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最終公演迫る ベネズエラ・ジャズユニット《トリオ・アルデマロ・ロメロ》の演目

2014.11.12

現在来日中、最終公演が14日金曜日に迫ったベネズエラ発ラテン・ジャズ・ユニット《トリオ・アルデマロ・ロメロ》の主な演目です。

街道よ Carretera
巨匠アルデマロ・ロメロが創出した新リズム《オンダヌエバ》の代表曲。ボサノヴァで言えば「イパネマの娘」のような位置づけの曲です。
「街道よ、縮まってくれ/遠過ぎてが息が詰まりそうだ/雲の間の灰鷹よ/羽目をはずして/彼女をさらって連れてきてくれ」原詞では平原地方に住む恋人のもとに車で向かう主人公の疾走する恋心が歌われます。

大きな女の子の見る夢 Sueño de una niña grande
子守唄のスタイルを借りた幻想的な歌詞がついています。「月が逃げ出し闇夜になった/いっしょにおいで、ホタルさん/井戸の星を飲み干して/草のお皿のおやつをどうぞ/かわいい子鹿ちゃん/男の子に変身して/私に恋して」

突然に De repente
オンダ・ヌエバのリズムの定番曲です。原曲では、失恋に落ち込んだ自分の元に突然現れた異性の天衣無縫な明るさに、再び恋する意欲が芽生えた戸惑いと歓びが歌われます。「とつぜん幼子が大人びるみたいに/気が触れて今も昔もわからなくなるみたいに/君の明るさが僕の存在を満たした/僕の眉間のシワを伸ばしてくれた/あんまりにも突然だったから/また恋を信じられる気になった」

エル・ガビラン El Gavilán
オンダ・ヌエバはベネズエラの国民音楽と呼ばれる伝統のリズム《ホローポ》に2 小節1 周期のスウィング感を加味した新スタイルですが、このガビランはホローポの伝統曲です。日本の文脈に例えればソーラン節をジャジーに編曲するような試みといえるかもしれません。伝統音楽のシンプルな楽曲構成のなかで、ジャズトリオがアドリブの妙技を競い合います。

エル・ネグロ・ホセ El Negro José
伝統的ホローポの一種であり、もっとも単純かつ奥深いとい言われるセイス・ポル・デレー
チョの型を借りて、スリルと楽しさあふれるアドリブ・ワークが展開されます。冒頭部のピアノのメロディは、伝統音楽でアルパ(民俗ハープ)演奏によってされる手が鍵盤に移し替えられています。

エル・アラグイータ El Agragüita
1960 年代に作曲されたもっとも古いオンダヌエバ作品のひとつ。19 世紀末から20 世紀初頭にかけてロマン派のピアノ曲のレパートリーとして作曲された一群のホローポ作品からインスパイアされています。クラシック音楽、民謡、ラテン・ジャズの境界を軽やかに行き来する楽曲です。
posted by eLPop at 21:12 | 石橋純の熱帯秘法館

「ボレーロ」それとも「ボレロ」? スペイン語のアクセントと音引きの話

2014.03.14

スペイン語をカタカナに転写するとき、元のスペイン語単語においてアクセントのある音節に相当する日本語部分に、音引き「ー」を入れたほうがよいのか、それとも入れないほうがよいのか。ズバリお答えしよう。「どちらでもよい」。以下、このことについて解説していきたい。

アクセント付き音節相当部分に音引きを付さないと気が済まない人がいる。「パナマー出身のルベーン・ブラデスがボゴターでセーリア・クルースと共演」というスタイルだ。「そうしければならない」と信じ、その誤った思い込みを布教してまわる人もいる。そうした人のなかには、業界やメディアに多少の影響力を持つ人もいるから迷惑な話だ。

このことを理解していただくためには、まず日本語の音韻の仕組みを簡単に説明しなければならない。日本語には母音の長短が意味の違いに関与する。日本語のアクセントは、音の高低差で表現する。日本語には子音と母音の結合パターンである「音節」のほかに「拍」(モーラ)という概念がある。「バッター」の「ッ」部分は音節を形成していないが、一拍を形成する。「ター」の「アー」は長母音だが、「ー」の部分は単独で一拍を取る。聞こえづらい時に「バ」「ッ」「タ」「ア」と4拍で発音することに、この特徴が現れている。(より詳しくは註1参照)
 
かたやスペイン語の音韻においては母音の長短差、高低差は無意味である。スペイン語のアクセントは強弱の差で表現される。スペイン語において、アクセントのある音節が、高いピッチで、時間的に長く発音されることはあるものの、常にそうなるとは限らない。この点、強さで表すアクセントに付随して、時間も長く、ピッチも高く発音される英語の音声特徴とも、スペイン語は異なる。

Bogotáを「ボゴター」と書きたい人は、「ボ・ゴ・タ/高・低・低」という日本語の読みが気にくわないのだろう。スペイン語発音のBogotáは、日本語ネイティブ話者の耳には「ボ・ゴ・タ/低・高・高」に近く聞こえ、「ボ・ゴ・タ/高・低・低」という調音では、スペイン語でBógotaと発音しているかのように知覚されるのだろう。それがいやだという気持はよく理解できる。だが「ボゴター」と表記したとしても、初見の単語として読む場合、「ボ・ゴ・タ・ー/高・低・低・低」と、出だしが高く読まれる可能性は回避できない。「タ」が元のスペイン語のアクセント位置だと知らせるマーカーとして、音引きは役立っていないのだ。

いっぽうスペイン語の発音において、Bo-go-táのどの音節が一番長いかは同定しがたい。発話環境ならびに文脈によって変異するのだ。通常、スペイン語をまったく解さない日本語ネイティブ話者の耳にも、táが「長く」発音されているとは聞こえにくいはずだ。一方、日本語話者にとってtáが高く聞こえる事例は、たしかに多いだろう。だがこれもまた発話環境ならびに文脈によって変異する。¿No me dijiste que vivías en Bo-go-tá?(あれぇ、Bogotáに住んでるんだって言ったよねー!?)、と詰問調で大げさに発話する時、おそらく多くの日本語話者にはBoが一番長く、高いピッチで調音されていると聞こえるはずだ。つまり、音引きあり派が忌み嫌う「ボ・ゴ・タ/高・低・低」と似た調音を、スペイン語ネイティブ話者が行うことは、あるのだ。

Qui-toは「i」にアクセントがあるが、日本語ネイティブ話者は、これを「キトー」と聞き取ることもある。逆にスペイン語ネイティブ話者の耳にとって「キトー」「キト」「キート」の差はどうでもよい。人によってはこの3種の発音の区別さえつかないことすらある(スペイン語話者にとっては、「美容院/びよういん」と「病院/びょういん」の差異を聞き取るのは至難の業である)。

たしかにColónを「コローン」と書けば高い語頭で読まれることは避けやすくなる。だが、この操作は、スペイン語音では長く調音されるわけでない語末のoを伸ばしてしまうことと引き換えだ。つまりスペイン語話者にとってはどうでもよい「コ」の音の高さを出すために、スペイン語では長くもない「ロ」の音を伸ばす、という作業をしていることになる。また、スペイン語において巻き舌音に続く母音は長く保持される環境にある。したがってRubénは、日本語話者が直感的に「ルーベン」と書き取ってもおかしくはない発音となる。「ルベーン」という表記こだわるならば、スペイン語調音における「Ru」と日本語調音における「ル」の長短が逆になっても、日本語調音における「ン」の高低関係を維持するという選択をしていることになる。高低差はスペイン語では無意味なのに。こうした優先順位付けを、論理的に正当化するのは、極めて困難といえよう。(註2)

要はスペイン語をカタカナ表記する際、アクセントのある母音に音節に音引きを入れる必要は、スペイン語の音という観点からは、まったくないということだ。音引きを入れるとしたら純粋に日本語環境における字面と響きだけの問題だ。それは個人的な好み、感覚の領域に行き着く。「ボレーロ」と表記する際の字面と響きが日本語として好ましいというのであれば、それは書き手の趣味・嗜好にもとづくスタイルとして、よろしいのではないだろうか。音引きあり・なしのどちらかが「正しい」ということは、ない。

私は長年、どちらかといえば、「音引きあり」派であったのだが、年を追い歳を重ねるごとに「音引きなし」派への傾きを強くしている。なぜか。それは、「音引きあり」へのこだわり、あるいは「あり・なし」の使い分けを、整然とルール化する仕事に鋭意取り組んだ結果、挫折するに至ったからだ。私ひとりだけではない。言語学者も含む、スペイン語教育のプロ集団7人のチームで侃々諤々の議論を尽くして徹底的に成文化したカタカナ転写ルールが、膨大・煩雑なものとなり、文筆実務上も教育上も実用性がないことが判明した(註1)。その作業過程で、音引きを入れるか否かというこだわりは、けっきょくは日本語環境/日本語話者の問題であり、しかも個人の感覚・好みに帰着し、スペイン語話者が原音をどう調音するか・聴きとるかとういこと(いわゆる「原音に近い」かどうか)とは、ほとんど関係しないということが明らかになった(註3)。

かつて私は、母音字で終わるスペイン語単語の規則アクセント(後ろから2番目の音節)に相当する部分には音引きを入れてカタカナ転写することにこだわっていた。だが、今は、「セビジャ・エンカンタドラ」で気にならなくなった。そんなふうに感覚というか美学が変化してみると、ルベーン、パナマー、コローン、パエージャ、ボレーロは字面が間延びして日本語割付けが「格好悪い」とさえ思えてきた。とはいえ、「音引きあり」派を否定はしない。それは、あくまでも日本語感覚の問題だからだ。ただし、「音引きあり」派の方には、しつこいようだが、次のことを忘れないでいただきたい。「音引きありの方がスペイン語原音に近い」ということは事実でない。「音引きを入れるカタカナ転写が正しい」ということは、事実に反する。

蛇足をいくつか。Venezuelaをベネスェーラとする表記を目にすることがあるが、ueは一音節二重母音なので「音引きあり」のこだわりとしてすら珍妙。ベネスェラ、ベネスエラは、zの発音を原音に近づけるという意味で一理あるが、もしそれをするならCuba、México、Chile、 Argentinaも原音に近づけて、ク(ー)バ、メ(ー)ヒコ、チ(ー)レ、アルヘンティ(ー)ナと書いていただきたい。ここには、スペイン語由来の音転写にするか、英語由来の音転写にするかという別の要素が介在している。、背景に固有名詞表記における愛着の問題が隠されている。永年「Beny=ベニー」で親しんだら、「ベニ」「ベーニ」などと書くのは不可能だ。

スペイン語に習熟していない書き手は、「音引きなし」派にした方が安全だ。なぜなら、(「ベニー」のような慣用定着例を除き)アクセントの「ない」位置に音引きを入れてしまっては、これは明らかな誤りだからだ。Álvarezを「アルバーレス」などと書けばスペイン語を知らないということを公言するようなものだ(註4)。「アルバレス」と書いておけば恥をかかずにすむ。(註5)(註6)

【参考】
「スペイン語のカタカナ表記について」
日本語の音韻体系はスペイン語と異なりますので、スペイン語をカタカナ転写する際にはゆらぎが生じます。とくに、スペイン語のアクセント位置に相当するカタカナに音引き「ー」をつけるか否か[...]に、書き手の好みによる異論や、同じ書き手でも単語によるゆらぎが生じます。本書では、なるべく一貫した原則にもとづくようにしましたが、慣用や筆者の好みを尊重した場合も少なからずあります。
(東京大学スペイン語部会編(2008)『Viajeros 東京大学スペイン語教材』東京大学出版会、iiiページ)

【註】
(1) 共通日本語のアクセントは、高い拍が低い拍に下がる高低差の部分(「滝」と呼ばれる)、つまり拍と拍との間にアクセントがあるといわれる。この観点からすれば、アクセントのある音節の母音の強さで表現するスペイン語を、転写時に日本語のアクセントとして再現するのはもともと無理があると言える。別の考え方では、共通日本語のアクセントとは、「滝」がどこに来るかという示差的特徴にもとづいた、高低音律のパターンだ、とも言える(頭高・中高・尾高・平板の4型)。これに依拠するなら、カタカナ転写時に音引きのあるなしを組み合わせてスペイン語のアクセント位置を再現するためのルール作りは、以下のような作業となる。まず、共通日本語のネイティヴ話者が未知のカタカナ語を直感的にどう調音するかを、上述の4型のいずれに当たるかにより分類。それらの単語がスペイン語原語のアクセント位置とどう乖離しているかという組み合わせを虱潰しに検討する。変数の設定には以下の要素が関与する。@日本語に転写した際の拍数Aスペイン語単語が単音節か否かBスペイン語単語のアクセント位置:最終音節、後ろから2番目の音節、後ろからN番目の音節、語頭の音節C単数形か複数形か。これらの組み合わせ相互に整合性のあるルールづくりは膨大なリストとなり実用性は乏しい。しかもその中身の大半は、スペイン語よりもむしろ共通日本語の調音についての記述となる。

(2) 長年Panamáに駐在し、Colón市とPanamá市をたびたび往復する日本人ビジネスマンが「パナマー」や「コローン」とカタカナ転写するの事例を、私は見たことがない。私の知る日本在住のColónさんも自分の姓を「コロン」と表記するし、日本語で名乗るときはみずから「コ・ロ・ン/高・低・低」と発音してまったく気にしていない。

(3) 一例として、Cubaをクーバとし、ubaをウバと表記すると選択する場合の規則を成文化してみてほしい。「どっちも音引き入れればいいじゃん」という方は、chile(唐辛子)も「チーレ」とするだろうか?これを「チレ」とするならなぜ?granada、granadas、nada、encantadaはどう転写するだろうか?Ramírezには音引きを入れるか?ならばMéxicoもメーヒコとするか? しないなら、なぜ? これらの事例ごとのあなたの選択をルール化できるだろうか? もちろん不可能ではいけれども、たったこれだけで膨大な作業となり、取り組む人はおそらくうんざりすることだろう。

(4) 音引き主義で正しく転写するなら「アールバレス」となる。不思議なことに、「ナシオナール」と語末のal相当部分に音引きをつける選択をする書き手が、語頭のalを「アールと転写する事例には、めったに出くわさない。「アルバレス」もまた、そのままでは「バ」を高く発音される可能性が大きいから、音引き主義を貫くなら「アールバレス」のほうがよいのではないかと思う。「あり」でも「なし」でもよい、というのが本稿の主張ではあるが、「ナシオナール/アールバレス」あるいは「ナシオナル/アルバレス」のどちらかに揃えないと、(私の場合は)気分がスッキリしない。

(5) 「エンカンタド」「エンカンタード」のどちらが正しいのかと教室で学生から質問を受けるときにも、私は、「どちらでもよい」と答えている。スペイン語教師のなかには、音引きなしで転写するけれども、スペイン語のアクセント位置に相当する日本語の拍は高く発音すべしと指導する人もいる。「クリストバル・コロン」(クリストファー・コロンブス)を「コロン/高低低」と発音した学生に、「コロン/低高低」と言いなおさせる場面を見たことがある。私はと言えば、自分では常に「コロン/低高低」と発音するが、他人が「コロン/高低低」と読むのは許容する。なぜなら、しょせん日本語の音韻体系・音声事象にすぎないからだ。件の学生が、スペイン語を話すときにColónのアクセント位置を正確に発音できているなら、問題なしと考える。なお、ラテンアメリカ史研究者が「クリストーバル・コローン」と転写する事例も、私は寡聞にして見たことがない。

(6) Twitter上でのあるベネズエラ人大学生とのやり取りで、「tan poco puedoo」という表現を本稿をアップして後に目にした。https://twitter.com/NinaAdbou/status/447522204297998337 「やっぱ都合わるいですぅ〜!」みたいな感じか。ここで、母音字をひとつ余計に記述する(長くする)ことで強調されているのが、アクセントのある「ue」でばなく、語末の「o」であることに注目してほしい。スペイン語のアクセント位置と母音が長く保持される音節位置は環境により浮動するということの一事例である。
posted by eLPop at 19:07 | 石橋純の熱帯秘法館

追悼:ベネズエラ民衆文化の父=シモン・ディアス

2014.03.07

Archivo Cadena Capriles

「ベネズエラ民衆文化の父」とも呼ばれた歌手・作詞作曲家のシモン・ディアスが2014年2月19日死去した。享年85歳。10年前からアルツハイマー型認知症を患い、公的活動・メディア出演から遠ざかっていた。

グアリコ州バルバコア生まれのシモン・ディアスは平原(ジャノ)地方の文化に根ざした詞曲を多数発表。それら作品はベネズエラ民謡の名曲として、スペイン語圏で幅広く愛されている。代表作「カバージョ・ビエホ(老馬)」は世界各国で演奏・愛聴されている。

シモン・ディアスは、アルゼンチンのユパンキ、チリのビオレータ・パラと比肩されうるアーティストである。民衆の暮らしをよく知り、現場で民謡を覚えた。だが、その自作曲は「民謡そのもの」でなく、都市で作品を世に問う、芸術家のそれだ。

ティオ・シモン=シモンおじさんの愛称で親しまれ、テレビ放送草創期からお茶の間の人気者となった。歌、演技、司会、ユーモアなどマルチな芸能分野で活躍した。日本でいえば黒柳徹子に匹敵する放送タレントでもあったのだ。音源も、初期は色物的なものが多い。こんにち代表作として知られる一連のトナーダをシモンが発表しはじめたのは1972年。すでにコミカルな放送タレントとして人気者になってのちのことだ。

その代表作「牛追いのトナーダ」を抄訳してみよう。

暗闇さがして輝く月も
もはや影には出会えはしない
なぜなら夜明けのさいはてに
姿を隠してしまったからさ
明日出て行くこの俺を
思い出すひとありゃしない
水瓶だけが懐かしむ
お水を飲んでやってたから
夜明けの星よ、雨雲よ

平原を出て行くカウボーイという筋書きには、石油ブームとともに起こった農村の没落、そして都市労働者として故郷を捨てた民衆の姿が読み込まれている。「トナーダ」は、カウボーイが単独で歌う仕事歌。シモンはそれを復古したと言われる。だが、連作短編映画のようなその作品世界は、あくまで都市で創作に従事する平原出身の芸術家による、近代的知性と創造性の産物だ。その意味で、シモンのトナーダは、いわゆる民謡としての「ムシカ・ジャネーラ」「ホローポ」よりも、むしろ文豪ロムロ・ガジェゴスの平原を舞台にした小説や、平原出身の大詩人アルベルト=アルベロ・トレアルバの韻文など、20世紀ベネズエラ文学の諸作品の系譜を引くものといえる。

出身地ジャノの民衆からも、欧米日のラテン音楽リスナーからも、こよなく愛されるシモン・ディアス作品。これからも、スペイン語世界の遺産として、歌い継がれ、聴き継がれていくことだろう。

シモン・ディアスのフォト・アルバムは、以下で閲覧することができる。
Simón Díaz: Una vida dedicada a Venezuela
http://www.ultimasnoticias.com.ve/la-propia-foto/simon-diaz-una-vida-dedicada-a-venezuela/4410c25b-fd44-4180-92b5-27587b5fecba.aspx?titulo=Sim%C3%B3n%20D%C3%ADaz:%20Una%20vida%20dedicada%20a%20Venezuela&nro=20
posted by eLPop at 09:49 | 石橋純の熱帯秘法館

ベネズエラにおける報道の自由

2014.03.04

  2014年2月、ベネズエラが反政府運動に揺れました。3月はじめのカーニバル連休をはさみ、いったんは小康状態を迎えています。このまま国内諸派各層の対話のもとに、事態が収束していくことを、ベネズエラの平和を願う多くの人びとが待ち望んでいます。
  1989年のカラカス暴動いらい25年。ベネズエラでは何度か、組織された市民あるいは未組織民衆が路上に繰り出して、政治的主張を繰り広げる局面がありました。今回の事件はそうした政治の節目のひとつとして、歴史の1ページに記されることでしょう。
  2014年2月反政府運動のなかで特筆すべきは、反政府派市民・運動家・政治家がSNSのインフォーマルなつながりを使って、全世界にマドゥロ政権の退陣世論を巻き起こす情報戦略を展開したことでした。「#SOS Venezuela」 「#PrayForVenezuela」 といったタグとともに、日本語話者のもとにも、思わぬところからベネズエラ関連の情報が届きました。そんなネット時代の反政府活動に含まれていたのが、「ベネズエラのメディアは政府によって統制されていて、政府の凶行が世界に報道されていない。だからみなさん一人ひとりの協力が必要です」という主張、いわゆる「メディアブラックアウト説」にもとづいたアドボカシーでした。
  こうした主張には、どの程度の信憑性があるのでしょうか。ベネズエラには、報道の自由があるのでしょうか、ないのでしょうか。そうした問いにもとづき、情勢分析するうえで有益な資料を提供します。7年前に、地上波民放最古参局のRCTVがライセンスを失効した事件について私が論評した記事です。年月の経過を考慮し、必要最低限の改稿と補註もほどこしました。配信元の許可を得て、ここに再掲載いたします。


ベネズエラ、寡占民放を閉鎖し公共放送を開局 メディア企業の情報操作に「物言い」
石橋 純 (ラテンアメリカ研究者、東京大学教員) 
日刊ベリタhttp://www.nikkanberita.com 2007年08月14日掲載。配信元の許可を得て、一部修正のうえ掲載。


   2007年5月28日、ベネズエラに新しいテレビ局が誕生した。国営「ベネズエラ社会テレビ放送Televisora Venezolana Social」チャンネル2。頭文字の略称「TVes(テベス)」には、「あなた自身が映る(Te ves)」という意味も込められている。日、米、欧の主要メディアでも報じられているとおり、TVesが放送を開始した地上波チャンネル2は、長年2大テレビ局のひとつRCTV(ラジオ・カラカス・テレビ)が使用してきた。本稿では、ベネズエラのテレビ放送の半世紀を築いてきたRCTVが、5月27日をもって地上波放送の幕を閉じ、TVesにそのチャンネルを明け渡すことになった経緯を解説する。
 RCTVは1953年に開局したベネズエラ最古のテレビ局である。娯楽番組を得意とし、連続ドラマ、バラエティ生放送、お笑い番組など常にラテンアメリカ民放の新スタイルを切りひらき、数多くの放送タレントがこのチャンネルから国際的舞台にデビューした。 同局は全世界のスペイン・ポルトガル語による映像コンテンツの輸出総額の90%を寡占する5社のひとつであった。RCTVが所属する《1BC》は、ラテンアメリカ屈指のメディア財閥であり、ラジオテレビのほかに、日刊紙、音楽ソフト、イベント制作会社などが系列企業に名を連ねる。 

 
▼クーデターを担った民放テレビ 
 
  2001年末以来、ベネズエラ社会はチャベス派と反チャベス派の政治対立に激動してきた。その中で、地上波民放テレビ局ならびに2大全国紙と系列企業は、中立報道の建前を捨てて、反政府活動の明確な主体として極端な偏向報道を実践してきた。とりわけRCTVならびに右派キューバ系シスネーロス財閥が所有するベネビシオン(チャンネル4)の地上波民放2大テレビ局は、02年4月11日のクーデター前後、大規模かつ計画的な情報操作によって騒乱を煽動する役割を果たした。 
  クーデター当日、財界指導者・守旧派労組幹部・石油公社元役員らは、違法なデモ行進を大統領府に誘導し、反政府派市民と政府派市民の暴力的衝突による流血事件を引き起こそうとした。民放テレビ局は、その一部始終を生中継し、事態を「民意によるチャベス退陣要求」であるかのように国内外に宣伝した。正体不明の熟練狙撃手の銃弾により、親チャベスならびに反チャベス両派に多数の死者が出たにもかかわらず、地上波民放2大テレビ局はこれを親チャベス過激派による凶行であるかのように映像演出し、ニュースとして繰り返し国中に報道した。事前に録画された反政府派軍人の反乱声明を流血事件ののち生放送であるかのように放送したのも、また根拠不明の「チャベス辞任」報道をいち早くオンエアーしたのも、地上波2大テレビ局であった。 
  さらに、クーデター政権の2日間、地上波民放2大テレビ局はキューバ大使館への破壊行為を英雄的市民行動であるかのように生中継し、チャベス派の閣僚を「追悼」する悪ふざけを、全国のお茶の間に放送した。チャベス派民衆の抗議運動が引き金となって、臨時政府が倒れ、チャベスが劇的に政権復帰した4月14日朝、2大テレビ局はこの歴史的大事件を黙殺し、「トムとジェリー」など古い米国製アニメやハリウッド映画を放送して、国民を情報から遮断しようとした。(註1) 
  地上波テレビを使った反政府メディアの暴力は、02年末から翌年にかけての「石油公社サボタージュ」、そして04年の大統領罷免投票のプロセスまで続いた。通常番組枠をしりぞけて生中継した大規模反政府集会、あるいは常軌を逸した頻度で流された反政府テレビCMなどには、反チャベス運動を支援する米国の国際機関(NEDやUSAID)から資金が提供されていたことが後に明らかになっている。(註2)
  こうした地上波民放2大テレビ局の関与は、政局・政変をめぐる「報道姿勢」の問題というよりも、反チャベス派の「政党」と化したメディア企業連合が、非合法の暴力行使も含む政府転覆活動を積極的に推進する行為であったと評価できるだろう。政府・与党はこうした状況に鑑み、社会的騒乱を煽動する放送を取り締まる目的で、05年12月、刑事罰も含む新法「ラジオ・テレビ社会責任法」を成立させた。この流れのなかで、多くのメディア企業が行きすぎた偏向報道を自粛するにいたった。RCTV(ならびにケーブルTVのグロボビシオン)はその尖鋭な舌鋒をもって反政府の偏向報道を維持するメディアとして残っていたのだ。 
 では、RCTVは、こうした蛮行の責任を問われて閉局に追いこまれたのだろうか。そうではないところに、別の問題が横たわる。RCTVが地上波使用権を失ったのは、政府が与える許認可契約20年の満了と、その更新拒否という法的根拠による。そのため、反社会的放送活動の質や量が、司法の下で審理されることは一切なかった。他方、RCTV以上に過激な反社会的放送を一時期実践していたベネビシオンや他の民放は、「お咎めなし」で地上波契約を更新できている。 
 「自分に都合の悪いメディアを閉鎖して、独裁者チャベスが報道の自由を奪った」とする米国経由の「歪曲ベネズエラ報道」はもとより論外である。だが、放送倫理のあり方について議論を尽くすこともないまま、政府に恭順の意を示した局は大目に見てやり、かたくなな態度を続けた局に対しては、その責任を追求することさえせずチャンネル使用契約打ちきりを告げる…。いかに合法とはいえ、この「見せしめ」的戦術に対しては、不寛容・不透明との批判が向けられてもいたしかたない。 
 
 
▼画期的新局の使命 
 
  こうした物議のなかで公共放送TVesは開局した。その使命は、「新憲法の価値普及に努め、社会的弱者を尊重し、多元的社会の構築を推進し、文化と言語の多様性を擁護する、質の高い革新的公共放送」であると宣言された。 
  巨大メディア企業の問題点は、たんに放送事業の寡占という経済的問題のみに限られない。20世紀を通じてマスメディアは、白人、男性、異性愛者、経済的中上層出身者に代表される主流社会の文化を支配的に再生産し、社会的弱者を不可視化し、人種主義的偏見とステレオタイプを日々再生産する抑圧的機能を果たしてきた。 
 1990年代以降は、ワシントン合意路線に基づく新自由主義的経済再編を促進する広報媒体の役割を積極的に推進することが、全世界の巨大メディア企業並びに公共放送の、典型的運営方針である。ラテンアメリカ、そしてチャベス政権下のベネズエラにおいて起ったことは、このようなメディア企業の政治経済的主体性とこれに対抗する運動が引き起こした対立と言うことができる。 
  このような対抗的メディア運動のスローガンとしてベネズエラ政府は06年以降「放送事業の民主化」を宣言している。この精神に実効性を与えるため、TVesの番組枠は、国内の独立系プロダクションの企画・制作作品にあまねく開かれることが方針とされている。RCTV閉局に至る経緯には問題が残ったものの、地上波テレビ放送が20世紀を通じて引き受けてきた負の主体性を断ち切る明確な目標を定め、文化的多様性の尊重とマイノリティの社会参加促進を基本方針とするテレビ局がベネズエラに開局されたことは、世界の放送史上、画期的なことだ。  


▼局長は叩きあげジャーナリスト 

  開局したばかりのTVesの局長に就任したのは、新聞記者・音楽評論家・放送プロデューサー兼パーソナリティのリル・ロドリゲスである。彼女自身、これまでマスメディアを活動舞台としながら、フリーランサーあるいは独立プロダクション代表として、そのキャリアを積みあげてきた人である。 
  1980年代の後半、リル・ロドリゲスは日刊紙の音楽コラムを担当し、ラジオ全国ネットの大人気サルサ番組のプロデューサー兼パーソナリティを毎夜つとめていた。人気の頂点にあった80年代末、ロドリゲスはそうした仕事をすべてリセットし、キューバに赴任し、ラジオ・レベルデの音楽番組と日刊紙『フベントゥ・レベルデ』の音楽コラムを3年間担当した。 
  キューバでは当時、サルサは「サルサ音楽(ムシカ・サルサ)」と呼ばれ、「外来音楽」とみなされていた。キューバ音楽とサルサの双方に精通したロドリゲスは、そうした特殊事情にこだわらない選曲と解説を毎夜繰り広げ、歴史・国境・思想の壁を越えたアフロカリブ音楽の精髄をキューバ人に知らしめる役割を果たした。ベネズエラ帰国後も、カリブ〜ラテンアメリカ全域の音楽・文化・社会・歴史に幅広く目配りの利いた鋭い批評を発表しつづけた。 ちなみにロドリゲスは、このころ日本のラテン音楽専門誌『月刊ラティーナ』のベネズエラ通信員を務め、連載コラムを担当したこともある。 
  21世紀に入ってからは、チャベス派の日刊紙『ラ・ボス』や、数少ない中立系全国紙『ウルティマス・ノティシアス』を舞台に文化・社会一般を対象とした評論活動や占星術のコラムをを展開。また、フリー・プロデューサー兼パーソナリティとしてテレビ音楽番組を制作してきた。こうした実験が結実したのが、衛星国際放送『テレスール(南のテレビ)』で開始された音楽番組『ソネス・イ・パシオネス(ソンと情熱)』だった。『テレスール』は、チャベス政権が国際的代替メディア戦略の要として、アル・ジャジーラにヒントを得て立ち上げた衛星ケーブルテレビネットである。 
  こうした経歴を知る者にとっては、リル・ロドリゲスのTVes局長就任は嬉しい驚きだった。文化産業の利害とは距離を置き、一報道人の矜持を貫きとおすラテンアメリカに稀な本格的評論家。辛口だけれど懐の大きな、「頼れる姐御」的キャラクターのリル・ロドリゲス。権力や肩書きとは無縁に、文字どおりペン一本(新聞取材は録音しない主義)を頼りに、読者・視聴者・音楽家の敬意を集めてきた。その彼女がはじめて引き受けた「大組織の役職」、それが新生国営放送TVesの局長だったのだ。 

 
▼「もうひとつのメディア」を目指して 
 
  開局記念式典の席上、リル・ロドリゲスは局長として初めて公の席に姿を現した。行く手に逆巻く荒波にむしろ力を得たベテラン航海士のように、堂々と、落ち着いて、遊び心さえのぞかせながら、《水瓶座》のアフロ系女性リル・ロドリゲスは、破天荒といえるすばらしいスピーチを披露した。 
 
  「われわれの先祖たちは何世紀もの間、多様性を糧として、みずからの代弁者となり、自分本来の表現を守り続けてきました。太鼓の響きは、先祖たちの抵抗の叫びでなくてなんであったでしょうか。その抵抗の流儀は自信に満ちなおかつ陽気なものだったのです。エレグア(註4)が私の道を開き、オバタラ(註4))が、明晰な思考を支えてくれるからです。もしこうした言葉が場違いな妄言と聞こえるなら、その人は、アフリカもまたわれわれの母なる祖国であるということを認識していない人でしょう。(・・・)
  もうすぐTVesが誕生します。産婦人科医院で生まれるのではないかもしれない。でも構いません。なぜなら国民こそが助産師だからです。この子を取り上げて、お尻を叩いて、元気な産声を響かせるその流儀を国民は心得ているはずです。(中略)クリエイティブにならなければ道を誤るということを、2002年以降のベネズエラでわれわれは思い知らされてきたのですから。(・・・)
  私が自身が映る、あなたが自身が映る、彼自身が映る、われわれ自身が映る、あなたたち自身が映る、彼ら自身が映る、TVes。みずからの力で道を切り拓いていこうではありませんか」 

  少数巨大企業によるマスメディアの寡占に警鐘をならし、「もうひとつの」メディアを支える幾多の言論人・映像人・音楽家が、この日本からも、TVesの挑戦に注目している。 
 

 【註】
(1) クーデターの経緯ならびにマスメディアの関与の詳細は、K・パートレイ/D・オブライエン監督によるドキュメンタリー映画『The Revolution will not be Televised』(2002年アイルランド、邦題『チャベス政権〜クーデターの裏側』)を参照されたい。 http://www.youtube.com/watch?v=Id--ZFtjR5c
 
(2) この問題については日刊ベリタの次の関連記事を参照。 「チャベス政権転覆計画が発覚 米国による生々しいメディア工作の実態が明らかに」 
 
(3) 本件については以下の評論もあわせて参照されることをお薦めします。廣瀬純「政党化するマスメディア---ベネスエラRCTV問題をめぐって」『インパクション』第159号(特集「ラテンアメリカの地殻変動」)2007年9月発売。 

(4) 「エレグア」は、アフリカ・ヨルバの通信・交通の神。「オバタラ」は、同じく知性の神。ともにアフロカリブの民衆宗教サンテリア(オリチャ教)の神格。サンテリアはキューバに起源を持ち、アフロキューバ音楽の普及ならびに革命によるキューバ人離散ともに、全世界に広まりつつある。白人・西欧文明・キリスト教中心主義の各国主流社会の司法・立法・行政・マスメディアからは、弾圧、黙殺、あるいはサブカルチャーとして侮蔑・戯画化されてきた。

【2014年3月補註】
リル・ロドリゲスはその後TVes局長職を退任している。地上波2チャンネルTVesは健在であるが、VTV(地上波)、ViveTV(ケーブル)、TeleSur(国際放送)など、他の国営テレビと似たり寄ったりの番組編成を展開している。あえてRCTVのライセンスを更新停止にしてまで国営地上波新局を開設した意義があったかどうかは、評価が分かれるところとなっている。
posted by eLPop at 21:52 | 石橋純の熱帯秘法館