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ペルー映画『革命する大地』とベラスコ時代から考える

2024.05.20

 2023年の第2回ペルー映画祭で上映され、現在全国で順次上映されている『革命する大地』がなかなか刺激的なドキュメンタリー映画となっている。GW最終日に2回目を見て、レビューを書こうと思いつつ、仕事に追われてこんなに遅くなってしまった。まだ未見の方、ぜひ見に行って欲しい作品です。

 原題「革命と土地」と名付けられたこの映画は、ペルーで68年から始まったベラスコ軍事政権の再評価を迫るドキュメンタリー映画だ。ラテンアメリカ、しかも60年代末〜80年代ということをになると、ラテンアメリカ・リテラシーのある人は、CIAのコンドル作戦に基づく米国主導の反共軍事クーデターとその後のお決まりの虐殺、そして新自由主義の強制導入をイメージする人も多いだろう。しかし、実はペルーはこの時代、まったく逆の路線を突っ走っていた。この軍事政権は「左派」であり、「革命政府」を名乗っていた軍事政権であった。


予告編 『革命する大地』

 この映画の非常に面白いところは、単なる政治的タブーとされた一時代を掘り起こし再評価する、という以上に、映画の中で大量のペルー映画を引用し、ノンフィクションとフィクション、インタビューが並列して語られる所である。ノンフィクションは「事実」を監督の思想に基づいてくみ上げながら語り直される物語だとすれば、そこに含まれる多数のインタビューや物語映画の引用は、この映画の中で多声性を獲得しつつ、再び監督の物語の中に回収されていくという独特な手法となっている。さらに、監督曰く、ペルーで作られた映画の90%はすでに失われてしまってアクセス不能となっている、ということを鑑みれば、この作品の中で過去のペルー映画を引用することは、ペルーという国の歴史と映画史をベラスコ時代の「文化革命」を再考するためのツールとして掘り起こすと同時に、ラテンアメリカ映画の中でもマイナーな国と見なされるペルーでこれまで試みられてきたさまざまな映画を通した表現の闘争をも評価していくことを見る者に求めるものになっていると言えるだろう。
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posted by eLPop at 00:32 | 水口良樹のペルー四方山がたり

カテドラル・デル・クリオジスモ

2024.02.27

2020年のコロナ以来ようやくのペルー再訪で、久しぶりにバリオのムシカ・クリオージャに浸っている。社会文化音楽センターでのムシカ・クリオージャのペーニャと並び、このカテドラル・デル・クリオジスモはそうしたバリオのムシカ・クリオージャのさまざまな実践の中でも、もっとも重要な実践の一つであると言えるだろう。

今回は到着早々に参加した時に、私が大好きなバルス「Julia」をエンリケ・モリーナが歌ったビデオを紹介したい。とにかく私にとっては骨抜きになるほどメロメロになる曲だ。

Enrique Molina "Julia" (vals) La Catedral del Criollismo

https://www.youtube.com/watch?v=gIbw3_CWFLU

日本で手に入るCDだと、ギターのレンソ・ヒルが仲間のバリオ歌手たちと作った「オフレンダ・マエストラ」にこのエンリケ・モリーナの歌で入っているのが聴ける。ぜひゲットしてそちらも聴いてみてほしい。

もう1曲、今年80歳となるヤヨ・ロドリゲスが歌った古いバルスの一曲も。「Idilio」という恋の歌だが、バルスとしてはどんどんと変化していく曲の展開が特徴的な一曲でもある。

もう年でギターを弾くのもしんどいと言いながら素晴らしい歌とギターを聴かせてくれた。

Eduardo “Yayo” Rodríguez "Idilio" (vals) La Catedral del Criollismo

https://www.youtube.com/watch?v=0Blc-30A5NQ

こちの曲は2016年のカテドラル・デル・クリオジスモの記念CDに収録されているが、市販されていないのでなかなか聴くのは難しいのではないかと思われる。

社会文化音楽センターのペーニャだと例外なくマイクが入るが、カテドラルはギターの生音で演奏するのが本当に素晴らしい(そしてそれは狭い部屋に車座になって座ることで成立するため、参加可能人数が限られる)。これは主催のウェンドル・サルガードのパーティ音楽に対する一つのこだわりでもある。彼も82歳を超えて、以前のように3時間弾き続けることが難しくなった。それでも出来うるかぎり毎週この場を開き続けている。暴走しがちな若手中堅も含めて、老若男女がこうして集い、歌い、笑いながらクリオジスモを体現していく場を彼らはさまざまな形で続けていくのだろうと思う。

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posted by eLPop at 22:36 | 水口良樹のペルー四方山がたり

eLPop今年のお気に入り『COQUITA / CHAPIMARCA』

2023.12.30

◆水口良樹(ペルー四方山語り)『COQUITA | CHAPIMARCA』


https://youtu.be/3KlmBYJ50Lo?si=ErH2d3WdjAn7UH7Z

今年最後のご紹介は、ペルーの伝統的なワイノを一曲ご紹介したいと思います。

ペルーのアンデス地域に今も息づくカウボーイ文化といえばクスコ県のチュンビビルカが有名ですが、隣接するアプリマック県のチャピマルカの伝説のトリオとも言われたビクトル・カイトゥイロ・リベロらによるトリオ・チャピマルカの孫たちが中心となって活動しているコンフント・チャピマルカの新曲「コキータ(コカの葉)」を。4K映像でアンデスのカウボーイの雄姿とワイノに酔いしれる一曲となっている。

チャピマルカの音楽ファミリー、カイトゥイロ家によるこのバンドは、祖父であるビクトルが故郷チャピマルカの名前を継いでほしいという願いを受けてバンド名にこの名前を採用したとボーカルのアラセリーは語っている。2019年に活動を開始したということでこれからが楽しみなコンフントでもある。

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posted by eLPop at 19:36 | 水口良樹のペルー四方山がたり

現代アンデス音楽の潮流

2023.10.25

コロナ前に始めた「eLPopがガイドするラテン音楽最新地図」の第3回を数年ぶりに開催することができた。今回も非常に盛りだくさんで刺激的な内容であった。

 というわけで、今月は私の紹介したペルーの曲を改めてこちらの方でもつまびらいてみたい。

 ペルーのアンデス音楽といえば、ワイノが何と言っても重要な中心をなしており、その周辺にさまざまな民衆音楽や祭礼音楽がひしめいている。それらは都市的なもの、農村的なもの、現代的なグローバリゼーションの流れを積極的に受け入れているもの、復古主義的な志向でむしろ伝統をより強固に「創造」していこうとするものなどさまざまである。

 ペルーのアンデス音楽は、まず20年代にインカ音楽の名で都市で再編される際にジャズを取り込んだものが創作されそれが地方へと伝播した。50年代には地方の音楽がラジオやレコードを通してリマを含む大都市の民衆音楽へと脱皮し、町や村の音楽としてだけではなく「ペルーアンデス」をつなぐ音楽としても大きく変化した(そしてそれは同時に「地方の発見」でもあり、地域差を再創造していく営みへともつながっていった)。

 80年代から90年代からはロックとのフュージョンやアンデスクンビア「チチャ」などが萌芽し、エレキギターやドラムセットといった近代西洋的な楽器が一気にアンデス音楽に参入していった。またボリビア発の「フォルクローレ」がラテンアメリカ音楽という名称で人気を博したのもこの頃で、都市においてはペルーアンデス音楽のボリビア化も進んだ。

 こうした時代時代のさまざまな変化の中、アンデス音楽はその時代を生きる人々の世界との関わり方、眼差すものを反映させながら、自らの音楽を常に更新してきたが、2010年代(特に後半)ごろより、さらに大きな転換が起っているように思われる。それは先住民言語「ケチュア語の復権」が一つの大きな契機となっており、従来のワイノをベースに再構築される音楽という枠組みを通過しないアンデス的音楽の創造がここに来て一気に増えているように感じるところである。

さらに、もう一つ大きな特徴として、こうした新世代の活動は、社会運動を多かれ少なかれ意識し、時に強くコミットしながら展開されているという点にある。これまでに紹介してきたレナタ・フローレスやリベラト・カニ、ミレナ・ワルトンなども、構造的な差別や暴力、搾取といった問題、政治の腐敗、民主主義の防衛などに積極的に発言している。これは昨今混迷しているペルーの議会政治/政党政治への絶望と、それでもペルーは民主主義をあきらめずよりよい社会を作り出していくのだという意志を若い世代が強く維持していることを反映しているようにも思われる。

 というわけで、今回はそんな新しい現代アンデス音楽の潮流を簡単に概観してみたい。

 常に新しい時代のアンデス音楽は、ジャズであったりロックであったりクンビアであったりというようなそれぞれ同時代のグローバルな音楽の影響を受けながら作り出されてきた。そんなわけでおさらいの意味も込めて、いわゆるグローバルなポピュラー音楽とローカルな音楽がフュージョンされた20世紀末の音楽をまずは一曲見てみたい。

 トゥルマンジェ(Turmanye)はペルー北部アンデスに位置するアンカシュ県の学生たちが結成し、90年代に活躍したアンデスレゲエロックバンドだ。「ワイノ・モテ」や「リオ・サンタ(聖なる川)」、「カピタリーナ」などが代表曲であるが、ここで紹介する「ペルー・レゲエ」は80年代〜90年代のハイパーインフレと内戦でペルーが崩壊の危機にあった時代、海外にルートのある人がこそって国外脱出を目指した時代に作られた「異国に生きるペルー人」に向けられた曲である。

インカ帝国本来の名がタワンティンスーユ(四つの地方)であることから、キント・スーヨ(五番目の地域)とも呼ばれた「移民」として生きるペルー人たちに向けて歌われたこの曲は、異国のストリートで出会った二人のペルー人がふるさとの話をする中で、ペルーを代表する曲が順繰りに登場していくという仕掛けがちりばめられている。

なかばラップに近いような早口で歌われる歌の中からアンデス地域の「ピオピオ」や「太陽の乙女たち」、ムシカ・クリオージャからはチャブーカ・グランダの「フロール・デ・ラ・カネーラ(ニッケの花)」とふるさとへの望郷を歌った名曲「トードス・ブエルベン(みんな帰ってくる)」、そしてアフロペルー音楽の「トロ・マタ」などが流れ出してくる。それは、当時の感覚としてペルー的とまなざされたものがどのようなものであるか、ステレオタイプ的に表出しているともいえる(チチャはまだこのときは入っていない)。なんだかんだ言って私にとっても大好きな一曲である。

Turmanye "Peru reggae"

https://www.youtube.com/watch?v=B6VfpMj6Rm0

 こうした20世紀後半に盛り上がったフュージョンも、数多くの理不尽な現実を告発し、彼ら自身が今生きる社会をよりよくしてく声を内包するものが数多くあったが、現代においてもその基本的なスタンスは変わっていない。が、若者たちがケチュア語をより主体的に取り戻そうと流れが変わりつつある現在、その表現方法は以前とは少し変わっているようにも思われる。同時にこれまで以上に都市の若者たちは、ワイノを基軸にしていた時代のアンデスをイメージとして解体し、まったく異なるアプローチで再構築し始めたようにも思われる(もちろん、以前にもさまざまな試みがあったのでここまで書くとちょっと言い過ぎかもしれません)。

 では、改めて現在のケチュアラップの最前線を切り開いているレナタ・フローレスの歌を聴いてみたい。2023年は、アンデス民のディナ・ボルアルテ大統領への抗議から始まった。それはペルーにおける議会制民主主義システムへの絶望でもあった。「決して私たちを代表することがない議会」「決して私たちの声に向き合わない政府」という絶望は、社会を壊していく(振り返れば日本もまさにそのただなかにあり、全くもって人ごとではない)。

そんな中、アンデスの人々はそれでも声を上げた。弾圧され、多数の死者を出しながらもふざけるな、私たちの存在を受け入れ社会の一員とせよと声を上げた。そして多くの歌手たちがそこにコミットしたのは以前にもご紹介したが、この曲もそういった流れの中で生まれた一曲である。レナタ・フローレスは、「これは私の家族の物語でもある」と語る。内戦時の虐殺、そして今なおそれを認めようとしない軍、植民地時代から続くアンデス民に対する理不尽な暴力の経験を生きざるを得ない人々にとって、自分たちは油断するとすぐに利用されるだけ利用して捨てられる、人間ではない「何か」にされてしまう。だからこそ、私たちは同じ血が流れる人間であるとレナタは叫んでいる。

それは20世紀初頭にムシカ・クリオージャの吟遊詩人フェリペ・ピングロが上流階級と庶民を分け隔てる超えられない壁に向けて、神に投げかけた言葉と同じであるが(「エル・プレベジョ(庶民)」)、その悲壮さと絶望はさらに深いものとなっているのではないか。無力感に苛まれ、忘れることでやり過ごすのではなく、沈黙を破って、人間であるために声を上げ、他者の権利を平気で踏みにじる奴らと対峙していく必要があると、そして腐敗し私物化された政治をふたたび民衆の手に戻す真の民主化を達成することが必要なのだと歌い上げている。

Renata Flores "La America que se olvida"

https://www.youtube.com/watch?v=5jscaOFjSOw

 こうした非常に政治的な歌を紹介すると、じゃあ、そんな曲ばかりを若者たちは歌っているのかという印象を持ってしまってもいけないので敢えて書いておくが、もちろんそんなことはない。むしろ生きることのさまざまなテーマの中に、当然のように政治や人権、不正義との闘いも入っている、と捉えるのがよいかもしれない。だから当然のように、愛や恋、ふるさとや家族、日常のさまざまなことがその中では歌われている。

 次に紹介するのは、ケチュア語ではない先住民言語の曲として、アマゾン地域のアシャニンカ語とスペイン語のバイリンガルの曲だ。ナイシャは、おそらくアマゾンにルーツを持っていないと思われるので、彼女がアシャニンカ語で歌うことを選んだことは非常な驚きであった(アルバムには2曲収録されている。また、彼女はこれまでに手話をPVに一部取り入れた曲を発表するなどもしている)。

 彼女はもともとペルー沿岸部、アフロ系住民が多いカニェテで、幼少期から父親と二人で「インティ・イ・キジャ(太陽と月)」というデュオ名でボリビア・フォルクローレを演奏していた。ケーナからサンポーニャ、チャランゴ、ギターとマルチに演奏できるが、彼女がもっとも愛用しているのはチャランゴだ。ソロデビュー後は主にチャランゴを手にボリビアのカポラルからアフロペルー、ポップスまで特定のスタイルにとらわれずに活動を展開している。

 アシャニンカ語の曲が生まれたのは、どうやらコロナのパンデミックの期間、ペルー中部のフニン県アマゾン地域マサマリに住んでいたなかでの出会いによるようで、そこでアシャニンカのチヤリ共同体の協力のもと作品が作られたという。背景として若い世代が切実な問題として抱え持つ地球環境への関心とペルー国内の先住民の権利という問題が見て取れる。また、タイトルの訳が「もうたくさんだ!」であり、この文言を見て思い出さずにはいられないのは、チアパスのサパティスタの1994年蜂起の際のラカンドン密林宣言の言葉である。植民地主義と新自由主義、そして家父長制にNOを言うために立ち上がった先住民たちの思想と連帯を、アシャニンカの人々と共に作られたこの曲も受け継ごうとしているのではないだろうか(と想像せずにはいられない)。

 また彼女は、マチータ・ムヘール・カポラルと共にペルーのフェミサイド(女性憎悪殺人)が、いかに政治や法を握る人々の無作為によって野放しにされていることを告発する曲なども発表しており、ポップなスタイルを取りながらも自分たちの抱える問題をやり過ごすのではなく、変えていくためにコミットしていく姿勢を取っている。

Naysha "Aitanaji" (もうたくさんだ)アシャニンカ語

https://www.youtube.com/watch?v=Np2p1OsLeWs

Naysha y Machita Mujer Caporal "Baila conmigo"

https://www.youtube.com/watch?v=QrMWdR4HpVM

 続いて、アンデスの移動祭壇レタブロを模した新譜「Atipanakuy Deluxe」が2023年のラテングラミーの最優秀パッケージデザイン賞にノミネートされたルイス・ガビラン・アラルコンことカイフェックスを紹介したい。アヤクーチョ出身のカイフェックスはDJ兼プロデューサーとして活動しており、このアルバムは「はさみ踊り」を中心的テーマとし、コロナで亡くなったはさみ踊りのバイオリン奏者チェクチェに捧げられたアルバムでもある。生前彼と共に録音していた16曲がアルバムには収められており、ここでもケチュア語が中心的な言語として機能している。

 この「はさみ踊り」とは、アヤクーチョからワンカベリカ、そして古くはアプリマックなどの地方で踊られている憑依型の農耕儀礼に付随したトランスへと連なる舞踊だ。バイオリンとアルパ(アンデスハープ)の演奏に合わせて、はさみ状の鉄片をキンキンと絶えず打ち鳴らしながら、アクロバティックなサパテオ(ステップ)を二人のダンサー(ダンサックと呼ばれる)が交互に競い合うように舞い、次第に水の精霊(人魚)を憑依させるテンションへと高めていく。カトリックからは長らく悪魔の踊りと圧力を受けながらも生き延び、2010年にはユネスコの世界無形文化遺産に指定された。その結果、一転観光資源として大きく注目を浴び、今やアンデスのもっとも深遠な文化を象徴する存在として、多くの若手のダンサーたちがYouTubeなどを通じて踊りをコピーし、また都市のアンデス系音楽家たちもモチーフとしてこのはさみ踊りを取り入れている(代表的なものとしては、ケチュアロックの先駆けであったウチュパ、アンデスロックバンドのラ・サリータ、アンデスポップのダマリス、ケチュアラップのレナタ・フローレスやリベラト・カニなど)。

 また、この中ではカイフェックス自身だけではなく、女性歌手ダヤンがケチュア語でラップする曲なども収録されており、今やケチュア語ラップというジャンルが若者たちの中で非常に重要な表現のスタイルとして確立されつつあることを想像させる。

Kayfex "Zapateo"

https://www.youtube.com/watch?v=55Cs87pAGnE

Kayfex feat. Dayyam "Alto ensayo"

https://www.youtube.com/watch?v=G9Qe0gFY2wM

 そして最後に、Q-Popを名乗って活動しているレニン・タマーヨを紹介したい。この「Q」とはケチュア語をさし、この言葉の元となっているのは、いうまでもなくK-popである。ラテンアメリカへも積極的に進出しているK-popは、ペルーの若者たちにとっても今や非常に人気のあるジャンルとなっている。

 YouTuberとしてマイケル・ジャクソンなどをケチュア語で歌って人気を得たことでデビューしたレナタ・フローレスもK-Popをケチュア語でカバーしている。また彼女がカイフェックスと作り非常に印象的だった「Tijerasハサミ」も映像の作りにK-Pop的な要素が非常に強くある。それほど今のペルーの若者たちにK-Popの影響は非常に深く浸透している。

 歌手であるレニンは、アンデスにルーツを持ち、母親もアンデス音楽歌手であった。母親のヨランダ・ピナーレスは、ワイノを基軸とした音楽をしながらも、いわゆる形式的な民衆音楽ではない、芸術としての革新を目指しながら音楽をしてきた強く強調する口調で自ら語っている。そんな彼女のもとで、レニンはケチュア語に触れながら成長した。しかし先住民的容貌を持つ彼は、学校で先住民的であるということが理由でいじめを受けることとなった。そのときに彼の支えとなったのがBTSなどのK-Popだった。そしてK-Popファンの友人たちと出会っていく中で、K-Pop歌手たちの顔が先住民的といじめられた自分の顔だちに似ていることに気がついた。こうして彼は、ケチュア語を使ってK-Pop的なアプローチでの新しい自分自身の音楽を作ることを模索し始め、Q-Popが生まれることとなった。

 レニンのPVを見ると、一昔前のドラマ調の少しコミカルでダサさもあるようなPVとも、最近のラテン風に洗練されたPVとも違う、K-Pop的ノリが入るとこれほど雰囲気が変わるのかと驚かされる映像作品になっている。それと同時に、アンデス的要素が非常に意識的に打ち出されている。

紹介しているPV「インティライミ(太陽の祭り)」では「はさみ踊り」がレニンのとりまきたちとダンスバトルを繰り広げるし、別の作品では悪魔の踊りが登場したりと各地のさまざまな要素が取り入れられている。

このあたりの「アンデス文化」の取り上げ方は、その文化のただ中で育ってきた世代ではない、都市部でグローバルな文化に触れながら、そういった「伝統文化」を教育として受けてきた世代のまなざしとして再生産してきている部分もあるのかもしれない。それは、伝統が当たり前のものとしてあるなかで育つ過程で、伝統文化をただそこにあるものとして受け取る以上に、より強くアイデンティティとして意識的に再構成されていく契機になるのかもしれない(それがワイノを経由しなかったり、アンデスの風景ではなく祭りなどをアンデス的表象のコンテンツとしてコラージュしていく方法に現れているように感じられる訳だ)。

ちなみに、アンデスの神話的世界観を表したアルバム『アマル』の「現世(ウクパチャ)」のPVは、ディナ・ボルアルテ大統領への抗議集会の情景から始まり、アンデスの山中を逃げる女性へと視点が移っていく(この女性が実はレニンの母親ヨランダ・ピナーレスである)。こうした現政権への批判という視点も、K-Popにも脈々と流れる社会批判性でもあったことを思い出しながら、混沌とした政治状況の中でも、なんとかよりよい社会を求めて行動することができるペルーの若者たちに私たちも学ばなければならないと、改めて思うのである。

Lenin "Intiraymi"(太陽の祭り)

https://www.youtube.com/watch?v=DsL5LivouVs

Lenin feat. Yolanda Pinares "Ukupacha"(現世)

https://www.youtube.com/watch?v=N8YT8B4z8Bo



posted by eLPop at 17:09 | 水口良樹のペルー四方山がたり

ビクトリア・サンタ・クルス、メドラーノ家の音楽家

2023.08.03

先日、友人と話しているなかで、授業で毎年紹介しているビクトリア・サンタ・クルスの詩「Me gritaron Negra」に話が及んだ。その時に、この詩のパフォーマンスのパワーはとてつもないにもかかわらず、まだまだ日本では全然知られていないのだなと改めて感じたので、今回はビクトリア・サンタ・クルスの代表作二つと現代のアフロペルー音楽を少し紹介してみたい。

ビクトリア・サンタ・クルスは、詩人ニコメデス・サンタ・クルスの姉であり、ダンサー、振付師として多くの功績を残した。が同時に、彼女のこの「Me Gritaron Negra(やつらは私にネグラと叫んだ)」 は、ニコメデスの格調高い詩とはまったく異なる、彼女自身の内なる体験と怒りから生み出された非常に強いパワーと共に歌われた詩として、今なお多くの人に力を与え、そしていろいろな人がパフォーマンスしつづけている詩でもある(最近ではエバ・アイジョンもアルバム「Clavo y Canela(クローブとシナモン)」のなかで録音している)。

この詩は、彼女の幼少期(7歳の時、と詩は始めている)、生まれ育ったリマのアフロ系住民が多く住むバリオ(下町街区)のビクトリアで、新しく引っ越してきた白人の子どもから「あの黒人と遊ぶな」と言われた経験が発端となっている。その痛み、苦しみの衝撃が彼女に重くのしかかり、最初の「アフロ」である自分を思い知らされた経験であった。しかしそのスティグマがやがて昇華し自らのアフロ性の肯定へと反転していく後半はまさに劇的であり、一種爽快な解放感を追体験できる素晴らしい作品になっている。

1978年に書かれたとされるこの詩は、彼女の非常に強烈なパフォーマンスによって、伝説となった。特に当時のパフォーマンスは群を抜いて素晴らしい。

Victoria Santa Cruz | Me Gritaron Negra (Afro Perú)

https://www.youtube.com/watch?v=cHr8DTNRZdg

 ちなみにエバ・アイジョンのステージでのパフォーマンスだとこんな感じ。

Eva Ayllón interpreta Me Gritaron Negra de Victoria Santa Cruz

https://www.youtube.com/watch?v=OEt2bE9CWZY

また、彼女の最初期の音楽劇作品「洗濯女たち」(アフロ文化再評価運動のきっかけとなったホセ・ドゥラン主催のパンチョ・フィエロ座で公演された)も、エバ・アイジョンとバルトーラというペルーのアフロ系子孫を代表するミュージシャン2人の名演によって再演されている。こちらもぜひ見てほしい。

貧しい人達が集住するリマの水場が一カ所しかないカジェホン(長屋的共同住宅)に新しく引っ越してきた女性。彼女が、あまっている洗濯ヒモに洗濯物をかけようとすると、周りの住民からそこは使用者が決まっているからダメだという。あいているのになんでダメなの?というやりとりの最中、その持ち主がやってきて騒動は始まるという寸劇だ。

Eva Ayllon y Bartola - Las Lavanderas

https://www.youtube.com/watch?v=KfQDBtb_o-k

「Me gritaron Negra」のド迫力に対して、こちらのコミカルさはまた非常に魅力的な彼女の別の面を見せてくれる。

アフロペルー芸能の復活は、こういった音楽劇が非常に重要な役割を果たしてきた。音楽劇とともに演奏された音楽と踊りのプログラムが、やがて大きなアフロペルー音楽ブームへとつながっていくことになった。

          ◆          ◆

さて、それでは現代のアフロペルー音楽からもメドラーノ家の音楽家たちをすこしご紹介。

今ペルーのカホン奏者としてもっとも重要な奏者の一人がフアン・"コティート"・メドラーノだ。スサナ・バカやノバリマでの演奏でも注目され、トラディショナルなスタイルだけでなくジャズやサルサ編成でのステージまでアフロペルー音楽の新たな世界を切り開いてきた。来日公演も果たしている。
そんな彼のステージからオルケスタ・ミグランテスに共演で参加した時の「フロール・デル・グアヤボ」をご紹介。

Migrantes - Flor del Guayabo Ft Cotito Medrano

https://www.youtube.com/watch?v=YYRtW1K5xq8

そしてそんなコティートの娘たちによるレス・コティテースも面白い。彼女たちは以前ラス・レスポンドーナスという女性のみの歌とパーカションバンドを組んでおり、いわゆるペルーの新しい太鼓歌を生み出そうという活動をしていたが、最近はこのデュオ形式でのステージが増えている。ともに基本は歌と太鼓をメインとしており、非常に楽しそうにステージをしている姿が印象的な新世代だ。

El Llamado de las Abuelas - Les Cotités

https://www.youtube.com/watch?v=jTSKHQzqyk4


こちらは彼女たちの自己紹介的ビデオクリップ。

ObbabaOsaina - Les Cotités

https://www.youtube.com/watch?v=hieSdsKOv8E

おまけ
ラス・レスポンドーナスはこんな感じ。

Planeta Lesbos: Las Respondonas

https://www.youtube.com/watch?v=sa6hRQDT3a0

posted by eLPop at 13:53 | 水口良樹のペルー四方山がたり