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キューバ音楽を変えてしまった男、フアン・フォルメル逝く

2014.05.20

 2014年5月1日、あまりに突然の悲報に、一瞬言葉を失った。体調がすぐれないことは、もう数年前から伝え聞いていたが、最近ではステージに立つこともあっただけに持ち直しているのかな、と思っていた。それだけにショックは大きい。

 フアン・フォルメル、正式名フアン・クリマコ・フォルメル・コルティナ。彼が率いたロス・バン・バンは、「キューバ音楽には、ロス・バン・バン以前と以降がある」などと言われるほどに、キューバ音楽を革新したとされる。こんな表現用いられるのは、革命後では、他にイラケレぐらいだ。
 また、70年代、80年代に青春を過ごしたキューバ人の多くは、自身を“バンバネーロ”と呼び、熱狂的なバン・バン・ファンであることを表明する。かといって、若者だけに愛されたのではなく、キューバ人なら老若男女が、ほぼロス・バン・バンのことが好きだろう。国民的バンドと言われる所以である。歴史のあるキューバ音楽をある意味変えてしまったフォルメルだったが、“世代を問わず愛された”、そのことこそが彼が真に偉大な音楽家だった証しなのだと思う。

 1942年8月生まれ。ミュージシャンだった父親に最初に音楽の手ほどきを受けたが、多くは独学だったらしい。そして、プロのミュージシャンとして、歴史的ピアニストのペルチン(ペドロ・フスティス)やゴンサロ・ルバルカバの父上でやはりピアニストのギジェルモ・ルバルカーバ、そしてクアルテート・フォクサスというモダーンなコーラス・グループを率いたカルロス・フォクサスらのバンドにベーシストとして参加、キャリアを積んでいく。 1967年には、エリオ・レベ率いるオルケスタ・レベに参加。ここで、フォルメルはベーシストとしてだけではなく、作曲家、アレンジャーとしても手腕を発揮し、様々な音楽的な実験を行った。レベと言えば、彼の出身地であるキューバ東部グアンタナモ地方に特有なリズム、チャングイを使い、キューバ音楽のモダーン化を進めた人物であるが、フォルメルの才能を見抜いたのか、多くの曲をレパートリーに取り上げた。エレーナ・ブルケとの共演EP盤(シングル盤)にいたっては、4曲全てをフォルメルの曲で録音している。

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オルケスタ・レベ・フィーチャリング・エレーナ・ブルケのシングル

 一方フォルメルは、このレベのバンドでの活動によって、自身の音楽的な方向性を完全に掴んだようだ。ロス・バン・バンの複数のヴァイオリンとフルートというチャランガ編成の採用も、ここでの活動があったからこそだろう。

 レベでのエレーナ・ブルケとの共演が評判を呼んだのか、翌1968年には、エレーナ・ブルケはアルバム『ELENA』(AREITO LD-3297)で、収録曲全12曲中半数の6曲でフォルメル作を取り上げている。エレーナ・ブルケはフィーリンから出発した女性歌手で、この時代にはすでにキューバのトップ歌手として広く人気を掴んでいたので、フォルメルの作曲家としてのキャリアも格段にアップしたようだ。同じくフィーリンの女性歌手オマーラ・ポルトゥオンドもエレーナ・ブルケほどではないが、フォルメルの曲を取り上げている。なかでも「Y TAL VEZ」は、オマーラの十八番としていまでもよく歌われている。

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記念すべき、ロス・バン・バンのファースト・アルバム

 そして翌1969年に、ついにロス・バン・バンを結成。同年、ファースト・アルバム『MUSICA DE CUBA ORQUESTA LOS VAN VAN』(AREITO LDA-3320)を発表。レベでの活動やエレーナ・ブルケへの楽曲提供で試行錯誤を続けていた、“ロックやR&B、ポップスとキューバ音楽の融合”をバンド・サウンドで実現すべく、ここでも多くの実験を行っている。それまでは、多くの曲で「Shake」というリズム〜スタイルで楽曲を発表していたが、このアルバムで多分初めて「Songo」というリズム名を明記している。この時点では、まだ名パーカッション・プレイヤー、チャンギートは参加していないので、参加後の切れのあるリズムはまだ確立されていないものの、ロス・バン・バンの看板リズムは、結成当初からすでにフォルメルの頭の中には構想されていたようだ。
 その後、セカンド・アルバムの発表まで5年を要することになるが、その間もシングル盤を5枚発表。実はこの最初の1枚目からチャンギートが加入。5枚計10曲で、リズムのタイトさが強調され、後の典型的なバン・バン・サウンドへと繋がる試みを始めている。その試行錯誤の結果はセカンド・アルバムでよりはっきりと明確に示され、名盤と言われるサード・アルバムが誕生し、5作目まで同傾向のサウンドが続くことになる。


セカンド・アルバムに収録された「Chirin Chirran」

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サード・アルバム

 この時期のロス・バン・バンの音源は、よほど熱心なファンでない限り、あまり聞いたことが無いのではないかと思われるが、ロス・バン・バンの原点なので是非聞いてみていただきたい。フアン・フォルメルやその息子のサムエル・フォルメルが色々なところで発言しているように、フアン・フォルメルは、ビートルズをはじめとする欧米のロックやポップスを若いときから聞いていてファンだったという。彼のメロディー・ラインや曲展開には、明らかにロック、ポップスからの影響が明らかなものや、そのものというものが多い。それは、ビートルズ的メロディやソフト・ロック、サイケ、そしてファンク的なものだったりと様々だ。
 この時代は、世界中でこれらロックやポップスの嵐が吹きあふれ、ミュージシャンも民衆もこれらに憬れ、求めていた。キューバでも同様で、キューバ独自の音楽は若者を中心にあまり聞かれない状況にあったようだ。フアン・フォルメルはそんな中にあり、欧米的なロック、ポップスにキューバ音楽の肝であるリズムを付け加え、もっと言ってしまえばリズムを圧倒的に強化し、キューバ人の体に染みついた感性に直接訴えかけた。その結果、今まできいたことのないキューバ音楽が生まれ、若者はもちろん子供や年配者までも熱狂させたのだ。

 その後、1980年頃にトロンボーンを導入。1980年発表の6作目は、前作までとは趣を少し異にするサウンドを聞かせている程度だったが、1982年の『EL BAILE DEL BUEY CANSADO』(AREITO LD-4045)では、現在に繋がるアンサンブルを確立、人気をさらに不動のものとした。ここからはアルバム・タイトル曲が大ヒット。

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1982年アルバム『EL BAILE DEL BUEY CANSADO』のアルバム・タイトル曲

 その後に発表したアルバムからも、次々と大ヒット曲を量産していく。1980年代は、まさにロス・バン・バンの絶頂期だった。地方から首都ハバナに上京し住み着く人でアパートも満杯だ、などと歌った曲や若い女性のケツを追うロリコンおやじ達のことと歌った曲など、キューバの社会問題なども積極的に取り上げさらなる人気を掴んでいく。


社会問題となったロリコンおやじのことを歌ったヒット曲「Titimania」

 私は、1987年に初めてキューバを訪れたとき、幸運にもロス・バン・バンのライヴを体験することが出来た。まさに絶頂期で、チャンギートのシンセ・ドラムも導入したティンバレスから打ち出されるグルーヴや、若い女の子達を「キャー、キャー」言わせていた、フロントのマッチョマン、ペドロ・カルボのヴァーカルを横目に、ベースを斜に構えコーラスも歌いながら、全体のサウンドを統括するフアン・フォルメルの渋カッコよさに、ノックアウトされたことを今でも鮮明に覚えている。私をさらにキューバ音楽へと引きずり込んだ要因の一つがこの体験だった。1989年には、2度目の来日も果たし、日本にもキューバ音楽ファンを一気に増やす要因となったのだった。ちなみに、最初の来日は、大阪万博EXPO70のキューバ・デイの催しへの出演だったらしい。
 1988年には、英アイランド系のMANGOレーベルからアルバム発売。ワールド・ミュージック・ブーム時に、欧米からアルバムが発売されたのは、前述のオルケスタ・レベとロス・バン・バンだけだったと思う。

 その後、1990年代に入りCDの時代になってもコンスタントにアルバムを発表し続けたが、次第に海外での活動も多くなり、キューバ国内でのコンサートやツアーが減ってしまう。また、徐々に息子、サムエル・フォルメルへバンドの権限を引き継ぎ、2005年2006年の来日時には、別のベーシストが大半を演奏し、フアン・フォルメルは要所要所で登場というコンサート構成だったので、やはり体調がすぐれないののだなと、心配してしまった。
 ただ、その後久々のキューバ国内ツアーを敢行したり、そのDVDなども発売され、体調が回復していたのかな、と思っていた矢先の今回の訃報。享年71歳。やはり早すぎる死と言わざる終えない。演奏活動はムリでも、稀代のソングライターとしてフアン・フォルメルの創り出す曲をまだまだ楽しみたかった。合掌。
posted by eLPop at 02:57 | 高橋政資のハッピー通信