Top > 水口良樹のペルー四方山がたり > ペルー・アンデス・フュージョンの可能性(2)

ペルー・アンデス・フュージョンの可能性(2)

2014.03.06

 アンデス音楽を象徴する音楽として「ネオ・フォルクローレ」が世界的に注目を浴びる中、ペルーではチチャが興隆し、さらにその背景では中産階級の若者たちによってロックとアンデス音楽が融合していく新たな局面が切り開かれていった。さらなる複数形のアンデス都市音楽の進化は、ロックというグローバルな潮流を糧にペルーにおいて花開きつつあった。
 ロックとアンデス文化の融合を目指す試みは、前回見たチチャだけに限らずさまざまな手法が試みられた。ペルーのロックはアルゼンチンやスペインなどに比べてマイナーではあるが、それでも中産階級を中心にガレージ・ロックやサイケデリック・ロックなどが一部で熱く盛り上がった時代を経て、その愛好者の裾野は徐々に広がっていった。そしていつしかロック側とアンデス音楽側から、それぞれの要素を取り込んだ新しい彼ら自身の音楽のあり方を模索する試みが形になり始めた。また、ロックやクンビアだけでなく、レゲエやバラード音楽も大きな影響をもたらし、ペルー・アンデス音楽との融合を徐々に進め、新たなフュージョン音楽が次第に形となっていった。その試行錯誤の時代、野心的作品が多く出たその初期には、なんだこりゃ的作品も時に見られるが(その分、インパクトと愛らしさがあったりして私自身は好きなバンドも多いが)、近年になって突き抜けたグループも登場してきている。

 ロックやレゲエなどに軸足を置きながらアンデス的要素を取り込む形でフュージョンを模索したグループは、ペルー各地で誕生している。その先駆けとなったのは、1960年代末にリマの若者たちによって結成されたエル・ポレンというフュージョン・ロックバンドだった。彼らはペルーで最も古いフュージョン・ロックのバンドとして、ケーナやバイオリン、チャランゴなどのアンデス・アコースティック楽器を積極的に取り入れた楽曲作りを行い、その後のペルーのフュージョン・ロック史に大きな足跡を残した。

 1985年にはワラスの大学生たちがペルー・レゲエ・バンド、トゥルマンジェを結成し、90年代を中心に大きな影響を与えた。オリジナル曲を中心に時にアンデス風レゲエやロックを模索し、地元アンカシュのチュスカーダ(ワイノの亜種)の名曲をレゲエ化したり、ペルーのアンデス及び沿岸部の名曲を取り込んで歌われた名曲「ペルー・レゲエ」など臆することなく自由な発想で楽しみながら演奏し、また故郷を離れた人達の琴線にも触れるメッセージも込めて大きな反響を呼んだバンドであった。ながらく活動を休止していたが、最近新世代のメンバーで活動を開始し、新譜も出しているようで個人的には嬉しい限りだ。

 また、ケチュア語ロック&ブルースの開拓者ウチュパも忘れてはならない存在だ。91年に結成された後一貫してケチュア語にこだわったロックを演奏し続け、ペルー南部アンデスの世界観をロックの中に再現しようと果敢に挑み続けるその姿勢はまさにロックと言っていい。

 
そして知名度と影響力という意味では、その翌年の92年に結成されたロス・モハラスは、まさにロックによってリマの下層に生きる若者たちの気持ちを歌い、ストリートの文化をロックに織り込みながら人気を得た先駆け的なロックバンドの一つだ。リマで差別され続けたアンデス住民のやるせない気持ち、先の見えない貧しい日々、帰れない故郷への思い、そういったものがチチャと同様に込められた彼らの歌は多くのアンデス出身の若者たちの共感を呼んだ。

 
また、幼少時代にスペインからペルーに移住し、アフロペルーやアンデス音楽に興味を持ちながらペルーのロックを切り開いてきたミキ・ゴンサレスも、絶対に忘れてはならない存在だ。ロックにアフロペルーのリズムと物語性、そしてアンデス風メロディのイントロを融合させた「アクンドゥン」や、アンデス先住民が持つコカの葉の世界観を歌った「緑の葉(オハ・ベルデ)」など、積極的なフュージョンを90年代初頭から展開し、国際的にも注目されたロック歌手である。特に「緑の葉」は、アンデス世界にとって聖なる葉であるコカ葉を扱っていることが問題とされ、MTVがコカ葉はコカインにつながると放映を拒否するなど大きな問題へと発展した。


 
1998年にはラ・サリタが結成している。このバンドは、ロックとレゲエ、アンデス音楽などを融合させた新たなフュージョン音楽の新地平を開いたとも言えるバンドで、今やペルーを代表する芸能となった儀礼舞踊音楽ハサミ踊りの特徴的な音楽と舞踏家ダンサックを取り込み、まさにロックとアンデス音楽が一体化した作品を精力的に発表している。

(つづく)
posted by eLPop at 13:42 | 水口良樹のペルー四方山がたり