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エディ・パルミエリとニューヨーク・ラテンC<70年代>

2014.09.22

――アルバム『バモノス・パル・モンテ』などを録音したとき、あなたは新しいラテン音楽を作ろうとしていた、ということですね?

そのとおり。新しい、だけじゃなく、違う音楽だ。
兄がオルガンで・・・それまでは私たちがやったような形のものはなかった・・・「バモノス・パル・モンテ」の有名なソロを弾き、チョコラーテ・アルメンテロス(トランペット)が、単なるソロ以上のことをやっている。そして私たちは、あるメッセージを伝えようとしていた。あるステートメント/声明を出すのにいい時期だったんだ。それはひとつのムーブメントであり、みんながわれわれの新しい音楽・新しい作品を聞いて興奮していた。
『バモノス・パル・モンテ』はとてもエキサイティングなアルバムだ。これも71年にリリースされたと思う・・・。

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posted by eLPop at 14:54 | 岡本郁生のラテン横丁

エディ・パルミエリとニューヨーク・ラテンB<60年代後半〜70年第初頭>

2014.09.20

――1960年代半ば、ブーガルー・ブームが始まるころにカル・ジェイダー(ヴィブラフォン)とのジャズ・アルバム『エル・ソニード・ヌエボ』(66年)をリリースしています。

66年にカルがニューヨークに来たときチーターで一緒にやって、彼が私の楽団ラ・ペルフェクタと録音したがった。これは彼のヴァーヴ・レーベルからで、もう1枚、私が在籍していたティコに録音がある(67年:アルバム『バンボレアテ』)。
カルはとても才能がある人で、ラテン・ジャズのイノヴェーターのひとりだね。とてもラテン・ジャズを愛していて、モンゴ・サンタマリアやウィリー・ボボなんかと録音していたから既に人気者だった。58年にニューヨークに来たとき、モンゴやボボをプエンテから引き抜いて、カリフォルニアに連れて行ったんだ。

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posted by eLPop at 11:17 | 岡本郁生のラテン横丁

エディ・パルミエリとニューヨーク・ラテンA<バンド結成〜ブーガルー>

2014.09.18

――あなたの最初のバンド=ラ・ペルフェクタはトロンバンガの楽団ですね(1961年結成、62年にアルバム・デビュー)。

そう。バリー・ロジャースとブラジル人のホセ・ロドリゲスのふたりのトロンボーンで、ほかとは違ったサウンドを出していたんだ。



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posted by eLPop at 18:54 | 岡本郁生のラテン横丁

エディ・パルミエリとニューヨーク・ラテン@

2014.09.16

ニューヨーク・ラテン界のレジェンド、孤高のピアニスト、エディ・パルミエリがブルーノート東京にやってくる。2012年9月以来ほぼ2年ぶりとなる来日で、前回同様<サルサ・オーケストラ>を率いての公演だ。どんな強烈な音を聞かせてくれるのか? いまからもう、わくわくドキドキの毎日である。

そこで、公演が待ちきれない紳士淑女の皆さまのために、筆者が07年に行ったインタビューを引っ張り出して、それをネタにしながら、彼の音楽の世界、さらにニューヨーク・ラテンの歴史をいま一度おさらいしてみたいと思う。

※ちなみにこのインタビューは、08年に出版した『米国ラテン音楽ディスク・ガイド50’s-80’s LATIN DANCE MANIA』(リットー・ミュージック)の中に一部を使用したものの、ほとんどの部分は今回初めて陽の目を見るものです。

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エディ・パルミエリは1936年、ニューヨークのエル・バリオ(スパニッシュ・ハーレム)でプエルト・リコ人の両親のもとに生まれた。9歳年上の兄・チャーリーの影響でピアノを弾くようになり、15歳でプロになると、50年代にはさまざまな名門楽団に参加する。50年代のニューヨークといえば何といってもマンボの全盛時代。キューバ音楽が世界を席巻していた時代だ。

――1950年代のニューヨークではマンボが大きな人気を博していました。プエルトリコ音楽はどうでしたか? コルティーホとか…。
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チェオ・フェリシアーノ追悼:熱狂のジョー・クーバ・セクステット

2014.05.19

 チェオ・フェリシアーノが亡くなり、彼のキャリアを辿って行くうちに、改めてその偉大さを実感したのがジョー・クーバ楽団である。
ジョー・クーバといえば、1960年代半ばに「エル・ピト」や「バン・バン」を大ヒットさせブーガルー・ブームの先駆けとなった人、というイメージが強い。しかし実はそれ以前、50年代後半〜60年代前半にかけて、ニューヨークで物凄い人気を誇っていたバンドなのだ。

 1931年、ニュー・ヨークのエル・バリオで生まれたジョー・クーバ(本名:ヒルベルト・カルデロン)は、高校卒業後にティト・プエンテに弟子入り。やがて、ホーン・セクションの代わりにヴィブラフォンを入れたセクステットを結成する。彼のセクステットは、そのクールなサウンドと粋なファッション、ユニークなステージ・アクションでアッという間に話題を集めることになった。当時コンガは座って叩くのが普通だったが、ジョーはそれを椅子の上に置いて(のちにはスタンドを使って)立って叩き、ティンバレスのジミー・サバテール、歌のウィリー・トーレスと3人でダンス・ステップを踏むのである。レパートリーはマンボやチャチャチャ、ボレロなどラテン・ナンバーとジャズやR&Bのカヴァーであった。このあとトーレスがバンドを離れたところに加入したのがチェオ・フェリシアーノである。

 当時、50年代半ばはまだマンボの全盛期、マチート、プエンテ、ロドリゲスがパレイディアムを毎夜湧かせていた時代。しかし一方でジョー・クーバ・セクステットは、一味違う超ファンキーなサウンドで人気を博していたのだった。



 そのへんの話を、ここでは、descarga.comに掲載された2000年2月23日の記事(アベル・デルガドによるチェオへのインタビューの一部)からご紹介したい。続きを読む
posted by eLPop at 22:48 | 岡本郁生のラテン横丁