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「マーク・アンソニーはソネオがからっきしダメ」とエディ・パルミエリ師匠

2014.05.01

先日、プエルトリコの代表的サルサ・ラジオ局のZ-93の番組でエディ・パルミエリ師匠が
「マーク・アンソニーはソネオがからっきしダメ」と語って話題になっている。

こんな発言があったらしい。

「マークは良い歌手だ。でもポップ・サルサのね。エディ・パルミエリのサルサにとってじゃない」

「自分の録音やステージのプロジェクトにマーク・アンソニーの参加はないな、彼は良い声なのはよく知ってるけど良いソネーロじゃないからね」「単に歌う(cantar)っていうのとソネオで歌う(sonear)っていうのは同じじゃないんだよ」

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パルミエリ師匠の言う「ソネオ」について少し補足を。

厳密な区別ではないけれど、サルサの歌手には、ソネーロと呼ばれる歌い手と、そうでない歌い手がいる。例えばソネーロの代表は"Sonero Mayor/ソネロ・マジョール(最高のソネーロ)"と呼ばれるイスマエル・リベラ、"Sonero del Pueblo/ソネロ・デル・プエブロ(庶民のソネーロ)のマルビン・サンティアゴ、"Sonero de la Joventud/ソネロ・デ・ラ・ホベントゥ(若い世代のソネロ)のビクトル・マヌエルなどなど。

ソネーロの本来の意味は「ソンの歌い手」。それが19世紀末から20世紀初にかけて生まれたソンの時代からずっと時が経ったサルサの時代1960年代以降では意味が転じて、「本格派のうまいサルサの歌い手」となった。(一方「ソンの歌い手」っていう使い方も生きている)。でも「本格派の」って何?

ソネーロの条件は、曲のモントゥーノ部分(曲のテーマの部分が終わって、一定のリズムの繰り返しになる部分)で、その場に合わせ即興で自分の気持ちや場を盛り上げる歌詞を、これまた即興のメロディーに乗せて歌いこむ事ができるかどうかが大事な要素の一つ。この即興が「ソネオ(Soneo)”」と呼ばれるもの。この部分は楽器がソロで盛り上げるところでもあり、また踊り手はがんがん踊るところでもある。

パルミエリ師匠が「単に歌う(cantar)っていうのとソネオで歌う(sonear)のが違う」というのは、この即興ができるかどうかということ。

サルサのうまい歌い手にはプエルトリコ人が本当に多い。ファニア・オールスタ−ズの看板歌手を思い出すだけでも、チェオ・フェリシアーノ(RIP)、サントス・コロン、イスマエル・ミランダ、エクトル・ラボー、ピート・"エル・コンデ"・ロドリゲス、アダルベルト・サンティアゴ、イスマエル・キンターナ・・・と切りがない。

彼らは皆「ソネオ」の名手だ。それはプエルトリコには「ヒバロの音楽」と言われる、即興で歌詞を紡ぎだして歌う伝統があるのと無縁ではないだろう。

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さて、パルミエリ師匠の話は続く。年末録音・来年リリース予定の次の作品にはヒルベルト・サンタ・ロサ、エルマン・オリベラ、ダニー・リベラが参加予定との事。サンタ・ロサの事は「ヒルベルトは素晴らしい歌い手の一人でソネオで歌う事がわかってるよね」と語っている。どんな出来になるか楽しみだ。

こんなパルミエリ師匠のマークへの発言は初めてではない。
2012年5のコロンビアの新聞のインタビューでもマークについて:

「素晴らしい才能を持ってて、人気あるよね。でも彼の歌ってるのはラテン・ポップだ。ソネロ・マジョール(イスマエル・リベラ)とは違う。彼の事はレスペクトしてるし、頑張って欲しいと思ってる。でもサルサ歌手とは思わない」と語っている。

なかなか首尾一貫している師匠なのである。

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さて、皆さんいかがでしょうか?サルサ・ロマンチカが登場した当時からこのソネオの話は出ていましたが、サルサの歌の中で出会う、ソネオの即興の技術と才能が作り出すスピード感や聴衆とのコミュニケーション、楽器やコーラスとの掛け合いも素晴らしい。一方、ソネオでなくても歌い手の声が作り出す陶酔感、哀感、幸福感や、歌の一音一音に込める情熱、韜晦、憔悴、悲哀、歓喜など圧倒的に素晴らしい表現にも出会います。

サルサは常にその時代の音や空気を取り込みながら広がる懐の深い音楽ですが、この二人の素晴らしい音楽を聴きながら、二人の目指す音楽の違いを感じて楽しむのが多分正解なのでは?

(伊藤嘉章)

5/7訂正:"Marc no sabe sonear "の約として「マークはソネオを知らない」としましたが、「からっきしダメ」に直しました。
posted by eLPop at 20:07 | RADIO BEMBA