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セルヒオ・ジョージ・インタヴュー<4>

2014.04.17

 さて、マーク・アンソニーがデビュー・アルバム『オトラ・ノタ』(93年)の1曲目で歌っていた「パラブラス・デル・アルマ」。米国内では当時あまり知られていなかったベネズエラの人気歌手イラン・チェスターが作ったこの曲をマークに歌わせたのは、セルヒオ・ジョージその人なのだった。

「イラン・チェスターのあの歌はラジオで聞いて、大好きになったんだ。で、彼がニューヨークに来て小さいクラブで演奏したとき見にいったら、お客はたったの10人。10人だよ(笑)。でも、ピアノの弾き語りであの曲を歌ったら、その10人が10人とも手を上に上げてウエーヴさせながら一緒に歌うんだ(笑)。10人全員が知ってる曲ならヒットするぞ!と思ってマークに歌わせたら、案の定、大ヒットしたってわけさ...」




――普段、どんな音楽を聴いてるんです?
「ボクはラジオをよく聴くんだ。いま何がヒットしてるのか知るためにはそれが一番だから。ブラジル音楽、レゲエ、ポップ・ソング、ラップ、オルタナティヴ・ロック・・・、とにかく何でも聴くよ。それに、週末にはBET(ブラック・エンタテインメント・テレビジョン)というチャンネルでやってるカリブ音楽の番組をいつも見てる。ハイチ音楽、ズーク、レゲエと何でもありの番組なんだ。サルサのアルバムはあんまり聴かないし、最近はラテン・クラブにも行かない。クラブへ行っても売り込みをされたりするばっかりで楽しめないから、家でテレビを見てたほうがよっぽどいい。ただ、いまナマで見たいと思うのはキューバのバンドだね。エネルギッシュでエキサイティングなキューバのバンドはぜひ見てみたい。実際、今年中にはキューバへ行ってみようかなとも思っているところなんだ」

――これからのプロジェクトを教えてください。
「ボク自身はいまちょうど、ラテン・ポップス歌手のジョランディータ・モンヘをプロデュースしているところだ。内容は、モダンなボンバとプレーナっていう感じだね。

※1997年にアルバム『ミ・エンクエントロ』としてリリースされ大ヒットした。



<サー・ジョージ>レーベルからの次のアーティストは、女の子ふたり組のラップ・グループ。名前はまだないんだけど、11月ごろには録音を始めたいと思ってる。すごくアーバンな感じで、ま、いってみれば“女性版DLG”かな・・・。ボクはこれからも、とことんアーバンにこだわるつもりだ。それというのも、ラップやレゲエとラテンにはもっともっと接点があると思っているから。それがラテン音楽の未来だと思うんだよ・・・。

それと、DLGの次のアルバムでも、ラップがもっと多くなると思うよ。もっとストリートっぽいっていうかな。実際、1枚目で一番評判が良かったのはラストに入ってる<スエルタメ>みたいなラップ・ナンバーなんだ。サルセーロたちは気にいらなかったかもしれないけど子供たちにはそれがウケるんだよ。


そういえば、この間プエルトリコに行く飛行機でピート“エル・コンデ”ロドリゲス(※)の奥さんに会ってね、一緒にいた8歳の孫娘さんに“誰が好きなの?”って聞いたら“DLG!”って(笑)。ボクが求めているのは、まさにそれなんだ。子供たちが音楽に興味を持つこと、それが大切なことなんだ」

(※)ピート“エル・コンデ”ロドリゲス:プエルトリコのポンセ生まれ。50年代にニューヨークに移住し60年代初頭からジョニー・パチェーコ楽団の看板歌手となり、ファニア・オール・スターズやソロでも活躍した。2000年没。

――英語のマーケットに進出するつもりはないんですか?
「それはない。基本的にはスペイン語だ。でも、あまりスペイン語がしゃべれない若いラティーノたちをもっとラテン音楽に取り込みたいという気持ちがある。いまはラップやポップ・ソングを買っているような若いヤツらをね。マーク・アンソニーの2枚目『トド・ア・ス・ティエンポ』(95年)は50万枚以上も売れているんだから、潜在的な購買力はあるはずなんだ。ボクはそういう層を狙っていくつもりだ」


Nadie Como Ella (『Todo A Su Tiempo』より)

(1996年9月東京にてインタヴュー)

 1996年のインタヴューを改めて読み返してみると、当時は米国とキューバとの交流がほとんどなく、セルヒオ自身がキューバ国内での新しい音楽の動きに非常に興味を持っていたことがわかって面白い。他にも、現在とだいぶ状況が違うところがあるのだが、彼自身の発言/行動はまったくブレていないし、その先見性にも驚くのではないだろうか。
 特に、「ラップやレゲエとラテンにはもっともっと接点があると思っている…それがラテン音楽の未来だと思う」と語っているのはさすがだ。
 セルヒオこそが…世代間のギャップも多少はあったにせよ…90年代以降、新しいラテン音楽を切り開こうと試行錯誤を続けた最重要人物のひとりであることは誰もが認める事実であり、彼がクリエイトしたDLGのサウンドなどがその後のレゲトンの誕生にとってひとつの大きなヒントとなったことは間違いないだろう。
 別項にも述べたとおり、このあと一時期音楽界から身を引いていたセルヒオ・ジョージは2009年に<TOP STOP MUSIC>を設立してカムバック、再びラテン音楽界の中心的存在として活躍を始めている。彼の動向からはやはり目が離せない。

(了)
posted by eLPop at 15:28 | 岡本郁生のラテン横丁