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ケッツァル『チカーナ・スカイズ』

2023.08.03

既に24年も経つのかと感慨に耽けた。今やラテン・グラミー賞を獲得し、レーベルは
あのスミソニアン。歌手のマーサは大学教授の職も得て、イースト・ロサンゼルスの
知的演奏家集団として確固たるポジションを獲得している。ちょうど会社を退職して
暗澹たる気持ちで日々過ごしていた当時の私に強烈な光を届けたのがこの動画だっ
た。

既存のラテン・ロックから離脱してソン・ハローチョの楽器や要素を摂り入れた
有機的ともいえる優しい「音」の感触。新しい時代の鋭く若い息吹を感じ、その感動
と共に会社を立ち上げてしまったのだ。2度の来日公演を実現させるなど随分と張り
切って宣伝にも力を尽くした。が、残念ながらレーベル移籍などでビジネスの関係は
途切れてしまった。

緩やかな友人関係は続いていた。 リーダーのケッツァルから突然日本に遊びに行く
からと連絡が入ったのは6月だった。18歳になった息子も連れてくるという。3人の
演奏も可能ということでかつてのファンとの親交の宴のような演奏会を急遽、東京で
開くことに。また高知県神山に移住した共通の友人で映像作家のアキラ・ボックを訪
ねて四国まで足を運ぶという。現地でも演奏をするかもということで、私も700kmを
一気にクルマで走って現地へ向かった。山のなかに建つビール工房の敷地で開かれた
演奏会には悪天にも関わらず沢山の子供たちも含めて100名以上の住人が集まった。
剣山も近い深い山谷に響く彼らの力強い演奏。マーサのサパテアードとケッツァルの
ハラーナはまさにダウン・トゥ・アース。子供たちが自由に踊り出した。

この動画を久しぶりに観た。音楽の核心は全くぶれていない。グループを結成して今
年で30年だそうだ。8月19日にはロサンゼルスで記念ライヴも開催されるようだ。昨
今の余りの円安では気軽に行けないが、東京から一緒に喜びたいと思う。

QUETZAL: CHICANA SKIES

https://youtu.be/o4phwEm55L4

ジ・マーローズ

2023.05.26

 オルタナ・ミュージック、ソウル、ジャズ、トロピカルなどの既存ジャンルを巧みにミックスした新世代によるネオ・ヴィンテージ・サウンドの勢いはアメリカのインディー・シーンのなかで確かな存在感を示しているが、昨今はヨーロッパ、日本でも耳の肥えた音楽ファンやアーティストを魅了している。コールマインペンローズ、そしてビッグ・クラウンといったレーベルがシーンを牽引する人気レーベルだ。昨年秋に来日して多くのファンをもつボリビア系フィンランド人ボビー・オローサを輩出したビッグ・クラウンから再び大注目のアクトが登場して愛好家の間で大きな話題になっている。

 バンド名はジ・マーローズ。褐色の肌にスタイリッシュなファッションに身を包む女性1名男性2名によるトリオ。甘いメロディ・フックをもつサウンドはカリフォルニアからの若いチカーノ・グループかと思いきや、なんと出身はインドネシア第二の都市、スラバヤ。バンド名の定冠詞をTHEではなくTHEEとしたのは、大好きなチカーノ・グループ、ジ・ミッドナイターズからとったというのだから二度驚いてしまった。

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「ソウル、ファンク、ヒップホップ、ロックステディ、ラヴァーズ・ロック、ジャズ、ポップス、ダブなど、さまざまなタイプの音楽を聴いています。ジ・マーローズの音楽に最も影響を与えたのは、グラディス・ナイト、ブラッドストーン、スモーキー・ロビンソンからエリカ・バドゥ、シャーデー、そしてクレオ・ソルのような新しいアーティストまで、新旧のR&Bです。ラルフィ・パガン、クリシェ、アストラッド・ジルベルト、山下達郎など、様々な時代や文化からのポップスからもたくさん影響を受けています。」(筆者によるインタビュー)


 英語も巧みに操り、インターネットで溢れる情報を巧みにエディットして一気に最先端の音楽を創造してしまう。その才能には驚くばかりだ。夏に第2弾のシングルを発売し、来年には待望のフルアルバムも出るそうだ。ぜひ来日ツアーも実現させたいと思っている。今、一番気になるバンドのひとつだ。

THEE MARLOES “MIDONIGHT HOTLINE”

https://youtu.be/yLmBJ-pXy8o

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ルーベン・モリーナ来日イベント 5/19(大阪)5/21(東京)

2023.04.03


チカーノらが奏でたR&Bミュージックの歴史とストーリーをまとめた市井の研究家、ルーベン・モリーナ氏を5月に招聘する。

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所謂「チカーノ・ソウル」と呼ばれるジャンルだが、本当に理解するためには深い想像力が要求される。当然、音楽だけの話ではない。その痕跡と物語はアメリカに越境してきた(当然割譲前から暮らしていたメキシコ人もいるが、ごく僅か)メキシコ人たちの移民史を知ることに他ならない。

広大な農地が広がる国境に近いテキサスやカリフォルニアから、彼らは仕事を求めて他州にも移動していった。そのうち、散らばった彼らの居場所を訪ねる音楽サーキットが出来上がる。黒人たちのチトリン・サーキットならぬメヌード・サーキット。ドサ周りである。町の片隅に出来上がったバリオのバーで鳴り響く音楽。アメリカの音楽に晒された若い世代は黒人たちの音楽にも影響を受けていく。パンチョスのような三重唱やラテン・リズムがR&Bに重なる。50年代中盤から若いチカーノらによるR&Bの演奏が「密か」に盛んになっていく。

ルーベン氏が書いた『チカーノ・ソウル〜アメリカ文化に秘められたもうひとつの音楽史』(サウザンブックス)は、各地のインディ・レーベルから僅かしかプレスされなかった音源と演奏家を訪ねてまとめた貴重な資料となり、それはチカーノ・スタディーズのアカデミアに腰を抜かすほどの衝撃を与えた。

ジョー・ジャマはそんなルーベン氏が大好きなサンアントニオのアーティスト。イギリスのノーザン・ソウル好きたちにも敬愛され、オリジナル盤は軽く3000ドルの値をつけるという。どんなものかぜひ聴いてみて欲しい。

イベント詳細:
http://www.m-camp.net/ChicanoSoul2023.html
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Joe Jama - My Life

https://www.youtube.com/watch?v=O6Ndww0-CJ4


「2月はこれだ」目次に戻る
http://elpop.jp/article/190261244.html

ジョー・バターン・ライヴ・アット・グローブ、LA

2023.02.14

「ラテン・ソウルの王様、ジョー・バターンは今年80歳を迎えている。私が主催した最後の来日が2017年なのでもう5年以上も前になる。そんなジョーが冬には珍しくロサンゼルスでショーをやるというので、挨拶も兼ねて私も現地に飛んできた。

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会場は古い劇場をリノベーションしたダウンタウンのグローヴ。500人ぐらいのお客さんのほぼ100%がチカーノ/チカーナたち。オールドスクールのギャングスタ風ファッションをしたヤンチャな若者たちだ。DJが大人気のフリースタイル〜ファンクを大音量で鳴らして盛り上げてから、デルフォニックスのメンバーが登場してカラオケをバックに往時の人気曲を熱唱。生まれる前のヒット曲なのにオーディンスも一緒に歌って大盛り上がり。所謂バリオ・オールディーズと呼ばれる古いR&Bは今でもしっかりと継承されている。

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続いて往年のR&Bグループ、ヤングハーツが登場。昔のラヴ・ソングは本当に人気だ。

そしていよいよトリのジョー・バターンが登場。バンドはホーン2名も抱えた大編成バンド。流石に往時のようとはいかないが、声に張りがあって年齢を感じさせないパワフルなジョー節が会場に響いた。ゴスペルの「ザ・プレイヤー」、ローライダー・ナンバーとして知られる「サッド・ガール」に「アンダー・ザ・ストリート・ランプ」などラテン・ソウルの人気曲が続いた。

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バンドにはロッキー・パディーヤやジェイコブ・Gといったローカルの人気歌手が楽器やコーラスで参加していた。全くもって酷すぎる音響や背景に他人のMVが流れ続けるという配慮の賭けた演出がなければ、もっと枯れたジョーの魅力が伝わったはずだ。もし日本にまた連れてこれたら、今のジョーの魅力を伝える演出をしっかりとやれるはずだ。

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翌日はホテルに呼ばれてゆっくりと話が出来た。マル秘の音源も聴かせてくれたのでびっくり。ということで年内にもう一度ジョーの来日を何とか叶えたいと思っている。

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(イースト・ロサンゼルスより)

福生の片隅にあるリトル・ブラジル。

2014.06.16

東京周辺に南米料理店が開店し始めたのは80年代の後半から90年代前半。1990年入管法が改正されて、ブラジルやペルーからの日系移民のデカセギが急増。川崎や厚木にペルー・レストランがオープンし、徐々に関東平野全体にそんな店が点在していった。日系出稼ぎ社会への好奇心も手伝って月に一度ぐらいの割合でよく通った。確かインカ・コーラが200円。肉料理もその頃は安かった。日本のスタンダードが浸食していない店のムードに感動し、アルコイリス(今でも健在)などで一人はるかペルーへ想い馳せていたものだ。さらに、群馬の大泉にはディスコまで出来たという噂を聞きつけて、皆で押しかけたのも憶えている。とにかく、日本のなかに出来上がった南米の空間を味わいたかった。異国の地で「デカセギ」として働く彼らの労苦も知らないで、随分とお気楽な闖入者だったと、今では赤面する思いでもある。


あれから20数年。「デカセギ」という言葉もあまり聞かなくなった。状況は多々変わったのだろう。南米関連の食堂やお店も、随分と入れ替わりが激しい。また今では日本人相手に地元に根付いたところも出てきている。しかし、全体で見れば随分と数は減ってしまったように思える。ということで、もう一度、関東平野に広がる南米の拠点をゆっくりと訪ねてみようかと思う。しかも、なるべく自転車で。早速、東京は福生にあるブラジル料理店を訪ねてみた。名前は「南米食堂」!


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自宅のある調布からは多摩川サイクリング・ロードで一時間と少々。快適な道が続きます。とはいえ歩行者優先なので、ゆっくりと。


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福生が近づくと奥多摩の稜線が迫ってきます。この日は雨の後で水量も多く、水と緑と空のコントラストが何とも美しい。


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 到着!青梅線牛浜駅の西側を出てすぐ右の路地。目印はブラジルの国旗。調布から25km。店内はカウンターだけですが、2階席もあるらしい。まだ開店間もないのに、俺たちが入ったら既に満員。


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まさに駆けつけ一杯。一杯だけで我慢。カイピリーニャなどももちろんあります。


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基本はシュラスコです。店主お手製の窯で焼いてくれます。この日はランプ肉がなく、イチボを中心に鶏肉、ソーセージなど。フェジョアーダももちろんつけました。どれも美味い!


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ポン・ジ・ケージョにユカ芋のフライ。写真撮り忘れましたが、鶏肉のコシーニャも美味しかったッス。


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以前は国道16号線沿いで食材屋さんも兼ねたお店でした。ブラジル人の店主曰く、昔沢山いたブラジル人も随分と減ってしまい最近ではペルー人の方が多いそうです。でも地元の方に愛されているようで、この日も日本人で満員が続いていました。福生の片隅に咲いたリトル・ブラジル。都心に比べると破格の安さだし、カウンター越しに店主とのコミュニケーションも楽しい。お近くの方はぜひ行ってみてください。そういえば、牛浜駅の次、福生駅にはペルー系の食堂が数店あったけど、今はどうなったんだろう。近日中に、またチャリで探しに行ってみよう。ではでは。


南米食堂

福生市牛浜99-12
電話:080-9425-0141