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(その3から続く)
<ハイチの移民が残る町、エル・サルバドール>
2004年にグアンタナモを再訪した際、モンゴが私と会うなり熱く語りだした。
「前はヤテーラスが発祥地だ!と言っていたけど、調べていくうちに違う場所もいくつか出てきた。チャングイにおける最重要の町はヤテーラスじゃないかもしれない。エル・サルバドールだ!」
すぐさまエル・サルバドールに私を連れて行かないといけないという使命感に燃えていたモンゴは、急いで車をチャーターしてくれ(今回は車の調達がスムーズだった)、エル・サルバドールってどこよ?中米の国?などとしか思えないような全く無知な私を翌朝その町に連行した。
グアンタナモから北に約10km。モンゴの友人である運転手が大音量でロス・バン・バンをかけながらノリノリだった上、前回のヤテーラス程険しい山道ではなかったのであっという間に到着した。ここではモンゴが事前にアポを取っていてくれていた二人のチャングイの生き証人たちを取材した。
一人目が「ビティン」という愛称で呼ばれている、ラモン・ネイラ氏。チャングイのイベンターらしく、数々の演奏会を手掛けているということだ。ミキキというチャングイ演奏家率いるグループのマネージメントもしているそうだ。ミキキなんて変な名前だな・・・と思っていたら『チャングイ:ザ・サウンド・オブ・グアンタナモ』にもしっかり収録されていたので、地元ではけっこうな名士らしい。
先月も大きなイベントを開催したそうで、地元のグループの他、サンティアゴ・デ・クーバなどからもチャングイのグループがやってきて大成功だったそうだ。
*写真:エル・サルバドールのビティンとチャングイのパーティを行う会場
グアンタナモは州都グアンタナモを含め最東端のバラコアや前述したヤテーラスなど10の自治体に分かれている。エル・サルバドールはグアンタナモ、バラコアに次ぐ人口が三番目に多い(といっても40,000人程)町だ。この時訪れたのはセンプレという村だったが、google mapで調べてみるとミキキが活動しているペルセベランシアという村とはほんの2キロ程の距離だった。ビティンによると、子供の頃からサン・ホセという隣の村でチャングイが盛んに演奏されていたそうだ。電気もロクに通っていなかったため、楽器は全てマイクも繋いでいない生音。いつも家族でサン・ホセに出掛けては朝までチャングイで踊り明かしていたそうだ。ビティンによると、チャングイは元々サン・ホセのようなグアンタナモ周辺にある各山村で古くから演奏されていて、次第に人々が中心地に集まるにつれて町中でも演奏されていったのだろうということだった。以前はそういった地域がたくさんあったと思うので、チャングイが演奏され始めたのはヤテーラスが先かエル・サルバドールが先かという点については分からないということだった。
そして次に会ったのが、エリオ・エレディアというおじいさん。日本人の私を見ると、ものすごく驚いて「人生には革命が起こるものだ!私はこのような日をずっと待っていたんだ。いつか遠い国から私を訪ねて音楽の話を聞いてくれることを。」というようなことを何度も繰り返していた。
*写真:エル・サルバドールのエリオ・エレディア
エリオはソンの歌手であり作曲家だという。キューバ国内各地のカーニバルを回り、活躍してきたということで、数々の記念旗やメダルを見せてくれた。自作の曲がいくつかあるというので歌ってくれた。それが何とスペイン語ではなく、隣国ハイチで話されているクレオール語によるメレンゲ・アイティアーノ(ハイチアーノ)だったのだ。
*映像:エリオ・エレディアの歌唱(メレンゲ・アイティアーノ)
グアンタナモには、チャングイの他に地域が誇る伝統芸能、トゥンバ・フランセーサという舞踊音楽があるが、これは訳すと「フランスの太鼓」というように、フランス領だったハイチから逃れた人々がグアンタナモやサンティアゴ・デ・クーバなどオリエンテ州で定着させたものだ。ちなみにトゥンバ・フランセーサはユネスコの「人類の口承及び無形遺産に関する傑作の宣言」にも登録され、チャングイと同じく非常に興味深い。
キューバ東部はハイチから距離的に近いこともあり、1791年に勃発したハイチ革命の影響を色濃く受けている。1804年にハイチで世界初の黒人による共和国が誕生したが、その際多くの人々がキューバに逃げてきた。1795年から1805年の間に30,000人以上が隣のイスパニョーラ島から移住したが、そのうちの約20,000人は有色人種であったと文献に書いてある。そのため東部オリエンテ地方はハバナとは異なる文化を持つ。
サンティアゴ・デ・クーバで毎年開催されるアフロキューバの音楽祭「フェスティバル・デル・カリベ」を見たことがあるのだが、そこで繰り広げられる演奏やダンスはハバナではあまり見かけることがない、ヴードゥー、ガガ、メレンゲなどハイチ系のリズムがほとんどだった。
トゥンバ・フランセーサを演じる本人たちは「私たちはフランス語を話します。文化や習慣も全てフランス式です。」と言い張るが、実際グアンタナモに流入してきたハイチからの移民の多くは黒人系だったと考えられるので、トゥンバ・フランセーサは主にフランス語から変容したクレオール語で歌われている。
*写真:トゥンバ・フランセーサ「ポンパドゥール・サンタ・カタリーナ・デ・リッチ」
グアンタナモにはフランス系の名前が多い。Latamblet,Moreaux,Planché,Moróなど、普段キューバでは聞き慣れない名字が多い。ただ、多くの奴隷たちは支配者たちの名字を付けることが強要されていたので、ハイチ系の血を継承していなくてもフランス系の名字を付けられてしまった可能性もあるということだ。さらにグアンタナモにはWilsonやBrownといった英語系の名字の人も多く、彼らはジャマイカなどイギリス系カリブからの移民だと考えられる。
*写真:グアンタナモで見かけたウィルソンのジュース屋さん
エリオの家の近所にはハイチからの移民がたくさん住んでいるらしく、多少のクレオール語は理解できるということだ。
そんな汎カリブ的なグアンタナモ、文化が複雑に混ざりすぎて奥深く、本当に面白い!
<そして田舎の音楽が町中へ>
グルーポ・チャングイ・デ・グアンタナモは1945年にグアンタナモ市内で結成されたが、それ以前にチャングイは各集落で演奏され、親しまれてきた。家族や親戚、近所の友人たちが集まって開かれるパーティなどで、時には一週間ほど演奏と踊りが続くこともあったらしく、そんな気ままな生活は私たち現代人からすると羨ましくてたまらない。
いくつかの文献や研究者によるとチャングイの起源は19世紀半ば頃だとされているので、そうするとキューバで奴隷制が廃止された1886年より前ということになる。黒人奴隷たちは休日になるとチャングイを演奏し、踊り、楽しんでいたのだろうか。その頃のチャングイは今と比べてどのような演奏だったのだろう。まだまだ分からないことが多いのでいつまでも興味は尽きることがない。
モンゴ率いるグループがチャングイの歴史について分かりやすく解説をしている映像があるので、こちらをご覧いただければチャングイ入門編はバッチリなはず。(通訳が少しいい加減ですみません。)
映像:チャングイについての説明と演奏(ロス・ウニベルサレス・デル・ソン)
チャングイはグアンタナモの人々にとって古くから日常に溶け込んでいる。1980年代頃からはエリオ・レベ率いるグループがハバナで大人気を得たことによって、チャングイはレベの音楽を表すワードとなり、キューバ中の人々に知られるようになった。
『チャングイ:ザ・サウンド・オブ・グアンタナモ』を制作したジアンルカ・トラモンターナに、チャングイの録音をしたきっかけは何ですかと質問したところ、次のような返答が返ってきた。
最後に、彼から届いた文章を掲載してこのコラムを終えることにしたい。
「キューバ人にチャングイのことを聞けば、エリオ・レベ、エリート・レベ(エリオの息子)、ロス・バン・バンなどのモダンで都会的なサウンドのことばかり言いますが、私が録音した地方の伝統的な楽器を使った音楽のことを知っている人はあまりいません。それはたとえグアンタナモの人々にとっても、伝統的なチャングイはまだ影の部分が多いのです。
伝統的なチャングイが私の耳をくすぐったのは、フィデル・カストロの長い演説がきっかけでした。私がキューバを旅するようになったのは、90年代初頭のことでした。15年程前、グランマ州マンサニージョで伝統的な手回しオルガン「オルガノ・オリエンタル」について取材をしていました。マンサニージョのラジオ局でフィデルの演説を放送していた時、演説が終わると、誰かが伝統的なチャングイのカセットテープを取り出してきたのです。そのカセットテープに入っていた音楽は、今まで聞いたことのないキューバの音楽でした。拍子に合わせたクラーベではなく、シンコペーションが効いていて、コール&レスポンスのあるスウィング感たっぷりの音楽でした。
残りのキューバ滞在期間中、私はキューバの人々にチャングイとは何かと尋ねてまわりましたが、レベ親子やロス・バン・バンのことを聞かされただけで(確かにそれらは素晴らしいものですが)、カセットテープで聞いたような伝統的な音楽ではありませんでした。
結局私は「グルーポ・チャングイ・デ・グアンタナモ」以外のCDを持っていなかったので、ラジオ番組のBGM用に自分で録音することにしたのです。
アラン・ローマックス・アーカイブのプロデューサー兼修復家であるスティーブ・ローゼンタールに短い音声クリップをメールで送り、その音声が問題ないかどうかを確認したところ、問題ないので戻ったらすぐに連絡するようにと言われました。スティーブ・ローゼンタールは、たった6分間の短いラジオ番組をきっかけに、150年以上も影に隠れていた活気に満ち、寛大で、即興的で、共同体的で、生き生きと息づく文化への2年半のフィールドワークの旅へと導いてくれたのです。そうして生まれたのがこのCD/BOOK『チャングイ:ザ・サウンド・オブ・グアンタナモ』でした。」

