Top > 石橋純の熱帯秘法館 > 『大瀧詠一と古典メレンゲ(後編)』

『大瀧詠一と古典メレンゲ(後編)』

2021.04.11

(当サイト「3月のお気に入り」掲載の前編より続く)

3月21日にサブスク解禁となった「ナイアガラ」レーベル時代の大瀧詠一(歌手名義・大滝)作品。その中から「恋はメレンゲ」を聴いた私は、それがメレンゲの古典ナンバー「コンパドレ・ペドロ・フアン」を元歌としていることに気づいた。そして、たんに「元ネタ」を見抜いたことにとどまらない違和感を覚えてしまった。その違和感の正体を解きほぐすために、音源を聴き進めてみたい。

まずは、大瀧「恋メレ」と元歌「コンパドレ・ペドロ・フアン」を、前編とは別バージョンで聴き比べてみよう。

大滝詠一「恋はメレンゲ」1978


"Compadre Pedro Juan" Angel Viloria y el Conjunto Tipoco Cibaeno 1950年代初頭録音


両者がそっくりなことは誰しも直感すると思うが、ここでは異同の認められる主要な部分を確認しておきたい。まずはサビのリフのメロディである。「コンパドレ・ペドロ・フアン」では、【コーラス】「Baile」【ソロ】「Compadre Juan」というコール&リスポンスが、2小節X2回=4小節1セットで執拗に繰り返される。「恋メレ」では「こいはメレンゲ+2分休符」という2小節1セットがコーラスで4回だけ繰り返される。

もうひとつは、サビのあとのコーダを含む構成である。原曲はひとたびサビにのリフ入ったら、二度とテーマに戻らない。カリブ音楽特有の「モントゥーノ」と呼ばれる様式である。ダンス現場ではこの部分でインスト・リフをたたみかけたり、アドリブ・ソロで楽しませた後、歌のリフにもどって止め拍子で終わる。これが伝統的なメレンゲのお作法だ。だがサビの後テーマに戻らないという構成は、日本のポップスとしては無理があったのかもしれない。そのためダカーポするためのコーダ(歌詞「たったいちどの〜」)を加えたのだろうか? じつはこの部分には別の元ネタがある。イーディ・ゴーメ1963年のヒット曲「恋はボサ・ノバ Blame It on the Bossa Nova」(詞シンシア・ワイル、曲バリー・マン)から引用されているのだ。「恋メレ」の大滝版(75、78年)ならびにシリア・ポール版(77年)では間奏のキーボードソロの旋律もここから引用している。

「恋はボサ・ノバ」(イーディ・ゴーメ、1963年)


大瀧は「恋はメレンゲ」の英語タイトルを「Blame It on the Merengue」と付けている。この曲が「Blame It on the Bossa Nova」を踏まえていることをわかりやすく匂わせており、メディアでネタばらしもしている。いっぽう「恋はボサ・ノバ」よりはるかに多くの部分を借用し、なおかつメレンゲの手本にもした元歌「コンパドレ・ペドロ・フアン」の存在を黙殺した態度は不可解である(註1)。ここに私が抱いた違和感の根源がある。

ナイアガラ・レーベル時代の大瀧は、洋楽のダンス・リズムを渉猟し、楽曲化する実験を重ねた。その集大成として、日本の盆踊りと洋楽ダンスビートをフュージョンすることに傾倒し、《Let's Ondo Again》(1978年)というアルバムを発表した。この実験は「イエローサブマリン音頭」(歌・金沢明子、大瀧詠一・プロデュース、1982年)の大ヒットとして結実する。

「イエローサブマリン音頭」(金沢明子、1982年)


レノン&マッカートニー作品は言うに及ばず、《Let's Ondo Again》収録の「呆阿津怒哀声音頭」(原曲レイ・チャールズ ”What d'I say")などの作品を聴けば、元歌を参照・引用・パロディ化する高度な遊びを展開しながらも、同時に原曲への深いリスペクトを表明してきたことが聴きとれる。漢字表記ではあるが、原作者のクレジットも欠いていない。

《Let's Ondo Again》より「呆阿津怒哀声音頭」(作詞・曲 礼茶亜留守)

https://www.youtube.com/watch?v=9MHKwGTHN4s

Ondoの実験から感じられるのは、洋楽を消化吸収した日本土着の(ヴァナキュラな)ダンスビートを創出することを、大瀧が、遊び心とともに真摯に実験していたということだ。その意味で興味深い仕事がもうひとつある。1960年代前半に洋楽翻案文化のあだ花として短期間活動したビートルズの日本語カバーバンド「東京ビートルズ」の復刻である。「猿真似」とそしられ、技術・知識の不足、美学・感覚の相違により完コピがかなわず、誤解したり、間違えたりしながら懸命に新奇な外来文化を血肉化しようとする先人の滑稽な情熱を、(笑いのネタにしつつも)異文化受容過程で生ずる創造の臨界事案として、大瀧がキュレーションしたことがうかがえる。

東京ビートルズ - TOKYO BEATLES - 抱きしめたい I wanna hold your hands

https://youtu.be/AiiulbZm7Bs

大瀧は、「東京ビートルズ」のサウンドから、1960年代の日本の文化産業の末端に起こった、粗野にして無垢で無意識の土着感覚がにじみ出たクリエイティビティを嗅ぎ取り、音源を発掘・世に出したのではないか。同じ時代、貪欲に、闇雲に、拙速にラテン音楽を流行歌に取り入れる過程で、「南米のコーヒー農園」の歌を「アラブのお坊さん」の歌にしてしまう翻案が行われた。納期が迫って苦し紛れに着想したであろうハチャメチャさがウケたのか、その曲「コーヒールンバ」は昭和歌謡のスタンダードとして定着することになる。ここにもヴァナキュラな無意識の創造性が見て取れるように私は思う。

いっぽう、時代も下り70年代の大瀧らは、知的まなざしをもって世界の音楽を相対化し、それらをとりいれつつ新しい日本のポピュラー音楽を創出することを自覚的に試みた世代の先駆けだった。そうした立ち位置のクリエーターが、とある国の民族舞踊の古典曲に目をつけ、民族音楽学的精密さでそれを分析・模倣し、その成果を自己名義で作品化してしまうという行為の根底にはどのような(無)意識があったのだろうか。ポピューラー音楽の世界序列の中で「自分より格下」と決めつけた相手は、その名を挙げて敬意を示すに値しないとする意識なのだろうか? 素性を知らずに流用した作品が当該文化の古典的名曲であるかもしれない、ということへの想像力の欠如だろうか?

真相はどうあれ、大瀧詠一が、レノン&マッカートニー、レイ・チャールズあるいはワイル&マンに示したのと同様のリスペクトをもってメレンゲの巨匠ルイス・アルベルティを待遇しなかったことが、とても悲しい。1970年代日本の先端音楽人が、ブラジルでもアルゼンチンでもキューバでもないラ米の音楽に対峙する意識は、残念ながらその程度のものだったのかもしれない。20世紀末にはポピュラー音楽史をラジオで講じ「音楽に貴賤なし」と説いた大瀧も(註2)、その20年前にはこのような植民地主義的な価値観から脱け出せていなかったということだろうか。

ちなみに、「コンパドレ・ペドロ・フアン」の歌詞は、「華やかなメレンゲ・パーティに気おくれする親友に、女の子を誘って踊れと促す」という内容である。「恋はメレンゲ」もまた「パーティでメレンゲを踊り、恋が実る」という詞であるが、大瀧はこのプロットを「恋はボサ・ノバ」から発想したものと思われる。もしも、大瀧が「コンパドレ・ペドロ・フアン」の詞まで参考にしていたなら、「シャイな彼氏のピーター・ジョン」や「二人の恋を見守る指揮者のルイス先生」なんてキャラを登場させて、カリブ音楽ファンをニヤリとさせてくれたかもしれないのだが……

ところで「恋メレ」の伴奏陣として細野晴臣(Ba)、松任谷正隆(Key)、鈴木茂(Gt)、林立夫(Drs)が起用されていることを、大瀧(Vo、作編曲、P&D)は誇らしげにライブコンサートで紹介している(本稿前編参照)。だが、後のJ-POPの重鎮となる音楽家たちが鋭意模倣作業に取り組みながら、「恋メレ」は、どこか本物のメレンゲとノリが違うということを、カリブ音楽ファンは直感するに違いない。それは大瀧と4人の名手達が「クラベ」の感覚を共有していないからだと思われる。

「クラベ」(clave)は、「鍵」「キーワード」「合言葉」を意味するスペイン語だが、ここではカリブのダンス音楽の根幹をなすリズム原理の名称である。3-2|●○○●○○●○|○○●○●○○○|もしくは2-3|○○●○●○○○|●○○●○○●○|というパターンでパルス●の位置が配分され、2小節で1循環する拍節感の法則である。全員が●位置を毎回強く演奏するということではない。これらは強さの位置というより、そこに重心あるいは節目がある、という感覚である。クラベはダンスとも密接不可分で、演奏のクラベがズレれば踊り手達はステップを踏み外すことになる。よってクラベ感覚は、打楽器だけでなく、和声楽器のコードチェンジや、旋律のフレージング、そして旋律に対する歌詞韻律のハメ方までをも支配する。原理さえ体得していれば、日本語詞をクラベに気持ちよくハメて歌うことも可能である。

クラベのパルスを拍子木(楽器名クラベス)でメトロノーム的に打ち鳴らすことは伝統音楽などでは行われるが、モダンな楽団になると、それはダサいと見なされる。一番大切なことはあえて明示しないからこそクールなのだ。全員がそのことを深く身体化している楽団と、音源を模倣しただけの演奏の間には、超えられない一線が存在する。クラベ感覚が不在の大瀧「恋メレ」には、メレンゲとしては心地よくない瞬間が出現するのだ。

それは元歌を大きく改編した部分で顕著に現れる。「恋はボサ・ノバ」から借りた旋律をつぎはぎした「たったいちどのダンスでロマンスの〜」の部分では、歌の節まわしと詞くばりが、曲全体を支配する(はずの)3-2クラベから逸脱、迷走している。踊る男女が足を踏んづけあって転倒、一度のダンスで恋も冷めかねない。サビのコーラス「こいはメレンゲ」は、3-2クラベの前半|●○○●○○●○|だけに配当されており、後半|○○●○●○○○|は、音楽的に空疎な時間が流れる(三田寛子版ではコール&リスポンスになっているが、リスポンスがクラベを外している)。クラベに合う主旋律でこの部分を埋めないのであれば、パーカス、ベースあるいはキーボードで●を感じさせる手を利かせるべきなのだ。こうしたことは東京ビートルズが「抱きしめたい」のBメロ冒頭で一部コードを差し替え(間違え?)ているという事象と、構造的には類似していると、私は思う。つまり音響現象の奥に埋め込まれた文化的認知原理の看過といえようか。

以上が大瀧詠一「恋はメレンゲ」に私が感じた違和感のすべてだ。とはいえ、1970年代に、古典的なメレンゲの現地音源を徹底的に聴きこみ、そのサウンドを日本のポップスに活かそうと着想し、名手たちに弾かせ、人気アイドル歌手に録音させるに至った大瀧詠一の試みは、日本におけるラテン音楽受容史の1ページに記して評価されるべきと思う。主要引用源であるドミニカの元歌の存在をほのめかしてすらいないことが唯一残念な点だ。

最後に、大瀧「恋はメレンゲ」のカバーをもう一種聴いていただこう。あの「魔法使いサリー」の主題歌をうたった伝説の女声コーラストリオ《スリー・グレイセス》の1994年録音である。メンバーの星野操が大瀧詞にもとづいて英語詞を作っている。

スリー・グレイセス「恋はメレンゲ」

https://youtu.be/r6FTAjpJoaI

イントロをのぞき全編3-2のクラベにぴったり合っており、私が先に指摘した問題も見事に編曲処理されている。詞くばりの難所である「たったいちどの」の部分は、星野の英語詞では「chiki chiki chiki」というスキャットが当てられていて、その前後も含めて小気味よくクラベに乗っている。大瀧原詞にないエロティシズムが加味され、大人の男女の恋が描かれる。ノリは典型的なメレンゲ・ドミニカーノとはいえない。1990年代のズークやコンパなど仏語圏のサウンドとの親和性も感じられる。ビートを寸断して挿入される大胆な無音のブレイクは同時代のニューヨークやキューバのサルサを彷彿とさせる。いずれにせよラテンジャズの一作品として違和感なく踊り通せる仕上がりだ。ドミニカの古典メレンゲにマニアックに接近しながら肝心のクラベを外していた以前のバージョンと比べて、クラベの土台の上に日本発の無国籍ラテンダンス音楽を構築したこのバージョンは、あらゆる意味ではるかに格好いい。

アレンジは、福山雅治らのディレクションを務める作編曲家・キーボード奏者の井上鑑(あきら)。井上は、大瀧と「師弟関係」にあったといい(註3)、両者はナイアガラ時代から緊密にコラボしている(註4)。ただしラテン音楽の現場に関わった経験は、井上には無いようだ(註5)。プロデューサーの大森昭男は、CM音楽の大家であり、「大滝詠一伝説」としてしばしば語られるサイダーのキャンペーンに25歳の大瀧を抜擢した張本人である(註6)。大森はスリー・グレイセスならびに井上をたびたびCMに起用している(註7)。大瀧と井上を引き合わせたのも大森だという(註8)。

これほどの密なコネクションのなかで大瀧作品をカバーするとなれば、制作チームが大瀧の助言を仰がないはずがない。ここから私が想像するのは、初録音から19年の期間にトロピカル・ラテン音楽を「勉強」した大瀧が「リベンジ」の好機を逃さずアイディアを提供したのではないかということだ。わいわいガヤガヤとエンディングに向かう演出は、大瀧のONDO連作を想い起こさせる。「ガヤ」の一人として大瀧も加わっているのではと、と妄想したくなる。

異文化が接触するさいには、文化的コードを共有していないがゆえの「誤解」は避けられないものである。文化変容はそこから起こる。その過程をモデル化し、再帰的に適用するならば創造作業の手法となりうる。1970年中葉に大瀧詠一が着手したメレンゲ土着化の発想は、そうした過程を踏んで、「似非メレンゲ」からはじまり、熟成し、大森・井上・星野らの協働を得て「日本発無国籍メレンゲ」として1994年にひとつの完成をみたと言ってもよいのではないだろうか。J-POPの中に一大潮流を起こすには至らなかったけれども、大瀧メレンゲは何度か花を咲かせ、枯れずに実を結んだ、とここに書き記しておこう。

*井上鑑さんの業績について、キーボード奏者・作編曲家の奥山勝さんからご教示いただきました。記して謝意を表します。

(註1) 「ナイアガラ・ムーン」『大滝詠一 Talks About Niagara Complete Edition』(『レコードコレクターズ』4月号別冊)通巻第33巻第7号、2014年、82−84ページ。このインタビューの中で「恋はメレンゲ」の鍵盤ハーモニカ・パートについて「チロル民謡を弾いている。南米(ママ)のリズムのメレンゲでチロル民謡という、ただのアダプトでないところにナイアガラ色がある」と大瀧は述べている(83ページ)。この分散和音は、私には伝統的メレンゲのアコーディオンの型をただ「アダプト」しただけのように聞こえるが、そもそもドミニカのアコーディオンはドイツ伝来であり、その奏法はチロル民謡とも似ているのだ。いずれにせよ、わざわざ中部ヨーロッパ山岳地帯の民謡を持ち出す前に、(南米ではなく)「カリブの島ドミニカの伝統音楽」に依拠していることにこそ言及すべきだろう。
(註2) NHK・FM 大滝詠一「日本ポップス伝U」1999年1月3日(第1夜) https://www.youtube.com/watch?v=2ROv1To2ymc&t=6269s (2021/04/13アクセス)
(註3) Musician A CROSS-NETWORK MUSIC INDUSTRY GUIDE リレーインタビュー 第44回井上鑑氏 キーボード奏者/アレンジャー/プロデューサー https://www.musicman.co.jp/interview/19512 (2021/04/13アクセス)
(註4) FM東京『大滝詠一のニューミュージック・フォーラム〜スピーチ・バルーン』ゲスト・井上鑑 1982.5.28 https://www.youtube.com/watch?v=fwz3mHtiJMQ(2021/04/13アクセス)
(註5)「作詞 作曲 編曲 変奏家として発信を続ける音楽家・井上鑑オフィシャル・サイト」Profile 略歴と年譜 https://www.akira-inoue.com/profile (2021/04/13アクセス)
(註6) FM東京『大滝詠一のニューミュージック・フォーラム〜スピーチ・バルーン』ゲスト・井上鑑 1982.5.28 https://www.youtube.com/watch?v=fwz3mHtiJMQ(2021/04/13アクセス)
(註7) Wikipedia 大森昭男 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%A3%AE%E6%98%AD%E7%94%B7 (2021/04/13アクセス)
(註8) FM東京『大滝詠一のニューミュージック・フォーラム〜スピーチ・バルーン』ゲスト・井上鑑 1982.5.28  https://www.youtube.com/watch?v=fwz3mHtiJMQ(2021/04/13アクセス)
posted by eLPop at 13:25 | 石橋純の熱帯秘法館