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セルヒオ・ジョージ・インタヴュー<2>

2014.04.09

――ところで、大ヒット中のDLGですが、サルサ+ヒップ・ホップ+レゲエっていうあのアイディアは、一体どこから?
「なにか変わったことをしたいと思って、ラッパーを使うことを思いついたんだ。最初は試しに1曲だけやってみて、うまくいったんで、アルバム全部でやろうってことになった。実際、4〜5年前にティト・ニエベスのアルバムの中の曲で部分的に試してはいたんだ。でも、ラップとレゲエをもっと増やして、アルバム全部をそのコンセプトでやるまでには何年もかかったね」

――メレンゲの世界では、5年くらい前(90年代初頭)からメレンハウスやメレンラップなんてものが出てきてましたけど(※フランチェスカ、プロジェクト・ウノ、イレガレスなどのこと)、サルサではありませんでしたよね。
「サルサとラップを結び付けるのは難しかったということなんだ。メレンゲはスピードが速いし2拍子だから、よりラップが乗り易い。サルサのようなゆっくりのテンポにラップを乗せるのは難しいんだ。どういう風にやったらいいのか、きちんと方法論を確立するのにボクの場合は4年くらいかかったからね・・・。いまでは1ヵ月もあればできると思うけど、ここまでくるのは大変だった」







――DLGは、ライヴはやってるんですか?
「いままではカラオケでやってて、それでも結構ウケてたんだけど、10月からは9人編成のバンドでやるよ。あのサウンドをナマでやるのは簡単じゃない。いろいろ試行錯誤しながらリハーサルに2ヵ月ぐらいかかったね。メンバーを紹介しておくと、ピアノはマイアミ生まれのキューバ人で以前はジョン・セカダのバンドにいたアルバート・メネンデス。ベースはジーン・ペレスでドラムスにマーク・キニョーネス。ティンバーレスはロサンジェルス生まれの新人でアンヘル。コンガには、ディーライトとやっていたユダヤ人の女性でロベン・ロウブ。バックコーラスは、ボストン生まれのプエルト・リコ人の女の子なんだけど、彼女はこれまでスペイン語では歌ったことがないんだ。ホーン・セクションは、インディアのバンドのトランペットやってるライオネルと、サックスにはボビー・フランチェスキーニ、そしてオジー・メレンデスがトロンボーン。これで9人」



――ジーン・ペレス(b)とマーク・キニョーネス(ds)そしてボビー・フランチェスキーニ(sax)は、87年にウィリー・コローンが来日したときのメンバーだったんですよ。
「ボクも来るはずだったんだけど、やめたんだ(笑)。そのときのヴィザ、まだあるよ。来る直前にウィリーとモメて、やーめたっ!ってわけさ」



――マーク・キニョーネスとは、よく一緒にやってますけど、彼との出会いは?
「たしか79年。ボクはコンフント・クラシコにいて、彼はティト・プエンテのルンベリートスでやってたとき、マンハッタンの有名なサルサ・クラブ“コルソ”で会ったんだ。ここはいまはアスレチック・ジムになってるんだけど・・・。で、80年に、ラファエル・デ・ヘスースのバンドで一緒になった。それが最初だったね」


 セルヒオ・ジョージは61年、マンハッタンのイースト・ハーレム、いわゆる“エル・バリオ”の生まれ。子供の頃は、ジェームス・ブラウンやスピナーズなどのR&Bからジョニー・コローンのようなブーガルー、そしてもちろんウィリー・コローンやエクトル・ラボー、レイ・バレットまで、何でも大好きだったという。

「116丁目にある“カサ・ラティーナ”っていうレコード屋には、なにか新しいのが入ってないか探しに毎日行ってた。家のすぐ近くだから、ホントに毎日だよ。そしてよく、99セントの45回転30センチ・シングルを買ってた。ほとんどファニアのものさ。ボクはとにかく“ファニア・フリーク”だったからね。ファニア・オール・スターズのレコードは全部持ってるよ。ボクにとって、ファニアこそサルサだった」

(つづく:1996年9月東京にてインタヴュー)

posted by eLPop at 20:25 | 岡本郁生のラテン横丁