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『eLPop今月のお気に入り!2021年3月』

2021.04.11

さて、東京では桜もピークを過ぎましたが、コロナのピークはどうなの?な状況、『eLPop今月のお気に入り!2021年3月』をお届けしたいと思います。

新譜・旧譜、新作・旧作関係なく、音盤あり曲あり映画あり、本あり、社会問題ありと様々ですが、この月はなぜかこれだった、というのをチョイスしました。この月の気分が含まれた雑誌、プレイリストのように楽しんで頂ければ幸いです。

【目次】

◆石橋純『大瀧詠一と古典メレンゲ』(前編)
◆高橋めぐみ『ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』&『インディオの道』
◆水口良樹『Hasta la Raíz / Song Across Latin America』&名盤2枚(ペルー)
◆岡本郁生『追悼・松岡直也そして村上“ポンタ”秀一&和田アキラ』
◆佐藤由美『ピアソラ 100』(アルゼンチン)
◆高橋政資『1938年キューバ映画「El Romance del Palmar」の音楽的豊潤さ&濱田滋郎先生の思い出』
◆宮田信『フレディ・トゥルヒーヨ『アメシカ』』(チカーノ)
◆山口元一『ホルヘ・オニャーテとチャーリー・アポンテ』(コロンビア)
◆伊藤嘉章『クアトロの今:ファビオラ・メンデス(濱田滋郎さん追悼)』(プエルトリコ)
◆長嶺修『サウダーヂ』の街


気になったものがあればリンクをぜひクリックしてお楽しみ下さい!(記事到着順に掲載)


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◆石橋純(熱帯秘法館/CASA CACHIBACHI担当/ベネズエラ& more)
『大瀧詠一と古典メレンゲ(前編)』


昨年(2020年)の暮れあたりだったろうか。往年の日本人音楽家のラジオ番組の録音をYouTubeがオススメしてくるようになった。なかでも、私が飛びついたのは、大瀧詠一(1948−2013、歌手名義・大滝)だ。不定期に放送された大瀧のラジオ番組には、引き込まれるように聴き入ったものだ。そんな私の好みを、YouTubeはどうやってプロファイリングしたのだろう? そうこうするうち3月21日に発売40周年を迎えた《A LONG VACATION》の「40th Anniversary Edition」が告知され、気がつけば私はアナログ盤を購入予約していた。AIの思うつぼだ。

ポチってしまった「ロンバケ」LP現物(まだ針は落としていない笑)
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同時に大瀧が自身のレーベル「ナイアガラ」から発表した大滝詠一名義楽曲177点がサブスク解禁され、「幻の」大瀧作品が手軽に聴けるようになった。

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https://www.sonymusic.co.jp/artist/EiichiOhtaki/info/527279

そんななかでも「恋はメレンゲ」という作品に私は興味をそそられた。大瀧詠一はこの曲を1975年のアルバム『ナイアガラムーン』で発表。77年には女性歌手シリア・ポールに楽曲提供。78年セルフカバー・アルバム『DEBUT』にリミックス版を収録。82年には人気女性アイドル・三田寛子に提供している。大瀧は、洋楽の「リズム」に造詣が深いことで知られていた。当然、ラテン・リズムも研究していたと思われる。なぜ当時全盛期にあったサルサでなく、メレンゲに着目したのだろうか。80年代後半に巻き起こるメレンゲ・ブームを大瀧は日本から先取りしていたのだろうか?

大滝詠一「恋はメレンゲ」1975
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https://open.spotify.com/album/1BMI3bLtZacDhkTok2rkXP

三田寛子版 1982

https://www.nicovideo.jp/watch/nm12376064

そんな関心に導かれ、聴いてびっくり。楽曲の大部分がルイス・アルベルティ(1906--1976)の「コンパドレ・ペドロ・フアン Compadre Pedro Juan」のパクリなのだ。本国ドミニカ共和国や周辺のカリブの国々では知らぬ人のいない古典ダンスナンバーだ。グレン・ミラーの「イン・ザ・ムード」級の有名曲といえば、おわかりいただけるだろうか。

Compadre Pedro Juan

https://www.youtube.com/watch?v=CxpN3APdlM8

筋金入りの洋楽オタクであった大瀧は、英米日の古今のポップスを系統的に聴きこみ、それらを参照・引用・パロディ化した楽曲づくりで知られる。ラ米音楽にもしばしば見られるような、リスペクトをこめて「本歌取り」する大瀧の創作態度をとりあげて「パクリ」を指弾するなど本来は野暮なことなのだ。だが、大瀧「恋メレ」とその元歌「コンパドレ・ペドロ・フアン」の関係について私が違和感を覚えたのは、英米日の楽曲・アーティストに対峙するときと比べて、大瀧の作法が雑に思えたからだ。いや、「雑」というのとも違う。大瀧は、コンサート中に自身のスタジオワークをデモしてみせるマニアックな企画として、「恋メレ」のミックスダウン過程を披露しているのだ。相応の愛着がこの曲にあったものと思われる。何種類かの「コンパドレ・ペドロ・フアン」の音源を聴きこみ、それらに傾倒し、ガチで模倣再現を試みたらしいことが、ここからうかがい知れた。

大滝詠一(33) 「ヘッドフォン・コンサート」 1981年12月3日 渋谷公会堂
(47:22より「恋はメレンゲ」)

https://youtu.be/ytEd9OnUYx0

大瀧オリジナルと呼べる部分は極めて少ないと私は鑑定する。(a)イントロのベースとサックスの絡み(75年版のみ)(b)サビの主旋律(歌詞「恋はメレンゲ」)(c)サビ後のコーダ(歌詞「たったいちどのダンスでロマンスの花が咲く〜」からの部分)この3カ所が、元歌「コンパドレ・ペドロ・フアン」と異同のある部分と私には思える。テーマの旋律の大部分とコード進行、楽曲の基本構成、ブレイクのリズムなどは、原曲そっくりさんといえる。とってつけたような(a)は20世紀初頭の古典的なメレンゲ楽曲にみられた「パセオ」と呼ばれる導入部に由来していると思わる。これは1950年代にはすでに珍しくなっていた様式で、パセオを伴うメレンゲのスタンダード曲は「コンパドレ・ペドロ・フアン」のほかには知られてない。「恋メレ」がメレンゲ一般から着想を得たというより、この特定楽曲を下敷きにしたことの証左となりそうだ。なお大瀧は78年版では(a)を省略。シリア・ポール版、三田寛子版では別のイントロに差し替えられている。

ドミニカの大歌手フランシス・サンタナは、「コンパドレ・ペドロ・フアン」について「メレンゲの父祖というべき作品で、世界中の言語で歌われている。日本でまで!」とライブ映像で前口上している。この曲が日本で人口に膾炙した事実はない。おそらくこれは「恋メレ」を聴いたドミニカ人が、故国の名曲がカバーされているものと勘違いしたのではないだろうか? そうだとしたら、まことにもっともな話である。


https://youtu.be/DI3H5YuVi2I

洋楽オタクの「神」・大瀧詠一の「恋はメレンゲ」に私が抱く違和感の正体はなんであろうか。もう少し掘り下げてみたい。この続きは、場所を移して私の部屋「熱帯秘法館」で。(続く)

http://elpop.jp/article/188569145.html (後編)

http://elpop.jp/article/188569145.html

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◆高橋めぐみ(SOY PECADORA担当/スペイン語圏の本・映画)
『ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』と『インディオの道』

観た映画:『ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』(2019)(原題:DIEGO MARADONA)
監督:アシフ・カパディア
公式HP http://maradona-movie.jp/

コロナ禍の昨年11月、ディエゴ・マラドーナの訃報は全世界に衝撃を与えました。まだ60歳になったばかり。熱狂的なサッカーファンとは言えないけれど、マラドーナには特別な思いがあるわたしは、正直、悲しくて泣きました。

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この映画は、アルゼンチンのサッカーの天才少年として貧困から抜け出したマラドーナがその後大きな栄光を掴むと共に薬物中毒と裏社会との付き合いから一気に転落してしまう様を描いたドキュメンタリです。スペインのバルサ(FC Barcelona)で良い成績が出せなかったマラドーナが、1984年にSSCナポリ(S.S.C. Napoli)に電撃移籍し、その弱小クラブを奇蹟の優勝にまで導いた80年代後半を中心に、多くの人にとって一生忘れられない体験となった1986年のワールドカップでのあの「神の手」と「5人抜き」を挟み、リーグで次々に素晴らしいプレーを繰り出す一方で忍び寄るカモッラ(ナポリのマフィア)の影が赤裸々に描かれます。

マラドーナ本人が全面的に協力し、インタビューにも丁寧に答えています。その他、チームメイト、フィジカルトレーナー、ジャーナリスト、妻や姉などの証言に加え子供時代から晩年まで500時間にも及ぶ未公開映像から作られたリアルなマラドーナ像に胸が締め付けられます。個人的にはマラドーナのお父さんがホームパーティでアサード(アルゼンチンのバーベキュー、これができないと男として一人前と言えない)の番をしているシーンがとても好きです。息子が有名人になってお金持ちになってもアサードは一家の長の仕事と言わんばかりの微笑ましく少し切ないシーンです。

監督のアシフ・カパディアは『アイルトン・セナ 〜音速の彼方へ』(2010)や エイミー・ワインハウスを取り上げた『AMY エイミー』(2015)を撮った人。関係者へのインタビューと未公開映像から「その人」を浮き彫りにする名人です。
Diego, descanse en paz!


読んだ本:『インディオの道』(1979)
原題:Cerro Bayo(1946)
著者:アタウアルパ・ユパンキ
翻訳:濱田滋郎(この書籍の表記は「浜田」)
晶文社
※古書で購入可能

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物語全体がひとつの詩の塊のような本です。美しくも過酷なアルゼンチン北部の自然、その中での暮らし、生まれては消える恋、すべてがかけがえのない宝物のような世界が描かれています。

著者は、アタウアルパ・ユパンキ(1908-1992)です。言わずとしれたアルゼンチン・フォルクローレの巨星、多くの曲が何人もの歌手にカバーされ、これからも歌い継がれて行くことが間違いない音楽家です。300曲以上の楽曲をこの世に送り出し、優れたギタリストであり、著作も10作以上あります。『トゥクマンの月 Luna Tucumana』や『牛車にゆられて Los ejes de mi carreta』などはアルゼンチンのフォルクローレを代表する曲として日本でもよく知られています。

そして、この本を訳されたのは、濱田滋郎さんです。フラメンコ、フォルクローレ、スペイン文化に造詣が深く多くの著作や訳書があり、その知識は深く広大でした。個人的に何度かお会いしたことがありますが、わたしなんぞからみたら恐れ多いほどの大先生であるにも関わらず、優雅で温和な雰囲気をまとわれ、まったく対等に接してくださいました。実は、その濱田先生がこの3月21日に86歳の生涯を閉じられたという悲しい知らせを聞いたばかりなのです。フラメンコに関する作品も何冊か読んでいますが、その時に、わたしの心に浮かんだのがこの『インディオの道』でした。



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◆水口良樹(ペルー四方山語り担当/ペルー)
『Hasta la Raíz / Song Across Latin America』&名盤2枚

今月のオススメ。
ひとつは

Hasta la Raíz | Song Across Latin America | Intl Committee of the Red Cross + Playing For Change


https://www.youtube.com/watch?v=cUaKBGnn2DQ

になります。

ミャンマーの国軍による住民虐殺がひどくなる今、暴力に対して私たちは無力と嘆くのではなく、怒り、連帯しなければならない、ということを痛感します。隣人の死を、人ごとにせず、つながっていくためにはどうしたらいいのか。そういうことをひしひしと感じる日々です。

思えば2020年も警察権力による暴力が吹き荒れた一年でした。もはや警察が暴力装置であり、国を守ると言いながら国に都合の悪い存在に対して容赦しない存在であることも世界中で明らかになった、そういう一年でもあったと思います。

そして、ラテンアメリカはかつてこのような暴力が吹き荒れた地域のひとつでもあり、今なお吹き荒れている地域でもあり、そんな中、人の尊厳と記憶を伝えることを誓って日々をもういない人への思いとともに生きている人が今なお多くいる土地でもあります。

そんなことを考えているときに出会ったのが、ナタリア・ラフォウルカデレオネル・ガルシアの曲"Hasta la Raíz"を、ラテンアメリカを代表する音楽家たち、アルゼンチン、ペルー、メキシコ、コロンビア、ブラジル、グアテマラ、ホンジュラス、エルサルバドル、スペインといった国々の音楽家たちが演奏したPVでした。国際失踪者の日に合わせて発表されたというこのPVは、あらゆる理不尽な「失踪」、「暴力」とともに生きている人に捧げられた一曲です。こうした歌が鳴り響くことの希望、それを自らの一歩を後押しするために、考えるだけでなく行動していくことの意味と再び向かい合い、自らも同じ地球に住む当事者の一人として、できることを探していく必要がある、と改めて強く思っています。

明らかにディストピアへと転げ落ちつつあるこの世界を取り戻すためには、希望と行動が必要である、ということを私たちは忘れないようにしなければいけないと、改めて強く思う次第です。偉そうなことを書きましたが、喜びと悲しみと共感と、何より誰に寄り添うのかというポジショニングを忘れずに、この逃げられない政治の混迷する時代を皆で踊りながら生き抜いていきたいものです。



また、今月は20世紀前半期の古い音源をいろいろ聴くことが多かったのでそこから2枚の名盤をあげておきます。

1枚は1940年代から60年代のムシカ・クリオーヤの録音を集めた『Remembranzas del Criollismo』。全18曲。非常に貴重な歌手の歌声や当時の編成まで含めて、ムシカ・クリオージャの在りし日の姿を知ることができる貴重なCDです。そして何より名演が多く、当時のレベルの高さを改めて感じることができる、まさに名盤です。


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Remembranzas del Criollismo

2枚目は、私が解説を書かせていただいた『La música en tiempos de Martín Chambi』になります。1917年から37年にかけて録音された、こちらはアンデス音楽、当時は「インカ音楽」と呼ばれていたインディヘニスモの影響下で作曲され、録音された曲が並んでいますが、ジャズなどのグローバルな音楽の影響を受けて作られた「新しい想像されたアンデス風音楽」だ、ということがよく分かるアルバムです。またこの時期にすでに現在に至るアンデス音楽の根幹に関わる部分がかなり形成されていたということに驚かされるCDであり、いつ聴いても新鮮な驚きがある名盤です。解説もかなりがんばって書いたので、よかったらぜひ手に取って読んでみて欲しいと思います(久しぶりに読み返してびっくりしました)。

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La música en tiempos de Martín Chambi




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◆岡本郁生(ラテン横丁・USA LATIN & MORE)
『追悼・松岡直也そして村上“ポンタ”秀一&和田アキラ』

先月のこのコーナーで、松岡直也&ウィシングと伊東ゆかりによる「ONE LAST FAREWELL」を取り上げたばかりだというのに、ここに登場していた、ドラムスの村上“ポンタ”秀一とギターの和田アキラが、この1か月の間に相次いで亡くなってしまった(それぞれ、3月9日と28日)。ご存じのとおり、おふたりとも、フュージョンやニューミュージック、ロックなどさまざまなジャンルで活躍、同時に松岡直也グループの要として重要な位置を占めたメンバーだ。

もともとノロ・モラレスでラテノ音楽にのめり込み、ティト・プエンテやティト・ロドリゲスが大好きだったという松岡は60年代、主な仕事の場だったナイトクラブ〜キャバレーで求められる音楽とやりたい音楽とのギャップに悩み、スタジオワークや作・編曲に方向転換。70年代半ばになって、気心の知れた仲間たちとライブを始め、表舞台へ飛び出した。この流れから生まれたウィシング〜松岡グループは、基本的に職人たちの集まりであり超一流のプロ集団である。

ただ、彼の中では、憧れのニューヨーク・ラテンと実際に自分たちが出す音との間には差があって、それはいかんともしがたいものであり、しかしそれは引け目に感ずるのではなくむしろ誇るべきことである…という意識が常にあったのではないか(と勝手に想像している)。
だからこそ、ラテン音楽の伝統を正当に受け継ぎながらも、この、あまりにも日本的としか言いようのない松岡直也サウンドが生まれたのだ。

松岡直也グループコンサート 〜Songs and Days〜 TV版 FULL

松岡直也グループ
松岡直也、高橋ゲタ夫、和田アキラ、津垣博通、ウイリー長崎、木村万作

ひとつ目の動画はアルバム『Songs and Days』リリース時のコンサート(おそらく1989年)。85年にレコード大賞を獲った中森明菜「ミ・アモーレ」(もともとは「赤い鳥逃げた」)ほか、松岡グループらしい、胸を締め付けられるようなセンチメンタルな演奏が繰り広げられている。歌いまくる和田アキラのギターがいい。

Bu-One Last Farewell"Live2012" Naoya Matsuoka 松岡直也


こちらは、2012年、『松岡直也&ウィシング・ライブ〜音楽活動60周年記念〜』からの映像。松岡・村上・和田…といまは亡きお三方による最後の共演だが、皆さんちょっと体調が芳しくないように見受けられるし、全体的にちょっとガチャガチャした印象でもあるのだが、そんなことはさておいて、ほとばしる熱情がビシビシに感じられる圧倒的な演奏となっている。




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◆佐藤由美(GO! アデントロ!/南米、ブラジル & more)
『Piazzolla 100』

アストル・ピアソラ「生誕100年」にあたる2021年、非常時でなければ日本でも各種ライヴが実現したに違いない。同様の苦境を抱えつつも、ブエノスアイレス市の誇るコロン劇場では記念公演「Piazzolla 100」を敢行。3月11日、ピアソラの誕生日の前後に組まれたプログラムは同時配信され、記録に残された。

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やや長めの音出し、別撮りコメントに挨拶、協賛クレジットに続いて、ようやく出演者と曲名の表示が現れる。その後は演奏が始まると中継映像のままなので、転換場面など飛ばしながら鑑賞せにゃならん。そんなわけで未だすべてをつぶさに観終えていないのだが……現役タンゴ人がピアソラへの感謝の念を込めた渾身のオマージュ・ステージ、しかと見届けねば。

https://teatrocolon.org.ar/es/piazzolla100

※出演詳細例=3/18(木)第1部:ドゥオ・アグリ=ロモ。第2部:フアン・カルロス・シリグリアーノ・キンテート。第3部:キンテート・オラシオ・マルビチーノ(オラシオ・マルビチーノel-g、パブロ・アグリvi、ニコラス・レデスマp、オラシオ・カバルコスcb、オラシオ・ロモbn)ゲスト歌手テレサ・パロディ

TRANSMISIÓN ONLINE | Concierto 18 de marzo | Piazzolla 100 años

https://youtu.be/zXCGEVIqXMM





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◆高橋政資(ハッピー通信担当/キューバ、ペルー、スペイン)
『1938年キューバ映画『El Romance del Palmar』の音楽的豊潤さ』&濱田滋郎先生の思い出


<1938年キューバ映画『El Romance del Palmar』の音楽的豊潤さ>

 歌手の岸のりこさんが昨年から始められた、生演奏とトークのイヴェント『フィーリン、ボレロ、そしておしゃべり』の第3回目(3月27日)にゲストとして出演、19世紀末から20世紀半ばぐらいまでの“キューバの歌”についてお話しをした。今回は特に、劇場で活躍した音楽家やクラシック系の人たちについて、歴史背景を交えつつご紹介したのだが、その為にいろいろ調べていて見つけた、1938年のキューバ映画が衝撃的内容で、何度も見返してしまった。

 映画のタイトルは『El Romance del Palmar』。ラモン・ペオン監督でリタ・モンタネールが主演している。他にリタ同様、エルネスト・レクオーナに見いだされたマルゴット・アルバリーニョ、マリア・デ・ロス・エンヘレス・サンタナなどの女性スターも出演している。リタ・モンタネールの経歴のなかでも重要な作品のようだが、勉強不足で今回初めて知った次第である。

 ストーリーは、ピナール・デル・リオのタバコ農園で働いていた女性が、男を慕ってハバナに出てが騙され、歌が上手かったのでキャバレーのショーに出演しながら生きていく、というような、たわいもない話しだ。ただ世界的に、音楽、ダンスなど挟み込んだ総合エンターテイメントとして映画が作られていた頃で、本作もその例に漏れず音楽シーン、ダンスシーン満載だ。20世紀半ばまでメキシコ映画は全盛で、「ルンベーラ映画」というトロピカルなダンス、音楽を散りばめた映画のジャンルが1940〜1950年に多く作られたが、それに先がけ1938年にキューバで同様の映画が作られていたというのだけでも驚きだ。メキシコの経済が急速に発展したのが、第二次世界大戦中から戦後に掛けて。その時期に「ルンベーラ映画」が盛んに作られたわけだが、それに先立つ開戦直前にキューバでこんな豪華な映画が作られていたとは。そしてその流れがメキシコに引き継がれたのと考えると、当時の両国の社会情勢を絡めて考察してみるのも面白そうだ。

(El Romance del Palmar 1938年)

https://youtu.be/JMDctOlyZvo

 ストーリーは前述のとおり、なんということは無いものだが、1930年代後半のキューバの田舎(ここでは、ピナール・デル・リオ)と大都市ハバナの風俗〜風習、景色や街並みが垣間見られ、音楽、ダンスも満載だ。

 まず注目していただきたいのは、26分あたりからのモイーセス・シモン作、有名なプレゴーン(物売り歌)「エル・マニセーロ(南京豆売り)」のシーンだ。作曲委託者であり初演歌手でもあるリタ・モンタネールが歌っている。よくここだけ切り取って紹介されていることも多い、比較的有名な映像だ。リタの歌う姿も素晴らしいが、バックが女性バンドなのにも注目していただきたい。オルケスタ・アナカオーナのすぐ後に結成された、キューバの初期女性オーケストラの1つエルマーナス・アルバレスだ。男性にも負けない演奏ぶりが素晴らしい。

 そして、この映画の最大の驚きシーンは、39分ちょっと前あたりから始まるキャバレーのショー・シーンだ。なんと、3人の黒人のパーカッション・アンサンブル(コンガ、ボンゴ途中からカホン、マラカス)に黒人女子のダンサー兼歌手、オルガ・マルティーネス、さらにトレス・ギター奏者まで加わり、白人主体のビッグ・バンドと共にエキサイティングな共演を繰り広げている。キューバ本国で、コンガがバンドに取り入れられるようになったのは通説だとちょうどこの頃からで、アルセニオ・ロドリーゲスのバンドが最初だったと言われている。映画の中とはいえ、アルセニオと同時期にコンガやカホンを使い、アフロ系ルンバ的リズム・アンサンブルをバンドに組み入れて演奏しているのはやはり驚きだ。1938年にこれだけアフロなイメージを映画のシーンで打ち出しているというのも、予想外だった。

 ここで、オープニングロールの音楽関係のクレジットにも注目していただきた。劇中曲の作者として、エルネルト・レクオーナ、ゴンサロ・ロイグ、モイーセス・シモン、ヒルベルト・バルデース、ボラ・デ・ニエベといった、劇場向け音楽の作曲家を代表する人たちが並んでいる。そして、音楽・ディレクターは、ゴンサロ・ロイグ。彼らはいずれもは、クラシックの作曲家でもあるが、アフロ・クバニスモ運動とも深く関わった人たちだ。そんな人たちが中心になったからこそ、アフロ・リズム・アンサンブルそして女性のみのオーケストラの出演が可能になったのだろう。キューバ・ポピュラー音楽の歩みも感じ取れる映画でもあるのだ。

 他にも、11分すぎあたりからの馬に乗ってギターを弾き語ったり15分および19分あたりからグアヒーラ・バンド・スタイルで演奏するトリオ・ピニャレーニョ。24分少し前からはじまる、オルケスタ・エルマーナス・アルバレス単独の演奏。1時間16分30秒あたりからの女性ギター合奏をバックにカルメン・ミランダばりに歌う女性歌手。それに続き1時間19分過ぎから始まるハーモニカの合奏なども楽しく、見所聞き所満載だ。もちろん、随所で披露されるリタ・モンタネールの歌も素晴らしいものばかりだ。


<濱田滋郎先生の思い出>

 3月21日に濱田滋郎氏が亡くなられた。高校時代中南米音楽に興味を持ち始めた頃からいろいろ調べていくうちに、多くの濱田滋郎氏の文章と出会い、多くを学ばせていただいた。まさに中南米〜スペイン音楽の先生というべき存在だった。

 仕事では唯一、CD『カンテ・フラメンコの神髄』の解説の執筆をお願いした。1922年にマヌエル・デ・ファリャの提唱によりグラナダで開催されたカンテ・ホンド・コンクールにちなむ録音と、そのマヌエル・デ・ファリャと詩人フェデリコ・ガルシア・ロルカの歴史的なレコード・コレクションから厳選された貴重な音源集。濱田先生以外解説を書ける方はいないと思い、お願いした。

カンテ・フラメンコの神髄
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 最後にお見かけしたのは5年ほど前。笹久保伸氏の展覧会が、三軒茶屋の「KEN」スペース・ギャラリーで開催されたおり、期間中に同氏のコンサートが開かれたのだが、濱田氏は最前列に陣取られ、笹久保氏のギター演奏をニコニコしながら前のめりに聴いておられた。本当に音楽が好きで、いつも真剣に立ち向かわれているのだろうなと思ったことを覚えている。

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◆宮田信(DANCE TO MY MAMBO担当/USA+MEXICO)
フレディ・トゥルヒーヨ『アメシカ』


フレディ・トゥルヒーヨというアーティストがいる。ロサンゼルスの北にあるシミ・ヴァレーで育ち、現在はポートランドに居を構えているらしい。

ポートランドというとクラフトビールに自転車王国といったリベラルなイメージしか浮かんでこない。バリオなんかあるんだろうか?そんな彼が2014年に発表したアルバムのタイトルは“AMEXICA”。ゴリゴリのオルタナ感溢れるタイトルに思わずのけぞる。おまけにジャケは、鷲、米墨合体のバンデーラ、ピラミッド、そしてローライダーという余りに雑多なアイコン・コラージュ。

全篇歪んだギターの音色が飛び出してきそうだったが、針を落としたら、その多様なスタイルに耳を奪われた。歪んだギターも出て来るには出てくるが、ファンク、クンビア、テックスメックス、ロック、チカーノ・ソウルが清く並列する逞しくも繊細な世界は、チカーノ・ロックの真骨頂だ。説明するまでもないが、南西部におけるアメリカとメキシコの共存性をタイトルにしたとのことだが、変遷を繰り返しながらも発展するチカーノ音楽の核=多様性を再発見するような内容は素晴らしい。

メキシコ系の音楽もアメリカーナを構成する要素だが、アメリカーナをも包み込んだチカーノ・ロック。カリフォルニアの若いチカーノたちは洗練された全く違う世界に向かっているが、洗練されたポートランドでこんなことをやっている演奏家がいたとは!因みに1stアルバムにはコロンビア・サルサの名曲「ブスカンドテ」が収録されているけれど、それも斜めからの変化球で面白い。興味ある方は探してみて。

Freddy Trujillo "Amexica"

https://www.youtube.com/watch?v=HfyRrFX1d6A&list=RDHfyRrFX1d6A&index=3

https://www.youtube.com/watch?v=HfyRrFX1d6A&list=RDHfyRrFX1d6A&index=3



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◆山口元一("Ay hombe"担当/コロンビア)
『ホルヘ・オニャーテとチャーリー・アポンテ』


今月も引き続きホルヘ・オニャーテ
エル・グラン・コンボの歌手チャーリー・アポンテが、ホルヘ・オニャーテに追悼のメッセージを発しています。

Charlie Aponte lamentó la muerte de su amigo Jorge Oñate

開始位置
https://www.youtube.com/watch?v=76eVZAE1lnQ

「偉大な歌手、バジェナートの栄光・ホルヘ・オニャーテの訃報に心を痛めています。ホルヘの家族に哀悼の意を表します」

「私たちは70年代半ばからコロンビア、特にバランキージャのカーニバルで何度も共演しました。その時は自分が後に"Nido de Amor" "Amor comprado"(注:いずれもオニャーテの代表曲)を録音することになるとは思ってもみなかったです。」

私もカーニバルには1990年年代を中心に5回か6回行きましたが、確かにオニャーテもグラン・コンボも毎回出演していたような記憶があります。

! EXCLUSIVO ! JORGE OÑATE Y CHARLIE APONTE - NIDO DE AMOR

https://www.youtube.com/watch?v=MfJseGOfsJc

気があう2人だったのですね。アコーディオンはコーチャ・モリーナ。




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◆伊藤嘉章(カリブ熱中症担当/カリブ諸島+カリブ沿岸)
『クアトロの今:ファビオラ・メンデス(濱田滋郎さん追悼)』

濱田滋郎さんの追悼から始めたい。遂にお会い出来なかったが、多くの記事やライナーや著作から学んだ。スペインに関するものは勿論だが、自分にはプエルトリコのダンサやヒバロに関する論考はとてもありがたかった。

歌詞やメロディ、ソネオ(即興の歌)などサルサへの影響が大きなヒバロの音楽だが、今でも日本語の記事は皆無に等しい。

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濱田さんはスペインとの関係が密接な背景を含め論考されていて、自分が現地に住みナマ音に触れ、音楽家と話し、文献を読む時の軸になった。それがまた知己や体験を増やす事にも繋がり、愛情と探究心に溢れた文章の数々に改めて感謝するのみだ。


そんな訳で、3月はヒバロやその楽器クアトロの音をよく聴いた。マソ・リベラやモデスト・ニエベス、ニエベス・キンテーロなどのレジェンド、エドゥイン・コロン・サヤス、ペドロ・グスマン、プロディヒオ・クラウディオの大師匠、今を引っ張る、クリスティアン・ニエベス、アルビン・メディナ、マリベル・デルガドなどなどだが、新しい世代を一人ご紹介したい。

ファビオラ・メンデス(Fabiola Mendez)は1996年生まれ、6歳からクアトロを始めて、プエルトリコ各地のフィエスタ・パトロナレスなどの現場バリバリで演奏もこなしながら様々音を吸収、2008年のバンコ・ポプラールの年末盤"ECO"にも参加する。彼女が12歳の時だ。


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Banco Popular 年末盤2008 "ECO"

2011年にはナショナル・クアトロ・コンペティションで受賞、2016年のクインシー・ジョーンズ・アワードを受け、クアトロ奏者として初めてバークリーも出ている。

当然オーセンティックなヒバロ音楽はお手の物だが、彼女の魅力はそれだけにとどまらない、自らのアフロ=カリビアンである面を今の感覚の中で掘り下げた音が素晴らしい。クアトロも良いし、またその声がとても魅力的。

2019年にリリースの「Al Otro Lado del Charco」では、彼女の現在性が良く表れている。

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Al Otro Lado del Charco

Al Otro Lado Del Charco - Fabiola Méndez

https://youtu.be/x6h-R-PVxAo

もちろん、オーセンティックな音も楽しい。今のサルサやカリブの音で活躍するマノリート・ロドリゲスのユニットにNG2のノルベルト・ベレスと参加したクリスマスの音。

Doña Santos - Manolito Rodríguez y su orquesta junto a Fabiola Méndez y Norberto Vélez

https://youtu.be/Zzpj_ZZ3NqE

シルビオ・ロドリゲスの「Oda a mi generación」も取り上げている。この歌詞のメッセージ性と色彩はラテン音楽の一つの大事な側面だ。

Oda a mi generación - Fabiola Méndez Trio

https://youtu.be/gV1wEuSI0ew

今月新譜がリリースされた。タイトルは『Afrorriqueña』。彼女の「アフロ・カリビアン」な視点がヒバロからボンバ、ジャジーな新しい感覚までを貫く音。とても気に入っている。コロナの制約の中でも、この時代を反映した様々な作品が生まれているのはとても嬉しい。これからも楽しみ。

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Afrorriqueña





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◆長嶺修(猫の目雑記帳担当/スペイン & MORE)
『サウダーヂ』の街


 一都三県の緊急事態宣言解除後、所用で山梨県の甲府市に行ってきました。

 現地で昼食を摂ることになるため、事前にグーグルマップを使って食事処を物色しました。すると、甲府市役所から南南西方面に位置する、昭和町を抜けた中央市の一画にブラジル料理と表示のあるお店を発見。周辺をもう少し探索すると、中央市と昭和町との境の辺りにブラジル関係のショップやペルー料理屋もあるようです。

日本の所謂「ブラジリアンタウン」としては、静岡県の浜松市や群馬県の大泉町〜太田市などが知られていますが、山梨は念頭になかったかも、と思いネットを検索すると、2020年12月11日掲載の「山梨の団地、住人の半数超が外国人 訪ねたら『亀裂』と『共生の糸』両方が見えた」と題する「朝日新聞GLOBE+」の記事がヒットしました。リンクを貼りますが、要約しておくと、山梨県の中央市に住民の54%が外国人という県営の団地があり、その中心は日系人で、団地の自治会には参加しているものの、自治会費の支払いや違法駐車などトラブルがあるということと、小学校での通訳や児童の学習支援に取り組んだり自治会の担う作業に率先して参加する日系人の存在もある一方、団地の日本人住民の側から歩み寄ろうとする姿勢も見られる、といった内容。


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https://globe.asahi.com/article/14004064

 安田浩一の著書『ルポ 差別と貧困の外国人労働者』(光文社新書、2010年)や『団地と移民』(角川書店、2019年)でも取り上げられているように、団地はゴミ出しのルールなどを巡り、旧来からの日本人住民と南米日系人をはじめとするニューカマーの在留外国人との間で分断や軋轢が生じる場所として、しばしば報じられてきています。さらに、大山眞人が『団地が死んでいく』(平凡社新書、2008年)で主題化している、団地における孤独死も、高齢化の進行した日本人住民と時間差をおく形で、日系ブラジル人の身に降りかかり、2020年に名古屋市の団地で2件が発覚。現場となった団地の公園で、その件にも触れながら日系ブラジル人たちの30年を描く宮藤官九郎の脚本をイッセー尾形が演じる、一人芝居をフィーチャーしたNHKのドラマ=ドキュメンタリー『ワタシたちはガイジンじゃない!日系ブラジル人 笑いと涙の30年』(BS1で20年12月29日、総合でその再構成版が21年2月12日放送)のロケが行われました。

『クローズアップ現代+:60代の孤独死 団地の片隅で〜外国人労働者の末路〜』

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https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4391/index.html

『ワタシたちはガイジンじゃない!』
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https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=27075

 県営などの公営団地や旧日本住宅公団(現UR=都市再生機構)の公的賃貸住宅は、1980年に国が永住許可を受けた者並びに特別永住者等への入居資格を認め、92年にその他の外国人登録者についても入居を認めるとする通達を出したとのことで、90年の入管法改定以降に増加した南米日系人が、その就労先となる関東・中部を中心とした各地の団地に集住するようになっていきました。日系人の事例のみを扱ったものではありませんが、先の「朝日新聞GLOBE+」の記事にも取り上げられている山梨県中央市の団地での調査を含む稲葉佳子ほかによる論文「公営住宅における外国人居住に関する研究 一外国人を受け入れたホスト社会側の対応と取り組みを中心に一」(2009年)で、00年代後半までの概要を知ることができます。

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http://www.jusoken.or.jp/pdf_paper/2008/0730-0.pdf

 学校もまた、問題や課題が浮き彫りになる場所です。08年の本ですが、杉山春のルポルタージュ『移民環流――南米から帰ってくる日系人たち』(新潮社)では、学校=子どもたちの教育に関する問題に多く言及がなされています。「朝日新聞GLOBE+」の記事に出てくる日本語が話せない児童が2割に上るという小学校のサイトにはブログが開設されていて、そこでは多文化共生を模索するさまざまな催しなどが行われてきていることも窺い知ることができます。

 前置きが長くなりました。今回訪れたのは上記小学校の至近にある「フェニックス・ブラジル」。ブラジル料理となっていましたが、レストランやカフェといった飲食専門店ではなく、食料品(冷凍のトウモロコシ=チョクロといったペルー系食材も扱っていました)を主力に化粧品なども扱い、調理場があってイートイン・コーナーで軽食など飲食が可能な、よろずコンビニ店といった体裁のショップです。某グルメレビューサイトの口コミ情報には、ピッカーニャのステーキなどを挟んだサンドウィッチやバーガーが食べられるとありましたが、残念ながら訪問日の時点では提供をやめてしまっていたようで、出来合いのコシーニャや調理パンを温めてもらい、冷蔵ショーケースから缶のココナツ・ジュースを選んで、お店の人が持ってきてくれた紙コップに注ぎ、いただきました。

お店の外観
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店内の張り紙
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 そこから少し南に下った、件の団地にも行ってみました。中層5階建ての6棟からなり、そのうち2棟は、原武史の著書『レッドアローとスターハウス』(新潮社)の表題を飾るスターハウスです。スターハウスとは、上から見ると「Y」の字の形をした「星形住宅」とも呼ばれる特徴的な建物のこと(概要と歴史は下記リンク先を参照ください)。

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http://codan.boy.jp/star/index.html

原武史が考察の対象としている旧日本住宅公団の団地では、コスト面から1964年を最後にスターハウスの建築は打ち止めとなったということですが、耐震補強用の鉄骨が歴史を物語る中央市のこちらの県営団地は、74年から77年にかけて建設された建物ということです。


団地の建物(中央がスターハウス)
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団地の南側から
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 帰宅してから、自分的に絶好のタイミングでCSで放映され、録画しておいた、甲府出身の富田克也監督による映像作家集団・空族の映画『サウダーヂ』を観ました(迂闊にも、甲府行きが決まるまではタイトル以外に、映画の内容とブラジルが結びついていませんでした)。甲府とその周辺を舞台に、多重下請けの地元あ土建業者で働くブルーワーカーや若いラッパー、夜の店で働くタイ人女性、日系ブラジル人などが織りなす、ヘンな言い方ではありますが、空虚さに満ちた地方都市で紡がれる物語。

2011年公開で、完成までに1年半ほどを要したとのことなので、前掲『ルポ 差別と貧困の外国人労働者』の取材時期とも概ね重なるリーマン・ショック後から東日本大震災前までの時期のお話で、訪れてきた中央市の団地も重要なトポスとして映画に登場します(日本人ラッパーが団地名を言うと、日系ブラジル人がそれを「サウダーヂ」と聴き取るというシーンもあります)。地盤沈下した地方都市のやりきれない日常。両親が破産して家庭崩壊し貧困生活をおくるラッパーは、ラップに自らの鬱屈した心情を託しますが、「自虐史観」といったワードを用いたり、「大和魂」と口走ったりして、ゼノフォビアを拗らせていきます。「水からの伝言」風味を信奉して、怪しげなペットボトル入り飲料水のネットワークビジネスに進出する元ヤン風の派遣型風俗店経営者が出てきたりとか(因みに山梨県はミネラルウォーターの生産量が都道府県別で第1位)、「失われた20年」を経た地方都市の現実を抉るような細部がいろいろ描き出されているのですが、当サイトの趣旨から外れていってしまうので、ここまでとしておきます。

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https://www.kuzoku.com/filmography/saudade/


(予告編動画)

https://youtu.be/9dlaZcbfrqA

 なお、山梨県内の在留ブラジル人の人口は、2006年の5299人をピークに減少し、2020年の段階ではピーク時の半数を少し上回る程度となっています。県内の在留外国人の国籍別割合は、09年までブラジル人が最多でした。

http://yia.or.jp/wordpress/wp-content/uploads/2021/03/suii_2020_6.pdf

 コロナ禍での暮らしの一端は、わずかではありますが、下記YIA(公益財団法人山梨県国際交流協会)の機関誌に掲載されたインタビュー記事で知ることができます。

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http://www.yia.or.jp/publishing/kikanshi_pdf/YIA_2020summer.pdf

他地域に関してですが、こちらも。

https://manabiyakyuban.wixsite.com/manabiya/media








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