Top > 岡本郁生のラテン横丁 > マンハッタン最古のレコード店<レコード・マート>閉店に寄せて

マンハッタン最古のレコード店<レコード・マート>閉店に寄せて

2020.06.15

 コロナ禍の中でさまざまな店舗やライヴ・ハウスなどが休業/廃業する中、6月10日には、ニューヨークの老舗レコード店<レコード・マート(Record Mart)>が閉店するというニュースが飛び込んできた。

「1958年にジェシー・モスコウィツとボブ・スタックが創業したマンハッタン最古のレコード店、レコード・マートは、62年間に渡って、ニューヨーカーのみならず世界中の人々にサービスを提供してきました。しかしこのパンデミックの影響で、再オープンすることを断念せざるを得ないことをお伝えするのは深い悲しみにたえません。(後略)
レコード・マート ルー・モスコウィツ」
と書かれた店頭のペライチの張り紙が切ない……。

 今後も電話オーダーやネット通販は続けるようだが、筆者自身もたいへんお世話になったレコード店であり、大きな衝撃を受けた。この状況下でやむを得ないとはいえ、ひとつの時代の終わりを感じてしまう出来事である。

 2011年には、このレコード・マートが主宰するモントゥーノ・レーベルにちなんだ2枚組CD『Subway Salsa:The Montuno Records Story』がリリースされた。その際に月刊『LATINA』に掲載した記事(2012年4月号)に加筆・修正のうえ、以下アップロードいたします。

・・・・・・・・・・・・・・

 ニューヨーク、マンハッタン。
 ミッドタウンにあるタイムズ・スクエアから2ブロックほど南へ……。ブロードウェイと40丁目の交差点にある階段を降りてトークンを買い、地下鉄のタイムズ・スクエア駅構内に入るとすぐのところに、かつてレコード・マートというレコード屋があった。

 最初に訪れたのは、たしか、1987年か88年のことである。詳しくは忘れてしまったが、現地で知り合ったミュージシャンかレコード店員かに教わったのではなかったろうか。売り場はけっこう広く、“ジャズ、ロックン・ロール、ブロードウェイ・ショウズ&ラテン・アメリカン”というサインが目印。さまざまなジャンルのカセットやLPが大量にあったが、万引き対策で、いわゆる“餌箱”にはレコード・ジャケットしか置いていない。欲しいときにはレジに持っていくと、奥にある倉庫から新品あるいは中味のレコード盤を持ってきてくれるシステムである。ラテン音楽も、もちろんサルサやメレンゲが中心ではあるが、定番のラテン・ポップスやボレロ、タンゴ、さらにブラジルやワールド・ミュージックなど、実に幅広い品揃えだった。ニューヨークへ行くと、まずはこのレコード・マートに足を運び、仲良くなった店員のハリー・セプルベダに挨拶をして、新譜関係やライヴなどいろんな情報を教えてもらうのが常となった。
 
 この店が忙しくなるのは夕方以降だ。乗り換え拠点でもあるタイムズ・スクエア駅を利用する人々にとって、家に帰る途中に寄るには格好の場所にあり、そういう時間にレジでハリーと話をしていると、「○○の新譜ある?」とか「これって誰の曲?」とかひっきりなしに客がやって来るし、ときにはミュージシャンが訪ねてくることもある。店主のジェシー・モスコウィツはモントゥーノ・レーベルを主宰しており、ここはいわば、ラティーノたちの連絡所であり情報交換の場所、さらに情報の発信拠点ともなっていたのである。

 しかし、そのあとしばらくご無沙汰して久しぶりに訪ねてみたら、駅構内はすっかり綺麗になり、それとともにレコード・マートも消滅。まったく別の店に生まれ変わっていた。かれこれ10年近くも前になるだろうか。これも時代の流れか……と思っていたが、つい最近、突然、懐かしい風景を目にすることになった。

 それがこの2枚組CD『Subway Salsa:The Montuno Records Story』である。お〜、なんと! ジャケット写真の右端に写っているの(左向きに歩いている髭の人)はハリーじゃないか。

subway_salsa.jpg

 スペインのヴァンピ・ソウルからのリリースで、コンフント・リブレ、タンボー、ジャンブー、ソン・プリメーロ、バタクンベレ、サペロコなどなど、モントゥーノ・レーベルのカタログからのセレクション、全28曲を集めたコンピレーションなのである。担当したDJボンゴヘッドことパブロ・E・イグレシアスによる27ページに渡る詳細なライナーノーツも魅力なのだが、実はこれ、DJボンゴヘッドの前フリに続いて、レーベルとお店のオウナーであるジェシー・モスコウィッツのインタヴューがほとんどのパートを占めている。これが非常に興味深い。彼の証言をご紹介しながら、ニューヨーク・ラテンのもうひとつの物語を探ってみよう。

 ジェシー・モスコウィツはニューヨーク生まれ(1930年代半ばか?)のユダヤ人。陸軍を除隊したあと、父親の友人が経営する地下鉄構内の売店に世話になるが、やがて、そのまた友人の息子が14丁目の駅構内でレコード屋を開店し、その手伝いを始める。しかし始めた本人は1年ほどでやる気をなくし、ジェシーが友人を誘ってその店を買い取ることにした。59年のことである。

 この店で彼はまず、もともと熱心に聞いていたジャズとクラシックに力を入れる。
「でも、ラテン音楽も重要だったことはもちろんだ。実際、子供のころから家でラテンをよく聞いていたから。というのも、姉がキューバ音楽(当時の呼び名はルンバ)が大好きだったからね。マンボ、チャチャチャも……。ブルックリンやクイーンズ、マンハッタンのヒップなジューイッシュ・キッズはみんな、ラテン音楽が大好きだったよ」とジェシーは語っている。

 ティト・プエンテ、ティト・ロドリゲス、ジョー・クーバといった楽団は当時、ニューヨークの北部にあるキャッツキル・マウンテンのリゾート・ホテルでも大変人気があったが、ここはユダヤ系資本のリゾートだった。
 
 こう考えると、ニューヨーク・ラテンとユダヤ人の深い関係を改めて思い知らされる。シーコ、ティコ、アンソニアなど、早い時期に創設されたラテン音楽のレーベルがすべてユダヤ人によるものだったことからも、その親密性は想像できるだろう。サルサが日本に紹介され始めたころ、ラリー・ハーロウについてはいつも、「ユダヤ人“なのに”ラテン音楽にのめり込み云々〜」と書かれていたが、いま考えるとむしろ、「ユダヤ人“だからこそ”〜」ではないかと思うのだが、どうだろうか。
larry_harlow_el_judio.jpg

 それはともかく、50〜60年代、14丁目の南側には小さな紡績工場が多く、そこで働くラティーノたちに支えられてジェシーのレコード屋は次第に売り上げを伸ばしていった。61年には42丁目駅構内に新店舗を出し(14丁目の店は70年代初頭に閉鎖)、やがてハリー・セプルベダという良きアシスタントも見つかって、レコード・マートは確実なビジネスを続けていく。

 ジェシーに大きな転機が訪れたのは70年代半ばのことだった。かつてアレグレ・レーベルのオウナーとして、ジョニー・パチェーコやチャーリー・パルミエリ、アレグレ・オール・スターズなど数々の名作を世に送り出してきたアル・サンティアゴが彼にアプローチしてきたのだ。すでにアレグレ・レーベルを手放し資金も底をついていたサンティアゴだったが、ジェシーは一緒に新レーベルのスタートを決意。モントゥーノ・レーベルを創設するのである。

 第一弾は、元ジョニー・コロン楽団のメンバーだったパーカッション奏者、ルイ・バウソとジョニー・アルメンドラ、そしてジョー・クーバ・セクステットの歌手だったウィリー・トーレスが中心となったグループ、タンボー(Tambó)。続いては、ジャンブー(Yambú)というバンドだったが、ここでミラクルが起こる。

 アルバムのレコーディング・セッションが終わったあと、たまたま思いつきでスタンダード・ナンバーの「サニー(Sunny)」をディスコ・スタイルで録音。ちょうどドナ・サマーがヒットを飛ばし始めた時期である。彼らはそれを45インチ・シングルでリリースすることにして、クラブDJたちにタダで配りまくった。こうしてジャンブーの「サニー」は海外でも話題になるほどの大ヒットを記録する。70年代半ば、サルソウルがちょうどスタートしたころだ。ジョー・バターンの一連の作品とともに、ハウス・ミュージックの誕生秘話とでもいえそうな話ではないか。

 さらに、このころといえば、グルーポ・フォルクロリコ・イ・エクスぺリメンタル・ヌエバヨルキーノが衝撃作『コンセプツ・イン・ユニティ』をサルソウルから発表した時期。この作品のプロデューサーであるレネ・ロペスはレコード・マートの常連さんで、ジェシーがレネにモントゥーノというレーベルを作ったという話をしたら、「それを知っていれば、君のところとやりたかった」と悔しがったというエピソードも紹介されている。
concepts_in_unity.jpg

 その後、前述のコンフント・リブレほかのそうそうたる楽団、さらに、ハイチのスコーピオやスカ・シャ#1、ブラジル出身のアイルト・モレイラ&フローラ・プリムなど、ニューヨーク・ラテンだけではない、数々のユニークなサウンドを生み出してきたのだが、これも思いがけない縁によるものである。

 地下鉄構内を通る人々と毎日接する中から生まれてきた、レコード・マートならではの皮膚感覚。モントゥーノ・レーベルのサウンドには、そうした現場の匂いが染みついている。そこがなんともグッと来てしまうところなのだ。

record_mart_FOTO.jpg
(ジェシー・モスコウィツとハリー・セプルベダ/アルバムのライナーノーツより)

 それにしても閉店はもったいない……と改めて思いながら、もしや?と、いろいろ検索してみたところ、なんと、ありましたよ! 駅構内にあったレコード・マートは案の定、駅の改装に伴って99年になくなってしまったものの、その後2007年、もとの店の至近距離(しかも地上)で新装開店したとのこと。いまはジェシーの息子のルーが取り仕切っているそうである。メデタイ話ではないか。

(了)
posted by eLPop at 00:50 | 岡本郁生のラテン横丁