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追悼:パコ・デ・ルシア (1) 最期の日々

2014.03.05

   2月26日、パコ・デ・ルシアの訃報が世界を駆けめぐった。幼くして天才ギタリストの名をほしいままにし、のちに神とも称され(その賛辞に、当人はほとほと嫌気がさしていたのだが)、フラメンコギターの地平を塗り替えてしまった男。とりわけ1980年末に来日した、ジョン・マクラフリン、ラリー・コリエルとの“スーパー・ギター・トリオ”は、ジャンルを越えて多くのギター・ファンに衝撃と興奮を与えた。81年のチック・コリアとの訪日セッションを含め、フラメンコ・フュージョンのひとつの形を提示したといえる。比類なき勇者へ、eLPop流の一文を捧げたい。
   2月25日の日没前、パコはメキシコのユカタン半島東岸、閑静なシュプハ海岸で、息子のディエゴと戯れていた。自宅前に広がるのは、シュプハの白い砂浜とターコイズブルーの海。彼は長年、安息と充電の日々を、メキシコのカリブ海岸沿いの家で過ごしてきたのだ。

   2日前に2週間のキューバ滞在を終え、メキシコ入りしたばかりだった。ここ数年のパコは、キューバへの個人的な訪問をとても楽しみにしていたと、二人の息子が証言している。
   暮れなずむ浜辺で、にわかに不調をおぼえ、救急搬送されたパコ。プラジャ・デル・カルメンの病院に運ばれた当初、医師との会話もできていたが、やがて昏睡状態に陥り、手当の甲斐なくこの世を去る。死因は心臓発作、享年66歳だった。(※参照記事:EL PAIS / Inés Santaeulalia, Cancún / 27 FEB 2014 “El ultimo día de Paco de Lucía”)
   明け方の悲報を受け、95年にパコの銅像を海岸通りに設置した生地、アンダルシア州カディス県アルヘシーラスの町は、ただちに3日間の喪に服すと公表。遺体はマドリード経由で母国への帰還を果たし、3月1日の葬儀に参列した故郷アルヘシーラスの人々は、最後の別れを惜しむように手を合わせ、慎ましくも静かなタンゴのリズムを刻んでいたという。
  フラメンコギター史は、パコ・デ・ルシア以前と以後とに分けられると、俗にいう。カンテ(唄)の歴史が、カマロン(・デ・ラ・イスラ)以前と以後で激変したように。ほぼすべての現役フラメンコギタリストが、パコの影響下で今も模索を続けているといっても過言ではない。葬儀で棺を担いだトマティート、ビセンテ・アミーゴ、カニサレス、然り。誰もがパコの突きつけた命題を、どう自分なりに打開すべきか、ずっと悪戦苦闘を強いられてきた。それは未来永劫、伝統を進化させるための宿命なのだろう。

  今や内外を問わず、パーカッショニストの多くが、基本セットにカホンを使う。もしパコ・デ・ルシアが、ラテンアメリカ・ツアー中のペルーで、この楽器を自らのセクステットに導入しようと決断しなかったら……現在のように、カホンがフラメンコで一般化することはなかっただろう。さらに、スペイン製のカホンが、かくも世界に拡散し得なかったはずだ。

  遡れば、国内ジャズ・サックス奏者との共演(1965〜67年)、打楽器ボンゴをルンバの録音に加えたのも、パコが最初だった(1973年)。いかなる批判をも恐れず、伝統至上主義者の非難をはねのけ、世界中のファンを魅了し続けた才人・・・偉大なり、真のイノベーター!

 一方で、愛すべき逸話がある。パコのサッカー好きはつとに知られており、事実、海外ツアー中も機会さえあれば、メンバー全員が逗留地でのゲームを楽しんでいた。90年代のリオで、ブラジル音楽界の親玉、シコ・ブアルキ率いる地上最強のアーティスト軍団“ポリチアマ”と対戦し、パコ・チームがボロ負けしたという新聞記事を読んで、爆笑したことがある。

 だから2001年の来日時、たった15分しか楽屋取材に応じてくれないパコに対し、いささか恨みがましい心情もはたらいて(?)、トラップをかましてみたくなった。「ツアーの空き日、わしらと東京で一戦交えようじゃないか」と・・・。そんな無謀な日本人記者の挑発に、インタビューにはさほど乗り気でなかった御大が、にわかに目を輝かせたという(その場に同席できず、残念)。

   数日後、公演先の札幌より、伝令役の通訳が電話をよこした。曰く、「本気でやるから、準備しとけ!」・・・(どっしゃーっ!)。結局、大雨のため試合開催はお流れになったのだけれど、万が一にも実現していたらと思うと、自然と顔がほころんでしまう。

 今回の訃報を受け、「心臓発作を起こす直前まで、息子とサッカーに興じていた」なる風説が敷衍しているようだ。ひょっとしたらあり得る話かも知れないし、スペインの記者がつい流したくなってしまった、それこそ、我らが“Radio Bemba”的な脚色だったのかも知れない。
posted by eLPop at 23:08 | 佐藤由美のGO!アデントロ