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2024年はこれだった!下山静香『ベネズエラ・プリズム』

2024.12.31

 私がピアニスト下山静香と出会ったのは2010年頃だったろうか。「スペインとラ米音楽を専門にするピアニストがいるので紹介したい」と、ラ米音楽評論の大先輩・竹村淳さんからお引き合わせいただいたのだ。下山静香はそのときから「いつかベネズエラ音楽の音源を出したい」と口にしていたが、情報も少なく、日本には市場もないベネズエラのクラシック音楽でアルバムを録音するなど、非現実的なプロジェクトと私には思えた。

だがときおり、ベネズエラ・ピアノ音楽のCDを献呈したり、譜面や文献を紹介したり、私がプロデュースする来日アーティストの公演を聴きに来てもらうなど、細々とした情報交換を継続するうちに15年近い月日が流れた。ついに、日本で初めてとなるベネズエラピアノ音楽特集のアルバムが世に出ることになった。

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 『ベネズエラ・プリズム』ーー下山が選んだこのタイトルは ベネズエラ音楽の魅力をみごとに言語化している。無色の光線は、三角柱のクリスタルを透過すると、彩りを顕わにする。分散して6つに別れることもあれば、寒暖の2色に感じられる光もある。ときには、3と2のグループに分かれた5色に見えることもある。

芸術的色彩の背後に光の波長という物理現象があるように、ベネズエラ音楽の鮮やかな彩りの背後には、光学的に精緻なリズムの遊びが隠されている。下山静香は、音楽学的なこだわりと傑出したオタク力をもって、ベネズエラのリズムを探求してきた。そうした20年以上に及ぶベネズエラ音楽研究の成果として世に出されるがこのアルバムなのだ。

主として以下の作曲家の作品から選曲されている。

当時世界一有名なピアニストであったテレサ・カレーニョ、大家デルガド・パラシオス、録音されることが稀なフォルメルやブランなど、19世紀のピアノ音楽の作曲達によるバルス。彼らのスタイルをひきついだ20世紀前半のモレイロやカステジャノスらのバルスとホローポ。そして民衆音楽についての知識が都市教養層にも普及定着した20世紀後半のラウロ、ボル、パエサノらのメレンゲ、ホローポをはじめとする、より「とがって」ベネズエラ的なレパートリーなど。

 クラシック・ギターの大作曲家として知られるラウロは、管弦楽・室内楽・声楽の作品も残している。今回録音された『ベネズエラ組曲』はピアノ独奏のためのオリジナル曲である。人口に膾炙したギター曲よりもより20世紀音楽的な和声の響きをもっている。

 マリア・ルイサ・パエサノは、クラシック音楽とポピュラー音楽の境界を行き来した20世後半のピアニスト兼作曲家だ。都市器楽ブームの1980年代にピアノ、ベース、クアトロからなる《エル・トリオ》という冗談のような名前のアンサンブルで何点かのアルバムを残した。

そのデビューアルバムタイトルとなったメレンゲ曲「エル・トランカオ」があまりに衝撃的すぎて、人びとはこのユニットを「トリオ・エル・トランカオ」と呼び習わしたものだ。下山はパエサノ作品に並々ならぬ傾倒を示し、ベネズエラ・メレンゲの5拍目と1拍目の間の真空に宇宙エナジーがみなぎるような、演奏は、まさに「トランカオな(ブレーキを踏み込んだ)」ノリを体現している。

 特筆すべきは、ピアノの女傑テレサ・カレーニョの「夢の舞踏会」というファンタジーである。自由な構成の本編は「舞踏会」シーンが描かれていると思われるが、その特徴あるリズムにメレンゲの5拍子が隠されていることを、下山は譜面の行間から読み取った。

メレンゲの記譜法は、3連符入りの4分の2拍子、6拍目を休符にした8分の6拍子の、8分の5拍子など、歴史的にも書き手によっても揺らいできた。とくに19世紀の作曲家は「5拍子」という変な拍子で自国のリズムを記譜出版するには抵抗(文化的劣等感)があったと想像され、より西欧的常識にかなう表記に落とし込もうとしたのだ。女傑カレーニョも例外ではない。ベネズエラ・メレンゲを探求し、弾きこみ、これらの身体化した下山は、大巨匠カレーニョが隠そうとして隠しきれなかったベネズエラ流大宴会のノリを、21世紀の聴衆の耳に再現して見せた。

 ベネズエラ音楽の光彩は、輝きの頂点でキラキラと踊りながら、余韻を残ざず消えて、すぐに別の色を反射させる。下山静香の鍵盤の(プ)リズムは、その色彩も輝きも、みごとに磨き上げている。


(編集部追記)
12/3にレコード・アルバム発表を記念して、ベネズエラ音楽にスポットを当てたライブ「ベネズエラ・プリズム」を新大久保のスペースDoにて開催された。

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(最新盤音源がまだYouTube掲載前なので、前作『ピアソラ・ピアノより』)

https://youtu.be/eyIqpWQTg4w?si=82WI7ZdJJpT3dUxV

下山静香さんはクラシック・ピアニスト。
桐朋学園大学卒業・研究科修了後、欧州各国で活躍。99年、文化庁派遣芸術家在外研修員としてマドリードに。帰国後はNHKでの多くの番組や様々なコンサート活動を行う。 ウィーン・ヴィルトゥオーゾ、チェコフィル六重奏団、M.ホッセン、R.シメオ、V.スンをはじめ数々の来日アーティストと共演。
スペイン、ラテンアメリカのクラシックのみならず、タンゴ、ジャズ、フォルクローレとのコラボレーション行っている。また演奏活動のかたわら、翻訳・執筆・講演・朗読と多方面もで活動。
2015年より「下山静香と行くスペイン 音楽と美術の旅」を実施(主催:郵船トラベル)。

アルバムは今回リリースのものを含め14枚の作品を発表している。
今回の作品は【中南米ピアノ名曲コレクション】シリーズの1枚。
《ロマンサ・デ・アモール〜メキシコ&キューバ珠玉の小品集》中南米ピアノ名曲コレクションvol.1
《アルマ・エランテ》中南米ピアノ名曲コレクションvol.2(アルゼンチン編)
《アルマ・ブラジレイラ〜ショーロ&ブラジルタンゴ コレクション〜》
 中南米ピアノ名曲コレクションvol.3 (ブラジル編)
《ピアソラ ✕ ピアノ》 中南米ピアノ名曲コレクション特別編
そして第五弾が今回の発表の《ベネズエラ・プリズム》。

posted by eLPop at 12:57 | 石橋純の熱帯秘法館

「恨み節」--パーティソングにみる南米民衆の創意

2024.02.27

カラカスの音楽人達が20世紀初頭から伝承してきたパーティ・ソングに「Maldicion 恨み節」というバルス(ワルツ)がある。多数の音楽家を輩出したレイナ家の宴で歌われてきたといわれる。この歌を広く知らしめたのは、セシリア・トッドが1982年に発表した旧き良きカラカスの民衆歌謡集《El novio pollero》だ。彼女もまたこの歌をレイナ家の宴会で聴き覚えたという。

Cecilia Todd "Maldicion" 《El novio pollero》(1982年)より。

https://youtu.be/5eIEWt9G19I

幸せだったと気づいてなかった私
人生とは楽しいもの
すべては幸せと、幸運と、喜びだった
あなたと出会うまでは

あのときから私の人生はどん底
一日を生き延びたら翌日は苦悶
夏の花よ、冬がおまえを枯らせた
あなたの愛情がニセモノだったから

好きだと言ったのに、嘘だった
私だけの人だと言ったのに
あなたは人を愛したことなんかない
あなたは恋を知らない
夜ふけの静けさのなかで、いとしい女よ
恨み節をあなたに捧げよう。さよなら、さよなら(石橋純・訳)


詞だけ読むと、深刻な失恋歌のように見えるが、セシリア・トッド音源からもわかるとおり、ユーモアと奇知に富んだ楽曲である。おそらくは、失恋した仲間を笑いのネタとしつつその傷心を癒やすために歌い継がれてきたのだろう。

この曲を採譜し、はじめて録音したのは、レイナ家の先代当主にして独奏クアトロの先駆者フレディ・レイナである。ながらくこの曲は「作者不詳伝承曲、フレディ・レイナ採譜」という楽曲情報が知られてきた。

Fredy Reynaによるクアトロ独奏
Maldicion


https://youtu.be/oS3NcnzC5Gg

最近、この曲の原曲と考られる作品が発見された。Youtubeにおける稀少音源投稿の賜だろうか、それとも昨今のベネズエラ人ディアスポラの産物だろうか。1917年に録音されたSP音源で、ルドビコ・ムシオというチリ人テノールの演唱で、作者名として「ロペス提督」というスペイン人の名が記されている。

Ludovico Muzzio歌 "La maldicion "

https://youtu.be/gbN_Oc6UI5o

一言で切り捨ててしまえば、原曲はひいき目にも名曲とは言いがたい、凡庸な19世紀ロマン派的歌曲である。ベネズエラ伝承版とは詞にも異同があり、原曲はガチの失恋歌と考え良さそうだ。

乾期(夏)と雨期(冬)の二季システムのカラカスで、「夏の花よ、冬がおまえを枯らせた」という歌詞の謎も、スペインの曲だと知れば、氷解した。

カラカスの文化人一族レイナ家のパランダ(音楽の宴)ではじめて歌われたのは、どのような状況だったのかはもはや知るよしもないが、その後歌い継がれ、こんにちの小粋でユーモラスベネズエラ・ワルツへと変化していった過程に想像力をかき立てられる。

リズムは6/8と3/4が同時進行するベネズエラ的ポリリズムとなり、20世紀のポピュラー音楽にふさわしく、和声は原曲より複雑になっている。原詞からかなりの文句が削除されて、旋律のシンコペーションとあいまって小気味よい緊張感にみちている。これらの改編は、誰か個人の翻案・脚色というより、宴会の現場で歌いつがれるなかで、磨かれ、洗練されていったと想像するのが、楽しい。原曲が発見されたからこそ、かえってカラカスの音楽家たちの集合的な音楽美学が浮き彫りになったような気がするのだ。


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タグ:Maldicion
posted by eLPop at 22:36 | 石橋純の熱帯秘法館

eLPop今年のお気に入り!2023年ベネズエラのクリスマスキャロル

2023.12.30

ベネズエラのクリスマスキャロル伝統曲、ビセンテ=エミリオ・ソホ採譜と採詞、ギター編曲と演奏アリリオ・ディアス
"Cantemos cantemos(歌おう、歌おう)" 《Aguinaldos y otras melodías
venezolanas》(1975年発表LP、2012年CDとして復刻)より


https://youtu.be/HZqR3KPC6H0?t=378

スペイン語圏各地で、クリスマスシーズンに伝統的なクリスマス頌歌(アギナルドまたはビジャンシコ)が歌われる。ベネズエラでは19世紀に由来する旧いアギナルドがいまも盛んに歌われる点で特異だと思われる。しかも世界の思わぬとこにでそれらの旧いアギナルドのファンがいることに驚かされる。おそらく、これは、20世紀前半にベネズエラ国民楽派の作曲家ビセンテ=エミリオ・ソホが精力的に採譜・採詞して楽譜に残したこと(それがベネズエラの学校教育に取り入れられたこと)と、2023年生誕100年を迎えるクラシック・ギターの巨匠アリリオ・ディアスがギター独奏曲として編曲し、世界じゅうをツアーして演奏したことと無縁ではないだろう。

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posted by eLPop at 19:33 | 石橋純の熱帯秘法館

ホローポの奥地へ

2023.10.25

ベネズエラの国民舞踊と言われるホローポには、全国各地に様々な種類があるが、そのなかで、ベネズエラ人による本格的なライブ演奏が一度も日本で上演されていないレアなジャンルがある。中北部ララ州に伝承される《ゴルペ・ラレンセ》だ。その特徴は、大小様々なサイズの4弦から6弦の民衆ギターと太鼓による器楽伴奏と、ハモリでコールアンドリスポンスすること。さらには多くの場合早口言葉を取り入れた(ヴォーカルテクニックとしては難しい)愉快な歌詞にある。

この奥深いレアなホローポ《ゴルペ・ラレンセ》の奥義を求めて一人の日本人音楽家がララ州の州都バルキシメトを訪れた。マラカス奏者の牧野翔だ。牧野は2007年エル・クアルテート来日コンサートでベネズエラ音楽と出会い、後に東京大学のベネズエラ音楽合奏団・エストゥディアンティーナ駒場で研鑽を積む。大学院修了後はベネズエラ都市音楽バンド《5años》に参加。マラカス演奏をエルネスト・ラジャ、マヌエル・ランヘルに師事。チェオ・ウルタード、リカルド・サンドバル、オマール・アコスタなどベネズエラ人アーティストの来日公演際してはサポート・キャストに指名されている。

このたび牧野が訪ねたのはララ州に拠点を置く民衆音楽伝承集団の《エスプレシオン・ラレンセ》だ。ひたすら地元のゴルペ(ホローポ)だけを伝承・演奏する楽団だ。そのワークショップの模様は、約1時間のドキュメンタリー映像として公開されている。ここではワークショップの成果として先生達とともに牧野が合奏した伝統曲《Mi rancho》をごらんいただこう。

Expresion Larense & Sho Makino - Mi Rancho

https://youtu.be/zSSZ_Jeqjcw
posted by eLPop at 17:10 | 石橋純の熱帯秘法館

カントジフア@代官山〈晴れ豆)、カニサレス

2023.08.03

■カントジフア 代官山〈晴れたら空に豆まいて〉2023年7月18日
スティールパン・伊澤陽一、ギター・菅又 -Gonzo- 健、チェロ・薄井信介

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写真(石橋純)


前号で紹介したスチール・パン、ギター、チェロによるトリオ〈カントジフア〉がeLPopイベントでもおなじみの代官山〈晴れたら空に豆まいて〉に登場。最新作のバッハ《ゴールドベルク変奏曲》全曲録音のお披露目ライブについては前号で報告したが、今回はメンバー自作曲を中心としたステージ。そこに、絶妙の構成でゴールドベルクからの抜粋が織り込まれた。

 カントジの3人はみんな曲を書く。それがどれも肩肘張らない素敵な旋律で、3人の楽器の音が絡み合い、響き合う。長年合奏を積み重ねてこその阿吽の呼吸のようにきこえるが、2009年以来11年間も活動を休止しており、再開そうそうコロナ禍でライブ活動ができなかった。そのことがとても信じられないほど密なコミュニケーションのトリオだ。

 「いつもどこかの街角で音を奏でていたい」というのが彼ら信条であり、バンド名の由来でもある。きっと読者の活動圏でも演奏を聴く機会があるはずなので、ぜひ聴きに行ってほしい。

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写真(石橋純)

カントジフア《どこかの街角で》より〈ホアンキエムの昼下がり〉

https://youtu.be/ybF90K9C_sk


■カニサレス

フラメンコ・ギターの巨匠、カニサレスが7月来日した。私がカニサレスを初めて聴いたのは1990年。パコ・デ・ルシアがアランフエス協奏曲を初演した時、Bプログラムとして引き連れていたトリオのセカンドを弾いていたのがカニサレスだった。めっぽう巧い若手だという以上の印象は残らなかった。その後、彼の仕事を知ったのは、歌手エンリケ・モレンテが1998年に発表したアンダルシア・ロックの名作《オメガ》におけるギター演奏ならびに作編曲だった。

エンリケ・モレンテ《オメガ》(1998)より〈マンハッタン〉
ギターならびに編曲カニサレス


https://youtu.be/wbJQ3l5v6rc

カニサレスの本領は、スペインのクラシック音楽にフラメンコギターの知見を活かした貢献をすることであり、これまでのリーダー作の大半をこのような路線の作品が占めている。こうした試みは、パコ・デ・ルシアがファリャ作品や、アランフエス協奏曲などで開拓してきた分野であるが、カニサレスはそれをより深掘りしてきたといえよう。カニサレスもアランフエスを演奏しており、2011年にはベルリンフィルと、2017年にはNHK交響楽団と共演している。

ファリャ「はかなき人生」よりスペイン舞曲第1番
カニサレス&フアン・カルロス・ゴメス


https://youtu.be/4QUoKrBCRLw

私が聴いたのは7月20日フィリア・ホール。御大の独奏ならびにセカンドギターのフアン・カルロス・ゴメスとの2重奏だった。すばらしい作編曲と演奏を堪能したものの、常にPAのリバーブがマシマシだったことがすこし気になった。アップテンポ曲は、もっとエフェクトを抑えめにしてもよかったのではないだろうか。

次回はぜひバンド編成で、できることなら小規模会場でカニサレスを聴いてみたい。

カニサレス作曲El Abismo
セカンド・ギター:フアン・カルロス・ゴメス


https://youtu.be/W6nAdtFDqqU


posted by eLPop at 13:50 | 石橋純の熱帯秘法館