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キックオフ・パーティ選曲リスト

2014.03.01

 2月21日の「eLPop」キックオフ・パーティーにご来場いただいた方々、ありがとうございました。
 また、当日ご来場できなかった方、是非次回はお待ちしています。

 当日ご紹介した4曲は下記でした。

「私がキューバにはまった1曲」
@ コンフント・ルンババーナ「ラグリマス・ネグラス(黒い涙)」
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 ラテンにはまったきっかけは、ファニア・オール・スターズ『ライヴ・アット・トーター』収録「アナカオーナ」のラリー・ハーロウのピアノ・ソロだったのだが、キューバにはまったのは、この曲だった。1985年にビクター音楽産業から発売された“モダン・キューバン・ミュージック・コレクション”の中の1枚に収録された曲。監修は、中村とうようさんと竹村淳さん。キューバを初訪問されたばかりの竹村さんが、当時のキューバ音楽に衝撃を受けて企画されたシリーズ。ルンババーナ以外のラインナップは、シエラ・マエストラ、ロス・バン・バン、アダルベルト・アルバレス&ソン・カトルセ、イラケレ。
 そんなラインナップからルンババーナに最も惹かれたのは、その男臭いグルーヴ感が際立っていたからのような気がする。メンバー達が一丸となって迫ってくるグルーヴ感は、それまで聞いていたニューヨークやプエルトリコのサルサとは、ひと味違って感じられたのだった。このアルバムをきっかけに、1987年には、キューバを中心としたカリブ旅行を決行。キューバで見た音楽の数々にさらにショック受け、キューバ音楽の底なし沼にはまっていくことに。
 ルンババーナは、1950年代から続くバンドで、ホセイート・ゴンサーレスというピアニストがリーダーになった1960年代後半あたりから、独自の路線を打ち出し人気バンドとなっていった。ソンの伝統を付け継ぐダンス系ど真ん中のサウンドながらどこか現代的。でいながら、奇をてらったところが無く直球勝負なところが今聞いてもイイ。ホセイート・ゴンサーレスは、アダルベルト・アルバレスが憬れ尊敬していた人でもある。曲は、ミゲール・マタモロス(トリオ・マタモロスのリーダー)のソンの名曲。


「永遠の私のアイドル」
A ベニー・モレー「サンタ・イサベル・デ・ラス・ラハス」アナログ・シングル・レコードで


 キューバの永遠のアイドル、ベニー・モレー。数ある名演の中の1曲で、ベニーはキューバ各地域を取り上げた歌をシリーズで歌っているが、これは彼の生まれ故郷サンタ・イサベル・デ・ラス・ラハスを歌ったナンバー。
 もう何も言うことはございません!ベニーの声に惚れ続けています。マンボなどのアップからボレロなどのスローまで何でもOK。彼の一声で、バックのビッグ・バンドの音が自在に変化していく様には今でも身震いしてしまう。
 今回は、キューバでゲットしたRCA VICTORのアナログ・シングル・レコードで楽しんでいただいた。この曲が発売された1950年代には、キューバ各所にジューク・ボックスが設置されていて、民衆の多くはそこからの音で音楽を楽しんでいた。そんなジューク・ボックスに納められていたのがシングル盤(ドーナツ盤)やSP盤(78回転)なわけなので、CDではなくアナログ(特にシングル盤)を聞くと言うことは、当時のキューバ人達が楽しんでいた音像(音色の傾向)に近い音を体験できる、ということだ(と思う)。こういうイベントならではのお楽しみ、と感じていただけたら幸いだ。


「サルサ、ではない」
B オルケスタ・レベ「ミ・サルサ・ティエネ・サンドゥンガ」
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 1987年の訪キューバでもっとも衝撃を受けたバンドが、このオルケスタ・レベだった。エリオ・レベおやじが率いる、キューバの東部グアンタナモの地方色豊かなリズム、チャングイをアップデートして、1990年前後に絶大な人気を誇った。当時体験した、ライヴでの聴衆一体となったノリはいまでも忘れられない。私のレコード会社でも、当時アルバムを発売し、札幌の梶原さんの尽力によって1990年代初頭に来日も果たした。また、この曲の大ヒットにちなんで、キューバでは同名のテレビ番組が始まった。
 で、問題なのは曲名に“サルサ”という言葉が含まれていること。キューバではそれまでサルサという名称はほとんど使っていなかった。同系の音楽は“バイラブレ”というのが普通で、あくまで「ソンの発展系である」とうのがキューバ人たちの感覚だった。そこに“サルサ”という言葉を持ち込んだのが、当時人気絶頂だったエリオ・レベだったのだ。その後は、キューバ内外で、サルサという言葉が使われるようになってゆく。ただこの曲名は「私のサルサはサンドゥンガを持っている」という意味だ。サンドゥンガというのは、キューバ特有のノリ、血というような意味。ということは、私(我々)のサルサは、キューバそのものだと主張しているわけで、「ニューヨークやプエルトリコ、その他のサルサとは、違うんだ」と、宣言している、もっと言ってしまえば、「我々のやっている音楽は、サルサではない」と歌い上げているようなものだ。このあたりのキューバ人の感覚が分かれば、最近よくファンの間でささやかれる「キューバン・サルサとニューヨーク・サルサやプエルトリコなどのサルサとどちらが優位か」などという論争(?)が、意味のないものだと実感できるはず。このWebマガジンでは、岡本さんや伊藤さんなどとも連携しながら、それぞれの音楽の共通点や相違点を探っていきたい。


「キューバの歌の世界も多彩だ〜」
C マリア・テレーサ・ベラ「ウナ・ミラーダ(まなざし)」
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 キューバ音楽というと、「パーカッションが鳴り響くリズミカルで陽気な音楽」「とにかくグルーヴィーで思わず踊ってしまいたくなる音楽」とうのが一般的なイメージだろう。たしかにそういう側面が強いのは事実だが、キューバ音楽を聞き進むにつれ、それだけではないヴォーカル・ミュージックや器楽曲の奥深い世界も広がっていくことに気づき、ますます泥沼にはまってしまう。そんな歌の世界からキューバの女性歌手の先がけ、マリア・テレーサ・ベラをご紹介。
 今に繋がるソンのスタイルを確立したイグナシオ・ピニェイロが若き日に参加していたグループ、セステート・オクシデンテの女リーダーだったのがマリア・テレーサ・ベラだ。イグナシオは、このグループを発展させるかたちで名グループ、セプテート・ナシオナールを創り上げた。マリア・テレーサ・ベラは、このオクシデンテの活動前から、トローバドールとして活躍していた。トロバドールとは、シンガー・ソングライターやその作品を主にギター弾き語りで歌う、1800年代半ば頃から各地に出現した音楽家たちのことで、その中からキューバ的な感覚が徐々に熟成されたといわれている。いわば、キューバの歌の系譜をたどる上で、重要なルーツの一つとされている。マリア・テレーサ・ベラは、彼女の経歴からトローバ(トロバドールが演奏する音楽のこと)とソンの橋渡しをおこなった重要なアーティストとなのだ。
 この録音は、1961年にトローバのスタイルで録音されたもので、彼女と一緒にハモっているのは、ロレンソ・イエレスエロ。コンパイ・セグンドとその昔、ロス・コンパドレスというデュオ・グループを結成した、やはり歴史に残るミュージシャンだ。曲はトローバ時代を代表する曲で、それぞれ歌い手が違うメロディを同時に歌い一つの歌になるというもの。
 本サイトでは、キューバの歌の系譜や器楽曲の系譜の魅力も紹介していきたい。
タグ:キューバ
posted by eLPop at 10:39 | 高橋政資のハッピー通信