コロナ前に始めた「eLPopがガイドするラテン音楽最新地図」の第3回を数年ぶりに開催することができた。今回も非常に盛りだくさんで刺激的な内容であった。
というわけで、今月は私の紹介したペルーの曲を改めてこちらの方でもつまびらいてみたい。
ペルーのアンデス音楽といえば、ワイノが何と言っても重要な中心をなしており、その周辺にさまざまな民衆音楽や祭礼音楽がひしめいている。それらは都市的なもの、農村的なもの、現代的なグローバリゼーションの流れを積極的に受け入れているもの、復古主義的な志向でむしろ伝統をより強固に「創造」していこうとするものなどさまざまである。
ペルーのアンデス音楽は、まず20年代にインカ音楽の名で都市で再編される際にジャズを取り込んだものが創作されそれが地方へと伝播した。50年代には地方の音楽がラジオやレコードを通してリマを含む大都市の民衆音楽へと脱皮し、町や村の音楽としてだけではなく「ペルーアンデス」をつなぐ音楽としても大きく変化した(そしてそれは同時に「地方の発見」でもあり、地域差を再創造していく営みへともつながっていった)。
80年代から90年代からはロックとのフュージョンやアンデスクンビア「チチャ」などが萌芽し、エレキギターやドラムセットといった近代西洋的な楽器が一気にアンデス音楽に参入していった。またボリビア発の「フォルクローレ」がラテンアメリカ音楽という名称で人気を博したのもこの頃で、都市においてはペルーアンデス音楽のボリビア化も進んだ。
こうした時代時代のさまざまな変化の中、アンデス音楽はその時代を生きる人々の世界との関わり方、眼差すものを反映させながら、自らの音楽を常に更新してきたが、2010年代(特に後半)ごろより、さらに大きな転換が起っているように思われる。それは先住民言語「ケチュア語の復権」が一つの大きな契機となっており、従来のワイノをベースに再構築される音楽という枠組みを通過しないアンデス的音楽の創造がここに来て一気に増えているように感じるところである。
さらに、もう一つ大きな特徴として、こうした新世代の活動は、社会運動を多かれ少なかれ意識し、時に強くコミットしながら展開されているという点にある。これまでに紹介してきたレナタ・フローレスやリベラト・カニ、ミレナ・ワルトンなども、構造的な差別や暴力、搾取といった問題、政治の腐敗、民主主義の防衛などに積極的に発言している。これは昨今混迷しているペルーの議会政治/政党政治への絶望と、それでもペルーは民主主義をあきらめずよりよい社会を作り出していくのだという意志を若い世代が強く維持していることを反映しているようにも思われる。
というわけで、今回はそんな新しい現代アンデス音楽の潮流を簡単に概観してみたい。
常に新しい時代のアンデス音楽は、ジャズであったりロックであったりクンビアであったりというようなそれぞれ同時代のグローバルな音楽の影響を受けながら作り出されてきた。そんなわけでおさらいの意味も込めて、いわゆるグローバルなポピュラー音楽とローカルな音楽がフュージョンされた20世紀末の音楽をまずは一曲見てみたい。
トゥルマンジェ(Turmanye)はペルー北部アンデスに位置するアンカシュ県の学生たちが結成し、90年代に活躍したアンデスレゲエロックバンドだ。「ワイノ・モテ」や「リオ・サンタ(聖なる川)」、「カピタリーナ」などが代表曲であるが、ここで紹介する「ペルー・レゲエ」は80年代〜90年代のハイパーインフレと内戦でペルーが崩壊の危機にあった時代、海外にルートのある人がこそって国外脱出を目指した時代に作られた「異国に生きるペルー人」に向けられた曲である。
インカ帝国本来の名がタワンティンスーユ(四つの地方)であることから、キント・スーヨ(五番目の地域)とも呼ばれた「移民」として生きるペルー人たちに向けて歌われたこの曲は、異国のストリートで出会った二人のペルー人がふるさとの話をする中で、ペルーを代表する曲が順繰りに登場していくという仕掛けがちりばめられている。
なかばラップに近いような早口で歌われる歌の中からアンデス地域の「ピオピオ」や「太陽の乙女たち」、ムシカ・クリオージャからはチャブーカ・グランダの「フロール・デ・ラ・カネーラ(ニッケの花)」とふるさとへの望郷を歌った名曲「トードス・ブエルベン(みんな帰ってくる)」、そしてアフロペルー音楽の「トロ・マタ」などが流れ出してくる。それは、当時の感覚としてペルー的とまなざされたものがどのようなものであるか、ステレオタイプ的に表出しているともいえる(チチャはまだこのときは入っていない)。なんだかんだ言って私にとっても大好きな一曲である。
Turmanye "Peru reggae"
https://www.youtube.com/watch?v=B6VfpMj6Rm0
こうした20世紀後半に盛り上がったフュージョンも、数多くの理不尽な現実を告発し、彼ら自身が今生きる社会をよりよくしてく声を内包するものが数多くあったが、現代においてもその基本的なスタンスは変わっていない。が、若者たちがケチュア語をより主体的に取り戻そうと流れが変わりつつある現在、その表現方法は以前とは少し変わっているようにも思われる。同時にこれまで以上に都市の若者たちは、ワイノを基軸にしていた時代のアンデスをイメージとして解体し、まったく異なるアプローチで再構築し始めたようにも思われる(もちろん、以前にもさまざまな試みがあったのでここまで書くとちょっと言い過ぎかもしれません)。
では、改めて現在のケチュアラップの最前線を切り開いているレナタ・フローレスの歌を聴いてみたい。2023年は、アンデス民のディナ・ボルアルテ大統領への抗議から始まった。それはペルーにおける議会制民主主義システムへの絶望でもあった。「決して私たちを代表することがない議会」「決して私たちの声に向き合わない政府」という絶望は、社会を壊していく(振り返れば日本もまさにそのただなかにあり、全くもって人ごとではない)。
そんな中、アンデスの人々はそれでも声を上げた。弾圧され、多数の死者を出しながらもふざけるな、私たちの存在を受け入れ社会の一員とせよと声を上げた。そして多くの歌手たちがそこにコミットしたのは以前にもご紹介したが、この曲もそういった流れの中で生まれた一曲である。レナタ・フローレスは、「これは私の家族の物語でもある」と語る。内戦時の虐殺、そして今なおそれを認めようとしない軍、植民地時代から続くアンデス民に対する理不尽な暴力の経験を生きざるを得ない人々にとって、自分たちは油断するとすぐに利用されるだけ利用して捨てられる、人間ではない「何か」にされてしまう。だからこそ、私たちは同じ血が流れる人間であるとレナタは叫んでいる。
それは20世紀初頭にムシカ・クリオージャの吟遊詩人フェリペ・ピングロが上流階級と庶民を分け隔てる超えられない壁に向けて、神に投げかけた言葉と同じであるが(「エル・プレベジョ(庶民)」)、その悲壮さと絶望はさらに深いものとなっているのではないか。無力感に苛まれ、忘れることでやり過ごすのではなく、沈黙を破って、人間であるために声を上げ、他者の権利を平気で踏みにじる奴らと対峙していく必要があると、そして腐敗し私物化された政治をふたたび民衆の手に戻す真の民主化を達成することが必要なのだと歌い上げている。
Renata Flores "La America que se olvida"
https://www.youtube.com/watch?v=5jscaOFjSOw
こうした非常に政治的な歌を紹介すると、じゃあ、そんな曲ばかりを若者たちは歌っているのかという印象を持ってしまってもいけないので敢えて書いておくが、もちろんそんなことはない。むしろ生きることのさまざまなテーマの中に、当然のように政治や人権、不正義との闘いも入っている、と捉えるのがよいかもしれない。だから当然のように、愛や恋、ふるさとや家族、日常のさまざまなことがその中では歌われている。
次に紹介するのは、ケチュア語ではない先住民言語の曲として、アマゾン地域のアシャニンカ語とスペイン語のバイリンガルの曲だ。ナイシャは、おそらくアマゾンにルーツを持っていないと思われるので、彼女がアシャニンカ語で歌うことを選んだことは非常な驚きであった(アルバムには2曲収録されている。また、彼女はこれまでに手話をPVに一部取り入れた曲を発表するなどもしている)。
彼女はもともとペルー沿岸部、アフロ系住民が多いカニェテで、幼少期から父親と二人で「インティ・イ・キジャ(太陽と月)」というデュオ名でボリビア・フォルクローレを演奏していた。ケーナからサンポーニャ、チャランゴ、ギターとマルチに演奏できるが、彼女がもっとも愛用しているのはチャランゴだ。ソロデビュー後は主にチャランゴを手にボリビアのカポラルからアフロペルー、ポップスまで特定のスタイルにとらわれずに活動を展開している。
アシャニンカ語の曲が生まれたのは、どうやらコロナのパンデミックの期間、ペルー中部のフニン県アマゾン地域マサマリに住んでいたなかでの出会いによるようで、そこでアシャニンカのチヤリ共同体の協力のもと作品が作られたという。背景として若い世代が切実な問題として抱え持つ地球環境への関心とペルー国内の先住民の権利という問題が見て取れる。また、タイトルの訳が「もうたくさんだ!」であり、この文言を見て思い出さずにはいられないのは、チアパスのサパティスタの1994年蜂起の際のラカンドン密林宣言の言葉である。植民地主義と新自由主義、そして家父長制にNOを言うために立ち上がった先住民たちの思想と連帯を、アシャニンカの人々と共に作られたこの曲も受け継ごうとしているのではないだろうか(と想像せずにはいられない)。
また彼女は、マチータ・ムヘール・カポラルと共にペルーのフェミサイド(女性憎悪殺人)が、いかに政治や法を握る人々の無作為によって野放しにされていることを告発する曲なども発表しており、ポップなスタイルを取りながらも自分たちの抱える問題をやり過ごすのではなく、変えていくためにコミットしていく姿勢を取っている。
Naysha "Aitanaji" (もうたくさんだ)アシャニンカ語
https://www.youtube.com/watch?v=Np2p1OsLeWs
Naysha y Machita Mujer Caporal "Baila conmigo"
https://www.youtube.com/watch?v=QrMWdR4HpVM
続いて、アンデスの移動祭壇レタブロを模した新譜「Atipanakuy Deluxe」が2023年のラテングラミーの最優秀パッケージデザイン賞にノミネートされたルイス・ガビラン・アラルコンことカイフェックスを紹介したい。アヤクーチョ出身のカイフェックスはDJ兼プロデューサーとして活動しており、このアルバムは「はさみ踊り」を中心的テーマとし、コロナで亡くなったはさみ踊りのバイオリン奏者チェクチェに捧げられたアルバムでもある。生前彼と共に録音していた16曲がアルバムには収められており、ここでもケチュア語が中心的な言語として機能している。
この「はさみ踊り」とは、アヤクーチョからワンカベリカ、そして古くはアプリマックなどの地方で踊られている憑依型の農耕儀礼に付随したトランスへと連なる舞踊だ。バイオリンとアルパ(アンデスハープ)の演奏に合わせて、はさみ状の鉄片をキンキンと絶えず打ち鳴らしながら、アクロバティックなサパテオ(ステップ)を二人のダンサー(ダンサックと呼ばれる)が交互に競い合うように舞い、次第に水の精霊(人魚)を憑依させるテンションへと高めていく。カトリックからは長らく悪魔の踊りと圧力を受けながらも生き延び、2010年にはユネスコの世界無形文化遺産に指定された。その結果、一転観光資源として大きく注目を浴び、今やアンデスのもっとも深遠な文化を象徴する存在として、多くの若手のダンサーたちがYouTubeなどを通じて踊りをコピーし、また都市のアンデス系音楽家たちもモチーフとしてこのはさみ踊りを取り入れている(代表的なものとしては、ケチュアロックの先駆けであったウチュパ、アンデスロックバンドのラ・サリータ、アンデスポップのダマリス、ケチュアラップのレナタ・フローレスやリベラト・カニなど)。
また、この中ではカイフェックス自身だけではなく、女性歌手ダヤンがケチュア語でラップする曲なども収録されており、今やケチュア語ラップというジャンルが若者たちの中で非常に重要な表現のスタイルとして確立されつつあることを想像させる。
Kayfex "Zapateo"
https://www.youtube.com/watch?v=55Cs87pAGnE
Kayfex feat. Dayyam "Alto ensayo"
https://www.youtube.com/watch?v=G9Qe0gFY2wM
そして最後に、Q-Popを名乗って活動しているレニン・タマーヨを紹介したい。この「Q」とはケチュア語をさし、この言葉の元となっているのは、いうまでもなくK-popである。ラテンアメリカへも積極的に進出しているK-popは、ペルーの若者たちにとっても今や非常に人気のあるジャンルとなっている。
YouTuberとしてマイケル・ジャクソンなどをケチュア語で歌って人気を得たことでデビューしたレナタ・フローレスもK-Popをケチュア語でカバーしている。また彼女がカイフェックスと作り非常に印象的だった「Tijerasハサミ」も映像の作りにK-Pop的な要素が非常に強くある。それほど今のペルーの若者たちにK-Popの影響は非常に深く浸透している。
歌手であるレニンは、アンデスにルーツを持ち、母親もアンデス音楽歌手であった。母親のヨランダ・ピナーレスは、ワイノを基軸とした音楽をしながらも、いわゆる形式的な民衆音楽ではない、芸術としての革新を目指しながら音楽をしてきた強く強調する口調で自ら語っている。そんな彼女のもとで、レニンはケチュア語に触れながら成長した。しかし先住民的容貌を持つ彼は、学校で先住民的であるということが理由でいじめを受けることとなった。そのときに彼の支えとなったのがBTSなどのK-Popだった。そしてK-Popファンの友人たちと出会っていく中で、K-Pop歌手たちの顔が先住民的といじめられた自分の顔だちに似ていることに気がついた。こうして彼は、ケチュア語を使ってK-Pop的なアプローチでの新しい自分自身の音楽を作ることを模索し始め、Q-Popが生まれることとなった。
レニンのPVを見ると、一昔前のドラマ調の少しコミカルでダサさもあるようなPVとも、最近のラテン風に洗練されたPVとも違う、K-Pop的ノリが入るとこれほど雰囲気が変わるのかと驚かされる映像作品になっている。それと同時に、アンデス的要素が非常に意識的に打ち出されている。
紹介しているPV「インティライミ(太陽の祭り)」では「はさみ踊り」がレニンのとりまきたちとダンスバトルを繰り広げるし、別の作品では悪魔の踊りが登場したりと各地のさまざまな要素が取り入れられている。
このあたりの「アンデス文化」の取り上げ方は、その文化のただ中で育ってきた世代ではない、都市部でグローバルな文化に触れながら、そういった「伝統文化」を教育として受けてきた世代のまなざしとして再生産してきている部分もあるのかもしれない。それは、伝統が当たり前のものとしてあるなかで育つ過程で、伝統文化をただそこにあるものとして受け取る以上に、より強くアイデンティティとして意識的に再構成されていく契機になるのかもしれない(それがワイノを経由しなかったり、アンデスの風景ではなく祭りなどをアンデス的表象のコンテンツとしてコラージュしていく方法に現れているように感じられる訳だ)。
ちなみに、アンデスの神話的世界観を表したアルバム『アマル』の「現世(ウクパチャ)」のPVは、ディナ・ボルアルテ大統領への抗議集会の情景から始まり、アンデスの山中を逃げる女性へと視点が移っていく(この女性が実はレニンの母親ヨランダ・ピナーレスである)。こうした現政権への批判という視点も、K-Popにも脈々と流れる社会批判性でもあったことを思い出しながら、混沌とした政治状況の中でも、なんとかよりよい社会を求めて行動することができるペルーの若者たちに私たちも学ばなければならないと、改めて思うのである。
Lenin "Intiraymi"(太陽の祭り)
https://www.youtube.com/watch?v=DsL5LivouVs
Lenin feat. Yolanda Pinares "Ukupacha"(現世)
https://www.youtube.com/watch?v=N8YT8B4z8Bo
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ビクトリア・サンタ・クルス、メドラーノ家の音楽家
2023.08.03
先日、友人と話しているなかで、授業で毎年紹介しているビクトリア・サンタ・クルスの詩「Me gritaron Negra」に話が及んだ。その時に、この詩のパフォーマンスのパワーはとてつもないにもかかわらず、まだまだ日本では全然知られていないのだなと改めて感じたので、今回はビクトリア・サンタ・クルスの代表作二つと現代のアフロペルー音楽を少し紹介してみたい。
ビクトリア・サンタ・クルスは、詩人ニコメデス・サンタ・クルスの姉であり、ダンサー、振付師として多くの功績を残した。が同時に、彼女のこの「Me Gritaron Negra(やつらは私にネグラと叫んだ)」 は、ニコメデスの格調高い詩とはまったく異なる、彼女自身の内なる体験と怒りから生み出された非常に強いパワーと共に歌われた詩として、今なお多くの人に力を与え、そしていろいろな人がパフォーマンスしつづけている詩でもある(最近ではエバ・アイジョンもアルバム「Clavo y Canela(クローブとシナモン)」のなかで録音している)。
この詩は、彼女の幼少期(7歳の時、と詩は始めている)、生まれ育ったリマのアフロ系住民が多く住むバリオ(下町街区)のビクトリアで、新しく引っ越してきた白人の子どもから「あの黒人と遊ぶな」と言われた経験が発端となっている。その痛み、苦しみの衝撃が彼女に重くのしかかり、最初の「アフロ」である自分を思い知らされた経験であった。しかしそのスティグマがやがて昇華し自らのアフロ性の肯定へと反転していく後半はまさに劇的であり、一種爽快な解放感を追体験できる素晴らしい作品になっている。
1978年に書かれたとされるこの詩は、彼女の非常に強烈なパフォーマンスによって、伝説となった。特に当時のパフォーマンスは群を抜いて素晴らしい。
Victoria Santa Cruz | Me Gritaron Negra (Afro Perú)
https://www.youtube.com/watch?v=cHr8DTNRZdg
ちなみにエバ・アイジョンのステージでのパフォーマンスだとこんな感じ。
Eva Ayllón interpreta Me Gritaron Negra de Victoria Santa Cruz
https://www.youtube.com/watch?v=OEt2bE9CWZY
また、彼女の最初期の音楽劇作品「洗濯女たち」(アフロ文化再評価運動のきっかけとなったホセ・ドゥラン主催のパンチョ・フィエロ座で公演された)も、エバ・アイジョンとバルトーラというペルーのアフロ系子孫を代表するミュージシャン2人の名演によって再演されている。こちらもぜひ見てほしい。
貧しい人達が集住するリマの水場が一カ所しかないカジェホン(長屋的共同住宅)に新しく引っ越してきた女性。彼女が、あまっている洗濯ヒモに洗濯物をかけようとすると、周りの住民からそこは使用者が決まっているからダメだという。あいているのになんでダメなの?というやりとりの最中、その持ち主がやってきて騒動は始まるという寸劇だ。
Eva Ayllon y Bartola - Las Lavanderas
https://www.youtube.com/watch?v=KfQDBtb_o-k
「Me gritaron Negra」のド迫力に対して、こちらのコミカルさはまた非常に魅力的な彼女の別の面を見せてくれる。
アフロペルー芸能の復活は、こういった音楽劇が非常に重要な役割を果たしてきた。音楽劇とともに演奏された音楽と踊りのプログラムが、やがて大きなアフロペルー音楽ブームへとつながっていくことになった。
◆ ◆
さて、それでは現代のアフロペルー音楽からもメドラーノ家の音楽家たちをすこしご紹介。
今ペルーのカホン奏者としてもっとも重要な奏者の一人がフアン・"コティート"・メドラーノだ。スサナ・バカやノバリマでの演奏でも注目され、トラディショナルなスタイルだけでなくジャズやサルサ編成でのステージまでアフロペルー音楽の新たな世界を切り開いてきた。来日公演も果たしている。
そんな彼のステージからオルケスタ・ミグランテスに共演で参加した時の「フロール・デル・グアヤボ」をご紹介。
Migrantes - Flor del Guayabo Ft Cotito Medrano
https://www.youtube.com/watch?v=YYRtW1K5xq8
そしてそんなコティートの娘たちによるレス・コティテースも面白い。彼女たちは以前ラス・レスポンドーナスという女性のみの歌とパーカションバンドを組んでおり、いわゆるペルーの新しい太鼓歌を生み出そうという活動をしていたが、最近はこのデュオ形式でのステージが増えている。ともに基本は歌と太鼓をメインとしており、非常に楽しそうにステージをしている姿が印象的な新世代だ。
El Llamado de las Abuelas - Les Cotités
https://www.youtube.com/watch?v=jTSKHQzqyk4
こちらは彼女たちの自己紹介的ビデオクリップ。
ObbabaOsaina - Les Cotités
https://www.youtube.com/watch?v=hieSdsKOv8E
おまけ
ラス・レスポンドーナスはこんな感じ。
Planeta Lesbos: Las Respondonas
https://www.youtube.com/watch?v=sa6hRQDT3a0
ビクトリア・サンタ・クルスは、詩人ニコメデス・サンタ・クルスの姉であり、ダンサー、振付師として多くの功績を残した。が同時に、彼女のこの「Me Gritaron Negra(やつらは私にネグラと叫んだ)」 は、ニコメデスの格調高い詩とはまったく異なる、彼女自身の内なる体験と怒りから生み出された非常に強いパワーと共に歌われた詩として、今なお多くの人に力を与え、そしていろいろな人がパフォーマンスしつづけている詩でもある(最近ではエバ・アイジョンもアルバム「Clavo y Canela(クローブとシナモン)」のなかで録音している)。
この詩は、彼女の幼少期(7歳の時、と詩は始めている)、生まれ育ったリマのアフロ系住民が多く住むバリオ(下町街区)のビクトリアで、新しく引っ越してきた白人の子どもから「あの黒人と遊ぶな」と言われた経験が発端となっている。その痛み、苦しみの衝撃が彼女に重くのしかかり、最初の「アフロ」である自分を思い知らされた経験であった。しかしそのスティグマがやがて昇華し自らのアフロ性の肯定へと反転していく後半はまさに劇的であり、一種爽快な解放感を追体験できる素晴らしい作品になっている。
1978年に書かれたとされるこの詩は、彼女の非常に強烈なパフォーマンスによって、伝説となった。特に当時のパフォーマンスは群を抜いて素晴らしい。
Victoria Santa Cruz | Me Gritaron Negra (Afro Perú)
https://www.youtube.com/watch?v=cHr8DTNRZdg
ちなみにエバ・アイジョンのステージでのパフォーマンスだとこんな感じ。
Eva Ayllón interpreta Me Gritaron Negra de Victoria Santa Cruz
https://www.youtube.com/watch?v=OEt2bE9CWZY
また、彼女の最初期の音楽劇作品「洗濯女たち」(アフロ文化再評価運動のきっかけとなったホセ・ドゥラン主催のパンチョ・フィエロ座で公演された)も、エバ・アイジョンとバルトーラというペルーのアフロ系子孫を代表するミュージシャン2人の名演によって再演されている。こちらもぜひ見てほしい。
貧しい人達が集住するリマの水場が一カ所しかないカジェホン(長屋的共同住宅)に新しく引っ越してきた女性。彼女が、あまっている洗濯ヒモに洗濯物をかけようとすると、周りの住民からそこは使用者が決まっているからダメだという。あいているのになんでダメなの?というやりとりの最中、その持ち主がやってきて騒動は始まるという寸劇だ。
Eva Ayllon y Bartola - Las Lavanderas
https://www.youtube.com/watch?v=KfQDBtb_o-k
「Me gritaron Negra」のド迫力に対して、こちらのコミカルさはまた非常に魅力的な彼女の別の面を見せてくれる。
アフロペルー芸能の復活は、こういった音楽劇が非常に重要な役割を果たしてきた。音楽劇とともに演奏された音楽と踊りのプログラムが、やがて大きなアフロペルー音楽ブームへとつながっていくことになった。
◆ ◆
さて、それでは現代のアフロペルー音楽からもメドラーノ家の音楽家たちをすこしご紹介。
今ペルーのカホン奏者としてもっとも重要な奏者の一人がフアン・"コティート"・メドラーノだ。スサナ・バカやノバリマでの演奏でも注目され、トラディショナルなスタイルだけでなくジャズやサルサ編成でのステージまでアフロペルー音楽の新たな世界を切り開いてきた。来日公演も果たしている。
そんな彼のステージからオルケスタ・ミグランテスに共演で参加した時の「フロール・デル・グアヤボ」をご紹介。
Migrantes - Flor del Guayabo Ft Cotito Medrano
https://www.youtube.com/watch?v=YYRtW1K5xq8
そしてそんなコティートの娘たちによるレス・コティテースも面白い。彼女たちは以前ラス・レスポンドーナスという女性のみの歌とパーカションバンドを組んでおり、いわゆるペルーの新しい太鼓歌を生み出そうという活動をしていたが、最近はこのデュオ形式でのステージが増えている。ともに基本は歌と太鼓をメインとしており、非常に楽しそうにステージをしている姿が印象的な新世代だ。
El Llamado de las Abuelas - Les Cotités
https://www.youtube.com/watch?v=jTSKHQzqyk4
こちらは彼女たちの自己紹介的ビデオクリップ。
ObbabaOsaina - Les Cotités
https://www.youtube.com/watch?v=hieSdsKOv8E
おまけ
ラス・レスポンドーナスはこんな感じ。
Planeta Lesbos: Las Respondonas
https://www.youtube.com/watch?v=sa6hRQDT3a0
posted by eLPop at 13:53
| 水口良樹のペルー四方山がたり
ユンサ
2023.05.26
このGWにお台場で「ラテンアメリカへの道フェスティバル」が開催された。
そこで、ペルーのアンデス地方で広く行われているユンサ(もしくはコルタ・モンテ)と呼ばれる、プレゼント(バケツやタライ、ポンチョなどが多い)をたくさんぶら下げた木をみんなでひと斧ひと斧切れ目を入れていって、切り倒してぶら下がったプレゼントをみんなで奪い合うという企画が行われた(斧ではなくマチェテ(ナタ)が使われることもあるようだ)。過去に実際に木につるしたら葉っぱを全部むしられたことがあるとかで、今回は安全を期してプレゼントはぶら下げず倒れたら渡す形にしたとのことであったが、それでも非常に盛り上がっていた。素晴らしい。
もちろん、お台場の地面に穴空けて木を突き刺して立てるわけにもいかないので、そこは巨大なギミックを作って、玩具の斧で切り倒すパフォーマンスを参加者みんなで行おうというものになっている。直前に切ってきたユーカリの木をつかって、三日間、音楽に合わせて輪になって踊りながら、楽しく実施されたが、最終日にはあくまで斧は切るふりである、ということをよく理解していなかった人によって思いっきり木にたたきつけられたため斧は折れ飛び、慌てて、その折れた斧の頭で切ったことにして木は倒れされるというハプニングもあった(そもそも最終日は風が強すぎてギミックが誤作動してしまうため、常に人が木を支えておく必要があった)。
そんな企画を見て盛り上がったペルー人からは、どうやらコミュニティでユンサをやりたいからこのギミックを貸し出して欲しいと依頼があったようで、これから日本各地のペルー人コミュニティでユンサが流行るのではないか?と個人的は少し期待している。
Yunza en Japón 2023
https://www.youtube.com/watch?v=-Y9qP3M1zKU
さて、では本家本元、ペルーのユンサを見てみよう。
アンデス地域では北から南まで非常に広い地域で行われている祭りなので、音楽やスタイル、規模なども様々だ。
非常にすばらしい3時間あるビデオがあったのだが、久しぶりにアクセスしようとしたらどうしても見つからないので、次点のビデオを何点かご紹介したい。
ちなみに木の太さにそれぞれのユンサの本気度が見て取れる気がする。めっちゃぶっといものは昼から初めて夜中までかかる。細いのはあっという間に切り倒される。
CORTAMONTE
https://www.youtube.com/watch?v=odCqKkTaBds
比較的小規模だが楽しんでいるのがよく分かる。6分ごろに切り倒されています。
CARNAVAL PAMPAROMINO CON LA BANDA SHOW SINFONICA DE ANCASH
https://www.youtube.com/watch?v=4PhohHH3Ank
こちらはふたまたになった木をそれぞれ切り倒すという形になっている。4分20秒ごろに一本目が切り倒されています。
ROSASPATA CARNAVALES CORTAMONTE QUELLO QUELLO 2016
https://www.youtube.com/watch?v=SLaSnEV-Csg
こちらは15分30秒ごろに切り倒されています。
さて、このようなユンサだが、実はアンデスだけでやられているわけではない。もちろん、リマへと移住したアンデス系移民も行っているのだが、そう言う意味ではなく、このユンサはアフロ系子孫の人々の祭りにもなっているのだ。
ペルー南部のチンチャやエル・カルメンなどのアフロ系集落は、もともとアンデス地域と交流があったため、アフロ系音楽にバイオリンがアンデス地域からもたらされるなどもしている。おそらくその過程でユンサも伝わったのであろう。そして、リマに出てきたアフロ系子孫のコミュニティでも夜中から明け方までユンサで盛り上がるというイベントは行われており、まさにユンサは民族を越えたペルーを象徴する祭りとなっているのである。
ユンサ・ネグラを紹介するビデオ。なんとなく全体像がイメージできます。
エル・カルメンでは彼の地のアフロ文化を牽引しているバルンブロシオ・ファミリーがユンサも中心的に行っている。
Yunza Negra | Celebra Perú
https://www.youtube.com/watch?v=XECxJFBgsCE
PASACALLE VERANO NEGRO YUNZA EN GUAYABO EL CARMEN 1988
https://www.youtube.com/watch?v=VS4-PcSI8O4
1988年のユンサ・ネグラの情景が少しだけ最後に映っています。
Yunza Negra 2012 En El Carmen-Chincha
https://www.youtube.com/watch?v=colKuPVKpp0
22分25秒ごろ倒れます。
もちろん、海外に出て行ったペルー人たちは各地でもユンサを行っている。
Yunza en el Sur de California 2,009 Carnaval Andino
https://www.youtube.com/watch?v=T9bcetmzIGE
カリフォルニアで行われたユンサ。
ユンサはやっぱり盛り上がるのである。
あなたのまちでもユンサ、やってみませんか?
ユンサ・ハポネサはやっぱり盆踊りでやるのでしょうか。
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そこで、ペルーのアンデス地方で広く行われているユンサ(もしくはコルタ・モンテ)と呼ばれる、プレゼント(バケツやタライ、ポンチョなどが多い)をたくさんぶら下げた木をみんなでひと斧ひと斧切れ目を入れていって、切り倒してぶら下がったプレゼントをみんなで奪い合うという企画が行われた(斧ではなくマチェテ(ナタ)が使われることもあるようだ)。過去に実際に木につるしたら葉っぱを全部むしられたことがあるとかで、今回は安全を期してプレゼントはぶら下げず倒れたら渡す形にしたとのことであったが、それでも非常に盛り上がっていた。素晴らしい。
もちろん、お台場の地面に穴空けて木を突き刺して立てるわけにもいかないので、そこは巨大なギミックを作って、玩具の斧で切り倒すパフォーマンスを参加者みんなで行おうというものになっている。直前に切ってきたユーカリの木をつかって、三日間、音楽に合わせて輪になって踊りながら、楽しく実施されたが、最終日にはあくまで斧は切るふりである、ということをよく理解していなかった人によって思いっきり木にたたきつけられたため斧は折れ飛び、慌てて、その折れた斧の頭で切ったことにして木は倒れされるというハプニングもあった(そもそも最終日は風が強すぎてギミックが誤作動してしまうため、常に人が木を支えておく必要があった)。
そんな企画を見て盛り上がったペルー人からは、どうやらコミュニティでユンサをやりたいからこのギミックを貸し出して欲しいと依頼があったようで、これから日本各地のペルー人コミュニティでユンサが流行るのではないか?と個人的は少し期待している。
Yunza en Japón 2023
https://www.youtube.com/watch?v=-Y9qP3M1zKU
さて、では本家本元、ペルーのユンサを見てみよう。
アンデス地域では北から南まで非常に広い地域で行われている祭りなので、音楽やスタイル、規模なども様々だ。
非常にすばらしい3時間あるビデオがあったのだが、久しぶりにアクセスしようとしたらどうしても見つからないので、次点のビデオを何点かご紹介したい。
ちなみに木の太さにそれぞれのユンサの本気度が見て取れる気がする。めっちゃぶっといものは昼から初めて夜中までかかる。細いのはあっという間に切り倒される。
CORTAMONTE
https://www.youtube.com/watch?v=odCqKkTaBds
比較的小規模だが楽しんでいるのがよく分かる。6分ごろに切り倒されています。
CARNAVAL PAMPAROMINO CON LA BANDA SHOW SINFONICA DE ANCASH
https://www.youtube.com/watch?v=4PhohHH3Ank
こちらはふたまたになった木をそれぞれ切り倒すという形になっている。4分20秒ごろに一本目が切り倒されています。
ROSASPATA CARNAVALES CORTAMONTE QUELLO QUELLO 2016
https://www.youtube.com/watch?v=SLaSnEV-Csg
こちらは15分30秒ごろに切り倒されています。
さて、このようなユンサだが、実はアンデスだけでやられているわけではない。もちろん、リマへと移住したアンデス系移民も行っているのだが、そう言う意味ではなく、このユンサはアフロ系子孫の人々の祭りにもなっているのだ。
ペルー南部のチンチャやエル・カルメンなどのアフロ系集落は、もともとアンデス地域と交流があったため、アフロ系音楽にバイオリンがアンデス地域からもたらされるなどもしている。おそらくその過程でユンサも伝わったのであろう。そして、リマに出てきたアフロ系子孫のコミュニティでも夜中から明け方までユンサで盛り上がるというイベントは行われており、まさにユンサは民族を越えたペルーを象徴する祭りとなっているのである。
ユンサ・ネグラを紹介するビデオ。なんとなく全体像がイメージできます。
エル・カルメンでは彼の地のアフロ文化を牽引しているバルンブロシオ・ファミリーがユンサも中心的に行っている。
Yunza Negra | Celebra Perú
https://www.youtube.com/watch?v=XECxJFBgsCE
PASACALLE VERANO NEGRO YUNZA EN GUAYABO EL CARMEN 1988
https://www.youtube.com/watch?v=VS4-PcSI8O4
1988年のユンサ・ネグラの情景が少しだけ最後に映っています。
Yunza Negra 2012 En El Carmen-Chincha
https://www.youtube.com/watch?v=colKuPVKpp0
22分25秒ごろ倒れます。
もちろん、海外に出て行ったペルー人たちは各地でもユンサを行っている。
Yunza en el Sur de California 2,009 Carnaval Andino
https://www.youtube.com/watch?v=T9bcetmzIGE
カリフォルニアで行われたユンサ。
ユンサはやっぱり盛り上がるのである。
あなたのまちでもユンサ、やってみませんか?
ユンサ・ハポネサはやっぱり盆踊りでやるのでしょうか。
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posted by eLPop at 18:59
| 水口良樹のペルー四方山がたり
アンカシュのポマバンバ周辺の音楽:チマイチ
2023.04.03
今月の曲、ちょっと疲れてぼーっとしたときに延々と聞きたいのはアンデスのいなかのワイノやその周辺音楽、ということで最近聴いていた曲から、アンカシュのポマバンバ周辺の音楽として知られているチマイチというちょっとバイオリンのメロディが独特な音楽をご紹介。
しかも一つ目のビデオは演奏ではなく踊り。このちょっと年配の二人が踊る踊りが、若者の踊りとはまた違ってエレガントで素晴らしいです。
曲は、リゴベルト・アンダウィルカによる「Cantinas Rotas」。
https://www.youtube.com/watch?v=55eOS1A7kSE
あと、やっぱり演奏しているのもちょっとはあった方がいいかなということで、普通は横笛は今は入らないのですが、バイオリンが入る前は横笛で吹かれていたということで、ちょっと古いスタイルを復古的に取り入れて演奏しているスタイルのものからアニータ・ファハルドの「Washku la vida(mal borracho)-Yana cordillera」のメドレーをご紹介します。
ANITA FAJARDO:CHIMAYCHI MIX: Washku la vida(mal borracho) - Yana cordillera
https://www.youtube.com/watch?v=CtQu223cfZo
「2月はこれだ」目次に戻る
http://elpop.jp/article/190261244.html
posted by eLPop at 13:20
| 水口良樹のペルー四方山がたり
ペルー:政治崩壊と抗議行動激化の現状
2023.02.14
現在、ペルーの政治崩壊が2020年以上に先行きが見えない混沌とした状況になっている。発端は、2021年7月に大統領に就任したペドロ・カスティージョが22年12月に「自主クーデター」を企て失敗したことによる失脚と逮捕拘留が、予想を超えて大きな抗議運動へと発展していったことにある。

カスティージョを自らの声の代弁者と考えたり、ペルー政治がリマの富裕層に乗っ取られて地方を差別的に扱っている非民主的状況にあると考える主にアンデス系住民たちによる抗議運動の激化と、それにたいする警察や軍による暴力と死傷者の続出が、あらためて現在まで続くペルー国内の植民地的状況を浮き彫りにし、事態を膠着状態にしている(すでに50名以上の死者が出ている)。
これらの背景には1980年以降ペルーで推し進められた新自由主義経済政策によって、首都リマを中心とする沿岸都市部の拡大、経済成長と地方経済の衰退という大きな問題がある。
リマ富裕層の声を代弁するとみなされた政府に対する絶望と怒りが、政治家ではなかった地方の中学校教員組合出身の大統領を生み出すことを成し遂げたが、政治経験を持たず孤立した大統領の政権運営はすぐに行き詰まり、度重なる国会での罷免動議に追いつめられた末、かつてフジモリ大統領が行った自主クーデターをなぞる形で国会解散で起死回生を謀ろうとするも、軍や警察もついてこず、国会において大統領の罷免が議決、「反逆の疑い」で逮捕、拘留という顛末に至った。

この一連の政治的混乱の結果、副大統領から大統領へと「昇格」したのが、ディナ・ボルアルテである。ペルー初の女性大統領ということで当初は注目もされたが、軍と警察を抗議活動に容赦なく投入し、力でねじ伏せようとする姿勢によって一気に悪魔化され、抗議運動が一気に激化した。さらにボリビアとの国境地域であるアンデス南部県プーノについて「プーノはペルーではない」との発言によって事態は一層悪化した。抗議運動はボルアルテ罷免を求めるが、彼女が大統領を降りた場合、次の大統領は国会議長であるホセ・ウィリアムス・サパタが引き継ぐことになっている。しかし彼は国軍出身でフジモリ時代の虐殺事件にも関わっており、大統領に就任するとなるとますます事態は悪化する可能性も高く、今回のペドロ・カスティージョの自主クーデターと罷免、逮捕に端を発するペルーの社会混乱はまったく先の見えない難しい状況へと追い込まれてしまっている。
そんな中、今回の山岳民蜂起のテーマ曲のようになっているのがこの「Dina asesina, el pueblo te repudia(人殺しのディナ、おまえを拒絶する)」という歌だ。バンダ(ブラスバンド)やマリアッチ、ギター、アルパ(ハープ)などさまざまなスタイルでデモ行進の中で演奏され歌われている。特に「この民主主義はもはや民主主義ではない」と始まる歌の冒頭が強烈だ。以下、歌詞を載せておく。
この民主主義はもはや民主主義ではない
人殺しのディナ、民衆はおまえを拒絶する
おまえがあきらめるまで何人の人が死ねば良いのか
人殺しのディナ、民衆はおまえを拒絶する
軍隊の給料は腐敗を守るため
銃弾やミサイルは我ら民衆を殺すため
この民主主義はもはや民主主義ではない
人殺しのディナ、民衆はおまえを拒絶する
DINA ASESINA EL PUEBLO TE REPUDIA
https://www.youtube.com/watch?v=ILneC_rmx3A
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カスティージョを自らの声の代弁者と考えたり、ペルー政治がリマの富裕層に乗っ取られて地方を差別的に扱っている非民主的状況にあると考える主にアンデス系住民たちによる抗議運動の激化と、それにたいする警察や軍による暴力と死傷者の続出が、あらためて現在まで続くペルー国内の植民地的状況を浮き彫りにし、事態を膠着状態にしている(すでに50名以上の死者が出ている)。
これらの背景には1980年以降ペルーで推し進められた新自由主義経済政策によって、首都リマを中心とする沿岸都市部の拡大、経済成長と地方経済の衰退という大きな問題がある。
リマ富裕層の声を代弁するとみなされた政府に対する絶望と怒りが、政治家ではなかった地方の中学校教員組合出身の大統領を生み出すことを成し遂げたが、政治経験を持たず孤立した大統領の政権運営はすぐに行き詰まり、度重なる国会での罷免動議に追いつめられた末、かつてフジモリ大統領が行った自主クーデターをなぞる形で国会解散で起死回生を謀ろうとするも、軍や警察もついてこず、国会において大統領の罷免が議決、「反逆の疑い」で逮捕、拘留という顛末に至った。

この一連の政治的混乱の結果、副大統領から大統領へと「昇格」したのが、ディナ・ボルアルテである。ペルー初の女性大統領ということで当初は注目もされたが、軍と警察を抗議活動に容赦なく投入し、力でねじ伏せようとする姿勢によって一気に悪魔化され、抗議運動が一気に激化した。さらにボリビアとの国境地域であるアンデス南部県プーノについて「プーノはペルーではない」との発言によって事態は一層悪化した。抗議運動はボルアルテ罷免を求めるが、彼女が大統領を降りた場合、次の大統領は国会議長であるホセ・ウィリアムス・サパタが引き継ぐことになっている。しかし彼は国軍出身でフジモリ時代の虐殺事件にも関わっており、大統領に就任するとなるとますます事態は悪化する可能性も高く、今回のペドロ・カスティージョの自主クーデターと罷免、逮捕に端を発するペルーの社会混乱はまったく先の見えない難しい状況へと追い込まれてしまっている。
そんな中、今回の山岳民蜂起のテーマ曲のようになっているのがこの「Dina asesina, el pueblo te repudia(人殺しのディナ、おまえを拒絶する)」という歌だ。バンダ(ブラスバンド)やマリアッチ、ギター、アルパ(ハープ)などさまざまなスタイルでデモ行進の中で演奏され歌われている。特に「この民主主義はもはや民主主義ではない」と始まる歌の冒頭が強烈だ。以下、歌詞を載せておく。
この民主主義はもはや民主主義ではない
人殺しのディナ、民衆はおまえを拒絶する
おまえがあきらめるまで何人の人が死ねば良いのか
人殺しのディナ、民衆はおまえを拒絶する
軍隊の給料は腐敗を守るため
銃弾やミサイルは我ら民衆を殺すため
この民主主義はもはや民主主義ではない
人殺しのディナ、民衆はおまえを拒絶する
DINA ASESINA EL PUEBLO TE REPUDIA
https://www.youtube.com/watch?v=ILneC_rmx3A
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posted by eLPop at 21:52
| 水口良樹のペルー四方山がたり