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『特集:私はいかにしてラテンにハマったのか?長嶺修の場合』

2014.02.14


キューバの土を踏んだのは、かれこれ四半世紀前のことで、その頃はまだソビエト連邦という国家が命脈を保ちインターネットは一般に普及してなく『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』の大ヒット以前であったから、東西冷戦下にあって、旅行でキューバを訪れる日本人もそれほど多くはなかった時代、海外渡航経験に乏しい学生風情にとってキューバは遠い彼方に思える領域であったわけだが、当時、広尾駅前の一等地にあった在日キューバ大使館で情報を仕入れ、メキシコに留学していた友人と落ち合って、メキシコシティからハバナへと向かうクバーナ航空の古びた機体に乗り込むと、がっつりとした体型の女性乗務員が両手いっぱいに抱えた壜ビールを配り歩く姿に南国の島の開けっぴろげなムードが漂っていて、薄暗くベールに包まれた「東側」のイメージは早くも霧消したのであった。


 
1週間ちょっとのキューバ滞在中には、イラケレとコンフント・ロベルト・ファスのリハーサルを見学し、コンフント・ルンババーナとロス・バン・バンのライヴを観たりすることができたのだが、そのパフォーマンスは言うまでもなく、現地での超絶人気ぶりにも圧倒されたロス・バン・バンが導き手となるかのように、偶然にもメキシコシティへの帰りの便でリーダーのフアン・フォルメルと一緒になって、彼らの巡業先であったアカプルコまで深夜バスに揺られて追っかけ、その後すぐに実現した来日公演では友人経由でステージ設営のバイトにありつき、同時期に来日していたティト・プエンテのステージに、ロス・バン・バンの打楽器奏者として名を馳せていたチャンギートが飛び入り参加するという場面にも居合わすことができて……、という巡り合わせが学生時代に連なった結果、漂着することになったのが「いまここ」、この通り(calle)なわけである。

 
もちろん、キューバ行きに至るまでには、松岡直也らのラテン・フュージョンとかサンタナ、ラテン・ジャズやサルサなどに親しんでいたから、これが原体験というわけではないのだけれど、この時のキューバ行きの縁で最初の職場(ラティーナ)に就くことにもなったのだから、これがオイラの運の尽き、ではなく、決定的な現地体験となったのだった。


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