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パノラマ★ペルー音楽:ペルー音楽いろはのい

2014.02.24

 イメージ先行で、知られているようで意外と知られていないペルー音楽。
 ペルーといえばインカ!マチュピチュ!ナスカ!そして「コンドルは飛んでいく」!なんてお約束のイメージの呪縛に縛られて、なかなかペルーの地元で熱くたぎっている生の音楽が外に出て行かない。行けない。多様で、グルグルとダサい美学に凝り固まっていて、それでいて一度聴くと頭から離れない粘着質な魅力があって、そんな癖に時に粋でさっそうとしていたり、馬鹿騒ぎで超イケイケハイテンションだったり、下ネタギリギリを攻めていたり、ものすごい体育会系だったり、ともかくありとあらゆる魅力が至極残念なことになかなか理解されていないので、今日はそのさわりをちょこっと紹介して、「うぉっと、ペルー音楽って実は面白いんじゃない?」と一人でも多くの人に思ってもらえたら…と妄想しながら書いてみることとしたい。

 繰り返しになるが、ペルーって言えばなんといっても栄光のインカ帝国があった国である。数々の古代遺跡の謎が今なお多くの浪漫となっており、世界遺産マチュピチュは今一番行きたいパワースポットと成り果てている。
 
その一方で、実は国土の多くをアマゾン熱帯雨林が占めていたり、ラテンアメリカへの初めの日本人集団移民が行われた国であったり、そしてアフリカ系の奴隷
文化が沿岸部には色濃く息づいていること、そして何より料理が美味くて祭りが激しく盛り上がって、人が熱くて風景は雄大でとにかく病み付きになるスポット
なのだ。まあ、そんな僕のペルー愛を垂れ流してもうざいだけなので実際にもう少し紹介していこう。

Mapa de Peru.png


◆Música Serranaアンデス音楽

 それではまずはアンデス地域の音楽だ。
 そもそもイメージとしてのアンデス音楽はなんとなくインカ音楽というイメージにかなり引きずられているが、実際にはかなり違ったものであると言わざるを得ない。そもそもスペインによるインカ帝国征服は、アンデスの伝統社会の崩壊、人口の激減抜きに語ることはできない。加えてアンデス住民はキリスト教カトリックによるもともとの信仰の邪教化という魂の征服を耐え忍ばなければならなかった。そんな過酷な状況による未曾有の文化喪失と再編制が、植民地時代を生き抜くことを強いられた先住民が取らざるを得なかった選択だ。アンデス社会はそれまでに受け継いできた多くの伝統を手放し、新たに押し付けられた西洋起源の文化を多数受け入れざるを得なかった。その結果、弦楽器を知らなかった山奥の村々でも、布教とともに教会音楽を演奏するために伝わったバイオリンとアルパ(アンデス・ハープ)が演奏されるようになる。アンデス音楽とは、スペイン語とケチュア語を中心とする2言語がそれぞれのコスモロジーを民衆音楽の中で混交しつつも並列して展開し、担い手自身がその2文化の境界を往復しながら紡いできたものなのである。

 日本でアンデスの音楽といえば、マイナー調の郷愁を誘うメロディや、日本人にも馴染み深い5音音階などのイメージがどうしても強い。それは、半分は当たっているが、同時に超イケイケのメジャー調の曲も非常に多く演奏されているのも忘れてはならない。おそらく、この「郷愁を誘うマイナー調のメロディ」幻想は、ペルーのみならずエクアドルからチリ、アルゼンチンまでの広い範囲で愛された哀歌ヤラビーのイメージに引きずられているように思われる。このヤラビーという音楽は、ギターを伴奏に静かに物悲しく歌われるメスティソ歌謡で、アンデス都市部で暮らしたメスティソたちの音楽世界の重要なエッセンスが凝縮された精緻かつ繊細なアンデス哀歌だ。おそらくこのイメージにケーナがアンデスの風景の中に鳴り響くイメージなんかが被さってくれば、「ジ・アンデス音楽」みたいなステレオタイプが出来上がるのだろう。
 しかし、実際にはバカみたいな馬鹿騒ぎの曲や、うら若い女性がいる場所では憚られるような過激な下ネタの歌なんかもたくさんあり、アンデスに生きる人々がコミュニティの中では開放的な歌の文化を持っていることがわかる。
 そのアンデス音楽を最も背負って立っている音楽がワイノという音楽だ。アンデス文化や音楽への造形が非常に深いことでも有名なペルーの作家アルゲーダスは「ワイノの歴史はアンデス民衆の歴史だ」と述べているが、ワイノは、アンデスに生きる人々の心を映す歌謡として、広く愛されてきた音楽だ。一言でワイノと言っても非常にその演奏される地域は広く、また地域差、階層差も大きい。それ故に故郷のワイノを聴くと大抵その出身がわかるというほどである。ともかくペルーの全アンデス地域で愛されている音楽であり、ペルーのアンデス音楽の根幹を担ってきた音楽といえばワイノなのである。またこの音楽の異称も各地にある。そもそもボリビアではワイニョと呼ばれているし、ペルー国内だけでもパンペーニャ、チュスカーダなど様々な名前でも演奏されている。兎にも角にも、ペルーのアンデス音楽を知りたければまずワイノを聴くべし、ということは間違いない。とは言え、このどっぷりディープなワイノの世界は、初めの一曲目は刺激的でも、初心者にはアルバム一枚全てワイノという音楽世界はちょっと敷居が高かったりもする。しかし、この初めの階段を登ってしまえば、めくるめくワイノまたワイノの魅惑の世界が広がっていることお約束なので、ぜひ一度トライしてみてほしい。

 その他、近年は農作業唄に起源を持つワイラシュやカーニバルの音楽など、さまざまな伝統音楽が民衆歌謡に取り入れられている。古典から聴くか、最先端から聴くか、はたまた地域ごとの違いを楽しんでいくのか、楽しみ方は人それぞれ。ぜひ自分にあったアンデス音楽の楽しみ方を見つけてほしい。

◆Música Criolla y Afroperuana ムシカ・クリオーヤ&アフロペルー音楽
 アンデス音楽に比べて沿岸部の音楽は、日本ではぐっと知名度は落ちてしまう。しかし世界的に有名な演奏家の数は、沿岸地域もアンデス山岳地域に比べてもけっして劣ることはない。征服者たちとその子孫であるクリオーヨたちがヨーロッパから持ち込んだ民衆音楽や宮廷音楽に加え、奴隷として連れて来られたアフリカ系住民の音楽的要素、そしてさらにアンデス先住民の要素も混淆するなかで生み出されたのがムシカ・クリオーヤと呼ばれるペルー沿岸部の音楽だ。それに加えて20世紀半ばにはアフロペルー音楽の復興運動が起こり、新たにアフロペルー音楽がペルーを代表する音楽として大きく認知され、今ではペルーに無くてはならないものとなっている。沿岸部を代表するこの2つの音楽は、互いに重なり合う部分も持ちながら、それぞれの歴史的文化的アイデンティティを背負って現在も熱く、幅広い世代に、多様な展開とともに愛され続けている。

 クリオーヤ音楽、そしてアフロペルー音楽のそれぞれの起源とされる重要な音楽にマリネラmarineraがある。この前身とされる音楽は19世紀頭には既にサマクエカzamacuecaという名前で大流行しており、ペルーからチリ、アルゼンチン、ボリビアへと人気は広がり各地でクエカcueca(主にチリとボリビア)やサンバzamba(アルゼンチン。sambaではない)という名前で親しまれた。中でもチリで爆発的に流行したため、エクアドルやメキシコの一部地域ではこの音楽は今なおチレーナchilena(チリ風)と呼ばれていたりするほどだ。スペイン的伝統とアフロの伝統が混淆することで生まれたこのマリネラ(19世紀末にペルーではこの名前になった)は、非常にローカル色が強く、アンデスにはアンデスの、そして沿岸部でも地域によってそれぞれのスタイルが今なお残っている舞踊であり、即興の歌曲だ。パーティ音楽の花形として大流行するが、20世紀に入るとその主役は徐々にバルス(vals:ペルー風ワルツ)やポルカなどに奪われていった。また20世紀半ば以降、北部のスタイルであるマリネラ・ノルテーニャは舞踊コンクールで独自の発展を遂げ、バンダの演奏で非常に洗練された踊りへと発展していったのも特徴的だ。

 クリオーヨたちの音楽を語る上で重要なのが「ハラナ」と呼ばれる精神だ。まあ、簡単にいえば「馬鹿騒ぎをとにかく楽しむこと」に尽きるのであるが、フィエスタでいかに楽しむか、そしてその時の音楽に乗って楽しく踊るのか、冗談を言い合い、お酒を飲んで笑いあいながら同じ時間を共有するのか、そういう彼らのパーティ哲学がハラナという言葉の中には詰まっている。そのハラナ性をもっとも象徴する音楽がマリネラ・リメーニャ、つまりリマのスタイルのマリネラであったし、バルスやポルカでもハラナなナンバーがかかると、その場は一気に盛り上がった。そういうハラナな心意気がクリオーヨたちのフィエスタでは大切にされた。

 ペルーでバルスがムシカ・クリオーヤの中心となっていったのは、20世紀の前半期にたくさんの名曲が作られ、バリオ(下町)のフィエスタの主役として愛唱され、かつ踊られたことが大きいだろう。バリオごとに特色を持ち、週末ごとに夜を徹して踊られた時代はやがて伝説的な作曲家や音楽家たちの登場やレコードやラジオといったメディアによるスターの誕生によって更に発展していき、70年代まで沿岸部の中心的な民衆歌謡として不動の地位を築き上げた。バルスには大きく分けてフィエスタで踊りまくるためのハラナな音楽としてのバルスと、しっとりと歌を味わうための演歌的なバルスの2つに分かれており、歌手それぞれがこの両者を歌い分けながら場を盛り上げていった。

 ペルーにおけるアフロ音楽の復活は、50年代のアフロ系集落からの都市移民が、既に失われていたと思われていたアフロ文化を保持していたことが「発見された」ことがきっかけであった。そもそもアフロ系住民が1%にも満たないペルー社会において、アフロ系であることは差別される要因でしかなかったため、多くの都市に住むアフロ系住民はアフロ文化をはやばやと放棄し混血のクリオーヨとして生きることを目指す流れが強かった。そのため、失われたと思われていたアフロ系文化の発見は非常に重要なニュースとして受け止められ、それがきっかけで寸劇や音楽、踊り、詩などを通じた文化運動へと発展していった。そしてその活動は海外でさまざまな賞をとることで知名度を得ていき、国内でもアフロペルー音楽を踊るペーニャなどが生まれて次第にペルー社会に根付いていくことに成功した、まさに稀有な事例だ。
 音楽や踊りを復活させる際には、カリブやブラジル、アフリカの音楽を実際に研究し、彼らの伝統とより合わせながら再構築されたものも多く、その意味で新しく生み出された部分もおそらく多いだろう。それでも集落に残っていた祭りの音楽や踊りなどと融合しながら今ではペルーを代表する音楽文化へと成長し、多くの人を魅了する音楽となったのである。ねっとりとしたリズムが魅力のランドーや、軽快な明るいリズムが魅力的なサマクエカ、そして何よりも一番人気の激しいフェステホなど、さまざまなリズムのアフロペルー音楽が今では新曲を年々増やしながら踊られているのだ。そう考えながら聴いてみると、さらに感慨深い思いがあるものだ。

◆チチャ/クンビア chicha /cumbia
 現代ペルーにおいて、もっとも大衆的で広く愛されている民衆音楽を一つだけ挙げよというならば、それはチチャ、もしくはクンビアという名前で親しまれている音楽を選ぶことになるだろう。クンビアは、コロンビア発祥のダンス音楽であり、広くラテンアメリカの民衆に愛されているダンス音楽だ。ペルーではこのクンビアが他国に先駆けて独自に進化した。そのもっとも初期のスタイルがチチャと呼ばれたクンビア・アンディーナ(アンデス風クンビア)であり、そのインパクトの大きさから、今なおペルーのクンビアは対外的にはチチャと呼ばれることも多い。国内的には、チチャ以外にアマゾンスタイルや北部スタイルなどさまざまなスタイルがあり、それぞれに名前が付けられていたりもする。
 ペルーのチチャの魅力はなにか、と言えば、個人的には何よりも愛らしいまでのダサさにある。歌を見ても踊りの振り付けを見ても衣装を見ても突っ込みどころ満載でネタの宝庫といってもいい。そのくせ歌は粘着質で気がつけば口ずさんでしまうほど頭に残りやすい。もともとのクンビアにボレロやロックやワイノなどさまざまな音楽を融合させることで彼ら自身の感性に合わせて再構築されたチチャは、ペルーにおいて無敵の民衆音楽へと成長していった。最近はさらにサルサやレゲトン、サンファニート、カイピーラなど彼らの身近な音楽をますます貪欲に取り込みながら発展を続けている、まさに目が離せない音楽だ。フィエスタの花形として、ディスコの定番として、そして彼ら自身の人生のお供として今では無くてはならない音楽として、まさにペルー的音楽性をも背負って立つ存在となりつつある。こんなふうに書くと、なにやら洗練されたお固い音楽を想像してしまう人もいるかもしれないが、真逆である。時に洗練された作品もあるが、基本はベタベタの歌謡であり、そのベタさが人気の秘密としてあくまで泥臭く甘く直球で攻めるペルー式ラテン歌謡なのだ。そしてそのハイブリッド性が時代時代の感性をうまくキャッチしながら常に老いも若いも虜にする、そういう効用を持っているのかもしれない。

 その他、ジャズやロック、サルサ、クラブ音楽といったメジャーどころの音楽もペルーでは非常に盛んだ。ペルー人の感性で咀嚼し、彼ら自身の表現としてさまざまな挑戦が日々行われている。こういった最新のポップな情報から、その起源にせまるレポまでを今後少しずつ紹介していきたいと思いますので、お付き合い頂ければ嬉しく思います。
posted by eLPop at 12:59 | 水口良樹のペルー四方山がたり