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クラーベの誕生って?(その1)

2018.01.26

メンバーの高橋政資さんとクラーベの誕生についての話になりました。

クラーベって「クラベス」と呼ばれる木製の拍子木の様な打楽器の名前であり、またキューバ音楽などに使われるリズムパターンの名前でもあります。今までリズムの話は色々あっても楽器の起源の話ってあまり日本で書かれたものを見た事がありません。なのでその話から書き始めてみます。

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楽器のクラーベはキューバ音楽、特にソンには欠かせない楽器ですね。そしてサルサでも。キューバ音楽に使われる楽器は@マラカスなどカリブ海由来のもの Aギターなどヨーロッパ由来のもの B太鼓などアフリカ由来のものと3つのどれかのご先祖をたどる事ができますが、クラーベって、このどれかに遡れるものが無いような?

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17世紀頃のカリブの地図。

16世紀以降、カリブの島々にはアフリカから奴隷が輸入され、それに従い太鼓が形は異なりつつも、ほとんどの島に広がり今日まで受け継がれました。音楽の名前も「ユバ/ジュバ」や「カリンダ/カレンダ」など共通のものも残っています。ところがクラーベは突然キューバに出現するのです。名前もアフリカ起源を思わせないスペイン語だし。なんだこりゃ?

クラーベはシンプルな楽器なので世界のどこが起源でもありえそうだし、リズム楽器だからアフリカ起源?と漠然と思うかもしれません。ところが調べてみるとどうもそうではないような。キューバの研究者フェルナンド・オルティス(1881-1969)の著作群に記載があるのです。

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『Los Negros Esclavos(黒人奴隷)』フェルナンド・オルティス著(オリジナルは1916年刊)
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『アフロ・キューバ音楽に於ける打楽器の起源と発達―太鼓物語』フェルナンド・オルティス著・見砂直照訳(音楽之友社、1979年)オリジナルは『Los instrumentos de la musica afrocubana』(1955)
オルティスはエッセイスト、人類学者、民族音楽学者、アフロ・キューバン文化研究者で、キューバ音楽を掘り下げてる人なら誰でも知ってる人。東京キューバンボーイズの創始者である見砂直照さんも研究されていましたし、中村とうようさんやアレホ・カルペンティエルも参照してる基礎文献は多いです。この人の事も面白いんですが、まずはクラーベの起源に関する話をご紹介します。話をまとめるにあたりカルペンティエルやアントニオ・エボラ、エレナ・ペレス・サンフルホなどの著作からも織り込んでいます。17世紀のキューバの話からスタートでちょっと長いのですが、お付き合いください。


◆1.楽器としてのクラーベの誕生

17世紀初のキューバはまだ人口2万人。島はサンティアゴ中心の東部とハバナ中心の西部に大きく分けられていた、未だ国でもなんでもないスペイン領の頃の話です。カルペンティエールによればその頃の音楽の記録としてはハバナ最初の音楽教師としてゴンサロ・デ・シルバという人がいたとか、1679年のサンティアゴにはすでに「白人中心の」コンパルサがあって黒人も参加したとか限られた記述が残されています。さてその頃、キューバの最大の産業は何だったでしょうか。アフリカの人たちが砂糖産業などの為に連れてこられた歴史から農業と考えるかもしれません。

しかし人口を見ても分かる通り大規模農業の時代はまだでした。当時の奴隷の最大の受け入れ先はハイチ、そしてジャマイカで、キューバの奴隷輸入が大きく伸びるのはハイチ革命後の19世紀前半からでした。

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17世紀初頭のハバナ。砦と小さな街しかないですね。

そんな17世紀のハバナで一番大きかった産業はと言うと造船でした。なんだそりゃー、という訳ですがこんな歴史の流れがあります。

米州(Las Americas)は15世紀末にコロンブスに「発見」されてしまい、16世紀はヨーロッパ人どもが金銀や珍しいものをぶん取りに米州に押し寄せた時代でした。

金銀をメキシコや南米からもってきて積んでスペインにもどる為の港としてハバナは機能していた訳ですが、そこでは長い航海の後の船の補修も行っていました。

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17世紀後半のハバナ。大小様々な船が描かれています。

ヨーロッパでは大航海時代以降、植民地との交易や軍事の為造船業が急激に発達し、スペインでは交易の中心であったセビーリャやカナリアなどが当初造船の中心でした。しかし建造に必要な周囲の森林は採伐しつくされ、17世紀にはセビーリャなどは建造より補修が中心になり、大型船の建造は北部沿岸のバスク州とカンタブリア州に移っていった時代でした。

一方ハバナは造船に欠かせない耐水性の高い硬質な森林資源に囲まれていた為、17世紀初頭にスペイン王は造船の為の森林採伐に許可を出し、18世紀に向けて補修だけでなく本格的な造船が盛んになります。

造船での木板の接続には、硬質で密度が高く耐水性のある木製の部品が使われました。英語ではdowels、pins、treenails (trunnels)、pegs、tenons、‘keys’, などと呼ばれ、日本語でならダボとか木釘と呼ばれるこの部品はスペイン語では「clavija(クラビーハ)」と呼ばれていました。そうです、これが楽器としてのクラーベの誕生と言われています。

図を参照下さい。クラビーハってまさにクラーベの形ですね。棒状で硬質で打ち合わせると乾いた音が響くこの部品は、作業の合間に、又は作業中にちょっと歌う時のリズムを取るのには絶好のものだったと思います。

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大西洋を渡った長い航海のあとは船は相当ガタが来ますが、ハバナでの補修の為の施設は16世紀に稼働し、18世紀に入った1713年に王立工廠として施設の建造が開始さら、そして本格的な大型船建造は1723年から開始されました。つまり、クラーベがリズムを刻み始めたのは16世紀後半から17世紀前半のどこかではないか、と考えられます。

王立工廠のあったのは現在のハバナ中央駅(Estación Central de Ferrocarriles)にあたるところ。そしてそこの造船所の地域とすぐ横の地区、旧市街の南の端はクラーベによるの最初のリズムの誕生に大きく関わります。キューバ政府はこのあたりに巨大なクラーベの像を作って「クラーベ」発祥の地として、観光の目玉にしても良いのではないでしょうか。お土産にチェの肖像入りクラーベとかクラーベまんじゅう(蔵部饅頭?)とか。

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ハバナ中央駅。ここに国立工廠と川沿いに埠頭と造船所があった。

脱線しましたが、さてそのクラーベが使われた音楽は一体どんな音楽だったのでしょうか。残念ながら当時の音源は当然ありませんし、それを記した文献も見つかっていない。しかしその頃どんな人々がキューバにいて、どんな人々が造船所で働いていたか、またその時代キューバではどんな音楽が存在していたかは調べることができます。その2ではその音を追ってみる事にします。

(続く)
posted by eLPop at 18:58 | 伊藤嘉章のカリブ熱中症

ソノーラ・ポンセーニャの軌跡

2016.07.12

プエルトリコを代表するサルサの偉大なオルケスタの一つ「ソノーラ・ポンセーニャ」
60年以上の歴史を持ち、そのスイングするリズムとジャズの香りがする精緻なアレンジやサウンドなど、聴いてよし、踊ってよし、演ってもよしの素晴らしいオルケスタです。

ちょうど7/18にクロコダイルでコンフント・ソブリオとマンテキージャ・ペロが、ポンセーニャへのオマージュ!のライブをするとのこと。これは貴重!ということで簡単にポンセーニャの軌跡をご紹介します。

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posted by eLPop at 01:13 | 伊藤嘉章のカリブ熱中症

YOKO La Japonesa Salsera、ビエラ・ディスコスに出演決定!

2015.02.17


というタイトルを読んで「??」の人も多いかと思うけど、これはすごい快挙なのだ。

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まずYOKOの事から。

ニューヨークをベースに活動するミュージシャンはクラシックに、ジャズにとたくさんいるけれど、サルサの世界で、それも歌手として活躍しているのはこのYOKOしかいない。

大阪出身。1997年に単身渡米。2006年にグラミー受賞のパーカッショニスト、チノ・ヌニェスのバンドにリードシンガーとして参加。その後数々のパフォーマンスを経て2008年にソロアルバム「La Japonesa Salera」をリリース。オンライン最大のラテン音楽ショップサイト、Descarga.comにてベストオブ2008年に選ばれるなど、鮮烈デビュー。

翌年、ニューヨークサルサのドン、ファニアレーベルの創設者の一人、ジョニー・パチェーコのライブに飛び入りした事がきっかけで、彼のBirthday ConcertやHis Music and Historyライブに唯一女性の特別ゲストシンガーとして出演。


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posted by eLPop at 19:31 | 伊藤嘉章のカリブ熱中症

エル・グラン・コンボの軌跡(6/完)

2014.09.04

(第5回より続く)

■そして現在まで

2002年、40周年を迎えプエルトリコで2回の大コンサートが開かれ、ライブ盤として発表されたが、一昨年ついには50周年も越えたエル・グラン・コンボ・デ・プエルトリコ。新作もコンスタントに発表し、コンサートも海外を含め年間200回も行っているのは驚きだ。筆者がプエルトリコに住んでいた時も毎週どこかで必ず見る事が出来たくらい精力的に活動していた。もう彼らのステージは5-60回見ているが、変わらないことがある。
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posted by eLPop at 13:18 | 伊藤嘉章のカリブ熱中症

エル・グラン・コンボの軌跡(5) :80年代ヒット量産の時代

2014.09.03

(第四回より)

■チャーリーとジェリーフロント始動
ペジン、アンディの脱退で「グランコンボは死んだ」とまで言われた70年代末。メンバーやファンの懸念も意に介さずチャーリー、そして「白い」ジェリーを加入させたイティエールの耳は確かだった。彼はメンバーの心配にお得意のジョークを込めてこう答えたという「心配するなって。こいつは白く塗ったネグロ(黒人)なんだから」
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その言葉の通りグラン・コンボの軽やかなようで深いリズム・フィーリングをしっかりとものにした二人のフロント、チャーリーのエネルギッシュなリズム感、ジェリーの落ち着いた声と新しいフィーリングのコンビネーションは‘80年代のヒットを量産したのだった。続きを読む
posted by eLPop at 13:37 | 伊藤嘉章のカリブ熱中症