大丈夫ですかねこの暑さ。しかしそこに上乗せするような熱い(暑苦しい?)記事の数々の『eLPop今月のお気に入り!2023年5〜7月』をお届けします!
新作・旧作関係なくeLPopメンバーの琴線にかかった音楽、映画、本、社会問題などを、長文でまたはシンプルにご紹介します。今の空気を含んだ雑誌、プレイリストのように楽しんで頂ければ幸いです。
【目次】
◆高橋めぐみ『欧米の隅々 市河晴子紀行文集、7ボックス』(日本、パラグアイ)
◆石橋純『カントジフア@代官山〈晴れ豆)、カニサレス』(日本、スペイン)
◆水口良樹『ビクトリア・サンタ・クルス、メドラーノ家の音楽家』
(ペルー)
◆高橋政資『最近の新譜から テルマリー、オマーラ・ポルトゥオンド』(キューバ)
◆長嶺修『上毛新聞社『サンバの町それから』』(日本、ブラジル)
◆宮田信『ケッツァル『チカーナ・スカイズ』』(チカーノ)
◆岡本郁生『ミミ&トニー・スッカル』(ペルー、USA)
◆山口元一『サルサングルーブ、シャキーラ』(コロンビア)
◆佐藤由美『ジョアン・ドナート、レニー・アンドラーヂ逝く』(ブラジル)
◆伊藤嘉章『ラテン間の融合:マーク、マルマ、カロルG、ラウ・アレハンドロなど』(プエルトリコ、コロンビア、メキシコ、USA)
◆伊藤嘉章『トゥルース・レヴォルーション・レコーズ』(NY)
お楽しみ頂ければ!
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ラテン・ミュージシャン・インタビュー・シリーズ(4)岸のり子(vo)Part 1
2023.06.29
eLPop企画『ラテン・ミュージシャン・インタビュー・シリーズ』
ラテン・アメリカの音楽の情報をお届けするeLPopですが、その魅力に惹かれラテン音楽に取り組む日本のミュージシャンをもっとご紹介して行きたい!という事でインタビュー・シリーズが始まりました! 巻末には登場したミュージシャンの作品リストやオフィシャルWebサイトなどの情報なども掲載予定です。
第四回目はヴォーカリストの岸のり子さんです。

岸さんは女子美術大学短期大学造形科卒業後、劇団青年座系列の養成所を経て演劇活動。
その後ジャズ歌手として活動、1982年当時日本では数少ないサルサバンド「オルケスタ・246」に参加、後にラテンバンド「ハバナクラブ」の立ち上げに参加。数々のラテン音楽フエスティバルや、NHKFM公開音楽放送「セッション」に出演。
自己のコンサートでの活躍ぶりを故見砂直照氏(初代東京キューバン・ボーイズ・リーダー)に認められ、サンテリア組曲(前田憲夫編曲)を歌う。更にその見砂氏の推薦を受けてキューバ国立民族舞踊団に留学、キューバでの3年間の音楽活動にTV,ラジオ、ボレロ・フェスティバル参加やぺージョ・エル・アフロカン、パウリ―トF.G.(元OPUS13),ロス・バンバンなどキューバの代表的ミュージシャン達とも共演をする。
その後、ベネズエラのソニーミュージック・エンターテイメントとの契約でCD「NORIKO」をリリース。

ラテンアメリカ、米国にてプロモーション活動後、アメリカ本土に拠点を移しマイアミ、ラスベガスにてTV出演、ライブ活動。
2000年より日本で再始動、CD「NORIKO」を再リリース。自己のバンドでのライブ活動の他に森村献(ピアニスト)、赤木りえ(フルーティスト)寺井尚子(ジャズ・ヴァイオリニスト)など他のラテンジャズミュージシャンとも数多く共演、また国際的パーカッショ二スト、ジョバンニ・イダルゴの日本でのプロデュースなど幅広く活動する。
2013年11月、CD「恋の12の料理法」を発表、ライブツアーなど精力的に行う。現在は見砂和照と東京キューバン・ボーイズ公演や他のアーティスト公演のゲスト出演などと共に、キューバの音楽運動「フィーリン」をインスパイヤーした自己のライブ活動を展開。同じコンセプトの元にラテン・コーラスグループ「Las Perlas」をプロデュース。
長年の功績と前記の作品が認められ 20 年のジャズ大賞(日本ジャズ音楽協会)を受賞、21 年受賞記念コンサートを開催。

昨年歌手生活50周年コンサートを成功させ、引き続き『Noriko JAZZ con El Resto』『MIS COLORES』『のりことドスリブのライブ&トーク』など様々なプロジェクトでチャレンジを続けているのり子さん。

次回は7/6(木)@Bodeguita
そんなのり子さんの軌跡を全3回でお届けします!
(聞き手:岡本郁生&伊藤嘉章)
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ .
――50周年は去年でしたよね?
はい。

――50周年ていうことは、1972年(から数えて)ですよね? ええとその、もとのところは、どこからなんでしょう?
50周年というのは、えーっとね、歌を歌い始めてからですから……。
――82年に、(オルケスタ)246に加入したんですよね?
うん、ラテンですね。それより前にジャズの時代があるので…。芝居やってた時とちょっとかかってくるんですね。
――これ(このインタビューのためにのりこさんが作ったメモ。以下「のりこメモ」)では、どの時点が72年ですか? これかな? 「養成所先輩に誘われたアルバイト」。
あ、そうそう、それ。
――そこから、去年で50周年ですね。
そうですね。 養成所のとき1972年。そこから数えて去年50年で、(今年が)51年目ですね。
――では最初のところからうかがいたいんですが……えっと、お生まれは、50年?
49年ですね。はい。

1950年、14か月の頃
――7月の……
6日よ。あなた(=岡本)の一日あと。(あなたは)大谷(翔平)君と……(一緒でしょう?)
――そうなんです!
ね!
――そうなんですよ〜。
今度、あの……余談になっちゃうけど……ラス・ペルラスじゃないんだけど、私、7月6日に誕生日ライブがあるんですよ。ボデギータでエル・レストと。で、赤木りえちゃんとか奈奈ちゃんとか出てもらうんですけど、そのとき、蟹座なんで、「蟹座祭り」も合同でやりますんで(来てください)。
――ありがとうございます! (私は)ほんと、大谷と(誕生日が)一緒で。
ね! で、大谷くんも呼びたかったけど……そうはいかない(笑)。
――ま、大谷くん、呼ぶだけは呼べますよ(笑)。来るかどうかは別として。
そうそうそう……来るわけない(笑)
――それはそうと、新宿生まれとおっしゃってましたよね?
はい、そうです。

1950年、母と
――どの辺ですか?
ええとね、実際には新宿「生まれ」じゃなくて「育ち」なんです。神田の生まれで、生まれただけで、新宿に来たんですね、実家が。
――新宿はどの辺ですか?
昔でいう淀橋。西新宿です。
――あの浄水場の……
はい。ちょっとなんか、渋谷と中野と新宿のちょうど境みたいな、一番端っこの新宿ですね。

――中央公園とかあっちの方の。
そうですそうです。それよりちょっと中に入ったとこです。
――へえ〜〜〜
当時、何もないですよね。 アドバルーンが……三越か伊勢丹のアドバルーンが見えたぐらいですから(笑)。その時代です。

5歳くらい兄弟と、自宅にて
――そこにどのぐらいまでいたんですか?
そこがまあ実家で、うちの一軒家が建ってたので、そこが長くて、ずっと、高校まで……いえ、芝居をやり始めるまで、いましたね。あの、実家はあったんですが、私は出て、自立したんですけども。
――そのころって、ちょうどあの〜、大きいビルが建ち始めたころですか?
そうです。京王プラザ(ホテル)がそのあと出来て、うちがそのあと引っ越したのが、ちょうどその頃で。ええと、いまのヒルトン(ホテル)の向かい側。ヒルトンホテルの向かい側に、あの〜、当時珍しく……タワマンはなかったですから……10何階建てのあのビルが建ったんで、実家はそこに引っ越したんですね。ですから、どっちにしても実家はずっと新宿。あたしはちょっといろいろ動きましたけど。

――なるほど。あれですよね、「太陽にほえろ!」のロケ、やってたんですよね?
そうですそうです。はい、はい。

――全然関係ない話をしてますが……(笑)
小学校はほら、角田君とずっと一緒ですから……つのだ☆ひろ君。

――あ!そうなんですか! それは知らなかった。
6年間一緒で、つのだ君のあの、ほら……
――床屋さんですか?
そうそう。床屋さんが……今でもあるみたいですね、うん。
――ああ……
っていう時代です。ラーメンが35円ぐらい(笑)……という時代です。
――そうか〜、つのだ☆ひろさんと……
そうです。6年間一緒。
――何小学校っていうんですか?
淀橋第三小学校といって、いまはあの〜、ナントカ舎っていって、よく(芝居の)稽古場に使ったり、多分、いろんな芸能関係の団体が入ってる所。小学校跡地に、小学校をそのまま使って。

――じゃあ、そこにはもうないってことですね、小学校は。
小学校としてはないけど、形だけある。芸能花伝舎とか、なんかそんなのが入ってますね。

小学四年生クラスメートたちと社会科見学仲良しだけど趣味が合わなかった
(のりこさんは右の横向きおカッパ)
――そのあと、つのださんとは?
つのだ君は、小学校6年間一緒で、それで私はあの、越境……昔あった、越境入学で、中学は四谷第二中学っていう、いまはもうなくて、新宿高校の隣、(新宿)御苑と新宿高校の隣に中学校があって、そこに越境したので。小学校だけが実家の近くで、越境して、四谷第二中学になって……。
――へえ、あそこで四谷なんですね。そっか、地名としては四谷か……
内藤町ですね。
――なんで越境したんですか?
結局あの〜、ちょっと生意気なウチっていうの?(笑) うん、ご実家が生意気なもんですから(笑)。
――どーゆーことですか?(笑)
ほら、ちょっとあの、いいとこに行かせようっていう感じで、ウチは全部、兄弟が越境して、あのそっちの……
――同じ中学ですか?
そうそう。同じ四谷第二中学校っていうのに、ウチの兄も私も弟も行ったんですよ。だから、昔はそういうことをしたんですね。
――結構ありましたよね、昔は。
うん、昔はね。小学校のときの思い出、(のりこメモに)書いたっけ? あ、そう! 結局、そのつのだ君たちと6年間一緒で、FENといって、そういうの、小学生のくせに聞いてるヘンなのが、私とつのだ君だったんですよ。それで、だからテレビも、洋楽の番組「ペリー・コモ・ショウ」とか、そういうのがいっぱい続々と来た時代で。あと、ドラマも、あのー、アメリカのドラマがもう、「名犬ラッシー」から何から、ああいうのがもう……
PERRY COMO SHOW
――「わんぱくフリッパー」とか。
そうそう。それはちょっとあとかもしれないけど…「バイキング」っていうのもあったし、「ララミー牧場」とかっていうのもあったし。結局その方が、テレビもほら、安くできるとかするわけでね、作らないで。うん、そういう時代だったので。
ララミー牧場
――あれもそうですか? 「ルーシーショウ」
そう、ルーシーもそう。だから、特にウチの兄の影響もあったんでしょうけど、結局、洋楽好きの洋画好きみたいになっちゃったんですよね。ちょっと変な。
――当時それは、変なことだったんですか?
うん、多分ね。あの〜、ちょっと偏ってたかな。例えば、趣味の会話が成立しないんですよね(笑)。
――あ、ほかの友だちと。
で、唯一(趣味の会話が)成立するのが、つのだ君で(笑)。で、私は、ポップスから入ってるんで、ポップスでこう…アメリカン・ポップスみたいなので、そう、ビルボードとかなんか、そういうのをFENで聴いて。で、そういうので、したんだけど、つのだ君ちはもう、ジャズなんですよ。小学生のくせに。お兄さんもそうだから。うん、もう、(ウチに)行くと、ジャズ・シンガーの、ジャズのプレイヤーの、こう、レコードとか、なんかポスターみたいなのが貼ってあったりするんで、ちょっとあの……ヤな感じ?(笑)。「え、凄いなこのウチ」とか思って。
で、まあ、私とつのだ君が何かあると、あの、廊下で、なんか10何人ぐらい?立たされたことがあって。小学校でそろばん忘れちゃってね、立たされたことがあって。で、そのときの会話が、「昨日のあれ、あの『(ザ・)ヒットパレード』見たか?」みたいな。そうすると、藤木孝って、役者さんでいた人や、あとザ・ピーナッツとか。見るとしたら、そういう番組だったんですね。日本のものを見るとしたら。
あの時代、ほかの番組やってたのかどうか……。ともかく、つのだ君と私、もうそういう話ばっかりしてるっていう印象があって。
で、「スクリーン」とか「映画の友」とか、月イチで出るんですよ、雑誌がね。で、私はその、友だちに言わせると、その〜、「今日誰とかんちに遊びに行こう」とかっていうと、私は「ちょっとごめんね、今日は『映画の友』の発売日だから」っつって、で、そういうふうにやって……。要するにちょっとヘン。偏ってたかもしれないですね。もうちょっとこう、何ていうか、いろいろ……。まあ、親のあれもありますよね。きっとね。

――お兄さん、おいくつ上なんですか?
四つ上。
――ということは…
もう亡くなったんですけど、うん。
――あ、亡くなったんですか。弟さんは?
弟も亡くなったんですけど、二つ下で。だから、音楽的なことは、なんかその辺はこう、一緒にそうやって育ったんですよね。別に仲いいわけじゃないんですけど。
――ご両親もそんな感じですか? 割と、音楽は……
弁護士なんですよ。
――あ、そうなんですか。へえ〜。
それで、結局その、ここ(のりこメモ)にも書いたけど、その「児童芸術学園」とかって、そういうのが、あの時代、ちょっとハイソな…なんて言うの? ちょっとそういう、なんか偉そうな……(笑)。そういう感じの教育を、自由で、その〜情緒的な教育を、小学校に入る前からさせてたんですよね。
だから自由に育ってきた。で、それで結局、そのぐらいですから、やっぱりそれが、逆に言えば、ウチの放任主義みたいなところにつながるんですけど。
で、母は別に、ただそれに右へ倣えしてるだけなんですけどね。結局、父は別にほったらかしなんだけど、結局、まあそういう、子供にそういう教育はしてやったらいいんじゃないかっていうぐらいの……。まあ、余裕があったのもあって、そういうことになったんですね、

5歳くるみ児童芸術学園の歌の発表会
――「児童芸術学園」っていうのは、学校ではないんですか?
まあ、いわゆるいまで言う、なんていうの? 英語を習ったり……塾みたいな、そういうのを総合的にやってるところがあったんですよ。でも、もしかしたら時代的にそういう時代なのかもしれない。
――やっぱり戦後の……
そうですね。あの、バレーと歌……私は、児童歌って言うんですか? 童謡みたいのとバレーとピアノ。それで兄は、バイオリン、絵画。弟はピアノだけだったかな。なんかそういうのを、お稽古して。それからあの、個人的に習いに行ったりとかってね、
――まず、そこの塾みたいなところで全部習って。
はい。もうこっちは、わけもわからずやってたんですよ。ただ、嫌いじゃなかった。
――(メモにある)「幼少期」っていうのは?
小学校入ってちょっとぐらいまでですね。だんだん、その〜、小学校の事に馴染んでいくので、あの、ピアノのレッスン行くぐらいにはなったっていう感じ。
――ところで、のりこさんのころって、幼稚園とかって行ったんですか?
あ、行きました。

5歳。舞踊角兵衛獅子
――やっぱり都会ですね。
あ、ないの?
――僕(岡本)、58年(昭和33年)生まれ(※幼稚園時代は岩手県一関市)ですけど、あの、もちろん幼稚園あったんですけど、行ってない子もいたな〜と思って、昔は。
あ、そうね。あの、いや、もちろんそうですよ。でも、割と普通のうちの子もみんな行ってたから、そんな特別な、なんだろう……もうちょっと大雑把に考えてたのかしらね、昔の事だから。結構あの、大工の棟梁の大工の息子とかも行ってたし、普通の子が幼稚園に普通に行ってる時代だったのかな?
――そうですよね。で、のりこさんがそういう中で、最初にこう、グッときたっていうか、覚えてる歌、曲は何ですか?
私はやっぱりそれこそ、コニー・フランシスとか、そういう時代だった。ポップスね。

――ああ……
それでなんか、あの〜、洋楽の方がなんか楽しいって自分で思ってて。で、テレビもそういうのばっかり見るし。だから結局その……でもまあ、初めて買った、あのちっちゃなレコード、シングルのね。それがコニー・フランシス。
――「VACATION」ですか?
「ボーイハント」。初めて買ったレコードっていうのが、それ。
――それは何歳ぐらいですか?
小学校の……何年生だったんですかね?
――でも最初から、記憶としてはテレビですか? ラジオじゃなくて。
最初はラジオです。ラジオの、兄が聞いてるその、訳のわかんない英語の、あの〜、なんかこう、なんて言うんですか? あのエムシーの人がなんか言ってて、なんか今週のなんとかみたいな感じの番組があったんですね。それで、例えばその中で、プレスリーとかそういうのも聞いて。
――お兄さんは音楽は……あ、でもさっき、バイオリンやられてた、って。
でも全然。あの〜、うん、なんて言ったらいいかな。普通の人。普通の変わった人(笑)。 変わってますけど、ええ。あの、そう、変わってるんだよ。あの人を表現するの、すごく難しい。あの、とても変わってましたね。悪口はないですよ。亡くなってますからね。変わった方でした。あの、兄弟でやっぱり、ちょっと変わってる長男と、それに準じて変わってる長女と、まあ、一応まともな(笑)弟という感じですかね。
――ここ(のりこメモ)に「中の中という、冴えないところがコンプレックスな中高生時代」ってあるんですけど、でも中学は……
小学校はね、ほらなんて言うの? まだ子供だけど、中学になると、やっぱりちょっと、「えっ?」ていう感じになって……四谷でね、はいはい。

四谷第二中学校演劇部天使の役の代役を掴む
(最後列、左から先生、2人置いて真ん中)
――四谷で、っていうのはどういう意味?
友達がまあ、いなかったじゃないですか。あの、私だけ(越境して)行ったわけですから。だからその、まず、初めてのところでっていうと、もう三年生がいて、もう男がね、タバコ吸ってるようなのがいたりして、うわー、すごい大人。いきなり大人の世界に入っちゃうんですよね。
――そうですね。やっぱり中学に入ると全然変わりますよね。
そうなんですよね。それで、こう、周りとまあ、なんとなくこう、なんて言うのかしら、こう……仲良くなりながら、いろいろ見て行くと、なんかみんなすごいあの〜、可愛い子とか、あとそれから、勉強のできる子とか、先生に好かれる子とか、そう、なんだろうな?と思って。なんかその、あの子そんなにかわいくないけど、まあ頭もそこそこ良いし、あの、物言いが、もう、先生がなんかこう、可愛がってくれるような子がいたりとかするので、やっぱりなんかこう、自分がその、一歩前に行けない性格と、容姿と、特別頭が良いわけでもないし、まあそこそこの、中の中みたいなところがなんかものすごく、やっぱりコンプレックスっていうか……だったんですね、逆にね。この冴えない感じが。
――中学は、人数的にはどのぐらいですか?
多かったです。一番多い時。
――ああ、そうですよね。やっぱりベビーブームですよね。じゃあもう、何クラスも……10クラスとか?
JとかHとか、なんかいう感じだったかな?
――じゃあ、8クラスとかですよね。小学校もそんな感じなんですね?
小学校は3クラスですけど、50人ぐらいいたかな……
――ああ、じゃあやっぱ、多いですよね、うん。
多いですよ、きっとね。そういう時代ですからね。
――そうですよね。でも、中学……まあ、さっきほら、コニー・フランシスとか聞いてて、でも、中学もそんな感じなんですよね?
そう。で、私、あの〜、多分、中学でビートルズ見に行ったと思うんですけど。
――あっ、66年?
あれ? 何年だった? 66年?

――66年だから、のりこさんは17歳じゃないですか?
あ、じゃあ、高校だ。え?本当?
――高校ですね。
高校だったんだ……。いや、だからなんだろう、あの、中学校の時は……密やかに……内向的なまま行ってたんじゃないですかね。そうそう。で、たまたま、あの、演劇部に入ったんです。
演劇部に入ったけど、すごいキレイな女の子が、天使の役をやるわけ。で、私は、衣装係でいいですって、衣装をこう、シーツかなんかを白いのをベベベって、自分で縫って、あの、天使の衣装を。その子用と、もう2人、天使が2人いるんだけど、衣装をつくったりしてたら、そしたら風邪になったんですよ。その天使の一人が(笑) 。それで私に役が……。
――まわってきた!(笑)
だけど、その子に合わせて洋服作ったので……
――サイズが合わない。
パッツンパッツンの天使だったっていう(笑)。でもまあ、その、なんでしょう、どっかで自分がやりたいな〜と思いながらやってたから、だけどできなくて、内向的で、もちろんやりたいですとも言えないし、なんか内向的なウジウジしたまんま、3年間、たぶん、中学校はそんな感じでいたと思います。
――最初から演劇部なんですか?
うん……たぶん途中からだと思いますけど、そんなに……要するに、あまり記憶としては。その天使の洋服作ったぐらいで。
――あんまりほかには記憶はない、と。
そう、記憶がないんですよね、うん。
――歌はどうなんですか? 子供の頃から歌われてたじゃないですか。ピアノ、バレーってのも……
うん、やってたんですが、子供で終わって、それからその後は、多分その〜、そっちの方には行ってないですね。ただ、コーラス部みたいな合唱部みたいな……なんかちょっと、でもなんか違うなあと思って、やめた記憶があります。
――さっきのコニー・フランシスから、その次に好きになったとかっていうのは、例えばどういう感じですか?
あ、でも、無いね。映画とかそういうの好きになってたんで。なんか、映画はよく見に行ってたんですよ。
――何見ました?
あの、あれは……弟といったのは「ブルー・ハワイ」かな?
――プレスリーの。
そう。それを弟とふたりで。
Blue Hawaii - Elvis Presley
――中学生ぐらいですか?
か、小学校高学年か。結構ね、ウチはあの、2人で、あの、弟と映画見に行くとか、弟とどっか冒険に行くとかっていうのは親が許す……(笑)わけじゃないけど、あの〜、割と平気だったんですよね。
――冒険ってどこ行くんですか?
親戚のうちまで、新宿から笹塚まで、あの〜歩いて行こうっていう。朝起きて、日曜の朝早く起きたので。

――30分ぐらいですか?
もっと、かかったりします。
――そっか……笹塚か。
うん。線路沿いに歩いて行けば着くに違いないとか言って、なんかちょっとプチ家出みたいな感じで、そんなことやったりとか。 だから、音楽の方は、その辺りに、あの映画とか、その、それこそプレスリー見に行ったり。あと、何観に行ったかなあ? テレビ映画ですかね、あとはね、うん。
――ああ、テレビでよくやってましたよね。
で、あと、本を買って……その、映画の本を買って妄想してるっていう。
――あ〜、さっき言ってた「映画の友」で。
そうそう。「映画の友」でちょっと妄想して、うん、ああこんな風になれたらいいな〜とかね。そんなこと。
――映画見に行くとしたらどこですか? やっぱり新宿の?
新宿ですね。昔はね、日活名画座っていうのがあって。いまの丸井があって……何ですか? あそこアップルか? 伊勢丹の向かい側。
――はい、ありますね。1丁目。
そこの、ちょうどいま、銀行がある辺り。銀行なんだっけ? 三菱かなんかあるんですよね。その辺りの、その一番角っこのところに、なんか螺旋階段じゃないけど、階段を上がって上がって何階かに、日活の名画座っていうのがあったから、そこには結構通ってた気がします。いいのがあると。それも親がついて行かなくて……
――弟さんと?
ええ。2人とか、あと友達を誘ってとか、そういうので見に行ったりとかはしてて。で、その時はアメリカの映画だけじゃなくて、やっぱりイタリアの映画とか、ヨーロッパの映画も入ってきてて。
――そうですよね、昔はけっこうありましたね。
そうなんですよね。だからちょっと大人びた、なんかわけわかんないけど、すごいおっぱい大きいなみたいなね(笑)。そういうなんか、そんなお姉さんがいたりとかするような、そういうあの〜何て言うんでしょう、わけもわかんないのに、内容もわかんないのに、見に行ったりとかしましたからね。

――名画座だったら、2〜3本見られますからね。
そうですよね、3本ぐらいやってましたね。
――その中で、やっぱりこう、女優になりたいみたいなのは、頭の片隅にはあったんですか?
女優になりたい……女優になりたいって、なんか自己表現ができなかったので……
――ああああ、なるほど。
あの、なんでもいいから、ともかく、自己表現したいっていうのはあったんですよね。で、子供の時は無邪気に、大人の前で、小学生ぐらいだと色々あの……
――そうですよね。
みかん箱の上に乗っかって歌ってとかやってましたけど、でも、ちょっとその後ができなくなって。っていうのは、やっぱりどっかになんかこう、自分を出したいっていうのはあったのじゃないかな。だからそこは、音楽の方に行かないで、だんだん、芝居は面白そうだなっ……ていうのはあったんですよね。

ミカン箱
――で、青年座関係の養成所に行かれるんですよね。
そうです。で、学生の時は結局その、演劇部とかに入って、衣装係とかやったりしながら、「ああ、風邪でも引かねーかな?」とか思ったりするような(笑)、その、どっかでないかなっていうような感じで……。だって、セリフも全部覚えちゃうわけだから、うん。セリフを……プロンプターの役もやったりとかもするんだけど……全部覚えてるから、すぐ対応できるようになってるんですね。で、それぐらいだったから、多分やりたかったんだろうなと思うんですね。中学、高校、ぐらいまで。
――その中学演劇部っていうのは、女子だけじゃないんですね?
もちろん男子も、はい。男子もいたけど、あんまり記憶がない。
――記憶がないんですか。
中学校の記憶って本当にその……そうそうそう、ナニ子ちゃんが風邪ひいたから、私に天使の役が回ってきたっていう、そのぐらいと、あとちょっと、友達でおませな子がいて、「わあ、すごいなあ、みんなそろそろみんな目覚めてんだ」と思って、すごいなと思って。男はなんか、番長みたいのがいて。「あれ、なんか付き合ってるらしい」って。「え?付き合ってるってどういうこと?」みたいな(笑)。なんかこう、妄想だけが膨らんで(笑)。そうそうそう。わかんないけど、なんかすごいなあと思って。大人っぽかったです周りは。私は正直、あんまりこう、駄目だったんですよね。子供っぽかったんだと思います。
――で、そこから、女子美(術大学)の(付属)高校へ。高円寺っていうかあっちですよね、東高円寺ですか。

はい。そうですそうです。杉並の。で、私、高校に入ったんですけど、要するに、あんまり勉強したくないっていうのもあったし、まあ、絵描いたりなんかするのが好きだったので、まあ女子美いいんじゃない?みたいな感じで。いくつか受けた中で女子美受かったし、女子美の高校に行くことになったんですけど、もういきなりやっぱりみんなすごい。あの〜、個性的で本当に大人びてるんですよね。で、キレイだしね、みんな。なんであんなキレイなんだろうっていう感じがして。それで、まあ、それも圧倒されながら、まあ、あの、楽しく仲良くやってましたけど。
――ビートルズ見に行ったときの話を教えてください。
そうですね。ビートルズに行った時はね、じゃあ、66年っていうことは17歳の、高2。ああ、中学校で『ウエストサイド(物語)』(の公開)でしたかね?
――あ、映画、多分61年か62年だと思うんで、のりこさん中学校ですね。中1とかですか?
それぐらい。そうだと思うんですよ。だから、中学校で『ウエストサイド』見に行ったりして、うん、そうだったと思います。やっぱりあの映画は結構刺激的だったのは覚えてますね。 それで、高校のときは、ラジオでえっと、どなただっけ?えっと、東芝、だから高嶋弘之さんとかだったのかな? あの〜、要するに、応募券で申し込んで、チケットを買う権利……予約券みたいなのが当たるっていうのがあって。ビートルズの。
『ウエストサイド物語』
――あ〜、はい、はい。
それであの、買えることになったんですよ。で、すごく朝早く、そこに並ばなきゃいけない。歌舞伎座のとこだったかな? なんかそう、銀座だった。そこに並ばなきゃいけないので、父に頼んで、あの〜、買ってきてもらって。で、お友達と2人で行った記憶があります。
――どうでした?
どうも何も(笑)。もうちっちゃくて、ちっちゃくて見えない。うーんって、もうそれも、会場に圧倒されて。もう、音とね、ワーっとなって、なんかこう、それこそそれだけで、あんまりちゃんとしたことを覚えてないんですよね。見たっていう感じでもないんですよね。

――ほ〜〜〜 。聞くどころじゃないんですね。
だってもう、ギャーギャー言ってて、もう、ものすごかったから。ただ私はあの、ラジオで聞いて、一回見に行きたい、絶対見に行きたいなと思って、父に頼んで買ってもらったんですよね。
――当然、ビートルズ、お好きだったんですね。
はい。だからあの時は、要するにね、ミーハーなんですよ。結構、その時で、ブームが自分の中で変わっていく。いまはビートルズが好き、みたいな感じで。ずっと子供の時からそういう感じで、そこの辺まで来てるんですよね。
――じゃあ、他にもあれですか? ローリング・ストーンズとかも……
ローリング・ストーンズは行ってないですね。
――ちょっと違いますよね。どういう感じで、その、好きの変遷は?
あ、でも多分、ビートルズ覚えてるってことは、ビートルズのファン歴はやっぱり、ある期間、長かったと思いますよ。だからといって、ずっといまでもってわけじゃない。もう、変わってっちゃったんですけど。何年間か、っていう感じじゃないですか?
――67年ぐらいっていうと、日本だとやっぱりグループサウンズじゃないですか。タイガースとかは?
あ、全然、私ダメだったんですよ。まあ、そういうテレビを見ないわけじゃなかったけど、全然ダメで、あの〜、キャー!っていう感じはなくて、ただ、ショーケン(萩原健一)だけは、なんか可愛い、なんかちょっといいなっていうのはありましたよね。

――ショーケン好きっていうのは、前からおっしゃってましたね。
あ、言った? あたし?
――チラっとどっかで。
言ったかもしれない。あの、なんかちょっとこうね、何とも言えない、女ったらしな、あの笑い方とかね。やっぱ、ああいうのは可愛いなと思いましたね。そうそう。ショーケンはそう。他はだから、うん……あ、そうか、多少はやっぱり知ってるね。あの、なんだっけ?ゴールデンカップスとかね。
――はいはい。
多少は聞いたり見たりはしたけど、わざわざ行くまでは。なんかでも、私、ACB(アシベ)とか、どっか行ったような気もするんですけどね。うん。だけど、何しろ根底的にミーハーでずっと来てるので、あの、大した根拠がないっていうか(笑)。まあ、そういうのは、キャー!っていうだけなんですよね。

ACBのステージ(写真はリリーズ)
――ショーケンもほら、蟹座ですから(※実際には7/26生まれなので「しし座」でした。訂正します)。
あ、そっか(笑)。なんかでもね、ショーケンって、その後もずっとやっぱりいいなって思います。
――かっこいいですよね。僕(岡本)も大好きでしたね。

ちょっと不良っぽいのがね、たまんないですね。

――ジュリー(沢田研二)よりショーケン、僕はテンプターズの方が好きだったから、はい。
まあ、やっぱりそうなんですよね。なんかそれぐらいで、その、本当にいい加減なんですよね。
――でもその後に、(のりこメモに)「美術に打ち込む」って書かれているのは、やっぱり絵をよく書いてたっていう……?
うん、まあ、結局課題が出たりもするし、美術の時間が多い。高校ですけど、やっぱり美術の時間が多いから。結局その、やっぱり描く。で、課題を持って帰って、ウチで仕上げて行くとかっていうのがやっぱり多かった。そう、否応なく、ですよね。うん。

女子美術大学付属高校時代。美しく才能豊かで個性的いろいろ大人な同級生たちと
(一番上がのり子さん)
で、自分には向いてると思って行ったんだけど、みんなの方がすごい上手かったりするんで、「あ、これはもうダメだなあ」っていうのはちょっとあったんだけど、やっぱりもともと、そのまあ、高校ぐらいまではお嬢さん学校的にね、入ってくる子たちも、本気で美術をやりたいというより、どっちかっていうとあの、何て言うんでしょう? 女の子の学校なので、やっぱりちょっと甘い感じになっていくんですけど。それでも、みんなすごい上手だったりするので。それから後も、大学行っても優秀な子もいてね。で、展覧会出したりする子もいるぐらいですから。 (私は)あんまり才能はなかったんですね。

――で、大学までも演劇部っていうのは、これは?
大学の……短大なんですけど、短大の時のその2年間は、演劇部に入るんですよ。で、その時にあの、それこそ合宿で一つの芝居を仕上げるんですけど、来てた方が、早稲田小劇場の演出家の方だったんですね。
だから、ものすごい、もう、なんか大人の男の人が来るという。それで、やっぱりきれいな子とかはこうね、別に贔屓されてるわけじゃないだろうけど、役が回ってきたりとかして。で、私はなんかあの、売春宿の女将みたいな役をやらされてたんだけど(笑)、それがものすごくハマっちゃったんですよね。そういう、なんて言うんでしょう。ちょっと脇役で、個性を出せるっていうのが、なんかハマっちゃって。

女子美術大学短期大学演劇部。合宿で二回目の代役デビュー置屋の女将約の怪演で味をしめる
(中列、黒の袖なしがのり子さん)
で、ちょうどその頃、早稲田小劇場は、白石加代子さんが出てきたり、あと赤テントだと、李麗仙とかが出てきてた時代なんで、要するに、そういう個性的な、アクの強い個性的な女優さんたちが、こう、美しい可愛いだけじゃない部分で出てきてたんですよね。で、なんとな〜くそういう方向に、自分が出せるものがあって。たぶん、それでまあ、そっちにこう、自分の居場所を少し見つけた感がありましたね。

李麗仙 1975年
――やっぱり舞台女優に……
舞台女優になりたいけども、なれなくても、まあ、舞台美術は興味があって。短大卒業の時に、舞台美術がやりたいなあ、女優になれなくても舞台女優になりたいな、と思って、その舞台美術やりたいと思って。そういうの探したら、結局はあの、朝倉摂さんが、もうその頃、名前が出てたんですけど、それで摂さんの授業なんかがある、青年座にセミナーみたいのがあったんですね、何か月かの。そこに行って……青年座アクターズスタジオっていったかな?

21歳青年座アクターズスタジオ発表会公演。色気狂いで傲慢な伯爵夫人
……その後、青山杉作記念俳優養成所というところに、その同じ青年座の中に、ええと、一年ずつ上がっていくクラスが……青年座だけのじゃなくてね、いろんな形でいろんな劇団が一緒にやってるのがあったんですね。で、その青年座のアクターズからそっちに行って。
最初の時、アクターズに行った時は、舞台美術っていうのは、やっぱりその、みんな芝居を演じることから何からを勉強してから劇団に入って、で、大道具とかなんかになるわけですよね。そこで、役者になるか、裏に回るか、っていう。

青山杉作(1889〜1956)
――じゃあ、最初は全部やるっていうことなんですね。
そうそう、最初は全部。要するにその、勉強する段階ではなかったんですよ。その、そういうシステムは。じゃあ、そういうアクターズに行って、とりあえず勉強しようと思って入ったら、なんかだんだん面白くなってきて、それこそ時代がこう、変わってきて、女優さんのあり方も変わってきたので、なんかいろいろ認められる、認めてくれる部分もあったんですね、自分の、私の個性を。

アクターズスタジオ公演楽屋にてメイク前
(正面横向きの子の後方の白シャツでカメラに向かってるのがのり子さん)
――(のりこメモを見ながら)これ、小劇場、オフオフブロードウェイ、アングラ、大衆演劇とありますが。
はい。結局、養成所を、あの、最初にはそのアクターズっていう青年座の養成所、で、その何ヶ月……半年ぐらいですかね? で、その後、1年ぐらいあの、いま言った青山杉作記念俳優養成所っていうところに行ったんですね。で、その時に、そこ、なんで1年で出ちゃったかというと、2年、3年ぐらい、あの、上がっていくあれですよね。で、それが、私はその前に辞めちゃったのは、やっぱり6か月、芝居の練習して、で、やっと一回ステージが、舞台がある。それがイヤで、その長さが6か月、粛々と稽古してっていうのがイヤで。それで、臨時に舞台をやるからって集める芝居が、小劇場の芝居が結構あったんですよね、そのときに。

養成所退所後。アングラ・オフロードブロードウエーなどやりまくる。ゴールデン街にてバイト
(左の黄色の服、タバコ手に持ってるのがのり子さん)
それがだから、オフオフブロードウェイの芝居をやるから、やらない?とか、そういうのでこう、集められたりして。
その中でやったやつで、私が衣装やったのは、森田(雄三)さんっていう、イッセー尾形さんっていう、ちょっと変わった役者さんがいて、一人芝居やってる、で、もう森田さんはもう何年か前に亡くなったんで、その、要するに師弟コンビみたいな先生、演出家と役者っていう。イッセー尾形さんを育てた。その、まず一番最初の・・・

森田雄三
(続く)
ラテン・アメリカの音楽の情報をお届けするeLPopですが、その魅力に惹かれラテン音楽に取り組む日本のミュージシャンをもっとご紹介して行きたい!という事でインタビュー・シリーズが始まりました! 巻末には登場したミュージシャンの作品リストやオフィシャルWebサイトなどの情報なども掲載予定です。
第四回目はヴォーカリストの岸のり子さんです。
岸さんは女子美術大学短期大学造形科卒業後、劇団青年座系列の養成所を経て演劇活動。
その後ジャズ歌手として活動、1982年当時日本では数少ないサルサバンド「オルケスタ・246」に参加、後にラテンバンド「ハバナクラブ」の立ち上げに参加。数々のラテン音楽フエスティバルや、NHKFM公開音楽放送「セッション」に出演。
自己のコンサートでの活躍ぶりを故見砂直照氏(初代東京キューバン・ボーイズ・リーダー)に認められ、サンテリア組曲(前田憲夫編曲)を歌う。更にその見砂氏の推薦を受けてキューバ国立民族舞踊団に留学、キューバでの3年間の音楽活動にTV,ラジオ、ボレロ・フェスティバル参加やぺージョ・エル・アフロカン、パウリ―トF.G.(元OPUS13),ロス・バンバンなどキューバの代表的ミュージシャン達とも共演をする。
その後、ベネズエラのソニーミュージック・エンターテイメントとの契約でCD「NORIKO」をリリース。
ラテンアメリカ、米国にてプロモーション活動後、アメリカ本土に拠点を移しマイアミ、ラスベガスにてTV出演、ライブ活動。
2000年より日本で再始動、CD「NORIKO」を再リリース。自己のバンドでのライブ活動の他に森村献(ピアニスト)、赤木りえ(フルーティスト)寺井尚子(ジャズ・ヴァイオリニスト)など他のラテンジャズミュージシャンとも数多く共演、また国際的パーカッショ二スト、ジョバンニ・イダルゴの日本でのプロデュースなど幅広く活動する。
2013年11月、CD「恋の12の料理法」を発表、ライブツアーなど精力的に行う。現在は見砂和照と東京キューバン・ボーイズ公演や他のアーティスト公演のゲスト出演などと共に、キューバの音楽運動「フィーリン」をインスパイヤーした自己のライブ活動を展開。同じコンセプトの元にラテン・コーラスグループ「Las Perlas」をプロデュース。
長年の功績と前記の作品が認められ 20 年のジャズ大賞(日本ジャズ音楽協会)を受賞、21 年受賞記念コンサートを開催。
昨年歌手生活50周年コンサートを成功させ、引き続き『Noriko JAZZ con El Resto』『MIS COLORES』『のりことドスリブのライブ&トーク』など様々なプロジェクトでチャレンジを続けているのり子さん。
次回は7/6(木)@Bodeguita
そんなのり子さんの軌跡を全3回でお届けします!
(聞き手:岡本郁生&伊藤嘉章)
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ .
――50周年は去年でしたよね?
はい。
――50周年ていうことは、1972年(から数えて)ですよね? ええとその、もとのところは、どこからなんでしょう?
50周年というのは、えーっとね、歌を歌い始めてからですから……。
――82年に、(オルケスタ)246に加入したんですよね?
うん、ラテンですね。それより前にジャズの時代があるので…。芝居やってた時とちょっとかかってくるんですね。
――これ(このインタビューのためにのりこさんが作ったメモ。以下「のりこメモ」)では、どの時点が72年ですか? これかな? 「養成所先輩に誘われたアルバイト」。
あ、そうそう、それ。
――そこから、去年で50周年ですね。
そうですね。 養成所のとき1972年。そこから数えて去年50年で、(今年が)51年目ですね。
――では最初のところからうかがいたいんですが……えっと、お生まれは、50年?
49年ですね。はい。
1950年、14か月の頃
――7月の……
6日よ。あなた(=岡本)の一日あと。(あなたは)大谷(翔平)君と……(一緒でしょう?)
――そうなんです!
ね!
――そうなんですよ〜。
今度、あの……余談になっちゃうけど……ラス・ペルラスじゃないんだけど、私、7月6日に誕生日ライブがあるんですよ。ボデギータでエル・レストと。で、赤木りえちゃんとか奈奈ちゃんとか出てもらうんですけど、そのとき、蟹座なんで、「蟹座祭り」も合同でやりますんで(来てください)。
――ありがとうございます! (私は)ほんと、大谷と(誕生日が)一緒で。
ね! で、大谷くんも呼びたかったけど……そうはいかない(笑)。
――ま、大谷くん、呼ぶだけは呼べますよ(笑)。来るかどうかは別として。
そうそうそう……来るわけない(笑)
――それはそうと、新宿生まれとおっしゃってましたよね?
はい、そうです。
1950年、母と
――どの辺ですか?
ええとね、実際には新宿「生まれ」じゃなくて「育ち」なんです。神田の生まれで、生まれただけで、新宿に来たんですね、実家が。
――新宿はどの辺ですか?
昔でいう淀橋。西新宿です。
――あの浄水場の……
はい。ちょっとなんか、渋谷と中野と新宿のちょうど境みたいな、一番端っこの新宿ですね。
――中央公園とかあっちの方の。
そうですそうです。それよりちょっと中に入ったとこです。
――へえ〜〜〜
当時、何もないですよね。 アドバルーンが……三越か伊勢丹のアドバルーンが見えたぐらいですから(笑)。その時代です。
5歳くらい兄弟と、自宅にて
――そこにどのぐらいまでいたんですか?
そこがまあ実家で、うちの一軒家が建ってたので、そこが長くて、ずっと、高校まで……いえ、芝居をやり始めるまで、いましたね。あの、実家はあったんですが、私は出て、自立したんですけども。
――そのころって、ちょうどあの〜、大きいビルが建ち始めたころですか?
そうです。京王プラザ(ホテル)がそのあと出来て、うちがそのあと引っ越したのが、ちょうどその頃で。ええと、いまのヒルトン(ホテル)の向かい側。ヒルトンホテルの向かい側に、あの〜、当時珍しく……タワマンはなかったですから……10何階建てのあのビルが建ったんで、実家はそこに引っ越したんですね。ですから、どっちにしても実家はずっと新宿。あたしはちょっといろいろ動きましたけど。
――なるほど。あれですよね、「太陽にほえろ!」のロケ、やってたんですよね?
そうですそうです。はい、はい。
――全然関係ない話をしてますが……(笑)
小学校はほら、角田君とずっと一緒ですから……つのだ☆ひろ君。
――あ!そうなんですか! それは知らなかった。
6年間一緒で、つのだ君のあの、ほら……
――床屋さんですか?
そうそう。床屋さんが……今でもあるみたいですね、うん。
――ああ……
っていう時代です。ラーメンが35円ぐらい(笑)……という時代です。
――そうか〜、つのだ☆ひろさんと……
そうです。6年間一緒。
――何小学校っていうんですか?
淀橋第三小学校といって、いまはあの〜、ナントカ舎っていって、よく(芝居の)稽古場に使ったり、多分、いろんな芸能関係の団体が入ってる所。小学校跡地に、小学校をそのまま使って。
――じゃあ、そこにはもうないってことですね、小学校は。
小学校としてはないけど、形だけある。芸能花伝舎とか、なんかそんなのが入ってますね。
小学四年生クラスメートたちと社会科見学仲良しだけど趣味が合わなかった
(のりこさんは右の横向きおカッパ)
――そのあと、つのださんとは?
つのだ君は、小学校6年間一緒で、それで私はあの、越境……昔あった、越境入学で、中学は四谷第二中学っていう、いまはもうなくて、新宿高校の隣、(新宿)御苑と新宿高校の隣に中学校があって、そこに越境したので。小学校だけが実家の近くで、越境して、四谷第二中学になって……。
――へえ、あそこで四谷なんですね。そっか、地名としては四谷か……
内藤町ですね。
――なんで越境したんですか?
結局あの〜、ちょっと生意気なウチっていうの?(笑) うん、ご実家が生意気なもんですから(笑)。
――どーゆーことですか?(笑)
ほら、ちょっとあの、いいとこに行かせようっていう感じで、ウチは全部、兄弟が越境して、あのそっちの……
――同じ中学ですか?
そうそう。同じ四谷第二中学校っていうのに、ウチの兄も私も弟も行ったんですよ。だから、昔はそういうことをしたんですね。
――結構ありましたよね、昔は。
うん、昔はね。小学校のときの思い出、(のりこメモに)書いたっけ? あ、そう! 結局、そのつのだ君たちと6年間一緒で、FENといって、そういうの、小学生のくせに聞いてるヘンなのが、私とつのだ君だったんですよ。それで、だからテレビも、洋楽の番組「ペリー・コモ・ショウ」とか、そういうのがいっぱい続々と来た時代で。あと、ドラマも、あのー、アメリカのドラマがもう、「名犬ラッシー」から何から、ああいうのがもう……
PERRY COMO SHOW
――「わんぱくフリッパー」とか。
そうそう。それはちょっとあとかもしれないけど…「バイキング」っていうのもあったし、「ララミー牧場」とかっていうのもあったし。結局その方が、テレビもほら、安くできるとかするわけでね、作らないで。うん、そういう時代だったので。
ララミー牧場
――あれもそうですか? 「ルーシーショウ」
そう、ルーシーもそう。だから、特にウチの兄の影響もあったんでしょうけど、結局、洋楽好きの洋画好きみたいになっちゃったんですよね。ちょっと変な。
――当時それは、変なことだったんですか?
うん、多分ね。あの〜、ちょっと偏ってたかな。例えば、趣味の会話が成立しないんですよね(笑)。
――あ、ほかの友だちと。
で、唯一(趣味の会話が)成立するのが、つのだ君で(笑)。で、私は、ポップスから入ってるんで、ポップスでこう…アメリカン・ポップスみたいなので、そう、ビルボードとかなんか、そういうのをFENで聴いて。で、そういうので、したんだけど、つのだ君ちはもう、ジャズなんですよ。小学生のくせに。お兄さんもそうだから。うん、もう、(ウチに)行くと、ジャズ・シンガーの、ジャズのプレイヤーの、こう、レコードとか、なんかポスターみたいなのが貼ってあったりするんで、ちょっとあの……ヤな感じ?(笑)。「え、凄いなこのウチ」とか思って。
で、まあ、私とつのだ君が何かあると、あの、廊下で、なんか10何人ぐらい?立たされたことがあって。小学校でそろばん忘れちゃってね、立たされたことがあって。で、そのときの会話が、「昨日のあれ、あの『(ザ・)ヒットパレード』見たか?」みたいな。そうすると、藤木孝って、役者さんでいた人や、あとザ・ピーナッツとか。見るとしたら、そういう番組だったんですね。日本のものを見るとしたら。
あの時代、ほかの番組やってたのかどうか……。ともかく、つのだ君と私、もうそういう話ばっかりしてるっていう印象があって。
で、「スクリーン」とか「映画の友」とか、月イチで出るんですよ、雑誌がね。で、私はその、友だちに言わせると、その〜、「今日誰とかんちに遊びに行こう」とかっていうと、私は「ちょっとごめんね、今日は『映画の友』の発売日だから」っつって、で、そういうふうにやって……。要するにちょっとヘン。偏ってたかもしれないですね。もうちょっとこう、何ていうか、いろいろ……。まあ、親のあれもありますよね。きっとね。
――お兄さん、おいくつ上なんですか?
四つ上。
――ということは…
もう亡くなったんですけど、うん。
――あ、亡くなったんですか。弟さんは?
弟も亡くなったんですけど、二つ下で。だから、音楽的なことは、なんかその辺はこう、一緒にそうやって育ったんですよね。別に仲いいわけじゃないんですけど。
――ご両親もそんな感じですか? 割と、音楽は……
弁護士なんですよ。
――あ、そうなんですか。へえ〜。
それで、結局その、ここ(のりこメモ)にも書いたけど、その「児童芸術学園」とかって、そういうのが、あの時代、ちょっとハイソな…なんて言うの? ちょっとそういう、なんか偉そうな……(笑)。そういう感じの教育を、自由で、その〜情緒的な教育を、小学校に入る前からさせてたんですよね。
だから自由に育ってきた。で、それで結局、そのぐらいですから、やっぱりそれが、逆に言えば、ウチの放任主義みたいなところにつながるんですけど。
で、母は別に、ただそれに右へ倣えしてるだけなんですけどね。結局、父は別にほったらかしなんだけど、結局、まあそういう、子供にそういう教育はしてやったらいいんじゃないかっていうぐらいの……。まあ、余裕があったのもあって、そういうことになったんですね、
5歳くるみ児童芸術学園の歌の発表会
――「児童芸術学園」っていうのは、学校ではないんですか?
まあ、いわゆるいまで言う、なんていうの? 英語を習ったり……塾みたいな、そういうのを総合的にやってるところがあったんですよ。でも、もしかしたら時代的にそういう時代なのかもしれない。
――やっぱり戦後の……
そうですね。あの、バレーと歌……私は、児童歌って言うんですか? 童謡みたいのとバレーとピアノ。それで兄は、バイオリン、絵画。弟はピアノだけだったかな。なんかそういうのを、お稽古して。それからあの、個人的に習いに行ったりとかってね、
――まず、そこの塾みたいなところで全部習って。
はい。もうこっちは、わけもわからずやってたんですよ。ただ、嫌いじゃなかった。
――(メモにある)「幼少期」っていうのは?
小学校入ってちょっとぐらいまでですね。だんだん、その〜、小学校の事に馴染んでいくので、あの、ピアノのレッスン行くぐらいにはなったっていう感じ。
――ところで、のりこさんのころって、幼稚園とかって行ったんですか?
あ、行きました。
5歳。舞踊角兵衛獅子
――やっぱり都会ですね。
あ、ないの?
――僕(岡本)、58年(昭和33年)生まれ(※幼稚園時代は岩手県一関市)ですけど、あの、もちろん幼稚園あったんですけど、行ってない子もいたな〜と思って、昔は。
あ、そうね。あの、いや、もちろんそうですよ。でも、割と普通のうちの子もみんな行ってたから、そんな特別な、なんだろう……もうちょっと大雑把に考えてたのかしらね、昔の事だから。結構あの、大工の棟梁の大工の息子とかも行ってたし、普通の子が幼稚園に普通に行ってる時代だったのかな?
――そうですよね。で、のりこさんがそういう中で、最初にこう、グッときたっていうか、覚えてる歌、曲は何ですか?
私はやっぱりそれこそ、コニー・フランシスとか、そういう時代だった。ポップスね。
――ああ……
それでなんか、あの〜、洋楽の方がなんか楽しいって自分で思ってて。で、テレビもそういうのばっかり見るし。だから結局その……でもまあ、初めて買った、あのちっちゃなレコード、シングルのね。それがコニー・フランシス。
――「VACATION」ですか?
「ボーイハント」。初めて買ったレコードっていうのが、それ。
――それは何歳ぐらいですか?
小学校の……何年生だったんですかね?
――でも最初から、記憶としてはテレビですか? ラジオじゃなくて。
最初はラジオです。ラジオの、兄が聞いてるその、訳のわかんない英語の、あの〜、なんかこう、なんて言うんですか? あのエムシーの人がなんか言ってて、なんか今週のなんとかみたいな感じの番組があったんですね。それで、例えばその中で、プレスリーとかそういうのも聞いて。
――お兄さんは音楽は……あ、でもさっき、バイオリンやられてた、って。
でも全然。あの〜、うん、なんて言ったらいいかな。普通の人。普通の変わった人(笑)。 変わってますけど、ええ。あの、そう、変わってるんだよ。あの人を表現するの、すごく難しい。あの、とても変わってましたね。悪口はないですよ。亡くなってますからね。変わった方でした。あの、兄弟でやっぱり、ちょっと変わってる長男と、それに準じて変わってる長女と、まあ、一応まともな(笑)弟という感じですかね。
――ここ(のりこメモ)に「中の中という、冴えないところがコンプレックスな中高生時代」ってあるんですけど、でも中学は……
小学校はね、ほらなんて言うの? まだ子供だけど、中学になると、やっぱりちょっと、「えっ?」ていう感じになって……四谷でね、はいはい。
四谷第二中学校演劇部天使の役の代役を掴む
(最後列、左から先生、2人置いて真ん中)
――四谷で、っていうのはどういう意味?
友達がまあ、いなかったじゃないですか。あの、私だけ(越境して)行ったわけですから。だからその、まず、初めてのところでっていうと、もう三年生がいて、もう男がね、タバコ吸ってるようなのがいたりして、うわー、すごい大人。いきなり大人の世界に入っちゃうんですよね。
――そうですね。やっぱり中学に入ると全然変わりますよね。
そうなんですよね。それで、こう、周りとまあ、なんとなくこう、なんて言うのかしら、こう……仲良くなりながら、いろいろ見て行くと、なんかみんなすごいあの〜、可愛い子とか、あとそれから、勉強のできる子とか、先生に好かれる子とか、そう、なんだろうな?と思って。なんかその、あの子そんなにかわいくないけど、まあ頭もそこそこ良いし、あの、物言いが、もう、先生がなんかこう、可愛がってくれるような子がいたりとかするので、やっぱりなんかこう、自分がその、一歩前に行けない性格と、容姿と、特別頭が良いわけでもないし、まあそこそこの、中の中みたいなところがなんかものすごく、やっぱりコンプレックスっていうか……だったんですね、逆にね。この冴えない感じが。
――中学は、人数的にはどのぐらいですか?
多かったです。一番多い時。
――ああ、そうですよね。やっぱりベビーブームですよね。じゃあもう、何クラスも……10クラスとか?
JとかHとか、なんかいう感じだったかな?
――じゃあ、8クラスとかですよね。小学校もそんな感じなんですね?
小学校は3クラスですけど、50人ぐらいいたかな……
――ああ、じゃあやっぱ、多いですよね、うん。
多いですよ、きっとね。そういう時代ですからね。
――そうですよね。でも、中学……まあ、さっきほら、コニー・フランシスとか聞いてて、でも、中学もそんな感じなんですよね?
そう。で、私、あの〜、多分、中学でビートルズ見に行ったと思うんですけど。
――あっ、66年?
あれ? 何年だった? 66年?
――66年だから、のりこさんは17歳じゃないですか?
あ、じゃあ、高校だ。え?本当?
――高校ですね。
高校だったんだ……。いや、だからなんだろう、あの、中学校の時は……密やかに……内向的なまま行ってたんじゃないですかね。そうそう。で、たまたま、あの、演劇部に入ったんです。
演劇部に入ったけど、すごいキレイな女の子が、天使の役をやるわけ。で、私は、衣装係でいいですって、衣装をこう、シーツかなんかを白いのをベベベって、自分で縫って、あの、天使の衣装を。その子用と、もう2人、天使が2人いるんだけど、衣装をつくったりしてたら、そしたら風邪になったんですよ。その天使の一人が(笑) 。それで私に役が……。
――まわってきた!(笑)
だけど、その子に合わせて洋服作ったので……
――サイズが合わない。
パッツンパッツンの天使だったっていう(笑)。でもまあ、その、なんでしょう、どっかで自分がやりたいな〜と思いながらやってたから、だけどできなくて、内向的で、もちろんやりたいですとも言えないし、なんか内向的なウジウジしたまんま、3年間、たぶん、中学校はそんな感じでいたと思います。
――最初から演劇部なんですか?
うん……たぶん途中からだと思いますけど、そんなに……要するに、あまり記憶としては。その天使の洋服作ったぐらいで。
――あんまりほかには記憶はない、と。
そう、記憶がないんですよね、うん。
――歌はどうなんですか? 子供の頃から歌われてたじゃないですか。ピアノ、バレーってのも……
うん、やってたんですが、子供で終わって、それからその後は、多分その〜、そっちの方には行ってないですね。ただ、コーラス部みたいな合唱部みたいな……なんかちょっと、でもなんか違うなあと思って、やめた記憶があります。
――さっきのコニー・フランシスから、その次に好きになったとかっていうのは、例えばどういう感じですか?
あ、でも、無いね。映画とかそういうの好きになってたんで。なんか、映画はよく見に行ってたんですよ。
――何見ました?
あの、あれは……弟といったのは「ブルー・ハワイ」かな?
――プレスリーの。
そう。それを弟とふたりで。
Blue Hawaii - Elvis Presley
――中学生ぐらいですか?
か、小学校高学年か。結構ね、ウチはあの、2人で、あの、弟と映画見に行くとか、弟とどっか冒険に行くとかっていうのは親が許す……(笑)わけじゃないけど、あの〜、割と平気だったんですよね。
――冒険ってどこ行くんですか?
親戚のうちまで、新宿から笹塚まで、あの〜歩いて行こうっていう。朝起きて、日曜の朝早く起きたので。
――30分ぐらいですか?
もっと、かかったりします。
――そっか……笹塚か。
うん。線路沿いに歩いて行けば着くに違いないとか言って、なんかちょっとプチ家出みたいな感じで、そんなことやったりとか。 だから、音楽の方は、その辺りに、あの映画とか、その、それこそプレスリー見に行ったり。あと、何観に行ったかなあ? テレビ映画ですかね、あとはね、うん。
――ああ、テレビでよくやってましたよね。
で、あと、本を買って……その、映画の本を買って妄想してるっていう。
――あ〜、さっき言ってた「映画の友」で。
そうそう。「映画の友」でちょっと妄想して、うん、ああこんな風になれたらいいな〜とかね。そんなこと。
――映画見に行くとしたらどこですか? やっぱり新宿の?
新宿ですね。昔はね、日活名画座っていうのがあって。いまの丸井があって……何ですか? あそこアップルか? 伊勢丹の向かい側。
――はい、ありますね。1丁目。
そこの、ちょうどいま、銀行がある辺り。銀行なんだっけ? 三菱かなんかあるんですよね。その辺りの、その一番角っこのところに、なんか螺旋階段じゃないけど、階段を上がって上がって何階かに、日活の名画座っていうのがあったから、そこには結構通ってた気がします。いいのがあると。それも親がついて行かなくて……
――弟さんと?
ええ。2人とか、あと友達を誘ってとか、そういうので見に行ったりとかはしてて。で、その時はアメリカの映画だけじゃなくて、やっぱりイタリアの映画とか、ヨーロッパの映画も入ってきてて。
――そうですよね、昔はけっこうありましたね。
そうなんですよね。だからちょっと大人びた、なんかわけわかんないけど、すごいおっぱい大きいなみたいなね(笑)。そういうなんか、そんなお姉さんがいたりとかするような、そういうあの〜何て言うんでしょう、わけもわかんないのに、内容もわかんないのに、見に行ったりとかしましたからね。
――名画座だったら、2〜3本見られますからね。
そうですよね、3本ぐらいやってましたね。
――その中で、やっぱりこう、女優になりたいみたいなのは、頭の片隅にはあったんですか?
女優になりたい……女優になりたいって、なんか自己表現ができなかったので……
――ああああ、なるほど。
あの、なんでもいいから、ともかく、自己表現したいっていうのはあったんですよね。で、子供の時は無邪気に、大人の前で、小学生ぐらいだと色々あの……
――そうですよね。
みかん箱の上に乗っかって歌ってとかやってましたけど、でも、ちょっとその後ができなくなって。っていうのは、やっぱりどっかになんかこう、自分を出したいっていうのはあったのじゃないかな。だからそこは、音楽の方に行かないで、だんだん、芝居は面白そうだなっ……ていうのはあったんですよね。
ミカン箱
――で、青年座関係の養成所に行かれるんですよね。
そうです。で、学生の時は結局その、演劇部とかに入って、衣装係とかやったりしながら、「ああ、風邪でも引かねーかな?」とか思ったりするような(笑)、その、どっかでないかなっていうような感じで……。だって、セリフも全部覚えちゃうわけだから、うん。セリフを……プロンプターの役もやったりとかもするんだけど……全部覚えてるから、すぐ対応できるようになってるんですね。で、それぐらいだったから、多分やりたかったんだろうなと思うんですね。中学、高校、ぐらいまで。
――その中学演劇部っていうのは、女子だけじゃないんですね?
もちろん男子も、はい。男子もいたけど、あんまり記憶がない。
――記憶がないんですか。
中学校の記憶って本当にその……そうそうそう、ナニ子ちゃんが風邪ひいたから、私に天使の役が回ってきたっていう、そのぐらいと、あとちょっと、友達でおませな子がいて、「わあ、すごいなあ、みんなそろそろみんな目覚めてんだ」と思って、すごいなと思って。男はなんか、番長みたいのがいて。「あれ、なんか付き合ってるらしい」って。「え?付き合ってるってどういうこと?」みたいな(笑)。なんかこう、妄想だけが膨らんで(笑)。そうそうそう。わかんないけど、なんかすごいなあと思って。大人っぽかったです周りは。私は正直、あんまりこう、駄目だったんですよね。子供っぽかったんだと思います。
――で、そこから、女子美(術大学)の(付属)高校へ。高円寺っていうかあっちですよね、東高円寺ですか。
はい。そうですそうです。杉並の。で、私、高校に入ったんですけど、要するに、あんまり勉強したくないっていうのもあったし、まあ、絵描いたりなんかするのが好きだったので、まあ女子美いいんじゃない?みたいな感じで。いくつか受けた中で女子美受かったし、女子美の高校に行くことになったんですけど、もういきなりやっぱりみんなすごい。あの〜、個性的で本当に大人びてるんですよね。で、キレイだしね、みんな。なんであんなキレイなんだろうっていう感じがして。それで、まあ、それも圧倒されながら、まあ、あの、楽しく仲良くやってましたけど。
――ビートルズ見に行ったときの話を教えてください。
そうですね。ビートルズに行った時はね、じゃあ、66年っていうことは17歳の、高2。ああ、中学校で『ウエストサイド(物語)』(の公開)でしたかね?
――あ、映画、多分61年か62年だと思うんで、のりこさん中学校ですね。中1とかですか?
それぐらい。そうだと思うんですよ。だから、中学校で『ウエストサイド』見に行ったりして、うん、そうだったと思います。やっぱりあの映画は結構刺激的だったのは覚えてますね。 それで、高校のときは、ラジオでえっと、どなただっけ?えっと、東芝、だから高嶋弘之さんとかだったのかな? あの〜、要するに、応募券で申し込んで、チケットを買う権利……予約券みたいなのが当たるっていうのがあって。ビートルズの。
『ウエストサイド物語』
――あ〜、はい、はい。
それであの、買えることになったんですよ。で、すごく朝早く、そこに並ばなきゃいけない。歌舞伎座のとこだったかな? なんかそう、銀座だった。そこに並ばなきゃいけないので、父に頼んで、あの〜、買ってきてもらって。で、お友達と2人で行った記憶があります。
――どうでした?
どうも何も(笑)。もうちっちゃくて、ちっちゃくて見えない。うーんって、もうそれも、会場に圧倒されて。もう、音とね、ワーっとなって、なんかこう、それこそそれだけで、あんまりちゃんとしたことを覚えてないんですよね。見たっていう感じでもないんですよね。
――ほ〜〜〜 。聞くどころじゃないんですね。
だってもう、ギャーギャー言ってて、もう、ものすごかったから。ただ私はあの、ラジオで聞いて、一回見に行きたい、絶対見に行きたいなと思って、父に頼んで買ってもらったんですよね。
――当然、ビートルズ、お好きだったんですね。
はい。だからあの時は、要するにね、ミーハーなんですよ。結構、その時で、ブームが自分の中で変わっていく。いまはビートルズが好き、みたいな感じで。ずっと子供の時からそういう感じで、そこの辺まで来てるんですよね。
――じゃあ、他にもあれですか? ローリング・ストーンズとかも……
ローリング・ストーンズは行ってないですね。
――ちょっと違いますよね。どういう感じで、その、好きの変遷は?
あ、でも多分、ビートルズ覚えてるってことは、ビートルズのファン歴はやっぱり、ある期間、長かったと思いますよ。だからといって、ずっといまでもってわけじゃない。もう、変わってっちゃったんですけど。何年間か、っていう感じじゃないですか?
――67年ぐらいっていうと、日本だとやっぱりグループサウンズじゃないですか。タイガースとかは?
あ、全然、私ダメだったんですよ。まあ、そういうテレビを見ないわけじゃなかったけど、全然ダメで、あの〜、キャー!っていう感じはなくて、ただ、ショーケン(萩原健一)だけは、なんか可愛い、なんかちょっといいなっていうのはありましたよね。
――ショーケン好きっていうのは、前からおっしゃってましたね。
あ、言った? あたし?
――チラっとどっかで。
言ったかもしれない。あの、なんかちょっとこうね、何とも言えない、女ったらしな、あの笑い方とかね。やっぱ、ああいうのは可愛いなと思いましたね。そうそう。ショーケンはそう。他はだから、うん……あ、そうか、多少はやっぱり知ってるね。あの、なんだっけ?ゴールデンカップスとかね。
――はいはい。
多少は聞いたり見たりはしたけど、わざわざ行くまでは。なんかでも、私、ACB(アシベ)とか、どっか行ったような気もするんですけどね。うん。だけど、何しろ根底的にミーハーでずっと来てるので、あの、大した根拠がないっていうか(笑)。まあ、そういうのは、キャー!っていうだけなんですよね。
ACBのステージ(写真はリリーズ)
――ショーケンもほら、蟹座ですから(※実際には7/26生まれなので「しし座」でした。訂正します)。
あ、そっか(笑)。なんかでもね、ショーケンって、その後もずっとやっぱりいいなって思います。
――かっこいいですよね。僕(岡本)も大好きでしたね。
ちょっと不良っぽいのがね、たまんないですね。
――ジュリー(沢田研二)よりショーケン、僕はテンプターズの方が好きだったから、はい。
まあ、やっぱりそうなんですよね。なんかそれぐらいで、その、本当にいい加減なんですよね。
――でもその後に、(のりこメモに)「美術に打ち込む」って書かれているのは、やっぱり絵をよく書いてたっていう……?
うん、まあ、結局課題が出たりもするし、美術の時間が多い。高校ですけど、やっぱり美術の時間が多いから。結局その、やっぱり描く。で、課題を持って帰って、ウチで仕上げて行くとかっていうのがやっぱり多かった。そう、否応なく、ですよね。うん。
女子美術大学付属高校時代。美しく才能豊かで個性的いろいろ大人な同級生たちと
(一番上がのり子さん)
で、自分には向いてると思って行ったんだけど、みんなの方がすごい上手かったりするんで、「あ、これはもうダメだなあ」っていうのはちょっとあったんだけど、やっぱりもともと、そのまあ、高校ぐらいまではお嬢さん学校的にね、入ってくる子たちも、本気で美術をやりたいというより、どっちかっていうとあの、何て言うんでしょう? 女の子の学校なので、やっぱりちょっと甘い感じになっていくんですけど。それでも、みんなすごい上手だったりするので。それから後も、大学行っても優秀な子もいてね。で、展覧会出したりする子もいるぐらいですから。 (私は)あんまり才能はなかったんですね。
――で、大学までも演劇部っていうのは、これは?
大学の……短大なんですけど、短大の時のその2年間は、演劇部に入るんですよ。で、その時にあの、それこそ合宿で一つの芝居を仕上げるんですけど、来てた方が、早稲田小劇場の演出家の方だったんですね。
だから、ものすごい、もう、なんか大人の男の人が来るという。それで、やっぱりきれいな子とかはこうね、別に贔屓されてるわけじゃないだろうけど、役が回ってきたりとかして。で、私はなんかあの、売春宿の女将みたいな役をやらされてたんだけど(笑)、それがものすごくハマっちゃったんですよね。そういう、なんて言うんでしょう。ちょっと脇役で、個性を出せるっていうのが、なんかハマっちゃって。
女子美術大学短期大学演劇部。合宿で二回目の代役デビュー置屋の女将約の怪演で味をしめる
(中列、黒の袖なしがのり子さん)
で、ちょうどその頃、早稲田小劇場は、白石加代子さんが出てきたり、あと赤テントだと、李麗仙とかが出てきてた時代なんで、要するに、そういう個性的な、アクの強い個性的な女優さんたちが、こう、美しい可愛いだけじゃない部分で出てきてたんですよね。で、なんとな〜くそういう方向に、自分が出せるものがあって。たぶん、それでまあ、そっちにこう、自分の居場所を少し見つけた感がありましたね。
李麗仙 1975年
――やっぱり舞台女優に……
舞台女優になりたいけども、なれなくても、まあ、舞台美術は興味があって。短大卒業の時に、舞台美術がやりたいなあ、女優になれなくても舞台女優になりたいな、と思って、その舞台美術やりたいと思って。そういうの探したら、結局はあの、朝倉摂さんが、もうその頃、名前が出てたんですけど、それで摂さんの授業なんかがある、青年座にセミナーみたいのがあったんですね、何か月かの。そこに行って……青年座アクターズスタジオっていったかな?
21歳青年座アクターズスタジオ発表会公演。色気狂いで傲慢な伯爵夫人
……その後、青山杉作記念俳優養成所というところに、その同じ青年座の中に、ええと、一年ずつ上がっていくクラスが……青年座だけのじゃなくてね、いろんな形でいろんな劇団が一緒にやってるのがあったんですね。で、その青年座のアクターズからそっちに行って。
最初の時、アクターズに行った時は、舞台美術っていうのは、やっぱりその、みんな芝居を演じることから何からを勉強してから劇団に入って、で、大道具とかなんかになるわけですよね。そこで、役者になるか、裏に回るか、っていう。
青山杉作(1889〜1956)
――じゃあ、最初は全部やるっていうことなんですね。
そうそう、最初は全部。要するにその、勉強する段階ではなかったんですよ。その、そういうシステムは。じゃあ、そういうアクターズに行って、とりあえず勉強しようと思って入ったら、なんかだんだん面白くなってきて、それこそ時代がこう、変わってきて、女優さんのあり方も変わってきたので、なんかいろいろ認められる、認めてくれる部分もあったんですね、自分の、私の個性を。
アクターズスタジオ公演楽屋にてメイク前
(正面横向きの子の後方の白シャツでカメラに向かってるのがのり子さん)
――(のりこメモを見ながら)これ、小劇場、オフオフブロードウェイ、アングラ、大衆演劇とありますが。
はい。結局、養成所を、あの、最初にはそのアクターズっていう青年座の養成所、で、その何ヶ月……半年ぐらいですかね? で、その後、1年ぐらいあの、いま言った青山杉作記念俳優養成所っていうところに行ったんですね。で、その時に、そこ、なんで1年で出ちゃったかというと、2年、3年ぐらい、あの、上がっていくあれですよね。で、それが、私はその前に辞めちゃったのは、やっぱり6か月、芝居の練習して、で、やっと一回ステージが、舞台がある。それがイヤで、その長さが6か月、粛々と稽古してっていうのがイヤで。それで、臨時に舞台をやるからって集める芝居が、小劇場の芝居が結構あったんですよね、そのときに。
養成所退所後。アングラ・オフロードブロードウエーなどやりまくる。ゴールデン街にてバイト
(左の黄色の服、タバコ手に持ってるのがのり子さん)
それがだから、オフオフブロードウェイの芝居をやるから、やらない?とか、そういうのでこう、集められたりして。
その中でやったやつで、私が衣装やったのは、森田(雄三)さんっていう、イッセー尾形さんっていう、ちょっと変わった役者さんがいて、一人芝居やってる、で、もう森田さんはもう何年か前に亡くなったんで、その、要するに師弟コンビみたいな先生、演出家と役者っていう。イッセー尾形さんを育てた。その、まず一番最初の・・・
森田雄三
(続く)
タグ:岸のり子
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【イベント】三浦一壮、吉田悠樹彦が語るラテンアメリカ舞踊の現在・過去・未来
2023.06.18
eLPopメンバーの水口良樹がサポートする『ラテンアメリカ探訪』、6/24日(土)の夜19:00-21:00に舞踏家の三浦一壮さん、舞踊批評家の吉田悠樹彦さんをお招きして三浦さんの半生とラテンアメリカのパフォーマンス・アートの現在を伺う会をZOOMにて催します。

三浦さんは1937年ピョンヤン生まれ(御年80歳越え)。世界に冠たる舞踏を南米に始めに紹介した立役者でもあります。89年に舞踏を辞めてアートビジネスに活躍の場を移しましたが、2018年、長いブランクを経て再びペルーでのフェスティバル参加のために舞踏の世界へと復活しました。
当日、舞踏も配信も予定とのこと。貴重な機会です。詳細は下記リンクから。
https://tambo-latino188.peatix.com
三浦さんは1937年ピョンヤン生まれ(御年80歳越え)。世界に冠たる舞踏を南米に始めに紹介した立役者でもあります。89年に舞踏を辞めてアートビジネスに活躍の場を移しましたが、2018年、長いブランクを経て再びペルーでのフェスティバル参加のために舞踏の世界へと復活しました。
当日、舞踏も配信も予定とのこと。貴重な機会です。詳細は下記リンクから。
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『eLPop今月のお気に入り!2023年4月』
2023.05.26
良い気候になりました。世の中も動いてきた忙しくなってますが『eLPop今月のお気に入り!2023年4月』をお届けします!
新作・旧作関係なくeLPopメンバーの琴線にかかった音楽、映画、本、社会問題などを、長文でまたはシンプルにご紹介します。今の空気を含んだ雑誌、プレイリストのように楽しんで頂ければ幸いです。
先月より各人の原稿は各人のコーナーに収納し、下記目次の「タイトルをクリック」して各記事に飛ぶ方式に致しました!記事から目次に戻るには記事のお最後の「戻る」をクリック!
目次からパラパラ読みや、後で気になったら個人ページから探せるという形ですので、また使い勝手などご意見・ご感想ありましたら、宜しくご教示ください!
【目次】
◆高橋めぐみ『花びらとその他の不穏な物語、アルゼンチン1985〜歴史を変えた裁判〜』(メキシコ、アルゼンチン)
◆長嶺修『Banda Kakana』(モザンビーク)
◆山口元一『モハラ・エレクトリカ、ペルネット、ハビエル・マタ』(コロンビア)
◆水口良樹『ユンサ』(ペルー)
◆石橋純『スチールパン+ギター+チェロのユニットがおりなすゴールドベルク変奏曲』(日本)
◆佐藤由美『リオ・サンバの貴公子、80歳のツアーがスタート』(ブラジル)
◆高橋政資『4/28:PURAHÉI SOUL (from PARAGUAY)@ブルーノート東京』(パラグアイ)
◆宮田信『ジ・マーローズ』(インドネシア)
◆伊藤嘉章『アンドレア・モティス『Loopholes』ライヴ@Blue Note Tokyo』(スペイン)
◆岡本郁生『ジョー・バターンの最新録音』(USA)
新作・旧作関係なくeLPopメンバーの琴線にかかった音楽、映画、本、社会問題などを、長文でまたはシンプルにご紹介します。今の空気を含んだ雑誌、プレイリストのように楽しんで頂ければ幸いです。
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【目次】
◆高橋めぐみ『花びらとその他の不穏な物語、アルゼンチン1985〜歴史を変えた裁判〜』(メキシコ、アルゼンチン)
◆長嶺修『Banda Kakana』(モザンビーク)
◆山口元一『モハラ・エレクトリカ、ペルネット、ハビエル・マタ』(コロンビア)
◆水口良樹『ユンサ』(ペルー)
◆石橋純『スチールパン+ギター+チェロのユニットがおりなすゴールドベルク変奏曲』(日本)
◆佐藤由美『リオ・サンバの貴公子、80歳のツアーがスタート』(ブラジル)
◆高橋政資『4/28:PURAHÉI SOUL (from PARAGUAY)@ブルーノート東京』(パラグアイ)
◆宮田信『ジ・マーローズ』(インドネシア)
◆伊藤嘉章『アンドレア・モティス『Loopholes』ライヴ@Blue Note Tokyo』(スペイン)
◆岡本郁生『ジョー・バターンの最新録音』(USA)
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『eLPop今月のお気に入り!2023年2月』
2023.04.03
『eLPop今月のお気に入り!2023年2月』
春ですね〜。さて遅れ気味の『eLPop今月のお気に入り!2023年2月』をお届けします!
この「お気に入り」特集、10人分をスクロールして読むのは不便!という声に対応し、各人の原稿は各人のコーナーに収納し、目次の「タイトルをクリック」して各記事に飛ぶ方式に致しました!記事から目次に戻るには記事のお最後の「戻る」をクリック!
目次からパラパラ読みや、後で気になったら個人ページから探せるという形ですので、また使い勝手などご意見・ご感想ありましたら、宜しくご教示ください!
今の空気を含んだ雑誌、プレイリストのように楽しんで頂ければ幸いです。
【目次】(中身を読むにはタイトルをクリック下さい)
◆佐藤由美『バハグニ、ホジェー』(LA)
◆山口元一『スリー・ムリーヨ、ホルヘ・セレドン』(コロンビア)
◆高橋めぐみ『「ブエノスアイレスに消えた」グスタボ・マラホビッチ』(アルゼンチン)
◆岡本郁生『フアンパリートスチノス』(メキシコ)
◆石橋純『ベネズエラギター音楽その2:ジョン・ウィリアムス』(ベネズエラ)
◆水口良樹『アンカシュのポマバンバ周辺の音楽:チマイチ』(ペルー)
◆宮田信『ルーベン・モリーナ来日イベント 5/19(大阪)5/21(東京)』(チカーノ)
◆長嶺修『加藤聖文『満蒙開拓団』』(移民史)
◆伊藤嘉章『リッチー・オリアック』(ドミニカ共和国)
◆高橋政資『『ラテンアメリカの民衆芸術』展@国立民族学博物館』(ラテンアメリカ)
春ですね〜。さて遅れ気味の『eLPop今月のお気に入り!2023年2月』をお届けします!
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今の空気を含んだ雑誌、プレイリストのように楽しんで頂ければ幸いです。
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◆佐藤由美『バハグニ、ホジェー』(LA)
◆山口元一『スリー・ムリーヨ、ホルヘ・セレドン』(コロンビア)
◆高橋めぐみ『「ブエノスアイレスに消えた」グスタボ・マラホビッチ』(アルゼンチン)
◆岡本郁生『フアンパリートスチノス』(メキシコ)
◆石橋純『ベネズエラギター音楽その2:ジョン・ウィリアムス』(ベネズエラ)
◆水口良樹『アンカシュのポマバンバ周辺の音楽:チマイチ』(ペルー)
◆宮田信『ルーベン・モリーナ来日イベント 5/19(大阪)5/21(東京)』(チカーノ)
◆長嶺修『加藤聖文『満蒙開拓団』』(移民史)
◆伊藤嘉章『リッチー・オリアック』(ドミニカ共和国)
◆高橋政資『『ラテンアメリカの民衆芸術』展@国立民族学博物館』(ラテンアメリカ)
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