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セレーナの誕生日に…

2014.04.17

 昨日から今日にかけて(4/16〜17)、Facebookでセレーナに関するいくつかの興味深い書き込みを目にした(もちろん米国からの書き込みです)。例えば…
「もし私が生きてたら、ジェニファー・ロペスなんて今ごろタコベルで働いてたでしょ」
という、セレーナの顔写真をでっかく使ったページ。
 JLOはプエルトリカンなのでタコベルで働くかどうかは知らないが、これはちょっと悪意があるなーと思いつつ、でも、なんとなくわからないでもない、って感じ。

 そう。4月16日はセレーナの誕生日なのだった。1971年4月16日、テキサス州レイク・ジャクソンの生まれ。生きていれば今年で43歳。今ごろはいったいどんな歌手/アーティストになっていたのだろう? そして、彼女のいる音楽界はどんな状況だったのだろうか…。

 95年3月31日。24歳の誕生日目前、英語アルバムが完成間近という時期に射殺されてしまったセレーナのことを覚えている日本人はもうほとんどいないかもしれない。しかし現地では…冒頭のFBページでもわかるとおり…いまだに永遠のスーパー・スターなのだ。ディズニー・チャンネルから登場して人気者になったセレーナ・ゴメス(92年生まれ)は、もちろんこのセレーナから名前を取ったのである。

 ところで、ここになぜジェニファー・ロペスの名前が出てくるのか?

 それは、97年に製作されたセレーナの伝記映画の主演をジェニファー・ロペスがつとめたからである。父親アブラハム役は名優エドワード・ジェームス・オルモス。セレーナ人気のおかげでこの映画は大ヒットを記録し、それまではB級映画にチョイ役で出ていた程度だったJLOもこの作品を足がかりにして一気にスターダムに上り詰めた。プエルトリカンがチカーナ(テハーナ)の役を演じ、それで有名になった、というわけだから、当時から相当のやっかみはあったはずである。





 それはともかく……この機会に、映画『セレーナ』をご紹介しつつ、彼女の短い生涯を振り返ってみたいと思う。

 映画は60年代前半から始まる。
若きアブラハムはメキシコ系の仲間たちとコーラス・グループ“ロス・ディノス”を結成する。実力はあるのだが、海辺のリゾート・レストランではメキシコ系であるがために出演を断られ、また、メキシコ系の人々が集まるディスコでは、ロックンロールばかりでメキシコ音楽を演奏しないために失敗。アブラハムは否応なく勤め人の道を選ぶ。

 そんな中でセレーナが6歳になった70年代半ば、彼女の歌の才能に気づいた父親は、兄のA.B.をベースに、姉のスセッテをドラムスに、再びロス・ディノスを結成。音楽活動を再開するのである。

 やがて父の夢がかない、レイク・ジャクソンにレストランをオープン。セレーナたちもこの店のステージに立つが、81年、油田の閉鎖とともに店ばかりか家までも失い、今度はコーパス・クリスティに引っ越すことになった。

 セレーナにとってもキンタニージャ家にとってもこの時期が一番苦しかった。さまざまなコンテストに出場しては落選、客が少ないクラブで演奏・・・といった毎日が続く。が、懸命の努力の甲斐あって86年にはついにテハーノ・ミュージック・アウォードで2部門を受賞することになったのである。彼女は『ラテン・スタイル』誌のインタヴューにこう語っている。
「15歳のとき、人生を真剣に考えるようになった。私はこの仕事を一生やり続けるんだわ、だって好きなんだもの、もっとマジメに考えなくちゃ、と思った。そのとたんに、どんなショウでもとても大切なものになった。人々の心と触れ合うために歌うようになったの」

 こうしてEMIと契約することになったセレーナは89年に『セレーナ』でアルバム・デビュー。93年の『ライヴ』がグラミー賞「ベスト・メキシカン/アメリカン・アルバム」を受賞して一躍トップ・スターの仲間入りを果たしたのだった。
 この間に、バンドのギタリストだったクリス・ペレスと電撃結婚。“第2のグロリア・エステファン”“メキシコのマドンナ”と呼ばれるようになり、次は、英語のアルバムを作ってポップ・チャートに乗り込むばかりになっていた。





 が、悪夢はある日突然やってくる。ファン・クラブの元会長でセレーナのブティックを任せていた女性がカネを使い込んでいることがわかり、解雇のための最終的な話し合いにでかけたモーテルで、セレーナは帰らぬ人となってしまった。それが95年3月31日だった。
 悲報を聞いたファンたちは全米、そしてメキシコからコーパス・クリスティに向かった。4月2日(日)に遺体に別れを告げに訪れた人は3万人とも5万人ともいわれる。

 一方、豪華プロデューサー陣を迎えて製作が進んでいた英語アルバムは、不完全な形ながらも7月にリリース。最初の週のだけで33万1千枚(マイケル・ジャクソンに次ぐ史上2位の記録)という驚異的な数をセールスしたのであった。



posted by eLPop at 17:46 | 岡本郁生のラテン横丁