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【チェオ・フェリシアーノ追悼:熱狂のジョー・クーバ・セクステット】 2014.05.19
【セレーナの誕生日に…】2014.04.17
【セルヒオ・ジョージ・インタヴュー】
【ラロ・ロドリゲス!】 2014.03.14
【「サルサ・ジャイアンツ」NORAインタビュー】
【キックオフ・パーティの選曲リストです!】2014.02.24
【朝から泣けるぜ】2014.02.13

2026年前半はこれだ!戦後日本のラテン史

2026.07.15

最近また、戦後の日本ラテン史に惹かれてまして、いろんな方に少しずつインタビューをしております。
もう〜、面白い話が山盛りでなかなか整理できませんが…(笑)。
混乱・混沌・手探りの中で新しい音楽を求めて突き進んでいく先輩たちの姿には感動&尊敬。爆笑もののエピソードも…。
1958年生まれの私には想像でしか体験できない貴重なシーンも、こんな映像の中にあったりして。



https://www.youtube.com/watch?v=_Vrz8714j0U&list=RD_Vrz8714j0U&start_radio=1

映画「青春ジャズ娘」(1953年)から東京キューバンボーイズと新倉美子とのシーン

ひばり・チエミ・いづみの元祖「三人娘」で知られる江利チエミも東京キューバンボーイズとはたびたび共演しています。


https://www.youtube.com/watch?v=Tr2OcMkdAPI&list=RDTr2OcMkdAPI&start_radio=1
江利チエミと東京キューバンボーイズの「インスタンブール・マンボ」(1955年)

インタビュー、徐々にアップする予定ですのでよろしくお願いします。

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posted by eLPop at 09:43 | 岡本郁生のラテン横丁

アルトゥーロ・オファリル インタビュー<後半>

2026.05.02

UCLAハーブ・アルパート音楽学校の教授・教員らと卒業生で構成される「UCLA Latin World Music Ensemble」の一員として来日したアルトゥーロ・オファリル(Arturo O’Farrill)。インタビューの後半をお届けします。

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――先ほどカーラ・ブレイについての話がありましたが、昨年は、全く異なるタイプのアルバムを2枚リリースされました。

そう、全く違うタイプのアルバムだ。

――ひとつはカーラ・ブレイに捧げた『Mundoagua – Celebrating Carla Bley』
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そしてもうひとつはディジー・ガレスピーに捧げた『The Original Influences:Dizzy, Chano & Chico(Live at Town Hall)』。
The Original Influences.jpeg

後者は、タウン・ホールで開催した『オリジナル・インフルエンス』と題した素晴らしいコンサートのライブ録音なんだ。チャノ・ポソに敬意を表したものだ。

――カーラ・ブレイとディジー・ガレスピー、このような異なったスタイルを演奏するのは、あなたにとっては、それほど難しくないことなんですか?

そうだね。父は私に、自分ができる限り最高のミュージシャンになるべきで、スタイルなんて気にするな、と教えてくれた。コンセプトなんて気にしないで、実力を身につけろ。上手に演奏しろ。自分の楽器を愛せ。自分自身を愛せ。自分の文化を愛せ。そして、ジャズであれクラシックであれ、準備を怠るな、と教えてくれた。つまり、私は何でもやるんだ。クラシックも書くし、ジャズも書くし、ラテン音楽も書く。自分のオーケストラも持っている。私たちは音楽という「建物」を築くんだ。

私にとって、もう一人の父のような存在だったのが、偉大なテナーサックス奏者のマリオ・リベラだ。彼はこう言った。「優れたミュージシャンとは、科学者であり、シェフであり、哲学者であり、建築家である」と。私はそれを信じている。人生を愛し、コミュニティを愛するために、できる限り多くのものを身につけておくべきだと信じている。音楽はそこから生まれるんだ。

MarioRivera1970s.jpg マリオ・リベラ

――そういうところから、ご自身の楽団、アフロ・ラテン・ジャズ・オーケストラ(Afro Latin Jazz Orchestra)が誕生したんですね。

アフロ・ラテン・ジャズ・オーケストラは、2002年に「ジャズ・アット・リンカーン・センター」のために立ち上げたんだ。私たちは5年間、ジャズ・アット・リンカーン・センターのメンバーだった。そして、次のステップへ進む時が来た。ウィントン(・マルサリス)と私は友人で、今でも非常に親しい関係にある。でも、私たちにとって巣立つ時が来た。そこで私はアフロ・ラテン・ジャズ・オーケストラを立ち上げ、コンサートやツアー、レコーディングを始めた。素晴らしい経験だったね。
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アフロ・ラテン・ジャズ・オーケストラ

――お父様が亡くなったあと、ということですね?

そう、父が亡くなったあとだ。父は2001年に亡くなり、2002年に、ウィントンからリンカーン・センターに招かれた。

――それ以前は、お父様と一緒にアフロ・キューバン・ジャズ・オーケストラ(Afro Cuban Jazz Orchestra)を率いていたんですね?

その通り。父のオーケストラを引き継いで、父が亡くなった後も、両方のオーケストラを続けていた。

――2つのオーケストラにはどんな違いがありますか?

面白い話がある。私はずっと作曲家として活動してきたが、父と比較されることをとても恐れていた。チコ・オファリルより優れているとか劣っているとか、そういう比較をされるのが本当に怖かった。だから自分の曲は演奏しなかったんだ。その後、父がまだ生きていた頃、ウィントンと一緒にコンサートをやった。家に帰ると、留守番電話にメッセージが入っていた。誰かが「アルトゥーロ、ハッキリ言っとくが、お前には父親の才能の40分の1もないことを知っておけ。実際、お前がゴミを漁っているのが見えるぞ」とメッセージを残していた。

人生で何よりも恐れていたことが現実になったんだ。しかしそれは、まるで解放のようなものだった。扉が開き、光が灯ったような感覚だった。「私は決して父のようにはなれない。だが、私は作曲家だ」と。こうして、自分を表現できるようになったことは、私にとって本当に重要な転機だった。

そう、私はアフロ・キューバンではないし、マンボにとらわれてるわけでもない。私はアフロ・ラテンなんだ。アフロ・ラテンは南北アメリカ大陸全体の遺産だと私は信じている。私のオーケストラでは、ペルーの音楽を演奏するし、エクアドルの音楽も演奏する。スポークンワードやヒップホップを取り入れた音楽も演奏する。私のオーケストラでは、他の誰もやったことのない方法でラテン・ジャズの表現の幅を広げているんだ。なぜなら、ラテン・ジャズこそが、ラテン音楽とジャズの持つ可能性のすべてを真に表現していると思うからだ。

ハンド・ドラム(手で叩く太鼓)には、何かとても素晴らしいものがあると感じている。なぜスウィングにハンド・ドラムがないのか? 分からない。全く見当もつかない。でも私にとって、コンガやボンゴは、ジャズにおいて非常に重要な楽器なんだ。でも人々は「いや、それが入ってたらラテン・ジャズだ」と言う。いや、そうじゃない。すべて同じファミリーの一部なんだ。すべてが同じ表現の一部なんだ。そしてその表現とは、こういうことだ。

アフリカは、先住民族の世界において、自らの意思に反して連れてこられて奴隷とされた人々を産み出した。これは、何度も何度も語り継がれるべき物語だ。なぜなら、歴史の物語を語らなければ、私たちはそれを繰り返す運命にあるからだ。

そして、恐ろしい時代が今、まさに訪れている。恐ろしく、不安な時代だ。私の同胞はアメリカで苦しんでいる。犯罪者のように連行され、殺されている。本当に恐ろしい時代だ。私も苦しんでいる。キューバで起きていること、そして世界中で起きていることを見て、私は苦しんでいる。だからこそ、この音楽が私にとってなぜこれほど重要なのかを、誇りを持って語ろうと思う。


――だからこそ、あなたは『ファンダンゴ・アット・ザ・ウォール』に参加したんですね。とても広がりを持った音楽だと思います。ラテン音楽だけではありませんよね。
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『ファンダンゴ・アット・ザ・ウォール』は、ヴァルダ・バー=カー監督による2020年のHBO映画で、米国とメキシコとの国境に建てられた壁をはさんだ両側、サンディエゴとティフアナで2008年から毎年開催される音楽フェスティバル「ファンダンゴ・フロンテリソ」を題材としたもの。フェスティバルの創設者ホルヘ・カスティジョが、プロデューサーのカビール・セガルと共に、アルトゥーロをメキシコ・ベラクルス州への旅に案内し、そこで彼らは、先住民、スペイン、アフリカの要素を融合させた伝統音楽「ソン・ハローチョ」の巨匠たちと出会うというストーリーだ。
アルトゥーロはこのストーリーにインスピレーションを受け、同名のアルバムを発表している。ここにはやはり「メキシコ系アメリカ人」としての彼の思いが強く反映しているように思われる。

『ファンダンゴ・アット・ザ・ウォール』を日本に持ち込みたい。日本に届けたい。このプロジェクトは私にとってとても重要なものなんだ。『ファンダンゴ・アット・ザ・ウォール』は、とてもエレガントだと感じたからだ。私は、社会活動や政治活動に積極的に参加しているんだが、ファンダンゴの創始者であるホルヘ(・カスティジョ)が、人々を(アメリカとメキシコの)「国境の壁」に集めたのを見た時、本当に衝撃を受けた。彼は世界中からミュージシャンを集めた。レジーナもいた。レジーナ・カーターもそこにいたんだ。ホルヘは世界中からミュージシャンを壁のところに集め、私たちはフェンス越しに演奏した。本当に素晴らしいと思った。たったギター1本で、政治の壁を打ち砕くことができるんだから。心からこの活動に共感している。

だって、今の状況を見てほしい。今起きていることは恐ろしいことだ。トランプが私の同胞にしたことは、犯罪だ。だから今こそ、これまで以上に、私たちはハラナを手に取り、憎しみの壁に立ち向かい、演奏し、歌い、踊り、決して屈しない。

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『Fandango at the Wall in New York』(2022年)
グラミー賞<ベスト・ラテン・ジャズ・アルバム>受賞

――アフロ・ラテン・ジャズ・オーケストラについて、もう一度伺いたいんですが、バードランドでは今も定期的にパフォーマンスをされているんですか?

(今年2月で)やめてしまったよ。

――え、やめてしまった?

29年も続いたのに、もうバードランドとは関わりがないんだ。

――なぜ?

正直な話、バードランドのオーナーがひどく厄介な人間になってしまったからだ。ミュージシャンたちに暴言を吐くようになり、とても意地悪になって、どのミュージシャンを雇うべきか、誰をクビにするべきか、どんな曲を演奏するべきかまで指図するようになった。そんなことをやっちゃいけないんだ。

――残念ですね。

ええ、本当に悲しい。オーナーは私にとってヒーローのような存在で大好きだったのに、年を取って陰険になって、道を踏み外してしまったのだと思う。気の毒に思うよ。バードランドは大好きだ。そこに集まる人たちも大好きだ。29年間、あの会場の観客の前で演奏できたことは、私の人生における最大の栄誉だった。でも、もう潮時だった。

ちなみに、新しいレジデンシー(定期公演)を始めるんだ。シティ・ワイナリーという、もっと大きなクラブでレジデンシーを始める。全米に支店があるクラブだ。バードランドでは物足りなくなってしまった。ジャズ・アット・リンカーン・センターからも、バードランドからも卒業した。自分たちの建物を建てているところだ。だから、あんな形で終わってしまったのは残念だけど、大切なものは守らなければならないと思ってる。

一番大切なのは、会場の中央にある私たちのコミュニティだ。そこにはミュージシャンも観客もいない。ただ、協力と愛の精神だけがある。しかし、そのコミュニティが、あの男の毒によって蝕まれ始めていた。だから、良心に従って、観客、ミュージシャン、そして音楽を、これ以上彼に晒すわけにはいかなかった。

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バードランド

――ところで、息子さんたちのことをお伺いしたいのですが、それぞれ何歳ですか?

ザック(ドラムス)は34歳。アダム(トランペット)は31歳。ザックは信じられないほど素晴らしいパーカッショニストでドラマーなんだ。世界中でたくさんの人と共演している。
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ザック・オファリル

――あなたとも共演してますよね?

うん、よく一緒に演奏するよ。先住民のベーシスト、マリ・オボンサウィン(Mali Obomsawin)とも共演している。そしてもちろん、アダムのことは知っているだろう? 彼は長年、(上原)ひろみと共演していて、それは彼にとって大きな名誉だ。彼自身も音楽活動を始めていて、つい最近アルバムをリリースしたばかりなんだ。
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アダム・オファリル参加、上原ひろみHiromi’s Sonicwonderの最新アルバム『OUT THERE』

彼らが活躍してるから、僕は釣りを習おうと思っている(笑)。マス釣りを習おうと思っているんだ。妻と二人で少し時間を取って、人生を楽しんでみたい。

――彼らの音楽についてどう思いますか? あなたの音楽とは少し違いますが……

まぁ、悪くはないかな……いやいや冗談だよ(笑)。彼らは素晴らしいと思うよ。本当に素晴らしい。優れたミュージシャンで、冒険的で、若くて、私たちがアフロ・ラテンと呼ぶ音楽、あるいは何と呼ぼうと構わないが、そのあり方を変えていくだろう。面白いことに、何かをラテン・ジャズ、ジャズ、あるいはアフロ・ラテン・ジャズと呼ぶことは、もっと大きな議論への入り口に過ぎないということを、私はよく考えていた。

アダムは坂本龍一が大好きなんだ。坂本龍一が大好きで、レディオヘッドや(上原)ひろみなどからも影響を受けている。それが彼の音楽的ルーツなんだ。

もう一人の息子(ザック)はベネズエラ音楽とキューバ音楽から影響を受けている。彼は素晴らしいパーカッショニストで、ラテン・ジャズについて、私よりもずっと詳しい。だから、彼ら二人はまさに時代の先駆者であり、そして二人とも…でも、私が何よりも誇りに思っているのは、彼らが本当に素晴らしい人間たちだということだ。寛大で、優しく、謙虚で、音楽はあくまで道具に過ぎないということを理解している。


――ニューヨークのラテン音楽について伺いたいんですが……ティト・プエンテ、エディ・パルミエリ、ウィリー・コロンなど、多くの巨匠が亡くなりました。ニューヨークのラテン音楽シーンは大きく変化していると思います。

進化しているね。私はティト、エディ、ウィリーを知っていた。伝統の素晴らしいところは、それが消え去ることにある。人生の素晴らしいところは、それが終わることにある。そして、何か新しいことが起こる。それは私が知る限り、最も美しいことだ。それは約束ではない。私たちには何も約束されていない。

だから、ミュージシャンとしてこの世に生まれてきた私たちには、限られた寿命がある。私はエディを、心から愛している。エディへの愛が私の人生を変えた。彼が亡くなった時はとても悲しかったが、それもプロセスの一部だと理解していた。今、私たちにはエディ・パルミエリがいる。彼の名を冠した通りが作られる予定だし、彼の作品を思い出として残している。だが、誰かが……私はその人物を知っている……その役割を引き継ぎ始めている。ザッカイ・カーティス(Zaccai Curtis)という名の若いピアニストだ。

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ザッカイ・カーティス『Cubop Lives!』
グラミー賞<最優秀ラテン・ジャズ・アルバム>受賞

――はい、ザッカイ・カーティスですね。

そう、ザッカイ。彼がその役割を引き継ぎ始めている。ザッカイがいなくなったら、また別の若いピアニストが現れるだろう。そして私がいなくなったら、また別の誰かが現れる。それが人生の素晴らしいところなんだ。人生は手元に留めておくことができない。できるのはただ……贈り物を独り占めしておくことはできない。独り占めしてしまえば、それはもはや贈り物ではない。ただ、手放すことしかできないんだ。贈り物は、動き続けてこそ贈り物となる。そして、エディ、ウィリー、ティトが私たちに与えてくれた贈り物は、独り占めしていたら、贈り物ではなくなってしまう。私たちがそれを手放し続けるときだけ、それは贈り物であり続ける。それが、彼らが私たちに教えてくれたことなんだ。

――ところで、ビッグ・バンドを経済的に維持していくのは、大変なのではないですか?

いや、そうでもないんだ。面白いことに、私は父の影響を強く受けて……私たちは組織を運営し、コンサート・シーズン、レコーディング・シーズン、ツアー・シーズンを設けている。そして、音楽家たちが仕事を続けられるよう、懸命に努力している。というのも、父がミュージシャンを雇用する姿を見て育ったからね。それはとても尊いことだと思ってる。

ミュージシャンは、博士号取得に匹敵するほどの時間をかけて勉強し、その後フリーランスの世界に入る。仕事はない。医者になるために一所懸命勉強して、仕事の保証もない世界に入るようなものだ。それは本当に尊いことだ。本当に、本当に立派なことだ。だからこそ私は、ミュージシャンが仕事を続けられるように人生を捧げてきた。だから、ビッグ・バンドを維持しなければならないんだ。それに、ビッグ・バンドは私たちの声でもあると思っている。

そう。維持していくのは確かに大変で、私たちは本当に努力している。でも、私たちはとても恵まれている。演奏し、ツアーを行い、トロントのロイヤル・コンサバトリーで演奏し、ジャズ・フェスティバルに出演し、独自のコンサート・シーズンも開催している。先週の金曜日と土曜日には、ムセオ・デル・バリオで素晴らしいコンサートを開催したんだ。これから、シティ・ワイナリーでの新しいレジデンシーも始まる。だから、ミュージシャンを雇用し、彼らが家族を養い、生活していけるよう手助けできることに、本当に感謝している。それが私にとって最大の喜びのひとつなんだ。


――あなたのオーケストラは、あなたの作品を主に演奏するんですか?

私たちはいろんな曲を演奏する。伝統的なラテン音楽や、チコの曲もたくさん演奏する。他の人たちの曲もたくさん演奏するし、あらゆるジャンルの楽曲を演奏する。レパートリーにはヴィジェイ・アイヤーの曲も入っている。本当に様々なことをやっている。

――あなた自身は、作曲のインスピレーションをどこから得ているんですか?

私にとっての最高の作品は、人間を描いたスケッチだと思う。人間とその物語、人生、そして葛藤。フィデル・カストロが亡くなった時、私はハバナにいた。そして「三つの革命」という曲を書いた。フィデルが亡くなった時のハバナの音にインスピレーションを受けたんだ。とても静まり返っていた。やがて、人々が話し始めるのが聞こえてくる。そして、あの革命について考える。アメリカ独立革命について考える。そして、気づく。「待てよ、私たちは皆、第三の革命を待っているのだ」と。地球上のすべての人間が尊厳を持ち、衣服をまとい、十分な食事を得られるようになる革命を待っているのだと。

今この瞬間、地球上には一人ひとりを支えるのに十分な資源がある。なのに、なぜそれが実現しないのか? 地球上の誰もがチャンスを得られるような革命はなぜ起こらないのか? 私はそういうことにインスピレーションを受ける。あらゆるものから刺激を受ける。物語、ナラティブ。私は政治の世界で起こっていることについてよく書くんだ。


――2015年にキューバに行ったんですね?

キューバには毎年行っているよ。(今年)1月にはプラザ・ジャズ・フェスティバルでキューバに行ったし、何年も通っているんだ。

私は政治の話はしない。共産主義者ではないし、どの政府も支持していない。私が支持するのは文化、家族、人々だ。私はキューバが大好きだ。キューバの人々を愛している。誰かを責めるつもりはない。今起きていることは犯罪だ。私は公に言うが、トランプが今日キューバに対して行っていることは、キューバをレイプしているに等しい。彼は、女性や子供たちに対してそうしてきたように、キューバを意のままに操るために、キューバを飢えさせている。彼の地にいる私の愛する人々が、電気も食料も交通手段もない状態でいると思うと、心が張り裂けそうだ。すべては、彼がマイアミの友人たちを喜ばせたいがために起きていることだ。恐ろしいことだ。しかし、悪は悪行によって、その報いは自ずと訪れるだろう。

私はキューバに通い続けている。オバマ(大統領)がラウル(・カストロ)と共に、状況を一変させるための素晴らしい計画を発表した時、私は現地にいた。しかし、アメリカの政治はサイコロの目のようなもので、4年ごとに何が起こるかわからない。それは世界の他の国々も知っている。
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世界は私たちを見て、「なんてことだ、今度は何が起きているんだ?」と首を傾げる。しかし、キューバの人々と深く愛し合っている私にとって、これは実に興味深いことなんだ。
なぜなら、私にとってキューバこそが未来だから。キューバを歩けば、アフリカの血を引く人、ヨーロッパの血を引く人、アジアの血を引く人を見かける。彼らはスペイン語を話し、ヨルバ語を話す。アイルランド系の人もいれば、キューバ人、メキシコ人、ヨルバ人、ガーナ出身の人もいる。キューバを見れば分かるが、アメリカ人がこれほどキューバを嫌う理由は、そこが様々な人種の混合体だからだと思う。実に美しい人種の融合だ。そして今、アメリカでは誰もが白人でキリスト教徒で男性であるべきだという風潮の中で、私たちは苦しんでいる。


――ところで、新しいラテン音楽シーンについてですが、例えばバッド・バニーは世界中で大人気ですよね。彼と彼の音楽についてどう思いますか?

とても面白かった。スーパーボウルでの彼のパフォーマンスを見た時、感動的な瞬間がたくさんあった。ラテン音楽のミュージシャン仲間ともたくさんその話をしたんだ。もちろん、彼は私にとってヒーローだ。そう。彼を見た時、スーパーボウルで麦わら帽子やグアヤベラを着て、誇りを持って、サルサやヒップホップ、レゲトンを踊る人々を見た時、アメリカがスペイン語を認めざるを得なくなったのを見た時、私はまるで赤ん坊のように泣いてしまった。そして最後に、彼がたくさんの旗を掲げて登場した時、もう涙が止まらなかったんだ。バッド・バニーが好きかって? 彼の音楽についてはあまり詳しくない。でも、彼はとても素晴らしいと思う。本当に優れたアーティストだと思う。多くの人が、彼はとても裕福で、この件で莫大な金を稼いだと言っていた。私はそのことについては何も知らない。彼は非常にユニークなアーティストで、とても独創的だ。その点を私は尊敬しているよ。
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――最後に、「カサ・ビロンゴ」はいつオープンするんですか?

2月18日に着工した。業者の話では、1年で建物を完成させてそのスペースを私たちに引き渡すとのことなので、そうすれば、私たちの建築家が内装工事を進めることができる。2年後にはオープンして、3年後には完全に機能するようになるだろう。
でも、正直言って、まだ何も実感が湧かないんだ。妻と二人で、キッチンのテーブルでこのプロジェクトを形作り、音楽を編集し、リハーサルのための水やクッキーを買ったり、学校をまわって「ここで教えてもいいですか? ここで教えてもらえませんか?」と頼み歩いていた日々が、信じられない。
お金も計画も目標も何もなかった。ただひたすら正しいことをするだけ。そして、それがここへとつながった。だから、まだ実感が湧かないし、実感したくもないんだ。あの頃のことは、謎のままにしておきたい。それをとても楽しみにしているよ。


――ありがとうございました。

(了)
posted by eLPop at 22:30 | 岡本郁生のラテン横丁

アルトゥーロ・オファリル インタビュー<前半>

2026.04.23

3月に来日した、UCLA(カリフォルニア州立大学)ハーブ・アルパート音楽学校の教授・教員らと卒業生で構成される「UCLA Latin World Music Ensemble」。
レジーナ・カーターに続いて、アルトゥーロ・オファリル(Arturo O’Farrill)のインタビューをお送りします。

アルトゥーロ・オファリルは、1960年、メキシコ生まれのピアニスト/コンポーザー/アレンジャー/バンド・リーダー。
父親はアイルランド系キューバ人で1940年代後半からニューヨークを拠点にアレンジャー/バンド・リーダーとして活躍したチコ・オファリル、母親はメキシコ人歌手のルぺ・バレロで、5歳の時にニューヨークへ移住。19歳の時にカーラ・ブレイのバンドに参加し、その後、ディジー・ガレスピー、ハリー・ベラフォンテ、スティーヴ・トゥーレ、レスター・ボウィといったジャズ・アーティストたちと共演したあと、90年代以降、徐々にラテン・フィールドに足を踏み入れ、2002年以降、アフロ・ラテン・ジャズ・オール・スターズを率いて活躍。これまでにグラミー賞を6度、ラテン・グラミー賞を2度、受賞している。

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グラミー賞<Best Latin Jazz Album>受賞作『Song For Chico』(2008年)

今回は、初日の南青山MANDALAと2日目の赤坂・B-flatのみの出演となった。

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――日本に来たのは何回目ですか?

もう、何度も何度も。1980年代にカーラ・ブレイと来て、それからハリー・ベラフォンテとも何度か。その後、自分のバンド、アフロ・ラテン・ジャズ・オーケストラで来て、東京、大阪、京都、広島で演奏した。日本は本当に素晴らしい国。ここにいるのが大好きだよ。

――最後に来たのはいつでしょう?

最後に来たのは……少なくとも10年前かな。

――10年前ですか。もっと頻繁に来てくださいよ。

そうだね、来なくちゃね。一番素敵な思い出の一つは、前回、来た時のこと。明治神宮にお参りに行って、そこにいることでとても心が満たされた。今、アメリカは大変な時期を迎えている。本当に、本当に厳しい状況だ。昨日も、明治神宮に行って、涙が止まらなかったよ。

――そうなんですね。

でも、息子(トランぺッターのアダム・オファリル)は(日本に)よく来てるよ。(上原)ひろみと一緒にやってるから。彼は2週間後にも来る予定だ(笑)。
adam.jpg アダム・オファリル

――じゃ、息子さんの方があなたより日本をよく知っているかな。

私より彼らの方がよく知ってるだろうね。ラーメン屋を教えてくれるんだ(笑)。美味しいラーメンが食べられる場所を教えてくれる。でも、まずいラーメンなんてないでしょ?

――それはどうかな〜。ところで、あなた自身は日本についてどんな印象をお持ちですか? 初めて来た時と比べて大きく変わりました?

日本については……日本が以前と変わったのかどうか、私にはよく分からないな。世界は劇的に変わったように感じるけど、日本は平和の精神を保ち続けていると思うね。つまり、坂本龍一の音楽やアニメ、そして、それが日本の文化だとは知らずに日本の文化の中で育った、という美しい現実が、私の人生の一部として永遠に刻まれている。だから私にとって、日本は宝物なんだ。そして……もしかしたら間違っているかもしれないが……世界は混沌として炎に包まれているけど、日本には安定と平和の精神がある。ここに来て、ようやく息ができるようになった気がするんだ。

――なるほど。

きっと変わったんだろうね。あなたの視点から見れば、きっと大きく変わったんでしょう。でも、私はいつも、地下鉄に乗って街を探索するのが大好きなんだ。日本で迷子になるのが、東京で迷子になるのが大好きだ。

――え、迷子になるのが?

だって、私は日本語が話せないから、姿を消すことができる。誰でもなく、匿名でいられて、それが大好きだ。それが私の心を満たしてくれる。ただ「人間」という存在に属しているだけで、心が満たされるんだ。

――今回のバンドについて教えていただけますか? どういう経緯でこのバンドに入ったんでしょう?

私はUCLAで5年間教授をしていた。とても貴重な経験だった。でも、20年近く前に(自分で)アフロ・ラテン・ジャズ・オーケストラという楽団を創設したので、UCLAを辞めざるを得なかった。
それから私たちは、世界中で教育活動や公演、レコーディングを行ってきた。そして、活動はどんどん拡大して、ついにはハーレムに文化スペースを建設するよう依頼されるまでになったんだ。


――そうなんですね。

それで、この神聖な場所のために資金を集めなければならなかったので、UCLAを辞めざるを得なかった。ハーレムとはいえ、ここはハーレムの中でも華やかな場所ではないし、成功を夢見る人たちの集まる場所でもない。ここは、本当に勤勉な家族が暮らすハーレムの一角だ。イースト・ハーレムの真ん中に文化センターを建設することができた。「カサ・ビロンゴ(Casa Belongó)」という名前だ。

――「カサ・ビロンゴ」ですか。

そう。「カサ・ビロンゴ」。ザンバリ・テラスという、とても手頃な価格の住宅の建物の中にある。私にとって、「コミュニティこそが私たちにとって最も大切なもの」という、私の社会的・政治的な信念をすべて満たしてくれる場所なんだ。コンサートや教室、コミュニティ活動の場となる場があるだけでなく、「チコズ・コーナー」という小さなジャズ・クラブも作る予定だ。

それで、UCLAを辞めざるを得なかったのだが、スティーブ(・ロサ)はUCLAで私の学科長を務めていて、私が大好きなUCLAのアンサンブルに誘ってくれたんだ。このアンサンブルのメンバー全員が大好きだ。(サックスの)サリム(・ワシントン)とは長年の付き合いだし、レジーナ(・カーター)とも知り合いで、メキシコで一緒にドキュメンタリーを制作したこともある。まるで昔からの家族みたいだ。それで(今回)招待されたんだ。

――「カサ・ビロンゴ」での(会見の)映像を見ましたよ。



ああ、見たんだね!

――マムダニ市長が出席していて……

マンボを書いたんだ…「マムダニ市長のビロンゴ・マンボ」という曲を。

――それ、最高ですね!

本当に面白い。彼は本当にいい人なんだ。

――もうリリースされたんですか?

いや、次のレコーディングで録音する予定で……彼に演奏してもらおうと画策中なんだ。彼の事務所に手紙を書いて、「クラベスを演奏していただけませんか?」って頼んだんだ。マムダニ市長が「マムダニ・マンボ」でクラベスを演奏してくれたら、最高だよね。

――「ビロンゴ」ってどういう意味なんですか?

ビロンゴはアフロ・ヨルバ語由来の言葉だ。呪文という意味で、キューバではとてもよく知られた言葉なんだ。ビロンゴは、誰かにかける、あるいは誰かからかけられる愛の呪文だ。でも私にとって、ビロンゴという言葉で重要なのは「属する(belong)」という部分なんだ。

――「属する」なんですね。

なぜなら、私は芸術が「上」にあるものだとは思っていないから。そう、芸術はすでに人々のものだと信じている。芸術はすでに……そして、人々は互いに結びついている。だから、「結びつき」という概念は私にとってとても重要なんだ。音楽を、コミュニティの誰もが使える言語にすべきだと感じている。つまり、私にとって、誰もがその一部なんだ。だからこそ、それがとても重要だったんだ。

――「ビロンゴ(Bilongo)」という有名な歌がありますよね?

そのとおり。キューバに歌がある。「ビロンゴ」っていう、僕たちが何年も何年も演奏してきたキューバの曲がある。ギジェルモ・ファイフのとても有名な曲で、歌詞は♪キキリブ・マンディンガ(Kikiribú, mandinga)、キキリブ・マンディンガ……。ある女性が男性に魔法をかけ、彼に恋をして、二人は恋に落ちるという内容だ。でも私にとって、「属する(belong)」というのが美しい考え方なんだ。



――ところで、あなたはメキシコ生まれですよね?

メキシコシティで生まれた。1960年。

――そして5歳の時にニューヨークに戻ったんですね?

私が5歳の時、両親はニューヨークに引っ越した。そして私はニューヨークのマンハッタンで育った。

ここで、筆者は思わず「5歳の時にニューヨークに戻ったんですね?」と質問したのだが、考えてみれば彼自身はメキシコ生まれであり、オフィシャルサイトのバイオにも、まずは「メキシコ系アメリカ人のコンポーザー/ピアニスト/バンド・リーダー」とある。「ニューヨークに戻った」というのは、彼にとっては適切ではなかっただろう。
さらに、メキシコ系という意識が強くあることが、あとで出てくる「ファンダンゴ・アット・ザ・ウォール」に強く影響しているようにも思われる。

――あなたのお父様はとても有名な編曲家であり、バンド・リーダーでしたよね。

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チコ・オファリルの代表作、アレンジを手がけたマチート『アフロ・キューバン・ジャズ・スイート』

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チコ・オファリル『セカンド・アフロ・キューバン・ジャズ』

chico_solo.jpg チコ・オファリル

父はとても有名な作曲家、編曲家、バンド・リーダーだった。そして、私も父のような存在になることが期待されて、幼い頃から音楽学校に通わされた。そして、残念ながら少し才能があったので、バッハやベートーヴェン、モーツァルトを学んだ。でも、正直言って、それが嫌だった。だってそれは父の領域だったし、そうするべきだと言われていたから。でも、12歳の時にマイルス・デイヴィスに出会った。そして何より、ハービー・ハンコックに出会ったんだ。ハービー・ハンコックを聴いた時、脳内で光が炸裂したような感覚だった。「これこそが、私が幸せになるためにやるべきことだ」と思った。こうして、12歳の時に、ジャズ・ミュージシャンになることを決意したんだ。

――ピアノを始めたのはいつですか?

6歳の時に始めた。そう、6歳だったな。

――お父様はマチートはもちろん、ティト・プエンテなどとも親交があったんですよね。

そう、父はね。

――あなた自身は?

私は、彼らが有名なミュージシャンだとは知らなかったんだ。ただ、とても面白い人たちだと思ってただけ。夜遅くまでお酒を飲んだり、ジャズ・シガレット(大麻?)を吸ったりしていた。自分の子供時代がどれほど素晴らしいものだったか、当時は気づいていなかった。ただ、それが本当に特別なものだということは分かっていたけどね。母も父も、普通の人たちじゃなかった。彼らは、美しくもクレイジーな人生を送っていて、それが今となってはすごく懐かしいんだ。だって、育っている当時は、それがどれほど特別なことか分からなかったから。でも今はその価値が分かる。

ディジー・ガレスピーに会ったことも覚えているし、あ、そうそう、カウント・ベイシーにも会ったんだ。カウント・ベイシーはよく僕を笑わせてくれた。妹と僕を見て、変な顔をしてくるんだ。妹と私は「えっ? なんで変な顔してるの?」って顔を見合わせたんだけど。彼は本当に素敵な人だった。父はカウント・ベイシーと10枚のレコードを一緒に作った。だから、二人にはとても特別な関係があったんだ。

――「12歳の時にジャズ・ミュージシャンになりたかった」とおっしゃっていましたが、どんな勉強をしたんですか?

私が子供の頃は、ジャズの専門学校なんてなかったから、ジャズを習いたければ、ジャズ・クラブに行くしかなかった。そして、ベテランのジャズ・ミュージシャンたちと交流し、教えてほしいと頼み込むしかなかった。だから、高校の卒業証書は持ってない。私の高校卒業証書は、“スタジオ・ウィー”でジャズを学んだことなんだ。ベテランのジャズ・ミュージシャンたちから学んだよ。最終的には卒業証書も手に入れたけど、本当に特別な時代だった。

今ではもちろん、バークリー音楽大学やUCLAなどの大学に行けば誰でもジャズの学位が取れる。でも当時は、この音楽を学びたければ、巨匠たちのところへ行って、「お願い、お願いだから、そのコードを教えて。あなたがやったことを教えて」とお願いするしかなかった。彼らは「ダメだ」と言う。私は「お願い、お願い、教えてください」と懇願する。それでも彼らはまた「ダメだ」と言う。私は「お願い、お願い、教えてください」と繰り返す。すると彼らは「ダメだ、ビールを持ってこい」と言うんだ。そして、十分なビールを差し出せば、彼らは「よし、こっちへ来い、坊主」と言って、自分たちがどうやったかを教えてくれた。

それは本当に特別なことだった。なぜなら、それを強く望まなければならなかったからだ。そして、本当に、本当にそれを手に入れるために戦わなければならなかった。そうして初めて、それは自分のものになるんだ。今は違う。今の学生たちは、情報を手に入れるのが以前より簡単かもしれない。それでも、彼らにはそれを「欲しい」という気持ちがなければならない。やはり、それを自分のものにするためには、心からそれを欲しがらなければならないんだ。


――ジャズ・クラブでの先生……というか、“先生のような存在”って、誰だったんですか?

セニリア・スミスという素晴らしいピアニストがいて、ジミー・ヴァス(Jimmy Vass)も、クラレンス・シャープも、そしてもちろん、トランペットのジェームズ・デュボワもいたね。

そして、私には仲間もいた。とても幸運だったのは、一緒に遊んでいた仲間がいて、19歳の時、ニューヨークの田舎で演奏していたら、カーラ・ブレイが私の演奏を聴いてくれたんだ。私は幸運にも……当時はカーラ・ブレイが誰なのか知らなかったんだけど……その数日後に電話がかかってきて、彼女のパートナーであるマイケル・マントラーから、カーラ・ブレイのバンドに入らないかと誘われたんだ。そうして、田舎でビール代を稼ぐために演奏していた私が、ベルリン・ジャズ・フェスティバルで、チック・コリアやスティーヴ・スワロウといった巨匠たちと並んで演奏するようになったというわけだ。本当に、あれは私の人生の中で最も素晴らしい学びだった。
Carla_Bley_Pori_Jazz_1978.jpg カーラ・ブレイ(1978年ごろ)

彼女は、勇気を持って恐れずに、自分の耳と心に従い、最善を尽くすことを教えてくれた。なぜなら、カーラは本当に恐れを知らなかったから。私は、カーラのおかげで、人生で素晴らしい瞬間を経験した。私は彼女をインスピレーションの源だと思っているよ。彼女は私に作曲の翼を与えてくれた。そして彼女の人生の最期に、私は彼女に最後の作品を依頼したんだ。まさに巡り合わせだった。それは言葉では言い表せない、神聖な出来事だった。


――では、子供の頃はジャズから最も影響を受けて、ラテン音楽からはそうでもなかった、ということですか?

そう。ラテン音楽は大嫌いだった。あれは父の音楽だったから。30代になって初めて、偉大なベーシスト、アンディ・ゴンサレスに「僕は君の大ファンだけど、君も自分のルーツを探ってみるべきだよ」と言われた。私は「何のこと?」と聞き返した。「いや、君は自分のルーツを探ってみるべきなんだ」と言って、私を座らせて、ラテン・ジャズの歴史とラテン・ジャズのピアノ演奏について教えてくれた。彼は、エディ・パルミエリ、チャーリー・パルミエリ、リノ・フリアス(ソノラ・マタンセラのピアニスト)、ボラ・デ・ニエベといった偉大なミュージシャンたちを教えてくれた。アンディには本当に感謝している。なぜなら、私のルーツにある人々が、他の誰にも引けを取らないほどジャズの歴史に深く関わっていたことを、彼のおかげで知ることができたからだ。
andy_gonzalez.jpg アンディ・ゴンサレス

eddie_palmieri.jpg エディ・パルミエリ

charlie-palmieri-albums.jpg チャーリー・パルミエリ

lino_frias.jpg リノ・フリアス 

Bola_de_Nieve,_1940s.jpg ボラ・デ・ニエベ

ジャズはアフロ・ラティーノなんだ。それは、先住民の土地に連れてこられた奴隷たちから生まれた音楽だ。バッド・バニーが(スーパーボウルのハーフタイムショウで)示したように、それは南北アメリカ大陸全体に及ぶ。つまり、同じ人々が、同じ恐ろしい犯罪である奴隷制を押し付けられ、ボリビア、プエルトリコ、ベラクルス、キューバ、ジャマイカ、ニューオーリンズ、セントルイスに連れてこられたということだ。
30代になって初めて、私の祖先がジャズという美しいもの、この素晴らしい世界的な文化の共同創造者だったことを知ったんだ。今でも、キューバ、アフリカ、そして私の音楽に大きな影響を与えたものに対して、大きな誇りを持っている。そう、まさにそれが私そのものだと心から信じているよ。

――なるほど。ジャズ・ピアノとラテン・ピアノは大きく異なるんでしょうか?

そうだね。確かに大きな違いがある。キューバやプエルトリコの山間部や田舎にはピアノがなかったと言えるだろう。だから、多くの音楽で、ピアニストの演奏方法は、ギタリストの演奏方法に似ているんだ。彼らの演奏を聴くと、ギターのようにアルペジオを弾いているように聞こえる。
一方、伝統的なピアノ演奏を聴くと、それはコード中心だ。そしてまた、ラテン音楽のソロのスタイルも非常に異なっていると思うね。よりボーカル的なんだ。山間部や田舎での演奏の伝統に由来しているから、ビバップのような要素はあまりない。人々は叫んだり、大声で歌ったりするんだ。伝統的なジャズにあるようなビバップ風のソロスタイルではない。

しかし、ジャズ、つまり私たちがスウィングと呼ぶものには、緊張と解放があると思う。上がったり下がったりする瞬間がある。考えてみれば、それはまさにクラーベそのものだ。緊張、解放。緊張、解放。つまり、スウィングとなるその要素は、アフリカのリズムをラテン・アメリカ流に解釈した音楽の中に見出される。だから私にとって、ラテン・ジャズはジャズにおける他のどんなジャンルと同じくらい重要なものなんだ。

(後半に続く)
posted by eLPop at 21:57 | 岡本郁生のラテン横丁

レジーナ・カーター インタビュー

2026.04.09

3月に、UCLA(カリフォルニア州立大学)ハーブ・アルパート音楽学校の教授・教員らと卒業生で構成される「UCLA Latin World Music Ensemble」が来日した。
ラテン音楽研究の第一人者でありグラミー賞審査員も歴任したスティーブン・ロサ教授がディレクターをつとめ、ジャズ、ラテン・ジャズ、チカーノ音楽、サルサなどを聞かせるグループで、3月19日の南青山MANDALAを皮切りに、赤坂B-flat、晴れたら空に豆まいて、明治大学アカデミーホール、東京藝術大学第1ホールと、連日パフォーマンスを行った。
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資料によると、ベーシックなメンバーは以下のとおり。
・Steven Loza (trumpet / vocals):UCLA教授。ラテン音楽研究の第一人者、グラミー賞審査員も歴任。
・Regina Carter (violin / vocals):ジャズ・ヴァイオリン界の至宝、グラミー賞ノミネート多数。
・Clayton Cameron (drums):トニー・ベネットやサミー・デイヴィスJr.を支えたドラム界のレジェンド。
・Abhiman Kaushal (tabla):世界的なタブラ(打楽器)奏者、2017年グラミー賞受賞アルバムに主要奏者として参加。
・Arturo O’Farrill (piano) :グラミー賞を8回受賞。アフロ・キューバン・ジャズを現代に継承するピアニストとしてラテン・ジャズ界に君臨。
・Charlie Tovar (congas)
・Gregory Esparza (vocals)
・Hitomi Oba (saxophone)
・Nick DePinna (trombone, arranger)
・Salim Washington (saxophones, flute)
・Simeon Pillich (bass)
・Eriko Onojima (vocals)

来日中、何人かのメンバーにインタビューすることができた。
まずはヴァイオリンのレジーナ・カーターから・・・
レジーナといえば、何といっても、エディ・パルミエリのアルバム『Listen Here!』での鮮烈な演奏が印象的だ。
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――あなたはデトロイト生まれですよね? 2020年のアルバム『Swing State:Harmony In The Battleground』の1曲目「Welcome to Swing States from Regina Carter」の中で、「デトロイトで生まれ、カリブ系やメキシコ系など、様々な文化圏の人々に囲まれて育った」と語っていますが、そのことについてお聞かせいただけますか?
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1950年代以前から自動車産業が盛んだったから、様々な文化圏の人々がデトロイトに移住してきました。メキシコ系住民が非常に多く、カリブ系住民も最大規模でした。ギリシャ人が多く住むグリーク・タウン(Greektown)や、ポーランド系住民が多く住むハムトラムク(Hamtramck)もありました。これらの地域の子どもたちのほとんどは公立学校に通っていたので、私たちは幼い頃からお互いの文化に触れる機会が多かったんです。そして、これらの地域にはそれぞれ故郷の音楽がありました。ですから、ヨーロッパのクラシック音楽、モータウン、ジャズといったものに加えて、そういった音楽に触れることで、実に多様な文化と音楽に触れることができたんです。

1966年8月6日デトロイト生まれのレジーナ・カーター。
以下、オフィシャルサイトによると・・・

4歳からスズキ・メソードでヴァイオリンを始め、デトロイトのキャス・テクニカル高校を卒業後、ニューイングランド音楽院とミシガン州のオークランド大学でジャズの研鑽を積んだ。デトロイトの公立学校やドイツの米軍基地でヴァイオリンを教え、女性5人組ジャズ・クインテット「ストレート・アヘッド」で注目を集めた(このグループは最近、デトロイト・ジャズ・フェスティバルで結成25周年を祝った)。ほかに、ニューヨークのストリング・トリオとも6年間レコーディングやツアーを行っている。
そして、1995年、アトランティック・レコードからソロ・デビュー・アルバムをリリース。その後、ヴァーヴから『サムシング・フォー・グレース』(1997年)、『リズムズ・オブ・ザ・ハート』(1999年)、『モーター・シティ・モーメンツ』(2000年)と、立て続けに3枚のアルバムを発表。
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イタリアのジェノヴァを訪れ、1743年にジュゼッペ・グァルネリが製作した伝説のヴァイオリン、ニコロ・パガニーニの「イル・カンノーネ」を演奏した初の“非クラシック”ヴァイオリニストとして歴史に名を刻んだことが、次の作品『パガニーニ:アフター・ア・ドリーム』(2003年)のインスピレーションとなった。その後も、『アイル・ビー・シーイング・ユー:ア・センチメンタル・ジャーニー』(2006年)は、『リバース・スレッド』(2010年)と『サザン・コンフォート』(2014年)、『エラ:アクセントエイト・ザ・ポジティブ』(2017年)とリリースを続けている。

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――子供の頃、初めて聴いたのはどんな音楽でしたか?

おそらく・・・レコード、それも、ヨーロッパのクラシック音楽だったと思います。そう、4歳でヴァイオリンを始めたので。でも、兄たちがいて、彼らはモータウンやビートルズを聴いてましたし、両親はジャズのレコードも持っていて、エラ・フィッツジェラルドやナット・キング・コール、それから映画のサウンドトラックも聴いてました。だから、あらゆるジャンルの音楽を少しずつ聴いていたんです。

――子供のころ、どんなトレーニングを受けていたんですか? クラシック音楽の学校に通って、その後ジャズやラテン音楽を学んだと聞きましたが。

ヨーロッパのクラシック音楽を勉強する学校に通って、高校でジャズを少し始めました。でも、ジャズを本格的に学んだのはデトロイトでした。デトロイトはジャズ・シーンが盛んで、そこでミュージシャンたちから教わったんです。学校ではなく、ミュージシャンたちから直接学んだんです。ライヴをしながら、そういう風に学んでいったんです。今でもストリートで学び続けています。

――あなた自身は、ラテン系の血を引いているんですか?

いいえ。ただ、音楽が大好きなんです。そうなんですよ。

――初めてあなたの演奏を聴いたのは、エディ・パルミエリのアルバム『Listen Here!』で、だったと思います。

ああ、そうなのね。

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――2005年ごろだったかな? 21年前ですね。

ほかに、チュチョ・バルデスとも演奏したりレコーディングしたりしました。そして、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのオマラ・ポルトゥオンドとも。あと、(90年代に)ニューヨークで数年間、ロス・ホベネス・デル・バリオというチャランガ・バンドでも演奏していましたよ。





――アルトゥーロ(・オファリル)ともやってますよね。どういう経緯でラテン音楽に関わるようになったんですか? 例えば、エディ・パルミエリとは・・・?

デトロイトに住んでたころ、オルガン奏者とバンドを組んでいました。彼はラテン音楽が大好きで、よく私にレコードを聴かせてくれたんです。私が初めて聴いた、ラテン音楽を演奏するヴァイオリニストは、アルフレド・デ・ラ・フェだったと思います。彼の音楽が大好きになりました。あの音楽を聴くと、踊りたくなるんです。一番好きな音楽だと思います。そして、ニューヨークに引っ越してからは、仕事を得るためにどんな音楽でも演奏していました。エディ・パルミエリとはどうやって知り合ったのか、自分でもよく覚えていません。たぶんフェスティバルか何かだったと思いますが、彼が私をレコーディングに誘ってくれたんです。そうですね・・・ニューヨークやツアー先でたくさんのミュージシャンと出会い、一緒にレコーディングしたり、演奏したりする機会に恵まれた、というわけです。

――クラシック音楽やジャズも演奏しますよね?

以前はヨーロッパのクラシック音楽を演奏してたし、ジャズも演奏してました。

――今回は、ラテン・ジャズ・バンドですよね。さまざまなジャンルを演奏するとき、脳の別の部分を使っているんですか?

(爆笑)ちゃんと機能しているのかどうか、よく分からない(笑)。ただ、なんとなく、そういう感じ。まるでカメレオンみたいに、簡単に周りに溶け込めるような気がします。
実は今回、2年半ぶりにヴァイオリンを弾いてるんですよ。脊椎の手術を受けて、手にも問題があったので、ずっと弾いてませんでした。まだ手が弱っているんです。人前で演奏するのは2年ぐらいぶりなんです。


――そうなんですか・・・。脳の話は置いといて(笑)、やっぱり、曲ごとに必要な演奏テクニックは違うわけですよね?

ええ。でも、あまり意識していないんです、本当に。確かに違いはあります。まるで違う言語を話すようなものですから、口の形も変えなければなりません。でも、意識的にやっているわけじゃないんです。ただ音を聴いて、どうすればいいかを考えるだけだと思います。

――昨日、(「晴れたら空に豆まいて」でのライヴで)たぶん「Low Rider」でだったと思いますが、最後にソロがまわってきて、ワルツみたいなリズムで、変わったフレーズを弾いてましたよね・・・覚えてますか?

(笑)さあ、どうでしょう・・・ただ、その場で起こっていることにインスピレーションを受けているだけなんですよ。

――つまり、他の音を聞いてそれに反応している、と?

はい。そうすると、色々なイメージが浮かんでくるんです・・・すみません、具体的な方法はないんです(笑)。

――変な質問ばかりですみません。

いえいえ、ただ、今まで考えたこともなかったことなので(笑)。だから、そのプロセスは面白いんです。あまり深く考えないようにしています。

――いまのところの最新アルバム『Swing State』について教えてください。とても素晴らしいアルバムだと思います。

ありがとうございます。あのアルバムは、ちょうど(2020年の)大統領選挙の投票直前に製作しました。アメリカでは、激戦州(Swing State)が、誰が当選するかを左右するんです。多くの人が失望していて、投票に行きたがらない状況だったので、投票してほしいと思いました。投票は私たちにとってとても大切なことなんです。それで、激戦州それぞれの、地元の曲を選んでレコーディングしました。

――参加しているのは、ジョン・バティステ・・・

ハーヴィー・メイソン・ジュニア、ジョン・デヴァーサ・・・(ほかに、アレクシス・クアドラドとカビール・セーガル)

――彼らはレギュラー・メンバーだったんですか?

いえ違います。あれは一回だけの特別なプロジェクトで、アルトゥーロの『ファンダンゴ・アット・ザ・ウォール(Fandango at the Wall)』をプロデュースしたカビール・セーガル(Kabir Sehgal)が、このアルバムをプロデュースしてくれたんです。

――いまはニュージャージーにお住まいですよね?

そうです。でも、UCLAで教えているので、学期中はロサンゼルスに住んでいて、学期が終わると自宅に帰ります。夫はニュージャージーにいて、ドラマーなので、そこで教えたり仕事をしたりしています。その自宅に帰るんです。

――私自身は、ラテン音楽を聴くのが大好きで、もう40〜50年くらいになります。ファニア・レコードはじめ、サルサ、メレンゲ、そういう音楽が大好きなんです。今の音楽シーンはどんどん変化していると思いますが、どうでしょうか?

ええ、業界全体が変化してますよね。良い方向に変化している部分もあれば、そうでない部分もあると思います。レコーディングに関しては、今では、誰でも録音できます。大手レーベルやメジャーレーベルと契約する必要はありません。そして、ライヴや仕事のギャラは、多くの場合、上がっています。他のミュージシャンのギャラは上がっていますし、物価も上がっていますが、ジャズ・ミュージシャンのギャラは上がってません。いまだにとても低いままです。若い人たちは当然、演奏したいと思っていて、仕事があれば引き受けます。プロのミュージシャンもそういう仕事を引き受けます。だから、ギャラを上げようとしない若い人たちにとっては、状況がさらに難しくなるんです。それに、クラブが閉店したり、そもそも数が少なくなったりして、演奏できる場所がほとんどないんです。それに、今の世界情勢を考えると、ツアーも難しいですよね。

――そして、今まさに若いアーティストたちが台頭してきています。例えば、バッド・バニー。世界中で大旋風を巻き起こしていると思いますが、彼についてどう思いますか? 

実は最近まで彼のことをよく知らなかったんです。でも、(スーパーボウルの)ハーフタイムショーを見て、すごく感動しました。本当に重要なことだと思います。まさに民衆の音楽(music of the people)です。彼は労働者、つまり世界を動かしている人々について、重要なメッセージを発信しています。だから、とても大切なことだと思います。
ほかにも、素晴らしい若手ミュージシャンがたくさん出てきていますね。サックス奏者のラケシア・ベンジャミン(Lakecia Benjamin)、カミーユ・サーマン(Camille Thurman)、それに私が知らない若い世代もいますが、彼らはまだハングリー精神にあふれ、この音楽を演奏したいと強く願っています。


――最後に・・・ジャズやラテン音楽でヴァイオリンを演奏する上で、一番大切なことは何ですか?

私はただ、ありのままの自分でいたいんです。自分のエゴを静めて、邪魔をしないように。何かを演奏しようとするのではなく、ただ音楽が自分を通して流れてくるようにしたいんです。だから、音楽の邪魔をしないようにしなければならないのですが、それが時々難しいんです。そのマインドがね・・・

――ありがとうございました。

(3月21日:明治大学アカデミーホールにて)

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posted by eLPop at 22:23 | 岡本郁生のラテン横丁

『2025年はこれだった:カロルG』(岡本郁生)

2026.01.01

今年、2025年のラテン界で最大の出来事といえばやはり何といってもバッド・バニーの大活躍!
それに続く注目の的は、コロンビアの女性シンガー、カロルGだったのではないでしょうか。

1991年コロンビアのメデジン生まれ、2017年にはバッド・バニーとのコラボ「Ahora Me Llama(アオラ・メ・ジャマ)」が話題となり、その後、さまざまなシンガーたちとのコラボによるヒットを連発。2022年の4作目『Mañana Será Bonito(マニャナ・セラ・ボニート)』から、コロンビアの大先輩、シャキーラとの共演「TQG」が全米シングル・チャート7位。アルバム自体も、女性アーティストによるスペイン語アルバムとして史上初めて全米アルバム・チャート1位を獲得し、第25回ラテン・グラミー、第66回グラミー賞ともに、アーバン・ミュージック・アルバム賞を受賞しました。

Karol G, Bad Bunny - Ahora Me Llama

https://www.youtube.com/watch?v=4NNRy_Wz16k

KAROL G, Shakira - TQG

https://www.youtube.com/watch?v=jZGpkLElSu8

そんな彼女のキーワードともいえるのが「Bichota(ビチョタ)」という言葉で、同名のヒットもありました。この「ビチョタ」は造語で、もともとプエルトリコで使われる「bichote(ビチョテ)」という言葉から来たものだそう。麻薬の売人、ギャングのボスなどを意味しますが、カロルGはこれを拡大解釈して、女性に焦点を当てた肯定的な言葉に変容させ、「強い女性」「女性らしい力」「女性的なエネルギー」を意味する言葉として使っています。

彼女自身の言葉によれば、「セクシーで、軽薄で、大胆で、強く、力強く感じられる瞬間であり、ある意味で個人的なモチベーションと自信につながる。私たちは皆、心の中ではスーパー・ビチョタなの。世界中の人々にも見てもらえるように信じて努力することが大切」ということで、彼女自身のニックネームとなり、さらに、自己のレーベルの名前にもなっています。

KAROL G - BICHOTA

https://www.youtube.com/watch?v=QaXhVryxVBk

確かにミュージック・ヴィデオを見ても、パっと見は、いかにもなセクシー系(?)映像という印象ですが、よく見ると、“女性らしさ”や“強さ”を強調した、いまの時代ならではの映像であることが感じられます。しかも、女性だけが登場する映像が非常に多いのも特徴。そのへんが、同性の共感・支持を得ているポイントではないか?という気がします。

KAROL G - LATINA FOREVA

https://www.youtube.com/watch?v=BgMU9Vuj17Y


KAROL G - Si Antes Te Hubiera Conocido

https://www.youtube.com/watch?v=MgsdDfdGdHc

KAROL G - Si Antes Te Hubiera Conocido

https://www.youtube.com/watch?v=QCZZwZQ4qNs

KAROL G - Provenza

https://www.youtube.com/watch?v=ca48oMV59LU

そして今年6月にリリースした5枚目となる『Tropicoqueta(トロピコケタ)』。
彼女自身が「私を表すものすべて」と表現するとおり、このアルバムは彼女自身がこれまでに聞いて、触れて、吸収してきたすべてのものが収められたもの。一般的にはレゲトン/ラテン・トラップのアーティストとしてとらえられますが、特に最近の楽曲ではその枠にとらわれない幅広いレパートリーを聞かせているとおり、特定のジャンルには収まりきらない広がりを持っていて、彼女ならではの、あらゆる雑多な楽曲たちが詰め込まれています。

「私のルーツ、幼い頃から聴いていた曲、音楽に夢中になったサウンドに立ち返った」で、「私と同じように、特定のジャンルだけでなく、私たちの音楽を聴いて育ったラテン系の人たち全員に向けたアルバムだと感じている。結局のところ、すべてのジャンルが好きじゃない人も、少なくとも自分と繋がれるジャンルがひとつは見つかるはず」と彼女は語っています。

12月はじめには、各地のテレビ出演などを集めたスペシャル映像作品「La PremiEre」も配信。これ、最高です

KAROL G - La PremiEre

https://www.youtube.com/watch?v=LenBa0yOAus

カロルGは腕に、自分の顔とリアーナ、そしてセレーナの顔のタトゥーを入れているそうですが、そのセレーナのドキュメンタリー『セレーナ・イ・ロス・ディノス:永遠なる家族のレガシー』がNetflixで公開されています。

1995年3月31日、24歳になる直前、そして英語マーケットへの進出を目前にして凶弾に倒れてしまった「テハーノ音楽の女王」・・・

1997年に製作された伝記映画にジェニファー・ロペスが主演し、これをきっかけにスターの座へ駆け上っていったことは有名ですが、その後もドラマ化され、主演がぜんぜん似てない!などと酷評されたこともありました。
しかし、今回はドキュメンタリーで、両親はじめ兄のAB、姉のスセッテ、夫のクリス、さらに主要なバンド・メンバーたちの証言と記録映像だけで構成され、セレーナの生い立ちから、どのようにアーティストとして、人間として自立していったかがよくわかる内容となっています。思わずグッとくるシーンが満載。
セレーナの歌とその存在によって、その後の若い世代が自分たちのアイデンティティを自覚し、メキシコの(さらにラテンの)文化を継承していること、彼女がいかにラテン・コミュニティに貢献してきたかがひしひしと感じられる作品です。そんな世代の中から、カロルGのようなアーティストが登場し、彼女がまたその下の世代へと文化を継承し・・・と、歴史は続いていくわけですね。

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posted by eLPop at 12:45 | 岡本郁生のラテン横丁