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『特集:私はいかにしてラテンにハマったのか?高橋めぐみの場合』

2014.02.14


 私が小学生の時に流行っていたのはグループサウンズ(GS)だった。もう大変な人気だったのだが、7歳の私は「何か違う」と思っていた。ガキのくせに「甘ったるい」GSには今ひとつ夢中になれなかった。「ブルー・コメッツはまあまあ好き」と思った渋好みの7歳児の心に「じゃんじゃらじゃ〜ん」と響いたのは、濃い顔立ちの西郷輝彦が歌う「星のフラメンコ」だった。


さっそく祖母におこずかいをねだりシングルレコードを買った。そして、飽きずに毎日聞いたのが、私と(広義の)ラテン音楽との正式な出会いだったと思う。もっと小さいときに「シャボン玉ホリデー」に出ていたスマイリー小原の「テキーラ!」とかを聞いたような気もするがその辺の記憶は曖昧だ。今思えばあれは「パソ・ドブレだろ」と 突っ込むところだが、渋好みの7歳児にはとにかく「星のフラメンコ」のリズムのインパクトは強烈だった。もちろん、今でも歌える。

とはいえ、その後はごく平凡に歌謡曲やフォークや洋楽のロックを聞く子供時代を送ったのだが、中学3年生のある日、乗っていた車のカーラジオから突然流れて来た曲が、次の強烈なラテン体験となった。それはミゲリート・バルデスの「ババルー」。それを聞いた瞬間から15歳の箸が転げても可笑しい年頃だった私は笑いが止まらず、大変な思いをした。なぜそうなったのかは不明。思春期特有の症状だったのだと思うが、今でも「ババルー」を聞くと自然に笑みがもれる。たとえそれが宝塚の人が歌う妙ちきりんなやつでも。

そして、次のもっとも大きな出会いは大学を出て就職し一人暮らしを始めたときに訪れた。ある日、「こういうのもいいよ」と友人がかけてくれたレコードがウィリー・コロンの「ソロ」だったのだ。1曲目の「ヌエバ・ヨルク」が流れてきたその時、人生が派手なティンバレスの音を立てて変わってしまったといっても過言ではない。その直後、ヌエバ・ヨルク(ニューヨーク)に行った際に、ウィリー・コロンのライブのポスターを見て絶叫。SOB'sで本物に接することが出来たときには言葉では言い表せない幸福に包まれた。現在のようにネットで簡単にライブをチェックしたりできない時代で、しかも旅の予定はあらかじめ決まっていたので、「これは運命だ」と思った。

 そんなこんなで私のラテン音楽人生は始まった。河村要助師の「サルサ天国」と「サルサ番外地」を教典とし、レコードを買いあさり、年に1度見られるかどうかのライブにはおしゃれをして出かけ、ダンスもなんとか習得した。スペイン語を習ったのも歌詞が理解したい一心からだ。いつの間にか、ラテン好きの友人知人に出会い、気がつけば今は音楽の仕事をしている。ルベン・ブラデスと名刺交換したときには「夢じゃないよ」とにんまりした。

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