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ペルーで活躍する日系人音楽家たちの肖像(3) 歌手プリンセシータ・デ・ユンガイ:アンヘリカ・ハラダ・バスケス

2014.04.14

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 今回ご紹介するのは、ペルーの北部アンカシュ県に位置するユンガイに生まれた日系人歌手、アンヘリカ・ハラダ・バスケスさんだ。といっても、ペルー人にこの名前を言ってもピンと来る人は少ない。ところが彼女の芸名、プリンセシータ・デ・ユンガイ(ユンガイの歌姫)をあげると、誰もがああ彼女か、と大抵の人は知っている顔になる。彼女はペルーのアンデス音楽を代表する、忘れてはならない大歌手の一人なのだ。


 アンヘリカは、1938年にペルー北部アンデスのアンカシュ県ユンガイ郡に生まれた。南米のスイスと称される美しい山脈が連なるこの地方で、アンカシュの象徴であるワスカラン山とヤンガヌーコ湖に程近い農園で母フアナ・バスケスと幼少を過ごした。父のいない家だった。彼女の自伝によると、子供の頃は、父のことは尋ねてはいけないという暗黙の了解があり、ずっと聞けなかったという。しかし、そのことがずっとひっかかっていた彼女は、ある日、ついに意を決して母に父のことを尋ねた。すると母は彼女に、父は中国人で死別したと教えたという。

 ところがそのしばらく後のこと、アンヘリカは父が日本人でしかも生きているという話を父のことを知る日系人から偶然聞いてしまう。驚いた彼女が母を問い詰めると、初めは否定していた母も、やがて実はそうだと認めた。その時、初めてアンヘリカは自分が日系人であり、死んだと思っていた父が生きていることを知り、父を訪ねて無事再会することができた。それ以来、彼女は自分の姓にハラダを明記している。

 元来歌うことが好きだったアンヘリカは、16歳の時に初めてユンガイにあるワスカラン劇場で歌った。翌年17歳で結婚し二人の子供を出産。19歳でリマへ移住し、お針子の仕事を始めた。ところが、TVの音楽番組「勝利への階段」コンクールに出場したことがきっかけで、一年間の修行期間を経て1960年11月に国立スタジアムでロス・パリアス・デ・アンカシュと共に「ユンガイの歌姫」の名でデビューを果たした。当時、多くのアンデス歌手は「アンデスのハチドリ」や「ワラスの羊飼い」など牧歌的な故郷を象徴するような芸名をつけることが流行っていた。アンヘリカもそれ例に漏れず、ユンガイさんという名前を名乗ることとなったのだ。そしてそれ以降、彼女はペルーの北部を象徴し、またペルーを代表する歌手へとなっていったのである。


 実はこんな逸話がある。当初、一年間の修行期間には、隣のフニン県ハウハ出身の日系人マキノ・モリとのワイノの歌をみっちり練習して、デュオでデビューするはずだったそうだが、マキノ・モリが伸び悩んで脱落し、結局彼女はソロでデビューすることとなったらしい。アンデス山中に移民した日系人がそれぞれの土地に根付き、農業や商業以外の分野でも徐々に活躍し始めたのがこの時期以降だったのかもしれない。また、この同時期に、同じ日系からプリンセシータ・デ・ワラルもデビューしたというが、残念ながら彼女についての情報はない。

 彼女がデビューした1960年代は、ペルー音楽が盛り上がった黄金時代だった。アンデス音楽も、フロール・プカリーナ、エル・ヒルゲロ・デル・ワスカラン、ピカフロール・デ・ロス・アンデス、パストリータ・ワラシーナなど数多くの大スターが活躍した時代だ。その中で、プリンセシータ・デ・ユンガイも、いつしかペルーのワイノ音楽を代表する大スターの一人として活躍するようになっていった。ワイノのリズムにのせて故郷に錦を飾るために都市へ出てきた人々に故郷の息吹きを届け続け、多くの人に愛された歌手となった。

 また、彼女は1967年頃より日秘文化センターなどで日系人社会に向けても歌い始め、85年以降はリマの学校や日系文化センターでアンデスの音楽や踊りを教えた。ペルーの有名雑誌の日系人特集では表紙を飾るなど、日系を代表する音楽家としてその名を馳せた。76年にはリマまでフジテレビが彼女の取材に来た。そしてついに90年には悲願の来日を果たし、東京と故郷である福岡でコンサートを行った。ちなみに海外公演は日本だけでなく、ヨーロッパやアメリカなどでも行っている。
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(来日公演時:写真は自伝より)

 代表曲はチュスカーダの「Todo se puede olvidar」。艶のあるアンカシュ地方特有の伸びやかな歌が持ち味だ。スペイン語、ケチュア語だけでなく、日本語でも歌える歌手、ということになっているが、彼女の日本語の歌は、かなりたどたどしさを感じる。日系人だと知らずに育ったことを考えると納得が行くが、それでも日本語で歌おうという彼女のその心意気が素晴らしい。


 そんな彼女は今でも元気に現役歌手として活躍している。この2014年5月3日にもアヤクーチョを代表する名ギタリストでシンガーソングライターであるマヌエルチャ・プラドと共演で母の日コンサートを予定しており現在大プロモーション中だ。彼女の笑顔と伸びやかな歌声は、今なお多くに人々の心を捉える強い魅力にあふれている。
posted by eLPop at 00:56 | 水口良樹のペルー四方山がたり