Top > 石橋純の熱帯秘法館

「恨み節」--パーティソングにみる南米民衆の創意

2024.02.27

カラカスの音楽人達が20世紀初頭から伝承してきたパーティ・ソングに「Maldicion 恨み節」というバルス(ワルツ)がある。多数の音楽家を輩出したレイナ家の宴で歌われてきたといわれる。この歌を広く知らしめたのは、セシリア・トッドが1982年に発表した旧き良きカラカスの民衆歌謡集《El novio pollero》だ。彼女もまたこの歌をレイナ家の宴会で聴き覚えたという。

Cecilia Todd "Maldicion" 《El novio pollero》(1982年)より。

https://youtu.be/5eIEWt9G19I

幸せだったと気づいてなかった私
人生とは楽しいもの
すべては幸せと、幸運と、喜びだった
あなたと出会うまでは

あのときから私の人生はどん底
一日を生き延びたら翌日は苦悶
夏の花よ、冬がおまえを枯らせた
あなたの愛情がニセモノだったから

好きだと言ったのに、嘘だった
私だけの人だと言ったのに
あなたは人を愛したことなんかない
あなたは恋を知らない
夜ふけの静けさのなかで、いとしい女よ
恨み節をあなたに捧げよう。さよなら、さよなら(石橋純・訳)


詞だけ読むと、深刻な失恋歌のように見えるが、セシリア・トッド音源からもわかるとおり、ユーモアと奇知に富んだ楽曲である。おそらくは、失恋した仲間を笑いのネタとしつつその傷心を癒やすために歌い継がれてきたのだろう。

この曲を採譜し、はじめて録音したのは、レイナ家の先代当主にして独奏クアトロの先駆者フレディ・レイナである。ながらくこの曲は「作者不詳伝承曲、フレディ・レイナ採譜」という楽曲情報が知られてきた。

Fredy Reynaによるクアトロ独奏
Maldicion


https://youtu.be/oS3NcnzC5Gg

最近、この曲の原曲と考られる作品が発見された。Youtubeにおける稀少音源投稿の賜だろうか、それとも昨今のベネズエラ人ディアスポラの産物だろうか。1917年に録音されたSP音源で、ルドビコ・ムシオというチリ人テノールの演唱で、作者名として「ロペス提督」というスペイン人の名が記されている。

Ludovico Muzzio歌 "La maldicion "

https://youtu.be/gbN_Oc6UI5o

一言で切り捨ててしまえば、原曲はひいき目にも名曲とは言いがたい、凡庸な19世紀ロマン派的歌曲である。ベネズエラ伝承版とは詞にも異同があり、原曲はガチの失恋歌と考え良さそうだ。

乾期(夏)と雨期(冬)の二季システムのカラカスで、「夏の花よ、冬がおまえを枯らせた」という歌詞の謎も、スペインの曲だと知れば、氷解した。

カラカスの文化人一族レイナ家のパランダ(音楽の宴)ではじめて歌われたのは、どのような状況だったのかはもはや知るよしもないが、その後歌い継がれ、こんにちの小粋でユーモラスベネズエラ・ワルツへと変化していった過程に想像力をかき立てられる。

リズムは6/8と3/4が同時進行するベネズエラ的ポリリズムとなり、20世紀のポピュラー音楽にふさわしく、和声は原曲より複雑になっている。原詞からかなりの文句が削除されて、旋律のシンコペーションとあいまって小気味よい緊張感にみちている。これらの改編は、誰か個人の翻案・脚色というより、宴会の現場で歌いつがれるなかで、磨かれ、洗練されていったと想像するのが、楽しい。原曲が発見されたからこそ、かえってカラカスの音楽家たちの集合的な音楽美学が浮き彫りになったような気がするのだ。


⇒目次に戻る
タグ:Maldicion
posted by eLPop at 22:36 | 石橋純の熱帯秘法館

eLPop今年のお気に入り!2023年ベネズエラのクリスマスキャロル

2023.12.30

ベネズエラのクリスマスキャロル伝統曲、ビセンテ=エミリオ・ソホ採譜と採詞、ギター編曲と演奏アリリオ・ディアス
"Cantemos cantemos(歌おう、歌おう)" 《Aguinaldos y otras melodías
venezolanas》(1975年発表LP、2012年CDとして復刻)より


https://youtu.be/HZqR3KPC6H0?t=378

スペイン語圏各地で、クリスマスシーズンに伝統的なクリスマス頌歌(アギナルドまたはビジャンシコ)が歌われる。ベネズエラでは19世紀に由来する旧いアギナルドがいまも盛んに歌われる点で特異だと思われる。しかも世界の思わぬとこにでそれらの旧いアギナルドのファンがいることに驚かされる。おそらく、これは、20世紀前半にベネズエラ国民楽派の作曲家ビセンテ=エミリオ・ソホが精力的に採譜・採詞して楽譜に残したこと(それがベネズエラの学校教育に取り入れられたこと)と、2023年生誕100年を迎えるクラシック・ギターの巨匠アリリオ・ディアスがギター独奏曲として編曲し、世界じゅうをツアーして演奏したことと無縁ではないだろう。

⇒特集「eLPop今年のお気に入り!2023年」メインに戻る
posted by eLPop at 19:33 | 石橋純の熱帯秘法館

ホローポの奥地へ

2023.10.25

ベネズエラの国民舞踊と言われるホローポには、全国各地に様々な種類があるが、そのなかで、ベネズエラ人による本格的なライブ演奏が一度も日本で上演されていないレアなジャンルがある。中北部ララ州に伝承される《ゴルペ・ラレンセ》だ。その特徴は、大小様々なサイズの4弦から6弦の民衆ギターと太鼓による器楽伴奏と、ハモリでコールアンドリスポンスすること。さらには多くの場合早口言葉を取り入れた(ヴォーカルテクニックとしては難しい)愉快な歌詞にある。

この奥深いレアなホローポ《ゴルペ・ラレンセ》の奥義を求めて一人の日本人音楽家がララ州の州都バルキシメトを訪れた。マラカス奏者の牧野翔だ。牧野は2007年エル・クアルテート来日コンサートでベネズエラ音楽と出会い、後に東京大学のベネズエラ音楽合奏団・エストゥディアンティーナ駒場で研鑽を積む。大学院修了後はベネズエラ都市音楽バンド《5años》に参加。マラカス演奏をエルネスト・ラジャ、マヌエル・ランヘルに師事。チェオ・ウルタード、リカルド・サンドバル、オマール・アコスタなどベネズエラ人アーティストの来日公演際してはサポート・キャストに指名されている。

このたび牧野が訪ねたのはララ州に拠点を置く民衆音楽伝承集団の《エスプレシオン・ラレンセ》だ。ひたすら地元のゴルペ(ホローポ)だけを伝承・演奏する楽団だ。そのワークショップの模様は、約1時間のドキュメンタリー映像として公開されている。ここではワークショップの成果として先生達とともに牧野が合奏した伝統曲《Mi rancho》をごらんいただこう。

Expresion Larense & Sho Makino - Mi Rancho

https://youtu.be/zSSZ_Jeqjcw
posted by eLPop at 17:10 | 石橋純の熱帯秘法館

カントジフア@代官山〈晴れ豆)、カニサレス

2023.08.03

■カントジフア 代官山〈晴れたら空に豆まいて〉2023年7月18日
スティールパン・伊澤陽一、ギター・菅又 -Gonzo- 健、チェロ・薄井信介

L1006282-2481.jpg
写真(石橋純)


前号で紹介したスチール・パン、ギター、チェロによるトリオ〈カントジフア〉がeLPopイベントでもおなじみの代官山〈晴れたら空に豆まいて〉に登場。最新作のバッハ《ゴールドベルク変奏曲》全曲録音のお披露目ライブについては前号で報告したが、今回はメンバー自作曲を中心としたステージ。そこに、絶妙の構成でゴールドベルクからの抜粋が織り込まれた。

 カントジの3人はみんな曲を書く。それがどれも肩肘張らない素敵な旋律で、3人の楽器の音が絡み合い、響き合う。長年合奏を積み重ねてこその阿吽の呼吸のようにきこえるが、2009年以来11年間も活動を休止しており、再開そうそうコロナ禍でライブ活動ができなかった。そのことがとても信じられないほど密なコミュニケーションのトリオだ。

 「いつもどこかの街角で音を奏でていたい」というのが彼ら信条であり、バンド名の由来でもある。きっと読者の活動圏でも演奏を聴く機会があるはずなので、ぜひ聴きに行ってほしい。

canizares.jpg

写真(石橋純)

カントジフア《どこかの街角で》より〈ホアンキエムの昼下がり〉

https://youtu.be/ybF90K9C_sk


■カニサレス

フラメンコ・ギターの巨匠、カニサレスが7月来日した。私がカニサレスを初めて聴いたのは1990年。パコ・デ・ルシアがアランフエス協奏曲を初演した時、Bプログラムとして引き連れていたトリオのセカンドを弾いていたのがカニサレスだった。めっぽう巧い若手だという以上の印象は残らなかった。その後、彼の仕事を知ったのは、歌手エンリケ・モレンテが1998年に発表したアンダルシア・ロックの名作《オメガ》におけるギター演奏ならびに作編曲だった。

エンリケ・モレンテ《オメガ》(1998)より〈マンハッタン〉
ギターならびに編曲カニサレス


https://youtu.be/wbJQ3l5v6rc

カニサレスの本領は、スペインのクラシック音楽にフラメンコギターの知見を活かした貢献をすることであり、これまでのリーダー作の大半をこのような路線の作品が占めている。こうした試みは、パコ・デ・ルシアがファリャ作品や、アランフエス協奏曲などで開拓してきた分野であるが、カニサレスはそれをより深掘りしてきたといえよう。カニサレスもアランフエスを演奏しており、2011年にはベルリンフィルと、2017年にはNHK交響楽団と共演している。

ファリャ「はかなき人生」よりスペイン舞曲第1番
カニサレス&フアン・カルロス・ゴメス


https://youtu.be/4QUoKrBCRLw

私が聴いたのは7月20日フィリア・ホール。御大の独奏ならびにセカンドギターのフアン・カルロス・ゴメスとの2重奏だった。すばらしい作編曲と演奏を堪能したものの、常にPAのリバーブがマシマシだったことがすこし気になった。アップテンポ曲は、もっとエフェクトを抑えめにしてもよかったのではないだろうか。

次回はぜひバンド編成で、できることなら小規模会場でカニサレスを聴いてみたい。

カニサレス作曲El Abismo
セカンド・ギター:フアン・カルロス・ゴメス


https://youtu.be/W6nAdtFDqqU


posted by eLPop at 13:50 | 石橋純の熱帯秘法館

スチールパン+ギター+チェロのユニットがおりなすゴールドベルク変奏曲

2023.05.26

スティールパン・伊澤陽一、チェロ・薄井信介、ギター・菅又-Gonzo-健によるユニット、カントジフア。「いつもどこかの街角で音を奏でていたい」という思いのもと、2007年に結成された。

しばらく活動を中断していたが、2019年に再出発。カリプソ、ブラジル音楽、クラシックと、メンバーの出自である音楽ジャンルはもちろん、既存のジャンルにとらわれない、心地よくもオリジナルな楽曲を丁寧に磨き上げているユニットだ。2022年5月にははそんな彼らのオリジナル作品10曲を集めた1st アルバム《どこかの街角で》をリリース。ポルトガル語で「街角」を意味するバンド名の通りライブハウス、カフェ、レストランなどに限らず、お寺、家具屋、古民家、キャンプサイト、博物館、ギャラリーなど、さまざまな場所でライブを行ってきた。

カントジフア1stアルバム《どこかの街角で》より「フルーツ市場のサンバ」

https://youtu.be/NdIPrkziCVk


 カントジフアが昨年12月に出した2ndアルバムはバッハの「ゴールドベルク変奏曲」全曲演奏。私はすでにストリーミングでアリアと30の変奏をすべて聴衆していたが、緻密なアンサンブルと緩やかな響きがあいまったその完成度ゆえに、スタジオ限定プロジェクトだと思い込んでいた。5月7日、銀座の小さなカフェで全曲通してのライブが上演されるということで、聴きに行ってきた。

 がんらいバロック器楽には、ある種の可塑性があるように思う。とりわけバッハの音楽は、ジャズでもよくとりあげられてきた。管弦楽や器楽の組曲などに含まれる舞曲のなかには、ラテンアメリカ伝統音楽とも共通のルーツをもつリズムも存在し、ラテンアメリカの様々なジャンルの音楽家から愛されてきた。トリニダードで行われるスチールバンドのクラシックコンサートでも、必ずといってよいほどバッハは演目に入る。

 カントジフアはそうした先例に見られる換骨奪胎、ニューアレンジとは一線を画している。鍵盤楽器用の原典になるべく忠実に3つの楽器にパート分けしたアンサンブルの試みなのだ。

カントジフア「ゴールドベルク変奏曲」

https://youtu.be/3ud_xRb_JAo


 5月7日、東京銀座のカフェ「月のはなれ」で演奏されたゴールドベルク全曲は、すばらしかった。平素チェンバロやピアノで聞き慣れているあの旋律たちが、ギター、チェロ、パンの音色により、フルカラー3次元できこえてくる。フーガなど対位法の妙を尽くした変奏は、音色のまったくことなる3つの楽器で3人が演奏するので、一人の鍵盤楽器奏者が演奏するより、不即不離の遊びごころが際立つ。もちろん難所をのりきる緊張感も、合奏ならではのものだ。

 バッハの音楽と真剣に戯れるために、カントジフアはこの楽曲の指導を、バッハの専門家である指揮者・鍵盤奏者の鈴木優人に依頼したという。鈴木はこのプロジェクトについて「心おきない仲間たちの会話に思わず笑顔がこぼれる「ラテン」なバッハ」という賛辞を寄せている。私に言わせれば、「ラ米伝統音楽とバッハの音楽がもつ共通の身体性が、3人の日本人奏者によって引き出された」となるだろうか。

 カントジフアは今年日本各地でこのプロジェクトをお披露目して回る。その多くは、彼らの信条である、小規模の会場でのライブとなるそうだ。一足先に体験してきたリスナーとして、楽しくも贅沢な時間となることを保証したい。

→目次に戻る
posted by eLPop at 18:59 | 石橋純の熱帯秘法館