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ラテンミュージシャン・インタビューシリーズ:カルロス菅野 PART2

2025.09.06


(PART 1 より続く)

(東京に移った菅野さん、いよいよデラルスの活動が始まります)

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菅野:東京に出て行く前に、(オルケスタ・)デル・ソルが大阪に来た時に、大阪の「桃山学園オールナイト学園祭コンサート」ってのがあったんですよ。そこにデル・ソルが出ると。で、楽器がないというんで、ゲタ夫さんだったか誰かから、「楽器ちょっと頼めない?」「いいですよ」って言って、自分の楽器を持ってそこに行って貸してあげて、その時に大儀見(元)に初めて会って。まだ入ったばっかりの頃。

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――じゃあ、82、83年?

そのくらいかな。それで知り合いになってて。
で、もう一つは、ヤマハのLMCのコンテスト出た時に、ジュニアでNORAとか大儀見たちのバンドが出てたらしいんですね。で、その時ジュニアで優勝したのはチェッカーズだったんですよ。僕らがシニアっていうか大人の部で優勝して、その時にNORAは客席にいて僕らがやってるの見てたんですって。


――それ、なんかちょっと聞いたことあるような・・・なんかコンテストで、と。

そう。ヤマハのLMCのステージで、僕がパーカッションやってるのを見てて。
で、僕が東京出てってクロコダイルにデル・ソルを見に行ったら大儀見がいて、NORAもいて。で、「ああ知ってる知ってる」とか、大儀見は知ってたから「お久しぶり」とかいう話をして、NORAも「ああ知ってる、私見たんです」みたいな話になって。

で、ちょうどその頃、大儀見とNORAで若手の次世代のサルサバンドを作ろうって言ってた時で、それで、そこの場だと思うんだけど「コンガ探してるんだけどやんない」って話になって。「やるやるやる」って言って始まったんですよね。ちょうど時を同じくして。


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――その時はだから、NORAと大儀見さんとカルロスさんと・・・

(江川)ゲンタ、沢田(浩史)くん、

――ほぼ・・・

で、ピアノは前島康明っていう初代のピアノ、今はもう作曲家大先生になっちゃってる・・・。で、その頃もう、(佐々木)史郎くんいたのかな? ホーンはね、いろいろ、カネコキンちゃん(金子隆博, sax)がいたりね、いろいろしましたから。原宿の「サンビスタ」から始まってね。

――曲は何やってたんですか?

その頃は(レイ・)バレットとか、(エディ・パルミエリの)「ヌンカ・コンティゴ」とか(セリア・クルスの)「クカラ」とかそういうの。硬派サルサ系のことやってて。


Eddie Palmieri "Nunca Contigo"


――それ、歌はカルロスさんも歌ってたんですか?

いや。僕はもうその頃は、コロとコンガ専門だった。僕がコンガで、大儀見がボンゴで、ゲンタがティンバレスだったんですよ最初は。最初のラインナップですね

ーーそうか。面白いですね、タイミング的に。すごいタイミングですよね。じゃあ、ウィリーさんの方が先に東京に来て、松岡さんのところは・・・

僕の先代だから、僕の2、3年前なんじゃないですか? たぶんそうですよね、82年とかじゃないかな。

――以前、ウィリーさんと話していて、やっぱりカルロスさんとのコンビネーションがすごい良い、っていう話になったんです。やっぱり、なんかこう、あるんですかね?

ちょうど、ウィリーはプエンテだったじゃないですか。フレーズが全部プエンテだから、僕はカルロス・パタート・バルデスに憧れてたから、そのお互いのヴァイブがそこで共通項で合うわけですよ。
ウィリーに「プエンテ行けー!」っていって、こっちはベース・ラインをやってる、みたいなコンビネーションが出来上がってたから、そこが上手くいったんじゃないですかね。


――松岡バンドの印象っていうか、なんかエピソードは・・・

いや、松岡さんのバンドでは、もう散々勉強させられましたよ。ていうか、いろんなものを頂きましたよね

――やっぱりそこは一つ大きいんですね。

いやもう厳しかったしね。もう厳しい厳しい。もう、毎回、コンサート終わると楽屋来て30分から1時間説教ですからね。毎回ですよ、毎回、毎回

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松岡直也

――例えば、どんなことを説教されましたか?

スピード感のこと散々言われましたね。「遅い!」って。

松岡さんめちゃくちゃ速いんですよ、裏がね。裏が速いんだけど、テンポは速くなんないんですよ、不思議なことに。少しは速くなるんだけど。考えられないぐらい前行くんだけど、それについていけないんですね。それを散々もう毎回言われて。

あの頃松岡さんは「僕がやってるのはロックなんだ」って言って、「ドラムは2,4だ」って言って、ドゥーン、ダー、ドゥーン、ダーっていってて、僕とウィリーがラテンで突っ走らなきゃいけないんですよ。ゲタ夫さんと3人でね。そのドゥンダー...に対してラテン隊が後ろ行っちゃったらもう絶対ダメなんですよ。常に前にいなきゃいけないと。

それを毎回のように指摘されて。ウィリーに結構、集中攻撃をしてたんですけど(笑)、それは言いやすかったからだと思うんですね。自分が連れてきた子だから。それを通じてみんなに伝えてるみたいな。
でも、それに喰らいついて、喰らいついて。松岡さんのソロの入り口のスピード感のアクセルが入るんですよ。わかるんですよね。グーンってアクセル踏むから、そこを掴んでなきゃいけないっていう・・・。アクセル入った!って、そこにピタッとくっついていかないと、みたいなことをずっとやってて。


――でも、上手くいって、今日はまあまあだったな、みたいなことは?

いや、ほとんどなかった(笑)。でもまぁ、オッケーの時は何も言われないですからね。ニコニコして、何も言わない。ダメな時はもうとにかくダメ。

あと、大変だったのはレコーディングですよ。
松岡さんは「簡単だから」って言って譜面をパンと出すんですけど、そこに16分(音符)が鬼のように書いてあって(笑)、「うーん、これなんだー? えっと〜」みたいになって。ウィリーは読めないとわかってるんで、読まないんですね、譜面で音楽しないから。あらかじめ松岡さんが音を渡して、こう、音で覚えてきてるんですよ。僕らは当日スタジオで渡されるんですよね。そうすると、それをまず解読するのにみんなでスタジオの真ん中で車座になって、「これをどう解読する?」みたいな。そこから始まるんですよ。解読して、「こうだね。♪ダンチャダン、タラタタタタタタタタタタタタタター」そこをまず解読して。相当鍛えられましたよね。


――さっき、あんまり譜面は得意でないっていうことをおっしゃってたけど、やっぱりやっていくうちに当然・・・

そうですね、大阪にいた時にスタジオの仕事とかやり始めないかって言われて。浪花(エキスプレス)の清水興とかに「そろそろスタジオの仕事とかもやれば」って。「でも譜面が俺、苦手なんだよ」って言ったら「いや、パーカションだったら勉強すればすぐできるよ」って言って、そこからいろいろこう譜面のことを勉強し始めて。ま、一応ギターも弾いてたし、全く何も知らなかったわけではないので。それを体と見たものとマッチングさせるだけの作業をずっとやって。でも最初はいろいろ大変でしたけどね。間違っちゃったしね・・・

――松岡さんに、終わってから楽屋でいろいろいわれて、そのあと、リズム・セクションだけのリハとか、そういうのやったりするんですか?

いや、リズム・セクションだけのリハとかじゃなくて、当時ね、僕がちょうど来た頃、例えば森村献ちゃん家で夜集まって、アメリカのね、軍の関係のプエルトリカンから送られてきたビデオとかの鑑賞会があるんですよ。

そこにペッカーから、それこそゲタ夫さんから、もうみんな集まって、キムチさんもいて、ウェリーもいて、ミチャキーノもいて、俺もいて、みたいな。で、どんなことをどうやってるんだろうっていうことを解析する会みたいのがあったんですよ。それをしょっちゅうやってたんですね。

それをやりながら、昼間は千駄ヶ谷の公園でみんな楽器持ってきて、一日中、ボカチャカボカチャカ叩きまくって、そこでどうなってるか解析しようよとかね。そういうところでアンサンブルを身につけていこうっていう会が、あちこちであったんですよ。

で、例えば、当時のボデギータとか、誰か外国の、ダニエル・ポンセが来たって言ったら、ワークショップやってもらおうよ、みたいな感じで。みんなで集まってそれを見たり。

そういう情報交換会みたいなのが夜な夜なあって。で、そこで外でアンサンブル作ってるみたいな。同時にデラルスも始まってたし、いろんなとこでそういうことをやってましたね、外でね、


――千駄ヶ谷の公園で。

そうそう、今はきれいになっちゃった国立競技場の下のホープ軒とか近くにある、明治公園。それこそチカブーンとかみんな集まって。もう僕らも、ウィリーも俺も、みんな大規模になって。一日中やかましかったと思いますよ。バカすかバカすかやってんだから。

――誰かがそこの近くに住んでたんですか? じゃなくて、なんか・・・

なんとなくそこが根城みたいになってて・・・。あと、大儀見とミチャキーノと俺の3人で、砧公園でバタのアンサンブル会とかね。3人でこう、一日中バタ叩いてる、みたいなことやってた。

――へえ、そういうのがあったんですか。

そういうのがありましたね。

――あまり知られていないですよね、そんな話は。

いや、それはもうあの、本当に創世記はみんな・・・。中心がね、森村献宅が結構中心だったんですよ。そこにみんなで集まって。納見(義徳)さんとかも来てた。

――ああ、そうなんですか。じゃあ、世代もちょっと・・・

乗り越えて、みんなでこう・・・。そこでダンスステップはどうなっているのかとかね。情報が当時ないじゃないですか。

――その頃その、ちょっとダンスのお話というか、ダンスってどんな感じだったんですかね?

その頃は誰も分からないですよね。デル・ソルのライブとか、僕はなぜか踊りが好きで、体を動かすの好きで、踊り方わかんないんだけど、デル・ソルのライブで僕とNORAが客席で踊りまくってる、みたいなことがずっとあって(笑)

――あの頃ってなんかその本当にちっちゃなコミュニティで踊っている人っていうか、踊り始めた?勉強し始めた?なんだっけ、オルケスタ246の人とか。

はいはい、僕もちょっと一時期お手伝いしてましたけど、

――もう本当、そこも手探りで同じように手探りで進んでたっていう。

当時ヘンリーさんとかも献ちゃん家に来てたりしたから、その向こうのバンドの動きをそこでみんなで解析しようよみたいな。そのステージダンスのね、ステップをそこでやってましたよ。エル・グラン・コンボの動き方とかね、コンボ・デル・アジェルの踊りとかね。


El Combo de Ayer "El Viento me da" 2分30秒くらいからのダンスに注目。
フロントは左からルイジ・テキシドール、ペジン・ロドリゲス、アンディ・モンタニェスの
ボーカルに後ろからペジンとアンディの間にロベルト・ロエナ(bongos,campana)登場。


そういうのをどういう風に取ってんだろうみたいな、見た目と全然違うんですよ、僕らの考えてるのとね。「2」で踊るから、ああ、こういうことなんだって。

その頃なんとなくそういうことをやり始めて、デラルスも始まってたし、デラルスもステージで簡単なステップだけど、大儀見とNORAが前でステップを合わせて、これでやるみたいなことをやり始めてたし、僕も好きだったし。

その後海外行くようになってから、もうちょっと深いとこへ入っていくんですけど。ダンス界の話もね、いっぱいあるんですよ、裏話は。したいことがもういっぱいありますよ。
今やもうすごいダンス界になってますけどね。


――ダンス界の話もわけわかんなくなってますよね。

ダンス界は最初・・・ダンス界の話に入っちゃいました。これちょっと別ルートですけどね。
デラルスで海外行き始めて日本に帰ってくるじゃないですか。誰も客席に踊れる人いないですよね。でも向こう行くと、目の前でクラブ・ブロードウェイとかね、パレディアムとか、名ダンサーたちがバリバリ踊っていると、こっちのビートがめちゃくちゃ良くなるわけ。ああ〜、こういうグルーヴなんだ!って。

日本に帰ってくると誰も踊れないと、こうなってるだけだ、と思って何とかしなきゃって、日本に帰ってきて日本のコンサートの前にダンスレッスンをやるようになったんですよ。お客さんに向けて希望者を募って。
そこで、一人じゃできないから、NORAはボーカリストで忙しいし、東京と大阪にサルサ・ダンスができる子を見つけて、ペアダンスのレクチャーを始めて。それが東京は市川奈美だったんですよね。


――大阪はキヨミ(中村清美)さんとか。

そう、キヨミだったんですよ。ニューヨークで僕知り合ったからね。
で、そこから始まって、なんとなくそこの教室が始まって、そこから弟子ができて、そこからいろんなとこへ行ってってなってって・・・で、その当時僕らがやってたニューヨークスタイルのON2とロサンゼルススタイルのON1との派閥争いって(笑)、もうすでにそうあったんです、始めからね。
僕はどっちでもよかったんだけど、僕は最初に当時のBMGビクターで、じゃあダンスレクチャービデオ作りましょうよって言って、うじきつよし主演でビデオ作ってたんですよ。あの時はON1で作ったんですよ。


――でしたね、ON1でしたね。

難しいから。で、あれのコーディネートしてくれたのがキヨミだったんですよ。そこで習ってたから。
で、作るにあたって、ON2ももちろんできるんだけどあそこでも。ON2だと最初とっつきにくいんで、じゃあON1でやろうっていうことになって、あのビデオをON1で作って、最後に付録でON2の映像を入れたんですよね。エディ・トーレスのとこの人を頼んで。


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――僕も持ってます。

僕らとしてはON2を普及させたかったんだけど、最初日本人にとってちょっと難しいかなと思ってON1でスタートした。

――(伊藤が)プエルトリコにいた時に、キヨミさんが1回目のコングレスに来て、で、結構みんなあれON2で踊ってるって結構評判になったんですよね。

ニューヨークはみんなON2でしたからね。

――ちゃんと踊れたんですよね。

ON2で踊るとね、ビートの解釈が全く変わるんですよ。
ンクパク、ンクトゥトゥン・・・そのコンガのアクセントとピッタリ合うようになるから、パレディアム・ダンサーズみたいな人たち、みんなON2だから。


――それって、カロスさんも旗振った役だし、さっき出たキヨミさんと奈美さんと、みたいなところで。でも、コミュニティというか、教えられる人って本当に数少なかったわけですよね。

でもそこからどんどんどんどん枝分かれして、で、今度、海外にいた人が戻ってきてこういうことやれるんだったらっていう人が増えていって、スポーツクラブでもサルサ教えるみたいな感じになって。その間にコングレスという問題が起きて、そこにある人が現れて・・・(笑)

――そうですよね。

ある人が、問題の人が現れて、そこで利権を全部持っていくという。

――そうですよね(笑)。

そこから僕もノータッチです。ここにはタッチするのやめようと。

――なるほど・・・これはこの辺にしておきましょうか。



(PART3に続く)
posted by eLPop at 21:11 | Calle eLPop