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カッサヴとズーク(その3) by 山口誠治

2019.10.09

山口誠治さんの記事、ひとまず完結編です!!
◆◆◆◆◆◆
(その2から続く)

大丸1️カッサヴとズーク(6)

個々の活動も豊かなタレント集団、再来日するカッサヴのオリジナルメンバーはこういったミュージシャン。
次はデシムス兄弟です。

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Pierre-Eduard Décimus(ピエール=エドゥアール・デシムス)1947-
Georges Décimus(ジョルジュ・デシムス)1955-

カッサヴが結成されブレイクしていく過程には、フランス海外県としてのグアドループやマルティニークの社会背景が少なからずの影響があったことは、ジャコブ・デヴァリューの項で触れた。

1978〜79年にはセントルシアやドミニカ国など、共通する文化を持つ近隣の島々が英領から独立を果たしていく。精神的な植民地主義〜フランスへの同化への危機感が思想・文学者たちの中から唱えられ、フランス語に対して低劣意識があったクレオール語の復権運動も。80年代になると独立派過激組織による各所テロの頻発…。グアドループやマルティニークの人々が、様々なナショナリズムの刺激を受けた時代だ。音楽文化の面でも、グアドループでは島の人間としてのアイデンティティの象徴として、グウォカを活発化させ、モダンなグウォカが拡大していった時代である。(※グウォカ=農村地帯で行われていた、ダンスをともなうグアドループの民俗的な太鼓&歌で、それぞれに意味を持ついくつかのリズムがあり、それらを総称してグウォカと呼んでいる)

レオパーズ、ギャラクシー、マクセルズ、スーパースターン、プロテスタ77、セレクタ、ペルフェクタ、ティピカルコンボ…etc. ズーク前夜1970年代のカダンス(・リプソ)時代に活躍していた、マルティニーク&グアドループの音楽グループ。「この時期のバンドはマラヴォワを除くと、島にはいない動物とか、意味不明のよその言語とかばかり」と語った島出身のミュージシャンがいたが、両島の人々にとっては、身近とはいえない名前のグループが多かったことは確かだ。ヴィキング(=バイキング)のメンバーだったピエール=エドゥアール・デシムスも「何ていうバンド?」とよく尋ねられ、答えるのが恥ずかしかったという逸話もある。

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キャッサバ(KASSAV)

さて、PEデシムスは何故新プロジェクトに「カッサヴ」(キャッサバ)と名付けたのだろう? まず最初に思いついたのが「ゴルドラック」らしい(笑)。なんか前述のカダンス・グループと変わらないのが悲しいが「ゴルドラック」は70年代の日本アニメ「UFOロボ グレンダイザー」のことで、フランスでは爆発的な視聴率だった。

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UFOロボ グレンダイザー

デビュー時の歌手フレディ・マーシャルと色々とアイデアを出し合ったようで、キャッサバ粉を作っていた隣人のところで水遊びをし、取り乱した母親にひどく怒られた(キャッサバには毒性があり調理過程で毒は抜ける)少年時代の記憶を呼び起こし「カッサヴ」に至り、表記上も気に入ったよう。しかし、グアドループの多くのミュージシャンがそうであったように、デシムスのプランの中にグウォカのモダナイズがあった(または芽生えた)ことは初期のレコーディングを聴けば明らかで、カッサヴのライブでも伝統的なグウォカのパフォーマンスがしばしば行われる。デビューアルバムにあるグループ名そのものの「カッサヴ」という曲には「Lévé Yo, Lévé Yo Ka…」という、島の人間なら誰もが知っている歌のフレーズが用いられている。マルティニークではベレの演奏で歌われるが、グアドループではグラジの歌として認識されている。グラジはグウォカを形成する基本リズムのひとつで、キャッサバ芋の収穫小屋での作業に由来するものだ。島の生活に根ざした、クレオールの伝統への思い入れが見て取れるグループ名、と解釈している。

PEデシムスはヴィキング時代はベーシストだったが、プレーヤーとしての意識は低いみたいだ。作曲もする音楽家ではあるけれど、ステージで演奏することとは色濃い線引きがあるよう。カッサヴのベースは弟のジョルジュに任せ、裏方に徹している。

故パトリック・サン=テロワとともに、ヴィーナス・ワンで活動していたジョルジュ・デシムスは、カッサヴの創始メンバーであり、カッサヴで数々のヒットを生みだし、現在もカッサヴのメンバーだが、1990年にグループを去り、グラマックス(ドミニカ国のカダンス・グループ)のメンバーだったジェフ・ジョセフとともに、ズーク・バンド「ヴォルトフェイス」を立ち上げ、成功させている。ここから巣立ったズーク第2世代のスターも多い。パトリック・サン=テロワの脱退と入れ替えに2004年作品からカッサヴへ復帰。新しいサウンドへの探求心は、兄弟に共通するもののようだ。

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●カッサヴとズーク(7)

亡くなってしまっているので、今回の来日では姿を見ることができません。が非常に重要なので番外編。パトリック・サン=テロワです。

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Patrick Saint-Éloi(パトリック・サン=テロワ)1958-2010

つい先日もそう。毎年9月18日の翌日、自分のFacebookのニュースフィードは、この歌手の写真が溢れる。故人を偲ぶ記事のポストによって、偉大なミュージシャンの命日を思い出すのは日常だけれど、パトリック・サン=テロワ(以下PSE)の場合は数が違う。フレンチカリブ周辺で、たぶん他に匹敵するのはエディット・ルフェールぐらいだと思う。記憶に新しいこともあるとは思うが、ズーク世代あるいはグアドループの人々に最も愛された歌手のひとり。20年間、カッサヴのフロントマンとして活躍してきた。

写真は1998年にリリースされた「Lovtans'」というソロCD。発売当時、雑誌「アンボス・ムンドス」でのCDレビューに「病気でもしているのではないかと変に勘ぐってしまった」などと書いたが、当時の個人的マストバイのアーティストに、それまでとの覇気の違いを感じたことを記憶している。もちろんこの頃に彼の健康状態がどうであったのかは知らない。2002年にカッサヴを離れ故郷グアドループを拠点としたが、2010年に51歳で帰らぬ人となった。癌との長い闘いだった。グウォカを愛したアーティストだったこともあり、セレモニーでは故人の名前と同じグウォカの有名曲「Elwa」の大合唱とともに棺が運ばれた。スピーチでのピエール=エドゥアール・デシムスの表情がとても悲しく、また見たら泣きそうなので、動画は探さない。

グウォカを初めて聴いたレコーディングは他だったが、グウォカへの興味を持たせてくれたのはこのPSEだった。まだビデオテープの時代だったので、カッサヴに関する何かのVHSのはずだが、バス中でPSEがユニークな発声でリズムを取っていたのが「何だこれ?」だったのだ。これがグウォカの文化を形成しているひとつ「ブーラジェル(ブーラゲル)」で、奴隷制時代からグアドループに残る伝統的な音楽表現であることを後に知る。

歌手としてのスキルを磨くため、17歳でパリに渡る。ジョルジュ・デシムスと出会い、ヴィーナス・ワンというグループで共に活動をする。その頃のジョルジュにタレント・ファインダーの才能が既にあったかは分からないが、1980年頃からほぼカッサヴ仕切りによる、サルタナ・シニタンビなどのレコーディングに参加。1982年にはカッサヴのフロントの一人として自身の名義でデビューアルバムをリリースしている。以後脱退する2002年まで、レギュラーメンバーとしてカッサヴに欠かすことの出来ない存在感を示してきた。

PSE脱退後、カッサヴは大がかりなライブ映像を3度ほどDVD発売している。いない筈だが何故かステージに存在が見えてくるのは自分だけだろうか?

2016年には、現在のコンパ〜ズーク〜レゲエ・シーンの中堅・若手らによる、ナイスなPSEトリビュートアルバムがリリースされた。

●カッサヴとズーク(8)

カッサヴのメンバーについては前回で終了ですが、今回のパシフィック・ツアーを含む40周年のステージには、メンバー以外に強力なシンガーが参加しています。こちらも大いに楽しみなので、東京公演にも来ていただかないとダメ(笑)です!

Marie-Céline Chroné(マリー=セリーヌ・クローネ)

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フレンチカリブ最高のコリスター。(と勝手に呼んでいる)マルティニーク出身のベテラン歌手MCクローネの場合、自身のソロリリースもひとつふたつある(1枚は児童向け)のだけれど、ファンとしてはもう一作でもズークにこだわらない、彼女のスキルが活かされた、これぞMCクローネ!というズドンとしたアルバムを、分かっているプロデューサーに作っていただきたい。

シャンソン・クレオール/フランセーズ〜ビギン、ズーク、ヘイシャンなどはもとより、ジャズ、ゴスペル、R&Bなどにも、信頼と実績のコーラス要員として、数多くのレコーディングやステージに関わってきている。



バイオグラフィがないので、ボヤっとしたことしか書けないのだけれど、幼少期から歌を学び教員養成学校で音楽教師として学んだ後、1970年代の終わりにはプロとして活動の場を広げていったようだ。個人的に彼女の存在を知ったのは、ビデオも国内発売されたマラヴォワのライブ「Live au Zenith」(1987)で、故エディット・ルフェールとともにコーラスを担っていた。近年はカッサヴでの活動のほか、デデ・サン=プリのレギュラーメンバーとしても働いている。ビギン、ズーク、シュヴァルブワそれぞれのランドマークとなる大御所に声を貸す、唯一無二の存在。

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Marie-José Gibon(マリー=ジョゼ・ジボン)
マリー=ジョゼ・ジボン(以下MJG)はフランス本土モンテリマール出身。90年代に大手レーベルから数々ソロアルバムをリリースしていたので、コーラスのスペシャリストというよりも、ズークR'n'B系の歌手というイメージ。

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4歳から9歳まで母親の故郷グアドループで過ごしたそう。このときに音楽とダンスに目覚め、パリに戻って様々な芸術経験を積んだようだ。
カッサヴには1982年から14年間コーラス&振付師としてツアーメンバーに。ということは89年に来てたの? と思い、手元の来日公演の映像を確認したところ、日比谷野音のステージにはコーラスはいなかった…のだが、カッサヴ・ダンサー二人のうち一人がMJGであることを発見!(もう一人はカトリーヌ・ラウパ) 当時気にもしていなかったので、31年目の発見なのだ。
ジャン=ミシェル・カブリモル率いるラ・マフィアや、ヴォルトフェイスなどでも歌っていたこともFBに記されている。
2005年にカッサヴのコーラス要員として復帰。31年前のようなキレのあるダンスは無理だろうが、グウォカのパートで見せる華麗なステップを今公演でも期待している。



posted by eLPop at 13:44 | Guindahamacas