Top > Calle eLPop > ラテン・ミュージシャン・インタビュー・シリーズ(1)あびる竜太

ラテン・ミュージシャン・インタビュー・シリーズ(1)あびる竜太

2020.11.08

eLPop新企画『ラテン・ミュージシャン・インタビュー・シリーズ』スタートします!

ラテン・アメリカの音楽の情報をお届けするeLPopですが、その魅力に魅かれラテン音楽に取り組む日本のミュージシャンをもっとご紹介して行きたい!という事でインタビュー・シリーズを始めます!
巻末には登場したミュージシャンの作品リストやオフィシャルWebサイトなどの情報なども掲載予定です。

さて記念すべき第一回目は、ピアニストのあびる竜太さんです!
インタビュー担当は岡本郁生と伊藤嘉章。
お楽しみください!

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ラテン・ミュージシャン・インタビュー・シリーズ vol.1 あびる竜太
(協力:Bar StriX, 西麻布)

ラテン、と一言で言っても様々な分野がある。シリーズ開始にあたってまずサルサやラテン・ジャズのミュージシャンに話を聞くことから始めることとした。ラテンのリズムは昔から様々な分野に取り込まれたり影響を与えたりしてきたが、ジャズとは長い関係を持ち「ラテン・ジャズ」とくくられる音は近年さらに面白くなっている。一方で、伝統的なジャズ・ファンにはそのあたりが伝わっていなかったり、苦手に思う層もいる。

そこで記念すべき第一回はラテンとジャズの両方のエリアで活躍するあびる竜太さんに話を聞くこととした。

**************************
IMG_0033.jpg

――ラテン・ジャズは、ジャズの人からいうといまだに「チャカポコ」という感じですよね……

んー、それは日本だけじゃないですか。

――ということで、両方でバリバリやってる人にいろいろ聞いてみたいな、ということで来ていただきました。とりあえずは生まれから。

生まれたのは東京です。ずっと東京で。1971年生まれ。いま49歳です。

――「パパ」がいっぱいいたんでしょ?

いっぱいはいない(笑)、ふたりです。ひとりは亡くなっちゃって。28年ぶりにホントの親父に会ったんですけど。

――そのへんの事情がよくわかんない(笑)

(爆笑)ラテン・ジャズと関係ないですけどそれは(笑)。
高校のときに母が離婚して、新しい人と……結婚はしてないんですけどずっといて、で、僕が高校ぐらいのときかな、そっち(の家)に行って。そのあとアメリカにも行かしてもらって。で、去年亡くなったんです、その新しい親父が。


――28年ぶりっていうのは……

それはホントの親父の方です。前の親父。会いにくかったんですけど、その新しい親父が死んだから、居場所を見つけて会いに行ったんです。

――その亡くなった方というのが豪快な……

そう。メチャクチャです。建築関係の。とてもここでは語れないようなこともたくさんあって(爆笑)

――(前の)おとうさんとはスナックで再会したとか?

そうです。もともとは両親とも劇団員だったんですけど。

――ピアノはいつから?

ピアノっていうか、最初はビクトロン(日本ビクターが販売していた電子オルガン)っていうビクターのやつを小学校3年ぐらいからやって、そのあと、6年生ぐらいからピアノにかわって。
Victoron.jpg
ビクトロン

――それは自分からですか?

いや、親が無理やりです。(自分では)やりたくなかったです。

――どんな曲をやってました?

わりと書いてる譜面でしたね。でもいま思い返すと、そのとき、クラシックより先に「エル・クンバンチェロ」とか弾いてましたね。「クマーナ」とか。ビクターの音楽教室みたいなとこでやらされてたんじゃないですかね。

――逆に、そういうとこのほうがラテンみたいなのやるんですかね?

そうですね。ラテンのアレンジでやってましたね。

――ピアノにかわったのは?

5年生か6年生。それも親が無理やりです。

――で、高校が……

東京音大の付属高校です。それも親に無理やり。ていうか、ハワイが修学旅行だったんで(笑)。「竜太、ハワイが修学旅行よ」っていわれて、「じゃ行く!」って(笑)

――親御さんが音楽をやらせたかった。

でしょうね、好きだったんですね、やっぱり。

――テレビやラジオから入ってきたりする、好きな音楽はありました?

もともとラテン系のは好きでしたね。なんだか知らないけど。

――でも、(テレビやラジオでは)ラテン音楽はそんなにかからないですよね?

子供のころはそんなにかからないけど、中学ぐらいからは、フュージョンとか高中正義さんとかに興味が出てきて、マイアミ・サウンド・マシーンに行ったりとか、ジャズ聞いたりとか、どんどんどんどん。

――そうか。マイアミ・サウンド・マシーンの「コンガ」のヒットが85年だから、71年生まれだとちょうど中学生ですね。では、最初に好きになった音楽は?

子どものころは、ビリー・ジョエルとかローリング・ストーンズが好きでしたね、ずっと。中学ぐらいのときはストーンズが大好きで。さかのぼって聞きましたね。

――バンドはやってました?

バンドはやってないです。

――やりたいっていう希望は?

ドラムやろうとかいろいろしたんですけど、中途半端で、そのままになっちゃいましたね。

――音大付属の高校っていうのは、ピアノやってれば入れる感じなんですか?

勉強もしなきゃいけないですけど、勉強は最悪でしたね(笑)。ぜんぜんできなかったです。

――普通科に行くという選択もありました?

勉強できないから(音楽科で)しょうがないな、みたいな。あまり意思がなかったです、子供のころ。

――(修学旅行の)ハワイは……

行きましたよ! バブルの時代ですから。1987〜88年。どバブル。

――で、高校出てすぐにバークリー音楽大学ですか?

こないだも(一緒に)ライヴやらしていただいたんですけど、菅原裕紀さんっていうパーカションの方がいて、その方はそれこそ高中正義のバンドとかやってて、サンタナとかも共演してて。その方と知り合ったんですよね。ま、おふくろがやってた北池袋のスナックに飲みに来ただけなんですけど(笑)。
「竜太、ミュージシャンの人が来てるから来なさい」っていわれてスナックに行って、それで知り合って、高校2年ぐらいのとき、時間あるときに楽器運んだり、手伝いさせてもらったんですよ。
いろいろ見させてもらって、そこからどんどん興味持って行って、「ミュージシャンになりたい!」って、ただ漠然と(笑)。どうしていいんだかわからないけど、「じゃ、とりあえずアメリカ行こう!」って話になって。で、(父親が)行かしてくれる、って話だったんで、行ったんです。


――でも普通、高校生が、行きたいって言っても行けないですよね?

当時は、バークリー・ジャパンてのが出来たぐらいで、日本人がいっぱい行ってた時期なんですよ、バブルで。日本がそのとき経済大国だったんで。ま、そういう意味では良かった……というか、行きやすかったですね。いまだと大変ですけどね。

――バークリー行くための勉強みたいなのは?

いや、ぜんぜん。あっちは、入るのも簡単ですし。

――でも英語は大変でしょ?

最初半年ぐらいは英語学校行ったんですけど、ま、適当に(笑)。

――バークリーではやはりジャズを勉強したんですか?

当時はそうですね。ラテンとか興味持ってたんですけど、ジャズを勉強し出したらどんどんのめり込んで、ずーっと行ったんですけど、途中で中南米の友達とかでできて、一緒にラテンみたいなの……ぜんぜん出来なかったんですけど……やったりとか。ちょうどそのとき(オルケスタ)デ・ラ・ルスが米国でも大ヒットして大ブレークして、情報も入ってくるし、マジソン・スクエア・ガーデンのビデオとかも見たりして、またラテンがすごい好きになっちゃって。

――中南米の人たちとは学校で知り合ったんですか?

そうですね。留学生で。で、当時、ジョバンニ(・イダルゴ)も教えてたんですよ。2年ぐらいバークリーで教えてた時期があって。

――そういうラテンの授業もあるんですか?

あります。取りました。ラテンのアンサンブルですね。いまパキート(・デ・リベラ)のベースずっとやってる……名前忘れちゃったな……あの人の授業で(※Oscar Stagnaro/オスカル・スタグナロか?)。

――自分で好きな授業を取れるわけですよね?

はい。でも、オーディションで数字を持たされて。1〜9まであるんですけど、「リズム」「アドリブ」「初見」「テクニック」とか、それで数字を持たされて。例えば、いちばん最高は「9999」なんですけど……ま、そんな人いないんですけど……それで、その数字によって取れる授業が違うんですよ。数字が低いとレベルの低いクラスしか取れないし、高いとほんとにいい先生のいいクラスが取れるっていう。たぶんそれ、日本だったら認められない差別的な(笑)システムかもしれませんけど。

――定期的にオーディションがあるんですね?

そうそうそう。それ受けて、いいクラスが取れるようになるんですよね。

――ラテンの中にもそういうのがある。

そうです。

――そのころ知り合った日本人だと?

熱帯JAZZ楽団でやってるトランペットの松島(啓介)さんとか、岡崎好朗(トランペット)。あと、むかしスクエアにいたサックスの宮崎(隆睦)さんとか、けっこういますね。

――キューバに行ったのはそのあとですか?

日本に帰ってきてからですけど、長く行ってたわけじゃなくて2週間ぐらいのスパンを5〜6回。5回かな? (行くと)毎日レッスン受けてました。

――そのころはどんな仕事をしてました?

バークリーから帰って1年半ぐらいはぜんぜん仕事なかったんですけど、ま、いろいろやってましたね。バック・バンドにたまに呼んでもらったりとか、ジャズのライヴももちろんやってましたし。

――そんな中でキューバへ……

やっぱり自分の音楽がやりたいなと思って、で、ラテンも興味あるし、でも仕事呼ばれないし、どうしよう?っていうときに、ペドロ&カプリシャスにいた佐藤誠さんていうギターの人に相談したら、「キューバ行け」って言われて。じゃ、って、行ってきたんですよ。2000年ですね。それが1回目。

――現地ではどんなレッスンを?

それはもう、ボデギータに紹介してもらって。コーディネートしてもらって。

――なるほど。

計5回、当時は毎年行ってましたね。

――ピアノのレッスンですか?

ピアノの先生ですね。セッションに飛び入りもさせてもらいましたし。あっちってすぐ、やれやれ、っていうんで。いきなり野外のでっかいステージでやれって言われて、曲もわかんないし、適当に……っていうのもけっこうありましたね。

――本格的にラテン音楽に興味を持ったというのはいつごろですか?

高校の時から好きでした。で、バークリーに行ってジャズにどぶんと入ったんですが、中南米の友達とやってラテンまた楽しいなってな、って。で、日本に帰ってきてもずーっと興味あったんですけど、でも、どうしていいんだかわからず(笑)。

――いわゆるラテン・バンドという意味でいうと?

最初、仕事呼ばれないから、自分のバンド始めちゃったんですよ。それでライヴをやるようになって。

――で、いちばん最初のアルバムが……

2002年ですね。あれが最初の自分のバンド(Banda De Planeta)で。

――そのころの日本のラテン音楽シーン、どんな感じでした? 2000年がブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブの来日公演でしたが。

そのあとで、(カンタリーナ)奈々ちゃんがいたサブロスーラ・デル・ソニードっていうバンドがあって、そこに入ったんですよ、最後のほうに。でっかいオルケスタはそれが初めてでしたね。

――そのあとが……

岩村(健二郎)さんのバンドに入れてもらったりとか、いろいろ。

――ウィリー(・ナガサキ)さんとはいつからですか?

佐藤秀樹(コンガ)さんの紹介だったと思います。平田(フミト)さんが(ウィリーさんのバンドでピアノ)をやってたときに。それからですね。

IMG_0037.jpg

――私(岡本)が最初に会ったのは……

そのころですね、クロコダイル(でのライブ)のとき。あ、その前に、ウィリーさんとサブロスーラの対バンがあったんですよ。そのときサックスを三木(俊雄)さんとかがやってて。

――ほかには?

ジャズですね。そのあと、須永アリサさんに呼ばれるようになって、岸のりこさんに会ったのもそのころです。のりこさんは、銀座スイングが集めたメンバーで、それが初対面ですね。

Noriko_Kishi.jpg

――のりこさんのアルバム『恋の12の料理法』は、2012年でしたね? キューバン・ボーイズはもう何年やってますか?

4年ぐらいです。

――キューバに行った後、ラテンという意味ではどんなものを聞いてました?

キューバ系のNGラ・バンダとかロス・バンバンとか、そういうのが好きになって聞いたりしてましたね。
あと、バークリーに行ってる時も、ケニー・カークランドが大好きで。あの人もラテン大好きで、自分のバンドにもラテンのメンバー入れてるし。そのとき見に行ったのが、ケニー・カークランドのバンドと、アンディ(・ゴンサレス)とジェリーが兄弟でやってたバンドで、すごいカッコ良かったんですよ。ジャズとラテン両方やってて、そういうのがすごい(好きで)。
あと、ケニー・カークランドとデヴィッド・サンボーンがやってるのも、パーカッションが入ったりしてて、けっこうラテンぽいんですよね。あっちのバンドって、いろいろ混ざってる感じがして。


https://youtu.be/ekFXnjgItf0

――ケニー・カークランドはおかあさんがプエルトリカンだもんね。ラテン・ジャズっていう意味で言うと、パーカッションが入ってるのはわかりやすいけど、アクセル・トスカがやってるユニティとかだと、パーカッション入ってなくてもリズムが完全にラテンだったりしますよね。いまニューヨークだと、ラテンの要素がどこかに入ってるジャズが多いですよね? 

多いですね。

――でも日本だとあまり理解されてないような気がします。

完全に分かれてますよね。不思議ですけど。
でも、ビバップができたときから、完全に混ざってるっていうか。ディジー・ガレスピーの曲なんてほとんどそうですしね。

――「日本のジャズ・シーンが特殊なのかな……」ていう話を伊藤さんとよくしてるんですけど、ジャズの人って相変わらずラテンに距離置いてる人、多くないですか?

ま、人によると思うんですけど、ドラムの人とかは興味あって勉強してる人、多いと思いますよ、やっぱり。
ただ、インターネットがまだないころは情報があまりなかったんですね、きっと。ジャズよりもレコード入って来てなかったんじゃないですかね? どうなんですかね?


――ラテンの場合、扱ってるレコード屋が限られていたっていうのと、あと、日本盤として出るときはラテンでも「ジャズ」として入って来てたっていう事情はありますね。
ところで、ピアニストとして、弾いたりアレンジしたりするときにラテンは意識してますか?

僕はあまりないですね。

――ケニー・カークランドのほかに、ピアニストとして影響を受けた人といえば? 

チューチョ・バルデスはいちばん好きですね、ラテンというかラテン・ジャズですけど。
あとはハービー・ハンコックとかチック・コリアとか。チックはまた最近ラテンというかスパニッシュのアルバム出しましたよね。グラミー受賞したんじゃないかな。ルベン・ブラデスとか入ってて、いいですよね。

Antidote_(Chick_Corea_album).jpg

――チューチョの好きなポイントは?

たまたま昨日、YouTubeとか見てて、「なんで俺好きなんだろう?」って考えたんですけど……なんかいいんですよね(笑)。なんか好きなんですよね(笑)。上手い人はいっぱいいるんですけど、いいなっていうのはまた別なんでしょうね、きっと。グッときますね。

――いつごろのチューチョが……というのはありますか?

イラケレ(のとき)よりは、最近、ブルーノートとかから出てるやつのほうが好きです。むかしのフュージョンていうか、なんかちょっと違う感じじゃないですか、イラケレの昔のって。あれよりは今のほうが好きですね。
Chucho.jpg

――キューバ人はジャズに対してはどう思ってるんでしょうね?

キューバ人はジャズ好きみたいですよ。(キューバ国内にジャズは)あんまり入ってこないから、逆にすごい貪欲に聞いてますよね。

――でもキューバ人がジャズやると……

なんか憂いがないっていうか、なんだろ、やさぐれ感はないですよね、明るくなっちゃう。ま、人によるんだろうけど。あと住んでるところにもよりますよね、やっぱり。米国でもLAとかだと違いますもんね。

――ゴンサロ(・ルバルカバ)は?

とくに最近がすごい好きですね、やっぱり。若いころの『ライブ・イン・ハバナ』っていうものすごいアルバムがあって、あれもすごいんですけど、なんか、最近のゴンサロはぜんぜん弾きまくらないで、いぶし銀になってますね、ほんとに。
gonzalo_live_in_habana.jpg

――去年ブルーノートでやったのがアルバムで出たでしょ。

ええ、見に行きました。
Gonzalo-Rubalcaba-Aymee-Nuviola-Viento-y-tiempo-live-at-Blue-Note-Tokyo.jpg

――良かったですね。

素晴らしかったですね。

https://www.youtube.com/watch?v=Ypzyk_w8-to

――歌伴に徹してるのもいいですよね。で、ソロになるとガーっ!と出てくるっていう。

そうですね〜。

――ゴンサロは、最初に来日した時に行ったんですよ、五反田「ゆうぽうと」。トリオで来たときに。

弾きまくりですごいときでしょ?

――そうそう。でも、テクニックもすごいんだけど、印象的だったのは音がきれいなことだった。

あの人、音がすごいきれいですよね、丸くて。

――ピアノの音って、どこで変わんですか?

どこで変わるんでしょうね? 僕はあまり意識してないですね。

――アレンジに関して、いちばん影響を受けてるのは誰でしょう?

特に誰とは……。いろんなビッグ・バンドとかサルサ・バンドとかに参加して、自然と自分の癖みたいなのが出たんじゃないですかね。

――好きなオーケストラは?

ストリングスならやはり(クラウス・)オガーマンとか、好きですね。シンプルだけど、やっぱり。ジャズのオーケストラならカウント・ベイシーみたいなの、けっこう好きなんですよ。王道な感じで。

――いま関わってるバンドは?

ドンデドン、キューバン・ボーイズ、NORAさんのソロ、あと、エル・レスト(笑)。

――やってるバンドごとにカラーとか考えてるんですか?

あまり考えてないですね。

――誰とやるかで、ということでしょうか?

もちろん、ジャズのときに4ビートでいきなりモントゥーノ弾いたりはしないですけど(笑)。そういうのはしないようにしてます。やっちゃう人もいるみたいですけど(爆笑)

――ジャズもやるんですね。

前はけっこういろんなビッグ・バンドに呼んでもらったんですけど……

――思わずラテンを弾いてしまう……てのはないですか?

それはないですね、さすがにカウント・ベイシーやってるときにそれはないです(笑)。

――(ラリー・)ハーロウ、(エディ・)パルミエリとかはどうでしょう?

好きですね。パルミエリもずいぶん聞きましたよ。

――パルミエリで好きなアルバムは?

やっぱり、定村(史朗)さん(バイオリン)が入ってる『スエニョ』とか。ああいう大編成のバンドってなかなかできないですからね、ええ。
EP_sueno.jpg

――キューバ系のものをやってるときとニューヨーク系やってる時とで、何か変えてるとこはあります?

それはないですけど、やっぱり曲の構成とかが、それこそコード進行から何から違う感じなんで(おのずと変わってきます)。

――ラテンとジャズって、いまの若い子たちのほうがハードル低く思ってるような気もしますが。

そういうのを研究して、両方やってる人も、Facebookとか見るとけっこういますよね。

――若いミュージシャンたちって、どうですか? コロナ禍のこういう状況の中で大変だと思うけど。

日本でも音大でジャズとか教えるようになって、YouTubeの情報もものすごいし、上手い人はいっぱい出てきてますよね。すぐ売れっ子になってる才能ある人もいるんじゃないですか? でも、ラテン系のミュージシャンて、若い人あまり出てこないですよね。ジャズ系の人はいっぱい出てくるんですよ、若い人。

――(コンガの)伊波淑ももう40歳だし、新しいラテン・バンドもあまりいないですよね。

でも、岡本健太くんとか、頑張って自分のバンドもやってるし。彼も30になったかな? あそこらの世代、頑張ってる人多いですね。

――あと、デラルスの佐藤由くん・・・

彼も30ぐらい。

――あびるさんは、レッスン(ピアノを教えること)もかなりやってるんですよね?

(生徒さんには)クラシックやっててラテンに興味ある人とか、いろいろいますね。

――そのへんに期待したいですね。むかしはアマチュアバンドもいっぱいあったけど……

そういう意味だと減少してますね。ピアノも、あまりやろうという人いないですよね。若い人の名前、あまり聞かないですね。

――ベースも、澁谷(和利)さん、小泉(哲夫)さんをはじめ、数人……。

ポップスのお仕事に行っちゃう人も多いんですかね。

――そっちの方面のお仕事は?

若いころはちょこちょこ(やってました)。でも僕、シンセが得意じゃないんで、別の音出しちゃったり(笑)。むかし大物歌手のディナーショウでヘマやらかしたりとか(笑)トラウマになっちゃって、もうシンセはいやだなと(笑)。ま、ピアノとエレピぐらいだったら大丈夫ですけど、20代のころそういう仕事もけっこうやったんですよ。あれはあれで、ブラスのタイミングとか難しいんですよ。上手い人は上手いですからね。

――やっぱり得意不得意はあるんですね。

いろいろ試してみて、これは向いてないっていうのがわかって、いまの道に行った感じですね(笑)。

――そういうのは、阿部道子さんが得意ですよね。

阿部さんは、ストリングスが生で4人いたんだけどちょっと薄いからシンセもかぶせて……みたいな、そこの生で弾いたものに近いものを上手くかぶせる、みたいな、細か〜いヤツをやってますよ。

――やっぱり若い子が出て来ないと、シーンが面白くならない。

ジャズもそうですけど、大変じゃないですか、食べていくの。だからかな……と(思いますけどね)。J-POPのほうがぜんぜん儲かりますからね。ま、好きだったらいいんですけど。

――確かに好き嫌いはあるしね……

向き不向きもありますし。

――(あびるさんの)生徒さんでラテンが好きで……っていう人の場合、何にひかれたんですかね?

やっぱりリズムとかじゃないですか?

――そういえば、メトロノームですごい訓練してますよね?

いまもやってますよ。BPM160〜170ぐらいで、ぜんぶ裏で取って、ラテンのベース弾いたりとかしてます。(4ビートの)ウォーキングベースは速すぎて無理なんですよ。
レッスンでもやりますね。そのままずっと曲やったり、ジャズでもラテンでも、一緒にやったりとか。5分ぐらいはぜんぜんやってますね。
これ、チェベレの伊藤(寛康)さんとかが、チェベレでやってたらしく。奥山(勝)さんが始めたんじゃないか?とどっかで聞きました。僕も岩村さんに聞いてやり始めたら、はっきり、リズムが違うって感じられるようになってきたんですよ。40代から始めたんですけど、これ凄いなと思ってずっとやってるんです。生徒にもやらせてるし。生徒もすごいリズムよくなるんですよね。
逆に、4小節に1回しかメトロノーム鳴らさないようにすると、その間、きっちりキープできるようにとか、そういうのもやりました。


――あと、トレーニングと言ったら?

耳とリズムがいちばん大切なんで、耳の訓練というか。

――具体的には?

ソルフェージュっぽいものとか、歌ったりとか、音程を取ったりとか、たまにいまでもやってます。
あと、いま、クラシックの和声を習いに行ってるんですよ。作曲家の先生に。あれやると、前とぜんぜん聞こえ方が変わってきましたね、不思議と。


――最近、ジャズ評論家がラテン・ジャズのこと書いても、やっぱり「ジャズ耳」なんですよね。リズムのことを書ききれない。せっかくそこが面白いのに。いまほんとに「ラテン・ジャズ」が気になってて。ジャズの人はラテンのこと語れないし、ラテンの人は、ジャズの最新の動向をつなげられてないし……。

ドラムの人はけっこう研究したりしてますけどね。チャンギートなんか聞いたらびっくりしますもんね。

――実は、ジャズ研の学生が、かなり古いの聞いてたりするんですよね。

そーなんですか! ジャズ研ってそういうのやってたりしますもんね。そういえば、レッド・ガーランドがパーカッション入れて「マンテカ」やってたりもするのも面白いですよね。

https://www.youtube.com/watch?v=GJDxWC8t3Ug

――40〜50年代の変なマッチングも面白いですよね。苦し紛れみたいな(笑)

コンガが入ってどうもおかしくなってる、やっぱり合わないな……みたいな。
ドラムがバラードやってるのに、コンガがボレロのリズムやってたり、ぜんぜん合ってなかったり。いろいろ試したんでしょうけど。


――試したのがそのまま残ってるのが面白いですね。どういうつもりでコンガ入れてるんだ?みたいな。

ある意味で境がなくなってますね。なんかハネてたりして。けっこう面白いんですよね(笑)

(了)

【あびる竜太】
1971年東京生まれ、幼年よりピアノを学び東京音楽大学付属高校に入学。
ピアノ科を首席で卒業。
高校在学中パーカッショニスト菅原裕紀に出会い衝撃を覚えミュージシャンを目指す。
高校卒業後 アメリカ、ボストンのバークリー音楽大学に入学,ハープポメロイ、セシルマクビー 、ジェフコウベル等に師事。
帰国後、ジャズを基盤にライブ、バックバンド(雪村いずみ等)、スタジオワーク等で活動。

◆作品
[1]リーダー作品

2004 Cabaret nacional(キャバレット ナシオナル)
Cabaret Nacional Ryuta Abiru.jpg
2005 A circle of nature (ア・サークル・オブ・ネイチャー)
A Circle of Nature Ryuta Abiru.jpg
2006 ODT One 
ODT Ryuta Abiru.jpg
2011 Ryuta Abiru Latin Jazz Group <Live At Motion Blue Yokohama>
Latin Jazz Ryuta Abiru.jpg
2012 1091 The Boylston 
1091 Ryuta Abiru.jpg
2018 Casita (カシータ)
Casita.jpg

[2]参加作品(一部)
2012 ウイリー・ナガサキ <MIDNIGHT RUMBA>
2013 岸のりこ(DIVA NORIKO) <恋の12の料理法>

Official Website:
あびる竜太 ジャズピアノ&ラテンピアノ教室 https://abiruryuta.com/
posted by eLPop at 01:10 | Calle eLPop