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ウィリー・ナガサキ氏より、松岡直也さんへの追悼文が寄せられました。

2014.05.12

ピアニストで作/編曲家の松岡直也さんが去る4月29日に亡くなりました(享年76歳)。
1980年代初頭に松岡さんに見いだされて福岡から上京、長年活動をともにしたパーカッション奏者のウィリー・ナガサキさんから追悼文が届きましたので掲載します。
改めて松岡直也さんのご冥福をお祈りいたします。(eLPop)
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 いつもアルバム制作、いわゆるレコーディング中はこれでもかというぐらいに高揚する。プレイバックを聴いて、「松岡さん、なんか俺、ズレてますよね…」「ん…ん、でもノリはあってるからね、大丈夫だよ」と、このように厳しくもやさしく、そして豪快に音楽に接しておられた気がする。ニューヨーク・ラテン、サルサ、特にティト・プエンテそしてマチートなどの研究と自らの楽曲に対する姿勢とそれらの反映たるや、ハンパなく凄かった。すべてを把握したうえでの作、編曲は、まさに天才的であった。
 
 ふりかえれば約30年前、スイス 「モントルー・ジャズ・フェスティバル」にウィシングで初出演され(1980年)、そのライブ作のプロモで、我が街・福岡におみえになった。場所は義兄弟が経営する倶楽部。あつかましくもプエンテのことなど地元放送局の方そっちのけでいろいろと尋ねたような。最後に美しいピアノ・ソロを。あっ!思いだした。「ん、やるかい?」ってデスカルガをやった。この日が松岡さんとの最初の出会いだ。

 82年、NY録音の傑作『見知らぬ街で/Fall On The Avenue』は、79年、来日中のティト・プエンテ ラテン・パーカッション・ジャズ・アンサンブルを迎えた『ソン』の続編、加えてマエストロ松岡の金字塔と言えるアルバムだ。

 2度目にお会いしたのは、これに先だった宣伝@福岡で、店に着くなり「いつかのボーイは元気?呼んでくれないかね」…(後はご想像ください)…それから上京して今に至っています。

 先述した『見知らぬ街で』の録音を終え、帰国されてすぐ、ご自宅で、「ジェリー・ゴンザレスどうでした?ニッキーは?!」「ジェリーはすばらしかったねえ…エイトのうら(8分音符のウラ拍)がバチッときてさ…彼のリズム・ワークそのものが音楽になってるんだよ。ニッキー?とにかくシャープでドライブしててね、持っていかれちゃんだよ…あっ!ここで?!と思った瞬間にフィール・インがバッチとね」

 私にとってかけがえのない師、その方が別世界へ。寂しさをいまだ禁じえないが、すばらしい先輩方との出会いも含め、いただいた多くの言霊に深く感謝しつつ これからの音楽人生を歩んでいきたく思います。


ウィリアム・ナガサキ

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82年 松岡直也&ウィシング 中野サンプラザにて

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83年 松岡直也グループ モントルー・ジャズ・フェスティバルにて


「Touch The New York Pink〜Chillon welcome」(1983年のモントルー・ジャズ・フェスティバルにて。ティンバレスはウィリー・ナガサキ)

posted by eLPop at 18:37 | Guindahamacas