活動に従事していた。文化セレブのお決まりとして、議員活動を務めたこともある。

オンダヌエバとは?
 ポピュラー音楽のスタイルを革新したという意味においては、アルデマロ・ロメロはアストル・ピアソラやジョアン・ジルベルトあるいはパコ・デ・ルシアに比べられてもよい存在だ。アルデマロ・ロメロが提唱した新しいベネズエラ音楽のスタイル「オンダヌエバ」は「ボサノヴァに対するベネズエラからの回答」とも言われ、現代ベネズエラ音楽ならびにベネズエラにおけるジャズに多大な影響を与え続けている。
 オンダヌエバとは、ベネズエラの国民音楽と呼ばれるホローポに、アフロ・カリビアン音楽流のスウィング感(2小節一巡のシンコペーション)と様式美(テーマ、マンボ、モントゥーノ)を加え、そこにジャズのハーモニーを組み込む試みである。元来、4分の3拍子と8分の6拍子が同時進行する複雑精緻なホローポのリズムに、「スウィング感」を付加することは容易ではない。そこには、長年にわたりベネズエラ民衆音楽とラテン・ジャズの両方に向き合きあってきたアルデマロならではの探究心と発想が込められている。グアコに代表される、1970年代以降のガイタの革新は、まずオンダヌエバの手法に啓発され、それを触媒としてサルサと接合したと言われる。じっさい初期からアルデマロはガイタのオンダヌエバ化も試みている。
 スウィングル・シンガーズを思わせるユーロ・ジャズ風のスキャット・コーラスと、初期セルジオ・メンデスを彷彿とさせるラテン・ジャズ・トリオの軽快なグルーブが融合したオンダヌエバの諸作品は、ベネズエラ発の「レアなボサノヴァ」として、21世紀日本のクラブシーンからも「発見・注目」されたことがある。
 オンダヌエバのほか、ベネズエラ伝統音楽であるバルスやメレンゲ、そしてマンボ、チャチャチャ、ボレロのジャンルでも多くの楽曲を残し、ロマンティシズムと軽妙洒脱なセンスにあふれる詞を書いたアルデマロ・ロメロ。ベネズエラ・ポピュラー音楽に携わる者にとって、アルデマロ作品は尽きせぬ創意の源泉である。2007年他界した後もその楽曲群はますます評価が高まっている。

触発される後継世代
 現代のベネズエラ人アーティストとしては、ジャズ・シンガーのマリア・リーバスが、25年来アルデマロ作品を歌い継いできた第一人者だ。近年ベネズエラのスタンダード・カバー・アルバムが人気のシンガーソングライター、イラン・チェスターも2002年に全曲アルデマロ作品の《イラン、オンダヌエバを歌う》を発表している。アンサンブル・グルフィーオもアルデマロのバルスを録音しているが、そのクアトロ奏者のチェオ・ウルタードは2008年にソロ歌手デビューし、ボレロ、チャチャチャ、マンボなどアルバム15曲中7曲をアルデマロ作品で飾っている。フルート奏者ウァスカル・バラーダスは、アルバム《カンデラ》に、オンダヌエバの盟友パボ・フランクをゲストに迎え、アルデマロ・メドレー「アルデ・パボ」を収録した。たびたび来日している歌手・クアトロ奏者のラファエル《ポジョ》ブリートも、ラテン・ジャズユニット《BAKトリオ》の一員として、また若手クアトロ3重奏《C4トリオ》との共演でアルデマロ作品を録音している。
 巨匠の最晩年から没後に起こった「ブーム」を見据えつつ、アルデマロ・ロマロと長年共演してきたベテラン音楽家たちが満を持して結成に至ったのが、巨匠の名を冠したユニット《トリオ・アルデマロ・ロメロ》なのだ。ピアノ、ドラムス、ベースに女性ボーカルという、アルデマロ・ロメロが初期から採用した最小編成で聴くオンダヌエバ。そのミュージシャンシップあふれるライブ・パフォーマンスは、70年代音源に聴く「キッチュなボサノヴァ」という印象を一新することだろう。カリブの都市ならではの軽妙にして奥深い大人のラテン・ジャズのエッセンスが、日本のリスナーを魅了するに違いない。
 11月14日、ブルーノート東京、お聴き逃しなく!

オンダヌエバとして初めて録音された記念曲「エル・アラグイータ」来日中のトリオのライブ映像で。
https://www.youtube.com/watch?v=h5TAKEGfi0w&feature=share

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posted by eLPop at 21:51 | 石橋純の熱帯秘法館

最終公演迫る ベネズエラ・ジャズユニット《トリオ・アルデマロ・ロメロ》の演目

現在来日中、最終公演が14日金曜日に迫ったベネズエラ発ラテン・ジャズ・ユニット《トリオ・アルデマロ・ロメロ》の主な演目です。

街道よ Carretera
巨匠アルデマロ・ロメロが創出した新リズム《オンダヌエバ》の代表曲。ボサノヴァで言えば「イパネマの娘」のような位置づけの曲です。
「街道よ、縮まってくれ/遠過ぎてが息が詰まりそうだ/雲の間の灰鷹よ/羽目をはずして/彼女をさらって連れてきてくれ」原詞では平原地方に住む恋人のもとに車で向かう主人公の疾走する恋心が歌われます。

大きな女の子の見る夢 Sueño de una niña grande
子守唄のスタイルを借りた幻想的な歌詞がついています。「月が逃げ出し闇夜になった/いっしょにおいで、ホタルさん/井戸の星を飲み干して/草のお皿のおやつをどうぞ/かわいい子鹿ちゃん/男の子に変身して/私に恋して」

突然に De repente
オンダ・ヌエバのリズムの定番曲です。原曲では、失恋に落ち込んだ自分の元に突然現れた異性の天衣無縫な明るさに、再び恋する意欲が芽生えた戸惑いと歓びが歌われます。「とつぜん幼子が大人びるみたいに/気が触れて今も昔もわからなくなるみたいに/君の明るさが僕の存在を満たした/僕の眉間のシワを伸ばしてくれた/あんまりにも突然だったから/また恋を信じられる気になった」

エル・ガビラン El Gavilán
オンダ・ヌエバはベネズエラの国民音楽と呼ばれる伝統のリズム《ホローポ》に2 小節1 周期のスウィング感を加味した新スタイルですが、このガビランはホローポの伝統曲です。日本の文脈に例えればソーラン節をジャジーに編曲するような試みといえるかもしれません。伝統音楽のシンプルな楽曲構成のなかで、ジャズトリオがアドリブの妙技を競い合います。

エル・ネグロ・ホセ El Negro José
伝統的ホローポの一種であり、もっとも単純かつ奥深いとい言われるセイス・ポル・デレー
チョの型を借りて、スリルと楽しさあふれるアドリブ・ワークが展開されます。冒頭部のピアノのメロディは、伝統音楽でアルパ(民俗ハープ)演奏によってされる手が鍵盤に移し替えられています。

エル・アラグイータ El Agragüita
1960 年代に作曲されたもっとも古いオンダヌエバ作品のひとつ。19 世紀末から20 世紀初頭にかけてロマン派のピアノ曲のレパートリーとして作曲された一群のホローポ作品からインスパイアされています。クラシック音楽、民謡、ラテン・ジャズの境界を軽やかに行き来する楽曲です。
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「ボレーロ」それとも「ボレロ」? スペイン語のアクセントと音引きの話

2014.03.14

スペイン語をカタカナに転写するとき、元のスペイン語単語においてアクセントのある音節に相当する日本語部分に、音引き「ー」を入れたほうがよいのか、それとも入れないほうがよいのか。ズバリお答えしよう。「どちらでもよい」。以下、このことについて解説していきたい。

アクセント付き音節相当部分に音引きを付さないと気が済まない人がいる。「パナマー出身のルベーン・ブラデスがボゴターでセーリア・クルースと共演」というスタイルだ。「そうしければならない」と信じ、その誤った思い込みを布教してまわる人もいる。そうした人のなかには、業界やメディアに多少の影響力を持つ人もいるから迷惑な話だ。

このことを理解していただくためには、まず日本語の音韻の仕組みを簡単に説明しなければならない。日本語には母音の長短が意味の違いに関与する。日本語のアクセントは、音の高低差で表現する。日本語には子音と母音の結合パターンである「音節」のほかに「拍」(モーラ)という概念がある。「バッター」の「ッ」部分は音節を形成していないが、一拍を形成する。「ター」の「アー」は長母音だが、「ー」の部分は単独で一拍を取る。聞こえづらい時に「バ」「ッ」「タ」「ア」と4拍で発音することに、この特徴が現れている。(より詳しくは註1参照)
 
かたやスペイン語の音韻においては母音の長短差、高低差は無意味である。スペイン語のアクセントは強弱の差で表現される。スペイン語において、アクセントのある音節が、高いピッチで、時間的に長く発音されることはあるものの、常にそうなるとは限らない。この点、強さで表すアクセントに付随して、時間も長く、ピッチも高く発音される英語の音声特徴とも、スペイン語は異なる。

Bogotáを「ボゴター」と書きたい人は、「ボ・ゴ・タ/高・低・低」という日本語の読みが気にくわないのだろう。スペイン語発音のBogotáは、日本語ネイティブ話者の耳には「ボ・ゴ・タ/低・高・高」に近く聞こえ、「ボ・ゴ・タ/高・低・低」という調音では、スペイン語でBógotaと発音しているかのように知覚されるのだろう。それがいやだという気持はよく理解できる。だが「ボゴター」と表記したとしても、初見の単語として読む場合、「ボ・ゴ・タ・ー/高・低・低・低」と、出だしが高く読まれる可能性は回避できない。「タ」が元のスペイン語のアクセント位置だと知らせるマーカーとして、音引きは役立っていないのだ。

いっぽうスペイン語の発音において、Bo-go-táのどの音節が一番長いかは同定しがたい。発話環境ならびに文脈によって変異するのだ。通常、スペイン語をまったく解さない日本語ネイティブ話者の耳にも、táが「長く」発音されているとは聞こえにくいはずだ。一方、日本語話者にとってtáが高く聞こえる事例は、たしかに多いだろう。だがこれもまた発話環境ならびに文脈によって変異する。¿No me dijiste que vivías en Bo-go-tá?(あれぇ、Bogotáに住んでるんだって言ったよねー!?)、と詰問調で大げさに発話する時、おそらく多くの日本語話者にはBoが一番長く、高いピッチで調音されていると聞こえるはずだ。つまり、音引きあり派が忌み嫌う「ボ・ゴ・タ/高・低・低」と似た調音を、スペイン語ネイティブ話者が行うことは、あるのだ。

Qui-toは「i」にアクセントがあるが、日本語ネイティブ話者は、これを「キトー」と聞き取ることもある。逆にスペイン語ネイティブ話者の耳にとって「キトー」「キト」「キート」の差はどうでもよい。人によってはこの3種の発音の区別さえつかないことすらある(スペイン語話者にとっては、「美容院/びよういん」と「病院/びょういん」の差異を聞き取るのは至難の業である)。

たしかにColónを「コローン」と書けば高い語頭で読まれることは避けやすくなる。だが、この操作は、スペイン語音では長く調音されるわけでない語末のoを伸ばしてしまうことと引き換えだ。つまりスペイン語話者にとってはどうでもよい「コ」の音の高さを出すために、スペイン語では長くもない「ロ」の音を伸ばす、という作業をしていることになる。また、スペイン語において巻き舌音に続く母音は長く保持される環境にある。したがってRubénは、日本語話者が直感的に「ルーベン」と書き取ってもおかしくはない発音となる。「ルベーン」という表記こだわるならば、スペイン語調音における「Ru」と日本語調音における「ル」の長短が逆になっても、日本語調音における「ン」の高低関係を維持するという選択をしていることになる。高低差はスペイン語では無意味なのに。こうした優先順位付けを、論理的に正当化するのは、極めて困難といえよう。(註2)

要はスペイン語をカタカナ表記する際、アクセントのある母音に音節に音引きを入れる必要は、スペイン語の音という観点からは、まったくないということだ。音引きを入れるとしたら純粋に日本語環境における字面と響きだけの問題だ。それは個人的な好み、感覚の領域に行き着く。「ボレーロ」と表記する際の字面と響きが日本語として好ましいというのであれば、それは書き手の趣味・嗜好にもとづくスタイルとして、よろしいのではないだろうか。音引きあり・なしのどちらかが「正しい」ということは、ない。

私は長年、どちらかといえば、「音引きあり」派であったのだが、年を追い歳を重ねるごとに「音引きなし」派への傾きを強くしている。なぜか。それは、「音引きあり」へのこだわり、あるいは「あり・なし」の使い分けを、整然とルール化する仕事に鋭意取り組んだ結果、挫折するに至ったからだ。私ひとりだけではない。言語学者も含む、スペイン語教育のプロ集団7人のチームで侃々諤々の議論を尽くして徹底的に成文化したカタカナ転写ルールが、膨大・煩雑なものとなり、文筆実務上も教育上も実用性がないことが判明した(註1)。その作業過程で、音引きを入れるか否かというこだわりは、けっきょくは日本語環境/日本語話者の問題であり、しかも個人の感覚・好みに帰着し、スペイン語話者が原音をどう調音するか・聴きとるかとういこと(いわゆる「原音に近い」かどうか)とは、ほとんど関係しないということが明らかになった(註3)。

かつて私は、母音字で終わるスペイン語単語の規則アクセント(後ろから2番目の音節)に相当する部分には音引きを入れてカタカナ転写することにこだわっていた。だが、今は、「セビジャ・エンカンタドラ」で気にならなくなった。そんなふうに感覚というか美学が変化してみると、ルベーン、パナマー、コローン、パエージャ、ボレーロは字面が間延びして日本語割付けが「格好悪い」とさえ思えてきた。とはいえ、「音引きあり」派を否定はしない。それは、あくまでも日本語感覚の問題だからだ。ただし、「音引きあり」派の方には、しつこいようだが、次のことを忘れないでいただきたい。「音引きありの方がスペイン語原音に近い」ということは事実でない。「音引きを入れるカタカナ転写が正しい」ということは、事実に反する。

蛇足をいくつか。Venezuelaをベネスェーラとする表記を目にすることがあるが、ueは一音節二重母音なので「音引きあり」のこだわりとしてすら珍妙。ベネスェラ、ベネスエラは、zの発音を原音に近づけるという意味で一理あるが、もしそれをするならCuba、México、Chile、 Argentinaも原音に近づけて、ク(ー)バ、メ(ー)ヒコ、チ(ー)レ、アルヘンティ(ー)ナと書いていただきたい。ここには、スペイン語由来の音転写にするか、英語由来の音転写にするかという別の要素が介在している。、背景に固有名詞表記における愛着の問題が隠されている。永年「Beny=ベニー」で親しんだら、「ベニ」「ベーニ」などと書くのは不可能だ。

スペイン語に習熟していない書き手は、「音引きなし」派にした方が安全だ。なぜなら、(「ベニー」のような慣用定着例を除き)アクセントの「ない」位置に音引きを入れてしまっては、これは明らかな誤りだからだ。Álvarezを「アルバーレス」などと書けばスペイン語を知らないということを公言するようなものだ(註4)。「アルバレス」と書いておけば恥をかかずにすむ。(註5)(註6)

【参考】
「スペイン語のカタカナ表記について」
日本語の音韻体系はスペイン語と異なりますので、スペイン語をカタカナ転写する際にはゆらぎが生じます。とくに、スペイン語のアクセント位置に相当するカタカナに音引き「ー」をつけるか否か[...]に、書き手の好みによる異論や、同じ書き手でも単語によるゆらぎが生じます。本書では、なるべく一貫した原則にもとづくようにしましたが、慣用や筆者の好みを尊重した場合も少なからずあります。
(東京大学スペイン語部会編(2008)『Viajeros 東京大学スペイン語教材』東京大学出版会、iiiページ)

【註】
(1) 共通日本語のアクセントは、高い拍が低い拍に下がる高低差の部分(「滝」と呼ばれる)、つまり拍と拍との間にアクセントがあるといわれる。この観点からすれば、アクセントのある音節の母音の強さで表現するスペイン語を、転写時に日本語のアクセントとして再現するのはもともと無理があると言える。別の考え方では、共通日本語のアクセントとは、「滝」がどこに来るかという示差的特徴にもとづいた、高低音律のパターンだ、とも言える(頭高・中高・尾高・平板の4型)。これに依拠するなら、カタカナ転写時に音引きのあるなしを組み合わせてスペイン語のアクセント位置を再現するためのルール作りは、以下のような作業となる。まず、共通日本語のネイティヴ話者が未知のカタカナ語を直感的にどう調音するかを、上述の4型のいずれに当たるかにより分類。それらの単語がスペイン語原語のアクセント位置とどう乖離しているかという組み合わせを虱潰しに検討する。変数の設定には以下の要素が関与する。@日本語に転写した際の拍数Aスペイン語単語が単音節か否かBスペイン語単語のアクセント位置:最終音節、後ろから2番目の音節、後ろからN番目の音節、語頭の音節C単数形か複数形か。これらの組み合わせ相互に整合性のあるルールづくりは膨大なリストとなり実用性は乏しい。しかもその中身の大半は、スペイン語よりもむしろ共通日本語の調音についての記述となる。

(2) 長年Panamáに駐在し、Colón市とPanamá市をたびたび往復する日本人ビジネスマンが「パナマー」や「コローン」とカタカナ転写するの事例を、私は見たことがない。私の知る日本在住のColónさんも自分の姓を「コロン」と表記するし、日本語で名乗るときはみずから「コ・ロ・ン/高・低・低」と発音してまったく気にしていない。

(3) 一例として、Cubaをクーバとし、ubaをウバと表記すると選択する場合の規則を成文化してみてほしい。「どっちも音引き入れればいいじゃん」という方は、chile(唐辛子)も「チーレ」とするだろうか?これを「チレ」とするならなぜ?granada、granadas、nada、encantadaはどう転写するだろうか?Ramírezには音引きを入れるか?ならばMéxicoもメーヒコとするか? しないなら、なぜ? これらの事例ごとのあなたの選択をルール化できるだろうか? もちろん不可能ではいけれども、たったこれだけで膨大な作業となり、取り組む人はおそらくうんざりすることだろう。

(4) 音引き主義で正しく転写するなら「アールバレス」となる。不思議なことに、「ナシオナール」と語末のal相当部分に音引きをつける選択をする書き手が、語頭のalを「アールと転写する事例には、めったに出くわさない。「アルバレス」もまた、そのままでは「バ」を高く発音される可能性が大きいから、音引き主義を貫くなら「アールバレス」のほうがよいのではないかと思う。「あり」でも「なし」でもよい、というのが本稿の主張ではあるが、「ナシオナール/アールバレス」あるいは「ナシオナル/アルバレス」のどちらかに揃えないと、(私の場合は)気分がスッキリしない。

(5) 「エンカンタド」「エンカンタード」のどちらが正しいのかと教室で学生から質問を受けるときにも、私は、「どちらでもよい」と答えている。スペイン語教師のなかには、音引きなしで転写するけれども、スペイン語のアクセント位置に相当する日本語の拍は高く発音すべしと指導する人もいる。「クリストバル・コロン」(クリストファー・コロンブス)を「コロン/高低低」と発音した学生に、「コロン/低高低」と言いなおさせる場面を見たことがある。私はと言えば、自分では常に「コロン/低高低」と発音するが、他人が「コロン/高低低」と読むのは許容する。なぜなら、しょせん日本語の音韻体系・音声事象にすぎないからだ。件の学生が、スペイン語を話すときにColónのアクセント位置を正確に発音できているなら、問題なしと考える。なお、ラテンアメリカ史研究者が「クリストーバル・コローン」と転写する事例も、私は寡聞にして見たことがない。

(6) Twitter上でのあるベネズエラ人大学生とのやり取りで、「tan poco puedoo」という表現を本稿をアップして後に目にした。https://twitter.com/NinaAdbou/status/447522204297998337 「やっぱ都合わるいですぅ〜!」みたいな感じか。ここで、母音字をひとつ余計に記述する(長くする)ことで強調されているのが、アクセントのある「ue」でばなく、語末の「o」であることに注目してほしい。スペイン語のアクセント位置と母音が長く保持される音節位置は環境により浮動するということの一事例である。
posted by eLPop at 19:07 | 石橋純の熱帯秘法館

追悼:ベネズエラ民衆文化の父=シモン・ディアス

2014.03.07

https://www.facebook.com/tiosimondiaz/photos/

「ベネズエラ民衆文化の父」とも呼ばれた歌手・作詞作曲家のシモン・ディアスが2014年2月19日死去した。享年85歳。10年前からアルツハイマー型認知症を患い、公的活動・メディア出演から遠ざかっていた。

グアリコ州バルバコア生まれのシモン・ディアスは平原(ジャノ)地方の文化に根ざした詞曲を多数発表。それら作品はベネズエラ民謡の名曲として、スペイン語圏で幅広く愛されている。代表作「カバージョ・ビエホ(老馬)」は世界各国で演奏・愛聴されている。

シモン・ディアスは、アルゼンチンのユパンキ、チリのビオレータ・パラと比肩されうるアーティストである。民衆の暮らしをよく知り、現場で民謡を覚えた。だが、その自作曲は「民謡そのもの」でなく、都市で作品を世に問う、芸術家のそれだ。

ティオ・シモン=シモンおじさんの愛称で親しまれ、テレビ放送草創期からお茶の間の人気者となった。歌、演技、司会、ユーモアなどマルチな芸能分野で活躍した。日本でいえば黒柳徹子に匹敵する放送タレントでもあったのだ。音源も、初期は色物的なものが多い。こんにち代表作として知られる一連のトナーダをシモンが発表しはじめたのは1972年。すでにコミカルな放送タレントとして人気者になってのちのことだ。

その代表作「牛追いのトナーダ」を抄訳してみよう。

暗闇さがして輝く月も
もはや影には出会えはしない
なぜなら夜明けのさいはてに
姿を隠してしまったからさ
明日出て行くこの俺を
思い出すひとありゃしない
水瓶だけが懐かしむ
お水を飲んでやってたから
《明星》*よ、《雨雲》*よ

*ともに牛の呼び名

平原を出て行くカウボーイという筋書きには、石油ブームとともに起こった農村の没落、そして都市労働者として故郷を捨てた民衆の姿が読み込まれている。「トナーダ」は、カウボーイが単独で歌う仕事歌。シモンはそれを復古したと言われる。だが、連作短編映画のようなその作品世界は、あくまで都市で創作に従事する平原出身の芸術家による、近代的知性と創造性の産物だ。その意味で、シモンのトナーダは、いわゆる民謡としての「ムシカ・ジャネーラ」「ホローポ」よりも、むしろ文豪ロムロ・ガジェゴスの平原を舞台にした小説や、平原出身の大詩人アルベルト=アルベロ・トレアルバの韻文など、20世紀ベネズエラ文学の諸作品の系譜を引くものといえる。

出身地ジャノの民衆からも、欧米日のラテン音楽リスナーからも、こよなく愛されるシモン・ディアス作品。これからも、スペイン語世界の遺産として、歌い継がれ、聴き継がれていくことだろう。

シモン・ディアスが自作のトナーダを初録音したと思われる1964年のベネズエラ映画《Isla de sal》(塩の島)の劇中シーン
https://www.youtube.com/watch?v=mJOmH-gSBBo

posted by eLPop at 09:49 | 石橋純の熱帯秘法館