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 決起文<はじめに>

ラテン・ミュージシャン・インタビュー・シリーズ(3)加塩人嗣(Sax/fl)Part 3(Final)

2022.11.02

eLPop企画『ラテン・ミュージシャン・インタビュー・シリーズ』

第三回目はサックス・フルートの加塩人嗣さんのPart 3(最終回)です。

(Part 1はこちら)
(Part 2はこちら)
(聞き手:岡本郁生&伊藤嘉章)

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

(Part 2より続く)

「セクシー・サックス」

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――貞夫さんからサンボーン、デスモンドの間で聴かれた人は他には?

もちろん他にもたくさんいますよ。そこまで影響ってことではないけど、いろんな人を聴くじゃないですか。例えば日本人の佐藤達哉(ts)がいたりとか、近藤和彦(as)がいたりとか、彼らむちゃくちゃ上手いし、今若い人で石井(裕太)君(ts)とか、この前あびるのバンドで一緒にやったんですが、何考えてこんなに?って(笑)。でも、おんなじ土俵で勝負しようとは思わないですよね。自分の音を聴いている人がすぐ俺の音だって気が付いて欲しい訳で。最近、なんか、自分で言うのは変ですけど、「セクシー・サックス」とか言われて(笑)、だんだん広まって行って、やめろー!とか言ってんだけど(笑)。まあ考えて見たら、それが良いか悪いかは別として、そういう風な名前が付くって言うのは特徴があるからだろうなって。そういう意味では良かったなと思ってますね。

――セクシー・サックスの事はまさに聞こうと思ってて(笑)。それ、誰が言いだしたのか(笑)、のりこさんではないんですか?(笑)

のりこさん……もしかしたら藤井摂ちゃんかもしれない。よしろう(広石)さんっておられるじゃないですか。久しぶりによしろうさんのやつで摂っちゃんとやって、俺がボレロを吹いたら、「えーっ、セクシー!」とか言って(笑)。で、よしろうさんも言ったんですよ。そこらへんが発祥かも。

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藤井摂(ds)

――のりこさんがいつか言ってたのは、キューバに行った時も「セクシー・サックス」って呼ばれてましたよねって(笑)

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2002年の加塩さん(高杉登さんのサイトより)

いやそれは、俺自身はそれは気が付いてない(笑)。最近のりこさんも言うしね。これ余計な話だけど、ヨコリンっていうボーカルの、彼女も最近よく会ってるんですけど、こないだヨコリンが、メンバー紹介の時に「エロ・サックス!」って(爆笑)。いや、それだけは言うなよって(笑)

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"ヨコリン / AZUL”

――ブラジル音楽もやられますよね。

ドラムの吉田和雄さん(タマさん)て知ってます?ブラジルの……。当時、小野リサのプロデュースとかしてた、そのタマさんと、柳澤(伸之)さんていう弾き語りのおとうさんがいらっしゃって。おとうさんっていったらあれだけど、いい声でボサノバ歌うんですよ。で、3人でユニット組んで……テイスト・オブ・ミュージックっていう……CD3枚ぐらい出したんですかね(2004年、05年、06年リリース)、ブラジル系の。タマさんが関わってくれたおかげで、ブラジル好きな人は知ってる人が多くて。その活動があったから、昨日なんかも……(※前日、キーストンクラブ東京でブラジル系のライブがあった)

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TASTE OF MUSIC

――話は違いますが、ロックとか全然ひっかからなかったんですか?

いや僕はブラスロック大好きで。チェイスが一番好きで。あとBST(Blood Sweat & Tears)もそこそこ聴いてましたよ。ロック系、結構好きだったんですよ。エマーソン・レイク&パーマーとか。ただ楽器がサックスなんで、シカゴとかああいうのだったらいいですけど、そんなのやってるバンド周りになかったですから。

――ああいうの、スペクトラムくらい出てこないと……

だからそうこうしているうちに、こっち出てきて、六本木あたりでディスコでアースやったりとか。

――昔はディスコって言えばバンドが入ってたり……

そう。さっき言った赤坂のポテトクラブなんか出ましたね。


――今、いろんなとこを手伝ったりとかあると思いますが、加塩さん自身としては、(メインは)Don De Donと。

(Don De Donの他には)あんまり多くはやってないんですけど、友人で一つ年上の人で太田シノブというシンガーが……シノブって言う名前だから女性みたいなんですけど男性で……普段はGS歌ったりとかビートルズとか歌ったりする人で、歌上手いんですよ。でね、ジャズも歌えるわけ。たまに月一くらいで一緒にやってるんですけど、ベースとその人と。で、ファンの女性たちもいて、来てくれる方が。で、去年くらいからキーストンクラブで一回、メンバー集めるからちゃんとジャズ歌ってみない?って(“Shinobu Ota Sings Jazz”)そういうのを続けてますね。

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――4ビートですか?

4ビートで。それこそ(藤井)摂ちゃんが来て、早川哲也がベースで、三木成能ってMALTAさんのバンドに入ってるのがピアノで、この3人すごい強力なんですよ、それとそのボーカルの人とで。

あともう1個、ちょっとフュージョンっぽいのをやるのも年に1−2回くらいやってますね。まあ、今ある中ではDon De Donがメインでやってますね。


――太田さんとの4ビートのはまさにジャズで、別にフュージョンとラテンジャズがあって。その時って、頭は切り替えるんですか。

後ろのビートが違うんでそれに合った吹き方と言うのは多少意識するだけで、後はそんなには変えてないですね。そういう意味では、例えばラテンにはボレロがあるじゃないですか。で、(ジャズの)4ビートではバカ速いのがあったりするじゃないですか。スローのもあったりする。そのリズムとかテンポに合わせた吹き方みたいのは意識しますよね。ボサノバやるときはそんなにガツガツ盛り上げたくない。あえて言えばその曲に合った吹き方って言うのは意識してますけど。ジャンルというより、曲ですね。

――ボサノバだと吹き方が違うんじゃないかな、みたいな? そうでもないんですか、あんまり。

多少はあります。僕の中ではボサノバとかいうとポール・デスモンドの影響というか、ポール・デスモンドが、もやっと出てくるんですけど、だから吹きすぎないようにすごい気を付けてたりする。ボリュームの点ではとか。

――加塩さんはアレンジもされますよね。

今のDon De Donは自分で何曲か書いているんで、それに関してはだいたいのアレンジは自分で。ただ、フルバンドのホーン・セクションのアレンジとかは全然やってないですね。

――なかなかやっぱり難しいですか、あれは。

あれはちゃんと勉強しないとできませんね。かちっとじゃなくて適当にやるのは出来るかもしれないけど、やっぱり自分でも経験上、フルバンドで吹いてこのアレンジは吹きやすいなとか良いなとか、プレイヤーとして思うわけですよ。このアレンジなに?とか。僕自分が書くと、このアレンジなに?、になっちゃうからあんまりそこまではしたくないなと。(笑)

――いろんな共演でいろんなジャンルをやったときに、音楽に好き嫌いあると思うんですが。それはありますか?

それはありますよ。音楽のジャンルも多少あるんです。それは何故かって言うと、一番最初のころの話に戻りますけど、バンドで吹いてて歌謡曲やらされて、演歌とかやってたんですよ、テレビでね。で、もうこれは嫌だとか思うわけです。そういう仕事が来ると、それはジャンルっていうか、音楽自体もそうなんだけど、そこらへんの昔の記憶がよみがえって来て、やな気分になる(笑)ふつふつと(笑)

富士そばで蕎麦を食ってるとするじゃないですか。演歌が流れてくると、いやこのBGMやめてよって(笑)当時大変でしたから今でも残ってますね。だから僕、やっぱり人と人。仲良きゃ良いってもんじゃないけど、ここまで反目しあって音楽とかしたくないし。多少の緊張は良いんですけどね、例えば、でっかいツアー出て昔EXILEやったりとか少しやってたんですけど、そういう緊張感とか何万人の前で吹いたりとかそういうのは必要かなと思うんですけど。基本的にはあんまり嫌な緊張したりとか、嫌な思いをしたくないんで、まあ質問の答えになってるかどうかわからないんですけど、好きか嫌いかって事で言うと、嫌いって言うのはありますね(笑)


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富士そば制作の演歌BGMのCD(もちろん加塩さんは不参加)

――逆に、これはもう好きだなっていうのは?

もちろんありますね。Don De Donでやってる時はそうだし、昨日なんかもすごい良かった、すごい楽しかったですね。吉田和雄さんと五十川博さんっていうベースと高橋佳作さんと。

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(「Brazilian breeze with Akiko Morishita」森下亜希子(vo)、加塩人嗣(sax)、高橋佳作(p)、五十川博(b)、吉田和雄(ds))。

3人共僕より年上で、昔のスピック&スパンとか、あの辺をずっとやってた人達だから、もう安心。もう素晴らしかったです。(キーストンクラブの)オーナーの山中さんも気に入ってくれて。ライブって良かったり悪かったりですが、そういう良い瞬間ってね、とても大切にしたいですね。またそれはやりたいし。

――フュージョンとラテンとジャズの仕事が、等しく好きなメンバーで、同じギャラの仕事があったらどれを選びますか?(笑)

それはね、一番先に来た仕事を選びます。同時にはこないから(笑)。良くあるんですよ、安い仕事を受けた次の日にむちゃくちゃ良いギャラの仕事が……(笑)。(最初のを)断れないんですよ。

――ギャラが良いからこっちやるよとは、ねえ。

そんなことやってたらすぐダメになっちゃう。でも、(予定を)押さえたのにたまに言ってくる奴いますよね。そういう(ブッキングする側の)立場になったら、まあ話は一応聞いて、「実はミュージカルが1か月入ってトラがダメなのに一日ぶつかっちゃったから」とか言うのは、しょうがないなあ、って。ケースバイケースで。でも基本的には僕らの中で共通理念として、最初に来た仕事を受けてっていうのがあります。

――加塩さんはそういうハコみたいのは、ミュージカルとかっていうのは?

昔やってたです。


――そういう時はサックスを全種類ですか?

いや、だいたいミュージカルって木管(担当)が3人くらいいるんですよ。向うのブロードウエーのミュージカルって3人で、一人がダブル・リード(※オーボエやファゴットなど)を吹かなきゃいけない。日本人のプレイヤーでオーボエまで吹ける人はなかなかいないんで、ちゃんとしたミュージカルの時はダブルリードの人は別に。で、一人はピッコロ、フルート、クラリネット、アルトみたいな。真ん中のパートがテナーとか。下のパートがバリトンとバスクラとかの感じで3人くらい。まあ、ケースバイケースで楽器の種類は変わりますけど。そういう感じでやってますけど、もう毎日同じことやってても気が抜けないって、あの頃は。向かなかったですね。

――向き不向きみたいのもありますよね。

ありますね。宝塚やっていた時に、毎晩の酒量が増えてました。やっぱりストレスが溜まるんで。
たまーに依頼が来るんですけど、スケジュールの問題もあって、お断りしてますね。


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(宝塚のオーケストラ・ボックス(Stereo Soundより))

――やっぱり最終的には人間関係が(笑)

そうなんですよ、実は(笑)



Don De Donそして今


――Don De Donのお話を。

(最初は)2009年、2010年かな?もう12−13年経つんですよね。納見(義徳)さんも、亡くなって3年経ちましたからね。

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2022年年末 12/25に行われるDon De Don クリスマス・スペシャル・ライブ(Keystone Club Tokyo)


先ほど話した、のりこさんが広尾の「サムラート」っていうカレー屋さんで歌ってた時代に、のりこさんが俺と平田(フミト)と3人でやろうと。で、平田は「加塩さん、なんかバラードとかいいよね」とかいってくれて、「一緒にやりません?」と。俺自身の平田の第一印象は、「なんだか乱暴そうなヤツだな」と(笑)。年下を叱りつけてるし。なんか苦手だよな〜とか思ってたんだけど、ま、年齢は僕のほうがちょっと上だったし、向こうから言ってきたんで、「あ、いいよ」っていって。じゃ、ベースとパーカッション、誰にしましょう?ってふたりで話して、べースは結局ヤンブー(澁谷和利)に頼んで、パーカッションは?というと、「納見さん」て。そのへんが平田らしいんですけど、「納見さん叩くと、けっこう納見さんファンが多いから、ライブやってもけっこう(お客さんが)来るかも」っていって、4人で始まったの。


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諸藤一平(ds)

で、1年後に、「やっぱりドラム欲しいね」とかいって、諸藤一平を平田が連れて来たんです。いまだからいえるけど、最初に一平が叩いた時、「ダメだこりゃ」って(笑)。そしたら平田が「こんなにダメだとは思わなかった」といって、もうやめさせるとか言い出したんで、でもそれは可哀想だからなんとかしようよ、ってことで、平田がこと細かに、っていうかうるさくね、一平に指導して。でもいまはね、一平はほんとに素晴らしくなって、いっときは納見さんも肩落としてたんだけど、2〜3年したらもう「一平ちゃん、一平ちゃん」とかいって頼りにしてましたよね。で、2枚目のCD(2012年)を作ったあとぐらいに、平田がちょっと体調が悪くなって、残念ながら……。

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佐藤英樹(Perc)

それから、ちょっとすごい流動的というか、あびる竜太が入る一方、残念ながらヤンブー(澁谷)がデラルスに専念したいという事になって、今の松永(敦)になって。彼は音楽的素養がすごいんです。そして、パーカッションは、佐藤英樹が加入してしてくれて、とても助かってます。 以前話しましたが、メンバーの間を取り持ってくれる事が多いです。 納見さんが若くなって戻って来た感じ(笑)


――1回見に行ったんですけど、松永さんすごいですね。

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松永敦(b)

芸大出でね。元々高校の時からベース好きだったみたいですけど、当時音楽大学ではベース科は無いから、しょうがなくてチューバやった。しょうがなくてチューバってお前芸大行くなよって(笑)、そういう感じの人ですね。

――ジャズの要素も前に出したい方向ですか?

出したいって程ではないんです。実はね、例えば比較してもしょうがないんですけど、MAMBO INN(っていうグループ)あるじゃないですか、スティーヴ・サックスの。あそこのサウンドとか見てると(お客さんが)踊りたがってるんですね。Don De Donで踊ろうって人はあんまいないんで、そういう意味では、もちょっと踊れるような雰囲気の曲書きたいなっていうのもあったりはするんですよ。なにがなんでもコードチェンジの曲だけで押し通したいとかそういうことは全くなくて、僕の書いた曲の中でも、2−3曲むちゃくちゃシンプルで、バカみたいな曲がありましたから。まあそこらへんは、そんなにこだわってないです

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あびる竜太(p)

――良いですね踊りたくなるのって。

そうそう。でも平田に断られましたからね、チャチャチャの。なにこれ!って(笑)で、平田がやめた後にレコーディングしましたけど(笑)、バンドの特色ってあるみたいで、今になって思うとあまり踊れる曲ないなあとか。

――最初の質問に戻るんですけど、ジャズとラテンの境い目で吹いてる時はリズムの違いくらいだということですけど、みなさん、どういう感じなんでしょうかね。

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管楽器の人間ってそういう違いがなく、音使い自体はコードチェンジに対しての音使いとかメロディってであんまり変わりようがないんです。だから多分ニューヨークのミュージシャンはジャズもできるしラテンも出来るし。ちょっとやってよって言われたら、えーとか言いながら出来ちゃう、ってことじゃないですかね。

――日本でもできちゃうけど、そういう風にやる人は少ないってことですかね。

ウーン、それはそうですかね。やればみんな出来る。だってコードがあるから。大堰(邦郎)君(sax)っているじゃないですか、伊藤ブー(寛康)(b)のEL SWINGの。大堰なんかプレイ聴くと、全然フュージョン系のフレーズなんです。俺なんかより全然フュージョンな感じで。でも全然ラテンで普通にやってるし。

――好きなフレーズの傾向値はありますね。

そうですね、だから本当に、リズム隊の人ほど専門職っていう感じには要求はされないですね。

――だから逆に言うと、いない事はないでしょうけど、例えばラテンのリズム隊にそんなに若い人が(少ない)。ベースもだいたい、さっき言った松永さんぐらいはアレですけど、だいたい、澁谷さん、小泉さん、伊藤さん……

人材がね。でもちょっとずつは増えてますけどね。あの岡本健太(ds)、健太もね、実は(Don De Don)1年でやめちゃったんですけど。あの弟の竜太君っていうのがすごく良いベースですよ。だからぽつぽつは来てます。

――そうですね、いるんでしょうけども……。もう少し、若い人たちのラテンジャズみたいのも聴きたいなあって思いました。

健太のバンドとか聴いたことないですか。Wu-xing。

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――ああ、ウーシング、ありますね。(岡本健太(ds)、宅間善之(vib)、宮川真由美(p)、荻野哲史(b)、荒川B琢哉(perc))

そう、ビブラフォンの彼が(宅間善之)いる。本当は我々も頑張んなきゃなあ(笑)。いつまで頑張れるかみたいな感じ(笑)

――いやいやいや。ちょっと前にジャズの中牟礼貞則さん(g)にインタビューしましたが、90歳でもうホントお元気でした。だから加塩さんはもっとずっと先の話ですね(笑)

中牟礼さん、がんばっておられますね。同郷(鹿児島)の大先輩ですから。

――あ、そうですね。それこそ明日かなんか近藤(和彦)さんが一緒にやるんでしょう。(近藤和彦 as ss Special 4 feat.中牟礼貞則 (g)、安ヵ川大樹 (b)、中村海斗 (ds))で、ドラムの子が21歳っだって。中牟礼さんとの年齢差が(笑)

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そこらへんは本人たちが良ければっていうか、年の差は関係ないですからね

――ジャズもそうだし、ラテンも年齢が関係ないからところどころ若い人が出て来てますけど、ジャズと比べるとちょっと母数が(少ない)。

そういう意味では、国立音大でも何でもジャズ科が出来てるじゃないですか。「ジャズ科」なんですよ。楽器の開始年齢も下がってるんで、そういう所で一所懸命やって才能あるやつはどんどんうまくなる訳ですよ。18,9−20で。ところがジャズ科なんで、ジャズはやりたいんだけどラテンは、みたいな。だから教育システムとしてね、ラテンを教えるって風になれば、多分良いんだろうけど、そこまでは無いですね。

もう一つ言うと、弊害はブラスバンドで、それこそ「エル・クンバンチェロ」やりますとか、そういう風なアレンジがあるじゃないですか、ブラスバンド用の。昔のアレンジはむちゃくちゃでしたから。いわゆるラテンもブラジルも全く関係なくて、もうなんかよくわからんみたいな。だから教える方も分からずにやってるし、アレンジする方も分からずにやってるから悲惨ですよ。


――なるほど、それは知らなかった。

まあ、あんまりこういうと、ちょっとアレなんですけど。全然わからずにやってる。



――なるほどー。あ、そろそろ、お時間もだいぶ長くなりましたから、ぼちぼちこの辺にしたいと思います。どうもありがとうございました! ちょっと写真を撮らせて頂けるとありがたいです。

いいですよ、この辺で? サックスも持ちましょうか。

――その窓のあたりとか。ところで、なんでこのスタジオ、窓が障子なんでしょうかね。

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そうなんですよ、オーナーの趣味で(笑)

――セクシー、障子とサックスでセクシーな写真が(笑)

(全員)意味がわからない(笑)


END

(Part 1はこちら)
(Part 2はこちら)

【プロフィール】
加塩人嗣  Hitoshi Kashio


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鹿児島大学在学中より演奏活動を始める。
フリーの演奏家として、数々のアーティストのツアー、レコーディングなどに参加。(Exile、矢沢永吉、Crazy Ken Band 、サルバトーレ・アダモ Etc.)ジャズ系の活動後、 キューバ系ラテン音楽に接し、キューバ、メキシコでの演奏の機会を得て、Omara Portuondo、Yumuri y sus Hermanos、NG La Bandaなど、数々の有名アーティストと共演の経験を持つ。 またブラジル系音楽の演奏経験も多い。

現在、自己のバンド、 Don De Donをはじめ、東京キューバンボーイズなどに所属し、精力的に活動中。現在までに、自身8枚のオリジナルCDを発表している。他にも幅広い分野で、国内外のツアーやテレビ、レコーディングなどに参加し精力的に活動中。また、MUSIC SCHOOL DA CAPOの講師として後進の指導の面でも、手腕を発揮している。

【加塩人嗣 SELECTED DISCOGRAFY】

DEDICADO AL GRAN CONGUERO / Don De Don
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加塩人嗣 (sax,fl), あびる竜太(p), 松永 敦(b), 諸藤一平(ds, timb), 岡本健太(perc)

UN MOMENTO DE SILENCIO / Don De Don
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加塩人嗣 (sax,fl), あびる竜太(p), 澁谷和利(b), 諸藤一平(ds, timb), 納見義則(perc)


VOLCAN / Don De Don
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加塩人嗣 (sax,fl), あびる竜太(p), 澁谷和利(b), 諸藤一平(ds, timb), 納見義則(perc)


PASA PAS / Don De Don
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加塩人嗣 (sax,fl), 平田フミト(p), 澁谷和利(b), 諸藤一平(ds, timb), 納見義則(perc)


EL CORAZON DEL JAPON / Don De Don
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加塩人嗣 (sax,fl), 平田フミト(p), 澁谷和利(b), 諸藤一平(ds, timb), 納見義則(perc)


CUBAN LEGACY / 東京キューバン・ボーイズ
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加塩さんのWebsite : https://www.hitoshikashio.com/



posted by eLPop at 18:47 | Calle eLPop

ラテン・ミュージシャン・インタビュー・シリーズ(3)加塩人嗣(Sax/fl)Part 2

2022.10.28

eLPop企画『ラテン・ミュージシャン・インタビュー・シリーズ』

第三回目のサックス・フルートの加塩人嗣さんの回 Part 2です。

(Part 1はこちら)
(聞き手:岡本郁生&伊藤嘉章)

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

(Part 1より続く)

「そうこうしてるうちに、キューバ系にぶち当たったんです」

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――(フュージョンバンドの後は)どうされたんですか?

そうこうしてるうちに、キューバ系にぶち当たったんです。
1998年に、キューバン・ボーイズのトロンボーンの大高實(おおたかみのる)さんという方が、自分でカリビアン・ブリーズっていうバンドを作ってたんだけど、メキシコとキューバでコンサートをするっていう話があって。レギュラーのサックスの人が行けないから、誰かいけないか?っていって探してたんです。で、なぜかボクになって(一緒に)行って、それこそ、その当時のNGラ・バンダとかと一緒にやったりして。「凄いな、この音楽!」みたいな。それまでも(キューバ音楽は)知ってましたよ、もちろん。ペレス・プラドとか、ダンスホールでさんざんやらされてましたから。でも、ああいうものとは全く違うな、って思って、ハマりましたね。

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オルケスタ・カリビアン・ブリーズ

――ハマりましたか!

ハマりました。で、その2年後かな、(岸)のりこさん……ディーバ・ノリコさんが日本に帰って来たんですよ、ちょうど。そしたら「加塩ちゃん、私のバンド手伝ってよ」となって、ルイス(・バジェ)とか、相川(等)くんとかと一緒に3管編成で(やり始めた)。
で、2年後(2001年)にまたキューバとメキシコ行って、そのバンドで。で、その2年後(03年)にまた行ったのかな?


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岸のりこ

最終的に、そのまた2年後(05年)にキューバン・ボーイズで行ったんですよ、再結成して。「キューバ・ディスコ」っていうフェスティバルに行ったのが、いまのところ最後で、それ以来、ずっぽりハマっている、という。

――のりこさんとはいつからですか?

のりこさん、帰って来た時に、カリビアン・ブリーズの歌手としてやり出したんですね。(1998年に)いちばん最初に向こうに行ったときには、ちょっと会ったんだったかな……? とにかく、帰って来たからバンド組みたい、っていう話で。その当時は、(森村)献さんが譜面書いてたのかな? ま、いろんなメンバーがいたけども、なんか知らないけど、ずっとやらしてもらってる感じですね。

――最初のメキシコはどうでした?

大好きですね! (メキシコ)シティに行きましたけど、ごはんおいしいし。マリアッチのイメージ強いですけど、(トロピカル)ラテンやってもぜんぜんOKですもんね。あちこち行きましたよ、グアナフアトとか、何か所か行ったんですけども、それぞれにぜんぶ違う気がして、ただ、どこも、すごい好きでしたね。

――最初にキューバで演奏して、どのへんが違うと思いました?

そうですね……一緒にやらせてもらった人たちって、むこうでもちゃんとした人たちなんですが、その「ちゃんとした具合」がすごいわけですよ(笑)。ちゃんとみんな音大出てると思うし、音楽ってテクニックだけじゃないんだけど、とりあえず、楽器の扱いが上手い人がすごく多いし、マラカ(・バジェ)聞いたらね、「なんじゃこれ?」とか思ったし(笑)。

で、経済的なことってどうだかわかんないんだけど、死んじゃったホセ・ルイス(・コルテス)とか、リーダーになると、けっこう稼ぐんじゃないですか? 売れたミュージシャンンって。当時、よく覚えてるけど、緑色のベンツに乗ってましたからね。なんだこのクルマは!って思ったら、ホセ・ルイスが降りてきて(笑)。総じて、売れてる人、人気のある人たちって、着るものもちょっとこう、こぎれいだし、なんかオシャレにも気を使ってるし、みたいな。あ、けっこう稼いでるのかな?……ていうのはありましたけどね。


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Jose Luis Cortes

――そのときはどのくらいの期間いたんですか?

2週間ぐらいですよ。毎回2週間ぐらいですけど、いや〜、ほんと刺激を受けましたね。ハバナの旧市街と新市街の間ぐらいに、100人ぐらいは入れる「ジャズ・カフェ」っていうライブ・ハウスができてて。「カサ・デ・ラ・ムシカ」とか、ああいうのは有名じゃないですか。「ジャズ・カフェ」ってやっぱり、“ジャズ”ってつくぐらいで、ラテン・ジャズのバンドが出てたりとか。よく行ってましたね。
「カサ・デ・ラ・ムシカ」は、最初にカリビアン・ブリーズでも演奏したんですよ。ですけど、終わって飲んでると、おネエちゃんたちが寄ってきて、酒飲ませろとかメシ食わせろとか、うるさいうるさい(笑)。これで調子に乗ってると、明日の朝、家族連れてきて「娘をよろしく」とか言われるからな、とかって脅かされて(爆笑)。で、いやいやいや、そんなことはしない……みたいな。


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CASA DE LA MUSICA, La Habana

――そのころは、自分のバンドってわけじゃないですよね?

当時は、まだでしたね。自分のバンドでラテン・ジャズっていうのはDon De Don(どんでどん)が初めてなんですけど、これは、いちばん最初に、のりこさんが広尾の「サムラート」っていうカレー屋さんで歌ってた時代があるんですよ。カレー屋さんなんだけどラテンをやるっていう……。でね、いろんなミュージシャン使ってたんですけど、ある日、のりこさんが俺と平田(フミト)と3人でやろう、と。

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納見義徳

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平田フミト

――のりこさんとはかなり長いんですね。

長いですね。もうほんとに良くしてもらいました、納見さんとのりこさんとは。(のりこさんは)今度(Don De Donのライブで)ちょっと歌いに来ますよ(※8/26、Studio DO!でのライブのこと)。エリック(・フクサキ)に4曲くらい歌ってもらってって言ったら、じゃあ私見に行くっていうから、じゃあ歌ってよって言って。意外とキーも近いんで、あの二人。なんとかなりそうで。

――のりこさんは(声が)低め。

エリックは高いし。まだ何をやるかは決めてないですけど、1曲くらいやってもらおうかなと。

――のりこさんが最初帰ってこられた時っていうのは、サルサみたいな感じでしたっけ?

そうですね、サルサが多かったですよ。向うで出した、コロンビアだったかな(※実際はベネズエラのソニーからアルバム『NORIKO』をリリース)、ほんとサルサで。ああいうのばっかりやりましたね。こっちもわけわかんないからね(笑)、わけわかんないっていうのも変だけど、サルサはサルサでとても面白いなって。ティンバとか聞くと昔の血が騒ぐわけですよ、16ビート系の感じがして。これ面白いなぁって。共通点みたいなものを感じましたね。

――じゃあ加塩さんにとっては、もちろん先生って言い方も変ですけど、納見さんから勉強っていうか……。

そうね、納見さん、のりこさん、もちろん他にも一杯いらっしゃいますけど未だにね。僕、そんなに聴きこんでいる訳でもないですけど、実際の現場でですね。例えばCDを聴くとかそういう事ではなくて、周りの人たちの言動とかそういうのを見て感じて、すごい勉強になりましたね。

一度ね、ノリコさんのバンドの二回目かな、アメリカのセプテンバー・イレヴンの時で、丁度その翌日メキシコに行くんですよ、一緒に。で、飛行機飛ばないじゃないですか。でも何とかしなきゃって、2日目に成田行って、朝から夕方まで成田にいて。やっとヒューストンに行ったら「カンクン行の飛行機が出てるからカンクンからキューバに行け」って。で、メキシコが最初だったんですけど、日程が狂いまくってるから、まあ取りあえず行こうって言って、ヒューストン行の飛行機に乗って。中でスチュワーデスに聞いたんですよ。カンクン行きって飛んでるの?って。そしらた「んーー……」って(笑)。

で、ヒューストンで2日間足留め。その間、納見さんとのりこさんがあっちこっちに連絡取って大変でしたね。で、やっとカンクン着いて、またカンクンで5−6時間待たされて、やっとハバナ行って。まあ向うで1週間くらいありましたんで、3,4か所演奏したんですけど。


――でもちゃんとたどり着けた(笑)

なんとかたどり着けました。でもひどかったです。ガタガタだから。で着いて土産でも買いに行くかって誰かが言って、見事についたその初日に財布スラれた。

――その時は誰がいたんですか?

いたのはね、(森村)あずさがいたんですよ。あと、ヤンブー(澁谷)もいたのかな、あと都築(章浩)もいた。でピアノが津垣ヤン(博通)だった。なんかあの辺。で、ルイス(・バジェ)もいた。断片的にしか思い出さないですね。で、財布落としたんで、あずさに警察についてってもらって、落とした、って。帰る時なんかカネ、1ドルくらいしかないですよ(笑)。おカネ貸して!って。

――大変でしたねえ。そんな中、納見さんから学んだこととかは、たくさんあると思うんですけど。

まじめな話で言うと、あの人リーダー的な事って一回もやったことないんですよ。サイドマンに徹してたですから。なんだけど、サイドマンなんだけどある意味、他を立てつつバンドをビシっと後ろからまとめてくれてる。もちろんプレイも。今にして思えば、10年前の納見さんのプレイは信じられないくらいすごいんですよ。だけど一番思ったのは、そこらへんもその人としてのバンドの中の立ち位置をどうやって確立すれば良いのか、今にして思うと。あびる(竜太)が騒ぎすぎたとか、なんかちょっと調子に乗りすぎた時とかにパチンと言ってくれたりとか。怒るときすごかったですからね。

――へーーー

すごかったですよ。最近怒られたことないけど。その辺の人の役割みたいなのが大事なんだなって言うのを、納見さん見てると思いましたね。だから逆に言うと、あの人はリーダーをやるタイプではなかったのかもしれないけど、リーダーである為にはどうしなきゃいかないか?みたいな事を、それで教わったような気がします。
それがデカかったですね。もちろんプレイも上手かったけど。


――あびる君はけっこう怒られてた(笑)

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あいつは声うるさいから(笑)。一回、新潟でのりこさんがメインで柏崎とか2か所くらいで行った時、呼んでくれた人が宴会を催してくれたんだけど、あびるが横の離れたとこで関係ないのにギヤーーって(笑)。帰ったら「うるさーい!!」って、「せっかく呼んでもらってるのに、もうちょっとその人の顔を立てろ」って、むちゃくちゃ怒られてた(笑)。それはオレも分かる(笑)

納見さんいなくなってから、(諸藤)一平とあびるが組むともう、同じような放し飼い状態になるので、オレも怒るんです。するとね、あいつは怒りんぼだからすぐ怒る。ほんとにまじめにけんかしたことあります、一回あびると(笑)。


――音楽の事で?

いや、そういうことでなくて。溜まってたんですね、色々バンドを運営する上の事で。
キーストンクラブで、当時まだ前のマネージャーがいたとき、結構朝まで飲めたんですよ。


――まだコロナの前で。

そうそう。で、調子こいて飲んで気が付いたら「なんだとー!」みたいな。仲直りしましたけどね。

――そういう部分とは別に、サックスって意味では、ラテンをやって影響受けた人とかいますか? さっきは貞夫さんとかサンボーンとか出ましたけど。なんかそういう人は?

ラテンの人はね、例えばキューバ人のプレーヤーとか、上手いなと思う人はいっぱいいるし、そういう風に吹けたらいいなとは思いますけど、影響を受けた人はいないですね。すごい意外かもしれないけど、一番誰を聴いてるかというと、ポール・デスモンド。

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PAUL DESMOND

もう改めて。若い時聴いていた時はわからなかった。今聴いたらポール・デスモンドのすごさっていったら、これはないなぁみたいな。自分としては今まで熱くなってしまうタイプで、それはそれでいい時もあるのかもしれないけど、また彼も熱くなって吹いているんだろうけど、ポール・デスモンドみたいに、ああいうクールさを漂わせたフレーズにものすごく憧れてるんですよ。貞夫さんとポール・デスモンドと全然違うんだけど(笑)。でも、影響受けてるって意味ではそうなんです。

――それはまさに今っていう。

そう今。もちろん他の人も聴きますよ。ぱかっと時間があって、自分で聴くことが多いですね。


(Part 3に続く)

【プロフィール】
加塩人嗣  Hitoshi Kashio


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鹿児島大学在学中より演奏活動を始める。
フリーの演奏家として、数々のアーティストのツアー、レコーディングなどに参加。(Exile、矢沢永吉、Crazy KenBand 、サルバトーレアダモ Etc.)ジャズ系の活動後、 キューバ系ラテン音楽に接し、キューバ、メキシコでの演奏の機会を得て、Omara Portuondo、Yumuri y sus Hermanos、NG La Bandaなど、数々の有名アーティストと共演の経験を持つ。 またブラジル系音楽の演奏経験も多い。

現在、自己のバンド、 Don De Donをはじめ、東京キューバンボーイズなどに所属し、精力的に活動中。
現在までに、自身8枚のオリジナルCDを発表している。他にも幅広い分野で、国内外のツアーやテレビ、レコーディングなどに参加し精力的に活動中。また、MUSIC SCHOOL DA CAPOの講師として後進の指導の面でも、手腕を発揮している。
Website : https://www.hitoshikashio.com/


posted by eLPop at 17:22 | Calle eLPop

ラテン・ミュージシャン・インタビュー・シリーズ(3)加塩人嗣(Sax/fl)Part 1

2022.10.24

eLPop企画『ラテン・ミュージシャン・インタビュー・シリーズ』

ラテン・アメリカの音楽の情報をお届けするeLPopですが、その魅力に惹かれラテン音楽に取り組む日本のミュージシャンをもっとご紹介して行きたい!という事でインタビュー・シリーズが始まりました! 巻末には登場したミュージシャンの作品リストやオフィシャルWebサイトなどの情報なども掲載予定です。


第三回目はサックス・フルートの加塩人嗣(かしお・ひとし)さんです。

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加塩さんはジャズ系の活動後にキューバ系ラテン音楽に接し、キューバ、メキシコでの演奏の機会を得て、Omara Portuondo、Yumuri y sus Hermanos、NG La Bandaなど、数々の有名アーティストと共演の経験を持つ達人。ラテンとジャズの間で活動され、またブラジル系音楽の演奏経験も多い。現在、自己のバンド、 Don De Don(どんでどん)をはじめ、東京キューバンボーイズなどに所属し精力的に活動中。現在まで、自身8枚のオリジナルCDを発表し他にも幅広い分野で、国内外のツアーやテレビ、レコーディングなどに参加し精力的に活動中。

そんな加塩さんの軌跡を全3回でお届けします!

(聞き手:岡本郁生&伊藤嘉章)

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ .


――これまでのサックス人生、そして、ジャズとラテンを両方やられる加塩さんのお話をおききしたいと思います。

ジャズとラテンの関係性みたいなことですが、日本の場合って、わりと分かれるじゃないですか。他のジャンルもそうなんですけど、やっぱり僕はその昔、ちょっとニューヨークとか行った事あるんですけど、その時に感じたのは、垣根があんまりないっていうか近しいっていうか。それこそ、あびる(竜太)君たちのようにバークリー行った人たちは、どっちも同じように練習するらしいですね。で、日本の場合はちょっと離れてしまっている。ただ、管楽器奏者としてのこちらとしては、どちらも行き来が出来る感じがするんですよね。ジャズしかやらないよとか、日本の場合はまだまだ多いんで、そういうのはちょっと感じますけどね。もっとオープンにやってみたら?と。

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――向うの、特に管楽器のひとに訊くと、エディ・パルミエリで来た人もそうだけど、学生時代に管楽器がいないからメレンゲ・バンドに呼ばれたりとか、日本人でも、バークリーに行ってた人が、なんかわかんないけどバイトで後ろで譜面吹いてればいいからって言われてラテン・バンドを初めて経験しました、とか(笑)いう人がいるんで。そういう意味では管楽器っていうのは……

そうなんですよね。リズムの人って、例えばですよ、ブラジルものとキューバものと、やっぱり専門的にやる人が多いじゃないですか、どちらもやる人も中にはいらっしゃるけど。ボクなんかも、それこそ昨日なんかも、キーストンクラブ東京でブラジル系をやったんですけど、わりとそこらへんは、リズム割をしっかり気を付けていれば、音使いとかはあんまり、ジャズにしてもラテンにしてもブラジルにしても、そんなに変わらないというか共通項が多いんで、気持ち一つでどっちも行きやすいとは思ってるんですけども。


「父親と大げんかして、楽器1本持って東京に出てきた(笑)。大学は中退して。」


――じゃあそんな加塩さんのですね、生い立ちを、根掘り葉掘り聞きたい。60年以上かかっちゃうかもしれないけど……(笑)

正直言いますけど、今年で65(歳)なんで、もう、ほんとに自分でも信じられないんですけど……。
鹿児島の出身で、実家は日本蕎麦屋だったんです。鹿児島市のわりとド真ん中のところで、うちの父親が蕎麦屋をやってまして。当時の父親って、飲む・打つ・買う……まあ、飲むはしなかったか……ま、けっこう派手派手しくて、でまぁ、恥をさらすようですが、外に女の人を作ってですね、外に子供もできちゃったんですね。うちの母親はやっぱりそれが耐えられなくて、小学校の高学年のときに実家に帰っちゃったんですね。

で、そういう中で生活していて、小中高まで徒歩圏内だったんです。高校も、普通科の高校だったんで……ほんとは、ボク長男なんで、あ、弟はいたんですけど、後を継がなきゃいけないんです。ていうか、父親もそれを期待してたと思いますけど、あのー、鹿児島大学ってとこに受かっちゃったんですよ。間違えて、一発で(笑)。それで、「ま、大学は行くか」みたいな(笑)感じで。で、ちょうどその、高校から大学にかけてわりと親しくしていた友達がジャズを聞き出したんです。それまで、僕は中学からサックスやってまして、いわゆるブラスバンドで。ま、そんな一所懸命じゃなかったんですけどね。で、「ジャズどうだ?」っていわれて、いまだに覚えてるんですけど、クロード・ソーンヒル・オーケストラっていうのと、チック・コリアと、渡辺貞夫さんの初デビュー盤みたいなのを持って来られて、聞いたわけですよ。

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"SADAO WATANABE"

で、それまでクラシックばかり聞いてましたから、わからないんですよ、どこが面白いのか。でも、それ言うと、ちょっとカッコ悪いじゃないですか。「子供が……」みたいに思われそうで。で、悔しいから、けっこう聞いたんです。そしたらある日、「お、面白いかもしれない」と。高校2〜3年ぐらいですね。それで、鹿児島大学のジャズ研があるんですけど、そこのコンサートを高校3年のときに見に行ったんです。そしたら、「こんな、アドリブとかって、どうやったらできるんだろう?」みたいな……。だんだん、傾倒してってるわけです。自分の中で、ジャズに。

で、大学に入ってジャズ研に入ったんですね。でまぁ、普通にやってたんですが、2年目か3年目ぐらいかな、つまんないことで父親と大げんかして。「出てけ!」「わかった、じゃあ、出てくよ」って、で、楽器1本持って、東京に出てきた(笑)。大学は中退して。

でも当時、ぜんぜんコネなかったので、あの〜、仲の良かった友だちが法政大学に入ってたんですよ。で、京王線・笹塚の4畳半一間のアパートに住んでて、そこに転がり込んで(笑)。それでまあ、いろんなバイトしましたよ、引っ越し屋やったりとか、六本木の「バードランド」ってジャズ・クラブでウェイターやったりとか。で、そのうちに、横浜のダンスホールの仕事とかを紹介してもらったりして。当時、(自分は)そんなに(上手く)吹けないんだけど、吹くとこはいっぱいあるわけですよ。


――1980年代のはじめぐらいですか?

ですね。で、毎晩毎晩シゴかれて、まあ、よくクビにならなかったな、と今になって思うんですけど、まあ、いい時代ですよね。カネはなかったですけどね。それこそ、4畳半一間で共同トイレで風呂なしで、みたいな(アパートで)。毎日、笹塚から横浜に行くので、時間的に銭湯に入れない(笑)。だから、横浜行って銭湯入って、仕事して帰る、みたいな毎日でしたね。

――ボクは一歳下なんで、なんとなくわかります、そのころの感じ。

わかるでしょ! あの雰囲気がね(笑)。

――でも、そんなアパートに住んで銭湯に行って……って、別に貧乏なわけじゃなくて、当時はフツーでしたよね。

そうそう。20代前半だし、東京出てきたばっかりで生活するのに必死で、辛いとかあんまり思ってなかったですね。

――横浜はいわゆる“ハコ”(ダンスホールなどのレギュラー・バンドでの仕事のこと)ですよね? どこですか?

横浜の西口にね、もうないと思うんだけど、「白馬車」っていうダンスホールがあったんですよ。大きかったですね。いわゆるダンスホールで、ダンサーさんがいて、アマチュアの人の(ダンスの)お相手をする、みたいな。フロア自体はそんなにデカくなかったけど。3階席ぐらいまであって、っていうのは覚えてますね。当時はそういうバンドって、お店の仕事をやりつつ、外に仕事かあると……つまり歌謡曲の人のコンサートがあると、専属バンドとしてくっついて回るっていう、そんな感じでしたね。小林旭、三橋美智也、青江三奈、このへんでしたね、僕がやってたのは。

――超一流ですね。

……かどうかわかんないけど、あ、こんな世界あるんだ!って。自分としては、ジャズやりたくて出てきてるから、「なんか違うな、早くこんなところから抜け出したいな」と思ってたんですけど、まあ、ヘンに食えるから、先輩方は、休み時間になるとトランプやって賭けて貧乏人同士でむしりあったりとか、終わりのほうになると酒飲みに行ったりとか、やってましたよね。

――ブラバンやってたってことは、ある程度は譜面読めてたんですよね?……っていうと失礼ですけど。

うん、ある程度は。でも、今になって思えば、ジャズのアーティキュレーションとか、当時はなんにもできなかったよな〜って思いつつ、すっげー怒られてましたけど、なんとかかんとか食らいついていって、みたいな。

――ところで、鹿児島大学のジャズ研はコンボだったんですか?

ビッグ・バンドです。やっぱり、(カウント・)ベイシーとかバディ・リッチが多かったですね。正統派っつったらあれだけど、そういう感じの。ま、たいしたバンドじゃなかったですよ。でも、みんな一所懸命で

――そのころ好きだったのは?

やっぱり最初は(渡辺)貞夫さんに影響されましたよね。『カリフォルニア・シャワー』とかヒットしたでしょう。あれが良かったのか悪かったのかわからないけど、ああいうのに憧れてしまって……ま、貞夫さんがやってることは、ジャズをやろうがフュージョンをやろうが変わらないんだけど……憧れてしまって、そのうちにスクエアで伊藤(たけし)さんが出てきたりとか、しまいにはデビッド・サンボーンがバーっと(出てきて)、いや、これは凄いな、と。むっちゃくちゃ影響されましたね。

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"California Shower / 渡辺貞夫”

――当時の楽器は……?

大学のときに買ったものですね。それはね、珍しくオヤジが買ってくれたんですよね。で、サンボーンとかを聞き出すと、ダンスホールの仕事をやってても面白くなかったんで、六本木あたりのディスコ・バンドに行ったんですよ。六本木にね、ヘンな赤い絨毯の店があって、お客さんが靴を脱いで踊るんです。「最後の20セント」って、スクエアビルのすぐ近くです。ロアビルの中とか、昔のサテンドールの前の「テニスクラブ」とか、そういう、バンドを入れてるとこが何軒かあって、赤坂だと、日枝神社の前に「ポテトクラブ」ってあったんですよ。そこも出てましたね。

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六本木「最後の20セント」

――バンドで、ですか?

同じバンドで「最後の20セント」に出るとか、たまに「ポテトクラブ」に出るとか、そんな感じです、ミラージュってバンドで(笑)。そこのボーカルの人が、いま市場の運転手をしてるって聞きましたね。ま、大先輩たちなんですが。当時は事務所も給料の払いがすごい遅れたりとか、あげくのはてに、僕が入ったバンドって、リーダーが九州の人なんで、九州の人が多かったんですよ。そうすると、3つ4つ、同系統のバンドがあるんですけど、もうね、なんかあるとすぐ、こう……(喧嘩)(笑)。いちばん酷い人は、ヤクザに喧嘩売って歩くような人で、ま、すごかったですよ。だから、1年ぐらいしかやらなかったかな。(毎日)夜中の2時ぐらいまで(演奏を)やらされるわけですよ。で、朝まで時間ツブさなきゃダメじゃないですか。そうすると、ロクなことしないんですよ、朝まで酒飲んだりとか。で、こういうのも……まわり見てたんで……ちょっとよくねえな、と思ってまた戻ったんです、横浜に。
そしたら案の定、「おまえ全然ダメになったな」と。で、これはヤバい、と。

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"小野満とスイングビーバーズ / BIG BAND SPECIAL"

そうこうしてたら、小野満とスイングビーバーズっていう……当時、紅白とかやってたんですけど……あのバンドのオーディションがある、っつって、受けたら通ったんですよ。で、それで、そっち行って、テレビの仕事とかするようになって。ほどなくしてそのバンドは解散して、そのあとがミュージック・メイカーズっていう(バンドで)、それもテレビとかやってたんです。で、そこに移って、それこそ、森進一やってたりとか、そんな感じで。で、しばらく我慢して、30(歳)のときでしたかね、フリーになろうと思って。フリーになって今に至る、です。


――1987年ごろですね? 

そうですそうです。でね、やっぱり当時は仕事、いっぱいあったんで、それこそね、ニューヨークに2か月ぐらい遊びに行ったんですよ。やめたから気分転換に。で、帰ってきたらすぐ、いろんな仕事もらいましてね。ほら、レコーディングとか……ぼくはスタジオミュージシャンとして売れた方じゃなかったけど……あったし、あと、ツアーの仕事も(ありました)。ちょっと演歌系で桂銀淑、チョー・ヨンピル、アグネス・チャンとか、けっこうやりましたね。ま、おカネには苦労しなくなりましたよね。でも、その当時も自分のバンドやりたいな、っていう気持ちはずっとあったんで、ライブ活動はちょこちょこやってましたね。

――まずやったのはジャズなんですか?

いや。フュージョン・バンドですね。でも、ちょっと惜しかったんですよね〜。けっこうお客さん多くて、クロコダイルで月1で(出ていて)、だいたい80〜90人ぐらい来てました。ほとんど満杯です。けっこういろんな人が知ってましたよね。ミッドシップというバンドで、CD3枚ぐらい出してるんですよ。自主(製作)ですが。ベースのやつがリーダーで、で、そいつがマーカス(・ミラー)が大好きで、その彼がいろんな曲を書いていて。
(MIDSHIP:加塩人嗣(sax)、藤林昌彦(b)、奥田康浩(de)、吉田悟(key)、山本聡(g)、都筑章浩(perc))

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"Second / Midship"

――いわゆるフュージョンですね?

そうそう。管は僕ひとり。ドラム、べース、キーボード、サックスという4人で。途中で何年間か、3管増やして、っていうときもありましたね。10年以上はやったかな。で、なんだかんだ出たんですけど、やっぱりバンドって、だんだん勢いがなくなってくるっていうか。それもあったし、メンバーそれぞれが、ミュージカルの音楽監督になったりだとか、それなりにみんな広がってきて、バンドとしては活動できなくなってきて。



(Part 2に続く)




【プロフィール】
加塩人嗣  Hitoshi Kashio


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鹿児島大学在学中より演奏活動を始める。
フリーの演奏家として、数々のアーティストのツアー、レコーディングなどに参加。(Exile、矢沢永吉、Crazy KenBand 、サルバトーレ・アダモ Etc.)ジャズ系の活動後、 キューバ系ラテン音楽に接し、キューバ、メキシコでの演奏の機会を得て、Omara Portuondo、Yumuri y sus Hermanos、NG La Bandaなど、数々の有名アーティストと共演の経験を持つ。 またブラジル系音楽の演奏経験も多い。

現在、自己のバンド、 Don De Donをはじめ、東京キューバンボーイズなどに所属し、精力的に活動中。
現在までに、自身8枚のオリジナルCDを発表している。他にも幅広い分野で、国内外のツアーやテレビ、レコーディングなどに参加し精力的に活動中。また、MUSIC SCHOOL DA CAPOの講師として後進の指導の面でも、手腕を発揮している。
Website : https://www.hitoshikashio.com/


posted by eLPop at 13:17 | Calle eLPop

『eLPop今月のお気に入り!2022年9月』

2022.10.19

10月まで真夏日があるかと思うと、いきなり肌寒くなったり。ますます振れ幅の大きい世の中ですが、そんなことに惑わされずにじっくりとやって行きたいですね。
さて『eLPop今月のお気に入り!2022年9月』をお届けします!

新作・旧作関係なくeLPopメンバーの琴線にかかった音楽、映画、本、社会問題などを、長文でまたはシンプルにご紹介します。今の空気を含んだ雑誌、プレイリストのように楽しんで頂ければ幸いです。

【目次】
◆高橋めぐみ『ガーナに消えた男』(ガーナ)
◆山口元一『レアンドロ・ディアス、フアネス、エディ・サー』(コロンビア)
◆石橋純『ウーゴ・ファトルーソとウルグアイヤン・インベージョン』(ウルグアイ)
◆長嶺修『新作/新録:Roxana Amed〜Tiago Iorc〜Anat Cohen』(アルゼンチン、ブラジル)
◆水口良樹『ニナ・ウマ(アンドレア・アレナス)』(ボリビア)
◆岡本郁生『AOR×ラテン』(ラテン)
◆宮田信『East Side San Jose “Back In The Day In ESSJ”』(チカーノ)
◆佐藤由美『アストル・ピアソラ没後30周年トリビュート公演』(アルゼンチン)
◆高橋政資『メルセディータス・バルデース=ラ・ペケーニャ・アチェ・デ・クーバとアフロ・クバニスモ』(キューバ)
◆伊藤嘉章『エル・メディコ、パトリア・イ・ラ・ビダ、パベル・ウルキサ』(キューバ)



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◆高橋めぐみ(SOY PECADORA担当/スペイン語圏の本・映画)
『ガーナに消えた男』




今回は西アフリカ、ガーナが舞台の小説のご紹介です。

読んだ本:
ガーナに消えた男
(原題:The Missing American)2020(日本での出版は2022)
著者:クアイ・クアーティ(Kwei Quartey)
翻訳:渡辺 義久
ハヤカワ・ミステリ
https://www.hayakawa-online.co.jp/shopdetail/000000015100/

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 今まで何回かアフリカ諸国の小説を紹介してきましたが、今回はガーナが舞台のミステリです。著者のクアイ・クアーティは、いずれもガーナ大学の教員であったガーナ人の父とアフリカ系米国人の母の間に生まれ、医学を志しガーナ大学医学部に進学しますが、父の死によって米国に移住することになり、最終的にハワード大学で医師の資格を得ました。現在は執筆に専念しているものの、長く医師として働いていたそうです。

 さて、本作は、大統領の政敵と目される人物のスリリングな暗殺シーンで幕を開けます。その犯人は誰で目的は何なのかは、しばらくそのまま物語の流れの外に置かれます。メインのテーマは所謂「国際ロマンス詐欺」です。日本でも高額な被害にあった漫画家の方が、その巧妙な手口を訴えていましたよね。本作では、ガーナ人の妻を亡くした(ガーナ人女性に魅了されている)初老の米国人ゴードンが、SNSで、美しいガーナ人女性と知り合います。実は、その裏には、サカワ・ボーイズと呼ばれるインターネットを駆使して詐欺行為を働く集団がいました。息子などから詐欺かも知れないと言われ、本人も疑いますが、ゴードンは相手の巧みな話に乗せられて数千ドルを送金してしまいます。そこで、やはり彼女に会いたくなり、直接ガーナの首都アクラに赴きます。現地に着いて、すぐに詐欺だとわかるものの、騙された怒りとある理由から帰国せずに調査をし始めます。

 一方、本作の主人公である探偵エマ・ジェンは元警察官で、大変不愉快な理由で警察を辞めています。亡き父も有能な殺人課刑事だったエマは、心ある元上司の紹介で元敏腕刑事で高潔な男性ソナーが営む探偵事務所で働くようになります。そこへ、詐欺にあった件の米国人男性の息子デレクが、父親探しを依頼してきます。ゴードンはしばらくは連絡が取れていたものの、行方不明になっていたのでした。調べていくと、彼女は、呪術師に操られているサカワ・ボーイズを利用している詐欺の真の首謀者は誰なのか、警察幹部の腐敗はあるのか、影の暗殺者は?と次々に難問にぶつかります。

 謎解きタイプのミステリでないですし、大きく派手な展開もありませんが、はじめは無関係に思われた枝葉が上手く回収され、最後の最後は納得の展開になり、たいへん面白く読了しました。また、わたしはあまり知らなかったガーナの風俗が丁寧に描写されていて、たいへん興味深いです。車を持っていない一般人はトロトロという小型の乗り合いバスが主な移動手段であるとか、公用語は英語ながら約80にも及ぶ多言語国家であるとか、街角の屋台や食堂の様々な料理(渋谷のロス・バルバドスで食べられるかも!)などの情報が盛りだくさんです。音楽はもちろんハイライフについて少し語られています。

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 あまり流行のファッションや夜遊びに興味がないエマですが、悪者(笑)やSWAT隊員に誘われる魅力的な容姿のようですし、なんと言っても有能な探偵です。本作が、2021年度のアメリカ私立探偵作家クラブ(PWA)のシェイマス賞を受賞し、ベストセラーとなったためか、すでにエマ・ジェンを主人公にした作品は、2作発表されています。

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Kwei Quartey


 またまた新作が楽しみな作家の登場となりました。





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◆山口元一("Ay hombe"担当/コロンビア)
『レアンドロ・ディアス、フアネス、エディ・サー』

 コロンビアの最新ヒットを紹介するコーナー、"Ay,Hombe"です。

「アコーディオンは、コロンビアで生まれた楽器ではないし、コロンビアのどこでも一般的な楽器というわけでもないが、バジェドゥパルのあたりではとても人気がある。おそらくアルバかキュラソーからもたらされたのだろう。第二次世界大戦中、ドイツからの輸入がストップしたが、すでにこの地にあった楽器は、地元の持ち主が注意ぶかく整備したおかげでいきのびることができた。そうした人々のうちのひとりが、レアンドロ・ディアスだった。大工の彼は、天才的な作曲家、アコーディオンの名人であるのみならず、生まれつき目がみえないのに戦争中にアコーディオンを修理することができた唯一の人物だった。こうしたフグラーレス(吟遊詩人たち)は、気の利いた小話や日常のささいな出来事を題材を歌にして、町から町へとわたりあるく人生を送った。彼らが歌う場は、宗教的なお祭りや、異端の集まりだったりしたのだが、なんといってもカーニバルのドンちゃん騒ぎだった。」(G・ガルシア・マルケス・旦敬介訳「生きて、語り伝える」新潮社・2009年より。ただし引用部分の翻訳は私。)

 RCNでレアンドロ・ディアスを主人公にしたテレノベラが始まりました。

"Leandro Díaz"

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https://www.canalrcn.com/leandro-diaz/

 バジェナートの大立て者を描いたテレノベラは、ラファエル・エスカローナアレホ・ドゥランディオメデス・ディアスに次いで4人目です。かつてのバジェナートのフグラーレス(juglares)は、アコーディオンを担いで放浪し、自らが体験したエピソードや噂話、ホラ話を歌にしながら町から町へと巡り、騒動を起こしたり騒動に巻き込まれたりしていたので、テレノベラの小ネタには事欠かないと思います。特にレアンドロの場合は目が見えなかったにもかかわらず色恋沙汰はお盛んでしたからね(ちなみに、ガルシア=マルケスの「コレラの時代の愛」の冒頭に掲げられている詩は、レアンドロが失恋して作った歌の一節です。)。3週目に突入ですが、評判は上々とのこと。

 主人公を演じるのはなんとシルベストレ・ダンゴン。ちょっとコミカルな「踊れるデブ」だった20年前ならいざ知らず、韓流というかマッチョなイケメン風で押しも押されぬ大スターになった現在のシルベストレ、レアンドロとは少しイメージが違うなあと思っていたのですが、どうしてどうして、目を閉じながら演じていると、なんとなく若い頃のレアンドロはかくやと思えてくるので不思議です。

Silvestre Dangond - Matilde Lina

https://www.youtube.com/watch?v=aOrn7elap1Y

 ただ第2話で眼が見えなかったレアンドロを父が虐待するエピソードが紹介されると、遺族から祖父(レアンドロの父)の名誉を毀損するとの抗議が起こり、既に訴訟沙汰になっています。

 もっともレアンドロの幼少期のことを知る人は既にいません。私たちができるのは彼が残した歌からインスピレーションを得ることだけです。

Leandro Díaz "En la casa de Alto Pino"

https://www.youtube.com/watch?v=phyjrpdF3sI

♪ アルトピノのその家で 初めて声が聞こえた 生まれたばかりの赤ん坊の弱々しい泣き声が
その子は家族を増やすために生まれてきた それれなのに愛しい母が感じた苦しみはいかばかりだったろう
ある晴れた日の午後 すみきった青い空の下で 隠された秘密があきらかにされた
その子は苦しみをもって生まれてきたのだ

やがて両親はその子をロス・パハレスへと連れていった その地で実を結ぶことのない芽を育てたのだった
7歳になったときに 運命に才能をみいだされた その子は近所で評判になり
やがて成長すると 感情を歌にのせて人々の魂へと届けながら 生きるようになったのだった

ラ・シエラに住んでいた頃は まだ名も知られることなく 山あいの土地でいっぱいの貧しさのなかで育った
その子は苦しみの涙を流すことを知っていたという その痛みはあまりにも大きかったので ことばで表すのは難しい
幸運に恵まれた者ほど自分がなにを持っているのか知らないものだ そして望まれていない者はより強くなる

賢明で偉大な母なる自然は その子に驚くべき知恵を授けた その子はこの世界の美しさを巧みに捉えることができたのだ
ある悲しい朝のこと その子は作曲家になった そしてその苦しみを清浄な魂で乗り越えていった
そして彼の新しい人生がはじまった それはバランケーロ(※ハチクイモドキという鳥のこと)のような豊かな人生
なぜなら今その子の歌は世界中で聞かれているのだから ♪


Juanes "Sin medir disitancias"

https://www.youtube.com/watch?v=sNs4qEGqUVA

 少し前になりますが、ディオメデス・ディアス(Diomedes Díaz)の名曲−作曲はグスタボ・グティエレス(Gustavo Gutierres)です−を取り上げたフアネス(Juanes)が、SNSで、ある種殺人の共犯だと批判されました。

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https://twitter.com/JUANES/status/1512035448406921223


 バジェナート史上最高の歌手である"ラ・フンタの頭領(El Cacique de La Junta)"が何をしたのかは、Netflixのドキュメンタリーでも取り上げられたので、興味のある方はそれぞれ調べていただくとして、私は人権侵害を擁護したり被害者救済を妨害するつもりはありませんが(芸術の名のもとに行われた構造的な暴力の問題に取り組んでもいます)、ミュージシャンの人となりを理由に作品をボイコットすべきという運動にはあまり賛同できません。なぜならば、どのような行為があれば、どこまで排斥するのか、証明はどこまで必要なのか、基準があまりにも曖昧で、攻撃対象の選択がとても恣意的に行われているからです(例えば、護憲派として知られ、多くの文学賞を受賞した有名作家は、凄まじい家庭内暴力の加害者であったことがほぼ確実であるにもかかわらず、彼の作品を排斥しようという声はまったくあがっていません。)。Netflixのドキュメンタリーに対する一部のディオメデス・マニアの攻撃は、未だ存命中の被害者遺族に対する配慮に欠けていると思いましたが、私はこれからもディオメデスの歌は楽しむことでしょう。




Eddy Saa "Deja De Tame Celando (La Celosa)"

https://www.youtube.com/watch?v=Y12t8rGhvbk

 2010年から2013年までグルーポ・ニーチェ(Grupo Níche)の歌手だったエディ・サー(Eddy Saa)の新作。1979年にボゴタで結成され、82年にカリに本拠地を構えたニーチェ、メンバーは激しく入れ替わっていますが−歌手だけで40人ぐらいになっていると思います−パシフィコ音楽は常にニーチェの音楽の底に地下水脈のように流れています。彼もその流れを担っていたことが感じられる作品です。2022年9月の発表。



では来月もよろしくね。




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◆石橋純(熱帯秘法館/CASA CACHIBACHI担当/ベネズエラ& more)
『ウーゴ・ファトルーソとウルグアイヤン・インベージョン』





ウーゴ・ファトルーソ(キーボード、パーカッション、ヴォイス)とヤヒロ・トモヒロ(パーカッション)による南米ジャズユニット《ドスオリエンタレス》が3年ぶりのツアー中である。

《ドスオリエンタレス》公式サイト
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https://www.dosori.com/

私は、これまでことごとく機会を逸していて、今回はじめてライブを聴くことができた。

Dos Orientales 2nd アルバム《Orienta》(2010年)より"Ritmo"

https://youtu.be/YuD9OTeUCKQ


1943年生まれのファトルーソは、南米を代表するサウンドクリエーターにしてキーボード奏者、そしてアフロ=ウルグアイ音楽研究家である。ドスオリの公式バイオ冒頭には「ビートルズ・スタイルのロス・シェイカーズで大成功」と音楽キャリアのはじまりについてひとことだけ触れられている。おそらく南米音楽ファンはこの細部を読み飛ばしているのではないだろうか。そう思って、この記事を書くことにした。

まず、シェイカーズの代表曲"Rompan todo" (Break it all)を聴いてみよう。

Los Shakers "Rompan todo" (1965)

https://youtu.be/D6VqPh9vP74

ビートルズのサウンドのデジャヴュ感が、初めての聴くリスナーの笑いをさそうかもしれない。だが、それはこの時代の世界標準だったのだとマインドリセットしたうえで何度も聴いてほしい。その演奏の巧みさと、曲作りのセンスの良さが浮かびあがってくるはずだ。シェイカーズは4人全員のボーカルでハモることを定番スタイルとしていた。演奏技術の高さや緻密なアンサンブルはビーチボーイズと比べられてもよいと思う。

1965年にアルゼンチンのレコード会社からリリースされ、大ヒットしたのが"Rompan todo"だった。「抱きしめたい」に相当する曲と思ってよい。おりしもビートルズが全米チャートを上位独占し、「ブリティッシュ・インベージョン」と呼ばれる現象が起ったころだ。アルゼンチンにおける隣国ウルグアイのバンドのブームは地元メディアから「invación urguaya」(ウルグアイヤン・インベージョン)と呼ばれた。冗談のような本当の話である。シェイカーズは、アルゼンチンのみならず、ラ米全土で人気を博すことになる。ビートルズ世代のラ米バンドのなかでも、シェイカーズが後続バンドにもっとも影響をあたえたといわれる。

シェイカーズはほぼ全曲自作自演をポリシーとし、わずか4年の活動、4枚の音源製作のなかで、独自の音楽的実験を進めていった。3枚目のアルバム《Shakers for you》(1966年)は、ビートルズでいえば《リヴォルヴァー》に相当する作品で、音楽的実験に漕ぎ出したアルバムだ。ボサノヴァやサイケデリックな作品も試みている。私が好きなのはビーチボーイズを彷彿とさせる《El niño y yo(少年と僕)》だ。


Los Shakers 《Shakers for you》(1966年)
El niño y yo



https://youtu.be/DOktAfdjLgU


最後のアルバムとなる《La conferencia secreta del Toto's bar》はシェイカーズの《サージェントペッパース》ともいえ、ジャズ、ロック、ラテンアメリカ音楽の融合を試み、南米のロックとしてのオリジナリティを前面に打ち出した。このアルバムでファトルーソ達は、早くもアフロ・ウルグアイの太鼓楽であるカンドンベならびにタンゴとロックのフュージョンを録音している。


Los Shakers 《La conferencia secreta del Toto's bar 》(1968年)より"Camdombe"

https://youtu.be/fUkG886z--k



栴檀は二葉より芳し。ウーゴ・ファトルーソ先生がラ米現代ポピュラー音楽の先駆者としていかに偉大な存在であるか、感じ取っていただけただろうか。

だが、しかし。シェイカーズは「ロック・エン・エスパニョール=スペイン語のロック」の先駆者とは見なされてない。なぜか? それは彼らが英語で歌っていたからなのだ。その後スペイン語による独自の詩的世界を信条として発展していく「ロック・エン・エスパニョール」。その始祖の称号を得たのは、アルゼンチンのバンド《ロス・ガトス》であり、ガトスの1967年のヒット曲"La balsa"(筏)が「ロック・エン・エスパニョール第1号」としてその名を歴史に刻んだのだ。「筏に乗って漂流したい」と叫ぶ若者の鬱屈した心情を歌ったこの曲は、大きな社会現象となった。「漂流族 náufragos」は、アルゼンチン流ヒッピーを意味する流行語にさえなった。

「ロック・エン・エスパニョール」の扉を開いたLos Gatosの"La Balsa"

https://www.youtube.com/watch?v=_3GEDTajUNU


南米独自のロックを創造したシェイカーズはなぜウルグアイから出てきたのだろうか。その彼らはなぜスペイン語で歌うという発想を持たなかったのか? いまや唯一存命のシェイカーズ創立メンバーとなったウーゴ・ファトルーソ先生から、その理由を聞き出してみたいものである。




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◆長嶺修(猫の目雑記帳担当/スペイン & MORE)
『新作/新録:Roxana Amed〜Tiago Iorc〜Anat Cohen』



★「変わり種(ネタ)」を仕込んでおりましたが、現時点でまとめきれず、今回はごく簡単ながら、無難に新作/新録紹介といたします(リリース日程的に先取りになってしまっていたりしますが、ご容赦を)。

まずは、米国(マイアミ)を拠点に活動するアルゼンチン(ブエノスアイレス)生まれのシンガー、ロクサーナ・アメード(Roxana Amed:ここでのカタカナ表記は、スペイン国営ラジオの番組パーソナリティによる発音に準じました)による『ウナニメ』。昨年の『オントロジー』に次ぐアルバム(8作目)です。静止画+音声となりますが、ユーチューブから収録曲を3曲ほどピックアップ。

*「ロス・トレス・ゴルペス」

https://youtu.be/nNxjfSe0Zqk

キューバを代表する作曲家の一人、イグナシオ・セルバンテス(1847-1905)のお馴染み曲。本作には1曲を除き曲毎にフィーチャリング・ゲストが配されていますが、ここでのゲストは御大チューチョ・バルデス。


*「フラメンコ・スケッチ」

https://youtu.be/f53uhL9qVa8

*マイルス・デイヴィス&ビル・エヴァンスのナンバーに、フィーチャリング・ゲストはフラメンコ・ギタリストにして、フェルナド・トルエバ&ハビエル・リモンのプロデュースによるビル・エヴァンス・トリビュート作『パス』(愛聴盤です)のリリースなどもあるニーニョ・ホセレという取り合わせで。


*「水とワイン」

https://youtu.be/4Gj9hy_TW18

*エグベルト・ジスモンチの初期名曲。フィーチャリング・ゲストはブラジル人ジャズ系ギタリストのシコ・ピニェイロ。



★ブラジルからは、人気シンガー・ソングライターのチアーゴ・イオルク(Tiago Iorc)が今年6月に収録した動画がアップされているので、そちらを。昨年11月に飛行機事故で亡くなったセルタネージャ系歌手マリリア・メンドンサへのオマージュ。彼女の曲「シウメイラ」を、しんみりした感じの弾き語りでカヴァーしてます。

CIUMEIRA por tiago iorc

https://youtu.be/sPAHeAyWqeo


★マリリア・メンドンサによるヴァージョン。

https://youtu.be/KbRtA_brCQ0

★ジスモンチといえば、在米(ニューヨーク)イスラエル人クラリネット奏者で、ブラジルをはじめキューバの曲などもかねてより取り上げてきているアナット・コーエン(Anat Cohen)の新作『クアルテチーニョ』には、ジスモンチ作の2曲やジョビンのナンバーなんかも収められているので、その中からジスモンチ作「フレヴォ」を。

Frevo

https://youtu.be/MboFKxSYyE0


★同作からは、彼女のオリジナル「ルイジアナ」も“ガンボな”仕上がりでなかなか良かったので、こちらのリンクも貼って、今回はこれにて。
Anat Cohen Quartetinho – Louisiana

https://youtu.be/kJBAh69tt0c






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◆水口良樹(ペルー四方山語り担当/ペルー)
『ニナ・ウマ(アンドレア・アレナス)』




ニナ・ウマ(アンドレア・アレナス)は、2007年よりボリビアの首都ラパスの外縁都市エル・アルトを拠点に社会的メッセージを先住民言語であるアイマラ語のヒップホップ(当人は単にラップと呼ぶことも多い)で発信し続けているラッパーでありアクティビストだ。ニナとはアイマラ語で火、ウマは水である。彼女は、植民地主義が今なお色濃く残り、搾取と疎外によっていないことにされているボリビア民衆の声を、自分自身の内なる視点から語ることにこだわり、違う社会の在り方、よりよい社会の可能性を一緒に考えていくために自分は発信し続けるのだと語る。2014年にはアルバム『チャマ・チャマ』を発表している。

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彼女の歌を聴いていると、独立以前のボリビア最大の先住民叛乱であったトゥパク・カタリとその妻バルトリナ・シサの存在がいかに今なおアイマラの人々にとって大きな存在であるかということを改めて強く感じさせられる。まつろわぬ民として今なお社会闘争の中で差別や搾取と闘いつづけている民族の力というものを考えさせられる歌手だ。

彼女が歌手となったきっかけには、彼女の配偶者であったアブラーム・ボホルケスの存在が大きい。アブラームは、ボリビアにおいてアンデスラップ、もしくはアイマラ語ラップのパイオニアとしてウカマウ・イ・ケというバンドで活動していた。このバンド自体も非常に反権力、反資本主義、差別との闘争を掲げた曲作りをして活動していたバンドで、2007年の彼女の初めての作品ももともとアブラームの依頼で彼のために作曲したのが自身が歌うことになったというものであった。(アブラーム・ボホルケスは2009年に交通事故で亡くなっている。彼のバンド、ウカマウ・イ・ケは今も活動を継続している)

音楽もいわゆるヒップホップ的なものに囚われないものになっている。ボリビアの「フォルクローレ」やケチュア語の歌謡などとコラボレーションしながら、さまざまなスタイルで発信し続けている。特にケチュアやアイマラの歌謡とのコラボは彼女の大きな特徴の一つで、対話のように歌とラップの応答の形が彼女自身の表現形式に昇華しているのではないかとも思う。コロナがきっかけでブラジルやモザンビークなどとのコラボレーションもしている。

今回はそんな彼女の曲を年代順に何曲か紹介したい。

"Madre naturaleza" (2010)

https://www.youtube.com/watch?v=YDV2VR6zJE4


"Illa Awicha" (2014)

https://www.youtube.com/watch?v=qpZWqNVZO2k


"Nadie nos calla" (2018)

https://www.youtube.com/watch?v=89Akzy5GdgQ


"Ajayus" (Nina Uma y Elvira Espejo) (2020)


https://www.youtube.com/watch?v=X1w9qWhnLis



"Uywiri" (2021)

https://www.youtube.com/watch?v=souy_zr0rx8


最後に、まだアブラーム・ボホルケスが活動してた頃のウカマウ・イ・ケの作品も紹介しておわりとしたい。

Ukamau y Ke "Medios mentirosos" (2008)

https://www.youtube.com/watch?v=5a0KliA7S1I





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◆岡本郁生(ラテン横丁・USA LATIN & MORE)
『AOR×ラテン』



かつて某FM局で同じ番組を担当していた仲で、今ではAOR評論家/音楽プロデューサー/レーベルオーナーとして大活躍中の中田利樹さんからお声がかかり、中田さんがスーパーバイザーをつとめるムック『AOR AGE』Vol.26の「AOR×ラテン」特集のお手伝いをいたしました。

AOR.jpg
https://www.shinko-music.co.jp/item/pid165224x/

実際、ラテン・ポップはロサンゼルス録音なども多く、一流のスタジオ・ミュージシャンが参加したサウンドは、もう、まさにAORといえる仕上がりとなっているものも多い。しかし、歌詞がスペイン語だという理由だけで、それはAORファンの視界からは消えてしまうことになるし、また逆に、ラテン側からすると、それはあくまでもラテン作品であって、AORなんていうカテゴリーからはほど遠いものと見なされるわけなのだ。

だが、そこにAORという視点を加えると、あら不思議、同じものが、ぜんぜん別のものに見えてくる(聞こえてくる)じゃ〜あ〜りませんか〜(古!)というのが、この特集の趣旨だろう。

AOR=Adult Oriented Rockとは何か? AORサウンドの定義は? ……といったことをいい始めるとなかなか難しく、かつ曖昧な部分も多いのだが、要は、“極上のポップス”と考えれば、ラテンにもAOR的な要素はふんだんに存在すると納得できるのでは?

今回このムックでは、主に、いわゆるAORのアーティストによる楽曲のカバー、あるいは、AORを支えるスタッフ(プロデューサー、スタジオ・ミュージシャンなど)が関わったラテン作品を中心に選ばれているが、もし、その気になれば、この範囲は、もっともっと広げることができるのではないだろうか。

その中で例えば、メキシコのスーパー・スター、ルイス・ミゲル。
1991年に発表され、90年代に復活したボレロ・ブームを牽引することになったアルバムが『ロマンセ』だ。
豪華なオーケストラを従えてラテン・スタンダードを歌い上げるという名盤で、当時20歳そこそこだったルイスが、それまでのアイドルのイメージを一新、大人の歌手へとなるきっかけとなった記念碑的な作品である。
この贅沢なサウンド、そして、じっくりと歌いこむ歌声。これもある意味、AORといえるかもしれない。

Luis Miguel - "No Sé Tú"

https://www.youtube.com/watch?v=T_oE3qkbo5s

Luis Miguel Romance

https://www.youtube.com/watch?v=R4dVaH3ARU4


また、ルイスが同時期にリリースしたポップ・アルバム『アリエス』では、まさにAORの権化(?)ともいうべきデヴィッド・フォスターがプロデュースに関わり、ロビー・ブキャナン(kb)、ハーヴィー・メイソン(ds)、ジョン・ロビンソン(ds)、マイケル・ランドー(b)、ポール・ジャクソンJr.(b)などなど数多くの有名スタジオ・ミュージシャンたちが名を連ねているほか、タワー・オブ・パワーが参加している曲もある。

Luis Miguel - Que nivel de mujer

https://www.youtube.com/watch?v=7LQK_2b-qs0


このほか、まさに“青春ポップ”といいたい「Suave」とか……

Luis Miguel - "Suave"

https://youtu.be/ksoI-1X9sr4

Luis Miguel - "Hasta Que Me Olvides"

さらに、フアン・ルイス・ゲーラが提供した「Hasta Que Me Olvides」も収録。
https://www.youtube.com/watch?v=Tsh1zTv_zAs

ヴァラエティに溢れ、うきうきワクワクさせられる、ゴキゲンな内容なアルバムなのだ。

もちろん、ルイス・ミゲルだけでなく、AOR的な要素を見出すことができるラテン音楽は、ほかにもいくらでもある。

ジャンルにとらわれずに……とは昔からよくいわれることだが、“ジャンル”はやはりなかなかやっかいなもので、一度ジャンル分けされてしまうと、どうしても固定観念がついてしまうもの。その観念のすき間にあるもの、こぼれ落ちてしまっているものにしっかり目を向けてみるのが大事だな〜と、改めて感じています。





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◆宮田信(DANCE TO MY MAMBO担当/USA+MEXICO)
『East Side San Jose “Back In The Day In ESSJ”』


35年前ぐらい前だろうか、80年代中盤、サンホゼをウロウロしていたらパチューコ風の格好をした若者と出会ったことがある。何故か意気投合して彼らの家に遊びに行くと、一軒家に溢れるほど同年代の若者たちが寝泊まりをしていた。不法滞在を続けながら働くメキシコ人たちの集団だった。遥か故郷から何とか国境を越え、カリフォルニアの田舎町で汗を流す彼らの境遇に想いを馳せると、学生という身分の呑気な自分が恥ずかしくなる思いだった。

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サンホセの北東部にサル・シ・プエデス(出て行きな、もし可能なら!)という昔から続くバリオがある、そこを中心にして幾つかの地区を纏めた地域が中南米系居住区、イースト・サイド・サンホゼである。このアルバムは、周辺で育ったアコーディオン奏者でプロデューサーのアイヴァン・フローレスが中心になって作成した新録。クンビア、ラテン・ポップス、ラテン・ソウル、ファンク、そしてソンハローチョまでまさに多種多彩な楽しい演奏が収められたが、80〜90年代に週末のバリオで鳴り響いていた雰囲気を再現したかったという。アイヴァンは、当時、多くのラティーノの若者が入れ込んだメタルなどにも心酔しながら、ローライダーのオールディーズ、労働者たちの生活に寄り添ったノルテーニョの大スター、ロス・ティグレス・デル・ノルテ、また東海岸から進出してきたファニアのサルサなどに囲まれていたという。

昨年11月に久しぶりにイースト・サイド・サンホゼを訪れたが、その際にアイヴァンがクルマのなかで聞かせてくれたデモを聴いて余りに素晴らしく、配信だけではもったいないと、日本オンリーでCDを販売させてもらうことになった。出来上がった曲には、チカーノ・ソウルの王様、サニー・オスーナ、クンビアの人気歌姫たちマリポサス・デル・アルマ、クィアで作家・詩人のジョシマル・レイエス、ソンハローチョの旗手であるパトリア・イダルゴなど錚々たる面子が参加。

「あの若者たちはどうなったのだろう?」35年前のサンホゼへタイムスリップしてしまうのだ。




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◆佐藤由美(GO! アデントロ!/南米、ブラジル & more)
『アストル・ピアソラ没後30周年トリビュート公演』




 全曲ピアソラ作品(※10/2公演のみスタンダードナンバーも織り交ぜていた模様)。ピアソラ没後によく知られるところとなった有名曲のみならず、1950年代前半に作られた「輝くばかりにPara lucirse」「コントラティエンポContratiempo」「来たるべきものLo que vendra」を配した通好みの選曲。この日のためにアルゼンチンから来日した現役世代が誇るマエストロ級精鋭メンバー4名、女性歌手と話題のダンスカップル。元宝塚歌劇団トップスターらの歌とダンスに、軽妙トークで彩られた華麗な舞台。ゲスト・アーティスト(日替わりで大空ゆうひ、水夏希、夢咲ねね、真琴つばさ、藤本隆宏が出演)目当てで駆けつけたファンも多かろうが、そんな観客の耳目をばっちりつかんでしまったのはフェデリコ・ペレイロ・クアルテートの格調高くも感動的な演奏だった。

 晩年のピアソラ・キンテートの象徴だったパブロ・シーグレルのスタイルを見事に脱却した(?)、エミリアーノ・グレコ奏でる「アディオス・ノニーノ」の絶品カデンツァ。独創的なソロを自在に繰り出す、フアン・パブロ・ナバーロのコントラバスが光る「コントラバヘアンド」に「キチョ」。淡麗アントニオ・アグリや濃厚フェルナンド・スアレス・パスの音色とも違う、柔らかな美音を随所に響かせうっとりさせてくれたのは、ラミーロ・ガージョの秀逸なバイオリン。ソリストとしては少々控えめに映るものの、名手たちを篤い信頼で巧みに束ね魅力を惹き出す優れたリーダー&バンドネオン奏者のフェデリコ・ペレイロ。快演に対する共感と敬意のあまり拍手鳴りやまず……という終幕シーンを久しぶりに見届けられて、思わず胸が熱くなった。

 小生が鑑賞したのは10月1日夜公演。四重奏を讃え、帰国を惜しみながら涙ぐんでしまった真琴つばさ。3年半前に自身のショー『Gran Tanto』でタッグを組み、翌年ブエノスアイレス録音まで果たした水夏希の軽やかなトークを通し、四重奏との関係性が客席にうまく伝わったのも功を奏したのだろう。

 彼らの前回の来日が2019年3月末……水夏希とのショー(イイノホールでの3日間5公演)をつつがなく終えた翌晩、フェデリコ・ペレイロ・クアルテートは晴れたら空に豆まいてで初の単独ライヴを行った。歌やダンス抜きの純然たる演奏で、たっぷり2ステージ……昨今訪日してそんな機会も滅多にないから、ライヴに臨むメンバーの気概にも並々ならぬものがあったはず。とにかく素晴らしかった! 今回の新レギュラー(※コントラバスのみ交替)による四重奏で、また単独の完全インスト・ライヴを体験したかったなぁ。なんせ、ブエノスアイレスでは各人が自らの名を冠する楽団やオーケストラのリーダー格、第一線で活躍するマエストロ揃い。地元でこんな顔合わせは、そうそう実現できないらしい。でも、また感動の場をぜひともお願いします!

ちなみにコロナ禍直前の2020年2月、水夏希&フェデリコ・ペレイロ・クアルテートはブエノスアイレスで録音。CD『NATSUKI MIZU EN BUENOS AIRES』として発売された(※バンドネオン奏者で国宝級重鎮のビクトル・ラバジェン、スター歌手ギジェルモ・フェルナンデス、バイオリン奏者エリカ・ディ・サルボがゲスト参加)。首都の人気ライヴハウスCafé Viniloで先行お披露目ライヴを開催し、大盛況だったという。

ピアソラ・トリビュート公演チラシ表.jpg

ピアソラ・トリビュート公演チラシ裏.jpg

〈9月30日夜、10月1日昼・夜、10月2日昼・夜@東京 イイノホール〉 出演☆フェデリコ・ペレイロ・クアルテート=フェデリコ・ペレイロ(バンドネオン)、ラミーロ・ガージョ(バイオリン)、エミリアーノ・グレコ(ピアノ)、フアン・パブロ・ナバーロ(コントラバス) ☆フェルナンド・ロドリゲス(振付・ダンス)&エステファニア・ゴメス(ダンス)、セシリア・カサード(歌)
☆ゲスト・アーティスト:大空ゆうひ(歌)、水夏希(歌・ダンス)、夢咲ねね(歌)、真琴つばさ(歌)、藤本隆宏(歌・スペシャルショーMC)
☆ダンサー:クリスティアン・ロペス、ダビッド・アントニオ・レギサモン、エマヌエル・ドス・レイス、美翔かずき、村野みり


 今回の公演を収録したDVDが11月末完成の予定。既発表の四重奏の映像が見つからないので、八重奏による古典タンゴ2曲をご紹介しておく。フェデリコ・ペレイロ、ラミーロ・ガージョ、エミリアーノ・グレコ、2019年来日時の四重奏に参加していたコントラバスのパトリシオ・コテーラ、バイオリンのエリカ・ディ・サルボの姿も見える。全メンバーのクレジットは最終画面にあり。



https://www.youtube.com/watch?v=W41ZNxl2tcg
フェデリコ・ペレイロ八重奏「ラ・カチーラ」


https://www.youtube.com/watch?v=FPC3qR15Y1s
フェデリコ・ペレイロ八重奏「黒い花」




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◆高橋政資(ハッピー通信担当/キューバ、ペルー、スペイン)
『メルセディータス・バルデース=ラ・ペケーニャ・アチェ・デ・クーバとアフロ・クバニスモ』




 歌手の岸のりこさんにお誘いを受け、不定期に行ってきた『のりことドスリブのライブ&トーク(旧 フィーリン、ボレロ、そしておしゃべり)』の1部トーク・パート。久しぶりに9月24日、下北沢ボデギータで行われ、のりこさんのリクエストでメルセディータス・バルデース(Merceditas Valdés)を深掘りしてみた。なんでも、のりこさんがキューバに住んで音楽活動を続けていた1980年代後半から1990年代に掛け、個人的にも交流があったそうだ。このトークのために調べた知ったことなども盛り込みつつ、メルセディータス・バルデースと彼女の関わったアフロ・クバニスモのこともまとめてみたいと思う。

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(メルセディータス・バルデース)

 メルセディータス・バルデースは、サンテリーアのプリミティヴな歌から、ルンバ、カントス・デ・クーナ(キューバの子守唄。多くはサルスエラなどの劇中で、アフリカ系の使用人が歌うものとして、アフロ色を強調して作られたもの)、さらにグアラーチャやソン、ボレロなどのポピュラー音楽一般まで、幅広いレパートリーを歌った女性歌手だ。



https://youtu.be/x55jCZxqS3o
サンテリーアのYemaya



https://youtu.be/oamdymN_M5s
Roman diaz with Yoruba Andabo and Merceditas Valdes
(晩年、共演することが多かったヨルバ・アンダーボとの共演でルンバを歌うメルセディータス)



https://youtu.be/u7XXKDTiaC0
カントス・デ・クーナの代表曲 Drume Negrita



https://youtu.be/EUEkwnuHME4
Merceditas Valdés Orquesta Cubana De Música Moderna - Muriéndome De Risa
オルケスタ・クバーナ・ムシカ・モデルナをバックに


 彼女は、フェルナンド・オルティスによって、" La Pequeña Aché de Cuba(ラ・ペケーニャ・アチェ・デ・クーバ) "とも呼ばれた、アフロ系文化を芸能の表舞台に引き上げた中心人物の一人といわれている。Achéとは、アフロ系文化のサンテリーアで使われる言葉で、なかなか一言で表す日本語がないが、人間の「根源的な力」「徳」といったエネルギーのようなもの。また、ペケーニャは小さいという意味で、実際メルセディータス・バルデースは、かなり小柄だったようだ。

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(フェルナンド・オルティスとメルセディータス・バルデース)


 このような最高の賛辞をフェルナンド・オルティスから与えられたのは、彼のアフロ・キューバ文化研究に、その知識で多大な貢献をしたからだ。フェルナンド・オルティスについては、「今月のお気に入り!2022年6月号」の長嶺修氏の『平野千果子『人種主義の歴史』』の中で、工藤多香子氏による論文を紹介しながら、初期の負の面にも触れながら紹介しているので、ぜひ読んでいただきたい。

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http://elpop.jp/article/189603799.html


 メルセディータス・バルデースのプロフィールは、EcuRedに詳しく書かれているので、その中から抜粋してご紹介しよう。

<プロフィール>
 1928年9月24日、特にアフリカ系音楽の伝統で有名な、セントロ・アバナの北西のカヨ・ウエソ地区(現在のカジェホン・デ・ハメル、フィーリン発祥のアンヘル・ディアスの家が在ったあたり)で生まれた。

 父親は、ソンのセプテート・ナシオナルのリーダーで、ルンベーロでもあったイグナシオ・ピニェイロが率いるルンバ・グループ「ロス・ロンコス」というグループに所属していた。したがって、彼女の周りには日常的にルンバがあり、カビルド・デ・レグラ(聖人ジャマヤを祝うお祭り)などがあったのだった。また、ヘスス・ペレス、トリニダー・トレグロサといったヨルバ系アフロ・キューバンの伝説的実践者、サンテーロ〜バタ奏者、歌い手に、歌などのアフロルーツ音楽全般を教わった。

 女学校時代から頭角を現し、ラジオ局CMQの番組「La Corte Suprema del Art」(芸術の最高裁判所)という番組に出演。また、マルガリータ・レクオーナ作「Babalú」、エルネスト・レクオーナ作「La negra Merced」、「El churrero」で、芸術監督協会(Corte Suprema del Arte)で1位を獲得。

 プロとしてのキャリアは、最初ラジオ・カデナ・スアリートスで、オブドゥリオ・モラレスの指揮するオーケストラと、トリニダー・トレグロサの率いるパーカッション奏者たちの演奏をバックに、プロとしてのキャリアをスタートさせた。このラジオ・カデナ・スアリートスでは、ラジオ局で初めて放送されたヨルバ音楽番組を担当。

 1944年、キューバの民族学者フェルナンド・オルティスは、彼女を「生きた民族誌の資料」と呼び、彼の講義や研究の実演を担当するよう依頼。

 1951年、作曲家でオーケストラ指揮者のエンリケ・ゴンサーレス・マンティシ(ヴァイオリニスト、作曲家、1959年結成のキューバ国立オーケストラの初代指揮者)は、CMQラジオで放送された番組「Rapsodia negra」を制作・演出し、メルセディータスス・バルデースを主役に抜擢。1954年、フェルナンド・オルティスは、ハバナ大学で彼女を太鼓歌で紹介し、また彼女の実演を伴った講演で全国を巡回した。同年、U.S.A.カーネギーホールで作曲家ヒルベルト・バルデースの指揮する80人のオーケストラと共演し、彼の作品「オゲレ」と「ベンベ」を演じた。また、彼女は、音楽学者で作曲家のアルヘリエレス・レオンとも仕事をした。

 また同時に、クラブやキャバレーでのショーもこなし、キャバレー・トロピカーナでは、ナット・キング・コール、サラ・ヴォーンといった歌手、ロイ・ヘインズ(ドラマー)、ジミー・ジョーンズ(ピアニスト)、リチャード・デイビス(ベース)と共に演奏もした。

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(左から、トリニダー・トレグロサ、ナット・キング・コール、メルセディータス・バルデース)


 キャバレー、サン・スーシでは、ジョニー・マティスと、ショー「スン・スン・ダンバ・エ(Zun zun Dan BaéもしくはZun zun Babaé」に参加。この演目では、ミゲリート・バルデス楽団とロドニーによる振り付けで、アメリカのラスベガスのフラミンゴ・ホテルで、その後ニューヨークのカーネギーホールで公演を行った。その後、グロリア・マタンセーラ・アンサンブルと共にU.S.A.をツアー。

 ヨルバ・アンダーボ、ロス・アミーゴス、作曲家でギタリストのセルヒオ・ビティエールが率いるORUのメンバーとして、1988年にスペインとカナダをツアー。

 1993年、カナダのサックス奏者、ジェーン・バネットのアルバム『Spirits of Havana』でカナダ・レコード芸術科学アカデミー(CARAS)からジュノ賞を受賞、1996年にはハバナの国立劇場で行われた式典で、ユネスコからピカソ金メダルと功労賞のディプロマが授与された。
<以上、プロフィール>


 プロフィールに登場した、トリニダー・トレグロサとヘスス・ペレスは、どちらもアフロ・キューバ音楽に精通しヨルバ系宗教の専門家で、伝説的な、バタ・ドラムをはじめとしたパーカッション奏者だ。

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(トリニダー・トレグロサ)

 トリニダー・トレグロサは、フェルナンド・オルティスが1920年代から生涯を通じて一緒に仕事をした最初のアフロ系キューバ人で、1940年代には、オブドゥリオ・モラレスやリタ・モンタネールにオリーシャの歌をショーに取り入れるように助言。1950年代には、フォルクロリコのグループのメンバーとして、キャバレー・トロピカーナやサン・スーシでのショーやレヴュー、ラジオやテレビ番組にも出演した。コンフント・フォルクロリコ・ナシオナル・デ・クーバの前身となるグループを組織もしたらしい。

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(ヘスス・ペレス)

 ヘスス・ペレスは、1936年、フェルナンド・オルティスのヨルバ音楽に関する最初の講義(イスパノ・クバーナ文化協会主催)で、バタを演奏した一人だそうだ。また、ハバナ大学で、パブロ・ロシェ、アグエド・モラレスとともに、バタ・ドラムによる初の公開演奏会を開催。このとき初めて、この太鼓が宗教とは関係のないところで演奏されたのだそうだ。

 どちらも、メルセディータス・バルデースとともに、フェルナンド・オルティスのアフロ・キューバ研究を、アフロ系文化の直接の継承者側として支えた人たちということができる。

 一方、オブドゥリオ・モラレス、ヒルベルト・バルデースは、どちらも西洋の音楽教育を正式に受け、アフロ系の音楽を積極的に取り入れながら、舞台音楽やクラシック系の作品を残した作曲家。アフロ・クバニスモ運動を音楽の面から実践したエルネスト・レクオーナ、エリセオ・グレネー、ゴンサロ・ロイグ、モイセス・シモンなどより少し若く、アフロ・クバニスモの第2世代ともいえる人たちだ。前の世代が、当時独裁色を強めていたヘラルド・マチャード政権(1925年〜1933年)から目をつけられ、何人かはヨーロッパ(主にフランス)やU.S.A.への亡命を余儀なくされたこともあり、キューバ国内で、この運動を引き継ぎ、担った人たちでもある。

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(オブドゥリオ・モラレス)

 オブドゥリオ・モラレスは、1926年という早い時期に、初めてアフリカ系太鼓や歌、黒人儀式の踊りを取り入れたショーを演出したそうで、その舞台には、あの伝説のパーカッショニスト、チャノ・ポソもいた、とするネット情報もある。また、コロ・フォルクロリコ・デ・クーバの創設者で、このグループには、メルセディータス・バルデース、カンディータ・バティスタ、シオマラ・アルファーロ、セリア・クルース、アルフレッド・レオンなど、のちにソリストとして活躍する歌手が在籍していたという。さらに、1943年、ラジオ局「ラディオ・カデナ・スアリートス」の総合音楽ディレクターとして任命され、キューバのラジオで初めて、ヨルバやルクミ由来の歌やサンテリーアを使った番組を企画、監督したそうだ。そして、1950年代終わりには、古くからのキューバ音楽ファンにはお馴染みのアントバルズ・キューバン・オーケストラの音楽ディレクターを務めた。

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(ヒルベルト・バルデース)

 一方のヒルベルト・バルデースは、アレッホ・カルペンティエールから「Gershwin criollo」と称賛された作曲家、指揮者で、ラジオ局CMCFのアフロ・キューバ音楽の普及を目的とした番組「Sensemayá」に出演。1930年代に、アフリカの言語で歌われる部分を多く含む作品を初めて作曲し、アフロ・キューバの宗教曲の歌や音楽をオーケストラ作品に取り入れたり、サンテリーア音楽の演奏者を初めてシンフォニック・アンサンブルに取り入れたりした。後年は、U.S.A.に拠点を移し、ニューヨークで最初のチャランガ形式のオーケストラを設立したりもした。また、フェルナンド・オルティスの民俗音楽の研究における協力者でもあったそうだ。


 このように、1930年代から1950年代という時代は、キューバ・ポピュラー音楽にアフロという要素が急速に浸透していった時期ということが出来そうだ。もちろん、その前の時代からヨーロッパ系音楽とアフロ系音楽は交わり、ダンソン〜ダンソネーテ、ソンなどのポピュラー音楽は生まれていたが、フォークロアなアフロ系楽器(特にタイコ)が、そのまま使われてはいなかったし、アフリカにルーツを持つ言葉なども使われていなかった。しかし、1930年代以降は見てきたように、アフロ系にルーツを持ち、その文化を伝えてきた人々の音楽文化が、ある程度そのままの形で取り入れられ始めたといえるだろう。

 そこには、フォークロアな音楽家とクラシック音楽など西洋的表現に身を置く音楽家、そしてその結びつきを精神的に支えた研究者という3者が交流して推進された、というのはとても興味深いことだと思う。そして、メルセディータス・バルデースは、その3者の橋渡し役として、活躍したということだろう。こんな先達たちの活動がなかったら、イラケレもレベ・イ・ス・チャランゴンも出現していなかったかもしれない。


 今回いろいろ調べていたら、1957年に発表された、興味深い『Yambaó』という映画を見つけることが出来た。いわゆる “ルンベーラ映画” で、主演は、このジャンルの大スター、キューバ女優ニノン・セビージャ。メキシコとキューバの合作で、物語の舞台は1850年のキューバの砂糖プランテーション。その平穏な農場で太鼓の音と共に起こる奇怪な出来事、というオカルトちっくな物語だが、全編にわたって黒人奴隷たちによる、バタ・ドラムを始めとしたパーカッション・アンサンブルやコール・アンド・リスポンスやダンスのシーンが挟まれているのだ。1957年と言うと、パナルト・レーベルから、メルセディータス・バルデース、セリア・クルース、カリダ・スアレスという3人の女性歌手をフィーチャーして『Santero (Afro-Cuban Cult Music)』という名盤が発表された年だ。このアルバムもフォークロアの記録としての録音では無く、エンターテイメントとしてのサンテリーアの多分最初の録音だと思われるが、こんな娯楽映画でもサンテリーアなどがモチーフとして使われているのは、興味深い。


https://youtu.be/rcQb6Q6oKpI
Yambaó

 監督は、メキシコのアルフレド B・クレベンナ。音楽監督はオブドゥリオ・モラレスが、振り付けはロドネイが務めている。音楽関係の出演者は、オルガ・ギジョー、パウリーナ・アルバレス、ハイチ出身でキューバで亡くなったマーサ・ジャン・クロード、キューバのスキャット・ヴォーカリスト、ダンディ・クロウフォルド、そしてメルセディータス・バルデースも出演している。クレジットには出ていないが、トリニダー・トレグロサも出ているらしい。

 キューバのアフロ文化に詳しい方なら、ちょっと驚くのが、7: 47あたりのニノン・セビージャの登場シーン。なんと、バタ・ドラムを叩いているのだ。元来、バタ・ドラムは女性は演奏するどころか触れるのも許されていないのだ。当然識者がたくさん関わっているので、そんなことを知らないわけもないのだが、多分ここで使われているバタ・ドラムは、宗教儀式で使われるものとは違う、魂を入れていないドラム、という了解のもと使用されたのだと思う。今ポピュラー音楽で使われているのも、当然魂は入っていないものなのだろう。そんな、悪くいえば曖昧でご都合主義、良く言えば融通の利く、そんな度量の大きさこそ、芸能やポピュラー音楽というものの本質であり、豊かにしていく要素なのではないかと、改めて思わせてくれるシーンだ。

 なお、“ルンベーラ映画” については、『eLPop今月のお気に入り!2021年10月』で、『メキシコ映画黄金時代の「ルンベーラ・フィルム」に見るキューバ音楽』という記事を描いたので、参照していただきたい。
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http://elpop.jp/article/189114623.html


 長くなってしまったが、最後にメルセディータス・バルデースの旦那様で、キューバ・ポピュラー音楽界屈指のドラマーでティンバレス奏者のギジェルモ・バレートが、オルケスタ・クバーナ・ムシカ・モデルナで、後のイラケレの設立メンバーの1人であるドラマー、エンリーケ・プラーとドラム合戦をしている動画を見ていただこう。


https://youtu.be/Ob7QywbhXP8
Duelo de baterías - GUILLERMO BARRETO y ENRIQUE PLA - 1967




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◆伊藤嘉章(カリブ熱中症担当/カリブ諸島+カリブ沿岸)
『エル・メディコ、パトリア・イ・ラ・ビダ、パベル・ウルキサ』




筆者がカリブ・中南米とアフリカの音でDJを楽しんでいる『カリバフリカ/CARIBAFRICA』という定期イベントがある。そのクルーの一人Miyaが新たな企画として「CARIBAFRICA Film & Music Collection 2022」という試みを開始した。日本未上映のカリブ・中南米・アフリカの音楽映画に日本語字幕を付けて上映しようというものだ。

既に9月と10月初にレゲトンの歴史を描いた映画『ストレイト・アウタ・プエルトリコ』(2007)を上映し、10/23にはジャマイカのメント〜スカ〜ロックステディからレゲエと発展する流れを描いた作品『ディープルーツミュージック』へと進んでいる。

第3弾はキューバのレゲトン="クバトン"を軸にしたドキュメンタリー映画『エル・メディコ〜ザ・クバトン・ストーリー』を11/5(日)に上映する。少しご紹介しながら、頭に浮かんだことをとりとめないが書いてみる。

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『エル・メディコ〜ザ・クバトン・ストーリー』は2000年初にプエルトリコ発で米国から中南米で爆発的な人気となったレゲトンが、キューバにも伝わりクバトンとして広がりを見せるようになった時期のもの。

サンティアゴ・デ・クーバのシエラマエストラ付近で医師をしながら、レゲトンアーティストとして活動するレニエル="エル メディコ"。そこへスウェーデン人のプロデューサー兼アーティストのミシェルが訪れ作品を録音することとなったが…。歌を歌いたい、世界で活躍したい、母親の期待、自由な2つの職業両立への困難なキューバ、個人の夢と体制の枷、などとの衝突を経てレニエルが選んだものとは…︎という現実を記録した作品。
N.Y ラテンフィルムフェスティバルでベストドキュメンタリー賞(2012)を獲得している。

Teaser El Medico The Cubaton Story


上映前なのでネタバレは控えるが、音楽を物語のテーマにしながら、内では革命から60年を経た社会での革命世代と今の世代の違いを、外との関係では社会主義/共産主義と資本主義の考え方・文化の違いも浮き上がる。異なる軸が混在し進行するキューバの現実での葛藤や問題も感じる事が出来るだろう。

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この映画を見て思い出したのは昨年2月にYouTubeにアップされたキューバのアーティスト達による作品「Patria y Vida(祖国と命)」だった。
キューバの歴史を知っている人はこのタイトルにピンと来るだろう。

1960年3月4日の「ラ・クーブル号事件」の犠牲者の葬儀の場でフィデル・カストロが演説を締めくくったフレーズの事だ。それ以来フィデルやチェ、ラウルのみならず政府の高官が公式な演説を締めくくるスローガンとなった「Patria o Muerte(祖国か死か)Vencemos(我々は克服する)」に対するアンチテーゼの形だからだ。

Fidel Castro PATRIA O MUERTE

https://youtu.be/KKCDg6hp_vI

この作品「Patria y Vida(祖国と命)」ヨチュエルヘンテ・デ・ソナデスセメール・ブエノマイケル・オソルボエル・ファンキーによるコラボ作品。米国でも活躍しているミュージシャン(キューバ政府の渡航許可の元、海外公演を行えるミュージシャン)や地元キューバで人気のラッパーによる作品だ。

Patria y Vida - Yotuel , Gente de Zona, Decemer Bueno, Maykel Osorbo , El Funky

https://youtu.be/pP9Bto5lOEQ


ラテン音楽ファンにはヘンテ・デ・ソナ(Gente de Zona)が一番知られているだろう。アレクサンダー(Alexander Delgado Hernández)とランディ(Randy Malcolm Martínez)の二人のレゲトン/サルサ/キューバ音楽のフィーリングの共存が魅力のユニットだ。ランディは元チャランガ・アバネーラのメンバー。マーク・アンソニーやジェニファー・ロペスとのコラボなどなどヒットも多くラテン・グラミーにもノミネートされている。

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次いで元オリーシャスのヨチュエル(Yotuel Romero) 、そしてデスセメール・ブエノ(Descemer Bueno)は 90年代末にNYでYerba Buenaの立ち上げに参加などし、一旦キューバに帰ってアイディ・ミラネスやジューサのプロデュースや曲提供で活躍、2014年にはエンリケ・イグレシアスのグラミー受賞のヒット"Bailando"の作曲を手掛けるなどのベテラン。

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デスセメール・ブエノ

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マイケル・オソルボ

マイケル・オソルボ(Maykel Osorbo (本名Maykel Castillo Pérez)ハバナ出身で2015年にはフィデル批判のラップで捕まった事もあるゴリゴリのラッパー。 そして 同じくハバナ出身のラッパー、エル・ファンキー(El Funky, 本名Eliecer Márquez Duany)という力のあるミュージシャンたちだ。


曲は食料が十分でない事を批判したり、ゲバラやマルティが外貨稼ぎの手段でしかないような現状を語るように見える詞があったりする:


Bombo' y platillo a los quinientos de la habana
太鼓とシンバルでハバナ500年祭を祝っても
Mientras en casa en las cazuelas ya no tienen jama
家の鍋には食べるもんがない
¿Qué celebramos si la gente anda deprisa?
皆が急いで歩いて何を祝うの?
Cambiando al che guevara y a martí por la divisa
チェ・ゲバラやホセ・マルティを外貨に換えて
Todo ha cambiado, ya no es lo mismo
全てが変わってしまった。もう同じじゃない。
Entre tú y yo, hay un abismo



また革命以降の60年にわたる権威主義を明確に非難する部分もある。


Se acabó, tú cinco nueve, yo doblé dos
終わりだよ、あんたは59 (1959年のまま)、俺は2が二つ(2020年の今)
Ya se acabó, sesenta años trancado el dominó
もう終わりだ、60年間ロックされたドミノ・ゲームは。

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その他にも警察を侮辱したとして逮捕されたラッパーのデニス・ソリスの逮捕に抗議して2020年11月にサン・イシドロ運動(*政府の検閲拡大に抗議する運動)のメンバーがハンストを行い逮捕されるなど、表現の自由に関してのキューバでの直近の出来事も暗示している部分もある。


映像もなかなか突っ込んでいる。お札のホセ・マルティの肖像が燃えドル札のジョージ・ワシントンが出てきたり(そして曲の最後は希望を込めてマルティに戻る)、サン・イシドロの運動の映像が織り込まれたり。いわゆる米国に住む亡命派キューバン・ミュージシャンからの発信ではなく、ヘンテ・デ・ソナやデスセメール・ブエノなどのミュージシャンも含めたユニットが、突っ込んだPVをハバナで細心の注意で制作し曲と共に一挙に外に出した事は大きなポイントだろう。

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そしてYouTubeに載るや3日で百万回、1年半後のの現在は1200万回ほどのビューになっている。当然キューバ政府は大変お怒り。また11月にこの曲がラテン・グラミーを獲得した時も当然、米国の反キューバ派の関与を述べたりと不快感を露わにした。2021年7月に大規模デモがあった後であり、ナーバスなのは当然だろう。

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映画『エル・メディコ〜ザ・クバトン・ストーリー』とは15年ほどの時差があるが、同じ状況に影響・翻弄を余儀なくされるキューバがある。15年の間の携帯/WiFiやSNSの広がりで問題が「見える化」されフラストレーションを表明しやすくなっている面もある。


キューバ国内での対立を米国の反キューバ勢力は喜んで利用して行くだろう。デジタルでの情報取得・拡散や意見表明の流れは留める事は出来ない現代では対立より対話を、とシンプルに思う。
しかし地球の裏側の自分にはどういうバランスでこれらアーティストの焦燥感を解決していけるのか良くわからない。

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新しいタイプのキューバ音楽に興味がある人なら、90年代に新鮮な音を聴かせてくれたヘマ・イ・パベル(Gema y Pavel)というデュオを知っているだろう。

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ヘマ・コレデーラ(Gema Corredera)とパベル・ウルキサ(Pavel Urkiza)の2人。2015年まで活動し7枚のアルバムを発表した後、各々ソロ活動に専念する事となったが、そのパベル・ウルキサの新盤が先月リリースとなった。


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Regreso a la Tierra / Pavel Urkiza


『Regreso a la Tierra』のタイトルが付けられたアルバムは、彼の作風の中ではパーカッションの効いた曲もあり「故郷への回帰」ともいえる。

パベルは17歳の時に起こったマリエル難民事件(1980年、キューバのマリエル港から米国に向け大量の難民が渡航した)をきっかけにキューバの体制に疑問を持ち始め、1992年にスペインに旅立ち、その後アメリカで活動の拠点を置いている。但し旧来の反カストロ派とは距離を置いている人だ。

それが今回作品に際して、上述の2021年7月の大規模デモ事件に触発され、翌日に作曲しダイメ・アロセナと共作した「Todo por Ti」が収録されている。

Pavel Urkiza con Daymé Arocena-'TODO POR TI

https://youtu.be/sGdd1hQyBTw


"Cuba, una puerta se abre, en el camino hacia ti. Despierta tu corazón, despierta, ya tus hijos se adueñaron de las calles, sin miedo, te abrazaron boca a boca, para no dejarte morir"
(キューバよ、扉が開く、君への道だ。心よ目覚めよ、目覚めよ、子供たちが街を占拠した、恐れもなく、彼らは口々に抱きしめる、君を死なせないように)


その他、アイディ・ミラネスとの共作のタイトル曲「Regreso a la Tierra」、ジューサとの「La Montana Inversa」、ジィシー・ガルシアとの「Mensaje de Voz」「Lagrimas de Placer」などキューバの現状を憂いたり、考えたりする曲を様々な曲が収められている。メロディアスな曲や、キューバン・テイストが溶け出す曲なと魅力的な作品となっている。

Regreso a la tierra- Haydée Milanés y Pavel Urkiza

https://youtu.be/bIDTWbT8zhU

先日のハリケーン・イアンの被害に対し、キューバ政府は米国に対し異例の復興支援の要請を行った。これに対し、丁度昨日(10/19)、米国政府は米国国際開発庁を経由し200万ドルの援助を行う事を発表した。
記事では何も書かれていないが、ロシアの世界の孤立の中で、キューバの一つの動きかもしれない。

国内の旧来型の政府への批判と連動して、動きがこれからどうなって行くのか、見続けて/聴き続けて行きたいと思う。



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10/2(日)松田美緒 x ウーゴ・ファトルーソ 『LA SELVA』レコ発

2022.09.13



南米のレジェンド、世界的ピアニストウーゴ・ファトルーソと旅する歌姫、松田美緒。10年の歳月を経て、遂に共演ライブが実現です。


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(画像はクリックで大きくなります)


ウーゴ・ファトルーソと松田美緒の二人は2008年頃から音楽を共に作り始め、2010年のアルバム『クレオールの花』でラテンアメリカ全体の混淆の美しさを聴かせ、翌年の『COMPAS DEL SUR』での共演、そして最初の共作から10年を経て2021年にニュー・アルバム『La Selva』を発表した。

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コロナ禍の中でのこの作品にはウルグアイやアルゼンチンなど南米の音が、大きな広がりを以て宇宙や自然の力の中での「人」を感じるような暖かさに満ちている。

そんな二人の音をついに日本でのレコ発ライブとして聴くことができる事となった。

松田美緒さんよりもメッセージを頂いた。

「La Selvaは、ウーゴ・ファトルーソと10年ぶりに作ったアルバムです。あなたの好きなようにしてと完全におまかせして、ウルグアイから送ってもらった遊び心溢れるサウンドに、歌をのせました。そして、リリースから一年、とうとうウーゴとのレコ発ライブが実現します。すべてを満たすウーゴの音宇宙に、思いっきり身を投じたいと思います。ぜひライブでお聴きください!」

松田美緒
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ウーゴ・ファトルーソ
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パンデミックで人々の行きかいが難しくなった中でも、音を通して繋がり語らい
距離を越えて作品を紡いだ二人がようやくお互いの息遣いのヴァイブレーションを
感じつつ声を、音を響かせます。

日本で2回きり、東京は今回のみの公演です。ぜひお聴きのがしなく!


松田美緒 x ウーゴ・ファトルーソ 『LA SELVA』レコ発
Venue: 晴れたら空に豆まいて(代官山)
日時: 10/2(日) 開場18:00 / 開演19:00
当日は特別フード&ドリンク・メニューをご用意します。
前売4,500円 / 当日5,000円(共に1ドリンク代600円別途)

●予約は下記の「晴れたら空に豆まいて」のウエブサイトにアクセスし
http://haremame.com/schedule/73469/

ページの上下にある「RESERVE MAIL」「RESERVE TEL」へお進みください。
(ネット経由予約、又は電話予約です)

"Hurry! " Mio Matsuda with https://blog.sakura.ne.jp/img/icon/icon_32_on.gifHugo Fattoruso / 松田美緒 ハリー! ウーゴ・ファトルーソ

https://youtu.be/Dc70ATN4ZZY




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