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ガリシアと吟遊詩人

2024.12.12

 中世スペイン(カスティーリャ・イ・レオン)にアルフォンソ10世(1221-1284)という、学芸に秀で、賢王(エル・サビオ)と讃えられた王様がいて、彼の編纂によるガリシア=ポルトガル語で書かれた『聖母マリアのカンティーガ集』には、トルバドゥールの要素が取り入れられているものとされる。あるいは、13世紀の半ばから14世紀の初めにかけて生涯を過ごしたガリシアの吟遊詩人マルティン・コダックスは、ガリシア名産の白ワインの銘柄名にもなっているが、彼の残した「カンティーガス・デ・アミーゴ」といったナンバーは、現代の音楽家によっても演じ続けられている。

 ガリシアの古都サンティアゴ・デ・コンポステラは、ルイス・ブニュエル監督の映画『銀河』や、篠田昌巳率いるユニットの名称で認識している向きもあるかもしれないが、キリスト教徒の巡礼地として名高い。その最終目的地である大聖堂の「栄光の門」のアーチ部分には、老楽師たちの姿を写した石像が掘られている。彼らが手にしている楽器は、オルガニストルムや竪琴、中世フィドルといった古楽器である。

 2人の奏者に演奏されるオルガニストルムは、ハーディ・ガ―ディの原形態とされる楽器だが、現代のガリシアにおいて、当地の言葉でサンフォーナと呼ばれるハーディ・ガーディのような楽器が好んで用いられるのは、必ずしもこの栄光の門に刻まれたオルガニストルムに結びついたものとは言えないだろう。

 オルガニストルムはその後小型化して独奏可能となり、やがて支配階級の手を離れ、世俗的な下層の辻楽師の楽器となった。バイオリンにしてもそうである。栄光の門の中世フィドルに繋がるというよりは、ラベルと呼ばれるスペイン北部地方に分布する民衆バイオリンなどを介し、サンフォーナと同じように、多くは盲目の辻楽師が定期市などの人の集まる場所に出向いて楽器を奏で、人寄せしてはニュース情報やコプラのような短詩(8音節4行を標準型とする)を吟じ、それを刷った冊子を販売した。

複製技術が発展し、情報伝達機関としてのマスコミや音楽ビジネスが確立していくまでの20世紀前期の片田舎では、彼/彼女らのようなフグラール、ガリシア語で言うところのショグラール(xograr)の存在が唯一、職業音楽家と言える存在であった。その演奏にはフェリーニョス(トライアングル)やパンデイレータ(タンバリン)といった打楽器を伴ったり、主楽器がアコーディオンに置き換えられたりした。

 下記にリンクした動画は、そうしたバイオリン弾きのガリシアの最後の生き残りとされたフロレンシオ・ロペス・フェルナンデス(1914-1986)の姿を捉えた映像である。「オ・セゴ・ドス・ビラーレス」といった通り名でも知られたフロレンシオについては、現代のガリシア音楽シーンのマルチ弦楽器奏者パンチョ・アルバレスが1998年に発表した初リーダー作"Florencio, O Cego dos Vilares"でトリビュートを捧げている。

Florencio, cego dos Vilares "A filla de Bartolo"

https://youtu.be/HM8sYXUuNPw?si=VRlnvwCWGJBIs5xL

 上尾信也は、著書『吟遊詩人』(新紀元社、2006年)で次のように言う。「19世紀に峻別された吟遊詩人と芸人・楽師たちのイメージが混在して今日の「吟遊詩人」像ができあがっているのである。/では、19世紀の生み出した吟遊詩人の原型とされるのは、本当は誰であったのか。/吟遊詩人とは「トルバドゥール、トルヴェール、ミンネジンガー」と呼ばれる「宮廷歌人」とするのが適切なのか、それとも「ジョングルール、ミンストレル」などと呼ばれた「楽師・芸人」が本当の姿なのか。しかし、そこには簡単な分類では捉えられない彼らの姿が見え隠れする。」

 そのような意味では、現代のガリシアの伝統=民衆音楽には、トロバドールやショグラールの系譜が混在し、19世紀の民族主義の勃興によりナショナル・アイデンティティ化したケルトの伝統、同じケルト圏としてのフランスのブルターニュにおける流行に習い20世紀後半に定着したというアルパ(ケルティック・ハープ)のような所謂「創られた伝統」や、ジャズ、ロック、ポップス、テクノといった現代ポピュラー音楽などが渾然となっていると言える。

 経済的にはあまり恵まれてこなかったガリシアからは、アルゼンチンやキューバなど、ラテンアメリカに多くの移民が送り出されており、ガリシアの吟遊詩人的な遺産も、なんらかの形で伝播しているものと予想される。

ガリシアとポルトガルの言語=文化的繋がりからすれば、ブラジル北東部の音楽で用いられる弦楽器のハベッカは、スペイン北部地域のラベルのような楽器と関係があるように思われるし、ブラジルのコルデル文学の世界は、フロレンシオらの生業と地続きのようにも思うのだが、そうしたルーツやルートを、今は日本の戦後占領期の地域社会史に取り組んでいる最中のため、詳しく検証している余裕がない。生半可な情報提供に終始していることは承知の上で、他力本願でまことに恐縮だが、どなたか詳しい方にご教示いただければ幸いである。


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posted by eLPop at 13:04 | 長嶺修のねこのめ雑記帳