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『特集:私はいかにしてラテンにハマったのか?水口良樹の場合』

2014.02.14

気高き戦いの歌に撃ちぬかれて -Mercedes Sosa-

 私とラテン音楽との出会いは、ただその曲一曲を聴いて魂を撃ちぬかれたことによって始まった。たぶん小学校高学年だったと思うが、ある日私は、いつものようにうちにあるレコードを適当に選んでかけた。おそらくそれまでにも何度も聴いていたはずであるそのレコードであったが、ある日ある時ある瞬間、突然今まで何となく聴いていたその冒頭の一曲目に心を撃ち抜かれたのであった。


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 シンプルなリズムを奏でるギターに、低い声で語るように歌い出される強い意思を感じさせる歌声。そしてその歌声は高らかにリフレインを歌い上げ、曲間には雄々しい語りを入れる。まさに心のどまんなかを射抜かれたまま、曲の最後のコーラスが終わるまでその前を動くことが出来なかった…ように記憶している。

 
 そもそも、なんとなく手にとったレコードを、それがどういう音楽ジャンルのものかすら考えることなくかけていた私は、その時はじめてそのレコードをしげしげと眺めた。黒を基調とした白黒の写真に髪の長そうな人の横顔が少しぼやけて映っており、のたくったような横文字が書いてあった。当時小学生だった私は、そもそも全くその文字が読めなかったし読もうとも思わなかった。裏面をひっくり返すとそこにはこう書いてあった。『我が歌は民衆の声
メルセデス・ソーサ』 その時はじめてこのレコードを歌っている人がメルセデス・ソーサという歌手であるということを知り、その魂を撃ちぬかれた一曲目のタイトルが「この手に大地を」という邦題を持つ曲であることを知ったのだった(原題はCuando tenga la tierra)

 実は、このレコードの解説には当然この歌手がアルゼンチンの歌手であるとかいろいろ書いてあったのだが、当時の私はアルゼンチンがラテンアメリカだという意識もなく注意も払わないまま、ただただかっこいいと引き込まれ、歌詞対訳を見つけて読んではさらにその歌詞の内容の気高さに打ちのめされて、他の部分には全然注目することのないまま、ますますぞっこんになってしまった。我が家にはメルセデス・ソーサのレコードが
2枚あり、それを繰り返しかけていると、ある日、父から実は来日時にコンサートを聴きに行ったという話を聞き、非常に羨ましく思ったことを覚えている。

 メルセデス・ソーサは 1970年代にアルゼンチンで起こったヌエバ・カンシオン(「新しい歌」)のムーブメントにおいて中心的役割を果たした歌手で、力強いその歌声と民謡風のスタイルで歌われるメッセージ性の強い社会変革を求める楽曲で大きな影響力を持った歌手である。中でもこの私が心奪われた「この手に大地を」は、小作農たちが自分たち自身の土地をいつか手に入れたならその時、新たな世界が始まるだろう。だからそのために戦っていくのだと、戦い歌うことを高らかに宣言している。そしてその歌詞は、アルゼンチンの伝統文学から当時の宇宙開発までさまざまな事象を織り込んで歌いあげられたヌエバ・カンシオンの傑作であると私は思っている。

 しかし、作者のダニエル・トロからペルーのエルサ・パラオ、ボリビアのロス・マシスやルイス・リコ、果てはクリスティーナとウーゴまでがこの曲を歌っているが、この上記のアルバムを聴くたびにソーサの偉大さを改めてまざまざと見せつけられ、心を直にわしづかみにされる。小学生だった私はこの歌の歌詞に惚れ込み、その歌声に魅せられてカタカナで歌詞を聞き書きし、片言で一人歌ったりして悦に入っているちょっとおかしな子どもだった。宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」なんかが好きなちょっと理想主義的な子どもだった私は、その気高い歌詞に本当にヤラれてしまっていたのだ。

 そんな風に周りの誰からもソーサのすごさを教わることなく、誰ともその感動を共有することさえないまま、ただただこの歌声、この人の歌うこの曲に魅せられ続けていた。それどころか高校ぐらいまで私はソーサが男性だと思ってずっとその歌声を聴き続けていたのだ(それほど彼女の歌声は雄々しかった)

 同じ小学校の頃、私は児童文学作家やなぎやけいこさんが書いた『遙かなる黄金帝国』と『まぼろしの都のインカたち』に出会い、インカ帝国に漠然とした憧れを持つに至っていたが、まさかその両者が同じ大陸を扱ったものであるとは、全く想像だにしなかった。

 インカと、ソーサを中心とするヌエバ・カンシオンフォルクローレ音楽がつながったのは、阪神大震災がきっかけであった。当時大阪の高校3年生だった私は、中学時代の友人たちと共に西宮のとある団体に春休みを利用してボランティアとして参加していた。そのボランティア先には、某大学のフォルクローレ・クラブの部員も参加していて、ある時みんなに演奏してくれた。その時、ケーナやサンポーニャで演奏された「灰色の瞳」や「トードス・フントス」を聴いたことから、僕の中でインカとフォルクローレ、ヌエバ・カンシオンが一つの線としてつながり、ラテンアメリカ文化というものへのあこがれはより一層本格化することとなったのだった。

 大学は、日本唯一の文化人類学科を持っていた京都の大学に第一期生として入り、そこで知り合った友人たちと民族音楽のクラブを立ち上げた。そうして少しずつラテン音楽を聴き、演奏を試みるようになっていった。大学の3回生の時に実際にペルーに行くことで、ペルーアンデス音楽に関してはクスコのソニア・ヤスミナを通して、ムシカ・クリオーヤに関してはエバ・アイヨンを通して出会っていくことになるが、それはまた別のお話ということで。


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