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『eLPop今月のお気に入り!2021年2月』

2021.03.06

さて、コロナも1年が過ぎても見通しがつかない状況ですが『eLPop今月のお気に入り!2021年2月』をお届けしたいと思います。

新譜・旧譜、新作・旧作関係なく、音盤あり曲あり本ありと様々ですが、この月はなぜかこれだった、というのをチョイスしました。この月の気分が含まれた雑誌、プレイリストのように楽しんで頂ければ幸いです。

【目次】

◆エル・ゲットー/El Ghetto(ペルー)水口良樹
◆ヒルベルト・サンタ・ロサ/Que Se Sepa&松岡直也+伊東ゆかり(プエルトリコ等、日本)岡本郁生
◆マリア・エレナ・ウォルシュ「自分の祖国へのセレナータ」(アルゼンチン)石橋純
◆『カリブ諸島の手がかり』T・S・ストリブリング(小説)高橋めぐみ
◆ディメンシオン・ラティーナ(ベネスエラ)長嶺修
◆コロ・デ・クラーベ(キューバ)高橋政資
◆デモニオス・ダ・ガロア「11時の夜汽車」(ブラジル)佐藤由美
◆ボビー・バレンティン/エル・ツイスト(プエルトリコ)伊藤嘉章
◆ホルヘ・オニャテ逝去(コロンビア)山口元一
◆リバーサイド・リーディングクラブのインタビュー(チカーノ)宮田信


気になったものがあればリンクをぜひクリックしてお楽しみ下さい!(記事到着順に掲載)


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◆水口良樹(ペルー四方山語り担当/ペルー)
『エル・ゲットー/El Ghetto』


これだった!というか、ぽつぽつ聞き返していてあんまり日本で知名度のなさそうなよいバンドということで、彼らを紹介したいと思います。

1:El Ghetto "El Ghetto"
2: 1998年にカセットでリリースされたリマのバランンコ発の伝説のバンド、エル・ゲットーのCD再発版(2018)。彼らの唯一のスタジオ録音であり、2001年に解散後、メンバーはそれぞれSudaやSabor y Controlなどさまざまなバンド/オルケスタを立ち上げたりソロで活動を続けている。ペルーのロック系音楽において非常に影響力があったと言われる重要なバンド。
彼ら曰く、ゲットーは大家族でメンバー以外の周辺にいるアーティストやとりまきも含めて一つの共同体を構成していた新たな試みであった、という。

Gonzalo Carrillo (Bajo y coros)
Gabriel Gargurevich (Voz y guitarra)
Bruno Macher (Saxo y coros)
Francois Peglau (Guitarra y coros)
Jan Marc Rottenbacher (Bateria y coros)
Renzo Muguerza (Percusion)

「UNETE AL ORIENTE」



https://www.youtube.com/watch?v=LIyJCFzZ8ow
当時のPV?

再販されたスタジオ録音盤「El Hombre Pelicano」



https://www.youtube.com/watch?v=BryfAkuxG7U&list=OLAK5uy_kPHM4LlODsZiPCO401ageTvSAVsQ4iZ7o

1998年のNiño Maloフェスティバルで演奏したEl Ghettoのライブ動画



https://www.youtube.com/watch?v=1_2DU2q-1xU




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◆岡本郁生(ラテン横丁・USA LATIN & MORE)
ヒルベルト・サンタ・ロサ&ピルロ/Que Se Sepa』

Gilberto Santa Rosa, Pirulo - Que Se Sepa

Gilberto Santa Rosa, Pirulo - Que Se Sepa


https://www.youtube.com/watch?v=uESA_OOAWI4


ヒルベルト・サンタ・ロサ『コレガス/Colegas』からの1曲。オリジナルはロベルト・ロエナ・イ・ス・アポロ・サウンドのアルバム『5』(1973年)収録。もともと、ファンキーなフィーリングが充満するヘビーかつ軽やかな曲だが、ピルロのストリート感いっぱいの歌声で見事に現代に蘇った。

さて本作は、最近ボレロやライブ・アルバムばかりだったヒルベルト・サンタ・ロサ、久々のスタジオ録音のサルサ・アルバムで、なんと19曲収録、全105分という超大作だ。

“同僚”というタイトルどおりほとんどがデュエット曲で、ピルロのほか、ティト・ニエベス、ホセ・アルベルト、ルイシート・カリオン、ティト・ロハス、イサック・デルガド、ニノ・セガラ、ビクトル・マヌエルといったスター歌手たち、そして、キューバのフアン・ホセ・エルナンデス、ヤン・コジャソ、ミチェル・ブラバら、あまり馴染みのない人たちを迎えているのも興味深い。さらに、「ソネリート」では自らボンゴ・ソロを聞かせるなど新境地を見せる。「エストイ・コモ・ヌンカ」「バン・バン・ケレ」「ケ・セ・セパ」など、楽曲の多くはカバーだが、必ずしも大ヒットばかりでなく、隠れた名曲に改めて光を当てているもの良い。

演奏も歌もクオリティが非常に高く、久々に、あ〜サルサを聞いたな〜!って思わせてくれる作品だ。
アルバムはデジタル配信で簡単に入手できるしYouTubeでも全曲が聞ける。ありがたいといえばありがたいのだが、CDやLPなどいわゆるフィジカル・リリースがないというのはなんか寂しい…。そう思うのはオッサンだけなんでしょうが。



松岡直也&ウィシング・伊東ゆかり ONE LAST FAREWELL


https://www.youtube.com/watch?v=XjVXupfI_34

いろいろ調べ物をしている中で、改めてハマってしまってる映像がこれ。
1981年、「HOLIDAY」という音楽番組での演奏とのことで、演奏は松岡直也&ウィシングという名義だ。

伊東ゆかりの歌は、ルバート部分もインテンポになってからも素晴らしく、歌終わりでのホーンとパーカッションのアンサンブル(いちばん見たいところ!)で妙なダンス・シーン(笑)になっちゃうのが残念だが…テレビ的には仕方ないのか?…そのあとの火を噴くようなピアノ・ソロ、そして(見えていないが)ストリングスも加わった分厚いアンサンブルからのエンディングと、ゴキゲンな演奏が楽しめる。

まだモントルーに出演する前のはずだが、おそらく当時のニューヨークのラテンにみんなビシビシに刺激を受けて、なんとか追いつきたい!みたいな気概が音に溢れていて、グッと来てしまうわけです。





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◆石橋純(熱帯秘法館/CASA CACHIBACHI担当/ベネズエラ& more)
『自分の祖国へのセレナータ』
マリア・エレナ・ウォルシュ 〜 メルセデス・ソーサ



1月につづいてアルゼンチンの詩人・シンガーソングライター、マリア・エレナ・ウォルシュ(1930-2011)の作品を紹介します。

マリア・エレナ・ウォルシュは2月1日生まれ。定住を嫌う水瓶座の女。17歳で文才を認められ、米州に響きわたるほどの名声を得る。だが文壇の寵児・作家・知識人として活躍する道を捨て、21歳で新たな冒険の旅に出る。歌手レダ・バジャダレスとともに、パリを目指したのだ。

ウォルシュは、コスタリカに滞在中だったバジャダレスと文通で親交を深め、パナマで落ち合う。二人の女性が互いの恋愛感情を確かめ合ったのは、このときだったと思われる。故郷であるアルゼンチン北部の民謡を「発見」し、独自のフィールド調査に手を染めていたバジャダレスは、ウォルシュにその手ほどきをする。1951年、フランスへと渡ったふたりは、かの地でフォルクローレ・デュオ《レダとマリア》を旗揚げする。ほどなくカフェ、ナイトクラブ、キャバレーなどで出演機会を獲得していく。今でいえば、ライブハウス廻りの活動を開始、といったところだ。そのころパリにはアタウアルパ・ユパンキが定住し、ビオレータ・パラもたびたびカフェやキャバレーに出演していた。とはいえ33歳と21歳の無名の南米女性が、欧州の都市で音楽活動を開始するのは、とてつもない冒険であったにちがいない。二人が恋人同士であったことは、このプロジェクトに動機付けとなっていたことは想像される。

3年後、《レダとマリア》は、世界の民族音楽レーベルとして名高いle Chant du mondeから、デビューアルバムを発表する。プロとしての実績のない女性二人組アーティストが、国を代表して世界的カタログに名を連ねる――このニュースが音楽大国アルゼンチンでどう報じられたかは、興味深いリサーチテーマだ。

Leda y María 衝撃のデビューアルバム《Chants d’Argentine》le Chant du monde(1954)
よりVidala



1955年、ウォルシュとバジャダレスはアルゼンチンに帰国。63年まで活動を続けるが、私生活でのパートナーシップ破局とともに《レダとマリア》は解散する。バジャダレスはその後もアルゼンチン伝統音楽ひとすじに道を究め、斯界の第一人者となっていく。その活動は、他分野の音楽家にも大きな影響を与えた。たとえばレオン・ヒエコの名作『ウシュアイアからキアカまで』はバジャダレスの仕事なしには成立しえなかった作品だった。

いっぽうウォルシュは、1960年代から70年代にかけて、シンガーソングライターとして数々の作品を発表するとともに、放送作家、童話・童謡作家としてメディアを舞台に新境地を開く。多彩な活動のなかでシンガーソングライターとしての仕事が光るのが、《Juguemos en el mundo》(この世で遊びましょう)だ。「自分の祖国へのセレナータ」は、このアルバムに収録された。

シンガーソングライターとしての代表作《Juguemos en el mundo》(1968)収録
Serenata para la tierra de uno 自分の祖国へのセレナータ


https://www.youtube.com/watch?v=Kgah4lNXaFU

ウォルシュは、みずから新天地を求めて10代と20代の2度にわたって海外に暮らしている。だが意思に反して国を追われたことはないはずである。この歌に詠まれる望郷の想いはそうした体験から生まれたものだ。さらにいえばウォルシュ当人の演唱には、情念の生々しさがない。詩人が韻律を編むとき、感情は言霊へと昇華する。言の葉をありありと音に発するだけで、詩人の歌唱は使命を果たすのだろう。そこにあるのは無色透明な輝きだ。


1970年代、多くのアルゼンチン人が、政治的暴力により国を去ることを強いられた。メルセデス・ソーサもそのひとりだ。軍事政権によるたび重なる迫害をうけていたソーサは、1979年、「自分の祖国へのセレナータ」を主題曲として、アルバムを発表する。

メルセデス・ソーサ1979年アルバム『自分の祖国へのセレナータ 』よりタイトル曲
(*「自分の祖国へのセレナータ」はトラック5です(15:07より)。



*こちら↓から外部リンクでトラック5に直接飛べます
https://youtu.be/7USk-bhGMl4?t=907

このアルバムのアルゼンチン盤では、政府の検閲により4曲が発表禁止となり、トラックから削除された。その一曲にウォルシュの作品《Como la cigarraセミのように》があった。当コラム先月の選曲だ。当事この曲はまださほど有名でなかったはずだが、これを没にした検閲官は、歴史を動かすその力を見抜いたといえるだろう。この同じ年、ソーサはコンサートの本番中にキャスト・観客もろとも逮捕・投獄され、事実上の亡命の途につくことになる。まさに異郷から、祖国へのセレナータを歌う立場になってしまうのだ。

個人的な感情を、時空を超えて響く韻律に編みあげるのが詩人の仕事だとすれば、歌手のなりわいとは、透明な詩文に魂の波動を込め、「いま、ここ」に現前する情念で彩ることだろう。しかも、歌手の中の歌手といわれたカントーラ(歌者)が、ある予感とともにアルバム・タイトルに選んだ楽曲の境地を、実人生で生きることになったなら……



https://www.youtube.com/watch?v=dIjGVX67-iA


1980年、ソーサがスイスから歌ったこの映像が、この曲の最高の演唱だと評価するのは、ひとり私だけではないだろう。愛憎あいまっての親密な望郷の思いから立ち現れたこの歌は、詩人と歌者の希代の協働により、20世紀後半アルゼンチンの歴史を語り継ぐ名曲として、人びとの記憶に刻まれることとなったのだ。

自分の祖国へのセレナータ
詞:マリア・エレナ・ウォルシュ 訳:石橋純

だって居残れれば辛いから
でも立ち去ったら死んでしまう
なにからなにまで、なにはともあれ、愛しい人
あなたの中で暮らしたい

あなたのビダーラの慎ましさゆえに
あなたの陽ざしの騒がしさゆえに
ジャスミンの夏ゆえに、愛しい人
あなたの中で暮らしたい

あなたの昔ながらの気骨ゆえに
あなたの哀しみの齢ゆえに
あなたの尽きせぬ希望ゆえに、愛しい人
あなたの中で暮らしたい

あなたにギターを種まくために
花一輪一輪のあなたを慈しむために
あなたを苛む者を憎むために、愛しい人
あなたの中で暮らしたい

だって幼いころからの言葉は
ふたりだけの秘密だから
だって癒やしてくれたから
私の心が引き抜かれた痕を




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◆高橋めぐみ(SOY PECADORA担当/スペイン語圏の本・映画)
『カリブ諸島の手がかり』T・S・ストリブリング

読んだ本『カリブ諸島の手がかり』(1926)
著者:T・S・ストリブリング(1881-1965)
翻訳:倉阪 鬼一郎
国書刊行会 1997→河出文庫 2008
リンク先」https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309463094/
現在品切れですが中古は買えます。

9784309463094.jpg

 一世紀近く前に書かれた作品です。ふと思い出し再読しました。このシリーズは当初たいへんに評判が良くエラリー・クイーンがそのお墨付き与える「クイーンの定 員」にも選んでいます。所謂「奇妙な味」タイプというわけではないですが、なんとも珍味な連作短編ミステリです。

 探偵役の主人公はアメリカ人心理学者ポジオリ教授という人。この人が「本当に学者なのか」と思わざるをえないほどなんだか輪郭がはっきりしない斜に構えた不思 議な人物です。そして、舞台はベネズエラの元独裁者が亡命先に選んだキュラソー(「亡命者たち」)、動乱期のハイチ(「カパイシアンの長官」)、マルティニーク (「アントゥンの指紋」)、バルバドス(「クリケット」)ときて最後はトリニダードです。

それぞれの土地のそれぞれの複雑な文化的政治的背景を描きつつ「ほほ う」と「なに?」が入り交じる物語が展開します。その点はなかなか興味深い物があります。ポジオリ教授はそこそこ行動的ではありますが、基本は「心理学」という か「超心理学」あるいは「決めつけ」で事件を解決します。なのでミステリとしてはどうかと問われれば、好みは分かれるだろうが背景の風味が豊かだし最後のトリニダードの「ベナレスへの道」はやはり前評判に違わぬ怪作だと思います。

 作者のストリブリングは実際にカリブ諸島を旅したのかどうかは不明(わたしの印象では行っていない)ながら、後に純文学方面の小説でピュリッツアー賞を受賞しています。



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◆長嶺修(猫の目雑記帳担当/スペイン & MORE)
『ディメンシオン・ラティーナ』

Orquesta La Dimensión / A Puño Cerrado (Bis Music CD-1072)

オスカル・デ・レオンを世に送り出し、その後釜にアンディ・モンタニェスも擁した1972年結成のベネズエラ・サルサのレジェンド、ディメンシオン・ラティーナ。2016年作ですが、あまり出回ってないようなので取り上げます。

手許にあるキューバ盤はオルケスタ・ラ・ディメンシオン名義となっていますが、音楽監督&編曲を手がけるトロンボーン奏者セサル・“アルボンディガ”・モンヘをはじめ、トロンボーンのホセ・“ロヒータス”・ロハス、ティンバレスのホセ・“ホセイート”・ロドリゲス、コンガのエリオ・パチェーコと創設メンバーが名を連ね、歌手は74年に加入しオスカルとコンビを組んだボレリスタのブラディミール・ロサーノと77年に初参画のマラカイボ出身のソネーロ、ロドリゴ・メンドーサの2人。そして、マノリート・シモネーがプロデュースを担ったキューバ録音です。

収録レパートリーは、ロス・バン・バンによる82年作からセサル・“プピ”・ペドロソ作の「セイス・セマナス」(82年盤での歌手はその後マイアミに移った故イスラエル・カントール)、マノリートのヒット・チューン「ロコス・ポル・ミ・アバナ」、アダルベルト・アルバレス在籍時のソン14のナンバー「エル・ソン・デ・ラ・マドゥルガーダ」、オルケスタ・レベ〜ダン・デンのフアン・カルロス・アルフォンソによる「マス・ビエホ・ケ・アジェール」、パブロ・ミラネスの「エル・ブレベ・エスパシオ・エン・ケ・ノ・エスタス」、エネへー・ラ・バンダの89年のセカンドに収められていた「ネセシート・ウナ・アミーガ」(エネへーの盤では作者不詳扱いになっていますが、元はイタリアのアントネッロ・ヴェンディッティによる84年のポップスで、85年にスペインのベルティン・オスボルネがスペイン語でカヴァーし、それをサルサ化したものだったんですね)といった70〜00年代キューバ音楽の楽曲と、オスカル・デ・レオン作の「ジョララス」(本作には2ヴァージョン収録)や「シゲ・トゥ・カミーノ」、アンディ・モンタニェス初参加作品収録の「ケ・マス・プエド・デセアール」、オスカル・デ・レオン・イ・ス・サルサ・マジョールの78年作でもウラディミールが歌ったボレロ「ミラ・ケ・エレス・リンダ」など、70年代のディメンシオン・ラティーナ〜オスカル・デ・レオンのアルバムからの再演をハーフ&ハーフ。

ゲスト歌手にプピ・イ・ロス・ケ・ソン・ソンの ダヤン・カレーラ、マノリート・イ・ス・トラブーコで活躍したリカルド・アマライとシスト・ジョレンテ・“エル・インディオ”、ソン14を支えたティブロン・モラレス、レベ・イ・ス・チャランゴンのダゴベルト・バスケス、元エネヘーのトニー・カラ、他にトレスのパンチョ・アマートやルンバ・グループのルンバタらが参加。ベネズエラ=キューバ・コネクション、理屈ぬきに楽しめました。

Seis Semanas/ La Dimensión a Puño Cerrado

https://youtu.be/j8U0090CEAA

ところで、オスカル・デ・レオンは、83年にバラデーロの音楽祭などキューバで公演して成功を収め、政治的理由から批判を浴びたりもしたということですが、サルサ聴きはじめたばっかのころ、そのバラデーロでのライブのビデオテープ(VHSでなくベータ規格だった)を入手して観た時は、衝撃を受けたなぁ。今ではもちろん、YouTubeで手軽に視聴できますね。

Oscar D' leon - Mi negra esta Cansa

https://youtu.be/Bwj-SnERZZY

懐かしいのでついでに、イスラエル・カントール在籍時のロス・バン・バン「セイス・セマナス」のライブ映像も貼っておきます。

Los Van Van / Seis Semanas

https://youtu.be/Go1U0Js9fJY


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◆高橋政資(ハッピー通信担当/キューバ、ペルー、スペイン)
『コロ・デ・クラーベ(CORO DE CLAVE)』

ここ数年、クラーベ(ス) Clave(s)というキューバ音楽のキー・ワードのことが気になって、折に触れ調べている。アフロ・キューバン〜サルサの要のリズムのことを“クラーベ”といい、そのリズムを刻む拍子木を“クラベス”ということは、このあたりの音楽に少しでも興味のある人ならご存じだろう。これが一般的によく知られたクラーベ(ス)の意味になるのだが、この言葉、複数の音楽スタイルを示したりと重層的な意味を持っていて、一筋縄ではいかない。

その1つのスタイルが、今回紹介する“コロ・デ・クラーベ”だ。
19世紀末頃からハバナなどの都市で活動した合唱団のスタイル。そのもとになったのは、“カビルド”という黒人達の互助会的な集団で行われていたリクリエーションのようで、盛んになるにつれ規模も大きくなり、団体同士競い合ったりしたらしい。
コロ・デ・クラーベは、ルンバに発展していったり、ソンの発展にも貢献したと言われている。

先日亡くなってしまったキューバの民俗音楽研究者マリア・テレサ・リナーレス氏の著書『La música y el pueblo』の中でもコロ・デ・クラーベは紹介されている。そこには、「弦のないバンジョー」をドラムとして使っていたことや、あのセプテート・ナシオナルの創始者イグナシオ・ピニェイロが、ハバナの有名なコロ・デ・クラーベのグループで指導的立場で活躍していたことなども記されている。どうもそのグループが、ハバナを代表するルンバ・グループになった「ロス・ロンコス」のようなのだ。

Coro de clave - Marcha La Moralidad
(ロス・ロンコスではないが、1970年のコロ・デ・クラーベの演奏。弦のないバンジョーを使っている)

https://youtu.be/i8pjq4uGb9Q

ちなみに、クラベスという楽器が出来た頃に、“カント・デ・クラーベ”という歌が盛んだったらしいが、“コロ・デ・クラーベ"と繋がりがあるのか? 今後調べていきたい。

なお、クラベスの発祥や名前の由来については、eLPopメンバーの伊藤氏が下記で紹介しているので、参照していただきたい。

「クラーベの誕生って?(その1)」
クラーベ.jpg

http://elpop.jp/article/182247384.html

古い音楽スタイルが今も多く残る、サンクティ・スピリトゥスのコロ・デ・クラベのグループの演奏
“Rumba ルンバ”と“Clave クラーベ”という2種類の演奏スタイルがある。なお、このルンバという言葉も重層的な意味を持つ言葉で、こちらも興味深い。
(まずは、テンポの速いRumbaルンバというスタイルの演奏)
Homenaje al Coro de Clave espirituano

https://youtu.be/DR-FgycGCMI

(続いて、テンポのゆったりとしたClaveクラーベというスタイルの演奏)

https://youtu.be/6CMmVThbZbw


Tonadas Trinitarias (1974) dir. Hector Veitia
(コロ・デ・クラーベの一種/解説しているのは、マリア・テレサ・リナーレス氏)

https://youtu.be/Os--Qom3CfI


Clave y Guaguancó
(コロ・デ・クラーベとの類似性を感じる、ハバナの有名なルンバ・グループ、クラベ・イ・グアグアンコーの1966年の映像)

https://youtu.be/G6YO5oXJVlc


コロ・デ・クラーベ関連の映像をいろいろ探していたら、イギリスでコロ・デ・クラーベを演奏している人たちの映像を発見!!

https://youtu.be/G6YO5oXJVlc

ボンボ・プロダクション(Bombo Productions)という、ラテン・アメリカの音楽で人々を結びつけようとする、U.K.ロンドンを拠点にするコミュニティ・アート団体の1つの活動として、コロ・デ・クラーベを取り上げているらしい。
本格的で、雰囲気もなかなかなもの。
興味のある方は、彼らのホームページを参照のこと。

Balabam-cdc-2019-_4.jpg
https://www.bomboproductions.com/coro-de-clave-choir/

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◆佐藤由美(GO! アデントロ!/南米、ブラジル & more)
『デモニオス・ダ・ガロア「11時の夜汽車」』

デモニオス・ダ・ガロア「11時の夜汽車」
Demônios da Garoa / Trem das onze


 サンパウロの老舗コーラス&演奏グループ、デモニオス・ダ・ガロア1964年の大ヒット(アドニラン・バルボーザ作)は、独特の泣き節が好まれて1970年代から日本でも多くのファンが愛唱してきたサンバだ。「もっと一緒に居たいけど、11時発の夜汽車を逃すと翌朝まで帰れなくなるしー」なんて(ちとマザコン野郎の?)やたら情けない歌詞を、毎度サンバに興じて痛飲するあまり終電に間に合わんこともしばしば〜な我が身に重ね……誰もが大声で唱和しながら、格別の親しみを覚えていたのかも知れない。

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 97年11月5日、ブラジルの「文化の日」にあたる夜、幸運にもサンパウロのメガイベントで、彼ら不滅のステージを拝んだ。涙ちょちょ切れる、鉄壁の素晴らしいパフォーマンスだった! 1943年頃結成、奇をてらい“霧雨の悪魔ども”と命名される。幾多のメンバー交替を経てもなお同じスタイルをずっと貫いてきたグループだから、完全に懐メロの域。ブラジル人ほとんどの世代が歌える定番だけれど、「なんでこんな古い歌とグループが、そんなに日本で知られてるわけ〜?」と、よく不思議がられた。いや、王道のデモニオスを知らなくちゃダメでしょう。

Demônios da garoa: Trem das onze

https://www.youtube.com/watch?v=XoUtxWU8lW8

 去る2月15日、古参メンバーの一人イザエウ・カウデイラIzael Caldeira(ヴォーカルとタンタン担当/1942年生)がCOVID-19で亡くなった。23年前のあの晩、彼の歌声も味わって楽屋口で握手したのかな〜……などと勝手に偲んでいたが、さにあらず。イザエウは81年に初参加。しばしソロ活動で抜けていた時期があり、デモニオスへ復帰したのは99年だったそうな。

 あらためてメンバー歴をちょっくら調べてみたところ、97年は創設メンバーの二枚看板アルナウド・ホーザArnaldo Rosa(ヴォーカルとアフォシェ担当/1928―2000)、“トニーニョ”ことアントニオ・ゴメス・ネトAntônio Gomes Neto(テナーギター担当/1928―2005)ご両人揃い踏み、最晩年の貴重なフォーメーションだった! 他に、62年加入ヴェントゥーラ・ハミレスVentura Ramirez(7弦ギター担当)、81年加入でサンパウロ名門エスコーラ、ヴァイヴァイ所属の重鎮、クイーカの名手オズヴァウド・バーホOswaldo Barroもいたのだ。カヴァキーニョが89年加入のシンバSimbad、パンデイロが94年加入セルジーニョSerginho。(※ベスト盤ジャケ写が、97年以降の当該メンバーの顔ぶれらしい)

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 デモニオス版は擬音(?)パートの挿入が遊び心を添え、公演ラストは必ず「チャウ!」で締める。爺さまが演じるお決まりの芸だからこそ、なんとも粋で有難いんすよねー。

「Quais, quais, quais, quais, quais, quais
Quaiscalingudum
Quaiscalingudum
Quaiscalingudum
Quaisgudum, tchau!」







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◆伊藤嘉章(カリブ熱中症担当/カリブ諸島+カリブ沿岸)
『ボビー・バレンティン/エル・ツイスト』

"El Rey del Bajo(キング・オブ・ベース)"ファニア・オールスターズそして、長年自己のバンドのリーダーとして活躍するレジェンド、ボビー・バレンティンが先月リリースしたのはなんと『ツイスト(El Twist)』。ツイストは1962年にアメリカでチャビー・チェッカーが大ヒットさせた曲とその一世を風靡したダンスの事。

El Twist / Bobby Valentin

https://youtu.be/zf-SjdhbH9M

1962年というとバレンティンはニューヨークに住んでいて、トランペッターとしてジョー・キハーノのバンドにいた。NYラテンはパチャンガの時代。キハーノの大ヒット『La Pachanga Se Baila Asi』の時だ。そしてその後、ティト・ロドリゲスやウイリー・ロサリオ、チャーリー・パルミエリのバンドへと加入することになる。

LA PACHANGA SE BAILA ASI - Joe Quijano

https://youtu.be/uu3-EZ8Ym4E



なぜ今「ツイスト」なのか?El Nuevo Dia紙でこう語っている。

「1960年代初、ニューヨークを拠点にしていた頃、チャビー・チェッカーのこの曲が大ブームだった。当時ロックンロールが出てきてそのダンスが大流行したんです。同時にあの頃はマンボ、チャチャチャ、パチャンガ、ブガルーとすべてがダンスと音楽だった。1年以上前にサルサの曲をリリースした後、世の中がコロナで麻痺してしまったが、60年代の事を思い出し「みんながダンスに戻って楽しむ曲をリリースすべき時が来た」と思った訳です。」

映像も白黒で60年代風にしたとの事。メンバーはLeró Martínez (vo), Julito Alvarado, Angie Machado (tp), Eliut Cintrón, Raphy Torres (tb), Ángel Torres (as, ts), Víctor Maldonado (bs), Kevin Vega (timb), Víctor Roque (congas), Javier Oquendo (bongó), Reinaldo Burgos & Pedro Bermúdez (p) Javier Pérez (g)と、バレンティン人脈のツワモノが固め、そしてベースはもちろん親分Bobby Valentin(b)。

「この時代を知らない若い人にも楽しんでもらえると嬉しい。サルサとロックの組み合わせはあまりトライされていないけど、両方のステップで楽しめると思います。」

The Twist/Chubby Checker

https://youtu.be/-CCgDvUM4TM

ブガルーが出てくる前の60年代前半のラテンはマンボやパチャンガの時代、というイメージがあるが、ツイストが中南米を含めて大流行したように音楽好きは何でも聞いているし、ミュージシャンはロックンロールやR&Bをしっかり取り込んでいる。

LatinTwist Tito Rodriguez.jpg
Tito Rodriguez 『LATIN TWIST』

NYではティト・ロドリゲスは1962年に『LATIN TWIST』をリリース、キューバでも例えばダニー・プガの『YO SOY EL TWIST』など若い世代が、プエルトリコでもTV番組『Teenager's Matinee』などでミルタ・シルバなど若い世代とツイストやロックンロールを歌うなど拡散した。チカーノもクリス・モンテスとかの名前が浮かぶ。

DANNY.jpg
Danny Puga 『YO SOY EL TWIST』

そんな時代の中で、リスナー、ダンサー、ミュージシャンは並行して生まれてくる音楽の空気やスピード感を取り込んだり、流行に乗って演奏する過程で影響を受けている。

この時代のウイリー・ロサリオやチャーリー・パルミエリはマンボやグァラチャをやってもそのマンボ全盛時のスピード感やメロディー・ラインと違っている。そのあたりはもっと楽しめるものがありそうだ。




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◆山口元一("Ay hombe"担当/コロンビア)
『ホルヘ・オニャーテ逝去』

(*編集部より:先月の記事で病状が心配されていたホルヘ・オニャーテが亡くなりました。他メディアでの山口さんの記事をここに掲載いたします。ご冥福をお祈りします。)

ホルヘ・オニャーテのバジェナートにおける位置づけを私なりにまとめると、バジェナートがフグラーレス(放浪楽士)の音楽から商業音楽へと質を変えていく時代にあって、その原動力のひとつとなったインテリジェンスを担った人、ということになるだろうか。放浪経験を持たず、青年期から商業録音の機会があり、歌ってアコーディオンを弾くスタイルから歌とアコーディオンを分離し、バンド形式へと変化をしていく端緒をつけ、曲のテーマも地元のゴシップやニュースからより普遍的なものへ、これは彼の世代の音楽家に共通する要素だが、オニャーテはその部分をかなり意識して先鞭をつけた人と感じている。

これは私なりにオニャーテの音楽を聴いて受けていた印象だけど、年齢からしても、エミリアーノ・スレータが1944年生まれ、オニャーテとポンチョ・スレータが同い年で1949年生まれ、ラファエル・オロスコがそこから5つ年下、ディオメデス・ディアスは8歳下となる。エミリアーノとポンチョは、生まれからしてそういう変革を先頭で切り開いていくにはなかなか難しい立場にいた。

また、オニャーテは、この顔ぶれの中ではめずらしく、例えば極貧の生まれのディオメデスなんかと違って、バジェナートを毛嫌いする両親の元に生まれた(バジェナートが"cosas de peones descalzos," ,裸足でそのあたりをうろついている日雇いの音楽、とされていた時代)。両親はパランダで息子が歌っているのをみてびっくりして、“mal camino”,(悪の道)から遠ざけようと、ボゴタの大学に送ったのだ。

それにしてもCovid-19って怖いです。71歳とはいえ、最近も普通にバーチャルでコンサートしていたし、衰えた印象はまったくなかった。病状も最初はCovid-19そのものはたいしたことない、みたいな内容ばかりだったし。病状の報道がないまま入院が長引き、噂が流れ、2月中旬から「実はヤバいのでは?」という流れでしょうか。死因はCovid-19ではなく、その後遺症ということらしい。

ACIO MI POESIA - Canta JORGE OÑATE

https://www.youtube.com/watch?v=pczNQFF3C_c


El Mundo Vallenato rinde homenaje a Jorge Oñate

https://www.youtube.com/watch?v=57lOBt-Xm6s



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◆宮田信(DANCE TO MY MAMBO担当/USA+MEXICO)
『「チカーノ・ソウル」を語る』

(*編集部より:書籍関連のサイトである「好書好日」にて、Riverside Reading Clubが行った宮田信へのインタビュー記事のご紹介をします。チカーノ関連を含め面白い内容になっています。下記画像またはURLをクリック下さい。)


Riverside Reading Clubが、下高井戸の名店・TRASMUNDOで「チカーノ・ソウル」を語る【前編】

miyata1.jpg
https://book.asahi.com/article/14139622

Riverside Reading ClubがTRASMUNDOで語る、異郷に生きる人々【後編

miyata2.jpg
https://book.asahi.com/article/14158993
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