1995年、オルケスタ・デ・ラ・ルスに大問題が降りかかります……
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大問題! BMGビクター問題っていうのが起きてね。
(デラルスは)BMGビクターと本契約で、(サブ・ライセンスが)RMMだったじゃないですか。で、売れたら、1993年に国連平和賞を取ったりして。その直前かな……BMGのドイツの本社が、日本にそういうアーティストがいるって気がついちゃったんですね。どうも世界的に売れてるアーティストがいると。だから、日本のBMGビクターに対して、それは誰だ?と。「お前のところにワールドワイドで売れてるアーティストが一人いるだろう。そのインフォメーションをください」って話になって。
『Sabor de la LUz』(1995)(BMG)
実は、最初のスタートの時に、ドイツの本社に対して、「日本でこういうことをやるんだけど、ラテン・バンドなんだけど興味あるか?」っていう、一応打診はしてあって。でも、ナシのつぶてで何にも興味を示さなかったんで、「じゃあ(サブ・ライセンスは)RMMでやろう。これ、OKだ」って始めたんだけど、売れ出したら「売れてるだろう」って話になったわけ。で、ドイツの本社が、「そのアーティストはうちのアーティストだからRMMを切れ」って。BMGでディストリビューションするから、って話になって。そこからもう、仕事できなくなっちゃったんですよ。
RMMは、すべてのクラブとかローカルのイベンターとか、全部を牛耳ってるわけですよ、各国のメイン・イベンターたちを。それが途切れちゃって、もう、デラルスはどこ行ってもコンサートできなくなっちゃったんですよ。また、場末のクラブだけの仕事になって……。
――そういう仕事もやったんですか?
やりましたよ。ニューヨークでもできないから、ニュージャージの奥の奥の韓国人がやってるクラブとか、そういうとこ行って。でもギャラが出ません、みたいな話とかね。ギャラが出ない話はヨーロッパツアーのときもあったし、いろんなとこであって。すったもんだがあって。
Nora y Orquesta de la Luz en Orchard beach - New York - 1995
――難しい……
ホントのエンターテインメントの世界とか厳しさとかね、そういうのを散々味わって。
――ギャラが出ないんじゃ、できないですもんね。
ギャラが出ないのはね、中南米のイベントではしょっちゅうだから。ギャラ出るまでステージ上がりません、っていうシステムなんだね。
――難しいですね。
BMG本社がそういうこと言うわけですから。日本のBMGも責任を感じて、電通の人とかいろいろ協力を得て、アメリカのビッグ・エージェンシーのウィリアム・モリス・エージェンシーに話を持ちかけたから、って言って、ロサンゼルスでミーティングまで行ったんですよ。まずロイヤーに会いに行こうって言って。
エンターテインメント・ロイヤーに会って、ライダー(rider:追加条項のこと)とか整えなきゃいけないからって言って、世間話から仕事の話になったら、時計でカウントするような、1時間いくらの本格的なエンターテインメント・ロイヤーと話をして、ウィリアム・モリス・エージェンシーの人とも食事したんだけど、「半年くらい連続でアメリカ・ツアーをする、それも、グレーハウンド・バスで」っていう条件を出されて。当時、うちのメンバーも、他のバンドの仕事もいっぱいしてたんで、とてもじゃない、受けられないってことで、これ以上の活動は難しいよね、って感じ。
――そんなことも含めて、カルロスさんは、“燃え尽き”じゃないですけれども・・・
さすがに疲れちゃって。その交渉を全部やったし、結局、日本のレコード会社も、それまでどこもそういう経験がないから、海外の会社とはタメで仕事することができないんですよね。
――そうですよね。
日本から売り出す!って売り出して、ホール借りてそこでコンサートやりました……みたいなことはできるけど、向こうのシステムの中で仕事してないじゃないですか。今はだいぶ増えたけどね。他に前例なしですね。難しい話ですけどね、これね。
――いや〜、ホントに先駆者ですよね。
やらざるを得なかった。
――でも、それがラテン・ミュージックの世界だったわけですね。カルロスさんもホントに、まあ、通訳の方がいるにせよ、英語もスペイン語も話して……
いや、スペイン語はもうホント、片言しかできないから。英語もね、最初行った時はろくにできなかったですよ。ヤバいと思って、そこから必死で勉強して、一応まあ、なんでも……シビアな会話はちょっと難しくて通訳が必要だけど……普段の会話ぐらいはできる。
――やっぱりすごいですよね〜。
だからいろいろ、サルサのビジネスの世界っていうのかな、その、やっぱりクラブありきで、そこで受けるか受けないか、みたいな(ことを実感しました)。
Orquesta de la Luz 1998
「客の拍手はカネだ」って、(RMMの)ラルフ・メルカドがずっと言ってたという話があって。「まず、クラブで受けなきゃダメだ」と。クラブの人たちの感覚っていうのが大前提としてあって。映画「グリーンブック」に、クラブのイタリア人オーナーの話が出てくるじゃないですか。あれがコバカバーナなんですよね、イタリア人の女性オーナーで。
熱帯(JAZZ楽団)で行った時も、コバカバーナで1日ギグが入ってたんだけど、僕らがやり始めたら、その女性オーナーが烈火のごとく怒り出して、「あのバンド早くおろしてちょうだい!」って大騒ぎになって。「歌がないじゃないの? 客は踊ってないし、こんなバンドはダメだ」って大騒ぎになって。「即刻おろしなさい!」みたいな話になって。客は喜んで聴いてるんだけど、踊ってないとダメなんですよ。ダンス・バンドじゃなきゃダメだし、しかもその、ちゃんとコロ・カンタがあって、ソネオがあって、歌で持っていけないとダメ、みたいな。
そういう場所だから、ラルフとかはやっぱりそこを分かってて、そういうもので受け入れられるものっていうのを中心に考えたんだけど、でもだんだん……デラルスもきっかけになってると思うけど……マーク・アンソニーとかDLGとか、そういうことじゃないコンサート系アーティストとかを、ソーホー(SOHO)レーベルって作ってね、そっちでそういうことをやり始めて、それが今のトニー・スッカルとかのコンサートアーティストに繋がっていく動きになっていく。その後、フアン・ルイス・ゲーラとかが現れたり、コンサートでラテンを聴かせるみたいなことが始まっていくんですよ。
――確かにそういう意味でも・・・
過渡期ですね。
――ちょうどそっちに移っていく分かれ目なんですね。
(PART6に続く)


