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2019年インテラクティボ来日、その1:ロベルト・カルカセースへのインタビュー

2019.10.12

昨年(2018年)に引き続き、異例の2年連続でフジロックに出演した、キューバのインテラクティボ。今年は、フジロックを主宰し、彼らの招聘元でもあるスマッシュの意向で、東京公演も実現。会場となったブルーノート東京で、リーダーのロベルト・カルカセースに、本番前の30分間という短い時間だったが、インタビューすることが出来た。

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◆ インテラクティボ以前の活動について

ーー日本は、4回目ですよね。
ロベルト・カルカセース(以下R):そうだね。
ーー去年は、フジロックに見に行きました。インテラクティボを見るのは初めての人がほとんどだったのに、大変盛り上がっていたのが印象に残っていますが、今年のフジロックはどうでした。
R:最高でしたよ。今年は、ホワイト・ステージだったしね。


ALALAE、FUJI ROCK 19のステージにて

ーーあなたとは、ずいぶん長い付き合いになるけど、インテラクティボを始める前の若い時のことは、あまり聞いたことがなかったので、その辺からお聞きします。まず、コルムナ・ベ(COLUMNA B)というグループを始めるまでのことをお願いします。
R:エスタード・アニモ(ESTADO DE ÁNIMO)というバンドに参加していました(筆者註:たぶん、1990年結成)。サンティアーゴ・フェリウ(Santiago Felieú)、デスセメール・ブエノ(Descemer Bueno)、エルメール・フェレール(Elmer Ferrer)、ルイード・ペドロサ(Ruido Pedroso)がメンバーでした。
ーーみんな同世代なんですか。
R:ルイードは10歳ぐらい上だった。他はみんな20歳前後の時だったかな。(筆者註:サンティアーゴ・フェリウも10歳ぐらい上だと思われる)
ーーそのグループは、プロのグループだったのですか。
R:音楽学校を出て、1年ぐらいで結成しました。
ーーその後、コルムナ・ベを結成したんですね。コルムナ・ベでは、2枚のアルバムを発表していますよね。
R:スペインの会社から出したかな。


COLUMNA Bのファースト・アルバムから

COLUMNA Bのセカンド・アルバムから

ーーメンバーは、サックスのヨスバニー・テリー(Yosvany Terry)、ベースのデスセメール・ブエノ(Descemer Bueno)、ドラムスのダフニス・プリエト(Dafnis Prieto)だと思いますが、皆さんその後は、U.S.A.を拠点に活動してますよね。
R:ヨスバニー・テリーは、ニューヨーク。ダフニスは、マイアミ。デスセメールは、マイアミだったけど今は、ハバナと半々ぐらいで活動しているよ。それぞれが、参加するグループやプロジェクトで、グラミーにノミネートしたり、賞を取っているね。また今では、指導する側になって活躍もしているよ。
ーーコルムナ・ベの活動の拠点はキューバだったんですか。
R:主にキューバだった。海外は、スペインで演って、そこからU.S.A.に渡って、1998年のスタンフォード大学の夏のジャズのワークショップでも演奏をして。その時は、ミゲル・アンガー(Miguel Angá Díaz)やパンチョ・テリー(Pancho Terry)も一緒だった。
ーーその後、コルムナ・ベの他のメンバーは、U.S.A.を拠点にするようになりましたね。
あなたは、なぜその選択をしなかったのですか。
R:バカだからだよ。(笑)
ーーU.S.A.でやろうとは思わなかったんですね。
R:ええそうだね。ちょっと行って活動するのにはいいけど、やっぱり、ハバナがいいからね。

 ロベルト・カルカセースの父親は、革命後世代を代表するジャズ・ミュージシャン。その手前、活動拠点をU.S.A.に移すことに躊躇した可能性もあるが、キューバ国内で活動することにこだわったからこそ、他国、他ジャンルの音楽を変に構えることなく自然に演奏出来ているのだろう。海外に拠点を移したミュージシャンの多くが、キューバ性〜ラテン性を必要以上に求められ、またはキューバ性にアイデンティティを求め、キューバ国内で活動していた時期と比べ、分かりやすいキューバらしさを押し出してしまう。アルトゥーロ・サンドバルがその典型で、音源を聞き比べて見ると、亡命前後で音楽性が異なっているのが明らかだ。ロベルト・カルカセースの自然体での活動は、キューバで暮らすことに秘密があるのかも知れない。

◆ インテラクティボ始動

ーーそれで、インテラクティボを始められたんですね。
インテラクティボは、普通のグループという形式ではなく、メンバーがその時々で代わりますよね。プロジェクトみたいな。
R:プロジェクトというとまだ完成していないようなイメージだけど、私のインテラクティボは、メンバーがその時々で代わっても、グループとしてやりたいパフォーマンスはいつでも実現できているから、プロジェクトというイメージとは違うかな。
メンバーは、時々で代わっていても、クリエイティブな人たちが集まってやっているということは、変わらないから。
ーーでは、その様なユニットを始めた最初のメンバーはどんな人たちだったんですか。
R:インテラクティボのオリジナルのメンバーは、ジューサ(Yusa)、オリベル・バルデース(Oliver Valdés)、フランシス・デル・リオ(Francisco del Rio)にテルマリー(Telmary)。彼らが最初に集まったミュージシャンで、その後すぐに、エルメル・フェレール(Elmer Ferrer)、カルロス・サルデゥイ(Carlos Sarduy)、ヤセック・マンサーナ、カルロス・ミヤーレス(Carlos Mirayes)、ウィリアム・ビバンコ(William Vivanco)たちが参加したんだ。
ーー最初は、セッションだったんですか?それともグループを結成しようと思ったんですか。
R:まず知り合って一緒に演奏してみて、この人はいいなって、いう風にだんだんメンバーが集まったという感じかな。
ーー最初の頃は、デスカルガのライヴをガレージでしていましたよね。
R:そうだね。
ーー私も一度見ているんですよ。
R:ベダード地区のガレージで、ジョン・レノンに捧げてライヴをやったんだ。
バリオ・デ・ポコ・ロティ(BARRIO DE POCO ROTI)にあるガレージで、始めてのコンサートをしたんだ。
ーーあなたたちの世代も、いわゆるデスカルガは、よく行うんですか。
R:よくやるよ。

◆ インテラクティボの活動について

ーーインテラクティボは、いつも若い人たちをメンバーに引き入れていますが、スカウトするのですか。また、どんな基準で集めているのですか。
R:例えば、ブレンダ・ナバレテは、インテラクティボのメンバーだったメルビスの妹でなんだけど、6〜7年ぐらい前に、彼女がグループで演奏を始めたときは、グイロ(ギロ)だったんだ。その後、コーラスに参加するようになり、それがよかったので、フロントで歌ってみないかということになったんだ。

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ブレンダ・ナバレテ

ーーでは、シマフンクは?
R:彼は、2年ぐらい前だったかな、電話して、一度インテラクティボに来て聞かせてくれないか、って言ったんだ。で、一緒に演ったら、凄く良くて、メンバーになってもらった。
インテラクティボのメンバーに必要なことは、それぞれ作詞作曲が出来ることなんだ。とにかく、新しいものを創り出す能力があることが重要なんだ。

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シマフンク

ーーそういう才能は、どうやって探すんですか。
R:ライヴを見に行ったりもするし、インテラクティボが、毎週水曜日にライヴをやっているブレッチェ(Centro Cultural Bertolt Brecht)のステージに飛び入りする人たちもいて、もしよければそのままメンバーになってもらったりすることもあるよ。
ーー先ほど、メンバーが全員が作曲をするということでしたが、その曲をどうやってバンドの音に仕上げていくのですか。作曲者と2人で編曲するのか、それもとメンバー全員でアイデアを出し合ってきめていくんですか。
R:2人で話し合って決めていくこともあるけど、他のメンバーがもっとこうした方がいいといえば、意見も取り入れるようにしている。なかでも、ドラムのオリベル・バルデースは、全体の音のバランスを考える能力が優れていて、常にサウンドに貢献してくれているんだ。
しかし、曲というのは生き物みたいものなので、ライヴの最中にも常に変化していくものなんだ。そして、それがよければ、もちろん取り入れていくさ。
ーーでは、今後注目している若手は誰かいますか。また、一緒に演りたい人はいますか。
R:若手にもいっぱいるけど、この人、というのは今は思い浮かばないかな。
いままで、レニーニやハビエル・ルイバルとは、彼らがキューバに来た時に一緒に演奏したよ。また、ダンス・チームなど、もっと商業的な人たちとも共演したこともあるしね。
ーーでは、今後一緒に演ってみたい、海外のミュージシャンはいますか。
R:(しばらくの沈黙の後)そういうふうな考え方は、あまりしたくないと思っているんだ。もっと自然な感覚で音楽をやりたいんだ。まあ、強いていえばパット・メセニーとかウィントン・マルサリスとはやってみたいかな。

◆ ロベルト・カルカセースの音楽的ルーツ


ーー子供の時はどんな音楽を聞いていたんですか。
R:子供のときは、やっぱりロック。ロック世代だから。他にも、マイケル・ジャクソン、ルベン・ブラデス、ルベンはよく聞いたよ。もちろんウィリー・コローンも。あとロス・バン・バンやイラケレ。家には、ジャズやビートルズのレコードがいっぱいあって、それらも聞いた。チック・コリアとか。
ーー当時、ロックやマイケル・ジャクソンなどU.S.A.の音楽を聞くことは、(社会的に)問題がなかったんですか。
R:テレビでは、勿論流れていなかったけど、それらを聞いていても、別に問題はなかったよ。クール・アンド・ザ・ギャングやアース・ウィンド・アンド・ファイアーとかは、パーティーでよく流されていたし。ルベン・ブラデスは、テレビやラジオでは流れてなかったけど、キューバ中で人気だったよ。ビージーズも良く聞かれていたね。ロックだと、AC/DC、ヴァン・ヘイレンだとか。

◆ 今後の活動について

ーー最後に、インテラクティボやロベルト自身の活動の予定などあれば、教えて下さい。
R:ピアノ・ソロとか管弦楽との共演などの録音をしたいと思っているんだ。いつもいろいろアイデアは考えている。
ちょうど1ヶ月ほど前には、マイアミでカルテットのコンサートしたんだ。日本でもその様なジャズやラテン・ジャズのライヴもしたいと思っている。もちろん、インテラクティボのコンサートもしたいけど、ピアニストとしての仕事をもっとしたいな。あ、それにクール・クール・フィーリンのコンサートもね!
(2019年7月30日、ブルーノート東京にて)

その2:ライヴ・レポートは、こちら
その3:インテラクティボはジャンルではない?は、こちら
posted by eLPop at 21:01 | 高橋政資のハッピー通信