――さっき、若い人に・・・っていう話をしてましたけど、バンドとしてはあんまり出てきてない。
そうなんですよね。
――ただ、捉え方っていうか、昔だったら「サルサって何?」っていうところから始まったのが、やっぱりデ・ラ・ルスとかのおかげでね、いまの若い人、「あ、サルサね」って、詳しくはなくても、サルサっていうものに対して、認識はできるようになったと思うんですよ。
そのぐらいはないとね〜(笑)。
――昔はそれもなかったですよね。
「何ですか?」ですよね。「さのさ」ですか?って。・・・さのさ? さのさって何?ってこっちがいっちゃう(笑)。
――1980年ぐらいは、ほんと、「さのさですか?」でしたね。
少しは広まってますけど、まだまだ・・・
――若いバンド、もうちょっと出てきてほしいなと思いますね。
あの〜、スペイン語で歌う人が増えるといいなと思う。
――ひとつやっぱり、そこは大きいですよね。
日本人ってほら、合うじゃないですか、スペイン語が。
――合うんですけどね・・・
日本語と近いから。ずっといってるんですよ、最近ずっと。そうしないと、スペイン語って難しいってイメージだから、「とんでもない。英語より簡単よ」っていって。英語より全然通じるし、スペイン語の方が発音とか気にしなくても歌えるし、どんどん歌ってほしいと思って。それで、今回も一応カラオケ入れたんですけど、難しすぎて誰も歌って映像を上げてくれないんだけど(笑)。でもとりあえず入れとこうと思って。でもそうですよ。だから「私はピアノ」とかだったら、歌いたいっていう人がいたり、結構教えたりとかもしたんですけどね。
でもやっぱり一般的に、スペイン語の歌を歌うってことがないので。簡単なのに、って思うんですよね。だからその辺は課題ですね、これから、私の。もっと広めたい。スペイン語の歌をね。
――若い世代、ダンスの方でも同じようなこといってますけどね。なかなか若い人が入って来ないというのがあるんですけど、バンドの方でも本当に少ないですよね。
だから、アイコンみたいなのが必要で。すごい可愛い子とかイケメンとかがサルサやらないと(笑)、どうしても広まらないので。
――それぞれの楽器では、(パーカッションの)ひご たくみ君とか、ピアノやベースの人も、ラテンやるとか、やりたいって思ってる人は、多くなっている気がするんですよ。
ミュージシャンはね、ぽつぽつぽつぽつ、若い人いるけど。
――でもやっぱりバンドってなると・・・。さっきの話と同じで、バンドやるってなかなか大変だから。
すぐ解散しちゃうんですよね。作るけど、「あれ?あのバンドどこ行っちゃったんですかね?」って、いつの間にか・・・。だから、なかなか続けるの(は大変)。
デ・ラ・ルスも、ずっとバンド形態で最初からやってて、それを変えてないんですよ。だからもう、アマチュアの時と一緒で、全部みんな等分。ギャラも何でも。扱いも。だから、議題があると、みんなで話して決めるし。
――誰がリーダーでっていうのは? NORAさんがっていうわけじゃなくて?
リーダーっていうのも置かず、役割だけ。取材は私がやるよ〜とか。
――すごいですね、エル・グラン・コンボのスタイルですね。グランコンボはそうなんですよね。
役割スタイル?
――役割がね、決まってて、誰が広報とか決まってるんですよね。
やっぱり長く続けてるとそうなるんですよね(笑)。やっぱり得意不得意ってあるから、人によってね。何もしてない人もいますけどね(笑)。「それで私と同じギャラなの?」っていう人もいますけどね(笑)。まあ、でもね、いろんな人がいて、バンドなので。役割を与えられる人は与えて、みたいな感じで、分担してやるようにはしてるんですけどね。ま、結局、私の仕事量が一番多いですけど(笑)。
――そういう意味で、ボンゴの佐藤由くん、彼は他でいろいろ・・・
そうなんですよ。全然ラテンの世界から来てないので。
――そうですよね。
わざと、そういうメンバーにしたんですよ。なんか、コアな人というより、デ・ラ・ルスって昔からいろんな人とコラボもするし、なんかこう、面白い音楽性を持っている人を入れるっていうのがテーマで。
――確かに。
それがこう、日本人らしさというのを出すっていうのもあるかなと思っているので。だからあんまりコアなコアなっていうよりは、いろんな音楽ができる人ということで彼がね、いいなと思ったし。
――いいですよね。
だって、「死ぬ気で頑張ります」っていったんですよ。本気で。
――死なれちゃ困るけどね(笑)。
そう。「え、マジで?」「はい、死ぬ気で頑張ります」っていって。本当にすごい練習してくるし、すごい真摯に、ちゃんとやってくれるので、信頼できます。いい人が入ってくれたなって。
――そうですね。彼が入って、もう何年? 3〜4年?
8年。
――そんなになる!?
信じらんないでしょ〜(笑)。まだ入ったばっかのように思うんだけど・・・
――昨日のようだ・・・
だから多分、コロナ禍の部分が飛んでるんですよ。
――確かに。
ねえ。私も、「あれ?5年くらい?」と思ったら8年目ですね。
――8年か。
(伊波)淑が入って、もう9年くらいだから。
――淑のすぐあとぐらいだもんね。
淑の1年後くらい。
――そうか、もう、そんな経つんだ・・・
そうなんですよ。
――で、この最新アルバム『マス・カリエンテ』は、録り始めたのは・・・?
今年(2024年)。
――今年で全部ガーってやったんですか?
そうです。去年から話して、「来年、アレ(※40周年)だから」っていって、去年の夏過ぎくらいからちょっと企画を練り始めて、やっぱりCD売れないしクラウドファンディングでやるしかないかな〜みたいな。前はキングレコードでやったんですけど、あれも自分たちで作って、その後にキングで出してもらったらという感じなんですけど、今回は40周年だから、皆さんで、応援してくださるファンの人たちと一緒に作り上げるっていうテーマにしたいなと思って。
――レーベルは、自分たちで?
自分たちです。
――「NS Records Japan」って、「ノラ・スズキ・レコード」っていう意味ですか?
奈奈カンタリーナのところです。
――乗っとったんですか?(笑)
いやいやいや、奈奈ちゃんがなぜか・・・。あれ? 「NS Records Japan」? なんでNSなんだろう?
――ん・・・。たまたまNSレコードってことですかね?
本当だ。ノラ・スズキ・レコードみたい(笑)、NSレコード。
で、今年になって・・・あ、去年だ。12月にクラウドファンディングを始めて。どういうリターンするかとかね、決めて。で、去年の、毎年ファミリアライブっていうのをやってて・・・4回だっけ? そうですよね、去年で4回目で。
ファンクラブがないので、ファンの人のためのライヴっていうのをやろうって、毎年最後にね、忘年会みたいな感じで。で、その時に発表して、「クラウドファンディング始めます。40周年のアルバムを作りたいので、応援してください」っていうことで、1月末ぐらいまで集めて。作曲のリターンとかも入れて、300万円目標にしたんですけど、600万弱集まって、ありがたいことに。それでちょっといろいろ・・・。
もう、300万って全然足りなかったんですよ、計算したら。スタジオ代がめちゃくちゃ高くて。「スタジオエイト」っていう環八にあるところなんですけど、古い、昔から私たちもデ・ラ・ルスで、3枚目かな、4枚目か・・・使ったことあったんですけど、それがリニューアルして。でももう、機材が古くて、いざレコーディング始めたら壊れる壊れる(笑)。だからその分延長させてもらったりとか、ディスカウントちょっとしてもらったりとかしたんですけど、ほんと高くて。
うちらってブースが、リズムは一緒に録るので、4つぐらいないといけないんですよ。コンガ、ボンゴ、ティンバレス。ま、ベース、ピアノはエレクトリックなんで同じ部屋で。あとボーカル、仮のブースでないといけないので、すごい広いところじゃないと録れないんですよ。だから本当に予算がなければね、家で一人ずつみたいなことになっちゃって。それだとやっぱりグルーヴィーじゃないので、バンドっぽくないし。それでやらせてもらって、結局、何日かだったかな、8日間ぐらいだったかな? スタジオ、もっと短かったかな? 6回はフルで入って、で、後でボーカル入れを・・・あ、足りなかったんだ。そうそうそう。結局、後で小さいところでボーカルだけやってとか、すごい時間かかりました。はぁ〜って感じ。
もうしばらくやりたくない、ってくらい(笑)・・・大変でした。曲数がね、候補がもっとあったんですよ、いっぱい。
――あ、そうなんですか。
13〜4曲、録りたいねっていって、そしたら時間なくなっちゃって、何削る?みたいな。で、トニー(・スッカル)に頼もうって話になってて、去年ほら、私、トニーと一緒にやったじゃないですか。ペルー行ったり、マイアミ行って、「スキヤキ(上を向いて歩こう)」を一緒にやったり。だからトニーに何曲かプロデュースとティンバレル・ソロもやってもらって、っていってて。でも、トニーが忙しくなっちゃって。もう、連絡しても、あの人真面目なのに、全然返事が来なくなっちゃうんですよ。
それで、本当はZOOMとかで参加して、レコーディングもやるはずだったのに、マイアミから。もう、全然・・・。とにかく忙しい時期で、彼もペルー行ったりなんだりして。だからもうホントね、こっちでほとんどやって、音を送って、アレンジしてもらって、で、トニーも他のアレンジャーにも頼んで、自分もやって、で、できたら送ってもらって、それをやって聴いてもらって・・・そのやりとりがなかなかスムーズにいかなくて。
――これ、全部トニーがやってるんじゃないですよね?
違います。「涙そうそう」と「エル・ハポネス」ですね。ナオト・インティライミの。
――ソロは?
「マス・カリエンテ」。それも、最初は「マス・カリエンテ」に入るんじゃなくて、ファニアの「ナディエ・セ・サルバ・デ・ラ・ルンバ」っていう曲があるんですけど、ピート“エル・コンデ”・・・じゃなくて、アダルベルト・サンディアゴとセリア(・クルス)でデュエットしてる昔の、ファニアの、♪ナディエ・セ・サルバ・デ・ラ・ルンバ・・・って、レイ・バレットがソロする曲。で、あれが好きで、ライヴでやってたので、それでソロしてもらう予定だったんですよ。
で、レコーディング・リハもやってね、準備もして、これでやってほしい、「イエーイ!」ってなってたんですよ。そしたらもう、レコーディングする時間がなくなっちゃって、それでトニーに、ごめん「マス・カリエンテ」でやってくれる?っていって、「いいよいいよいいよ!」って。
ま、結局は良かったですけど、ちょっと伸びちゃったね、曲が。ホントは5分以内に収めようと思ってたんですけど、ソロ入れて、やっぱり伸ばさざるを得ない。で、プロモーションビデオに入ってもらえたので、良かったなと今では思いますけど。
あとは、他にもありましたね、何曲か・・・。リハではやったりとかしてたんですけど、結局、時間がなくて何曲か録れなくて。
――トニー(との関係)は、最初はどういうとこから始まったんですか?
直接インスタでトニーからメッセージが来ました。お互いにフォローはしてたので。で、ある日メッセージが来て・・・去年(2023年)のアタマぐらいかな。あ、その前かな? なんか、「レコーディングで日本に行く。で、うちのママと歌ってほしい曲があるから」っていって。で、「日本でレコーディングしたいから、ぜひお願いしたい」っていうのが来て、おおー!ってなったのが多分、1月ぐらいだったかな。で、2月に来たのかな、レコーディングで。
――(トニーのお母さんの)ミミさんは(NORAさんの)1つか2つ上ぐらいでしょ?
2つ上です。
――2つ上。どうですか、なんかもう姉妹みたいな。
そうなんですよね。ミミさんはね、本当に私にはすごくよくしてくれますよ(笑)。すごくもう、エルマナって感じで、すっごく丁寧に、なんかね、日本人には丁寧に接するみたいで、やっぱり。そういう文化ですよね、日系の人っていうのは。だから「ノラさんっ〜!」てすっごい丁寧な感じで、日本語はもうほとんど喋れないんですけど、でもすっごく優しくしてくれて。だから仲良くさせていただいてます。
――トニーがものすごく真面目だって思ったのは、去年、日系ペルー人のイベントのとき、最初、リハーサルのとき、音が悪かったじゃないですか。そしたらなんか、本番まで、トニーがず〜っとミキサー卓のとこで何かやってたから・・・
まあね〜、なんでもできちゃうからね、彼。
――真面目な人なんだな〜、と。
そうそう。メンタリティーは日本人ですよね、彼。だからやっぱり、お母さんの影響がすごい強いし、お父さんも、全部ラテンじゃないんですよね。レバノンが入ってるんですけど、でもラティーノっぽくないっていうか、熱いところはすごいラテンなんだけど、ほんとに真面目な人で、きちっとしてるというか。だからあんまりラテンっぽくはないファミリーですよね、そういう意味では。
――そうかもしれないですね。
でも、トニーくらい親孝行な息子が世の中にいますか?(笑) 本当にそれは声を大にしていいたい! 自分のお母さんのアルバムを作ってですよ、あんな豪華ゲストでですよ・・・
――それでグラミー賞に・・・
ノミネートさせるんですよ、すごくないですか?と思って(笑)。
――あのパターンは、いままでにないですよね? まずは息子が有名になって、お母さん引っ張り出して、その後、シーラEとかグロリア(・エステファン)とかと・・・
コラボさせてね。
――あれすごいなと思って。
あれね、私が最初トニーに声かけられたんですよ。かけてくれたんですよ、シーラEのアルバム。「いま、シーラEのアルバムをプロデュースしてるんだけど」って。去年の6月にトニーの家に行ったときにその話を聞かされて、「ベンバ・コロラ」のすっごい激しいヴァージョンをいまアレンジしてて、それをママ(ミミ)と、ノラと、あとキューバ人のアイメ・ヌビオラと3人で歌ってほしいと思ってる、っていってたんです。だから、いつ連絡くるかな〜と思って待ってたら、蓋を開けてみたらグロリア(・エステファン)だった(笑)。
それはグロリアですよね〜って(笑)。私だってね、グロリアやりたいですよ、みたいな感じで。で、「ベンバ・コロラ」やってましたよね。入れなくてちょっと残念だった・・・。
――残念でしたほんとに(笑)。
でもこれから、いまトニーが・・・マル秘情報なんですけど、もういっちゃうけど、多分もうすぐ出るから。ペルーでのコンサートを中心とした映画? ドキュメンタリー・・・お母さんのドキュメンタリー映画が・・・あ、秘密じゃないや、もういってた。あの、ドキュメンタリー映画がペルーで公開されるんですよ9月に。そこに、私がペルーに行ったときのライブを結構出すっていってました。YouTubeでもそのプロモーション映像をいろいろこれから流すからっていってました。
――9月にペルーで?
ペルーの劇場で公開されるっていってました。マル秘じゃないんだ、もう。それはすごいなと思って。
Mimy & Tony: La Creación de un Sueño
https://youtu.be/5LLoZzhjENQ?si=Jwo6wXzLHgUDJFnS
――早めに日本にも来ないですかね?
ね〜。どっか小さいとこでもいいからやってもらったら。そのなんか、お母さんとして子育てで頑張ってきた女性がこうなっていく・・・みたいなやつを作ったらしくて。
――なんという・・・
トニーって映像監督でもあるんですよ。よく(映像を)上げてるじゃないですか。異常に映像が好きで、で、なんか、アメリカの映像フェスティバルでもノミネートされてたんですよ。何か作品出して。で、その表彰式に家族で行ってましたよ、アメリカの、どっかの都市の。
――結構、ほんとマメに撮ってますよね、前から。
あの人、一緒にいると、全然話できないんですよ。なぜかっていうと、ずっとスマホやってます。もう、いまの子ですよ、本当に。ちょっと挨拶して、だ〜って話して、もうずっと、こういうときも、ずっとやってます。さすがにインタビューのときはね、テレビのときはやってないですけど、もう、ずっと見てて。いまの子ですよ〜。まだ30代です。39か。だけど、あれだけの量を上げてるから。毎日出てるんですよね。
――すっごいですよね。
ストーリーだって毎日10個くらい。結構面白いですよね、
――ギャグが入ってたり、面白いですよね、あれ。
すごい作りますよね。本当にあればっかやってるみたい。
――なかなかの才能ですよね。あと、このアルバムの中でいうと、ナオトが・・・
そうですよ。意外な組み合わせでね。それもまた縁があって、前に私たちがビルボードでやったときに、ナオト・インティライミがライブ見に来るっていう噂を聞いて、なんでだろう?みたいな。
で、楽屋に来たんですよ、終わった後。そしたら、「NORAさん、今度スペイン語教えてください」っていうんですよ。「え、私ですか? 先生いるじゃないですか」みたいな。「NORAさんに教えてもらいたいんです」っていうんですよ。なんでなんで?って思ったら、なんかちょっと世界進出を考えてて、ぜひ!っていうんで。で、ランチして、インタビューで聞かれるスペイン語と、答えるスペイン語を教えてほしい、と。
「あ、インタビューに特化してるんだ。でもそれで私?」みたいな。「(私の)スペイン語、子供(の)ですよ」っていっても、それでいい、自分は喋れないからそれでいいっていうんで。いろいろメモしてたり書いてたりして、2回やったんですよ、それは。
――面白い縁ですね。
それでその後に、いつか一緒にできたらいいねっていう話をしてて、何回か、デ・ラ・ルスまた見に来てとかいってたんですけど、忙しくてなかなか・・・。
そしたらたまたま、その、トニーとマイアミのライヴのときに、あのちょうどね、向こうのドン・フランシスコっていう、「サバド・ヒガンテ」・・・タモリさんみたいな大御所司会の、あの人の番組に出たんですよ。それで、トニーとね、夜、食事しようみたいな日があって。で、マイアミンのレストランで食事してたんですよ。そしたら、ナオトからLINEが入って。「いまマイアミにいるんですよ」って。
――なんと!
「会いたいんで、どうですか?」っていうんで、「え?」ってなって。
「いまからトニーの家に行くから。食事をしたら、トニーの家に・・・もう私、明日帰るから、だから今日じゃないと、トニーの家に(行けない)・・・」。スタジオ見たいじゃないですか。「ユニティ・スタジオ見たいから、今日これから行くから。そしたらじゃあ、トニーのスタジオに来れば?」といったんですよ。で、住所を教えてもらって。
そしたら、トニーのとこ行ったら来たんですよ、ナオトが。それで、3人で写ってる写真を、Facebookに上げたんですけど。そのときにいろんな話をして、いつかまたコラボできたらいいねっていって、別れて。
で、今回これを作る時に、やっぱりゲストをね、大黒摩季ちゃんはマストだろうし・・・ラテンだから。で、ナオト、どうかな?ってなって、ナオトにいったら、いいですよってなって。やるんだったら、「エル・ハポネス」・・・彼がレゲエトンみたいなやつ作ってたじゃないですか。それがちょっと話題になってるから、それのサルサでどうかな?みたいな。で、(ナオトは、)やるならトニーにアレンジしてほしいって。デ・ラ・ルスじゃなくて・・・ま、そうだろうなーって。
で、あのときに会ったし、それでトニーに頼んだら、「いいよ〜、ナオトね。あのとき会ったね」みたいな。それでやることになって。
――あ、そうなんですか。こないだ、ツアーやってましたよね?
そうですね。最後の日に行ったんですけど、もうすぐマイアミに行くっていう感じで・・・。
それで、そのレコーディングするときも、トニーがアレンジを、すごいカッコいいアレンジしてくれたじゃないですか。で、それを送って、うちらがレコーディングして、で、歌入れは、トニーのスタジオで、ナオトがやったんです。私は勧めたんです、その方がいいと思って。
自分で一人でできるかもしれないけど、やっぱりスペイン語の問題もあるし、ノリ・・・サルサだってノリがやっぱり、教えてもらった方がいいなと。そしたらトニーが、「ボーカル・コーチが絶対必要だ、自分はわかるけど、専門家の方がいい」っていって、トニーの友だちのキューバ人の歌手に頼んで、来てもらって。で、トニーとその彼で、ナオトのレコーディングをサポートしてやったんです。だからしっかりしたものができた。
――ちゃんと歌ってますよね。
できないところは何回もやり直して、とか・・・
――すごくいいですね。
いいですよね、で、(音が)送られてきて。それでまたやりとりでミックスして。もともと私たちは、やっぱりすごいサルサっぽい作りの音にしちゃったんですけど、やっぱりナオトは慣れてないみたいで(笑)、もうちょっと歌を出して欲しい、っていう。で、まあそうだよね、歌手だもんね、っていう感じで。で、まあいい感じのところに落ち着いたっていう。早く一緒にライブでやりたいんですけど。
――そうですよね。
私、ライヴのとき、ナオトのところ、(彼がいない分)一人で歌って。全部一人で、それは大変だった(笑)。
――彼はどうですか? 當間ローズさんは?
彼は(大黒)摩季ちゃん繋がりで。大黒摩季ちゃんが、実はラテン好きなので、コラボするようになったじゃないですか。で、その、「ラテン家の人々」っていうのは、まあ、私が名前つけたんですけど・・・「なんか名前ない?」みたいな。名前付けて活動しようよっていうので、「ラテン家の人々」でいいんじゃね? とかいって。それで必然的に、摩季ちゃんと繋がりのあるローズが入ってきたっていう。やっぱり「ラテンの貴公子」っていうことで活動しているので、ビジュアルも大事、みたいな。
摩季ちゃんはすごいプロデューサーでもあるんですよ。ものすごいプロデューサー目線を持っている人だから、こう、ラテンを広める・・・広めたい、デ・ラ・ルスさんを広めたい、とか思った時に、やっぱりそういうビジュアルの部分とか、人がなんかキャッチーだって思う、楽しそうだなとか思う部分をすごい前に押し出したい、って、ちゃんと考えるので。だから、やっぱり、ローズを置いておかないと、みたいな。イメージができてるし。
――イメージ大事! 彼もちゃんと歌ってるじゃないですか。
日系ブラジル人で、歌もちゃんと歌えますよ。自分でも曲も作るし。すごい素敵ですよ。いい声してるし。だから、ちょっとね、いろいろ活躍してほしいんですけどね。ラテンを広げるために。でもいま、タレントさんとして売れっ子で。自分の番組とかいろいろ持ってて、すごく忙しくなってます。
(続く)


