アンダルシア州カディス県、人口約12万のアルヘシーラス。あまりツーリストがそそられるような町ではないが、湾越しに望む英領ジブラルタルへ向かうバスのほか、モロッコのタンジェやスペイン領セウタ行きのフェリー便が出港する要衝だ。いずれの地も目と鼻の先。そんな町の港界隈は、漂着する者に対する警戒心のあらわれか、どうも気安くトイレを借りられるような雰囲気にない。旅行会社が看板を掲げているものの、どの門扉にも厳重に鍵がかけられ、かすかな緊張をはらんでいた。
パコ・デ・ルシアPaco de Lucíaは1947年12月21日、この港町に生まれ育った。本名、フランシスコ・サンチェス・ゴメスFrancisco Sánches Gómez。芸名は、ポルトガル人の母親の名にちなむ。ご近所さんらが皆、“ルシアさん(家)のパコPaco, el de Lucía(Luzía)”と呼んでいたからだ。
近年のパコがとりわけキューバ訪問を楽しみにしたのは、ハバナ旧市街の通りに幼いころ自分が駆け回った故郷の景色を重ねていたせいだ、とも伝えられる。でも実際は幼少期のパコのほうが、現在のハバナで遊ぶ少年たちよりずっと貧しかったらしい。
パコは6歳で、父アントニオ・サンチェスより厳しくフラメンコ・ギターの特訓を受け、のちに長兄ラモンRamón de Algecirasに多くの技法を学んだ。12歳のとき、次兄でカンタオールのペペ(後年Pepe de Lucíaを名乗る)とのデュオ、“ロス・チキートス・デ・アルヘシーラス”名義でプロ活動をスタートする。息子たちは家計を潤すため、芸の道で真剣に稼がねばならなかったのだろう。
兄弟デュオは、60年に3枚のEP盤をイスパボックス社で録音し、62年(61年説もある)ヘレスのコンクールで特別賞を受賞。一躍脚光を浴び、63年にLP『Los Chiquitos de Algeciras』を発表した。
17歳にして海外プロモーターと契約したパコは、ガラ・コンサート「フェスティバル・フラメンコ・ヒターノ」でヨーロッパを巡演。当舞台には、カマロン、エル・レブリハーノ、エル・ファルーコといった歌い手が名を連ねていた。最初パコはサード・ギター、のちにセカンド・ギターをつとめる。ちなみにファースト・ギターは名手、フアン・マジャ・マローテ。録音記録も残されており、かつて3枚組LPで日本盤が出ていた。
65年、先輩ギタリストのリカルド・モドレーゴとのデュオで、3作のLPをフィリップスで録音。当時発売された日本盤タイトルが、それぞれ『情熱のフラメンコ・ギター』、『恋のフラメンコ・ギター』とは、時代を思わせてちょっと笑える? 残る一枚が日本未発売、詩人ガルシア・ロルカの採譜による12のアンダルシア民謡を奏でた作品だった。モドレーゴとはさらにもう一枚、67年にスペイン歌謡集の録音もある。
20歳を迎えたパコは、まさしく“伝説の始まり”を告げる初のフルアルバム『La fabulosa guitarra de Paco de Lucía』(邦題は『天才』)を放つ。カスタネット参加が2曲で、残る8曲は全編ギター・ソロ。恐るべきスピード感と音圧が、のちの片鱗を窺わせて痛快というしかない。
また同67年、兄ラモン・デ・アルヘシーラスとのデュオで、日本のギター・ファンにはお馴染みのラテンアメリカ名曲集『Dos guitarras flamencas en Americalatina』を発表した。収録ナンバーは「シエリート・リンド」「アルマ・ジャネーラ」「カーニバルの朝」「ニッケの花」「シボネイ」ほか、彩り豊かな全12曲。
69年にはソロ・セカンド『Fantasía flamenca de Paco de Lucía』(邦題『幻想』)に加え、ラモンとのデュオによるラテン名曲集第2弾『Paco de Lucía y Ramón de Algeciras en Hispanoamerica』をリリース。おまけに日本のレコード会社からの要請を受け、ラテンやコンチネンタルタンゴ、「荒城の月」までを含む世界のヒット曲集『12 hits para 2 guitarras flamencas y orquesta de cuerda』を録音している。
幸か不幸か60年代までのわが国において、フラメンコ・ギターがラテン・ギターの範疇にあると、一般認識されていた事実は否めない。ゆえに率先してリリースに価すると判断されたのが、若きフラメンコ・ギタリスト、パコ・デ・ルシアの弾くラテン名曲集だったとしても、誰を責められよう。ジャンルの壁は、今よりはるかゆるやかで、とてもざっくりしていた。
以上、60年代までのおもだったアルバムに限ってご紹介してきたが、この間、伴奏ギタリストとしての録音参加は数知れず。わけてもジャズ・テナーサックス奏者、ペドロ・イトゥラルデと共演録音した『Jazz Flamenco』(イスパボックス社/64、66、68年録音)の実験的な作品は、完成度はともあれ、のちのパコへ某かのヒントを与えたに違いない。
レコード会社の求めに応じ大衆路線を甘受する一方で、おそらくパコは独自のフラメンコ世界を切り拓くべく、自らの進化を決意していたのだろう。この時期は、パコにとってもうひとつの象徴的な意味をもつ。すでに拠点をマドリードへ移したパコは、69年以降77年まで“カンテ(歌)”の革命児、カマロンと共鳴し合い、8枚の重要なアルバムを紡ぐこととなるのだから……。
さて、アルヘシーラスの風景を思い出すとき、どうしてもオーバーラップしてしまうのが、トニー・ガトリフ監督の最新作。スクリーンいっぱいにスローガンをちりばめた、2012年の力強い映画『怒れ!憤れ!―ステファン・エセルの遺言―』の港湾シーンだ。
いかにもガトリフらしい、映像と音楽のコラージュで描かれたこの作品には、ドキュメンタリー映像の誘導役として、主人公の少女が登場する。ウォロフ語が母語らしき少女は、仕事を求めて命からがらたどり着いたアテネで、あてどもなくさまよった挙句、不法渡航者として警察へ連行されてしまう。そしてギリシャ、フランス、スペインへと渡り歩き、似たような境遇のもとで仮の寝床に身を横たえる人々、怒りをもって立ち上がり、声を発し始めた大都市の群衆と遭遇するのだった。
ご存じ、『ラッチョ・ドローム』『ガッジョ・ディーロ』『ベンゴ』3部作ほか、『トランシルヴァニア』など、個性あふれる作品群を手がけてきたトニー・ガトリフ監督。自身はアルジェに生まれ、父親がアルジェリア人、母親がアンダルシアのヒターナ。つねに人が移動する必然性を問いかけ、社会のはざまで暮らす者たちの存在を、独特の手法で突きつけてきた異形の監督だ。
この映画体験で、港町アルヘシーラスのはらむ緊張の一端が、ご理解いただけるかも知れない。
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