今年、自分が新しく出会ってうぉぉぉと思った作品は、必ずしも新曲というわけではないが印象的な曲をあげたい。
今年前半のラテン音楽最新地図ではアフロペルー音楽をめぐる曲をご紹介したが、その時にも紹介させていただいたチンチャのアフロ音楽を牽引するバルンブロシオ・ファミリーのミゲルによるケチュア語とスペイン語で歌われた曲。最新ラテン音楽地図のイベントでは紹介したが、Web上では未だ紹介していなかったのでこの機会に紹介しておきたい。
ペルー南部沿岸地域に位置するチンチャのエル・カルメンは「アフロペルー音楽の聖地」化によって観光を推進している地域だが、歴史的には、むしろアフロ系とアンデス系の交流こそがこの地域が持っていた魅力である。カホンを叩きフェステホを踊るアフロの聖地のイメージが近年の創られた伝統であることを考えれば、アンデスとの連続性の中にこそ、本来の彼らのルーツがある。そうした歴史的文脈をきちんと踏まえて作られたのがこの「ヤナ・ルナ(黒い人)」だ。タイトルはケチュア語。
Miguel Ballumbrosio "Yana Luna" (Peru)2013
https://www.youtube.com/watch?v=aujZZcJcDXw
また、2024年水口はラテンアメリカのフェミニズムの国際シンポジウムを企画・開催し、現在その成果をもとにブックレットを鋭意準備中なのだが、その中にラテンアメリカのフェミニズム歌謡についての資料を掲載するために伊藤さんの協力を得ながら準備をしている。その中で出会った曲で私の心を撃ち抜いたのが次の曲であった。
それはチリの貧民街で生まれ、幼少期に父が目の前で焼身自殺しようとした経験を持つ女性ラッパー、フロール・デ・ラップ(本名:アンヘラ・ルセーロ・アレイテ)の曲だ。新自由主義が支配するチリにおいて、スラムに生まれ育つということは、犯罪、売春、ドラッグ、DVといったものから距離を取ることが難しい環境がある。
その中で女性として生まれるということは、それだけで社会の歪みを一身に受けて成長することとなる。ただ、幸せになりたいという願いが踏みにじられながら、家にも、学校にも、路上にも居場所を見つけられない女性たち、若くして妊娠し、シングルマザーとしてたくましくなるほか生き残るすべがない女性たちの生を、下から来て上を目指す一人の人間の叫びとして描き出したこのラップは聴く度に心にずんと来る重たい、そして激しい感情を呼び覚ます曲である。
連呼される「Vamos para arriba, porque venimos de abajo(私たちは上へと行く。なぜなら私たちは下から来たのだから)」という言葉の力強さと切実さが、私たちに格差を見てみぬふりをして、その収奪の上の繁栄を享受することを問うまなざしを、きちんと受け止め考えることを突きつける。
私たち一人一人が、こうした音楽を「消費」するのではなく、他者を踏みつけにして成立する社会の歪な暴力性をどう解消していくかこそがより良い社会の在り方へとつながっているのかということに向かい合うことで応えていくことが必要なのだと改めて思う。
Flor de Rap "Inmarchitable" (Chile)2019
https://www.youtube.com/watch?v=dawCDu2lQTg
そしてこの年末に、今をときめくラテンアメリカ映画の若手牽引役として七面六臂の大活躍をしている新谷和輝さんが上映権を購入し、4回限定で上映したアルゼンチン映画「トレンケ・ラウケン」を視聴したので紹介したい(まさかの満員御礼で初日は劇場まで行ったにもかかわらず満席で見ることが出来なかった)。
第1部、第2部あわせて4時間以上の大長編を一気に視聴したのであるが、わずか4日限定の映画が二日目は午前10時すぎにはもうほぼ完売という状況(上映開始は17時40分)に驚愕し、どういう人が来ているのかと不思議に思ったものだ。そして、改めてその盛況ぶりに映画の可能性を感じもした(ラテン音楽もそれぐらいの活況を取り戻していかねばとも思う)。
映画は、失踪した植物学者ラウラを探しに来たブエノスアイレスの恋人ラファエルと、田舎町トレンケ・ラウケンで彼女の運転手をしていたチーチョの探索行から始まる。
パラレルな失踪、秘密の手紙、湖で発見された謎の生き物、妊娠している女性たち、ラジオパーソナリティ、謎の花、女性医、クィアなカップル、ガウチョ(アルゼンチンのカウボーイ)とさまざまな要素が絡まりあうが、何より物語の筋書きが、聴衆の予想を裏切ってどんどんとメタモルフォーゼしていくところがなんとも言えない魅力となっている(同時に役者の演技がピカイチなのである)。
曇り空、疲れた顔の中年男女、田舎町、とカタルシスのない一見地味に見えるこの映画であるが、その予想を裏切りながら展開していく物語に、気がつけばすっかり引き込まれている。
そしてこの映画の特徴は、人の想像力によって紡がれる作品であるというところだ。真実を語るのではなく、真実を考えながら想像でそれぞれが物語を紡いでいく。その創造/想像が生み出すリアルを超えて解釈される現実というものを提示していく。
監督がインタビューで、夢を分析しリアルな何かに結びつけて具体化していくことで失われるものについて考える必要性、という視点を語るが、まさにその思想に基づいてさまざまな謎や伝聞が、リアルがどうであるのか、その真実を告げられぬままに提示され、投げかけられ、回収されない。
しかし、それこそがこの物語を別の次元からリアルにしている側面でもある。伏線回収される物語の整えられた虚構性を蹴っ飛ばすかのように、不確かで分からない中を想像しながら解釈していくリアルを、この映画は聴衆に投げかけていく。
また、上映後のトーク(2日目)でも語られていたように、ストーリーテーラーが第1部と第2部でスイッチすることで立ち現れる視線も切り替わっていくところも見事だ。男性目線で描かれる第1部に対し、女性目線で女性たちを描く第2部に入った途端、物語は全く別の展開へと進展していく。
男が女性に期待し背負わせるまなざしをすり抜けていく女性たちの物語として、「トレンケ・ラウケン」は、失踪はもしかして解放としての側面もあったのではないかと問いかけるように描かれているのかも知れないと、見終わった後に感じる、そういう映画でもある。
このたびは4日限定の上映であったが、もしかしたら今後別の機会で上映されることもあるかもしれない(おそらくそういう機会を作りたいと思っているのではないかと思う)。なので、ぜひ機会があれば、この不思議できっと見る度に違う発見がある豊かな映画を、ぜひ多くの人に見て欲しいと思う。(個人的にはその時には予告編も見ずに前情報なしに見て欲しい)
トレンケ・ラウケン予告編(英語字幕)
https://www.youtube.com/watch?v=CJEvAlSigCw
また、この映画を製作しているエル・パンペロ・シネという映画制作コレクティボも興味深い。協働による制作という手法は個人的にはグルーポ・ウカマウを思い出すし、私の友人である岡山で「地産地生」映画として地元の人と地元を描く映画を作り続けている山崎樹一郎監督などを思い出したりもするが、この映画も6年の歳月をかけ、主演女優と監督(ふたりのラウラ!)によってシナリオが作られ、トレンケ・ラウケンの町の人々の協力を得ながら作られたインディペンデント映画という意味でも本当に興味深い。
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ペルーにおける詩と音楽〜吟遊詩人の世界
2024.12.04
ラテンアメリカのそうそうたるトロバドールの世界の中で、ペルーは非常にマイナーな国である。しかし、では吟遊詩人は存在しないのかといえば、そんなことはない。ペルーはペルーで非常に多様な吟遊詩人世界を持っている社会でもある。
吟遊詩人の定義は諸説あるが、国立民族学博物館で現在開催されている特別展「吟遊詩人の世界」展では、吟遊詩人を、王家の系譜や英雄譚を語り継ぐ語り部、戦場で兵士を鼓舞する楽師、社会批評家、宴席に哄笑の渦をまき起こすコメディアン、庶民の意見の代弁者、中央のニュースを地方に伝えるメディア、儀礼の進行を担う司会者、五穀豊穣を祈願する門付芸人、また、霊的な世界と交流する職能者、ヒップホップなどのラッパーまでをを含めている。
一般にラテンアメリカで吟遊詩人という時にイメージされるものは、韻を踏んだ四行詩や十行詩の即興の歌や歌試合、ニュース歌謡などがイメージされるが、民博の定義であると物語歌だけでなく、神々と交歓するシャーマンの儀礼歌なども吟遊詩人の範疇に入ることになる。そうなると途端にアンデスやアマゾンのさまざまな儀礼歌が吟遊詩人の範疇に入ってくることになるが、ここではアマゾン地域でアヤワスカ儀礼の際に歌われるイカロという歌があり、それをうたうシャーマンたちが居ることを紹介するにとどめたい。
Sigo Siendo - Icaros amazónicos
吟遊詩人の定義は諸説あるが、国立民族学博物館で現在開催されている特別展「吟遊詩人の世界」展では、吟遊詩人を、王家の系譜や英雄譚を語り継ぐ語り部、戦場で兵士を鼓舞する楽師、社会批評家、宴席に哄笑の渦をまき起こすコメディアン、庶民の意見の代弁者、中央のニュースを地方に伝えるメディア、儀礼の進行を担う司会者、五穀豊穣を祈願する門付芸人、また、霊的な世界と交流する職能者、ヒップホップなどのラッパーまでをを含めている。
一般にラテンアメリカで吟遊詩人という時にイメージされるものは、韻を踏んだ四行詩や十行詩の即興の歌や歌試合、ニュース歌謡などがイメージされるが、民博の定義であると物語歌だけでなく、神々と交歓するシャーマンの儀礼歌なども吟遊詩人の範疇に入ることになる。そうなると途端にアンデスやアマゾンのさまざまな儀礼歌が吟遊詩人の範疇に入ってくることになるが、ここではアマゾン地域でアヤワスカ儀礼の際に歌われるイカロという歌があり、それをうたうシャーマンたちが居ることを紹介するにとどめたい。
Sigo Siendo - Icaros amazónicos
posted by eLPop at 21:57
| 水口良樹のペルー四方山がたり
ペルー映画『革命する大地』とベラスコ時代から考える
2024.05.20
2023年の第2回ペルー映画祭で上映され、現在全国で順次上映されている『革命する大地』がなかなか刺激的なドキュメンタリー映画となっている。GW最終日に2回目を見て、レビューを書こうと思いつつ、仕事に追われてこんなに遅くなってしまった。まだ未見の方、ぜひ見に行って欲しい作品です。
原題「革命と土地」と名付けられたこの映画は、ペルーで68年から始まったベラスコ軍事政権の再評価を迫るドキュメンタリー映画だ。ラテンアメリカ、しかも60年代末〜80年代ということをになると、ラテンアメリカ・リテラシーのある人は、CIAのコンドル作戦に基づく米国主導の反共軍事クーデターとその後のお決まりの虐殺、そして新自由主義の強制導入をイメージする人も多いだろう。しかし、実はペルーはこの時代、まったく逆の路線を突っ走っていた。この軍事政権は「左派」であり、「革命政府」を名乗っていた軍事政権であった。
予告編 『革命する大地』
この映画の非常に面白いところは、単なる政治的タブーとされた一時代を掘り起こし再評価する、という以上に、映画の中で大量のペルー映画を引用し、ノンフィクションとフィクション、インタビューが並列して語られる所である。ノンフィクションは「事実」を監督の思想に基づいてくみ上げながら語り直される物語だとすれば、そこに含まれる多数のインタビューや物語映画の引用は、この映画の中で多声性を獲得しつつ、再び監督の物語の中に回収されていくという独特な手法となっている。さらに、監督曰く、ペルーで作られた映画の90%はすでに失われてしまってアクセス不能となっている、ということを鑑みれば、この作品の中で過去のペルー映画を引用することは、ペルーという国の歴史と映画史をベラスコ時代の「文化革命」を再考するためのツールとして掘り起こすと同時に、ラテンアメリカ映画の中でもマイナーな国と見なされるペルーでこれまで試みられてきたさまざまな映画を通した表現の闘争をも評価していくことを見る者に求めるものになっていると言えるだろう。
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原題「革命と土地」と名付けられたこの映画は、ペルーで68年から始まったベラスコ軍事政権の再評価を迫るドキュメンタリー映画だ。ラテンアメリカ、しかも60年代末〜80年代ということをになると、ラテンアメリカ・リテラシーのある人は、CIAのコンドル作戦に基づく米国主導の反共軍事クーデターとその後のお決まりの虐殺、そして新自由主義の強制導入をイメージする人も多いだろう。しかし、実はペルーはこの時代、まったく逆の路線を突っ走っていた。この軍事政権は「左派」であり、「革命政府」を名乗っていた軍事政権であった。
予告編 『革命する大地』
この映画の非常に面白いところは、単なる政治的タブーとされた一時代を掘り起こし再評価する、という以上に、映画の中で大量のペルー映画を引用し、ノンフィクションとフィクション、インタビューが並列して語られる所である。ノンフィクションは「事実」を監督の思想に基づいてくみ上げながら語り直される物語だとすれば、そこに含まれる多数のインタビューや物語映画の引用は、この映画の中で多声性を獲得しつつ、再び監督の物語の中に回収されていくという独特な手法となっている。さらに、監督曰く、ペルーで作られた映画の90%はすでに失われてしまってアクセス不能となっている、ということを鑑みれば、この作品の中で過去のペルー映画を引用することは、ペルーという国の歴史と映画史をベラスコ時代の「文化革命」を再考するためのツールとして掘り起こすと同時に、ラテンアメリカ映画の中でもマイナーな国と見なされるペルーでこれまで試みられてきたさまざまな映画を通した表現の闘争をも評価していくことを見る者に求めるものになっていると言えるだろう。
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posted by eLPop at 00:32
| 水口良樹のペルー四方山がたり
カテドラル・デル・クリオジスモ
2024.02.27
2020年のコロナ以来ようやくのペルー再訪で、久しぶりにバリオのムシカ・クリオージャに浸っている。社会文化音楽センターでのムシカ・クリオージャのペーニャと並び、このカテドラル・デル・クリオジスモはそうしたバリオのムシカ・クリオージャのさまざまな実践の中でも、もっとも重要な実践の一つであると言えるだろう。
今回は到着早々に参加した時に、私が大好きなバルス「Julia」をエンリケ・モリーナが歌ったビデオを紹介したい。とにかく私にとっては骨抜きになるほどメロメロになる曲だ。
Enrique Molina "Julia" (vals) La Catedral del Criollismo
https://www.youtube.com/watch?v=gIbw3_CWFLU
日本で手に入るCDだと、ギターのレンソ・ヒルが仲間のバリオ歌手たちと作った「オフレンダ・マエストラ」にこのエンリケ・モリーナの歌で入っているのが聴ける。ぜひゲットしてそちらも聴いてみてほしい。
もう1曲、今年80歳となるヤヨ・ロドリゲスが歌った古いバルスの一曲も。「Idilio」という恋の歌だが、バルスとしてはどんどんと変化していく曲の展開が特徴的な一曲でもある。
もう年でギターを弾くのもしんどいと言いながら素晴らしい歌とギターを聴かせてくれた。
Eduardo “Yayo” Rodríguez "Idilio" (vals) La Catedral del Criollismo
https://www.youtube.com/watch?v=0Blc-30A5NQ
こちの曲は2016年のカテドラル・デル・クリオジスモの記念CDに収録されているが、市販されていないのでなかなか聴くのは難しいのではないかと思われる。
社会文化音楽センターのペーニャだと例外なくマイクが入るが、カテドラルはギターの生音で演奏するのが本当に素晴らしい(そしてそれは狭い部屋に車座になって座ることで成立するため、参加可能人数が限られる)。これは主催のウェンドル・サルガードのパーティ音楽に対する一つのこだわりでもある。彼も82歳を超えて、以前のように3時間弾き続けることが難しくなった。それでも出来うるかぎり毎週この場を開き続けている。暴走しがちな若手中堅も含めて、老若男女がこうして集い、歌い、笑いながらクリオジスモを体現していく場を彼らはさまざまな形で続けていくのだろうと思う。
⇒目次に戻る
今回は到着早々に参加した時に、私が大好きなバルス「Julia」をエンリケ・モリーナが歌ったビデオを紹介したい。とにかく私にとっては骨抜きになるほどメロメロになる曲だ。
Enrique Molina "Julia" (vals) La Catedral del Criollismo
https://www.youtube.com/watch?v=gIbw3_CWFLU
日本で手に入るCDだと、ギターのレンソ・ヒルが仲間のバリオ歌手たちと作った「オフレンダ・マエストラ」にこのエンリケ・モリーナの歌で入っているのが聴ける。ぜひゲットしてそちらも聴いてみてほしい。
もう1曲、今年80歳となるヤヨ・ロドリゲスが歌った古いバルスの一曲も。「Idilio」という恋の歌だが、バルスとしてはどんどんと変化していく曲の展開が特徴的な一曲でもある。
もう年でギターを弾くのもしんどいと言いながら素晴らしい歌とギターを聴かせてくれた。
Eduardo “Yayo” Rodríguez "Idilio" (vals) La Catedral del Criollismo
https://www.youtube.com/watch?v=0Blc-30A5NQ
こちの曲は2016年のカテドラル・デル・クリオジスモの記念CDに収録されているが、市販されていないのでなかなか聴くのは難しいのではないかと思われる。
社会文化音楽センターのペーニャだと例外なくマイクが入るが、カテドラルはギターの生音で演奏するのが本当に素晴らしい(そしてそれは狭い部屋に車座になって座ることで成立するため、参加可能人数が限られる)。これは主催のウェンドル・サルガードのパーティ音楽に対する一つのこだわりでもある。彼も82歳を超えて、以前のように3時間弾き続けることが難しくなった。それでも出来うるかぎり毎週この場を開き続けている。暴走しがちな若手中堅も含めて、老若男女がこうして集い、歌い、笑いながらクリオジスモを体現していく場を彼らはさまざまな形で続けていくのだろうと思う。
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posted by eLPop at 22:36
| 水口良樹のペルー四方山がたり
eLPop今年のお気に入り『COQUITA / CHAPIMARCA』
2023.12.30
◆水口良樹(ペルー四方山語り)『COQUITA | CHAPIMARCA』
https://youtu.be/3KlmBYJ50Lo?si=ErH2d3WdjAn7UH7Z
今年最後のご紹介は、ペルーの伝統的なワイノを一曲ご紹介したいと思います。
ペルーのアンデス地域に今も息づくカウボーイ文化といえばクスコ県のチュンビビルカが有名ですが、隣接するアプリマック県のチャピマルカの伝説のトリオとも言われたビクトル・カイトゥイロ・リベロらによるトリオ・チャピマルカの孫たちが中心となって活動しているコンフント・チャピマルカの新曲「コキータ(コカの葉)」を。4K映像でアンデスのカウボーイの雄姿とワイノに酔いしれる一曲となっている。
チャピマルカの音楽ファミリー、カイトゥイロ家によるこのバンドは、祖父であるビクトルが故郷チャピマルカの名前を継いでほしいという願いを受けてバンド名にこの名前を採用したとボーカルのアラセリーは語っている。2019年に活動を開始したということでこれからが楽しみなコンフントでもある。
⇒特集「eLPop今年のお気に入り!2023年」メインに戻る
https://youtu.be/3KlmBYJ50Lo?si=ErH2d3WdjAn7UH7Z
今年最後のご紹介は、ペルーの伝統的なワイノを一曲ご紹介したいと思います。
ペルーのアンデス地域に今も息づくカウボーイ文化といえばクスコ県のチュンビビルカが有名ですが、隣接するアプリマック県のチャピマルカの伝説のトリオとも言われたビクトル・カイトゥイロ・リベロらによるトリオ・チャピマルカの孫たちが中心となって活動しているコンフント・チャピマルカの新曲「コキータ(コカの葉)」を。4K映像でアンデスのカウボーイの雄姿とワイノに酔いしれる一曲となっている。
チャピマルカの音楽ファミリー、カイトゥイロ家によるこのバンドは、祖父であるビクトルが故郷チャピマルカの名前を継いでほしいという願いを受けてバンド名にこの名前を採用したとボーカルのアラセリーは語っている。2019年に活動を開始したということでこれからが楽しみなコンフントでもある。
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posted by eLPop at 19:36
| 水口良樹のペルー四方山がたり