新作・旧作関係なくeLPopメンバーの琴線にかかった音楽、映画、本、社会問題などを、長文でまたはシンプルにご紹介します。今の空気を含んだ雑誌、プレイリストのように楽しんで頂ければ幸いです。
【目次】
◆山口元一『ホセ・バスケス、ダリオ・ゴメス逝く』(コロンビア)
◆水口良樹『レナタ・フローレス、アンデスロックとアフロペルーロック』(ペルー)
◆石橋純『ビッグアーティスト達が物議をかもした国歌パフォーマンスを回顧する』(米国、ベネズエラ、アルゼンチン)
◆佐藤由美『ミルトン・ナシメントのラスト・ツアー続報』(ブラジル)
◆高橋政資『音楽ライヴ・シリーズ “Conciertos Estamos Contigo”その(2)』(キューバ)
◆岡本郁生『フアン・ルイス・ゲーラ「Privé」5曲入りEPリリース』(ドミニカ共和国)
◆高橋めぐみ『クリスマスのあの日私たちは/Días de Navidad』(スペイン/ドラマ)
◆長嶺修『斎藤潤一郎『死都調布』『死都調布 南米紀行』『死都調布 ミステリー・アメリカ』と西江雅之『異郷日記』』(調布、他)
◆宮田信『サニー&ザ・サンライナーズ『Mr. ブラウン・アイド・ソウルVol.2』』(チカーノ)
◆伊藤嘉章『レゲトン&バッド・バニーの躍進』(プエルトリコ)
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◆山口元一("Ay hombe"担当/コロンビア)
『ホセ・バスケス、ダリオ・ゴメス逝く』
コロンビアの最新ヒットを紹介するコーナー、”Ay Hombe”です。
今月は最新ヒットではなくて悲しいお知らせを2つ。
ひとつめ、バジェナートからトロピカルまで、コロンビアのコスタを代表するベーシスト、ケバス(Quévaz)ことホセ・バスケス(José Vásquez)。7月18日に亡くなりました。まだ67歳だったのに。
“El vallenato de luto: murió José Vásquez ‘Quévaz’, el papá de los
bajistas” 19 julio,2022, El Pilón

https://elpilon.com.co/el-vallenato-de-luto-murio-jose-vasquez-quevaz-el-papa-de-los-bajistas/
数え切れないほど多くのミュージシャンと共演しているケバス、挙げていくと切りがないのですが、何曲か紹介します。縦横無尽に暴れ回るケバスのベースを堪能しましょう。
まずはアコーディオンのミゲル、カハのパブロの兄弟コンビ、ロス・エルマノス・ロペス(Los Hermanos Lopez)。歌は去年亡くなったホルヘ・オニャーテ(Jorge Oñate)、曲は"La Vieja Gabriela"、この当時、ケバスはなんと16歳!
♪ もしあたしにできることなら あの男を フアン・ムニョスを殺してやるのに ♪
La Vieja Gabriela Los Hnos López & Jorge Oñate (Juan Muñoz)
https://www.youtube.com/watch?v=OumjeAHS_OE
クリスマスの定番・"El Rey de los Diciembres"(12月の王様)ことロドルフォ・アイカルディ(Rodolfo Aicardi)の"Ella Volverá"。後に作曲家としても名をはせるケバスの初期の作曲です。
Ella Volverá - Rodolfo Aicardi
https://www.youtube.com/watch?v=9YeWKOVYYAM&t=73s
グルーポ・カンパラ(Grupo Kammpala)またの名をウガンダ・ケニア(Wganda Kenya)のご機嫌な一曲、"Chao amor"。1977年の作品です。
grupo kampala Chao amor año
https://www.youtube.com/watch?v=ZsWZRZ5SR78
全盛期のビノミオ・デ・オロ(Binomio de Oro)の必殺の一曲、"El Higuerón"。どうです、このフリーすぎるベースライン! バジェナートのベースの歴代最高演奏ではないでしょうか。
♪ ああ ネグラ
おまえがおれのことを探さないから おれは死んでしまう
おまえがおれを放っておくから おれは苦しくてたまらない
あのイゲロンの木の下で おれはいつもおまえのことを待っていた ♪
El Higuerón, Binomio De Oro De América
https://www.youtube.com/watch?v=NgaPG_xgmK0
そして、ラ・フンタのカシーケ(Cacique de la Junta)ことディオメデス・ディアス(Diomedes Díaz)の、というよりコロンビアを代表する名曲"Sin Medir Distancias"のあまりにも印象的なイントロのギターもケバスの演奏です。
♪ おれの心から愛情が流れていた幸せに満ちた日々を思いおこすことは
なんて悲しいことなんだろう
別れのときがきた 距離をはかることもできないほど遠くへと旅立つときが
そしてここにはあの愛の影すらも残らないのだろう ♪
Sin Medir Distancias, Diomedes Díaz
https://www.youtube.com/watch?v=Mnv8CLE5fhI
こうやって聞くとあらためてコロンビア音楽の躍進を支えた名演奏家であったことが実感できますね。ご冥福をお祈りします。
El Higueron (Vivo)- Jose Dario y Javier Matta
https://www.youtube.com/watch?v=7E60NQ7wuqI
続いての悲しい知らせ。セールスも桁外れですが、「その歌でコロンビア人にどれだけアグアルディエンテを飲ませたか」という統計とれば、ダントツ、Despecho(デスペチョ)の王様・ダリオ・ゴメス(Darío Gómez)、7月22日に亡くなりました。まだ71歳でした。
コロンビア音楽に興味のある外国人はトロピカル音楽を偏愛している人が多いので、この手の「演歌」は意外に知られていないのですが、コロンビア人、特にソナ・カフェテーロ(カルダス、リサラルダ、キンディオ、さらにアンティオキアの南半分、バジェデルカウカの北半分。)の人と酒飲むと、「なんだかんだいってもコロンビア人は最後はこれ!」と力説されますよ。訃報がCNNで報道され、大統領がお悔やみを述べるほどの超大物です。

https://cnnespanol.cnn.com/2022/07/27/dario-gomez-cantante-colombia-muerte-orix/
"La Tirana(女暴君)"
♪ 私は全霊をかけておまえの心を受け止めた おまえには裏切られたが後悔はしていない
私はおまえが暴君であることに気がついたのに おまえを愛してしまった
運命が私を騙したのだ この世界にはこんなに多くの女がいるのに
私が唯一愛したのは私をこんなにも絶望させる女だったのだ ♪
LA TIRANA - DARIO GOME
https://www.youtube.com/watch?v=FrUh-VX7mCA
アンティオキアの原風景ともいえる彼の歌は、7歳からコーヒー農園で働きはじめた貧しい少年時代、家庭内暴力に苦しんだ生年時代(若いダリオは母を殺害しようと散弾銃を向けた父ともみ合いになり、父を誤って射殺しました)、ベネズエラに出稼ぎに行き(今じゃ信じられませんが、昔は貧しいコロンビアから産油国のベネズエラに出稼ぎに行くのが普通でした)、着の身着のままで強制送還をされたり、最愛の娘を殺人事件で失った下積み時代〜この悲劇から彼の一世一代の名曲"Nadie es eterno en este mundo"が生まれています〜、離婚後も金をせびり続ける元妻と娘たちとの確執など、波乱に満ちたその人生が色濃く反映されたものになっています。それゆえ、世代を超えて、彼の歌声に自分の人生を重ねるコロンビア人の心を打ったのです。

(ダリオ・ゴメスの旅立ちの悲しみ、数え切れないほどパランダで彼の音楽を聴き、数え切れないほど彼の歌を歌ってきました。ご遺族の皆様へ、心よりお悔やみ申し上げます。)
https://twitter.com/juanes/status/1552134283015454720
"Nadie es eterno en este mundo"
♪ この世への別れとともに私にさよならを言うときになっても
私のために泣かないで 誰もが永遠ではないのだから
誰もが深い眠りに落ちれば戻らない
打ちひしがれて、苦しみ、泣き、そしてもう私と会えないと、あなたは悟るだろう”
Dario Gómez - Nadie Es Eterno
https://www.youtube.com/watch?v=YIo5Rq8ptFU
この世では誰もが永遠ではないのかも知れませんが、ダリオ・ゴメスの歌はいつまでもいつまでもコロンビア人に歌い継がれて行くことでしょう。
では来月もよろしくね。
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◆水口良樹(ペルー四方山語り担当/ペルー)
『レナタ・フローレス、アンデスロックとアフロペルーロック』
今月、どうしようかなぁと迷いながら、これまでにも紹介してきたレナタ・フローレスからライブを1曲、そしてアンデスロックとアフロペルーロックからそれぞれ2曲ずつ?をご紹介してみることとしました。
ペルーのケチュア語ラップのトップランナーの一人であるレナタ・フローレスのライブビデオより、Rita Puma Justo。バンダとサンポーニャ、アルパなどをバックに自由への強い思いが歌われる。
Renata Flores-Rita Puma Justo
https://www.youtube.com/watch?v=h7VD_YUDEY8
続いてはこちら。
クスコのロックバンド、チンタター(CHINTATÁ)から、アンデス・フュージョン的な作品のオススメをご紹介。1曲は2020年のコロナ禍ロックダウン中に作られた「Sueño de la vía láctea」。こちらはフュージョン・ロックとしてワイノ的世界とロックが絶妙に融合した作品としてなかなかぐっとくる作品だ。
そしてもう1曲は「Cuerpo Soltero」。こちらはおそらくフュージョン・ロックのバンドでははじめてだろう、ハーモニカを使ったクスコ地方のワイノのスタイルで演奏しており、これはロックというより由緒正しいワイノだ(ライブ中でもワイノと高らかに言ってしまっている)。このあたりの垣根がないところが何よりも素晴らしい。もっともこのチンタターにしても、いつもこういう曲ばかりではない。むしろがっつりロックな曲も多く、だからこそたまに挟まるこうしたアンデス・ルーツへと回帰した曲にぐっと心を掴まれる。ちなみに私はこのチンタターのTシャツをもっている。トウモロコシを満載したアンデスを走るトラックのデザインが個人的には大好きだ。
CHINTATÁ-Sueño de la vía láctea
https://www.youtube.com/watch?v=xfnpAf3ZD1Q
CHINTATÁ-Cuerpo Soltero
https://www.youtube.com/watch?v=t6WJLVeQ8VU
ペルーのフュージョン・ロックの多くはアンデス音楽とのフュージョンであり、沿岸地域の音楽とのものは非常に少ない。その中でも非常に面白く成功していると思われるのがシマロネスだ。
シマロンとは逃亡奴隷のことで、ペルーでも植民地期を通じて逃亡奴隷の問題は非常に脅威となっていた。その逃亡奴隷シマロンをバンド名とした彼らは、当初アフロペルーロックをかなりハードにやっていたが、徐々にジャズ的要素が前面に出て個人的には好きな曲が増えてきている。また近年はロサ・グスマンとの共演も多くぐっとうれしさ3割増しな感じだ。7月28日の独立記念日にもロサ・グスマンを招いてライブをやっていたようで、ちょっと聴きたかったなぁと思っていたらいい感じのシマロン紹介のショートビデオがあったので、こちらと2018年のPVと一緒にご紹介。
Cimarrones-30 años
https://www.youtube.com/watch?v=2FQBQcmz8GI
Cimarrones-La Tutuma
https://www.youtube.com/watch?v=TpxDLER6Rdk
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◆石橋純(熱帯秘法館/CASA CACHIBACHI担当/ベネズエラ& more)
『ビッグアーティスト達が物議をかもした国歌パフォーマンスを回顧する』
7月はアメリカ大陸の多くの国が独立記念日を祝う。国歌とそのエピソードが思い起こされる時期でもある。そのなかからUSA(7月4日独立)、ベネズエラ(7月5日独立)、アルゼンチン(7月9日独立)の「物議をかもした国歌カバー」について紹介しよう。
もっとも有名なのは1969年8月ウッドストック音楽フェアにおけるジミ・ヘンドリックスだろう。カウンターカルチャーの「見本市」の閉幕間際に歌無しで演奏されたジミヘン版国歌は、爆撃機や機関銃の音を思わせるギターのエフェクトが織り込まれ、エンディング直前には軍葬ラッパの旋律が挿入される。こうした演出にはベトナム反戦の主張が込められていたと語られることが多い。だが、フェスの直後、メディアインタビューに答えたジミヘン本人は、意外にも政治的な意図をきっぱりと否定している。
1969年8月、ウッドストックにおけるジミ・ヘンドリックス版米国国歌
https://youtu.be/sjzZh6-h9fM
「カウンターカルチャー運動の頂点」とさえ評されるジミヘン版米国国歌の影に隠れてあまり知られていないのが、ホセ・フェリシアーノが歌った米国国歌だ。ジミヘンに先立つ1968年10月、大リーグ・ワールドシリーズ第5戦の試合前セレモニーの国歌独唱歌手として起用されたフェリシアーノは、ガットギター弾き語りのおなじみのスタイルで、ポップバラード風の米国国歌を歌いあげた。国民の多くが注目する大イベントにおいて米国国歌の独自バージョンを披露したのはこれが史上初ではないだろうか。
1968年10月、MLBワールドシリーズにおけるホセ・フェリシアーノ版米国国歌
https://youtu.be/aQkY2UFBUb4
いま多くのアーティストが独自の解釈で米国国歌を歌うことを聴き慣れた私たちからすれば、このフェリシアーノ版はお行儀良くさえ聞こえる。しかしキング牧師とロバート・ケネディが暗殺され、パリ五月の嵐が吹き荒れ、メキシコで五輪大会に抗議する市民が虐殺された、激動の年の出来事である。23歳のプエルトリコ人シンガーソングライターが、誰も聞いたことのないポップな解釈で歌った国歌は賛否両論を巻き起こした。だが当のフェリシアーノは、反体制的な姿勢を否定するだけでなく「たいくつなセレモニーとされる国歌独唱に人びとの耳を傾けさせることを狙った」と、むしろ「愛国者的な」説明をしている。
ベネズエラのアーバンポップを代表するシンガーソングライターのイラン・チェスターが1997年に録音したベネズエラ国歌は、ポップバラード風という点ではフェリシアーノの系譜を引くといえるかもしれない。
1997年に地上波最大局RCTVが放送したイラン・チェスター版ベネズエラ国歌
https://youtu.be/qFC5AZrkfbM
もともとは、とある広告代理店が顧客へのクリスマスギフト用に製作したCDに収録されたトラックだった。これを当時最大の地上波テレビ局であったRCTVが法定国歌定時放送に採用して毎日くりかえしオンエアしたため、大炎上した。民主体制が40年も続き、マスメディアにほとんどタブーがないとさえ信じられていたベネズエラにおいて、このバージョンが物議を醸したことは、私にとっては驚きだった。そうした批判の中には「勇猛な民衆に栄光あれ」という国歌タイトルにふさわしくない「女性的で扇情的」といったマチスモもろ出しの批判があったことは想像に難くない。しかし、3世までの移民コミュニティが国民の半数近くを占めるベネズエラにおいて、イスラエルに生まれたイランの出自に言及し「外国人かつ非キリスト教徒による国歌の冒涜」といった宗教的に不寛容かつ人種主義的・外国人嫌悪的意見までが言論空間にまかり通ったことは、人種・民族による差別がない国という俗説が広く信じられたいた当時のベネズエラにおいては衝撃だった(なおイランはベネズエラ国籍であり、ユダヤ教徒でなくハレー・クリシュナ信者である)。
チャベスが初めて大統領選挙に勝つのはこの1年半後であり、チャベス政権下、ベネズエラの社会的・政治的亀裂あらわになり、この国で長年隠蔽されてきた人種主義がが白日の下にさらされることになる。イラン・チェスター版国歌炎上事件は、こうした時代の空気を予感させるものだったといえるだろうか。RCTVはのちにチャベスと厳しく対立し、放送ライセンスを剥奪される報復に会うことになるが、国歌カバー事件は政治家チャベスがデビューする以前の出来事であり、RCTVの反チャベス運動との関係はない。
もとより広告代理店のノベルティ音源のためにビジネスとして国歌をカバーしたイラン・チェスターがその解釈にどのような政治的信条をこめていたかは、わからない。余談であるが、これ以前のイラン・チェスターは卓越した自作曲でのみ知られており、コンサートでさえ他人の曲をカバーすることはなかった。国歌カバーが国民的賛否を呼び起こしたことは、「歌手としてのイラン・チェスター」の力を知らしめることにつながり、翌1998年にベネズエラ音楽のスタンダード・ナンバー・アルバムで大ヒットを生む契機となったといえよう。
ポピュラー音楽の大スターがアルゼンチン国歌のカバーを発表する事例は、1990年のチャーリー・ガルシア版が嚆矢といわれている。希代のロックスターによる「アルゼンチン国歌」はこの年の末に発表されたアルバム《Filosofia barata y zapatos de goma》(安物哲学とスニーカー)の最終トラックとして収録された。長いことで有名なイントロがプログレ風に奏でられ、うめくようなチャーリーの独唱が始まる。
聞け瀕死の者どもよ、神聖な叫びを/自由、自由、自由//
聞け鎖が砕け落ちる音を/見よ高貴なる平等が玉座に着くのを
独裁政権に抗う精神をロックビートに乗せて民衆を鼓舞したチャーリー・ガルシアがこのような歌詞を(原詞に忠実に)歌えば、人びとはそこに込められたメッセージを感じ取ることだろう。当然、このカバーも、保守層からの激しい嫌悪と攻撃の対象となった。
チャーリー・ガルシア1991ツアーにおける国歌カバー。「長すぎる」イントロはカットされている。
https://youtu.be/avJ39Q25Q8o
翌91年チャーリーはこの新アルバムのお披露目ツアーの最終曲として国歌を何度となく歌い、会場の聴衆と唱和した。民政移管を果たしたアルフォンシンからメネムに民主的選挙による政権交代がなされたばかりのこの時代、チャーリー・ガルシアとともにロック版国歌に唱和する行為は、民主主義と自由を謳歌する儀礼であるかのように、現代の私たちの目には映る。もちろん、「そうではなかった」と断言することもできない。だが、チャーリー自身が語ったとされる創作動機は別の所にあったようだ。
それはアルバム発表の数ヶ月前に遡る。1990年7月に行われたFIFAワールドカップ・イタリア大会で、優勝最有力候補であった主催国イタリアと準決勝で対戦したアルゼンチン代表は、数々の疑惑の判定に耐え、予選リーグから無失点だったイタリアの鉄壁の守りを破って同点でゲームセット、PK戦でスーパー控GKゴイコチェアの2連続セーブにより辛くも勝利を拾った。その遺恨を引きずった地元イタリアのファンが詰めかけた決勝戦のオリンピックスタジアムは、アルゼンチン国歌斉唱をかき消すブーイングと口笛で騒然となった。屈辱に耐えるアルゼンチン代表の表情をひとりひとりアップで映し出すTVカメラが11人目にパーンすると、代表主将を務めるマラドーナはレンズに向かって2度「hijos de puta」(クソ野郎ども)と言い捨てたのだった。
FIFAワールドカップ・イタリア大会におけるアルゼンチン国歌騒動(1990年7月)
https://youtu.be/ReOD5JAfGIc
チャーリー・ガルシアは大のフットボール・ファンとして知られ、史上最高の選手としてマラドーナを挙げる。たんにプレイスタイルのみならず、その存在全体をカウンターカルチャーの体現として称賛してやまない。イタリア1990におけるマラドーナの「英雄的行為」ならびに惜しくもW杯を逃したナショナルチームへの賛辞を表わすために国歌をカバーしたと、チャーリーは語っているそうだ。じっさい91年ツアーのフィナーレでは、わざわさアルゼンチン代表のユニフォームに着替えて国歌を歌っている。
アーティストはその創作意図をすべてさらけ出すわけではない。まして、チャーリー・ガルシアは、つねに人を煙に巻くような言動の主である。ただ、本人の意図はどうであれ、それが、当該社会の歴史の節目で大きな役割を果たしたことは確かなのだ。それはまた、イラン・チェスターのベネズエラ国歌、ジミ・ヘンドリックスならびにホセ・フェリシアーノによる米国国歌にもあてはまることだろう。
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◆佐藤由美(GO! アデントロ!/南米、ブラジル & more)
『ミルトン・ナシメントのラスト・ツアー続報』
芸歴60周年、10月26日に80歳を迎える節目の年に公演活動からの引退を公表。6月、ラスト音楽セッション・ツアーをスタートさせたミルトン・ナシメント。Facebookにはしばしば旅先での短い映像がアップされ、ラスト・ツアー開催国への感謝の文字が添えられていた。ヨーロッパ・ツアーを無事終えて、残すは国内主要都市およびアメリカ合衆国公演のみ。以下、2022年7月18日付発表、追加販売・追加公演を含む今後の最新スケジュールを載せておく。
8/5, 6, 7 ブラジル・リオデジャネイロ@Jeunesse Arena
8/21 ブラジル・ポルトアレグレ@Ginásio Gigantinho
8/26, 27, 9/1, 2 ブラジル・サンパウロ@Espaço Unimed
9/9 ブラジル・バイーア州サルヴァドール@Concha Acústica
9/11 ブラジル・ペルナンブーコ州レシーフェ@Arena Pernambuco
9/15 ブラジル・ブラジリア@Ginásio Nilson Nelson
9/24, 25 ブラジル・サンパウロ@Espaço Unimed
9/30, 10/1 アメリカ合衆国・フロリダFort Lauderdale@The Parker
10/6, 7 アメリカ合衆国・ニューヨーク@Town Hall
10/9, 10 アメリカ合衆国・ボストン@Berklee Performance Center
10/16, 17 アメリカ合衆国・カリフォルニア州バークレイ@The UC Theatre
11/1, 3, 4 ブラジル・サンパウロ@Espaço Unimed
11/13 ブラジル・ミナスジェライス州ベロオリゾンチ@Mineirão

参考までに、ツアー初日リオデジャネイロ公演のレパートリーを。( )内は作者と発表年。
1. Os tambores de Minas (Milton Nascimento e Marcio Borges, 1997) – trecho incidental /
2. Ponta de areia (Milton Nascimento e Fernando Brant, 1974)
3. Catavento (Milton Nascimento, 1968) – trecho incidental /
4. Canção do sal (Milton Nascimento, 1965)
5. Morro velho (Milton Nascimento, 1967)
6. Outubro (Milton Nascimento e Fernando Brant, 1974)
7. Vera Cruz (Milton Nascimento e Marcio Borges, 1968)
8. Pai grande (Milton Nascimento, 1969)
9. Para Lennon e McCartney (Lô Borges, Marcio Borges e Fernando Brant, 1970)
10. Cais (Milton Nascimento e Ronaldo Bastos, 1972)
11. Tudo que você podia ser (Lô Borges e Márcio Borges, 1972)
12. San Vicente (Milton Nascimento e Fernando Brant, 1972)
13. Clube da esquina 2 (Milton Nascimento, Márcio Borges e Lô Borges, 1972)
14. Lília (Milton Nascimento, 1972)
15. Nada será como antes (Milton Nascimento e Ronaldo Bastos, 1971)
16. A última sessão de música (Milton Nascimento, 1973) /
17. Fé cega, faca amolada (Milton Nascimento e Ronaldo Bastos, 1974)
18. Paula e Bebeto (Milton Nascimento e Caetano Veloso, 1975)
19. Volver a los 17 (Violeta Parra, 1966)
20. Calix Bento (tema de Folia de Reis com música e letra adaptada por Tavinho Moura, 1976) /
21. Peixinhos do mar (tradicional cantiga de marujada em adaptação de Tavinho Moura, 1980) /
22. Cuitelinho (tema tradicional em adaptação de Paulo Vanzolini, 1974)
23. Canção da América (Milton Nascimento e Fernando Brant, 1979)
24. Caçador de mim (Sérgio Magrão e Luiz Carlos Sá, 1980)
25. Nos bailes da vida (Milton Nascimento e Fernando Brant, 1981)
26. Tema de Tostão (Milton Nascimento, 1970) – trecho incidental
27. Fazenda (Nelson Angelo, 1976)
28. O cio da terra (Milton Nascimento e Chico Buarque, 1977)
29. Maria Maria (Milton Nascimento e Fernando Brant, 1976)
Bis:
30. Encontros e despedidas (Milton Nascimento e Fernando Brant, 1981)
31. Travessia (Milton Nascimento e Fernando Brant, 1967)
また、ツアー前「作曲・歌手活動からの引退ではない」と公言していたように、ジャヴァンとの穏やかなデュエットも公開された。最新ジャヴァン作品らしい。
Djavan e Milton Nascimento - Beleza Destruída
https://www.youtube.com/watch?v=swc_GMvmtG8
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◆高橋政資(ハッピー通信担当/キューバ、ペルー、スペイン)
『音楽ライヴ・シリーズ “Conciertos Estamos Contigo”その(2)
』
「eLPop今月のお気に入り!」の2月号でも取り上げた、キューバ文化庁が配信する音楽ライヴ・シリーズ “Conciertos Estamos Contigo” 。その後も随時新しい動画がアップされていて、7月末現在で492本あげられている。すごい数だ。
キューバ文化庁はHPの中で、「このバーチャル・コンサートの取り組みは、キューバ人に寄り添い、アンティル諸島で最も盛んな音楽文化を隔離された自宅に届けてきました。徐々に開放されているこの時期、パンデミックにもかかわらず、前進し続けるキューバ文化の豊かさを示すサンプルとして、放送が続けられているのです」と説明している。一番の目的は、コロナのパンデミックによってキューバ国民が愛する音楽を、ライヴに来られなくても民衆に届けることのようだ。キューバは、2021年に携帯の4Gの通信規格が導入され、また家庭にも直接インターネット回線を引くことができるようになったので、多くの国民がこのライヴ・シリーズを比較的気楽に楽しむことができというわけだ。我々外国のキューバ音楽ファンは、そのおこぼれに預からない手はないだろう。
そしてこのシリーズは、文化庁が言うように「前進し続けるキューバ文化の豊かさを示すサンプル」であり、キューバ全国民を対象に企画されているわけで、取り上げれれている内容はとても多岐にわたっている。音楽ジャンルだけでなく、地方で活動するミュージシャンも有名無名を問わず多く取り上げられ、出演者の年齢も様々だし、女性ミュージシャンも多く取り上げられている。まさに、現在のキューバ音楽のパノラマを見ることができるのだ。
今回はその中から、まずは地方色豊かなグループをピックアップしてみた。
伝統的グループから、若者によるティンバ・バンドまで、こんな企画がなかったら知ることもなかったミュージシャンも多数アップされている。しかし、地方のバンドもどれも演奏がしっかりしているのは、流石キューバだ。
<Sancti Spíritus サンクティ・スピリトゥス>
キューバの中ほどに位置する古都、サンクティ・スピリトゥスから
Tonadas Trinitarias (Sancti Spíritus)
https://youtu.be/8pi1gnrRWSU
サンクティ・スピリトゥスの伝統グループ。
サンクティ・スピリトゥスやそのお隣のトリニダーでは、スペインの旋律をもった歌をパーカッションを伴って歌う、アフリカ系の人たち中心とした合唱団が、19世紀半ばごろから町々にできたそうだが、その形式を今に伝えるグループ。最初のうちはファンダンゴとかタンゴとか呼んでいたが、のちにトナーダと言われるようになったそうだ。いわゆるこの地方のルンバともいえる音楽である。
Tonadas Trinitarias (1974) dir. Hector Veitia
https://youtu.be/Os--Qom3CfI
このシリーズではないが、このスタイルの古い映像があったので貼り付けておこう。
解説しているのは、著名な音楽学者、MARIA TERESA LINARES(マリア・テレサ・リナーレス)
El Septeto Espirituano
https://youtu.be/VLPQC2tbWoQ
サンクティ・スピリトゥスのソン・バンド。1924年結成と言われている。
<Granma グランマ>
サンティアーゴ・デ・クーバの隣グランマから
Sexteto Virama (Granma)
https://youtu.be/z1Q6koxTSEQ
グランマのソン系バンド。
Conjunto Aché (Granma)
https://youtu.be/N_r5Ut0K0KM
こちらもグランマのコンフントのソン・バンド。
la Banda del Turquino (Granma)
https://youtu.be/4nDA9gEoGQ4
ティンバ系。メンバーの年齢もかなり若そう。
Grupo Yakaré (Granma)
https://youtu.be/XETBXAD8rcI
キューバン・サルサ系
<Camagüey カマグエイ>
東寄り中央に位置するカマグエイから
Trova Camagüeyana
https://youtu.be/r_2BP5h_0D4
カマグエイのソン系バンド。
<Villa Clara ビジャ・クラーラ>
西寄り中央、大西洋側に位置するビジャ・クラーラから。なお州都は、サンタ・クラーラ
la Trovuntivitis (Villa Clara)
https://youtu.be/0sC3_yMMlD0
1997年創設のアーティスト集団ラ・トロブンティビティス。
第3〜4世代のヌエバ・トローバ系。
<Ciego de Ávila シエゴ・デ・アビラ>
キューバ中央部のシエゴ・デ・アビラから
El Grupo la Familia (Ciego de Ávila)
https://youtu.be/evkrRo3-BIc
シエゴ・デ・アビラのジャズ・グループ。
<その他>
ハバナ、サンティアーゴ・デ・クーバなどのグループだが、伝統色が濃いグループをピックアップしてみた。
Piquete Típico Cubano
https://youtu.be/9BebWZtva_0
ダンソーンの古いスタイルを聞かせるバンド。
1963年に、ピアニストであり音楽学者でもあったオディリオ・ウルフェが結成。
Conjunto Palmas y Cañas
https://youtu.be/_gX6B4Q11Bo
グアヒーラ〜プントを演奏する歴史あるグループ。
Tambores de Enrique Bonne
https://youtu.be/eEs0iVGUWjs
2月号でもご紹介したが、もう一度。
サンティアーゴ・デ・クーバのパーカッション・アンサンブル・オーケストラ
ハバナのページョ・エル・アフロカンのサンティアーゴ版ともいえるもので、グループ名に残るエンリーケ・ボンネはすでに没しているが、パチョ・アロンソで大ヒットした「ピロン」の作曲者で、アンヘル・ボンネのお父上だった人
数は少ないが、ヒップ・ホップ系、DJもアップされているので、ピックアップしてみた。
Eyeife en Yarini`s Sessions Dj Danstep
https://youtu.be/HCpqRf9x9Dk
今年1月30日に、脳卒中でなくなった歌手でもあるSuylen Milanés(スイレン・ミラネース)が、父親のパブロ・ミラネースからレーベルでプロダクションのPM Recordsを受け継ぎながら、代表兼主催者として立ち上げた電子音楽フェスティバル "Eyeife"。そのフェスで活躍するDJのひとり。
Eyeife en Yarini`s Sessions DA LE (Havana)
https://youtu.be/MB4kovC3z-0
こちらのDJユニットも、"Eyeife"で注目されたユニットのようだ。
DJ LUVS
https://youtu.be/q2n2tPAfLPE
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◆岡本郁生(ラテン横丁・USA LATIN & MORE)
『フアン・ルイス・ゲーラ「Privé」5曲入りEPリリース』
アルバム『リテラル』(2019年)のツアーがコロナ禍のため中止となってしまったフアン・ルイス・ゲーラも、ほかの多くの音楽家たちと同様さまざまな発信の手段を考え、2020年12月、クリスマスプレゼントのような形で、「Privé(プリベ)」の映像を公開するとともに、5曲入りのEPをリリースした。
Juan Luis Guerra - Privé
https://www.youtube.com/watch?v=6fm3riUiG2c
このときの映像、とんでもない大邸宅のお庭で収録してるけどどこなんだろ?…と思ってたら、なんとご自身のお宅の庭だそうで。お見それしました!
その延長線上で…というわけか、ドミニカ共和国東部の北海岸にあるリゾート地、プラヤ・エスメラルダのビーチ沿いに設置した特設ステージでライブ演奏を行った映像が、衛星/ケーブルTV曲HBOで公開され、その音源がアルバム(CDとアナログ)で発表されている。
Juan Luis Guerra Entre Mar y Palmeras
https://www.youtube.com/watch?v=GlI9WwdBI_Y
タイトルは『エントレ・マル・イ・パルメラス(Entre Mar y
Palmeras)』、まさに「海とヤシの木の間で:というわけで、いや〜〜〜、見ているだけで気持ちいいですね!
アルバムには16曲収録されているのだが、いまのところ日本からYouTubeで見られるのは全曲ではないようだ(HBO自体は日本では見られない)。
Juan Luis Guerra 4.40 - Rosalía
https://www.youtube.com/watch?v=81p_KumYYt8
Juan Luis Guerra 4 40 - La Travesia
https://www.youtube.com/watch?v=XgXYZE-MII0" target="_blank">https://www.youtube.com/watch?v=XgXYZE-MII0
Juan Luis Guerra 4.40 - Vale la Pena
https://www.youtube.com/watch?v=RksYXExb0d0
海風を受けてはためいているドミニカ国旗を見ると、けっこうな強風の中だが、そんな条件もなんのその、「これ、ホントにライブなの?」っていうぐらいの超ハイクオリティの演奏が繰り広げられているのだから参ってしまう。
もちろん、多少の加工(?)はあるんでしょうが、ベーシックな演奏は、長年にわたるツアーで鍛え上げられ、メンバー同士のコミュニケーションによって練り上げられたものだ。ちょっとやそっとのことではビクともしない。
収録されたのはは昨年のちょうどいまごろだが、今年2月から同名のツアーがスタート。ドミニカ共和国、米国、プエルトリコとまわり、スペインのマドリード公演が7月10日に終わったばかり。8月12日にはメデジンでの最後の公演が予定されている。
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◆高橋めぐみ(SOY PECADORA担当/スペイン語圏の本・映画)
『クリスマスのあの日私たちは/Días de Navidad』
今回はスペインのドラマです。
観たドラマ:
クリスマスのあの日私たちは(原題:Días de Navidad)2019
監督:パウ・フィレイシャス(Pau Freixas)

https://www.imdb.com/title/tt9731254/
Netflixで観られるスペインのミニ・シリーズのドラマです。4人姉妹を中心に子供時代、成人期、初老期の3回のクリスマスを舞台に奥深い物語が描かれます。
1回目のクリスマス:
郊外の大きな屋敷に祖父、両親らと暮らすエステル、アデラ、マリアの3姉妹がクリスマスを祝おうとするその日に事件は起こります。3人が外で遊んでいると怪我をした男性が現れ、「明日、迎えに来るからこの子を匿ってくれ」と言って連れていた娘バレンティナを置いて立ち去ります。突然のことに呆然としながらも3姉妹は少女を納屋に匿うことにします。一家の友人である医学を学ぶマテオの手も借りてバレンティナの面倒をみようとしますが、そこに(おそらく嫌われている)高圧的な警察官(憲兵のような)が親子を捜しに現れて騒ぎになります。そこで警察官に見つかったバレンティナを守ろうとして、一家は忌まわしい秘密を抱え込むことになります。時代背景はフランコ独裁政権下と思われ、思想弾圧が激しい時に「逃げている男」とはどういう人物か説明はありませんが、推測はできます。
2回目のクリスマス:
その約30年後、父親が迎えに来ることがなかったバレンティナを姉妹のように受入れた一家は、一見平穏に暮らしていますが、すでに結婚や仕事で3姉妹は家を出ており、それぞれ問題を抱えています。バレンティナだけが残り、家族の面倒を見ています。すでに重い病に冒され死期が近い母イサベラに思いがけない告白をされ、中年にさしかかっている姉妹達はさらなる問題に巻き込まれることに。その結果、バレンティナは衝動的に家を出てしまいます。
3回目のクリスマス:
そして、すでに主人公達の人生の終焉が見えてきているさらなる30年後のクリスマス。姉妹達とは音信不通になって、街で福祉の仕事をしているバレンティナの元にエステルから連絡が入ります。見つかったことに不機嫌なバレンティナは、やむを得ない事情とはいえ不本意ながら屋敷を訪れることになります。クリスマスの日、再び集う姉妹達、見たままの現実は果たして本当の現実なのか、明かされる予想外の物語、結末はいかに...。
3回のクリスマスで姉妹役は子供から成人、そして初老へと変わっていきます。どの俳優の演技も素晴らしく細かく解説したいところですが、ここではわたしの好きな3人を取り上げます。
ナレーションは中年以降のマリア役のビクトリア・アブリルです。彼女はアルモドバル映画に多く出演し高い評価を得ているスペインを代表する俳優です。衝撃的な内容の『アタメ』の彼女の演技を見て、かのペネロペ・クルスが「女優になろう」という決意を新たにしたと言われています。
バレンティナ役はアンヘラ・モリーナ。俳優一家の出で自身の子供たちもその道に進んでいます。こんな見方はおかしいのかも知れませんが、アンヘラ・モリーナは本当に美しい人ですが、恐らく一切のアンチエイジング的な美容をしていないと思います。ハイウッドでは絶対に見つけられない自然な老化を意に介していません。それがわたしには彼女の美貌をさらに増していると思えるのです。
そしてアデラ役は、わたしが一番好きなベロニカ・フォルケです。アルモドバルの『キカ』で主人公のキカを演じた人です。ちょっと鬱陶しいほどの明るさと騒々しさを見事に演じ、本作でもワケありの夫に従い「結婚が女の幸せ」だと思い込もうとしていたアデルを賑やかに演じています。しかし、その生活の裏に孕まれていた偽りが最後に吹き出します。

ベロニカ・フォルケは2021年の12月にこの世を去りました。3つも大きな仕事の予定があり、役者としては何の心配もない状態でしたが、その数年前に30年連れ添った夫と別れ、ずっと精神的に不安定で落ち込んでいたと伝えられています。とはいえ、自ら命を絶つ理由は親子や夫婦でもわかるものではありません。
スクリーン越しに観た希有な個性を持った素敵な人に、もう会うことが出来ないという動かしがたい事実が、ただただ悲しいです。
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◆長嶺修(猫の目雑記帳担当/スペイン & MORE)
『斎藤潤一郎『死都調布』『死都調布 南米紀行』『死都調布 ミステリー・アメリカ』と西江雅之『異郷日記』』
東京西郊の調布は、宮田信さんのミュージック・キャンプの拠点があり、また、日活撮影所や大映撮影所(現・角川大映スタジオ)などが立地していることから、「映画のまち調布」を売り文句にしてたりもします。他にも、門前の蕎麦も有名な古刹・深大寺があったり、飛行場(「忘れたころ」に悲惨な墜落事故を引き起こしてきている)があったり、スタジアムや競輪場があったり、宗教右派として鳴らした生長の家(現在は路線変更して政治活動から退き環境問題に取り組んだりしているとのこと。一方、「本流」を自認する人らが保守界隈で蠢動している。因みに、ブラジルなどにも進出していて、ブラジルでは最大の勢力を誇る日系新宗教であり、大部分が非日系人からなる200万超の信者がいると言われています)の飛田給練成道場があったり、インパール作戦で悪名高い牟田口廉也が戦後を過ごし、ラーメン屋をやっていたという都市伝説的な話(未確認)も伝わっていたりと、挙げはじめたら枚挙に暇がないのですが、基本的には郊外のベッドタウンたる調布に、死都という不穏な語を合成した斎藤潤一郎の漫画『死都調布』(リイド社、2018〜2021年)。

アルファベットを用いたタイトルは、ローマ字の「SHITO」でも訳語「NECROPOLIS」でもなく「SHIT」、『SHIT CHOFU』であるという、混線した物語と乾いた暴力そしてエロが炸裂するアナーキーでノワールでグロテスクで冷めた笑いも交えた作品です。多摩川が流れていたりするものの、現実の風景が描かれているというわけではなく、架空の場所ではあるのですが、多摩川の河川敷のような場所に、作者の得意料理としてプロフに挙げられているタコスを売る店が出てくるシーンがあって、その中にごく小さく給水塔のようなものが描かれているカットがあります。調布で漫画家といえば、この町に暮らした水木しげるが筆頭格ですが、その水木しげるのアシスタントに就くことになったつげ義春は、ミュージック・キャンプの近くにある中華屋の2階を振り出しに、何度かの引っ越しを経て長く調布に住みつくこととなり、多摩川の河原で石を売る男を主人公とした『無能の人』のシリーズには、つげ義春が1978年から93年まで過ごした調布の団地にある特徴的な給水塔が場面の背景に描かれていて、実は先述のシーンの前にも『死都調布』に出てくるそれと同じものなのではないか、と。

タコス屋が予告するかのように、第2弾の『南米紀行』では、前巻の登場人物である日本人女性シトウ・チヨが、メキシコに現れてギャングを皆殺しにし、カリブ海のキューバとハイチを荒し、ベネズエラのカラカスから南米に上陸してブラジルやアルゼンチンで暴れまわるという設定で物語が展開し、第3弾『ミステリー・アメリカ』ではU.S.A.各地を横断していくことになるのですが、第3弾巻末には、1作目から言及されることのあった映画について、参考作品がリストアップされていて、映画成分が切り貼りされていたり、筋書きには一定せず、カオスに導かれます。「シモ」の描写が多めなのには食傷させられてしまうのですが、『ミステリー・アメリカ』篇に「へえ稲城市…物騒なイメージだけど……」「普通の静かな町よ」「私は川の向かいの調布市で育ったの」というローカルな会話が挿入されていて、近隣住民的には少し笑ってしまいました。

文化人類学者の西江雅之は、各種クレオル語をはじめ少数言語への関心などから、世界の「辺境」とも言えるような場所を訪ね歩きました。『異郷日記』(青土社、2008年)は、主に著者が定職を離れた後の、気ままな旅を題材としたエッセイ。ニューギニアや若いころのソマリア縦断の旅などと共に、中南米地域では、「カリブ海では、いくつかの島々で、数年に渡って(*ママ)幾度か、クレオル語の調査をした経験がある。ジャマイカ、ハイチ、マルチニーク、グワドループ、南米他陸のフランス・ギアナ、など、今も東京の喫茶店でそうした土地の音楽を耳にしたりすると懐かしく思い出す」としつつ、「もっぱらスペイン語が話されてい」て、「調査対象の外の地域にあったので訪れる機会がなかった」というキューバに滞在した時の文章が収められています。本の冒頭には「物心がついた頃から、自分は異郷にいるのだという感覚が、わたしにはいつも付きまとっている。「わたしにとって、自分の皮膚の外側はすべて異郷だ」と、こんな言葉を機会あるごとに口にしてきた」と書かれていますが、エッセイの最後を飾るのが、著者が古い一軒家を借りて晩年の住処とした三鷹(調布の隣町であり、あっしの地元でもある)。庭にガマガエルが出没することから「蝦蟇屋敷」と名付けられることになるその家は、「雨戸のような板の入り口を開けてもらって室内に足を一歩踏み入れると、夏なのにひんやりとした薄暗い空間が、霊気のようなもので充ちているような気がした」とありますが、この辺りの瞬間的な感じ方は、水木しげるとか、異界にアプローチし、『栞と紙魚子』では三鷹〜武蔵野の井の頭界隈を舞台のモデルとした諸星大二郎とかに通じるところがあるかもしれません。三鷹の街並みについて、「この数年の間に、駅前には十数階建てのビルが並んだ。町の中心となる大通りからは、何代か続いたに違いない数々の商店の姿が消えた。その代わりに、大手の金貸し屋、ドラッグストア、大型チェーン店が経営する飲み屋が並んだ」と綴り、末尾は、行きつけになった場末な飲み屋街の店の主人の「死」を巡る「事件」について触れ、「何事も起こらないような穏やかな街の片隅でも物語は次々に生まれ、そして、ひっそりと消え去っていくのだ」と締めくくられているのですが、著者自身による通り側から撮影された写真が掲載されている件の飲み屋街も、今では小ぎれいな2棟の中層ビルに建て替えられてしまっています。

なお、斎藤潤一郎には、下記サイトに「異界」が染み出してくるような東京近郊ぶらり旅もの『武蔵野』の連載もあり。

http://to-ti.in/product/musashino
上記に関係なく、今回も付け足しになってしまいますが、音楽ネタは、ブラジル人ギタリストのヤマンドゥ・コスタ。今より若いころの「中川家」の礼二とかを思わせるような風貌のにいさんが、超絶テクを駆使してギターを奏で、七弦ギター独奏の動画は一度アクセスすると何度も繰り返し観てしまうのですが、こちらはマヌーシュ・スウィング・アンサンブルによる、ネルソン・カヴァキーニョ/ギリェルミ・ジ・ブリートの名曲「A Flor e o Espinho(花とトゲ)」のカヴァーです。せっかくなので、ソングライターご本人たちの味わい深い演奏もどうぞ。
Yamandu Costa & Jazz Cigano Quinteto - A Flor e o Espinho
https://youtu.be/L2VuB44i3ig
"A flor e o espinho", por Nelson Cavaquinho
https://youtu.be/uaY2QMUV480
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◆宮田信(DANCE TO MY MAMBO担当/USA+MEXICO)
『サニー&ザ・サンライナーズ『Mr. ブラウン・アイド・ソウルVol.2』』
サニー&ザ・サンライナーズのソウル・サイド至極の録音を集めたコンピ盤の第2弾がリリースされた(BG-5246、ZBG-1427)。コンパイルしたのはNY、ブルックリンにある大人気インディー・レーベル、ビッグ・クラウン・レコード。チカーノ・サーキットのなかでは膨大な録音を残す大人気歌手、しかしその外では全く知られていない大ベテラン歌手の魅力がアストゥラン(チカーノ王国)を越えてようやく世界中の音楽ファンに届き始めた。

テキサス・サンアントニオの生まれ。本名はイルデフォンソ・フラガ・オスーナ。まだ16歳の高校生だった1960年に地元のレーベルからデビューする。ドゥーワップやリズム&ブルースなど黒人音楽のナンバーが、ローカルのラジオ局からメキシコ大衆音楽やテキサスのコンフント音楽などに混じって若者たちに届いていた。ロックンロールの大流行も起きていた。まだ10代だったメキシコ系の若者たちの多くが多元的な音楽文化に晒されて演奏を始めていたが、サニーの音楽的才能とリーダーとしての手腕は飛びぬけていた。バンド・メンバーを選抜しながら60年代中盤にはサニー&ザ・サンライナーズとしてサンアントニオを代表するアクトとしてその存在を確立していった。
彼らの個性は、その影響を受けた音楽を反映するかのように、ポルカ、ランチェーラ、マリアッチ、ボレロを素材にエレキベースやオルガンを入れてグルーヴィに料理したサウンドのスペイン語録音と、スタンダードからファンクまでを素材にした英語録音の二刀流で発揮された。特にチカーノ公民権運動がテキサスでも大きな動きとなっていく60年代後半にはその社会情勢を敏感に感じ取ったかのような緊張感あふれる演奏が多く残された。テキサスだけではなく、彼らがツアーで周ったのはメキシコ系の労働者たちが汗を流す農地や工場があるアメリカ大陸の西側半分の広大な地域だった。その体験が彼らの音楽性をさらに研ぎ澄ませていく。
しかし、その過激な一種の民族主義は、演奏家たちをルーツへの過剰な傾倒に導いてしまう。タイトなサウンドに情感たっぷりの歌唱が魅力だった英語ナンバーの録音は消滅して、マーケットが限定されるスペイン語録音に絞られていく。それはサウンドにも反映されて、ジャズやR&Bの演奏もこなせる演奏家たちの実力がなかなか発揮されないまさにリージョナルな演奏で落ち着いてしまったのだ。テキサスのチカーノ・マーケットが再び英語で大きく展開するのは20年後のセレーナのブレイクまで待たなければならなかったのだ。
今回のコンピ盤にはスペイン語録音も一曲収録されたが、サニーの、いやテキサスのチカーノ音楽の魅力は、英語だけでなくスペイン語録音にも触れることでその全貌を知ることができる。あと何年かすれば、チカーノ・サーキットをもっと大きく俯瞰し解説する視点が登場するだろう。そうした意味でも今回のコンピ盤2作の仕事はとても重要だと思う。ボレロの滋味をたっぷり含んだスローなR&Bナンバーをぜひ聴いて欲しい。
Sunny & The Sunliners - I Can Remember
https://www.youtube.com/watch?v=VPPH43kIfds
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◆伊藤嘉章(カリブ熱中症担当/カリブ諸島+カリブ沿岸)
『レゲトン&バッド・バニーの躍進』
本誌『6月はこれだ!』で石橋純さんが鹿島建設の広報誌『KAJIMA』でのeLPopメンバーの寄稿を取り上げられたが、縁あって自分も7月号に記事を掲載頂く事となった。テーマはパナマを軸にした『レゲトン』の簡単な歴史。
鹿島建設の広報誌『KAJIMA』7月号の「カリブ文化の混淆が生んだレゲトン」

https://www.kajima.co.jp/.../jul_2022/rhythm/index.html
ご存じの方も多いが、ごく単純に言えばレゲトンはパナマのスパニッシュ・レゲエとプエルトリコのスパニッシュ・ラップ/ヒップホップが、プエルトリコで合体・発展し生まれたという事になる。『KAJIMA』誌の記事はウエブで上記に公開されているので、一読頂ければうれしいです。
上記で取り上げたのは2010年代ぐらいまでの話だが、現状は様々に拡大している。日本では取り上げるメディアが少なく、たまに見かけると「レゲトンはダディ・ヤンキーが作った」とかの話になった惨状を見るはめになっている。本誌では丁度1年前に一度ラテン・トラップを取り上げたが、

http://elpop.jp/article/188942568.html
この機会に現在のシーンのトップと言っていいバッド・バニーの最新作と彼がどのように支持されているかを書いてみた。
今年5月にサブスクやYouTubeなどで全23曲の新作『Un Verano Sin Ti / あなたのいない夏』がリリース。
例えばシングルの「Tití Me Preguntó」は8/9現在でYouTubeで3.1億回視聴されている。
これまでに数曲のMVがリリースされているが何れも億超えの視聴。
Bad Bunny - Moscow Mule
https://youtu.be/p38WgakuYDo
YouTubeの8/9のランキングを見て見ると、世界視聴ランキング・トップ10に2曲送り込んでいるのは(3位&4位)は彼だけ。また世界視聴アーティストではトップとなっているという世界の支持が見て取れる。

彼の鼻にかかったような歌声は好き嫌いがあろうが、聴いて頂けばわかる通り実は歌はとても上手い。
加えて、個性的な風貌とノーマルから過激までをカバーするファッションセンスや尖り方もその人気の一因だ。
ヴォーグ(VOGUE)はGQなどは早速彼とコラボし攻めている。下記のYouTubeではイマン・ハマンやパロマ・イルセッサ、イリス・ロウと言った一流のモデルがバッド・バニーを真ん中になつかしのマカレナを踊るファニーな企画。
Bad Bunny Recreates the Most Popular Dance of the '90s | Vogue
https://youtu.be/QllBbRPTsE0


ファッションに興味のある方はMET GALAをご存じかもしれない。NYのメトロポリタン美術館(メトロポリタン美術館服飾研究所)が毎年主宰する展覧会のオープニングパーティ、ファッション界の一大行事で、招待されここのレッドカーペットを歩くのは抜きんでたファッション・センスが必要なわけだが、今年バッド・バニーは招待され参加している。
Bad Bunnyの「メットガラ」パーティへの準備に密着 | GQ JAPAN
Bad Bunny Gets Ready for the Met Gala | Vogue
https://youtu.be/AgEn8Vo5s8k
先月にはリリース・ツアーがスタートしサンファンのコリセオでの公演は発売即日完売。同施設で史上最高の入場者数を記録した。ステージにはアルバムで共演したコロンビアのボンバ・ステレオやLAのオルタナ・ネオソウルのザ・マリアス、NYのブスカブラなどかなり面白い面々が参加している。
"バッド・バニー、コリセオ・デ・プエルトルコでの観客動員数記録を更新"

Bad Bunny - Ojitos Lindos FT Bomba Estéreo LIVE at Coliseo de Puerto Rico
https://youtu.be/nNkwDE0day8
コンサートの幕開きはオールド・スクールのレゲトンで登場し、90年代へのレスペクトを示したバッド・バニーを見ていると、この30年間のレゲトン〜トラップへの道のりを思うが、同時にその中で初期のやんちゃな感じを保ちつつ新しいスタイルへと拡大している才能を強く感じるのだ。
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