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追悼ロベルト・トッド

2016.07.24

8月に来日するベネズエラの大歌手セシリア・トッドの兄で、ギタリスト、クアトロ奏者、プロデューサー、評論家であったロベルト・トッドが7月23日に亡くなった。近年は認知症を患い、療養中であった。享年79歳。

ロベルト・トッドは1937年カラカス生まれ。家庭の伝統でベネズエラ民衆音楽にしたしみ、クアトロとギターを独学。のちにクアトロ独奏をフレディ・レイナに師事。1970年代末にはブラジルに留学し、ギターを学んだ。

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posted by eLPop at 10:43 | 石橋純の熱帯秘法館

追悼エルナン・ガンボア(1947-2016)

2016.01.13

"El cuatro de Venezuela"「ベネズエラのクアトロ」の肩書きで世界に知られたクアトロ奏者、歌手、作曲家のエルナン・ガンボアが2016年1月10日、アルゼンチンのブエノスアイレスで、肺がんのため亡くなった。享年69歳。

音楽一家から人気カルテットへ

エルナンの父・カルミート・ガンボアは歌手、作曲家、バンドーラ奏者として活躍し、グアヤナ地方の古都シウダボリバルで大きな影響力のある音楽家であった。ギタリスト・作曲家のアントニオを輩出したラウロ家、マンドリン奏者クリストバルのソト家、クアトロ奏者チェオを産んだウルタード家とならんで、ガンボア家はこの町有数の音楽一家であった。

父の影響でエルナンは幼少時から音楽活動を開始。とくにクアトロにその才能を発揮した。ガンボア家に集っていた同郷の大学生仲間とともに1972年4人組ボーカルユニット《セレナータ・グアヤネサ》を結成。故郷グアヤナ地方の伝統音楽を皮切りに、当時まだ全国的には知られていなかったベネズエラ各地の民衆音楽を大衆に親しみやすいポップな男性コーラスのスタイルで普及させた。1986年に脱退するまで11枚の音源をこのユニットで録音している。


セレナータ・グアヤネサ「復活祭の朝」


独奏クアトロの開拓

人気グループ、セレナータ・グアヤネサで活動する傍ら、エルナン・ガンボアは、ベネズエラの民衆的4弦ギターであるクアトロの技術開拓にも力を注いだ。都市弦楽ユニット《ロス・アナウコ》に参加。1977年には初の独奏アルバムを録音。クアトロ奏者・歌手として2011年まで25枚のアルバムを世に出している。

器楽奏者としてのエルナン・ガンボアの一大功績は、「カンブール・ピントン」の呼称で知られる伝統的なクアトロ調弦(ラ・レ・ファ#・オクターブ下のシ)を温存しての、独奏クアトロのテクニック開発にあった。これは、右手のストローク(ラスゲオ)を温存しつつも、爪弾き(プンテオ)ならびに左手の押弦と開放弦を組み合わせることによってメロディを奏でる方法で、ガンボアは「ラスガプンテオ奏法」と名づけている。ウクレレで行われる「ジャカソロ」と原理は同じであるが、ベネズエラ音楽はポリリズムが複雑であり、上下両方向にカッティングされるため、ガンボア流の奏法は打楽器的な技術においてより高度である。また、カンブール・ピントン調弦によるクアトロは、音域が2オクターブと狭く、ポジション移動の速度が要求される。


エルナン・ガンボア独奏「エロルサの祭り」

それまでに知られたクアトロ独奏者には、ハシント・ペレス、フレディ・レイナがいた。民衆音楽家であったペレスは主に爪弾きによって出身地ミランダ州の民謡を演奏。学究肌の教養人レイナは第一弦をオクターブ上げて、旋律演奏を容易にし、音域を拡大した独自のメソッドを提唱した。レイナにより、バロック・ギター曲から民謡までを演目としてリサイタルを行うソロ楽器としてのクアトロ奏法が確立した。これにたいして、エルナン・ガンボアは、ベネズエラ民衆が500年間伝承してきた伝統調弦を使用しながらも、豊かなリズムを十全に表現し、ベネズエラ全土の音楽をあますところなく演奏した。現代のクアトロ奏法はガンボア以降爆発的に発展することになる。クアトロの第一人者としてたびたび来日しているチェオ・ウルタードは、エルナンとともにカルミート・ガンボアの薫陶を受けた弟分と呼べる関係である。


エルナン・ガンボア独奏「パハリージョ」
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posted by eLPop at 14:49 | 石橋純の熱帯秘法館

アルデマロ・ロメロ歌詞の世界2 「今宵女房と酔いしれて」

2014.11.12

「今宵女房と酔いしれて」 
Esta noche voy a emborrachar con mi mujer
詞:アルデマロ・ロメロ

今宵、女房と酔い痴れたい
まずはなじみのピアノバー、6時にしよう
彼女には、一輪のバラ、マティーニ一杯、キャビア少々
俺には、いつものやつと、ボサノヴァにジャズ
ディナータイムは10時頃と行きますか
フレンチ・クオーターのどこかの店で
デザートと食後酒の後で、彼女はこう言うかな
「たまには言い訳ぬきで、踊りに連れてって」
踊ろうじゃないの! ダンスはからきしのこの俺が
夜更け過ぎまで、恋女房に寄り添って
そして囁やこう、彼女の耳元で、愛のコトバ
大胆にして奔放、《成人指定》の決めゼリフ
シャンペンが脚まで回って
おもむろにもっと自由に振る舞いたくなって
彼女はよく心得たもの、俺の気分を察して
「家に帰りましょうか」と先回りして
車の中で彼女はねだる「カセットかけて」
アントニエッタのボレロ「キエン・エス・ウステ」
でもすぐに気が変わって
こう言うはずさ「あなたの歌が聴きたい」って
歌おうじゃないの! 歌手じゃないこの俺だけど
ちょっと意味深な歌しか知らないけど
そしてまだ埴生の我が家には着いてないけど
どこかの薄暗い路地裏で、、、
今宵、女房と酔い痴れたい

Esta noche me voya a emborrachar con mi mujer
empezando en el mismo piano bar, coo a las seis
para ella una rosa y un martini y un poco de caviar
para mí lo de siembpre, combinado en bossa nova y jazz

Cuando llegue la hora de cenar, como a las diez
nos iremos a un rinconcito del Barrio Francés
y despés de los postres y licores, ella me pedirá
que me deje de rollos y temores y la lleve a bailar
Y bailaré, yo que no bailo nada
hasta la madrugada, pegado a mi mujer
y le diré piropos al oído
audaces y atrevidos, censura "C"

Por estar saturado de champán hasta los pies
de repente me querrá gobernar la insantez
pero ella que sabe lo que pasa y sabe como soy
me dirá que vayamos a la casa, pues sabe a lo que voy

Ya en el carro ella me pedirá "pon el cassette"
donde canta Antonietta su canción "¿Quién es usted?"
y es seguro que luego de un momento ella cambie de opinión
y me diga que ella lo que quiere es que le cante yo

Y cantaré, yo que no soy cantante
canciones insinuantes de esas que yo me sé
y aún sin llegar a una puerta segura
en cualquier calle oscura. . . .
Esta noche me voya a emborrachar con mi mujer.

古き良き時代のチャチャチャの形式で書かれた、アルデマロ・ロメロ1980年代の作品。この歌詞は、回想でなく、妄想であることにお気づきだろうか?
このころ、巨匠は、10年余りにわたり手がけてきたクラシック音楽関連のプロジェクトに挫折し、失意のうちにあった。さらに追い打ちをかけるように、妻にも去られてしまう。
身も心もボロボロになった巨匠は、お気に入りのピアノ・バーに出没し、夜な夜な往年の自作ボレロを歌い、さらには即興の詩曲に傷心を託し、、、それでも想いあふれてやまない巨匠は、ついに歌手としてレコード・デビューまで果たしてしまう。「歌手じゃないこの俺が」と自覚していた巨匠を歌わせたのは、彼の傍らにはすでにいない、恋女房だったのだ。
劇中劇のように言及される、「キエン・エス・ウステ」(あなたという人は)は、1980年代中頃、ボレロ・リバリバルを先取りして、彗星のように消えていったベネズエラのシンガー、アントニエッタのヒット曲だ。1940年代末、20歳そこそこでベネズエラ初のボレロの国際ヒットを書いたアルデマロ・ロメロ。その40年後傷心の巨匠はかつての自分と同じ年頃の女性がうたうボレロを聴きながら、クダまいていたのだろう。
「クソだな。このアレンジ。俺に頼めばもっと格好よく編曲してやるのに、、、でも、なぜか泣けるぜ、この子の歌」
脳天気にラブラブな恋女房との虚構に、ふと割り込んだボレロのリアリティ。そう思って聞き直すと。巨匠の歌もまた胸にせまる。

巨匠自らの歌でどうぞ
https://www.youtube.com/watch?v=IrRDipCbpxw

劇中歌「キエン・エス・ウステ」熱帯の歌姫の、この寂寥感はどうだ!
https://www.youtube.com/watch?v=g_fAOh18nZ4
posted by eLPop at 22:38 | 石橋純の熱帯秘法館

アルデマロ・ロメロ歌詞の世界1 「街道よ」Carretera

街道よ Carretera
詞:アルデマロ・ロメロ

Carretera, acórtate, carretera
que me ahoga la distancia
de qué manera, de qué manera

街道よ、端折ってくれ、街道よ
この距離が息苦しくて
死にそうだ、死にそうだ

Sementera, perdóname, sementera
si tumbo la flor del llano
con mi carrera, con mi carrera

芽吹いた道よ、許してくれ、芽吹いた道よ
もし平原の花を踏みつぶしても
この疾走で、この疾走で

Gavilanes de las nubes,
vayan hasta la rubiera
y me traen por los cabellos
a Isabel María Contreras
Mi catirita llanera
Isabel María Contreras

雲上の灰鷹よ
いっそ羽目をはずしちまえ
髪を鷲掴みにして連れて来い
イサベル・マリア・コントレラスを
愛しい平原の金髪娘
イサベル・マリア・コントレラス

Carretera, remonta la cordillera
antes de que me convierta
en tolvanera, en tolvanera

街道よ、山並を駆け上がれ
俺が姿を変える前に
つむじ風に、つむじ風に

1971年録音 オリジナル音源
https://www.youtube.com/watch?v=hTFPz1iF0_0

オンダヌエバの代表的作品。ボサノバでいえば「イパネマの娘」に匹敵する定番曲。物語は、アルデマロ・ロメロの実体験にもとづく、フィクションだ。その実体験とは?
「ベネズエラ民衆文化の父」として慕われたシモン・ディアス。今年3月に亡くなったばかりだが、シモンとアルデマロは、信頼しあう友人同士だったという。1950年代、ベネズエラ音楽業界ならびにテレビ・ラジオ業界草創期から、ふたりは欠くべからざるタレントとして、活躍してきた。
日本の放送芸能業界にたとえるなら、コミカルなマルチタレント、歌よし、トークよし、演技よしという意味では、シモン・ディアスは黒柳徹子のような存在だったといえるかもしれない。「田舎出身」キャラという点では、三橋美智也的要素も包含する。ジャズをベースにした都会風の放送音楽を、作詞作曲ともに手がけたアルデマロ・ロメロは、さしづめ永六輔・中村八大コンビといったことろか。
放送音楽業界草創期から活躍する両巨頭が、1960年台の末、旅に出る。ベネズエラの伝統音楽ホローポをベースに、ジャズとボサノバの要素を融合した新スタイル、オンダヌエバを発表していたアルデマロ。彼を、シモン・ディアスは、自身の故郷でありホローポの本場である平原地方に誘いだしたのだ。都会っ子のアルデマロは、平原の奥地に足を伸ばしたことが、それまでなかった。
果てしない大地、大河、木陰、草花、野生動物たち、生身の牧童、はるかなアンデスの山並み、、、この旅の体験は、アルデマロの心を揺さぶった。「街道よ」は、この時の旅の体験と、シモン・ディアスの友情に捧げれれた曲なのだ。
曲の設定は「親愛なる友」との思い出でなく、架空の平原娘イサベル・マリアへの疾る思いに置き換えられてはいるが、、、
「だって、そのほうがキレイだろう?」
巨匠ふたりの高笑いが聞こえてきそうだ。
posted by eLPop at 22:30 | 石橋純の熱帯秘法館

来日中《トリオ・アルデマロ・ロメロ》で聴く アルデマロ・ロメロの世界

 20世紀初頭。ベネズエラはコーヒーとカカオの輸出に依存する国だった。小規模ながら都市文化も芽生えた熱帯の国に運命の転換が起こったのは1910年代末。油田が発見されたのだ。10年後、南米最北の農業国は、世界最大の石油輸出国に転換していた。以来、この国は、都市化を加速させていく。そんな時代、ベネズエラ第2の都市バレンシアに生まれたのが、アルデマロ・ロメロ(1928-2007)だ。石油ブームとともにベネズエラに生をうけた音楽家は、のちにベネズエラ・ポピュラー史上もっと多才な音楽家として、若くからその頭角を表していく。二十歳そこそこにしてベネズエラ初の、ボレロの国際的ヒットを作詞作曲する。50年代にはマンボブームのさなか、ニューヨークのラテンシーンで活躍する。
 60年代にはベネズエラ音楽の新スタイル、オンダヌエバを創唱する。クラシック音楽の分野でも大きな業績を残し、イージーリスニング史上でもセールス記録を打ち立てた。とらえどころのないほど多彩な巨匠アルデマロ・ロメロの業績は、同世代の日本人音楽家に例えるなら、冨田勲と松岡直也に中村八大&永六輔を統合したような存在といえるかもしれない。アルデマロ・ロメロの作品は、巨匠亡き後、ベネズエラのジャズ〜ポピュラー音楽シーンに大きな影響を与え続けている。むしろ死後、その評価は高まっているとさえ言える。
 そうした潮流を見越して、巨匠と長年共演したベテラン音楽家が、オンダヌエバを中心としたアルデマロ・ロメロ作品を、巨匠が愛したミニマム編成ピアノ、ベース、ドラムスで再現するために2013年に結成されたのが現在来日中の《トリオ・アルデマロ・ロメロ》だ。ベースのグスタボ・カルシとピアノのペドリート・ロペスは、長年巨匠の音楽行脚に同行した《助さん、格さん》コンビだ。アルデマロの盟友としてリズムを支えたもう一人の巨匠・故フランク《エル・パボ》エルナンデス(ドラムス&ティンバレス、1934〜2009年)の衣鉢を継いだのは、ドラマーのミゲル・デ=ビンセンソ。最終公演が14日金曜日と迫ったトリオの楽日には、若手女性シンガーのカルメラ・ラミレスが駆けつけ有終の美をかざる。

その略歴
 アルデマロ・ロメロはダンスバンドのリーダー/オーナーだった父のもとで幼少期から音楽活動を開始。マンボブーム前夜、弱冠20歳で首都カラカスの一番人気楽団《ルイス・ララインと彼のオルケスタ》のアレンジャー兼ピアニストなり、放送・舞台・ナイトスポットで演奏経験を重ねる。1950年代、マンボとアフロ・キューバン・ジャズの時代がやってくると、たびたびニューヨークに渡航、《アル・ロメロ・クインテット》率いて活動。ピアニスト、アレンジャーとして、スタン・ケントン、マチートなどジャズとラテンの巨匠達と共演。並行して当時勃興しつつあったイージーリスニング市場をねらったプロジェクトにより、RCAビクターの契約を獲得。ラテンアメリカ各国のポピュラースタンダード楽曲を自らの編曲・指揮で録音。20代にして国際的大成功を収める。のちに自身のラテン・ビッグバンドを組んで、数多くのマンボ、チャチャチャ、ボレロの楽曲を手がけ、北米〜カリブ海各国をツアー。ベニー・モレー、トニャ・ラ・ネグラなど、国際的な歌手たちに作品を提供した。
 1960年代には活動拠点をカラカスに戻し、テレビを中心とする草創期のベネズラ芸能界・音楽業界で作・編曲、音楽プロデュース、パーソナリティとして活躍。ベネズエラ音楽の新フォーマット「オンダヌエバ」を提唱・推進したのは60年中頃から約10年間だ。楽団《アルデマロ・ロメロと彼のオンダヌエバ》を率いて精力的に活動し、米国、欧州でもアルバムをリリース(US盤ではチャーリー・バードと共演)。これら国際盤は日本でもたびたびリリースされている。
 70年代後半からは、クラシック音楽に傾倒。75年から77年にかけてロンドンに滞在。ロンドン交響楽団を指揮し、自作曲「シモン・ボリバルに捧げるオラトリオ」を録音。79年にはカラカスフィルハーモニー管弦楽団ならびに付属音楽学校を設立。83年に解散するまで活動する。90年代から21世紀にかけては、みずから創立したレコード会社SUPRABOXを拠点に、自作曲の再版・再録音、トレンドは無縁の新録を進めるなど、悠々自適の「趣味的」創作ならびに「文化人」としての活動に従事していた。文化セレブのお決まりとして、議員活動を務めたこともある。

オンダヌエバとは?
 ポピュラー音楽のスタイルを革新したという意味においては、アルデマロ・ロメロはアストル・ピアソラやジョアン・ジルベルトあるいはパコ・デ・ルシアに比べられてもよい存在だ。アルデマロ・ロメロが提唱した新しいベネズエラ音楽のスタイル「オンダヌエバ」は「ボサノヴァに対するベネズエラからの回答」とも言われ、現代ベネズエラ音楽ならびにベネズエラにおけるジャズに多大な影響を与え続けている。
 オンダヌエバとは、ベネズエラの国民音楽と呼ばれるホローポに、アフロ・カリビアン音楽流のスウィング感(2小節一巡のシンコペーション)と様式美(テーマ、マンボ、モントゥーノ)を加え、そこにジャズのハーモニーを組み込む試みである。元来、4分の3拍子と8分の6拍子が同時進行する複雑精緻なホローポのリズムに、「スウィング感」を付加することは容易ではない。そこには、長年にわたりベネズエラ民衆音楽とラテン・ジャズの両方に向き合きあってきたアルデマロならではの探究心と発想が込められている。グアコに代表される、1970年代以降のガイタの革新は、まずオンダヌエバの手法に啓発され、それを触媒としてサルサと接合したと言われる。じっさい初期からアルデマロはガイタのオンダヌエバ化も試みている。
 スウィングル・シンガーズを思わせるユーロ・ジャズ風のスキャット・コーラスと、初期セルジオ・メンデスを彷彿とさせるラテン・ジャズ・トリオの軽快なグルーブが融合したオンダヌエバの諸作品は、ベネズエラ発の「レアなボサノヴァ」として、21世紀日本のクラブシーンからも「発見・注目」されたことがある。
 オンダヌエバのほか、ベネズエラ伝統音楽であるバルスやメレンゲ、そしてマンボ、チャチャチャ、ボレロのジャンルでも多くの楽曲を残し、ロマンティシズムと軽妙洒脱なセンスにあふれる詞を書いたアルデマロ・ロメロ。ベネズエラ・ポピュラー音楽に携わる者にとって、アルデマロ作品は尽きせぬ創意の源泉である。2007年他界した後もその楽曲群はますます評価が高まっている。

触発される後継世代
 現代のベネズエラ人アーティストとしては、ジャズ・シンガーのマリア・リーバスが、25年来アルデマロ作品を歌い継いできた第一人者だ。近年ベネズエラのスタンダード・カバー・アルバムが人気のシンガーソングライター、イラン・チェスターも2002年に全曲アルデマロ作品の《イラン、オンダヌエバを歌う》を発表している。アンサンブル・グルフィーオもアルデマロのバルスを録音しているが、そのクアトロ奏者のチェオ・ウルタードは2008年にソロ歌手デビューし、ボレロ、チャチャチャ、マンボなどアルバム15曲中7曲をアルデマロ作品で飾っている。フルート奏者ウァスカル・バラーダスは、アルバム《カンデラ》に、オンダヌエバの盟友パボ・フランクをゲストに迎え、アルデマロ・メドレー「アルデ・パボ」を収録した。たびたび来日している歌手・クアトロ奏者のラファエル《ポジョ》ブリートも、ラテン・ジャズユニット《BAKトリオ》の一員として、また若手クアトロ3重奏《C4トリオ》との共演でアルデマロ作品を録音している。
 巨匠の最晩年から没後に起こった「ブーム」を見据えつつ、アルデマロ・ロマロと長年共演してきたベテラン音楽家たちが満を持して結成に至ったのが、巨匠の名を冠したユニット《トリオ・アルデマロ・ロメロ》なのだ。ピアノ、ドラムス、ベースに女性ボーカルという、アルデマロ・ロメロが初期から採用した最小編成で聴くオンダヌエバ。そのミュージシャンシップあふれるライブ・パフォーマンスは、70年代音源に聴く「キッチュなボサノヴァ」という印象を一新することだろう。カリブの都市ならではの軽妙にして奥深い大人のラテン・ジャズのエッセンスが、日本のリスナーを魅了するに違いない。
 11月14日、ブルーノート東京、お聴き逃しなく!

オンダヌエバとして初めて録音された記念曲「エル・アラグイータ」来日中のトリオのライブ映像で。
https://www.youtube.com/watch?v=h5TAKEGfi0w&feature=share

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