2025年は2冊の編著の編集作業に追われた一年だった。その成果の一つ、石橋純・伊藤嘉章編『都市のリズム:旅する音楽、人、街の物語』(鹿島出版会)が10月に上梓された。共編者の伊藤嘉章をはじめ、eLPopメンバーの水口良樹、高橋めぐみの寄稿、宮田信へのインタビューが収録されている。私と伊藤さんはライターとしても参加している。
本書の詳細はまたの機会に譲るとして、ここでは高橋めぐみ「ビーゴ:ガリシア人の魂の音楽」で紹介されている一曲、エルネスト・レクオーナの「Para Vigo me voy(私はビーゴに帰る)」を取り上げたい。
発表は1935年。リズムは、カーニバルの熱狂を運ぶコンガである
Para Vigo me voy 史上初録音とされるザビア・クガートと彼のオルケスタ版(1935年12月発表)
https://youtu.be/vSqOJXA-NgI
コンガのパレードへ行こう、ほら。 急げ、もうボンゴが鳴っている マラカスも、ティンバルも響き渡る 愛しい人よ(ミ・ネグラ)、行列についていこう コンガは一度過ぎたら、もう戻らないのだから
私はビーゴに帰る 愛しい人よ、さよならを言ってくれ さあボンゴのマエストロ、叩いてくれ 踊りたくてたまらないんだ 私はビーゴに帰る、帰る、帰る
ほら、コンガが行ってしまったら もう二度とあの音は響かない 私はビーゴに帰るんだ
(石橋純・訳)
19世紀から20世紀初頭にかけて、スペイン・ガリシア地方から中南米へ、多くの移民が海を渡った。1898年までスペイン領だったキューバはその主な渡航先だった。1929年の世界恐慌と砂糖価格の暴落は、彼らに逆方向の旅――ガリシアへの帰還を促した。この曲は、そんな「帰郷の波」の中で生まれた。
歌詞にある「ミ・ネグラ(mi negra)」は、直訳すれば「黒人女性」だが、キューバでは肌の色を問わず、愛しい女性へ向ける親愛の呼称だ。おそらく彼女は、出稼ぎに来た主人公を支えた恋人、あるいは現地妻なのだろう。
小金を貯めたのか、あるいは成功者となったのか。男はキューバを去り、故郷ビーゴへ帰る喜びに震えている。現地のカーニバルに同化し、コンガのリズムを聴けば踊らずにはいられないほどこの島に馴染んだ彼にとって、これが最後のパレードとなる。「コンガが終わっちゃう」と恋人を急かす彼に、彼女を故郷に連れ帰るつもりは毛頭ない。男が急かせば急かすほど、祭の喧噪と色彩を背景にして浮かび上がるのは、透明人間のような女のシルエットだ。
作詞を手掛けたのは、フランシア・ルバン。ウクライナのキーウに生まれたユダヤ系移民で、ニューヨークの音楽界でラテン音楽の紹介に尽力したプロの作詞家である。スペイン語にも堪能だったらしい。Lubanという姓は東欧アシュケナージ系であるので、スペイン系ユダヤ人(セファルディム)が話すラディーノ語を母語としていたわけではなさそうだ。おそらくは移民として生きる中で習得した言語なのだろう。
ディアスポラとして自身も様々な別離を生きた彼女が、この歌詞に移民のリアルを込めたのだとすれば、次のような読みが可能にならないだろうか?
ここ描かれるのは、帰郷に浮かれる男の残酷な無邪気さと、置き去りにされる女の悲哀である。 歌詞の中で、女性は主体的な言葉を持たない。だが、そうすることでルバンは、男の馬鹿騒ぎから一線を画し、悲しみを封殺して立ち尽くす女の姿を、逆説的に際立たせようとしたのではないか。彼女の「ノリの悪さ」は、恋人との別離を前にした必然の沈黙だろう。ストリートに響き渡るコンガのリズムが、その切なさをより一層、色濃くしている。
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