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<エル・ポップ>トークライブ〜キューバ、プエルトリコ、ニューヨーク 黄金の三角関係〜 Vol.8(後半)

2019.12.18

2019年6月15日、1年ぶりに開催した「キューバ、プエルトリコ、ニューヨーク、黄金の三角関係 Vol.8」!
会場の<Con Ton Ton>がちょうど4周年という記念すべき日に行った久しぶりのトーク・ライヴのテーマは「サルサの時代・その2」!その後半です。前半のアップからなんと4か月も経過というペース!

お楽しみください!

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El Pop Talk Live @ Con Ton Ton, 2019/06/15
「キューバ、プエルトリコ、NY、黄金の三角関係」Vol.8(後半)


(前半より)

岡本以下O) では後半です。さっき、多分あんなに聞いたことないだろうってくらい『The Red Garter』を聞きましたが、続いて『The Cheetah』。1971年の8月なんですけどThe Cheetahっていうクラブでやりましてですね、8月26日木曜日の録音ですけど、

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"Recorded Live at The Red Garter" Fania All Stars

高橋(以下T) なんで木曜日だったんでしょうね。

O たぶん、それは、人があんまり入らないっていう……

T ああ〜。

I 穴埋め的な。

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"Live at The Cheetah" Fania All Stars

 そうそう。穴埋め的にやったのが、思いもかけず2,000人くらい来ちゃったってことらしいんですけども。

I 木曜日なんて来ないですよ、普通ね。

O ところが、ものすごい入って、これがなんと……

I 満員御礼で。

O はい。で、実はですね、アルバムの内袋っていうか内側、こうなってるんですけど、これ、ご存じかどうかわかりませんが、こうやって見ると、ここ、ラリー・ハーロウの顔になってるの分かります? 

 あ、本当だ!

 これを、縦にしてこう見ると、ここが顔。

T あぁ〜、はいはいはい!

【会場】 すご〜い! 本当だ! 意図的に?

 そうそう。意図的にじゃなかったらヤバイですけど(笑)。
で、このアルバムがやっぱり、サルサのシンボリックなアルバムになりまして、日本盤も出たんですよね。じゃあ1曲だけ、こんな感じです、っていうのを聞いてほしんですけど「Ahora Vengo Yo」。日本語タイトルは「やって来たサルサ野郎」(笑)

【会場】 爆笑!

♪ Fania All Stars / Ahora Vengo Yo


O また、リッチー・レイが弾いてるんですけど、やっぱりヴォーカルがボビー・クルスなんですよ。ものすごいハイテンション! まるでなんかやってる感じ(笑)

I ボビー・クルスね、クリーンな人だと思うんですけど、あの、“クリスト”をやっちゃってますから、凄いですね。なんていうか、声量というか、歌い切る感じが。いつも思うんですけど、プエルトリコの歌手っていうのは、キューバの歌手に比べて、歌い切る。この辺のこめかみの血管が切れるような,
ああいう歌い方をする人が多いなぁと。キューバはもうちょっと柔らかい感じnな気がするんですよね。

 ラロ(・ロドリゲス)も結構、キレそうな感じですけどね(笑)

I あれ、なんなんですかね!?(笑) プエルトリコの人は。

O いやぁ、でも、そんなかでもボビー・クルスのハイテンション感、っていうのは、ヤバいなぁっていつも思うんですよね。

T 異端ですよね(笑)

I そうですよねぇ、体に悪そうですよねぇ。

O 大丈夫ですかねぇ……まぁ、まだ生きてますけどね。いやぁ、なんか凄い二人だなぁって、改めて思います。

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I この二人は仲違いしないで、常にワンユニットで、もちろんソロっていうのはありますけど、他と組むっていうのはあんまりなくて。魂の共鳴的な感じですよね。

O そう。なんか変な話ですけど、そういうLGBT的なものが……。

I そうなんですか?!

O いや、ないと思うんですけど、なんか不思議な感じだなぁっていつも思うんですけどね。

T あっても、ラテンの世界じゃなかなか言えないですよね。マッチョな世界だから。

 そうですよねぇ。

T 最近はどうなんですか、その辺は?

I いや、やっぱり最近もなかなか辛いんじゃないですかね、公言するのは。でも普通におられると思いますけどね。

 まぁ、そりゃそうでしょうね。

I だからそこをハッキリ言わないながら、こう二人のユニットを組んで出したって言うのがなんか主張があったのかなぁ〜……って、レコード・ジャケットから思いますよね。

O そうそうそう。なんか、異様な二人の世界みたいな感じがあるじゃないですか、リッチー・レイとボビー・クルス。まぁ、ちょっとよく分かんないですが、ホントに、はい。

T このレコード、改めて1曲目を聞くと、なかなか曲が始まらなくって、そのざわつき感を入れようって言うところがすごく感じられて、いいですよね(笑)

【一同】 (笑)

T いや、この時代、キューバは出るとこないんですけど……(笑)

 いやいやいや。あ、そう言えば、飯田さんはこのレコードについて何か仰ってました?

I 飯田さんが仰ってたのは、ファニアが来日した時(1976年)に、すでにいろいろ日本盤が出てるものがあったんですけど、それ以前は、「ラテン音楽」としての文脈としては出てたけど、いわゆる「サルサ」として出てたのはないんじゃないか?っていうことで。多分、このビクターがピックアップした、つまり当時まだインディなんて強くないですから、メジャーからの発売は珍しくないですけど、でも最初なんじゃないかって言う、歴史的な盤だと。

T ビクターって日本の独立系だから、新しいものを自分たちでどんどん調達して作るんですよね、特に当時は。ソニー(CBS)系とかワーナー系とかって言うのは外資だから、向こうで流行ったら自動的に出さないといけないけど、ビクターって実は、ビクターっていう名前を使ってるけど、(海外とは)違うんですよね。日本独立のレコード会社で、いわゆる世界でいうローカル・レーベルっていうやつだから、自分たちで開拓して、音源は面白いのがあったらどんどん自分たちで出してプッシュしないといけない。いい時代でしたね(笑)

O いい時代でしたねぇ……。まぁ洋楽はそうですね。当時のビクター、日本で言えば、ピンク・レディーとかも出してて。いい時代です。はい(笑)、じゃあ、プエルトリコいってみましょうか。

I はい。でファニア・オール・スターズに、プエルトリコ人以外は誰がいたのか、っていうお話をするとですね、ジョニー・パチェーコはドミニカ人。それからオレステス・ビラトーがいたり、セリア(・クルス)(のようなキューバ人)がいたりしましたけど、残りは全員プエルトリカン。で、ニューヨリカンだった人もいますし、ラボーみたいにポンセで生まれてニューヨークに来た人もいるっていうことなんですが、プエルトリコの地元とか、それからプエルトリコを中心にしていた人たちが一体何をしていたのかっていうとこでですね。プエルトリコ独自のことをしてただろうっていうとですね、そしてプエルトリコ感覚はあるんだけれども、やっぱりNYの存在がある。パスポートなしで行き来できるっていう事が常にある中で、NYの感覚も彼らに残る。

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Fania All Stars

50年代といえばコルティーホですよね。で、コルティーホのメンバーの一人だった、若手の一人、ロベルト・ロエナ、この人は、ファニア(オールスターズ)でもやったわけですけども、でも自分のバンドを、早速68年にメガトーネスっていう名前をつけてやったんですね、で、それがその後すぐにアポロ・サウンドに。

しかしすごいですね、アポロ・サウンドって名前。当時は、アポロ計画、月に宇宙船を飛ばそうっていう、それを名前つけてやったんですけど、彼の音っていうのは、さっきのグラン・コンボとは、全然違ってNYの音、なんだけどもプエルトリコもあるみたいな、なんていうんですか、その先端的な(?)プエルトリカンの感覚でって感じ。それまでコルティーホでやってたわけですから、それが混じってるっていうのが、とっても面白い人だと思います。それをちょっと聞いていただこうかなと思って、まずさっきの岡本さん形式ですね、少しだけ聞いてみる、このデビュー・アルバムの1曲目。

♪ Roberto Roena / Tu Loco Loco Y Yo Tranquilo


I ということで、これ1曲目なんですけど、完全にサウンドとしてはプエルトリコですよね。だけど同時に彼は、ファニアのもっと尖ったような曲もやる。もちろんこの曲もプエルトリコではかなり尖ってるんですけど、でもこれどっから来てるのかというと、NYだけから来てるんじゃなくて、この前には、トニー・オリベンシアがいたわけですよね、こういうタイプの。

一方同時に彼のこのアルバムに、やっぱりNYらしい曲があるわけです。彼はコルティーホのグループで、プエルトリコで活躍してたんだけども、島と行ったり来たり巡業の中で、NYの音の中でこれは格好いいんじゃねえか、っていう感覚の影響。で、もうひとつ言いたいのは、彼はダンサーでもあるところ。すごいダンスが上手い、だからファニアの映画とか見ると、彼はフロントでがんがん踊ってるわけですね。そのダンサーの感覚として、リズムが自分の体を動かすっていうことに対して感覚を持ってる。そして加えてすごい上手いボンゴセーロでもあるんでプレイヤーとしてもアメリカの音やリズムに対して感覚を持ってる。この両方持ってる人が、プエルトリコの音楽ともうひとつ、アメリカの音楽に対して、格好いいんじゃないかと思ったとこが、とても大事なことじゃないかと思って、それをちょっと聞いてもらいたいと思います。

♪ Roberto Roena /Spinning Wheel


I …っていうことで、これ、ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズっていう、当時のいわゆるブラス・ロックっていうタイプの音楽ですけども、これをさっきのですね「Tu Loco Loco, Y Yo Tranquilo」と一緒に入れてます。さっきのレッド・ガーターとよく似ていますけれども、まだ消化してない感じで、でも、どっちも格好いいから俺やるぞっていうところですね。そういうプエルトリコ側でもやっている人のトップだったのは、やっぱロベルト・ロエナだったなぁと思うんです。プエルトリコの有利なところは、キューバに比べて、査証もいらないしパスポートもいらないくて、行ったり来たりできる国っていうとこで、エクスチェンジがあるっていうとこです。とはいいながらプエルトリコのゆったり感っていうか、さっき高橋さんが言ってた「カリブ感」っていうとこを持ったあのサウンドが、うまくブレンドしていったのがとっても面白いという風に思います。

O ロベルト・ロエナは、ファニア・オール・スターズが来日した時に、日本の「奈良和・モーニングショウ」っていうのに出まして、それを中村とうようさんが、当時何10万円したビデオデッキで録画して……あれ? それ、高橋くん、見たことない?

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T あ、僕はない。

O それを、録画したものをですね、見たことがあるんですけど、ロベルト・ロエナが「Ponte Duro」を踊っていましたね。日本のモーニング・ワイドショウで(笑)

T あぁ〜、流れたんですか?

O 流れました(笑)。それは、もう何度も見せられましたけど……河村要助さんに(笑)……はい、見せられましたけど、っていうか、見せていただきましたけど(笑)、やっぱりロベルト・ロエナは、アフリカのライブ(『ライヴ・イン・アフリカ』)にも出てるし、本当に、ボンゴセーロだけどダンサーっていうところがすごく大きい。

T カンパーナ叩きながらね、踊るのがカッコいいですよねぇ。

O カンパーナ叩きながらも踊るんだけど、前に出るときは、もう完全に、なんかHip-Hopダンス的なとこですよねぇ。あれが凄いなぁ、と思いましたけどね。

♪ Roberto Roena /Dance with "Ponte Duro" -Fania All Stars in Africa


I そうそうそう、僕、プエルトリコにいた時に、ロベルト・ロエナと3回くらい飲んだんですけど、

【会場】 え〜っ!

 焼鳥屋とかで?(笑)

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プエルトリコ、サンファンの焼き鳥屋にて

 そうそう、焼鳥屋で。いやいや、ないない(笑)

【会場】 (笑)

I 会うときは、踊り場で会うわけですけど、いつもスーツ着てんですよ。絶対ラフな格好してない。それで踊るんだけど、スーツで。僕が会ったときはもう50代とか、60代とか、そういう感じですね。ところが興が乗ると、なんつうか、スパッと、こう足を開いて腰を落とすような、Hip-Hop的な動きをね、すごくするんですね。でそれに対して、踊り場の若い人たちが、すごい大喝采なわけです。そういう感覚を、彼は持っている。彼の軌跡のなかで60年代・70年代の音楽の中でも、好きだとか格好いいっていう感覚を音に出してて、それを聞いた音楽ファンが、これ格好いいね、ってなる。そういう流れに対してすごい貢献したと思います。あんまりロベルト・ロエナを単体で語ってる人がいないけど、河村要助さんはそこをちゃんと語ってたです。現場でそういうシーンを見ると、すごく思いました。

O それで今、急に思い出しましたけど、1988年だったと思いますが、ファニア・オール・スターズ・シックス、今はなき「エムザ有明」っていう、バブルの(笑)ハコがありまして、そこに来たんですよね、ファニア・オールスターズ・シックス。ピート・エル・コンデが来たんですけど、1曲も歌わずに、確かグィロだけを演奏して帰った。で、そのときに河村さんが「ブラック・ミュージック・レビュー」のためにインタビューしたんですけど、河村さんは寂しがり屋なんで(笑)「一緒に来て」って言われて僕も一緒に行きまして。で、ボビー・バレンティンとロベルト・ロエナのインタビュー現場に立ち会いました。

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エムザ有明

I おぉ〜。

お客さん その時、確かピート・エル・コンデは、歌わずにボストンバッグ持って、去って行ったんですよね!

O あ〜、かもしれないですね。

お客さん それを、強烈に覚えてるんですよ!

 何のために来たんですかねぇ?! ボストンバッグのために?(笑) コロ(コーラス)とかしたんですか?

O いや、コロもしなかったですね。コロもせずに、いわゆるマイナー・パーカッションだけですね。

T でも、やっぱりマイナー・パーカッションってめちゃめちゃ重要ですから。

O いやもちろん、それは重要なんだけど! ちょっと一言くらい歌ってくれても……(笑)

T まぁね、歌手だからね(笑)

【会場】 (爆笑)

O 一節くらい歌ってよ……と思ったんだけど、全然、歌わなかったですね。そういう契約とかがあったのか、良く分かんないんですけど、はい。

T 基本的に、ほとんど歌なしでインストでしたっけ?

O インストですね。

T 彼のグィロとかがやっぱり素晴らしいから、メンバーだったのかも知れませんね。だけどやっぱり歌って欲しいですよね。一言ぐらいね(笑)

 せっかく来たんだから歌えよ! みたいなね〜(笑)。はい、そういうことがありました。

お客さん どっかでは歌ったんですか?

 いや、どこでも歌ってないです、本当に。いや、エル・コンデ、何のために来たのかな? っていう。

I 日本に来たかったんじゃないですか?

O そうなんですかね。でもあの頃の来日、本当に凄かったですねぇ。

I 良く来ましたよね。誰が呼んだんですか?

O えーと、誰が呼んだのかな? エムザ有明っていうのがあって、本当に当時バブル絶頂期だったので、あそこの、テニスの有明公園、あれがあった頃で、いろんな人が来てたんですよね。毎日のようにビックリするような人が。

I バブルですねぇ。

O バブルです。ZAPPも来たし、ジョージ・クリントンも来たし、毎回いろんな人が。

I かなりいろんな人が来てますねぇ。かなりのビッグネームが。

O そうです。伊藤さんはその頃はもうカメルーンでしたか?

 多分、アフリカにいた頃ですね。80年代終わりですよね?

O 80年代後半〜終わりにかけて。

 そうですねぇ、アフリカでズークとか聞いてましたけどねぇ(笑)。ズーク来カメルーン公演とか、聴きに行きました。

O え? 何ですか、その、ズーク来カメルーン公演って?

I 来カメ公演、僕はカメルーンっていうアフリカの国に、5年くらい、80年代の後半住んでました。地元では、地元の音楽、マヌ・ディバンゴとか聞いてたんですけど、外タレが来るっていうと、何が来るっていうと、仏語圏から来るから、その頃ちょうどズークのカッサブとかね、それをカメルーンでライブで聞きました。

O それを「来カメ公演」っていうんですか?

【会場】 (笑)

 あの、来日公演じゃないから、来カメ公演(笑)

O カッサブとあとは?

I あと、はっきり名前を覚えていないんですけど、マルティニークとグアドループから結構バンドが来ましたね。マラヴォワとか復活したヴィキングスとか、そういうのが来ましたね。

O それが80年代、やっぱり、いわゆるワールドミュージック・ブーム的な。

I そうです。だからその頃アフリカでも、サリフ・ケイタの公演とかカメルーンで聞きました。やっぱりその、ヨーロッパで公演したあと、アフリカにきてやって、帰っていうのでやってたんですね。

O サリフ・ケイタがアフリカ公演をするんですか。面白いですね、それ。

 多分、そういう情報はその頃の日本では全然なくって。80年代後半のワールドミュージックの時代の、日本での情報ってけっこういい加減で、中村とうようさんっていうか、『ミュージック・マガジン』しかないんですけど、僕、読んで、「何これ?」みたいな記事がありましたね。でも、しょうがないですよね、情報がないんだから。

 伊藤さんがカメルーンにいたのは何年から何年ですか?

I ええと、85年〜90年です。

O で、その後で、プエルトリコ?

I 95年〜2000年がプエルトリコ。

T あれですよね、ズークってアフリカでも人気ですもんね。ズーク・ラブとかね、ミュージシャンいっぱいいますもんね。

I ほんとに、アフリカン・ミュージックのねぇ。やっぱ日本ではすごい偏ってたっていうか、情報が足らなかったんですよね。でもしょうがないんですよね!。知られてないことはいっぱいあるので、今からもっと掘って、ちゃんと調べなきゃいけないのだろうなと、よく思います。

T 昔はラテン音楽とかジャズをもとに独自の音楽を作っていたけど、最近のアフリカ音楽は、甘くて、ちょっとソウルな感じのが多いけど、そのあたりは基本にはやっぱりズークがありますよね。
アフリカのミュージシャンがズークやってるの、いっぱいあるじゃないですか。

I ありますよねぇ。

 だから、汎アフリカンなものなんですよね、あれは。

I 汎アフリカンですよね、やっぱりね。カリブ側からの、逆ですよね。だから、キューバ音楽ががルンバ・コンゴレーズのようにコンゴ/ザイールに影響したみたいに、カリブ海側からアフリカに影響したものがあって、また戻ってくるってのが、とっても面白いですよね。

T 最近のものですよね、やっぱり、最近って言っても、もう何十年も前ですけど。

O いや、もう、20〜30年くらい? 30年近くは経ってるから。マラヴォワが1989年くらいだと思うから、30年とか、そこらですよね。30年以上か。だって、そもそもウィルフリード・バルガスが、カッサブの曲をカヴァーしたのが、85〜86年ですからねぇ。30年以上経ってますね。



T そうですねぇ、すごいですね。

O 我々、何してたんでしょうね(笑)

I そうですね(笑)

 ……いま思わず無言になってしまいましたけど(笑) はい! そういう話はやめましょう(笑) 
では、70年代のキューバへ戻って……

T ちょっと時代的には先に進んじゃうんだけど、75年で、フアン・パブロ・トーレスですね。フアン・パブロ・トーレスは、キューバの、70年代以降のキーパーソンの一人で、まぁ、聴いていただきますのが、1stアルバムからで、アルバム・タイトルの「Viva la Felicidad」という曲ですね。まぁ、今まで聞いてきたのとは全く全然違う感じの、こんなのが流行ってたということで。



O これってキューバ音楽なんですか?

 そう、キューバ音楽。

O 70年代の刑事ドラマみたいな音楽!(笑)

 わはは! 刑事ドラマ! フアン・パブロ・トーレスの1stアルバムの『Viva la Felicidad』からタイトル曲の「Viva la Felicidad」。まぁ、チキチャカっていうリズムになってるんですけど、アルバムの収録曲は、ソン・モントゥーノとか、ダンソンとかピロンとか、ソンとか…。でもこの人って、すごいエリートで、イラケレには入らなかったんだけど、まぁ、影響力があって、当時プロデューサーとしてもすごい活躍してたんですね。で、すごい人気もあった人ですね。トロンボーン奏者ですね。

I なんか、柔らかい。Estrellas de Areitoみたい。

T 柔らかい…。そうそう、この先の話になるんですけど、Estrellas de Areito(エストレージャス・デ・アレイート)のプロデューサーになったんですねこの人。ソンの復興を目指したというか、ファニア・オール・スターズに触発されて、キューバのミュージシャンは、Estrellas de Areitoっていうのをやったんですけど、それの中心人物になった人で、その後は亡命してアメリカに行っちゃうんですが、アメリカでも5・6枚アルバムとか出してますよね。

 イラケレもそうですけど、こういう、ちょっと、なんだろうな、ラテン・ファンクっぽいのが流行ったと。こうして聞くと、やっぱりリズムの感覚が全く違いますよね。今までの、ファニア系もそうだし、後、プエルトリコで聞いたさっきのロベルト・ロエナとも全く違って、もう、カチカチカチっとタイトに、リズムを作っていくっていうパターンですね。パキート・デ・リベラと、この人は大体同じくらいの世代で、二人とも音楽学校出身なんですけど、どちらも天才だって言われてたらしいですね。楽器もうまいし、色んな編曲もすぐパパッとできるみたいな。だからこの辺の人たちが出てきて、キューバの、新しい音、ひとつの流れみたいのを作ってく、という感じじゃなかったのかな。革命の時には若者で、で、ある意味、その恩恵を受けたエリートですよね。この辺っていうのは、キューバの革命後の音楽のあるひとつの流れ、エリート・ミュージシャンが音を作っていくみたいな感じですね。でも、別にこれって、のれるし、ポピュラー音楽じゃないですか、だから、エリートが作ったとしても、ポピュラー音楽、そこは忘れないでやる、というところが面白いですね。1970年代半ばくらいには、キューバでは、こういう風な音が流行ってた、聞かれてたっていうことで。

O 今の曲とかも、頭からもう、打ち込みにしても合う、みたいな感じですよね。

T うん、合いますよね。

O だからやっぱり、全然感覚が違うなぁっていうのが面白いなぁと思って聞いてましたけどね。

T DJのラファエル・セバーグに、昔キューバ音楽のコンピレーション作ってもらったんだけど、彼なんかにこの辺のを聞かせたら、「なんだこれ? すごいな!」って。で、コンピに入れたりして。ラファエルは、結構、ヨーロッパのクラブ・シーンにも影響力があるんですが、打ち込みみたいな、こういうタイトなリズムっていうのが、そっちの方の人たちにもすごく、ビビってきたみたいで、欧米にもラファエル経由で、フアン・パブロ・トーレスは知られるようになったんですね。
 でも、面白いですよね、こういう音楽と、ソンの復興みたいなアルバムを、両方ともやっちゃえるというのは。

O これは、高橋君は、どこで、いつ、ゲットしたんですか?

T これはねぇ、いつだったかなぁ。最初ね、僕、キューバ音楽とか聞き始めたときには、このあたりの音は、あんまり面白くないな、とか思って、全然追ってなかったんですね。でも、長嶺君だったかなぁ? 彼が持ってて、聞かせてもらったら、面白いなぁと思って、その後に色々と買ったて感じですね。

O フアン・パブロ・トーレスが突出して変わったものをやってるのか、それとも、やっぱりイラケレ周辺の人たちっていうか、そういう人たちが、割とこういう感じをやってるのか? どうなんですか、そのへんは?

T やっぱり、リズムを突き詰めていくと、やっぱりこういう音になるんだろうなぁという感じはしますね。イラケレももちろんですし、前半で聞いてもらった、あの、Ritmo Oriental(リトゥモ・オリエンタル)とか、そういうチャランガ・バンドも、リズムが、スパッスパッスパッっと、こう、切るように、タイトに乗せてく、みたいなのが好きだから、基本的にはみんなそっちに向かったっていうのはありますよね。うん、だから、BVSC(ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ)が流行った時に、最初のBVSCのアルバムで、ライ・クーダーが、重要人物の一人なんだけど、スライド・ギターを弾いたら、BVSCでは全然ハマってないんですよね。ハワイアンやテックスメックス、インドやアフリカ音楽とのコラボでは、かなりはまっていると思うんですけど、彼のギターはゆらぎの面白さなので、キューバのタイトなリズムには全く、合ってなかったですね。キューバ音楽をよく聴いてる人たちは、皆そう思ってたみたいですね。
 革命後は結構そっちの方向に行った感じがありますね。エリート集団が作る見たいな。だからそれが面白いところでもあり、ちょっとつまんなくなる部分でもあるんですけど。

O ライ・クーダーはもう……、どうでもいい。

T どうでもいい?!(笑)

O どうでもいいです!(笑)

T ライ・クーダー、好きなんですけど(笑)

O ライ・クーダーも、自分のルーツ・ミュージックを突き詰めてればいいと思うんですよ。でも、やっぱりBVSCは全然違うと思うし、で、その後、チャベス・ラビーンっていう、チカーノ音楽にアプローチしたのも、あれもなんか全然違うと思うし。

お客さん 全てが余計なんだ(笑)

 そうそう。あと、息子に変な、ポコポコ叩かせたり(笑)。あれは良くないなぁ、と思いましたけども。まぁ、ライ・クーダーはどうでもいいんで(笑)

T あの… 僕は好きです(笑)

【会場】 (笑)

O …どうかと思うんですよね、いや、だから、本人のルーツ・ミュージックを突き詰めてる分においては、僕はいいなぁと思うんですけども。

 あの〜

 はい、どうぞ。

 みんな、ライ・クーダーに対して言いたい(笑)

T いやいや、まぁ、ライ・クーダーは確かにラテンと絡むのはあんまり合ってないですよね。
 で、キューバがサルサと絡むのはね、この後なんですよね。この時期は、もう、本当に独立独歩っていうか、自分たちがやりたいことをやって、民衆も格好いいじゃないかって踊る。サルサと絡んでくるのはもう少し後になってからなんですね。

I ねえ、キューバっていうと、旅行会社のパンフレットが、「サルサの国 キューバ!」みたいなね、ふざけるな! みたいな話ですよね。だから、そうじゃないですよね。

【会場】 (笑)

 本当ですよね、河村さんが怒っちゃいますよ!(笑)

I 怒っちゃいますよね! キューバは、サルサの国じゃあ、全然ないですよね、まぁ、少なくとも80年代いっぱいくらいは全然違う。まぁイサック・デルガードみたいあたりからは、間違いなくサルサの影響ってあると思いますが。90年代の前半にキューバに遊びに行ったんですけど、で、空港からのタクシーがラジオつけて、マーク・アンソニーかけてんですね。で、「あれ? マーク・アンソニーですよね?」って言ったら、「これ、いいよね」って、タクシー運転手が言ってね、だから、その頃はサルサと融合した部分もあると思うんですけども、その前はキューバは、なんていうか、誇り高きキューバで、フアン・フォルメルは、自分の音楽のことはサルサとは言わなかった、Música Cubanaとしか言わなかったっていう、さっきこちらで話してたんですけど、Revéの親父だけは、自分の音楽をサルサって言っちゃって〜、それで、すいません、すっかり酔っ払ってるから言っちゃうんだけど、日本のReveメモリアルのイベントで「サルサの父、Revé!」みたいなことになっちゃうんだけど(笑) まぁ〜、とんでもないよね、あれ! 本当そうじゃないと思うんですよね。でも、RevéはRevéで、生きなきゃいけないので、本人がサルサって言葉を作品に使うのはしょうがないですよね。

T だから、いつも言ってるんですけど、Revéオヤジの「俺のサルサにはサンドゥンガがある」っていうのは、サルサっていう名前を借りて、サルサとは違うよ、俺たちの音楽は、って言ってるんですよ。で、それを取り間違えちゃうと、あの、キューバ=サルサ、ってなっちゃう。

O&I そうそうそう。



T あれは、わざわざ「Mi Salsa tiene Sandunga」って、俺のサルサにはサンドゥンガがあるんだ、って、あの〜、他のところにはねぇだろう、っていうところを高らかと、こう、言ってんですよ。だから、あれは確信犯。

I そうね! だからキューバン・ミュージシャンには、罪はないんですよ。ところが、それを見て「サルサの父」とか!

【会場】 (笑)

T そうそうそう、それは全くその通りで、あの、Revéの親父の考えとも違う。俺はサルサじゃねぇんだよ、って、

I って、言ってんのにね!

T みんな、サルサ、サルサ、って言ってるけど、俺たちがやってんのは、サルサじゃねぇんだ、っていうことを、言った、っていうね。

I そういうことなんですよね。

O キューバ人は、俺らはサルサじゃない、って、ずーっと言ってましたよね。

T そうそう、言ってた言ってた。
だからサルサ的なものを、キューバ人は、ある時まで「コンテンポラリー・ソン」って言ってたんですね。ソンのコンテンポラリーであると。ソンが原型だみたいな。あと、「バイラブレ」=踊りの音楽とか。

I それは、やっぱりギリギリのところで、ちゃんと言おうという、ね、その精神がありますよね。それはやっぱり美しいし、正しいですよね。

T だから、この後の話になって、今日はちょっとそこまで行かないと思うけど、ファニアとかが、キューバに公演に行って、その後に、「なんだよ、俺たちのやってることを聞かせてやる!」っていうんでEstrellas de Areitoをやった、っていうことですからね。すごく、ファニア・オール・スターズが来たことに対して、あの、ファニア・オール・スターズに刺激を受けて、Estrellas de Areitoやったんです。

O と、いうわけで、

I と、いうわけで、

 今日は終わりです!

【一同】 え〜!!!

 22時だから(笑) 終わりです

【会場】 最後、最後、何か! 次回に続く何かを!

O 次回につながる〜、やっぱ、ロベルト・ロエーナ?(笑)

【会場】 戻っちゃうよ?! チャングィ! チャポティーン!

O すごい、いい感じの、なんか、掛け声きてますよ!(笑)

【会場】 40年代からもう1回やってかないといけない!

O 40年代からもう1回?! まだ生まれてないからね〜(笑)

【会場】 (笑)

T あ、でも、今、チャポティーンって出たんですけど、60年代は、チャポティーンも大人気でしたよね! 70年代になっても、ヒット飛ばしてますからね。

I なるほど…、せめてサルサをかけろ、と、最後に。

O じゃあ、え〜と、プエルトリコをかけましょうか。でも、やっぱ、突然だけど、これかけるかな?

【会場】 マチート、マチート!

 マチートがいいの?

【会場】 なんで戻っちゃうの?(笑)
だって終わっちゃうもん、ねぇ! 終わって欲しくないから(笑)

【会場】 (爆笑)

I 戻っていかないと!

♪ ピート・エル・コンデ/Soy La Ley

O さっき出た、歌わなかった人です・・・(笑)

(Vol8完)
posted by eLPop at 22:47 | Calle eLPop