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イベント『バッド・バニーの真実』文字起こし Part2

2026.01.24

=2025/11/6に行われたイベント『バッド・バニーの真実』の文字起こしです。=
(Part 1より続く)

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【2】アルバム『DeBÍ TiRAR MáS FOToS』の衝撃とプエルトリコの歴史

――プロレスやってるのもあってというのも変ですけど、結構ガタイもいいし、かっこいいからね。そんな中で、今年のはじめに出た、『デビ・ティラル・マス・フォトス』っていう作品がまた一気に、全米ナンバーワンになって。もう本当に世界のスターですよね。

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伊藤: 2025年のSpotifyのアクセス回数っていうのはもうぶっちぎりトップですし、それから累計も、テイラー・スイフトとか、ビリー・アイリッシュとか他の大スターをぶっちぎって聴かれている。

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ちょうど明日(2025/11/7)がグラミー賞のノミネートですが、ケンドリック・ラマーとマドンナとバッド・バニーは決まりっていう前記事が出てました。そんな感じですよね。

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(*註:2025/11/7に発表となったグラミー・ノミネートの概要は下記)

■メイン3タイトル【年間レコード】【年間アルバム】【年間曲】で行くと、バッド・バニーサブリナ・カーペンターレディ・ガガケンドリック・ラマーの4人が共に3部門に入ってって4者互角。(但しラマーはSZAとのコラボが2つ)

■数で行くとケンドリック・ラマーが9部門、レディ・ガガは7部門、バッド・バニーはサブリナ・カーペンターやレオン・トーマスと並んで6部門ノミネート。

メイン3タイトルの他は、バッド・バニーはウルバナとグローバルとカバーのノミネート。ガガやカーペンターはポップ4タイトル/MVに登場。ラマーはラップ4タイトルに登場(コラボ多し))


――なんで日本では(騒がれないんだろう)・・・?という感じがあるんですけど、

伊藤:なぜですかね。 他の国ではすごいのに。
このアルバムが1月5日に出た時に、6日の全世界Spotifyのチャートは26カ国トップだったんですよ。でも日本はとても静か。

――来年3月来るっていう噂があって、来て欲しいとは思うんですけど・・・本当に心からね。だけど、問題はどこでやるかっていうことで。
さっきアヤコさんもおっしゃってましたけど、プエルトリコで7月から9月半ばぐらいに、全部で31回の連続公演がありまして、計60万人以上動員。会場が2万人ぐらいのところで超パンパンで満員に入ってて、単純計算で62万人ってことですか? でも日本で2万人のところでやって、来ますかね?っていう。


伊藤:プロモーターの名前も出てるんですけど、アメリカが本社かな。
それで日本社が一応受けることになってると思うんですけど、どこの会場でどれくらい入れられてやれるだろうか、って迷ってて日にちが出てないんだと思うんですよ。

(*註:2026/1/20現在、日本公演の正式アナウンスはなし。このタイミングでアナウンスがないので3-4月の大型公演は事実上ないものと思われる)

――ちょっと悲しい感じですよね。

伊藤:それもあって、岡本さんとこのイベントをやろうって(笑)。

――そうそうそうそう(笑)伊藤さんといろんな話をする中で、どうなってんのよコレ?って、よく言ってんですけどね。
『DeBÍ TiRAR MáS FOToS』、高際さんから話出ましたけども、プエルトリコ文化っていうところも全面に押し出してますね。

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では伊藤さん、ここで、プエルトリコとはという話を・・・


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伊藤: 会場にはプエルトリコのこと、よくご存知の方もいっぱいですけど、一応おさらいを。プエルトリコってどこにあるか、アメリカ国民でもよく知らないのがいっぱいいるっていう事なんですけど。南北アメリカの地図があって、米国からフロリダ半島が南南東に伸びててて、その伸びた先はキューバですね、カリブで一番大きな島。
そこから二つ東に行ったこの島がプエルトリコ。四国の半分っていうか、鹿児島県とか広島県とかぐらいの大きさです。

ここに今300万人ぐらい住んでます。一時は350万-60万人いたんですけど、2017年のハリケーン・マリアの大被害の後、不景気もあり、インフラも復旧遅く、どんどん島を離れて今300万人ぐらい。でもその分だけ本土の方が増えてる。本土ってその倍の600万人ぐらいいます。統計上、何をもってプエルトリカンとするかっていうのは、アメリカの国勢調査であるセンサスでは、自己申告なんです。自分は何だっていうね。それだと600万人いて島の倍ぐらい。

こういう島なんですけど、次に歴史を。

コロンブスが15世紀、1493年の2回目の航海で到達。そこから数世紀の間スペインの領土です。その間、欧州でイギリスとかフランスがのしてくると、カリブ海を狙ってイギリスとかフランスは海賊を雇ってですね、スペイン領を襲わせました。いわゆるカリブの海賊ですね。

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プエルトリコには何度も押し寄せて一時イギリスにやられちゃったこともあるんですけども、最終的にはずっとスペインが統治してました。

18世紀おわりに、ヨーロッパではフランス革命がおきました。その影響で、カリブ海ではフランス領だったハイチで革命が2年後に起こりまして、カリブで初めての独立国ができました。

その辺りからスペインも力が弱くなってきて19世紀に中南米の植民地がどんどん独立していった。プエルトリコも19世紀に独立運動が起こります。これはキューバも同じ。キューバとプエトリコはその頃一つのかたまりなんで、キューバ独立の組織とプエトリコ独立の組織がニューヨークで一つの塊になって、動いてました。なので旗のデザインも同じで。

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プエルトリコでは1868年にラレスという山の町で蜂起した独立運動(Grito de Lares)がスペイン軍に抑えられちゃって多くの人が死んだりしました。

そういう風にスペイン領の中で独立しようという機運が高まりかなりそれが進んでた。ところが、その19世紀の終わりに、なんとアメリカがスペイン相手に戦争を起こしたんですね。米西戦争です。アメリカの拡張の始まりみたいなもの。

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勝ったアメリカがスペインから奪ったのはカリブ海だとキューバとかプエルトリコ、カリブの外ではハワイ、グアム、それからフィリピンとかね。アメリカはそこからどうするかなっていうと、フィリピンは直接統治は大変だから、独立させる。キューバも色々使い手があるから傀儡政府で独立させたわけです。プエルトリコやグアムとかは植民地として放置。

ちなみにハワイなんですが、ハワイは元々王国があって平和に暮らしてたんですが、じわじわとアメリカ人が入ってきて、米西戦争の時、ハワイに拠点を置きたいと思ったアメリカが王国をひっくり返して1900年に併合して自治領にしちゃいました。その後1959年に州にします。

そんな風にアメリカが米西戦争を機会に、拡張に動いてキューバ・プエルトリコ・ハワイ・フィリピンの運命を変えたわけです。

で、プエルトリコはどうなったかというと、1898年にアメリカ領になり、1900年にとりあえず、植民地として一つの役所を置いて治めることにした。

その後、1917年のちょうど第一次世界大戦が始まる頃でアメリカは兵隊が欲しかったんですね。なので、「あ、プエルトリコを市民にしちゃえば兵隊に使える」と思って市民権を1917年に与えたんです。これがプエルトリコの大きな変化でした。

多くのプエルトリコ人がアメリカ市民として従軍してきた。
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一方、その15年前、キューバは独立させ傀儡政府を置いて、コントロールする。禁酒法の時代もキューバにいけばリゾートを楽しんで飲めるようにした訳です。

で、プエルトリコの方は市民権を得た。市民権を得たということは、先ほど岡本さんが言いましたけども、プエルトリコからアメリカ本土へ行く人は「移民」じゃなくて国内引越しなんですね。引越しで自由に行けるようになった。キューバはそうではない。

なので、その後、いろんなハリケーンの被害もあったりなんかして、随分多くの人が出稼ぎに行くんですけど、最初は船で3−4日かけて、1940年代後半からは飛行機で4-5時間。やはり一番近い大都市てで仕事の多いのはニューヨーク。

(下記)映画『Gua Gua Aeria』(空飛ぶバス):1960年代のプエルトリコからNYにバス感覚で飛行機で働きに出る小型飛行機でのバタバタを描いた映画(1993年作品)
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まだマイアミなんか小さかったので、とにかくニューヨークだった。

で、その後、米国はプエルトリコをどうしようか第二次世界大戦後の1948年ぐらいに、民選の知事を置くようにした。それまではずっとスペイン語もできない知事をアメリカが送り込んでたんですね、でもその間に、島から搾取する構造を作り上げていた。

例えば米国資本が銀行を作っていってどんどん貸し付けてみたいなことですね。
あと地元の砂糖産業はどんどん買っていって、農地も買っていって単一農業にしてそこから吸い上げるとか。アメリカはこの1900年の頭から民選知事に移すまでたっぷりそこに仕込んだわけです。

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50年植民地化するとさすがに地元民におさめさせないと、っていう事で初めて1948年に民選で知事ができ1952年に「自由連合州/ELA」という自治の地位を得る。しかしそ50年代っていうのはハリケーン大被害とかいろいろあってですね、移住がぐっと増えた時期なんです40年代か後半から50年代っていうのは、プエルトリコから大量の本土移住者が動いた時代。やはりNYが多い。で、ニューヨークの音楽に大きく影響します。

音楽好きな人はご存知だと思いますが、40年代から後っていうのは、ニューヨーク・マンボが始まる時代ですよね。
ニューヨーク・マンボっていうのは、キューバでカチャオとかが生んだマンボが源流なんですが、キューバでは実はマンボは流行らなかった。

それで、メキシコに移ったペレス・プラードが流行らせ、ニューヨークに持ってきて大きく広がったってことなんですが、40年代50年代のその音楽を聴いたのはNYにいたプエルトリカン中心なんですね、キューバ人ではなくて。NYのプエルトリコ人人口は1940年の6万人から50年の19万人、60年に60万人と爆増です。ウエストサイド物語(1957年)の時代です。それだけ増えてもう2世代目みたいになってきた時に若いあんちゃんたちが、っていう話なんですね。

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そこでニューヨークのラテンの世界が始まるわけです。つまり音楽はプレイヤーだけの話じゃないのて、リスナーとして急激に増えたプエルトリカンがいたことが重要。

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一方、先ほどもお話した通り、プエルトリコの中では暮らしが難しかった。米領になってからの砂糖産業やコーヒー産業、銀行を押さえたり、それから公安、法律もがっちり固めていったんですね。

これがまた巧妙で。例えば僕はプエルトリコで働いてたんですけど、その時に日本から車を輸入するんですね。

日本から車ってどうやって来るかというと、例えば横浜港で日本車を積んで、パナマ運河通ってフロリダ半島の、例えばジャクソンビルとか、あの辺の港に下ろして、それからプエルトリコにディストリビューションされます。カリブ海にはいろんな国の安い船が行き来している。でもアメリカからプエルトリコに輸入するものっていうのは、必ずアメリカの船でじゃなくちゃいけなくて、安くても他は使えない。

アメリカの法律が1920年以来存続しています。(Merchant Marine Act of 1920。いわゆるジョーンズ法。現在は形を変えて、46 U.S.C. §55101 などとして現在のアメリカ法典に組み込まれている)

他のカリブの国はそういうのがない。プエルトリコは一旦アメリカに入って、そこの倉庫、倉庫代も使って、そこのトレーダーのコミッションも乗っけてアメリカ船でプエルトリコに入るっていう。

なおかつですね、エクサイズ・タックス(Excise Tax)っていう税金があってもう関税みたいに輸入の時に払う一種の物品税。ガソリンとか自動車とかにかかります。それがまた何パーセントか乗るんですね。だから高い。

でそれは一応国内税でプエルトリコの政府が使えるのですが、一方で関税もフルであるから物価は高くなる。関税は連邦税なので米国政府が徴収した後、一般予算の財源となって、各州に連邦財政支援として配られる。特に教育支援、医療補助、インフラ助成とかです。
プエルトリコも 連邦歳出による支援を受けています。 しかし多くの制度で 州より低い待遇・制限された支援しか受けられていない。

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っていう風にアメリカは、お見事にいろんなシステムを組み込んでるわけです。

人間的に支配したっていうことだけじゃなくて、法的に経済的にっていうのが出来上がってるのが、その1900年代から今まで。最低賃金も本土並みに上がらす。自然災害後の復旧サポートも手薄で産業も育たない。
そうするとみんなやっぱり外に働きに行かざるを得ないっていうことになって、それがニューヨーク・マンボを生んみ、サルサも生んだっていうことで。

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――今の、差別っていう話ですが、もう、巧妙にやるっていうのは本当にそうで。
アメリカ国内の方の、移民、あ、移民じゃない移住者の話ですが、国内の話で言うと・・・ちょっと文献見ると、ニューヨークの会社とか雇う方が「ラテン系はダメ」って言ったら絶対アウトなんで、例えば「身長170センチ以上じゃなきゃダメ」とか(という言い方をする)。そういうふうな条件をつけると、ラテン系の人はそんなに背が高くない人が多いので、必然的にラテン系はハネられる、みたいなね。
そういう巧妙な手も使って(差別をしている)・・・というのはあったっていうふうには聞いてますね。


伊藤:見事にずっと食いもんにされてきてサポートも少ない。

――そんな中から出てきたサルサ、そしてレゲトン、で、バッドバニーということなんですけど、ちょっと休憩をとって、『デビ・ティラル・マス・フォトス』の話をしたいと思うんですけど、ご質問があれば。

質問:本でチラッと読んで、「どこまでどうなんだろう」とずっと思っていたことが、60年代くらいまで、プエルトリコの女性に対して国がこの避妊手術を勝手にする権利があったみたいな。そういうのは、どれくらいどういう感じでやられていたのかって、ずっと気になっています。

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アヤコ:治験をやっていたのはありますよね。
避妊手術じゃなくて、わからないですけど、治験をすごくやるのに、ピルの治験とか、そういうのを最初にエルトリコでやるんですよね。

製薬会社とか未だに結構多いんですけど、水も綺麗だし、たぶんもともとそういう地盤もあるかもしれないですけど、そういうのを見て、プエルトリコでまだ開発中の薬とかの治験をする。

――製薬会社とかが多いんですよね。

伊藤:製薬会社が来るのは、1976年に936条項っていう企業が海外領土で上げた利益への連邦税を免除する優遇税制が出来た。産業誘致ですね。最終的には1996年から2006年の間に廃止になったんですけど、それの優遇措置や低賃金があるので製薬会社もたくさん進出しました。カグアスとかね。

それより前の50-60年代にピルの大規模実験を最初にやったのがプエルトリコ。被験者は結果的に主に低所得層の女性ですが、十分なリスク説明もせず。

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そういうことを製薬会社はやっぱり国内の州の地域じゃやれないことだよね。
実験ね。薬量(*エストロゲン・プロゲスチン)が現在の臨床試験よりずっと高いもので治験していた。副作用がでた事例も報告されているようです。しかしこの辺が強く追及されなかったのは準州(Commonwealth)なので、米国連邦議会で代表権を持っていない政治的弱さも影響していると思います。現在はそのあたりの医療の歴史研究では倫理問題として批判されていて、この事例が知られるようになっています。

――じゃあ、すみません、ちょっと休憩をいただいて、アルバム『デビ・ティラル・マス・フォトス』の話をしたいと思います。

(PART 3に続く)

posted by eLPop at 17:07 | Calle eLPop