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「サルサ・ジャイアンツ」NORAインタビュー・その2

2014.03.01

私たちが出た最初の日が1万2000人、次の日が1万5000人ぐらい入ってたと思います。3ヶ所でやってて…私たちは“サム・クック”っていう一番大きなステージだったんですけど…まず私たち(セルヒオのオール・スターズ=サルサ・ジャイアンツ)、次がルベン・ブラデス、そしてサンタナ、という順。ベネズエラからたったの30分で来れるので、お客さんたくさん来てましたね。

今回、私は「サルサ・カリエンテ・デル・ハポン」だけ。最初は2曲やる予定だったんですけど、リハをやったら…ラテンではありえないんだけど…長すぎるってことで1曲カットになって。私の次がティト・ニエベス、ホセ・アルベルト〜っていう順番。ウィリー・チリーノ、アンディ・モンタニェス、チェオ・フェリシアーノ、チャーリー・サー、ルイス・エンリケ、オスカル・デレオン、マーク・アンソニー、だったかな?

マークと久しぶりにしゃべったら全然変わってなくてね。今回は、セルヒオに声かけてもらったから出演料フリーでやったらしいですよ。だからセルヒオも「これからはマークの仕事はフリーでやる」って。昔はカネのことしか昔はいわなかったのにねぇ…。

アンディ・モンタニェスはね、会ったとたんに、こう、手を取って踊って。もうおじいちゃんですけどね。「君とレコーディングしたい」ってずっと言ってて。「何がいい?」っていうから「ア・ミ・マネラは?」と、私が歌い始めたら、ちゃんと綺麗にハモリましたよ。おお〜〜〜!と思って…。あ、これやりたい、と。素敵ですよね。夢が広がって。
※「ア・ミ・マネラ/A Mi Manera」・・・アルバム『アカンガナ/Acangana』に収録された名ボレロ。
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ティト・ニエベスはさすがにいい声で歌もうまかったですね。デレオン、若いですよね。「これから走りに行く」って。彼はタクシー・ドライヴァーしながらバンドやってるときに、ベネズエラではなかなか食えないのでクラサオに来てライヴをやっていて、そのとき“クラサオのドン”ていう人が彼を気に入って、いろいろサポートしたらしいんですよ。なので彼はクラサオにとても恩義を感じていて、来ると必ず地面にキスする。ステージでもやってたらしいですよ。

マークは「また日本に行きたい」っていってましたよ。ルイス・エンリケは意外とシリアスで、楽屋でひとりでずっとツイッターとかやってる。神経質かも。生真面目なんだと思います。「ジョ・ノ・セ・マニャーナ」が異様にヒットしたじゃないですか。で、その話をして、「あのアルバム全部いいね」って話をしてたら、「ありがとう、次のはどうだった?」って(笑)。あ、気にしてるんだ、って思いましたね。
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「ジョ・ノ・セ・マニャーナ」の誕生秘話を聞いたんだけど、これはルイス・エンリケが持ってきた曲で、セルヒオは「こんな曲はクソだ」っていったらしい。で、ルイス・エンリケが「セルヒオがそういった曲はヒットするんだ」っていうわけ。「そうそう、『サルサ・カリエンテ・デル・ハポン』もそういわれた」っていったら凄い大ウケで(笑)。「やっぱりね」と。セルヒオはトップ・ストップ・ミュージックを立ち上げたばかりで、その最初のアーティストがルイス・エンリケ。そんなにヒットすると思っていなかったから軽めにアレンジしたらしくて、結局、それが良かったのかも…。セルヒオ節が炸裂しなかったのが良かったのかな? ルイス・エンリケらしさが出て良かったのかもしれませんね。

で、やっぱり歌が飛びぬけて凄いのはオスカル・デレオン。“ミスター・サルサ”です。声のノリ、リズム、アドリブ、すべてがパーフェクト。歌手が次々と出てくるから比べちゃうんだけど、デレオンだけ次元が違う。凄くて、もうビックリしました。必要なものをすべて持ってる。ベース弾いて踊ってましたよ。凄いな〜、元気だな〜、と。

アンディやチェオは、“味”じゃないですか? サボール。もっと優しさがあったり、深み。濃いコーヒーみたいな雰囲気。
チェオは昔から性格が良くて、プエルトリコに行ったときも必ず会いに来てくれて、いつも優しいんですよ。(共演盤を作らないうちに)セリアが亡くなっちゃったのが私の後悔なので、レジェンドたちが生きているうちに一緒にアルバムを作れればいいな、と思います。

セルヒオはいまパームビーチに住んでいるんですが、すごく変わった。穏やかになって。
「プロデュースをやり尽くして飽きてしまった。プロデュースはやめた」と、3年間、出版とかデスクワークみたいなことをやっていたそうなんです。で、離婚もして。でも2008年ごろに大きな交通事故に逢って、命拾いをした。左手首を損傷してピアノがちゃんと弾けなくなってしまった。それで人生に対する考え方が変ったらしくて、そのあとすぐにトップ・ストップ・ミュージックを作った。で、ルイス・エンリケが大ヒット。だから、「その事故がすべての悪運を持ってったみたいな感じだね。良かったね、生きてて」と。で、同じ奥さんと再婚して3歳の子供がいるんです。
「昔は、自分がプロデュースして、俺が俺がって思ってたけど、俺は変わった。俺はただ、みんなを呼んでるだけだ。呼び集めてるだけで、やってるのはみんなだ。みんなのおかげでこれができてる、っていまは思ってる」といってました。
「君変わったね、その話を聞いて嬉しいよ、涙出ちゃうよ。感動だな、良かったな」っていっておきました。昔のヤンチャなのを知ってるだけにね(笑)
(了)
posted by eLPop at 12:40 | 岡本郁生のラテン横丁