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映画『カリプソ・ローズ/Calypso Rose』

2021.04.26

先週末からスタートした映画バラカリプソ・ローズ」。カリブ海のトリニダード・トバゴで生まれた音楽「カリプソ」の第一人者である彼女のドキュメンタリー映画だが、とても面白い。楽しんで、感じて、考えさせられることが満載だ。。

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一つは、彼女がマチズモ(男性優位、男尊女卑)の社会やそれを反映した当時のカリプソの世界で、「自分であること」を貫き道を開いてきた軌跡に打たれる点だ。決して平坦なでない人生。里子、故郷や家族との別れ、男性社会での困難、性的暴行、病気と言った苦難の連続。しかし“何も私を止めることはできない”、“生きているうちにやりたいことはやる”と強いエネルギーを歌に託し女性カリプソニアンとしてのフロントを走って来た。その生きざまは、閉塞感のある今こそ大きく響く。

映画を楽しむもう一つの軸は彼女の人生を通して、歴史や社会、文化や宗教、差別や搾取の現実、移民やディアスポラ、女性蔑視や性的暴行と一生続く影響…と言ったものがリアルに浮かび上がる点だ。

彼女の曽祖母の故郷であるアフリカを訪ねるシーンは、奴隷に売られるという事とは、その歴史があって自分がいるという事とは、と自分だったら一体どうだろうかと心が動く。NYに住む甥っ子とのシーンも移民・ディアスポラや文化混淆とアイデンティティの事を自分に引き付けで具体的に考えさせられる。

カリブの話ではなく、自身が過去や未来へつながっていて、、彼女と同じくこの「世界」にいる事を改めてビビッドに感じさせる。

そしてもちろん音楽の素晴らしさやカリプソの魅力は映画の一番の見どころだ。
その素晴らしさは劇場で購入できるパンフレットのバイオやWada Mamboさんの解説にも詳しいが、ちょっとハイライトをさらってみよう。

ローズは1953年に第一回のカリプソ・モナークとなったマイティ・スポイラーにヤング・ブリゲード・テントのオーディションで見いだされ、ロード・キチナーとマイティ・スパロウのテントで相次いで活躍し、どんどん人気を上げてきた。つまり第二次大戦後のシーンの2大巨頭直系バリバリのカリプソニアンとしてのピカイチの実力の経歴を持っている。

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1967年には「FIRE IN MEH WIRE」の大ヒットで68年のロード・マーチ(カーニバル・シーズンの最人気曲)を受賞するが、なんと女性を理由に賞を取り上げられてしまう。しかしその10年後の1977年に「TEMPO」で、翌1978年には「SOCA JAM」でロード・マーチを2年連続獲得で見事に男どもをぶっ飛ばす。

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このロード・マーチ、1962年にロード・キチナーがイギリスから帰国して以来、(1974年のマイティ・シャドウの受賞以外)ずっとマイティ・スパロウかロード・キチナーが15年間ほぼ独占していたタイトル。それを2年連続ぶっ飛ばしたのがローズだった。その1978年にはその年のカリプソのトップに送られる「カリプソ・モナーク」も獲得するという快挙。そんな彼女の音の魅力とその人生を同時に楽しめる映画だ。

ステージのシーンも多く挟み込まれて楽しい。またアフリカ/ベナンでの、オルケストル・ポリ=リトゥモ・ド・コトヌーとの共演シーンとそのリズムも見逃せない。などなど音の見どころ聴き所が一杯だ。

色々書ききれないがカリプソ・ファンや英語圏カリブのファン以外にも、スペイン語圏カリブ、フレンチカリブ・ファンやブラック・ミュージック・ファンにはぜひ見て頂きたい映画だ。

緊急事態宣言でアップリンク吉祥寺はクローズというアクシデント…。しかし東京は渋谷のユーロスペース
で見られます。

4月25日(日)〜5月7日(金) 18:25-20:00 (18:35から上映)
※5月8日(土)以降も続映、上映時間未定。
との事!
急いでぜひ!


(追伸)
トバゴの青い海、トリニダードの首都ポート・オブ・スペインの中央銀行の双子ビル、高台からの(Laventille?)の景色とかトリニダードに数十回訪問してる自分には個人的泣けるシーンも続出。ローズが初めての楽器としてクアトロを弾いたというのもツボ。

クアトロはパラン(Parang/トリニダードのスペイン系クリスマス音楽)には必須の弦楽器ベネズエラン・クアトロだろう。パランを通してスペイン語系のメロディやシンコペーションもどこか幼い彼女に影響したかもしれない。

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上述の67年のヒット「FIRE IN MEH WIRE (FIRE IN YOUR WIRE)」の歌詞にはスペイン語が含まれている。

"Fire Fire Ven aca papito. Da me mucho agua Heat for So"

パランを持ち出すまでもなくトリニダードの南はスペイン語圏のベネズエラ。そしてカリブはスペイン語圏の島も多い。

ローズのインタビューによればこの曲はカリブの3か所で分けて作曲したのだと。
最初のパートは米領ヴァージン諸島のセント・クロイ(St. Croix)、二番目はバルバドス、そして最後のパートはトリニダード。ローズは60年代初頭からガイアナのプロモーターの招きでヴァージン諸島やその他のカリブ海ツアーも行っている。

この時代60年代は同じようにプエルトリコからの、例えばエル・グラン・コンボやトミー・オリベンシアも英語圏やオランダ語圏カリブへのツアーを行いっていた。カリブの中でも色々な音楽が行き来していたのだ。そもそもトリニダードやトバゴもスペイン、フランス、イギリスの領土として色々なものが混じって来たところだ。ローズの音楽にはそんな汎カリブ性や汎アフロ性が宿っているのは当たり前なのだろう。




posted by eLPop at 23:19 | 伊藤嘉章のカリブ熱中症

アフロ・アーバニティー配信ライブ/インタビュー

2021.03.04

2月に青山のクロスシアターで収録したアフロ・アーバニティーのライブ、3/5に第一弾のプレミア配信が公開される。

最初にスタジオライブを聴いた時の興奮は今でも覚えている。
個々のミュージシャンが持つ多様なバックグラウンドが組み合わさり、スパークして色彩豊かな音が飛び出し驚いた。エレクトロ、プログレ、アフロキューバン、ジャズ、アフロ・ファンク、と…色々な響きがきらめく。

一昨年秋にリリースされたデビュー・アルバムは期待を超えるカラフルさで、オーセンティックなアフロ・キューバンやラテン感覚が大きく広がるものだった。2020年の活躍が楽しみだ、と思っていたらコロナ禍ですべての音楽は活動が制限されてしまう事態となった。

そんな中でも新曲や配信の活動を続けて来ての今年2月、ホールで配信用の映像を撮るというのでお邪魔した。

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NANA Cantarina (vo, vocal effect), 津垣博通 (p, synth), 小泉哲夫 (b), 吉羽一星 (timb, perc), 関弘太 (bata, congas), 加納樹麻 (ds), 阿部道子 (synth, p)のメンバーに今回は松木理三郎(tp)、石井裕太(ts, fl)と石川智久(tb)の管が加わる。

前回、前々回(と言ってももう1年以上前だが)より噛み合いが緊密で大きなグルーヴ。そしてユニットの関係性がより強固に。それがサウンド全体をクリアにさせ、かつリズムの重層性を際立たせる形になっていて驚いた。

大きく体が揺れ、同時に光が広がるような感覚。そんな強いユニットのまとまりが作るグルーヴに巻き込まれるように管3人のアドリブも素晴らしく、また今までと違った色彩を作る。

エレクトロな霞がかかるかと思えば、バタクンベレのような緊密なリズムの上のジャズが響き、ルンバとヒップ・ホップを跨ぐような感覚へと展開し、歌心を揺さぶるメロディーが浮き上がって、と色々な聴き方を刺激する音でスリリング。

収録後、男性メンバーを従えるようなNanaカンタリーナと阿部道子のお二人にお話を聞いた。

――今回はホーンが加わりました

阿部:リズムの上に何か乗せてもらいたいって言う意見が中からも出ていて、そういうのもあって何かホーンとか入れたら楽しいかなって、あとコラボの企画があって

NANA:そうなんです、"Baila Baila"っていうフィットネス・プログラムの楽曲制作に、一曲ラテン・ファンクみたいなブラスが入っているようなアレンジもあって。

阿部:このタイコ隊と渡り合えるくらいのパワーを持った人たちが良いってことで、今回そういう編成になりました。

NANA:ブラス隊もラテンに偏りすぎていない方で広い活動をされている方が良いなってことでいつもと違う人をお願いしました。

NANA:アフロ・アーバニティの世界観が固まったんで、ラテン系っていう枠から外れて、で、また若い人が必要なんじゃないかって


――アレンジ、例えば"Buscando Ache"は?

NANA:元々私が 7 Sonora(ナナ・ソノーラ)の一枚目で作った曲なんですけど、それを阿部ちゃんに投げてアフロ・アーバニティ・アレンジにしよう、っていう話で、全然違うタイプになりました。歌ってる内容は同じなんですけど。



――サウンドでイメージするものはあったんですか?

阿部:シンセが使えるって編成で不思議な世界観をだせたらなって。いろんな風景が分かるような歌詞がいろいろ出てきたのでそこに引きこまれるような語り部とバックバンド、みたいなところからサルサ調に行けたらなっていうコンセプトで。だから映画の1シーンのような不思議なコード進行から始まっているという。

NANA:この歌詞の内容は実際に会ったババラオが語る話を淡々と書き上げて行ってそのまんま歌詞に。


――キューバで見てもらって

NANA:君はオバタラだって言われて、だからオバタラが出てくるんですけど。そんな内容が面白かったんで思わず歌詞になっちゃった。

――聴いてて風景が浮かぶようでした

NANA:本番はうまく行ったね(笑)

阿部:結構あの曲解釈が難しくて。

NANA:持って行き方とかね、曲の進行とかがちょっと変わっているから。



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――Transportationはどうですか

NANA:"Transportation"は(津垣)師匠のオリジナル曲です。

――アレンジも師匠が

NANA:ええ全部。

阿部:コンガとバタとピアノ二台の企画を別の場所でやったとき、曲をお持ちになって、ベーシストもいないライブでそれをやるっていう、結構大変だったんですけど、おもしろい!って感じで。その原曲の良さをここ(アフロ・アーバニティ)なら生かせる!と思って。それで、津垣さんにこの配信の最後に全員で演奏できるようなアレンジをお願いしたんです。


――ゴツくて良かったです

NANA:ゴツかったですね(笑)どうせならガン!とやっちゃおう、ってことで。

――管の皆さんも、おお!こう来るかみたいな

NANA・阿部:そう面白かったです!ほんと管の人たちすごかった。

阿部:昨日のリハでは知らなかった顔ですよね。

NANA:そうだね、昨日あそこまで出なかった。隠してましたよね、彼ら実は(笑)

阿部:色々お持ちの方なので(笑)

NANA:だって松木さんもウホウホ・ニタニタしてる、石井さんと石川さんのお二人の事(笑)おまえら、やるなあ見たいな

阿部:このバンドってそういうものを求めてたりするので、化学反応っていうか、なんか音でやりあえるような、Sayakaさんの時もそうだったんですけど、一人はいると結構反応が返ってくるような、エッジのある方が入ればって感じで、ほんと良かったです。

NANA:やっぱり一発勝負ものっていうか、ライブな集中力が緩むとだめなんですね。でもこのバンドは、なんていうか本番一発の時の爆発力っていうか、アンテナ具合がすごいんで、できるだけ一発取りで、おんなじことは多分出来ないっていう。


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――1枚目の後、コロナで間が空き、ディスタンスなコラボや合宿やったりして、ようやく今日のライブ収録ですけど、前回のライブとは同じ曲でも違った感じを受けました。演っていて何か変化を感じましたか。

阿部:全体に対して感じたのは、コロナ禍で会えなかった期間は、みんなでわっと集まれなくても、一人一人スタジオに入って、デモ制作からシングル・リリースっていう配信の事をやってきました。そんな中で絆が深くなり、打ち解け感が出るようになったと思います。

一番最初の頃は、ちょっと雇われてきました(笑)みたいな遠慮がする感じあって、言いたいことを言わずに、やり過ごしたみたいな空気がちょっとあったんですけど、コロナ禍のなかで、会えない中でも会う機会があり、あー、会いたかったね、という感じで絆が強くなった気がします。


――そんな中でより音が噛み合ったりする

阿部:しますね。アレンジに関しても今まで私がやってきたものをこれです、って出してやる感じだったんですけど、メンバーとのやりとりで変更が色々出てきました。

――いい意味でくっきりとした気もしたのですが。多様な要素がここぞというときにすごく響いたというか

阿部:うまくお互いの音を聴けるというか、信頼が深まったというせいじゃないかと。
どうしても「埋めなきゃ」みたいになってくるじゃないですか、相手に付けたり。

NANA:そうね、だれかが何かをしなければいけないみたいな。

NANA:そうそう、グルーヴが悪いと、自分が出さなきゃみたいな。そういうのが無くなってきたんだと思います。その時誰に付ければうまく(グルーヴが)まとまって行くみたいなのが分かってきた感覚。


――空間に対して恐れないみたいな

阿部:結構私はそれを感じてました。ライブ配信する前に(音源の音の)調整をするんですが、ちゃんとかみ合っているので、ほとんどすることがないっていうか、EQ処理でかぶりの処理くらいであとは何もしていない。演奏したいっていう事が前提にあるので一回のなかの、っていうより、その一回にその気持ち持ってきているっていうか

NANA:みんなでアンサンブルするってことの重要性をすごく求めるようになったというか。コロナ禍でどうしても一人一人単独でやることが多くて、全然生でアンサンブルすることが出来ないから飢えているような状態ですね。だから逆になんかすごい集中力ある。昨日今日でアー満足したみたいな(笑)

阿部:コロナの状況は不幸なことではあるんですけど、バンドにとっては良いことだったかも。

NANA:そうかも。間を出来るだけ空けないようにシングルをリリースをしようとか、色々工夫をしてずっと継続してやってよかったです。


                   ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

配信は3/5(金)(アーカイブの視聴可)、そして4月上旬との事。
コロナ禍が一段落したところでの普通のライブが待ち遠しい。


posted by eLPop at 22:57 | 伊藤嘉章のカリブ熱中症

クラーベの誕生って?(その1)

2018.01.26

メンバーの高橋政資さんとクラーベの誕生についての話になりました。

クラーベって「クラベス」と呼ばれる木製の拍子木の様な打楽器の名前であり、またキューバ音楽などに使われるリズムパターンの名前でもあります。今までリズムの話は色々あっても楽器の起源の話ってあまり日本で書かれたものを見た事がありません。なのでその話から書き始めてみます。

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楽器のクラーベはキューバ音楽、特にソンには欠かせない楽器ですね。そしてサルサでも。キューバ音楽に使われる楽器は@マラカスなどカリブ海由来のもの Aギターなどヨーロッパ由来のもの B太鼓などアフリカ由来のものと3つのどれかのご先祖をたどる事ができますが、クラーベって、このどれかに遡れるものが無いような?

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17世紀頃のカリブの地図。

16世紀以降、カリブの島々にはアフリカから奴隷が輸入され、それに従い太鼓が形は異なりつつも、ほとんどの島に広がり今日まで受け継がれました。音楽の名前も「ユバ/ジュバ」や「カリンダ/カレンダ」など共通のものも残っています。ところがクラーベは突然キューバに出現するのです。名前もアフリカ起源を思わせないスペイン語だし。なんだこりゃ?

クラーベはシンプルな楽器なので世界のどこが起源でもありえそうだし、リズム楽器だからアフリカ起源?と漠然と思うかもしれません。ところが調べてみるとどうもそうではないような。キューバの研究者フェルナンド・オルティス(1881-1969)の著作群に記載があるのです。

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『Los Negros Esclavos(黒人奴隷)』フェルナンド・オルティス著(オリジナルは1916年刊)
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『アフロ・キューバ音楽に於ける打楽器の起源と発達―太鼓物語』フェルナンド・オルティス著・見砂直照訳(音楽之友社、1979年)オリジナルは『Los instrumentos de la musica afrocubana』(1955)
オルティスはエッセイスト、人類学者、民族音楽学者、アフロ・キューバン文化研究者で、キューバ音楽を掘り下げてる人なら誰でも知ってる人。東京キューバンボーイズの創始者である見砂直照さんも研究されていましたし、中村とうようさんやアレホ・カルペンティエルも参照してる基礎文献は多いです。この人の事も面白いんですが、まずはクラーベの起源に関する話をご紹介します。話をまとめるにあたりカルペンティエルやアントニオ・エボラ、エレナ・ペレス・サンフルホなどの著作からも織り込んでいます。17世紀のキューバの話からスタートでちょっと長いのですが、お付き合いください。


◆1.楽器としてのクラーベの誕生

17世紀初のキューバはまだ人口2万人。島はサンティアゴ中心の東部とハバナ中心の西部に大きく分けられていた、未だ国でもなんでもないスペイン領の頃の話です。カルペンティエールによればその頃の音楽の記録としてはハバナ最初の音楽教師としてゴンサロ・デ・シルバという人がいたとか、1679年のサンティアゴにはすでに「白人中心の」コンパルサがあって黒人も参加したとか限られた記述が残されています。さてその頃、キューバの最大の産業は何だったでしょうか。アフリカの人たちが砂糖産業などの為に連れてこられた歴史から農業と考えるかもしれません。

しかし人口を見ても分かる通り大規模農業の時代はまだでした。当時の奴隷の最大の受け入れ先はハイチ、そしてジャマイカで、キューバの奴隷輸入が大きく伸びるのはハイチ革命後の19世紀前半からでした。

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17世紀初頭のハバナ。砦と小さな街しかないですね。

そんな17世紀のハバナで一番大きかった産業はと言うと造船でした。なんだそりゃー、という訳ですがこんな歴史の流れがあります。

米州(Las Americas)は15世紀末にコロンブスに「発見」されてしまい、16世紀はヨーロッパ人どもが金銀や珍しいものをぶん取りに米州に押し寄せた時代でした。

金銀をメキシコや南米からもってきて積んでスペインにもどる為の港としてハバナは機能していた訳ですが、そこでは長い航海の後の船の補修も行っていました。

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17世紀後半のハバナ。大小様々な船が描かれています。

ヨーロッパでは大航海時代以降、植民地との交易や軍事の為造船業が急激に発達し、スペインでは交易の中心であったセビーリャやカナリアなどが当初造船の中心でした。しかし建造に必要な周囲の森林は採伐しつくされ、17世紀にはセビーリャなどは建造より補修が中心になり、大型船の建造は北部沿岸のバスク州とカンタブリア州に移っていった時代でした。

一方ハバナは造船に欠かせない耐水性の高い硬質な森林資源に囲まれていた為、17世紀初頭にスペイン王は造船の為の森林採伐に許可を出し、18世紀に向けて補修だけでなく本格的な造船が盛んになります。

造船での木板の接続には、硬質で密度が高く耐水性のある木製の部品が使われました。英語ではdowels、pins、treenails (trunnels)、pegs、tenons、‘keys’, などと呼ばれ、日本語でならダボとか木釘と呼ばれるこの部品はスペイン語では「clavija(クラビーハ)」と呼ばれていました。そうです、これが楽器としてのクラーベの誕生と言われています。

図を参照下さい。クラビーハってまさにクラーベの形ですね。棒状で硬質で打ち合わせると乾いた音が響くこの部品は、作業の合間に、又は作業中にちょっと歌う時のリズムを取るのには絶好のものだったと思います。

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大西洋を渡った長い航海のあとは船は相当ガタが来ますが、ハバナでの補修の為の施設は16世紀に稼働し、18世紀に入った1713年に王立工廠として施設の建造が開始さら、そして本格的な大型船建造は1723年から開始されました。つまり、クラーベがリズムを刻み始めたのは16世紀後半から17世紀前半のどこかではないか、と考えられます。

王立工廠のあったのは現在のハバナ中央駅(Estación Central de Ferrocarriles)にあたるところ。そしてそこの造船所の地域とすぐ横の地区、旧市街の南の端はクラーベによるの最初のリズムの誕生に大きく関わります。キューバ政府はこのあたりに巨大なクラーベの像を作って「クラーベ」発祥の地として、観光の目玉にしても良いのではないでしょうか。お土産にチェの肖像入りクラーベとかクラーベまんじゅう(蔵部饅頭?)とか。

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ハバナ中央駅。ここに国立工廠と川沿いに埠頭と造船所があった。

脱線しましたが、さてそのクラーベが使われた音楽は一体どんな音楽だったのでしょうか。残念ながら当時の音源は当然ありませんし、それを記した文献も見つかっていない。しかしその頃どんな人々がキューバにいて、どんな人々が造船所で働いていたか、またその時代キューバではどんな音楽が存在していたかは調べることができます。その2ではその音を追ってみる事にします。

(続く)
posted by eLPop at 18:58 | 伊藤嘉章のカリブ熱中症

ソノーラ・ポンセーニャの軌跡

2016.07.12

プエルトリコを代表するサルサの偉大なオルケスタの一つ「ソノーラ・ポンセーニャ」
60年以上の歴史を持ち、そのスイングするリズムとジャズの香りがする精緻なアレンジやサウンドなど、聴いてよし、踊ってよし、演ってもよしの素晴らしいオルケスタです。

ちょうど7/18にクロコダイルでコンフント・ソブリオとマンテキージャ・ペロが、ポンセーニャへのオマージュ!のライブをするとのこと。これは貴重!ということで簡単にポンセーニャの軌跡をご紹介します。

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posted by eLPop at 01:13 | 伊藤嘉章のカリブ熱中症

YOKO La Japonesa Salsera、ビエラ・ディスコスに出演決定!

2015.02.17


というタイトルを読んで「??」の人も多いかと思うけど、これはすごい快挙なのだ。

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まずYOKOの事から。

ニューヨークをベースに活動するミュージシャンはクラシックに、ジャズにとたくさんいるけれど、サルサの世界で、それも歌手として活躍しているのはこのYOKOしかいない。

大阪出身。1997年に単身渡米。2006年にグラミー受賞のパーカッショニスト、チノ・ヌニェスのバンドにリードシンガーとして参加。その後数々のパフォーマンスを経て2008年にソロアルバム「La Japonesa Salera」をリリース。オンライン最大のラテン音楽ショップサイト、Descarga.comにてベストオブ2008年に選ばれるなど、鮮烈デビュー。

翌年、ニューヨークサルサのドン、ファニアレーベルの創設者の一人、ジョニー・パチェーコのライブに飛び入りした事がきっかけで、彼のBirthday ConcertやHis Music and Historyライブに唯一女性の特別ゲストシンガーとして出演。


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posted by eLPop at 19:31 | 伊藤嘉章のカリブ熱中症