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eLPop今月のお気に入り!2022年8月

2022.09.09

『eLPop今月のお気に入り!2022年8月』

暑さが和らいできた今日この頃ですが『eLPop今月のお気に入り!2022年8月』をお届けします!

新作・旧作関係なくeLPopメンバーの琴線にかかった音楽、映画、本、社会問題などを、長文でまたはシンプルにご紹介します。今の空気を含んだ雑誌、プレイリストのように楽しんで頂ければ幸いです。
【目次】
◆水口良樹『映画「アンデス、ふたりぼっち」』(ペルー)
◆山口元一『シオマラ・トーレス』(コロンビア)
◆石橋純『おやすみネグリート 伝ユパンキ採譜アフロカリブ民謡の謎』
◆宮田信『ジ・セイクレッド・ソウルズ“The Sacred Souls”』(チカーノ)
◆高橋政資『音楽ライヴ・シリーズ “Conciertos Estamos Contigo”その(3)』(キューバ)
◆岡本郁生『イトゥルビデス・ビルチェス』(ベネスエラ/プエルトリコ)
◆高橋めぐみ『映画『あなたと過ごした日に』』(コロンビア)
◆長嶺修『ホセ・カサノヴァ『近代世界の公共宗教』』(スペイン、他)
◆佐藤由美『ドス・オリエンタレス日本ツアー2022』(ウルグアイ、日本)
◆伊藤嘉章『カリブのジャズ:プエルトリコ、ドミニカ共和国、トリニダード』


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◆水口良樹(ペルー四方山語り担当/ペルー)
『映画「アンデス、ふたりぼっち」』



今月は、アンデスの映画を紹介したい。
昨年の第一回ペルー映画祭で一度上映された後、7月末より全国で順次ロードショーとなった「アンデス、ふたりぼっち」だ。原題は「Wiñaypacha(永遠)」。噂ではもともと岩波ホールで上映が予定されたいたが閉館によって新宿K's cinemaでの上映になったとかどうとか(あくまで噂ですが)。

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https://www.buenawayka.info/andes-futari


この映画は、全編が先住民言語であるアイマラ語で撮られた映画というだけでもペルー映画にとって歴史的作品であった。そして登場人物がタイトル通り、ふたりしか登場しないというのも非常に特徴的な作品である。

もっとも、この映画に登場する人間は2人だけだが、印象深い登場動物にはリャマ、そして他にも羊、犬といった動物たちもいるし、何よりも圧倒的な自然の存在感は、アンデスの山や大地、川や湖などに精霊を見出すアニミズム的宗教観と相まってもう一つの主要なキャラクターと言うべきだろう。

息子が町に出ていって帰ってくることもなくなった、アンデスの僻地で暮らす二人の老夫婦。日々丁寧に生きるその姿は、アンデスの長い歴史の中で先住民がどのように暮らしてきたのか、その一端を垣間見せてくれる。と同時に、登場しない息子の不在は、彼らが現在直面している問題の大きさを刻々と知らしめてくれる。

ペルーの近代化、都市化がもたらした地方に生きる先住民社会の過疎化と政治的放置は、その社会を蝕み、崩壊へと導く大きな要因となっている。学校で西洋近代的な価値観を学び、資本主義の論理の中で生きていくことが子どもたちの目標となったとき、社会上昇へと結びつかない「遅れた先住民社会」は脱出すべき「退屈な場所」になってしまう。そうして多くの若者が新たな価値観に基づき、もしくは故郷を愛しながらも「金銭労働が少ない」という理由によって結果的にそこを去ることを決めていった(さらにセンデロ・ルミノソによる内戦期の暴力はこういった状況に一気に拍車をかけた)。


この問題は非常に難しい問題だ。
ペルーの貧しい子どもたちに寄り添い続けたアレハンドロ・クシアノビッチは、アンデスのアヤクーチョ県の人口1500人ほどの寒村に生まれ、15歳で働く子ども組織ナソップ(ペルーの働く子ども・青少年全国運動MNNATSOP)の代表に選出されたタニア・パリオナとの会話の中で、祖父母の生きる農村社会と学校教育の断絶問題について、自身の経験をも踏まえて答えが出ない重要な問題として語っている。タニアは後に国会議員となり、働く子どもたちや先住民といった声なき者たちの声を代弁するものとして精力的に活動している。

 (『子どもと共に生きる:ペルーの「解放の神学」者が歩んだ道』)
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http://www.jca.apc.org/gendai/onebook.php?ISBN=978-4-7738-1610-5


そしてこの問題は決してアンデス先住民社会特有の問題でもなければ、先住民や少数民族の問題に矮小化されるものでもない。

もう少し脱線するが、例えばイギリス湖水地方に代々羊飼いとして暮らす人々の生活を自伝的に描いたジェイムズ・リーバンクスの『羊飼いの暮らし:イギリス湖水地方の四季』の冒頭、中学に入学したジェイムズは、中学校の教員から以下のように告げられる。

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https://www.hayakawa-online.co.jp/shopdetail/000000013929/


「農場労働者、建具屋、レンガ職人、電気工、床屋よりももっと上を目指しなさい」
故郷の伝統的な生活を知らない教員による伝統的社会と生活への蔑視は、少年達を学校からドロップアウトさせる。その結果としてこの本の中では、湖水地方の景観を作り上げ維持し続けるための不可欠な職業である羊飼いが誇りを持って働くことが出来る場がまだ維持できていることを描き出してもいる。その過酷な労働とささやかな収入、そして地域の中での誇りを賭けた競売市への出品に向けての準備など、さまざまな営みが当事者によって語られていく名著である。


そしてこの「アンデス、ふたりぼっち」においても、こうした社会構造の問題は浮き彫りにされる。それも「不在」という形によって。

映画では、こうして息子不在、近隣住民不在という隔絶した自然の中で暮らすふたりだけの生活が淡々と描かれる。丁寧に営まれる生活の豊かさ、神々や動物たちとの対話の中で孤独なようで豊かな環境とのコミュニケーションの存在、息子の帰郷を夢見ながら静かに過ぎていく日々。こうした日常の美しさは同時に、その危ういもろさも垣間見せる。

また、作中でアンデスの神々(大地の神パチャママや山の神アプに代表される存在)とのコミュニケーションとしてメサ(テーブル)と呼ばれるコカの葉を供える祭壇を使った方法が登場する。また印象的なものとしては寝所の天井からぶら下がっていたリャマの胎児のミイラも登場する。アンデスの伝統的な呪具である。さらに加えて、音楽が重要な意味を果たしている情景が強く記憶に残っている。歌と踊り、そして笛による奉納と交歓。

彼らの生業の中心は牧畜であるようだ。舞台がプーノ県のマクサニ地区アリンカパックという標高5000メートルを越える高地である。主な家畜は羊で、それにリャマが一頭、牧羊犬と思われる犬が一匹いる。アンデスの牧畜というとリャマ・キャラバンなども思い出すが、ここでは羊毛が収入の糧となっているのだろう。

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農耕民は通常集住し村を形成するが、牧民は家畜が広い草原を必要とするため、通常集落を形成せず分散して生活をすることになる。これが彼らがこの僻地で孤独に生きている生態的要因となっている。また作中では乾燥じゃがいもチューニョを作っている風景も登場する。冷凍と解凍を繰り返し、足で上から踏むことで水分を完全に出して軽石のように軽くなったジャガイモの保存食である。こうしたジャガイモやおそらく町で手に入れる(かつては物々交換していただろう)トウモロコシや空豆、そして岩塩などとわずかな干し肉などが彼らの中心的な食だと思われる。(参考:稲村哲也『リャマとアルパカ:アンデスの先住民社会と牧畜文化』)

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https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=272116319

羊の毛はの多くはおそらく交易に使うのであろうが、自家消費分は糸に紡がれ、必要に応じてさまざまな形に加工される。作中でも夫ウィルカのポンチョを作る約束を妻パクシがして、水平機(すいへいばた)に糸を張るシーンが登場する。

こうした彼らの生活は、元来若い世代が育ち、徐々に受け継がれていくべきものだ。そして老いた親たちは子どもたちの世話になりながら日々出来ることを続けていくのだろう。しかし、この来るべき次の世代の「不在」が、彼らの生活を追いつめていく。老いた夫婦は、その身体でギリギリの生活を余儀なくされ、なんとかかんとかやりくりしながら日々をサバイバルしているような状況に追い込まれている。とはいえ、それすら日常となりそこまで意識されてもいないのかもしれないが、パクシの息子の帰郷を待ち望み泣く姿に、その切羽詰まった状況が現れてもいる。


作中の展開についてはこれ以上はここでは書かない。映像は素晴らしいが出来れば予告編を見ずに劇場で初めて体験してほしいとも思う。

伝統的な生活を送っている人々が、近代に、資本主義に、都市に、国家に放棄され、次の世代を奪われ、痩せ衰えていく様は、この現代社会が持つ大きな権力機構からうち捨てられた地方の姿でもある。現代の姥捨て山は、わざわざ僻地に捨てることなく、社会から切り離されることでそこに置き去りにされることで完成する。その恐ろしさを改めて感じさせる。

監督のオスカル・カタコラは、インタビューの中でこうした状況について社会のグローバル化がもたらす伝統文化の空洞化の問題としてこの映画を作ったと語っている。さらに国家はこうした問題に取り組むべきだが、先住民がそれによって利用されさらなる収奪にあうことがないように慎重に考えなければならず、国家に依存するのではなく、自立できるような教育・保護のプログラムを考えていく必要を説いている。
長篇第一作としてつくったこの「アンデス、ふたりぼっち」によって数々の賞を受賞したカタコラ監督は、2021年11月、第2作の撮影中に虫垂炎で突然帰らぬ人となった。わずか34歳だったという。彼の次回作を見たかったという人は多いだろう。それだけずっしりと重いテーマを、それでいて透明感のある大自然の雄大さとともにたくされた映画であったと思う。

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Oscar Catacora

ぜひ、一人でも多くの人に見て欲しい作品だ。そして彼の問いを私たちも引き継いで考えていく必要があることを改めて強く思う。





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◆山口元一("Ay hombe"担当/コロンビア)
『シオマラ・トーレス』コロンビアの最新ヒットを紹介するコーナー、”Ay,Hombe"です。

 今回はここ数年コロンビア音楽でもっとも注目されるホット・ゾーン、パシフィコ(コロンビア太平洋岸)から期待の新人、シオマラ・トーレス(Xiomara Torres)を紹介します。カウカ県グアピ出身、1989年生まれの33歳。

 ここでスペイン語の小ネタです。スペイン語の”costa”(コスタ)と”litoral”(リトラル)は、いずれも辞書によると「海岸」という意味ですが、コロンビアでは前者は大西洋岸、後者は太平洋岸を指します。

“Filomena” Xiomara Torres

https://www.youtube.com/watch?v=fuCGTttuRIo


 2022年7月の発表。youtube の解説によるとリズムは”Rumba Guapireña”とのことですが、”rumba(ルンバ)”というのは特定のリズムではなく「音楽がかかる宴の場」を指す言葉です(バジェナートでいうところの”parranda(パランダ)”と同じニュアンス。ちなみに2020年、コロンビアでもCovid-19感染拡大防止のためにディスコやクラブの営業が禁止されたのですが、その際に隠れて行われたクラブイベント、マスコミでは”rumba clandestina”(闇ルンバ)なんて呼ばれていました。)。要するに「グアピではこんな感じで騒ぐのよ」という感じでしょうか。

 新人と紹介しましたが、ソロ歌手としてデビューしたのは今年という意味で、キャリアは長い。当地で有名なマリンバ奏者ディエゴ・オブレゴン(Diego Obregón)の姪として幼少期から伝統音楽の世界で活躍し、2011年からはカリに拠点を移し、グルーポ・バイーア(Grupo Bahía)など多くの楽団の作品に参加、2015年にはプーラ・サングレ(Pura Sangre)の一員としてこの分野で最大の音楽イベント・ペトロニオ・アルバレス太平洋音楽祭(Festival de Música del Pacífico Petronio Álvarez)にも出演、楽団はマリンバ部門の3位になっています。本作でもこのコーナーで2021年7月に紹介したニディア・ゴンゴーラ(Nidia Gongora)がコーラスで参加するなどバックは実力派が固めています。プロデューサーはアメリカ人ジャズミュージシャンで最近カリを拠点にしているダン・ネヴィル(Dan Neville)。


Grupo Pura Sangre, Petronio Alvarez 2015

https://www.youtube.com/watch?v=gWAhxlWyXO8


“Tio” Xiomara Torres

https://www.youtube.com/watch?v=5z_AjBux1so
 冒頭からマリンバの音色にのせて♪おじさんがカヌーに乗ってあの世にいっちゃったよ〜♪ なんて歌っていますが、パシフィコ音楽の雄・マリンバの名手にして彼女の叔父・ディエゴ・オブレゴンは2020年6月に亡くなっています。


 シオマラのサルサ、これがまたかっこいい! Goyoもそうだけど、パシフィコの女性歌手のサルサはいけてるよね。

“Me Quedo Contigo” Xiomara Torres

https://www.youtube.com/watch?v=mjQOr4RhIUo


では来月もよろしくね。



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◆石橋純(熱帯秘法館/CASA CACHIBACHI担当/ベネズエラ& more)
『おやすみネグリート 〜伝ユパンキ採譜アフロカリブ民謡の謎〜』





アタウアルパ・ユパンキが1950年代初頭に録音して世に知られるようになった楽曲に「Duerme negrito おやすみネグリート」という歌がある。ベネズエラ〜コロンビアのカリブ海地方のアフロ系伝承曲とされてきた。ユパンキ版以来、数多くの歌手が録音している。ビクトル・ハラ、キラバジュン、メルセデス・ソーサ、アルフレド・シタロサ、タニア・リベルタなど主としてヌエバカンシオン系の歌手たちによって歌い継がれてきた。最近では2018年にナタリア・ラフォルカデが録音している。


Natalia Lafourcade版《Musas vol.2》2018年収録

https://youtu.be/65GqY3scg6M


ねむれねむれ、黒い肌の子/ママは野良仕事/おまえにウズラをもってきてくれる/おいしい果物ももってきてくれる/豚肉を持ってきてくれる/いろんなものをもってきてくれる//
もしおまえがねんねしないと/白い悪魔がやってきて/バクッとあんよを食べられちゃう//
ジャカクンバ/ジャカクンバ/ジャカクンバ//
ねむれねむれ、黒い肌の子/ママは野良仕事//
働いて一日中/一生懸命働いて/おまえのために働いて/息子のために働いて/働いても給金なし/喪中のときも働いて/咳をしながら働いて//
ねむれねむれ、黒い肌の子/ママは野良仕事//ネグリート
(石橋純・訳)


ユパンキによる初録音はこれだ。


Duerme negritoの初録音。1951年のEP(BAM114)からのコンピレーション
このバージョンではおみやげに「豚肉」が含まれていない。

https://youtu.be/nD5whfDMVcM?t=729


ユパンキはのちに新版を録音しており、これもYoutubeで視聴することができるが、ここではこの新録版と近似したスタジオライブ版を紹介したい(おそらく60年代収録)。このライブ・コンテンツで貴重なのは前説としてユパンキ自身が語っていることだ。一部端折って紹介しよう。

「このコード進行は何年も前にベネズエラのコロンビアとの国境地帯のカリブ海地方で出会った古い伝統曲のものです。とある黒人女性が歌っていたのを私が聞き覚えたのです。〔…〕私の作品だと思っている人が多いのですが、違うのです。〔…〕ベネズエラ・コロンビア国境地帯のカリブ海地方の黒人の人びとが口頭伝承してきた詠み人知らずの曲です。主題は母で、コーヒー園で働くために子どもを隣人の女性に預けていくのです。隣人もまた、同じ肌の色の姉妹です。同じ境遇の、人生の友です。隣人は幼子を寝かせます。そして、どんな黒人の子も食べてみたいようなご褒美をお母さんが持ってきてくれるよと言います。でもいったいどこからそんな。〔…〕ウズラをくれるなんて、あり得ない。牛肉は、無理。豚肉も、無理。およそあらゆる子守歌がそうであるように、地に足がついていながら、すこし現実離れしています。〔…〕(石橋純・訳)」

Atahualpa Yupanqui - Duerme negrito

https://youtu.be/ROJzhe-zw98


この前説によれば、国境のベネズエラ側が楽曲取材地であったという印象を与えるものの、そうとは言い切れない曖昧さを残す(日本語文献には「ベネズエラ民謡」と明記されたものもあり、別資料が存在する可能性はある)。このロケーションの不明瞭さこそが、この曲の来歴を考える第一のヒントになるように私には思える。というのも、道路網も整備されていない1930〜40年代にベネズエラ・コロンビアの辺境地帯を訪れるのは、外国人のユパンキにとっては過酷な行程であったはずで、もし越境したならさらに難儀であったと思われるからだ。その道中、歌を習い覚える体験を得たなら、鮮烈な記憶となるはずである。その場所がふわっと不明瞭というのは、なんとも不思議なトークである。作者不詳の伝統曲をユパンキが録音するのは(意外にも)きわめて稀であり、あえてそれをしたからには、どこの国・地方・村で、誰某から教わったと名を挙げて由来を物語りそうなものである。詩人は、なにゆえこの曲の素性をあやふやにしたのだろうか。そんな視点で前説と歌詞を検討してみると、次々と疑問が湧いてくる。

Victor Jara版《Pongo en tus manos abiertas...》1969年収録
演劇人でもあったシンガーソングライターによる「神の視点」からの名演。私のイチオシ。

https://youtu.be/LsX1WtNGsgk

まず、ユパンキがこの歌を採譜した場所を絞り込むことを試みてみよう。「ベネズエラ・コロンビア国境地帯のカリブ海地方」と明言されているので、ベネズエラ側はスリア州、コロンビア側はグアヒラならびにセサル県とたやすく推定できる。ところが、このいずれもが熱帯低地であり、熱帯高地を好適気候とするコーヒーの生産地域ではないのだ。2200kmにもおよぶ両国国境地帯で、コーヒーが生産されるのはアンデス地方(コロンビア側ノルテデサンタンデル、ベネズエラ側タチラ)だけに限定される。カリブ文化圏とはほど遠い内陸の山地だ。国境のどちら側も、いわゆる白人もしくは白人・先住民の混血の外観の人が大多数を占める。黒人的身体特徴の人びとが住んでいないわけではないが、アフロ系子孫の重要なコミュニティがある地方ではない。

これはどうしたことだろう? ユパンキが「とある黒人女性」からこの歌を聞き覚えたのはカリブ海地方だったが、歌の舞台はアンデス地方のコーヒー農園ということなのだろうか? もちろん、アンデス地方に出稼ぎに行ったアフロ系女性が沿岸部の故郷に戻ってその経験を歌うこともありうるが、「カリブ海地方の匿名の黒人の人びとが口頭伝承してきた〔…〕古い伝統曲」と説明するからには、いち個人の経験というよりは集合的記憶であると考えられる。詩人が出会った「黒人」たちが、アンデス地方のコーヒー農園での経験を代々伝えたのはどのような経緯だったのか? もし歌の舞台がカカオ農園であったなら、カリブ海沿岸の特産物であり、アフロ系文化と密接な関係もあるので、腑に落ちるのだが。そもそも歌詞にはひとことも出てこないコーヒー農園が舞台であることを、詩人はなぜ知っていたのだろうか? 謎はつのる。

Quilapayún版 《Quilapayún3》1969年収録
まさかのボサノヴァ・アレンジ。この曲が本来持つ現代的創意が浮かび上がる。

https://youtu.be/rOM9466S5I0




ユパンキの曲説にはほかにも謎がある。コーヒーは、南米に導入された19世紀初頭から輸出向け商品作物であり、モノカルチャー的大農園で生産されてきた。1940年前後という時代、そこで働く賃金労働者は、農園内の長屋に集住しただろう。そんな環境で子守する歌の主人公は何者なのか。歌詞からは明らかでないが、詩人は「隣人の黒人女性」と説明している。なぜそう言えるのだろうか? 日中労働には行かずに子守をするのは子どもか老人の役割であろう。子どもが歌う詞ではないので、身内の高齢女性、祖母あたりを主人公として想像するのが穏当に思える。あえて「隣人」だと明言する根拠はなんなのだろうか?





「人類の母」メルセデス・ソーサ版《El grito de la tierra》1970年収録
キューバ風リズム編曲により、この曲のクラベ感覚が寸断していることにきづかされる。

https://www.youtube.com/watch?v=c4S3013Wug4




歌詞にも気になることがいくつかある。ベネズエラ沿岸部の方言では、豚を意味するcerdoは教養語彙であり、庶民はcochinoを使う。ウズラ(codorniz)は、ベネズエラ・コロンビアでは、庶民の食卓には上らない超高級食材である。「現実離れ」しすぎである。ベネズエラとコロンビアの国境地帯の下層民衆のスペイン語ではママ「mamá」は改まった表現であり、子どもに語りかけるとしたら「mami」が一般的である(ナタリア・ラフォルカデ版ではmamiに改編されている)。

悪い子の足を食べてしまう「白い悪魔」というキャラクターは、ベネズエラの民話・民踊の中では私は聞いたことがない。「ジャカクンバ」というそこはかとなくアフロっぽいオノマトペも、ベネズエラならびにコロンビア民謡のなかで聞いたことがない。口頭伝承であれば、この手のキャラやオノマトペは、類型表現であるはずで、単一楽曲のみにあらわれる特異な用例の存在は想定しにくい。

伝統的子守歌としては、母の労働搾取状況についての描写が写実主義的すぎる、ということも指摘しておきたい。賃金未払いのなか、病気でも、喪中でも休めない人権無視の労働環境を告発するような具体的な歌詞は世界のあらゆる文化において、子守歌のなかではめったに歌われることはないと思われる。個人的体験に基づく主観というより、虐げれれた民衆の暮らしを描写することを通じて不平等な社会を告発する自然主義文学的かつインディヘニスモ的教養人の俯瞰する(神の)まなざしを感じさせる。まさにユパンキが全キャリアを通じて世に問うてきた世界観とみごとに響き合う歌詞である。

そして、、、、。もっとも肝心な点であるが、この曲に似たアフロ系伝統曲は、ベネズエラのどこの地方にも存在しない。コロンビアにこれに類する民踊があるということも、私は寡聞にして知らない。そればかりでなく、この曲には、ベネズエラとコロンビアのアフロ系伝統音楽らしい特徴をほぼなにも見いだせない。以上のことを、ベネズエラに長年住み、ベネズエラ・コロンビア両国でアフロ系文化をフィールド調査した経験のある民衆文化研究者として明言しておきたい。



アフロ系音楽に詳しいTania Libertad版《Alfonsina y el mar》1983年収録
この曲の「フェイクなアフロ性」を見抜いて自由に解釈。リフの掛け合いがいい。好みです。

https://youtu.be/c1dU5cG27rA



ここまで考察した上での、私の仮説。「おやすみネグリート Duerme negrito」はユパンキによる創作である。もしこの仮説が的中しているなら、なぜ自作と言わず、あえてベネズエラ/コロンビア伝承曲であるというフィクションを公言したのか、という疑問が新たに浮上してくる。自作であることをあえて隠す明確な動機があったからだと私は考える。私の脳内ではすでにその経緯もストーリー化されているけれども、この曲についての情報をもうすこし集めてから、機会を改めて発表したい。

付記:ヌエバカンシオンの数々のアーティストや現代の人気者ラフォルカデらの演奏で、ラ米じゅうに広まったこの曲であるが、ベネズエラでは人口に膾炙しているとはいえない。ベネズエラの有名アーティストがこの曲をカバーした事例を私は知らない。この曲がベネズエラ起源であるとうエピソードもまた、ベネズエラの文化・芸術空間の中では、まったくといってよいほど話題に登ったことがない。


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◆宮田信(DANCE TO MY MAMBO担当/USA+MEXICO)
『ジ・セイクレッド・ソウルズ“The Sacred Souls”』



Thee Sacred Souls “The Sacred Souls” (Penrose Records)

メキシコとの国境に隣接するサンディエゴ。海軍の大きな基地もある南カリフォルニアではロサンゼルスに次ぐ大都市だが、ロサンゼルスなど各都市と同じようにラティーノの人口が増加し、現在その割合は半分を占めるまでになっている。

ダウンタウンを南へ抜けた一角にバリオ・ローガンと呼ばれる昔ながらのチカーノ居住区がある。地域のアイコンとなっているのが、その名もチカーノ・パークと名付けられた公園だ。公園といっても南カリフォルニアの眩しい太陽に晒された開放的な場所ではなく、上部に複数の高速道路が接合する一帯を解放したもので、周りには工場や住宅が隣接している。

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しかし、その高速道路の全ての橋桁にはカラフルなチカーノ壁画が描かれ、中心にはアステカのピラミッドを模したステージが設置されている。各壁画から放たれた強烈な政治的メッセージがとにかく眩しい。しかしその過剰な演出にも理由がある。今から52年前に、危うくハイウェイ・パトロールの施設にされるところを地元のチカーノたちが団結・反対して土地を奪回し壁画と広場の空間にしたものなのだ。権力への抵抗を示すランドマークというわけだ。

南カリフォルニアで大きく盛り上がるチカーノ/ヴィンテージ・ソウル・シーンのなかでも大きく注目を受ける4人組グループ、ジ・セイクレッド・ソウルズによる待望のフルアルバムが遂に登場した。

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出身はサンディエゴ。ということで彼らの人気を確実なものにしたPVにもそのバリオ・ローガンとチカーノ・パークが登場している。その実力は一目置かれる存在で、イーストLAで暮らすエル・ハル・クロイのドミニクもファンらしい。

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そう、このチカーノ・パークでは毎年4月に大きなお祭りが開催され何百台というローライダーが集結。マリアッチやラテン・ロックのライブ演奏、さらにチカーノ・アーティストの作品販売なども行われ大変な賑わいをみせる。政治ラリーとお祭りを一緒にしたような雰囲気は魅力的で、今や南カリフォルニアを代表するイベントに発展。多くの日本人ローライダーも聖地訪問の気分で訪れている。

Thee Sacred Souls - Can I Call You Rose?

https://www.youtube.com/watch?v=vKJhzL16woE&t=264s




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◆高橋政資(ハッピー通信担当/キューバ、ペルー、スペイン)
『音楽ライヴ・シリーズ “Conciertos Estamos Contigo”その(3)』




前回に続いて、キューバ文化庁が配信する音楽ライヴ・シリーズ “Conciertos Estamos Contigo” から、今回もこんな企画でしかなかなか聞けない音楽家をピックアップしよう。今月は、弦楽アンサンブルを選んでみた。

なお、9月2日現在、497本がアップされている。1ヶ月で5本と、流石にアップスピードは落ちできたものの見応え十分。

ポピュラー音楽とクラシック音楽の垣根が低いラテン・アメリカの中でも、キューバは、昔から相互にミュージシャンが交流したりと、中でもその傾向が顕著だ。ポピュラー音楽の作曲家として認識している人も多いだろうエルネスト・レクオーナは、基本的にクラシック音楽家として活動していた。また、大スタンダード「キエレメ・ムーチョ」を作曲したゴンサロ・ロイグは、「セシリア・バルデース」といったクラシックのサルスエラを作曲している。

革命後は、一部のポピュラー歌手やラペーロ(ラッパー)以外のミュージシャンは、ほぼ音楽学校でクラシックを学んでいる。

そんな環境なので、クラシックの音楽家が、ポピュラー曲をコーラスや楽器アンサンブルで演奏することもよくあることだ。


Guido López Gavilán - Orq. de Cámara Música Eterna

https://youtu.be/h1PzcZ5Opyk

1944年マタンサス生まれで、アマデオ・ロルダン音楽院、その後、モスクワのチャイコフスキー音楽院で指揮を学び、世界的に活躍。1973年よりキューバ国立管弦楽団の客演指揮者を務め、現在も後進の指導などに当たるギド・ロペス・ガビランが、ISA(高等美術学校)の生徒や卒業生を集め1995年に結成した、弦楽アンサンブル。

「エチャレ・サルシータ」「ラ・エンガニャドーラ(嘘つき女)」などのキューバン・スタンダードを演奏。アレンジもさることながら、優雅さと躍動感が一体となった演奏も素晴らしい。

同じくGuido López Gavilán - Orq. de Cámara Música Eterna


https://youtu.be/Z9oNhyfd6EU

こちらは、パーカッションなしの完全弦楽アンサンブルで「ベインテ・アニョス(20年)」ギド・ロペス・ガビラン自作の「カメラータ・エン・グアグアンコー」など。


Daiana García指揮の弦楽アンサンブル

https://youtu.be/oUx4CMtakpU

ギド・ロペス・ガビランの教え子であり、芸術大学のオーケストラ指揮の教授で、2011年からハバナ室内管弦楽団を指揮しているダイアナ・ガルシーア指揮による弦楽アンサンブル。やはり、キューバらしい旋律とリズム感を強調した演奏だ。

指揮者もメンバーもほぼ女性というのは、このスタイルの弦楽アンサンブルの先駆的存在、カメラータ・ロメウを彷彿とさせるが、より自由な演奏という印象だ。

最後の曲では、ギド・ロペス・ガビランの息子でラテン・ジャズ・ピアニスト、アルド・ロペス・ガビランのグループと共演している。“新しいジャズ”のファンにも聞いていただきたい内容だ。


la Camerata Jose White

https://youtu.be/oUx4CMtakpU

キューバ出身のムラート(父親がフランス人で母親がアフリカ系キューバ人)で、19世紀から20世紀初頭に世界的に活躍したヴァイオリニスト、ホセ・ワイトの名を冠した弦楽アンサンブル。

リベルタンゴなども演奏しているが、ホセ・ワイト作「JUVENTUD」も聴かせてくれている。

ホセ・ワイトの初コンサートは19歳の時、故郷マタンサスで開かれたが、その時の伴奏ピアニストは、あのルイス・ゴットシャルクだったそうで、その時ゴットシャルクから、パリで勉強することを勧められたという逸話がある。1956年には、パリ・コンセルヴァトワール・コンクールで第1位を獲得するほどの世界的な演奏家だった。



チャカ ストリング カルテット「ムシカ・イ・ダンサ」

https://youtu.be/oUx4CMtakpU

最後は、“Conciertos Estamos Contigo”からではないが、日本にもキューバ音楽などを弦楽四重奏団で奏でるグループがあるので、ご紹介しておこう。

チャカ ストリング カルテットは、キューバ音楽からラテン・ジャズ、サルサ、フラメンコ、ポピュラーからクラシックまで演奏するヴァイオリニスト、SAYAKAが結成した弦楽アンサンブル。彼女は、幼少の頃からヴァイオリンを勉強していたが、ある時ラテン音楽に出会いキューバにも勉強に出かけてしまったという、稀有なヴァイオリニストだ。

この動画は、2021年8月18日に、ルーテル市谷ホールで行われたコンサートの一部を収めたものだ。このカルテットは、クラシックやジャズ、タンゴ、日本や奄美の歌なども演奏するが、エルネスト・レクオーナなどのキューバや他のラテン諸国の曲もレパートリーにしている。本公演でもパーカッショニスト(櫛田満とGENKI、21:15あたりから)を入れた曲やキューバの男性歌手、カルロス・セスペデスが参加した曲(11:38あたりから)などを演奏している。
クラシックの人がラテンなどを演奏すると、どうしてもリズムやノリが物足りなくなるものだが、流石、そんな心配など微塵も感じさせない演奏を、聞かせている。

このユニットは、先日拡大版として名うてのラテン音楽のミュージシャンと合体させ、日本では珍しい、ダンソーンを聞かせるコンサートも試みたりしている。残念ながらその時は仕事で聞きに行けなかったが、ぜひそんな試みも続けて欲しいと思う。





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◆岡本郁生(ラテン横丁・USA LATIN & MORE)
『イトゥルビデス・ビルチェス』


イトゥルビデス・ビルチェス(Yturvides Vílchez)という変わった名前のトランペッターのことを知ったのは、ルイス・“ぺリコ”・オルティスの昨年出た最新アルバム『Sigo Entre Amigos』に収録された「Yturvides & Perico」という曲で、だった。

トニー・ベガ、ミリー・ケサダ、ジョニー・リベラといった歌手たちや、トランペットのチャーリー・セプルベダなどそうそうたるゲストの中で、ここでは「Yturvides」とだけクレジットされたトランペッターが、ペリコと互角に渡り合う素晴らしい演奏を聞かせていた。

Yturvides & Perico Luis Perico Ortiz Ft Yturvides

https://www.youtube.com/watch?v=_uovJdkxmZI


いったい誰なんだろう?・・・といろいろ調べてみると、
2013年にTV番組ペリコと共演している映像とか

Por Alguien Como Tu Dos Generaciones una sola voz

https://www.youtube.com/watch?v=iQFEyS6EpRI


2018年のコンサートの模様とか

Yturvides Vilches y Luis"Perico" Ortiz-2018

https://www.youtube.com/watch?v=T9vQUN6vaZs


2021年、アルトゥーロ・サンドバルとペリコと彼が中心となったZOOMでもトランペット合奏とか

Arturo Sandoval/Luis Perico Ortiz, Yturvides Vilchez


https://www.youtube.com/watch?v=EPICM0ozDNI


2012年、ミシェル・カミロのビッグバンドでの映像とか

Yturvides Ensayando Con Michel Camilo & Luis Perico Ortiz

https://www.youtube.com/watch?v=FLcjpbk4k_c


いろいろと出てくる。現地ではかなり知られた名前のようである。

イトゥルビデスが生まれたのは1980年6月28日、場所はベネズエラ西部のマラカイボ。そう、ガイタの中心地、グアコが生まれた街だ。
 父親は彼をボクサーにしたかったようだが、4歳のときにクアトロを手にして夢中で練習するようになったという。

Cambur PINTÓN - Hernán Gamboa

https://www.youtube.com/watch?v=AOVb4Fv1evI

その後、1996年、16歳のときに教会の楽団に参加し、最初は小太鼓を担当したがすぐにトランペットに転向し、ルイ・アームストロングなどを聞いていたそうだ。

その翌年には、ベテラン・トランペッター、アマブル・ニエトが率いるロス・アンタニョネス・デ・ミ・プエブロに参加。そのとき、ニエトがくれたのが、ペリコ・オルティスのカセットだった。「君が演奏すべきはこれだ。君が求めるべきはこの音だ」とアドバイスされたということで、自分の音を探していたイトゥルビデスには、これが大きな道標となったのである。

その後、地元のさまざまなバンドで活動したあと、2008年にプエルトリコに移住。まずはメレンゲのグルーポ・マニアに加入し、やがてペリコと知り合い、しばしば共演するようになった。
そして2012年には初リーダー作『Con Alma』を発表。ここには、ベネズエラ・ロックのパイオニアと呼ばれるカルロス・モレアンが60年代に作り、イラン・チェスターが87年にヒットさせた「Por Alguien Como Tu」のカヴァーが収録されているが、チャチャチャにのって朗々と歌うイトゥルビデスの、のびのびとした音色は素晴らしいのひとことだ。

Por Alguien Como Tu

https://www.youtube.com/watch?v=xfIVLS_ydGE

そして同じ年には、ベテラン音楽家/作曲家のクッコ・ペーニャが監督をつとめたドキュメンタリー・ミュージカル『エンカント・デル・カリベ』に参加。

マーク・アンソニー、ナタリア・ヒメネス、ラウラ・パウジーニ、チェオ・フェリシアーノ、そしてギタリストで元大リーガーのバーニー・ウィリアムスらと共演を果たしている。

Encanto del Caribe Preview


https://www.youtube.com/watch?v=4RhtpWR0yEw


さらに、「カロリーナ・ジャズ・フェスティバル」で出会ったことをきっかけに、キューバ出身のトランペット奏者、アルトゥーロ・サンドバルと親交を深め、2017年には『アルトゥーロ・タイム』と名付けられたアルトゥーロへのトリビュート・コンサートで、スペインとラテン・アメリカを巡ることになり、昨年には『Arturotime:Big Band』として、イトゥルビデス名義でアルバムもリリスされている。


MAMBO CALIENTE #ARTUROTIME LIVE YTURVIDES


https://www.youtube.com/watch?v=svyr2QIdrbY

というわけで、ここまでいろいろと書いてきたが、もしかしたらジャズ界やクラシック界ではもうすでにかなり名の通った人なのかもしれない。

不勉強にして筆者が知らなかっただけだとしたらお恥ずかしい限りなのだが、それは置いといて、このイトゥルビデス・ビルチェス、いま注目のトランペッターであることは間違いない。ぜひお見知りおきを。




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◆高橋めぐみ(SOY PECADORA担当/スペイン語圏の本・映画)
『映画『あなたと過ごした日に』』


観た映画:
あなたと過ごした日に(原題:El olvido que seremos)2020
監督:フェルナンド・トゥルエバ(Fernando Trueba)

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https://www.amped.jp/anatato

 私にとって、スペインのフェルナンド・トゥルエバ監督といえば、『Calle 54』(2000)、『チコとリタ(Chico y Rita)』(2010)なのですが、一般的にはアカデミー賞外国語映画賞を受賞した『ベルエポック(Belle Époque)』(1993)のほうが有名かも知れません。本作は久々の日本劇場公開となった最新作『El olvido que seremos(あなたと過ごした日に)』です。すでに東京での上映は終了してしまいましたが、ラテンアメリカに興味のあるなしに関わらず、観ていただきたい映画なので、紹介します。

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フェルナンド・トゥルエバ監督

 時は1970年代、コロンビアのメデジンで実際に起きたこと、実在の人々を描いた作品で、元になったのは同名のベストセラー作品で、著者は本作にも登場する息子の方のエクトルのエクトル・アバド・ファシオリンセ(Héctor Abad Faciolince)です。

事実に基づいているのでネタバレもなにもないと思うので、書いてしまいますが、息子の視点から描かれた、殺害された父への深い愛情を込めた回想の物語です。

 医師で大学教授でもあるエクトル・アバド博士とその家族、有能な妻、5人の娘たちと1人の息子はがやがやと楽しく暮らしています。アバド博士は貧しい地域の公衆衛生を改善しコレラやチフスで命を落とす人が少しでも減るように精力的に研究し、行政にも働きかけています。しかし、いくつかのことが契機となり次第に政治的な活動に傾倒し、80年代後半、ついに市長選への立候補を決めます。そして、不穏な空気が高まる中、友人とともに殺害されます。

 当時のコロンビアは、メデジン・カルテルに代表される麻薬カルテル、武装組織である左翼ゲリラなどによって、市民といえども大変危険な状況でした。その状況は各組織の停戦協定や武装解除によって改善しているとはいえ現在も終結していません。

アバド博士殺害事件も様々な憶測が飛び交い特定に近い状態になりつつも、未だ決定的な解決には至っていないようです。

 そのような暗く重苦しい流れの背景を持ちつつも、この映画は大家族での和やかな食事風景、息子エクトルの恋、病に倒れる姉、かつての使用人への気遣いなどを織り交ぜ、温かい眼差しで在りし日の父の姿が描かれます。

 アバド博士を演じるのはスペインの(もはや)名優ハビエル・カマラ。青年エクトルはメデジン生まれのフアン・パブロ・ウレーゴが演じています。余談ですが、ふたりとも実物とそっくりです。


(編集部追記:今月は別ページに高橋めぐみによる記事『FIESTA LATINA 〜女達のラテン祭り2022〜ライブ・レポ』がございます。併せお楽しみください!!

http://elpop.jp/article/189796617.html





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◆長嶺修(猫の目雑記帳担当/スペイン & MORE)
『ホセ・カサノヴァ『近代世界の公共宗教』』



●ホセ・カサノヴァ『近代世界の公共宗教』(ちくま学芸文庫)

 スペイン出身の宗教社会学者ホセ・カサノヴァによる専門書。原著の出版は1994年、玉川大学出版部から津城寛文訳で97年に邦訳され、2021年にちくま学芸文庫より再刊されています。訳者あとがきや原注、索引を除き480ページ、全体で600ページを少し超えるがっつりめの分量で、専門的な議論や用語に通じているわけではない一般読者にはハードルの高い内容ですが、頑張って通読しました。

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https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480510662/

 全体の構成は、日本のことにも触れた「改訂日本語版への序文」に続き、第1部の1章と2章が「世俗化」や、「世界中の宗教的諸伝統が、近代化論や世俗化論によって当てがわれてきた周縁的で私的な役割を受け入れることを拒否しつづけている、という事実を指す」という著者による造語「脱私事化」を巡る理論的展望、第2部の3章から7章までが、著者が本書の核と位置づける事例研究、そして第3部の8章が結論となっています。

理論を体系的に学ぼうと思っているわけではない者としては、理論史などについてはざっくり読み進め、事例研究のパートに移ります。そこで俎上に乗せられているのは、スペイン、ポーランド、ブラジルにおけるカトリシズム、米国におけるプロテスタンティズムとカトリシズムの5例ですが、ここも専門的素養がないと、すらすら読解するのは、少々厳しかったです。

とはいえ、スペインの教会がフランコ体制から分離し、民主化勢力の支援に回るまでの諸過程とか、ブラジルでは脆弱な立場にあった教会が、1930年に政権を掌握したヴァルガス体制から国家に接近し、60年代の後半まで追従しながら、70年代には暗殺や拷問による圧政と、田舎の貧困化と不平等を増大し都市スラムの増殖を導いて不平等を拡大させていった経済開発モデルに対抗し、解放の神学を受けとめながら、民の教会へと変容するに至るプロセスの分析とか、現在カトリック右派とされる政党、法と正義のもとで反LGBT政策などが推し進められているポーランドにおいて、非共産主義政権が樹立される時期までの教会が果たした役割とか、それなりに興味深く読みました(ポーランドの体制転換以降から近年までの動きについては、家本博一/田口雅弘の論文「ポーランドにおける体制転換以降の政治・経済・社会的変動―カトリック教会の動向とポピュリズム政治の台頭を中心に―」を参照しました)。


 米国のプロテスタントについては、1979年に政治運動団体モラル・マジョリティを立ち上げたジェリー・ファルウェルについて、著作の内容などに踏み込んで論じていますが、補助的に読んだ松本佐保『アメリカを動かす宗教ナショナリズム』(ちくま新書、2021年)によると、ファルウェルは「代表的なキリスト教福音派のファンダメンタリストで、南部バプティスト連盟に所属する牧師、テレビ伝道師」。絶大な影響力を持つカリスマ牧師として、プロテスタント勢力が政治的動員に存在感を示した80年の大統領選挙において、レーガンの当選を強力に後押ししました。そのレーガンを模し、福音派の支持を受け宗教票を取り込んでいったのが、2016年の大統領選を勝ち抜いたトランプで、ジェリー・ファルウェルの息子ジェリー・ファルウェル・ジュニアが宗教アドバイザーを務めます(20年8月にセックススキャンダルが発覚、父親から引き継いだキリスト教福音派の私立大学リバティ大の学長を辞任)。なお、ブラジルにおいても近年、福音派プロテスタントの台頭が著しく、ボルソナロ大統領の有力な支持基盤となりました(『宗教新聞』のWeb記事「福音派が勢いを増すブラジル」など参照)。

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https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480073785/

 トランプ大統領の時に任命された3名の連邦最高裁判事が就任し、リベラル派に対し保守派が優勢になったことで、今年6月に、妊娠中絶の規制を違憲としてその権利を憲法上擁護することになった1973年のロー対ウェイド判決(及びドウ対ボルトン判決)が覆されました。73年の判決が下された際、鋭く反応したのが米国カトリックです。ホセ・カサノヴァによると「連邦最高裁判所の決定は、国民的な妊娠中絶反対の政治運動のなかで、カトリック教会が活発に関与するようになる触媒として役立った。カトリックは妊娠中絶反対運動を支援した。おそらくこれが、新右翼に、主要な政党の再編成を実現する計画において、保守的な宗教集団がもつ潜在力を動員するよう覚醒を促した、最重要かつ唯一の因子であった」。

さらに、荻野美穂『中絶論争とアメリカ社会』(岩波書店、2001年/2012年再刊)を引くと、「1970年代の反中絶運動の中心はカトリック教会であった。しかしその一方、70年代末頃からは、プロテスタント教会の中の原理主義派や福音教会派、モルモン教会など、「宗教右翼」と呼ばれる保守的な宗派の運動への参入が見られるようになっていた。(中略)これらの宗教右翼、特に原理主義派や福音派は、当初は政治問題には関わらない態度をとっていたが、70年代以降、アメリカの「伝統的」価値や家族のあり方が失われつつあるという危機感が強まるにつれ、政治や社会変革に関心を示すようになり、それまでは敵対していたカトリック教会とも、共通の目的のために手を組むようになっていった。中絶禁止は、公立学校での祈りの時間の復活や後述するERA(*引用者注=男女平等憲法修正条項)反対などとともに、これら宗教勢力にとって重要な共通の達成課題であった。/一方、共和党内の極右派のような政治的保守派も、選挙での勝利を可能にする保守大連合をめざしてこれらの宗教勢力と結びつきを強め、1970年代末には「ニュー・ライト」と呼ばれる大きな政治勢力を形成するに至った。1979年に結成されたモラル・マジョリティは、80年代のこうした動きを代表的に示す組織である」(年数表記の漢数字は算用数字に改めました。以下同様)。以後、中絶クリニックへの放火や爆破、オペレーション・レスキューなどのグループによるピケ戦術、殺人事件まで発生するなど、中絶反対派(プロライフ)と擁護派(プロチョイス)が激しい対立を引き起こしていくことになります。

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https://www.iwanami.co.jp/book/b258634.html


 ところで日本は、というと、中絶に反対する声をあげたのが、戦後日本の宗教右派的運動を牽引した、谷口雅春を開祖とする新宗教系教団、生長の家でした。前掲『中絶論争とアメリカ社会』の他、岩本美砂子の論文「人工妊娠中絶政策における決定・非決定・メタ決定 ―1980年代日本の二通りのケースを中心に―」や土屋敦の論文「胎児を可視化する少子化社会―「生長の家」による胎児の生命尊重運動(プロ=ライフ運動)の軌跡(1960年代 - 1970年代)から」を参考に、駆け足で経緯を振り返ると、日本では戦後すぐの過剰人口対策などを背景に、48年に制定された優生保護法(40年の国民優生法を改定。96年に改正され名称を母体保護法に変更)において、条件つきで中絶が合法化されます。

翌年には経済的理由での中絶も認められ、52年には医師の判断のみで施術の可否を決められるようになり、事実上自由化されていきます(他方、明治時代に施行された刑法の「堕胎罪」は現在まで残存)。生長の家は、64年に政治団体「生長の家政治連合(生政連)」を結成。紀元節復興運動や明治憲法復元運動と共に、候補者支援などを通じて政治に働きかけるようになっていきます。優生保護法の中絶規定から「経済条項」の撤廃を掲げ、70年代前半には優生保護法の「改正案」が国会に提起され衆議院を通過しますが、女性団体などの反対により、参議社会労働委員会で審議未了廃案。80年代前半に再び活発なキャンペーンを展開し、生長の家が組織票を投じて送り出した自民党参議院議員の村上正邦らが、渡米してモラル・マジョリティなどが主催した全米生命尊重大会に出席したりと、米国の中絶反対運動に接触し、草の根の行動を学んだというこですが、この時も自民党内が割れるなどして、法案は棚上げとなりました。


 当事者の村上正邦はどういったことを語っているかというと、自著『だから政治家は嫌われる』(小学館、2014年)にて、「私は昭和55年の選挙で初当選して以来、4期20年にわたって参議院議員を務めてきた。そもそも私が参院議員に立候補したときに掲げたのは二つの公約だった。/一つは「憲法を改正して、日本人による自主憲法を制定すること」。(中略)/私が掲げたもう一つの公約は、優生保護法(優生学上の見地から不良な子孫の出生を防止し、母体の健康を保護することを目的として、人工妊娠中絶などについて規定していた法律。現在の母体保護法)の改正です。わかりやすく言えば、中絶を制限するということ。/(中略)/中絶の制限は、もともと生長の家の谷口雅春先生が独自の政治課題として捉えられていて、私は「見えない命を救う」ことを使命として与えられた」。

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https://www.shogakukan.co.jp/digital/093798520000d0000000

 生長の家はその後、政治運動から退きますが、生長の家人脈が事務局を担い、神社本庁をはじめとする宗教団体などが参集した保守・右派団体、日本会議が97年に設立され、憲法改正や選択的夫婦別姓制度の導入反対といった家族とかジェンダーをテーマにした運動を繰り広げてきています(そちらの概要は、2016年に刊行された、『週刊金曜日』成澤宗男編著『日本会議と神社本庁』所収の山口智美「日本会議のターゲットの一つは憲法24条の改悪」参照)。

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https://www.kinyobi.co.jp/publish/002036.php


 カサノヴァの著作に戻ると、米カトリックの中絶反対に関し、「カトリックの道徳的伝統は、戦争に関しては、根本主義的な平和主義も道徳に無関係な現実的政策も避けている。しかし妊娠中絶の話となると、教会は、どのようなパラメーターのもとでなら中絶は道徳的に正当化されうるのかということを考えることすら拒絶している。その結果、道徳的論議の分野では、極端な根本主義的見解が中絶をめぐる戦線で互いに直面するがままにされている」などと疑問を呈していますが、一方で「宗教は近代からあらゆる打撃を被ってきたが、それにもかかわらず、宗教は、それと意図せずに、近代が自らを救う手助けになってきたように思われる」と、「それまで私的な領域で当てがわれていた位置を後にして、道徳や政治に関する公的な論争の闘技場に身を乗りだしてきた」宗教に肯定的な可能性を見出してもいます。

けれども、その現在はどうでしょう。旧T一教会(及びその関連団体)と政治家との繋がりが次々と報じられ、元首相の衝撃的事件もあって、すっかり霞みましたが、神社本庁の政治団体「神道政治連盟(神政連)」が参院選前の今年6月、自民党の多くの議員が参加する「神道政治連盟国会議員懇談会」の会合で、「同性愛は心の中の問題であり、先天的なものではなく後天的な精神の障害、または依存症です」などと記されていたという冊子を配布したことが明らかになったり(松岡宗嗣によるYahoo!ニュースの個人記事「「同性愛は依存症」「LGBTの自殺は本人のせい」自民党議連で配布」参照)、トランプやボルソナロと福音派プロテスタントであったり、プーチンとロシア正教であったり、アルゼンチン生まれの現ローマ教皇フランシスコは開明的なようですが、モディのインドとヒンドゥー教やエルドアンのトルコとイスラム教などなど、それぞれ丁寧に注意深く見ていく必要がありそうです。また、今回はまったく手をつけられませんでしたが、現状のラテンアメリカ各国におけるカトリック教会の動向とかも気になるところです。

 毎度、音楽からズレた話題で恐縮ですが、長くなったので今回はこれにて。参照した書籍以外の論文・記事については、いずれもネット上で公開されているので、気になった方は、論文・記事名で検索してみてください。




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◆佐藤由美(GO! アデントロ!/南米、ブラジル & more)
『ドス・オリエンタレス日本ツアー2022』


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いよっ、待ってました! ウルグアイ音楽界の重鎮にして強者ウーゴ・ファトルーソ(ピアノ、アコーディオン、ヴォーカル、パーカッション)と八面六臂の活躍を誇るパーカッショニストのヤヒロトモヒロ。二人の東方賢人によるドス・オリエンタレス、恒例のツアーがようやく帰ってくる。

10月6日(木)新宿ピットインを皮切りに、全国ツアーがスタート。1986年来の交流の深さを物語る、気骨の麗しき丁々発止は期待大だ。公演地によっては望外のゲスト出演もあり。2年間叶わなかった夢の実現とあって、例年以上にゴリゴリ肉迫するサウンドにパワーとロマンがみなぎっているはず。ツアーの詳細は以下でご確認ください。

「ドス・オリエンタレス日本ツアー2022」
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http://tomohiro.yahiro-blog.main.jp/?eid=1432659

https://www.dosori.com/


二人のドキュメンタリー映像の一部が、紹介されています。

DOS ORIENTALES - Sofía Casanova y Sofía Córdoba

https://youtu.be/_cIXHK7gqT0

Dos Orientales presents Firmamento Oriental 〜 Collaboreted with Hikaru Takahashi’s Photo Gallery

https://youtu.be/1LHuIy5a2gw




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◆伊藤嘉章(カリブ熱中症担当/カリブ諸島+カリブ沿岸)
『カリブのジャズ:プエルトリコ、ドミニカ共和国、トリニダード』


「カリブ熱中症」の管理者としてはたまには最近のカリブ事情を。今月はラテンジャズで。

【プエルトリコ】
プエルトリコ出身のアルトサックス奏者ミゲル・セノンの新譜『Música de Las Américas 』がとにかく素晴らしい。

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メンバーはルイス・ペルドモ(p)、ハンス・グラヴィシュニグ、ドラマーのヘンリー・コールのレギュラー・メンバーにパーカッションにパオリ・メヒアス、コンガにダニエル・ディアス、ボンバのバリルにビクトル・エマヌエリといった名手が参加。

Miguel Zenón - Música De Las Américas(アルバム紹介ビデオ。曲は"Taino y Caribe")

https://youtu.be/v60rOMo2Fx8

Miguel Zenón - Navegando (Las Estrellas Nos Guían) feat. Los Pleneros De La Cresta
(プレーナをフューチャー)

https://youtu.be/i6JMckSQyqs

本作はウルグアイのジャーナリスト/作家/歴史家であるエドゥアルド・ガレアーノ(1940-2015)の著書 “The Open Veins of Latin America/Las Venas abiertos de America Latina”など欧米に収奪された南北アメリカ大陸に関しての本にインスパイアされた作られた。上述の本は『収奪された大地 ラテンアメリカ500年』として日本では新評論、次いで藤原書店から訳書が刊行されている。ラテン文化に興味のあるディープな方で既読方も多いかも。

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昨年の8月のeLPopお気に入りでキシコ出身でシカゴで活躍するドラマー、グスタボ・コルティニャス/Gustavo Cortiñazが同書にインスパイアされた作品『Desafio Candente』の事を書いたが、さすがの名著。

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http://elpop.jp/article/189183619.html

内容はカリブ先住民のタイノやカリベをテーマにしたものから、ハイチのブードゥー、インカやアステカなど中南米の歴史についてもの、全体を俯瞰するものなど多岐にわたるが、ニューオリンズから南米までつながっている歴史を同じくつながっている音楽で表現したと言っていいだろう。

歴史の事を抜きにしても音楽だけでも素晴らしいが、ここはぜひ歴史の事を
知りつつ一歩突っ込んで楽しんで頂けると嬉しい。


【ドミニカン共和国】
ドミニカ共和国のジャズ・ユニット「ドミニカン・ジャズ・プロジェクト」の新譜『DESDE LEJOS』。
さすがドミニカ共和国のユニット、メレンゲを織り込んだ曲もやってます。
これは他の所はやらないとても地場にこだわったもの。

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メンバーはスティーブン・アンダーソン(p)、サンディ・ガブリエル(sax)、ラーサーン・バーバー(ts)、マイケル・ゴンサレス(tp)、カルロス・ルイス(vo)、ガイ・フロメタ(perc)、デヴィッド・アルメンゴッド(perc)、フアン・アルラモ(perc)、ラモン・バスケス・マルティレーナ(perc)、クレイグ・バターフィールド(perc)、ジェイソン・フーレマン(perc)他


Fuera de la Oscuridad

https://youtu.be/kA-UuB6C_Fc


【トリニダード&トバゴ】
ソカ系も色々良いものが出てますが、今回はスティールパンのジャズ/トリニ・ジャズ。女性パン奏者ジョイ・ラップの新譜『GIRL IN THE YARD』です。この「YARD(広場)」はもちろんPANYARD(スティールパン・チームが練習し、ライブもする場のこと)ですね。

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本作は彼女の5作目で初めて自作曲・編曲を含む作品。
アルトパン、テナーパン、ベースパン、そして習得の難しいダブル・ギターパン(コードを弾く)と何でもこなし、ジャコとの共演のオセロ・モリーノ、達人アンディ・ナレル、ヴィクター・プロヴォストなどに続くジャズをこなせるパン奏者としていよいよ本格活動開始です。

カリプソやソカ系はもちろんのこと、ブラジルのマラカトゥとサンバを絶妙に織り込んだ曲とか作曲の才能も素晴らしい。注目してます。

メンバーはツワモノ揃い。パンの魔術師、大先輩アンディ・ナレル(pan)、ベアンドリュー・スチュワート(b)、ラーネル・ルイス(ds)、マリト・マーケス(perc)、マグデリス・サヴィーン(perc)、ブライアン・エドワーズ(perc)、ロセンド・チェンディ・レオン(perc)、エルマー・フェラー(g)などなど。

LULU'S DREAM

https://youtu.be/QUM78clep9w

Chrome Beauty - Joy Lapps & Larnell Lewis

https://youtu.be/tUma7oZ-rF4



カリブの各々の島にしかない特有の音楽、リズムがジャズを生み、世界中に広がったその語法を共通言語として使いこなす各々の島の音がジャズに影響/刺激を与える循環はとても面白いです。


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posted by eLPop at 18:20 | Calle eLPop