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キューバの吟遊詩人:シンガー・ソングライターの系譜=トローバとデシマ

2024.12.12

 個人的にまず思い浮かぶ吟遊詩人のイメージというと、中世ヨーロッパで詩曲をつくり各地に歌い伝えた人たちだろう。さらには、中近東やアジアにも同様な人たちがいたし、現代ではラッパーだけでなくポピュラー音楽の歌手たちも、その時代の民衆の声を代弁しているとすると、吟遊詩人だと言えるかもしれない。しかしそう考えてくと、対象があまりにも広範囲になってしまう。なので今回は、人が実際に移動し、“うた”を伝えたキューバの人たちに絞ってご紹介しようと思う。

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(Quinteto de Trovadores Santiagueros)

 キューバには、19世紀半ばぐらいから「トローバ Trova」という音楽ジャンルがあり、そのミュージシャンたちを「トロバドール(ラ)Trovador(a)」と呼んでいる。フランス、イタリア、スペインなどで、吟遊詩人を示す言葉のスペイン語版がそのまま使われているわけだが、この呼称は1970年代につけられたものである。この辺りのことは、後ほど説明するこにとして、まずは成り立ちをご説明しよう。

 キューバは1902年、U.S.A.の保護国という条件付きながら、スペインからの独立を果たした。そして、独立国として常設軍を設立し、それに伴って兵士や物資の移動などに関わる人たちが、大幅に増えることになった。アフリカ系の人たちも1886年の奴隷制廃止により、職を求めて移動する人が増えた。もっとも奴隷制廃止以前から、自由黒人となったひとたちがかなりいたらしいが。

 カリブ海は音楽が盛んな地域だが、キューバも東部のサンティアーゴ・デ・クーバや中部のサンクティ・スピリトゥス、西部のピナール・デル・リオなどの地方都市や山岳部には、アマチュアとして作詞作曲をし、主にギターを演奏し歌う人たちが大勢いて、サロンや集会所などで音楽を楽しみ、才能ある人は、集まりの指導的役割を担っていた。そんな中から主に、経済発展目覚ましい首都ハバナにやってきて音楽を生業にしようとする人たちが現れた。彼らが、後に「トロバドール(ラ)」と呼ばれるようになった人たちだった。

Sindo Garay.jpg
(Sindo Garay)

 中でも、サンティアーゴ・デ・クーバ出身のシンド・ガライは、ハバナにあったサロン、特に「カフェ・ビスタ・アレグレ Café Vista Alegre 」に出入りし、そこにたむろしていた文化人やブルジョアたちの前で演奏、ギャラをもらい生活していた。アマチュアだったトロバドールで最初にプロになった人だと言われている。地方で育んできた詩曲を他の都市に持ち込み、門付芸的に披露して生計を立てる。まさに吟遊詩人といえるだろう。

シンド・ガライは多くの曲を残したが、放浪癖があったのか、サーカス団に参加してカリブや中南米を回ったり、長期の音楽一座の巡業に加わったりヨーロッパなどを回ったりしていたため、その作品数(600曲以上とも言われている)に比べて録音数は少なく、今でも聴ける音源はあまりない。しかし、多くのミュージシャンが彼の作品を取り上げた。

 まずは、マタンサス出身のトロバドールであるマヌエル・ルナとホセ・カスティージョのデュオの演奏を聴いていただきたい。

Yo soy Liborio / José Castillo ; Manuel Luna


 続いて、フアン・デ・ラ・クルースとビエンベニード・レオンという、やはりトロバドールたちのデュオの演奏をどうぞ。
ちなみに、原盤のSP盤は縦振動のエディソン・ディスクなので、一般的な横振動盤に比べ収録時間が長く4分前後ある。

Retorna vida mía / Juan De la Cruz ; Bienvenido León
https://adp.library.ucsb.edu/index.php/matrix/detail/2000156735/9753-Retorna_vida_ma

さらに、フローロ・イ・クルースによる演奏

Tristes recuerdos / Floro y Cruz


 これらの演奏者は、皆トロバドールの範疇に入る人たちで、マヌエル・ルナは、やはりカフェ・ビスタ・アレグレに出入りしていたし、「エル・マニセーロ(南京豆売り)」の歌唱でルンバ・ブールを巻き越したアントニオ・マチンらとグループを組んだりしていた人。フアン・デ・ラ・クルースとビエンベニード・レオンは共に、後に、ソンの形式を完成させたセプテート・ナシオナルのオリジナル・メンバーになった。フローロ(Floro Zorrilla)・イ・クルース(Juan Cruz)は、130曲以上の録音を残した、人気デュオだった。

 このように、トロバドールたちからは、のちにキューバを代表する音楽ジャンルとなった“ソン”や“ルンバ”の成立に関わった人たちが多く輩出した。

 また同じ時期に、「アルハンブラ劇場 Teatro Alhambra」を代表とするヴァナキュラー劇場で活躍したミュージシャンたちにも、作品を取り上げられている。

「アルハンブラ劇場」を代表する俳優兼歌手、アドルフォ・コロンボ Adolfo Colomboとレヒーナ・ロペス Regino Lópezのデュオ。

幕間のちょっとした掛け合いから録音されている。ここでのギター演奏は、シンド・ガライだと思われる。
取り上げられた曲は、シンド・ガライの代表曲である。

La Guarina / Regino y Colombo


 シンドだけでなく、トロバドール(ラ)の多くは、楽譜の読み書きができなかったので、多くの作品が記録されないまま忘れ去られたが、「アルハンブラ劇場」の音楽ディレクター、ホルヘ・アンケルマン Jorge Anckermannをはじめ、ヴァナキュラー劇場の音楽家たちが楽譜にしたり、作品を取り上げ、また場合によっては優れたギタリストを伴奏に抜擢したりし、作品を後世に残す手助けをした。アマチュア・ミュージシャンとクラシックを正式に勉強したプロのミュージシャンとの交流が、旧大陸やアフリカとは違ったキューバ独自の音楽を育むことになったとも言えるだろう。

 歌われた内容は、当時の世相や社会批判も当然多かったが、キューバ独立に関わる内容を歌ったものがあったので、聴いていただきたい。

 先に紹介した、フアン・デ・ラ・クルースとビエンベニード・レオンのデュオのエディソン・ディスクのA面に収録されている。

Maceo y Martí / Juan De la Cruz ; Bienvenido León
https://adp.library.ucsb.edu/index.php/matrix/detail/2000156732/9750-Maceo_y_Mart

第一次キューバ独立戦争の英雄で、アフリカ系のアントニオ・マセオ将軍とキュー独立の革命家で文筆家で独立の父と言われるホセ・マルティを歌ったもの。作者のフリオ・サビン Julio Savinについては、残念ながら何もわからなかった。

 おまけで、1960年前後にロランド・ラセリエ Rolando La'serie が録音した、フィデル・カストロを称えた曲をピック・アップしておこうう。

FIDEL YA LLEGÓ - Rolando La Serie

https://youtu.be/kjkEHK6OL08?si=vpU5ITQRUnmTE_I1

ただし、ロランド・ラセリエは、その後キューバを離れ、メキシコ、U.S.A.に移り住んで活動した。


 先に述べたように、彼らが活躍した時代にはトローバ、トロバドール(ラ)という名称は無かった。そう呼ばれるようになったのは、1970年前後に興った「ヌエバ・トローバ Nueva Trova」のムーブメントからだった。ヌエバ・トローバ とは、文字通り“新しいうた”の運動で、キューバ革命から13年が経ち、その革命で変革した社会を功罪含め歌い、また同時期アルゼンチンやチリなどを中心に中南米カリブで起こった社会派シンガーソングライターのムーヴメント「ヌエバ・カンシオン Nueva Canción」とも連帯をしながら活動をした。

 シルビオ・ロドリーゲス、パブロ・ミラネース、サラ・ゴンサーレス、ノエル・ニコラらのスターが活躍した。そんな彼らが、精神的支柱としたのが、19世紀半ばから1930年代ごろまで活躍した、マチュアのシンガー・ソングライターたちで、彼らのことを吟遊詩人に掛け合わせトロバドール(ラ)と呼び、その音楽をトローバといい、自分たちの音楽を「新しいトローバ」と呼んだのだった。自分たちこそが、キューバのシンガー・ソングライターの系譜につながるのだと主張したわけである。

 YouTubeに、1968年に101歳で亡くなったシンド・ガライに捧げた映像が挙がっていたので、リンクを貼っておこう。制作は、ICAIC。

 後半に、若きシルビオ・ロドリゲスが弾き語っている。
Muerte de Sindo Garay. Tributo. Imágenes de Sindo. Noticiero ICAIC No. 416 Año 1968


https://youtu.be/BD1lOcDEKWo?si=ScxULnc0TlRQH1Im

 そのシルビオ・ロドリーゲスと並ぶヌエバ・トローバの巨匠パブロ・ミラネースは、キューバでも盛んな“ラップ”を、その批判精神を、ヌエバ・トローバのそれと同質なものとして評価していたらしい。その後の“レゲトン”や“クバトン”なども含め、キューバのシンガー・ソングライターの系譜の新しい形と捉えているということだろう。キューバの“ラップ”〜“クバトン”にも注目しなくては!

 最後に、トローバ、ヌエバ・トローバ、キューバン・ラップ、レゲトン〜クバトンにも貫かれている、韻について少しだけ。

 キューバでは、「クアルテタ Cuarteta =4行詩」が盛んで上記のジャンルなどでも盛んに使われているようだ。形式は、ABAB。ただ、キューバをはじめ、中南米カリブで伝統的に楽しまれているのは、やはり「デシマ Decima=10行詩」だろう。ABBAACCDDCというなんとも複雑な詩形だが、これを盛り込んで即興で歌い上げるという、なんともすごいものだ。

キューバでは、「プント Punto(クバーノ)」という農村地区の主に白人の小作人の人々が演奏、楽しんできた。もともとは、スペインのアンダルシア地方から、西サハラ〜モロッコの大西洋沖に浮かぶスペイン領であるカナリア諸島に移り住んだ人々が発展させたものらしい。そして、時のスペイン政府が新大陸を開拓させるために貧しい小作人を送り込む事業で、多くのカナリア諸島に定住していた農民が新大陸に移住、デシマも新天地でさらに発展した。ちなみに、クアルテタもデシマも基本は、1行8音節。

 デシマはもともと、スペイン本国で16~17世紀に活躍した詩人で音楽家のビセンテ・エスピネル Vicente Espinelが創ったものらしいが、その複雑さからかスペイン国内では廃れてしまったようだ。それを、貧しい農民たちが発展させ、新大陸まで伝えたということだ。キューバの“ プント”には、大きく分け「プント・リブレ Punto Libre」と「プント・フィホ Punto Fijo」があり、さらにトナーダ Tonada、セギディージャ Seguidillaなどがあるが、なんといっても特徴的なのは、コントロベルシア Controversiaだろう。2人の歌手が、デシマで韻を踏みながら即興で対決するというもの。その最大のスターが、フスト・ベガ Justo Vegaとアドルフォ・アルフォンソ Adolfo Alfonsoだ。

CONTROVERSIA CAMPESINA ENTRE JUSTO VEGA Y ADOLFO ALFONSO

https://youtu.be/HzKUsFk6gI8?si=leX3NI9aEAjpQJ4m
まさに、ラップ・バトルと同じだ。

 1962年10月から始まった、キューバの人気テレビ番組「パルマス・イ・カニャス Palmas y Cañas」(毎週日曜日の夜7時から8時に放送)によってプント・クバーノは、全国で楽しまれるようになった。上記の映像もこの番組から採られたものだろう。そして、2017 年には、ユネスコの世界文化遺産に選出された。


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