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『特集:私はいかにしてラテンにハマったのか?宮田信の場合』

2014.02.14

フェンスの向こう??

そこに特別な思いがあるわけではないけれど、生まれてから50年とちょっと、地元の調布周辺から離れたことがない。今も、三鷹市との境、東京天文台が近くにある小高い丘の上にあるアパートで暮らしている。目の前には、調布飛行場の滑走路が南北に伸びていて、その向うには、警察学校や東京外大の建物が聳え立つ。ここ数年、公園の整備も一気に進んで、皆さんジョギングや犬の散歩とかでなんだか忙しそう。

南側には、巨大UFOのような味の素スタジアムが鎮座しているが、先日は、渚なんとかというフェスも開かれて、近くにある病院や老人ホームにも爆音4つ打ちの大攻撃。そんな再開発の結果、何だか慌ただしくなった調布飛行場周辺が、俺の生まれ育った場所だ。


ガキの頃、その飛行場周辺はフェンスに囲まれた立ち入り禁止地域だった。内側にあったのは、日本のなかのアメリカ。戦後、アメリカに接収され、関東村という米軍専用の住宅地になった。ユーミンのあの歌に出て来る「調布基地」のことである。とにかく、中にも外にも、軍関係者の家族が沢山暮らしていた。基地の外側で暮らす子供たちは地元の学校にも通っていて、低学年のときの親友は、ピーターというそばかすだらけの白人だった。彼の家は、芝生の庭をもつ豪華なアメリカン・ハウス。冷蔵庫のなかには、見たことのないクッキーやジュースで溢れていた。日本語を全く話さない父親の愛車は大きなハーレー・ダビッドソンで、ショベルヘッド・エンジンが奏でるあの爆音は、まさにアメリカそのものだった。



ひとつの都市伝説を憶えている。フェンスを越えて基地の中に潜入すると、青いパトロール・カーに乗った米軍ポリスにピストルで撃たれるという話。どこそこの日本人が撃たれたという作り話まであって、近所のガキどもは、威嚇するように英語で併記された看板を掲げたフェンスには絶対に近寄らなかった。が、なぜだろう、俺はどうしてもあのフェンスを越えて、アメリカ側に行って見たかった。モノが溢れ、違う言葉を話す、あいつらの世界をもっと覗いてみたかった。



ある日、チャンスがやってくる。放課後、いつものように悪友と自転車でウロウロしていると、管制塔の脇から伸びる道が、米軍敷地内へ通じているのを発見。
ラッキーなことに、いつも見える青いパトロール・カーもいない。迷った挙句に突入決行。ゆっくりとペダルを漕いで忍び込む。しかし、
300メートルぐらい進んだところで、突然、角を廻ってきた青いパトロール・カーと遭遇。一気に方向転換、そして全速力。ピストル発射もアタマをよぎる。まさに命がけの大逃走である。

無事、元の場所に辿りついて後ろを振り返ると、青いパトロール・カーは遥か後方で悠然と走っている。そして、ゼイゼイと息を切らしながら呆然とする俺たちの前を何もなかったかのように、そのまま走り去って行った。基地が日本へ返還されたのは、その直後だったと思う。子供たちの知らない間に取り決めが行われ、フェンスの向こうからアメリカがだんだんと消えていった。昭和48年頃の話だ。



ボーダーという言葉を聞くと、今でもあのフェンスを思い出す。国境警備隊は、あの青いパトロール・カーだ。侵略と越境。国家と移民。抵抗と融合。相反する力が作用している現場がどうしても気になる。ボーダーランドやチカーノ・バリオの文化に魅了されるのは、そんなガキの頃の体験があったからと、最近思うようになったが、どうなのだろう。
posted by eLPop at 00:49 | Calle eLPop