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セルヒオ・ジョージ・インタヴュー<1>

2014.03.29

『サルサ・ジャイアンツ』のプロデューサーとしてこのところ大きな注目を集めているセルヒオ・ジョージ。数年前に<TOP STOP MUSIC>を設立し、第一弾として手がけたルイス・エンリケでグラミーを受賞。プリンス・ロイス、レスリー・グレイスといったバチャータのアーティストをヒットさせ、マーク・アンソニーの久々のアルバムをプロデュースするなど、再び脚光を浴びている才人である。
 彼は1980年代後半、コンサート・プロモーターのラルフ・メルカードが設立したRMMレーベルの専属アレンジャー/キーボーディスト/プロデューサーをつとめるようになった。ほどなくしてサルサ界最大のレーベルにのし上がったRMMの影の立役者というべき人物だ。

ニューヨリカン(ニューヨーク生まれ/育ちのプエルトリコ人)ならではのストリート感覚をサルサに大胆に応用することによって、80年代末には英語サルサのブームを生みだし、90年代に入ってからはマーク・アンソニー、インディアといったスーパー・スターを世に出したのがまさにこの人なのだ。



 時代の最先端をいくポップなサルサを作り続けてきた彼はその後RMMを離れて自らのレーベル<サー・ジョージ(SIR GEORGE)>を設立。96年、その第一弾として送り出したDLG(Dark Latin Groove)は、サルサ+ヒップ・ホップ+レゲエという新鮮なサウンドでいきなり大ヒットを飛ばす。


 オルケスタ・デ・ラ・ルスを手がけたのも彼だったが、98年にはNORAのソロ第1弾『Electric Lady』をプロデュース。この年の9月、アルバムのリリースを記念して行ったNORAのライヴにあわせて来日したセルヒオに会って、さまざまな話を伺った。


 この機会にそのときのインタヴューを蔵出ししよう。(1998年9月東京にてインタヴュー)

――まず最初に聞きたいんですが、あなたの名前はどう発音すべきなんですか? セルヒオ? それともセルジオですか?
「セルジオ。ま、セルヒオでもいいよ。“セルヒオ・ホルヘ”じゃなければ(爆笑)。実はボクの祖父はヴァージン諸島からプエルト・リコへの移民なんだ。だから、“ジョージ”というのは苗字なんだよ。ミドル・ネームじゃない。父もセルヒオ・ジョージというんで、ボクはホントはセルヒオ・ジョージ“ジュニア”なんだけどね・・・。実はボクの名前が有名になってから、レイナルド・ホルヘ(ファニア・オール・スターズはじめ数々の楽団で活躍してきたトロンボーン奏者)の名前が“レイナルド・ジョージ”と間違ってクレジットされてるのを見たことがある(笑)。彼はレイナルド・ホルヘなんだけど」
(つづく)
posted by eLPop at 13:10 | 岡本郁生のラテン横丁