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<エル・ポップ>トークライブ〜キューバ、プエルトリコ、ニューヨーク 黄金の三角関係〜 Vol.8(前半)

2019.08.22

2019年6月15日、1年ぶりに開催した「キューバ、プエルトリコ、ニューヨーク、黄金の三角関係 Vol.8」!
会場の<Con Ton Ton>がちょうど4周年という記念すべき日に行った久しぶりのトーク・ライヴのテーマは「サルサの時代・その2」です。
お楽しみください!

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岡本郁生(以下O) eL Popのトーク・ライブ「キューバ、プエルトリコ、ニューヨーク、黄金の三角関係」、8回目なんですけど、前回がちょうど1年前の6月9日。実は、今日6月15日がこちらのお店<Con Ton Ton>、まさに開店記念日ということです。(店主の)天神さん、4周年おめでとうございま〜す!

【会場】 拍手

 はい、そんな日にやるトーク・ライブ。前回、1年前に「サルサの時代」ということでやったんですが、あの〜、最後どうなっていたのかほとんど記憶にございませんで(笑)、eL Popのサイトの書き起こしを改めて見てみたら「今後の課題がいっぱいあるぞ」みたいなことを言ってるんで……。
 一応「サルサの時代・その2」っていうことで、1970年前後からの話をやってみようと思いますが、ちょっと、そもそものところからなんですけど、原点に戻って、高橋くんは、なんでキューバ音楽好きになったんですか?

高橋政資(以下T) あぁ〜、えぇとですね、あの、皆さんご存知だと思いますけど、河村要助さんが亡くなられて、まぁ、お付き合い、少しさせてもらったりしてたんですけど、亡くなられて、そもそもなんでキューバを含むラテン音楽が好きになったのかを改めて考えていたところなんですが、最初、サルサ…ニューヨーク・ラテンって当時言っていたんですが、僕が高校くらいの時に、「11 PM」で『アワ・ラテン・シング(Our Latin Thing)』の映画の1シーンを紹介していて、何かすごいなこれはと思って、聴き始めたんですよね。

で、まぁ、入口は、トロピカル系のラテンはその辺だったんです。で、やっぱりサルサっていうのは、要助さんがいつも美学的に言われてた、要は、都会の音楽っていう、“人種の坩堝ニューヨーク”の都会の音楽であるわけで、それはそれでずーっと聴いていて、僕も今でも好きなんですけど、ある時、それとはまた違う、いわゆる、まぁ、カリブというか田舎の音楽ですよね…を聴いたら、個人的にはちょっとそっちにハマっちゃったみたいなのがあって。
そんで、キューバをどんどん聴いていくと色々種類があって面白いんだ、っていう感じで…。まぁ、30歳代の前半くらいからか、都会よりも僕はどっちかっていうとカリブの田舎の音楽というか、まぁある意味ルーツ・ミュージックなわけだけど、そっちを中心に聴くようになった…っていう感じです。

 そういえば、以前、高橋くんが高校生くらいに聴いてたっていうラジオ番組をエアチェックしたのをコピーしたのをもらったんですけど、あの番組もねぇ、すごいですよね。

 そうですそうです、東海ラジオだったかな? あれね、多分東京ではやってないんですよ。AMなんですよ。っていうのは、僕が高校時代だから1970年代前半だと思いますけど。

 70年代半ばくらいでしょ? だって、プエルトリコ・オールスターズのプロデューサーのフランキー・グレゴリーにインタビューしていて……。
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 半ばくらいですかね、あの、ワールド・ミュージック・ブームよりもっと前に、世界には色んな音楽があるっていうんで、「ニューミュージック・マガジン」なんかが中心になって、中村とうようさんとかが中心になって色々と紹介されてて。で、音楽好きの間では盛り上がってたんですね。

その頃はやっぱり日本経済も良かったんで、お金をいろいろな企業が出していたので、そんな放送の企画も通ったでしょうね。多分愛知県とかその辺だけでしかやってなかったと思うんですが、ブラジル、プエルトリコ、あとトリニダード・トバゴだったかな、そういうカリブの島と、それからそれに関係あるニューヨークとかそういうところの音楽シーンを、現地に行って取材して、そういうラジオ番組だったんです。で、僕も好きな番組だったんでエアー・チェックしてたんですけど、クルーがプエルトリコに行ってね、歌手のイスマエル・ミランダが現地プエルトリコのバーみたいなところのカウンターの中でギターを持って歌ったのを、録って放送したんです!
 
当時はこんな企画がたくさんあって、カメラマンの篠山紀信さんがブラジルやカリブ海の色んなところ行って「激写」みたいな感じの本を出したり。そういう意味では、現地でサルサが盛り上がるのと同じような感じで、日本なんかでも盛り上がってたんですよね。その時に要助さんのイラストとかが大フィーチャーされて、『BRUTUS』だったかでカリブ特集されたりとかしていて。

 河村さん、やっぱり、その辺を紹介することを先頭切ってやってた人だと思うんですけど、伊藤さんはいかがですか? 改めて。

伊藤嘉章(以下I) サルサとの出会い!

 出会いというか、そんなところを。

 僕はもともとジャズが好きだったんですけども、御多分に洩れず70年代後半っていうのは、何でも出てきた頃ですので、「ニューミュージック・マガジン」とか読んで、「サルサ、ですか!」みたいな感じだったんです。

大学入って……あ、その前に、フュージョンっていうかクロス・オーバー、いわゆるラテン音楽とかとジャズが混じって、かなり耳がラテンと近くお友達になってきた中……大学入って、ジャズのクラブ入ったんですね。そしたら、中南米研究会っちゅうのが、同じ大学にありまして、そこでギター弾いてたやつがサルサやりたいと思ったらしいんですね。だけどその部には管楽器やる人がいないので、ジャズの方に近づいてバンド組もう、と。それが実際ガッ!と聞き出した最初の頃ですね。
彼は今ショーロ・クラブでバンドリン弾いてる秋岡欧なんですけども、それが急にサルサやろうと言って持ってきたのが2枚ありまして、ひとつはエディ・パルミエリの、出たばっかりだったかなぁ、『ルクミ・マクンバ・ヴードゥー』と、それからウィリー・コロンとルベン・ブラデスの『メティエンド・マノ』、この2枚持ってきまして、やろうっていって、その近辺をやったんです、バンド組んで。
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で、そっから、これはジャズもいいけど、ラテンもいい!というとこで入って来ました。で、ちょうど色々、まさに要助さんとかの活動が、耳や目に触れるようになって移った感じです。
で、僕は高校時代から絵とか描くのが好きだったんで『イラストレーション』っていう雑誌読んでたんですけども、そこで、河村さんが出てくるたびに、音楽の、ブラック・ミュージックの絵とかあったんですけど、どっかある時期からですね、ラテンの絵とか出てきて、「なんだ?」と思ったら、名著『サルサ天国』が82年ですか? 82年か83年ですよね、出て、というとこだったですね。で、その時はニューヨーク・サルサ中心だったわけなんですけども、その頃、いくつかそういうのを扱ってるレコード屋さんがあって、「新星堂」もひとつでした。新星堂行った時にですね、そこのご担当がですね、「これを買え」と。お前はこれを聞けと言ってですね、これを出してきたんですね。

 菊地(愛敬)さんですか?

 菊地さんです(笑)。
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で、これは82年のエル・グラン・コンボの、まぁベスト盤っていうか、20周年? 20周年記念です。で、これを聞いたらニューヨーク・サルサと明らかに違う匂いがガッとしましてですね、これは何か? というのと、要助さんの本に出てくるプエルトリコというのは、これか…! というとこで、それがプエルトリコ派になっていく端緒だったんじゃないかな、と思います。

 じゃ、これから行きましょう!

 あ、これから行きます?!(笑) そうですね、じゃあ、初期の方ので行きましょうか。4曲目。

 あ! カラー・レコードなんですね。


♪ El Gran Combo / El Caballo Pelotero

お客さん サインがありますねぇ?!

 ああ、そうです。ラファエル・イティエル(ピアノ)のサインですけども、ええと、この曲のオリジナルは、ここにある盤、これはCDですけども、65年くらいかな。えー、「馬の野球選手」っていう、訳のわかんない(笑)曲なんですけども、このなんていうんですか、ゆったり感? が、あ〜!こりゃあもう、全然ウィリー・コロンの世界とは違うと。ビシビシっ!としたのと違う、というとこで、かなりまた世界が広がって。で、最終的に住むことになっちゃった…と、こういうことですね(笑)

【会場】 (笑!)

 素晴らしいですねぇ〜! そこは、なかなか住めないですよ(笑)、住もうと思っても。あの……、住民票は日本に?

 当時は一応米国の住民票(笑)。まぁ、米国っていうかプエルトリコの(笑)。

 プエルトリコのね! なるほど。
いまちょうどプエルトリコのサルサのお話が出たんで、ニューヨークのサルサっていうのはどこから始まったのかっていう話をしたいと思いますが、プエルトリコとニューヨークも、キューバもまたちょっと、サルサの時代っていうのは……

 違うねぇ。

 うん、それはまたちょっと後で話してもらうとして、とりあえずやっぱり、ニューヨークのサルサって言ったらここから始まったのかなぁ……っていうところはあると思うんで、ウィリー・コロンを。

 そうですねぇ。

 河村先生追悼の意味を込めて、このアルバム『エル・マロ』の1曲目、「ジャジー」を聴いていただきたいと思います。


♪ Willie Colón / Jazzy

 はい、ウィリー・コロンのデビューアルバム『エル・マロ』から「ジャジー」。A面の1曲目でオープニング曲なんですけど、やっぱりすごい面白いっていうか、「いきなりインストかよ?!」みたいなこともあるし、あと、「ジャジー(jazzy)」って“ジャズっぽい”っていう意味じゃないですか。これがジャズっぽいのか?っていうところもね。

 そうですねぇ。

 まぁ、ジャズっぽいって言えばジャズっぽいのかもしれないけど。で、これ出た時、ウィリー・コロンは17歳。ティンバレス・ソロをやってたニッキー・マレーロも恐らくそのくらいの年だと思うんで、10代半ばじゃないですか。もしかしたら録音した時16歳とか。で、これがやっぱりすごいな〜、って思うんですよねぇ。

 ですねぇ。

 当時17歳くらいのウィリー・コロンのバンドって、マンボの人たちっていうか、ちょっと上の世代からは、「ひどい音を出すガキのバンド」って言われたみたいですけど(笑)、でも、いま改めて聞いてみると、かなり上手いと思うんですよね。

それで実は、これ(自分が持っているアルバム・ジャケット)をさっき見直してたら、ウィリー・コロンのサインがあって「87年、December 21」って書いてある。1987年の12月21日。その時、来日してたわけですけども、これをきっかけに河村さんがいたく刺激を受けましてですね……あ、ちなみに、4月28日っていう誕生日がウィリー・コロンと一緒だっていうのが、ずっと河村さんの自慢だったんですけど(笑)……その次の年にトロンボーン始めまして。多分43〜44歳でトロンボーン始めて、僕とか色々な人を集めたカメリア・グループっていうサルサのバンドを始めたんです。まぁ、そこで高橋くんとも最初に出会ったんですけど……。

 この間当時の写真を見ましたけれども、すごいですねぇ! お二人とも、! あとで、El Popサイトにあげますんで(笑) 覚悟してください!

【会場】 (笑!)

 何の写真でしたっけ!?

 いや、あの、ステージ写真(笑)、驚きのステージ写真でしたからね。皆さん、お楽しみ下さい(笑)

 (笑)で、この曲はバンドでやっぱり最初にやってたんですよね。あとは「ラ・ムルガ」とか。「ジャジー」も一応簡単そうだと思ったから、これやろうってことだったと思うんですけど(笑)、いやぁ、これ難しいですよ、本当にね! 
♪ダッダダッダダッ・ダ・ダ〜っていうのが、なかなか、トロンボーン初心者には……(苦笑)。
で、「ラ・ムルガ」も、♪ダダッダダ〜……あのほら、♪ダダッダダ〜・ダダッダダ〜ってやってるんですけど、最初のころは、♪ダダッ・ダ・バーーーーー、ダダッ・ババーーーーーみたいな感じで(笑)。そんな感じでしたよね(笑)。

♪ Willie Colón / La Murga

 うん、そう、まさにそんな感じでした(笑)。ほら、ラテンを教えてくれるような場所も人もほとんどない時代だから、手探りでやるしかない、という(笑) そういう時代でしたよね。まぁ、オルケスタ・デ・ラ・ルスとかは、もうプロでバリバリやってたり……。でも、アマチュアでっていうと、まぁ、ロス・ボラーチョスとかはもうやってましたけど、みんな手探りな感じでしたよね。

 そう。で、今の曲(「ジャジー」)とか、当時のブーガルー(という流れ)の中で出てきたっていうことが本当に……そのころサルサっていう言葉がもうあったかどうかわかんないけど……「新しい風がいきなり来たぞ」っていう感じだったのかな?っていう気はして。その辺がやっぱりニューヨーク・サルサっていうかね…。

 ウィリー・コロンがファニアに行って録音するきっかけっていうのは、あったんですか?

 やっぱりジョニー・パチェーコが見出した。それで、エクトル・ラボーとくっつけたっていうことだと思うんですよね。

 なんか、これまでにない新しいもの、って思ったんでしょうね。

 その辺はやっぱり副社長。匂いを嗅ぎつけるところはスゴかったんじゃないかなって思いますね、プロデューサーとして。

 1968年?

 出たのは67年ですよね。もう一人、ジョー・バターンも同じ年にデビューしてるんで、67年って言うのは重要な年だと思いますね。
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で、他のジャンルを見てみると、67年って、ロックでいえば「サマー・オブ・ラブ」なんですけどね。そういった中でブーガルーっていうのも、そういった……日本で言えばグループ・サウンズの年ですけども……世界中で新しい動きが出てきた中の一つだとは思うんですね。やっぱり、こういう才能ある人が出てくることによって道が開かれる、っていう良い例なのかなって思うんですけどね。

 以前、四谷のジャズ喫茶「いーぐる」で、岡本さんと一緒に「1968年特集」ってやったんですけど、本当に、67年、68年っていうのは、音楽だったり社会がバーっと変わったり、で、片やラテンでいえば、キューバで「トロピカーナ」が閉まったのが67年ですよね? で、ウッドストックが68年?

 69年。

 69年、だからちょうど、そういう時代ですよね、ガーって色々なことが動いていた時代に、パチェーコが若い才能ないか、って探したっていうのは、ファニアを強化しようってこともあるけど、そういう才能っていうか、何か新しい感覚があったっていうことかな、と思いますね。

 じゃあ次、キューバの音を聞きたいんですけど……。この時代、っていうわけではないのかな?

 うん、そうですね。68〜69年っていうのは、世界的にはそういう要望があったんでしょうね、若者文化っていうかね。
ただ、その頃キューバはどうだったか?っていう話しでいくと、ロス・バン・バンとか、イラケレになるんでしょうけど、ロス・バン・バンは69年結成だし、グルーポ・デ・エクスペリメンタシオン・ソノラ・デル・イカイック(Grupo de Experimentación Sonora del ICAIC)って、よくICAIC(イカイック)って言われてる、パブロ・ミラネスとかシルビオ・ロドリゲスとか、あとエミリアーノ・サルバドールとか、そういうスターたちを輩出した組織が、やっぱりその時代、69年くらいに組織されたんですよね。その後は、イラケレが72、73年の結成ですね。
で、オルケスタ・クバーナ・デ・ムシカ・モデルナ(Orquesta Cubana de Música Moderna)っていう、イラケレのメンバーが多く在籍していたバンドがあったんですが、それは前の時代の音楽をちょっと新しい感覚でやるっていう感じで、でもやっぱり前の時代の感覚を引きずっていましたね。

だから、60年代の終わりくらいまで、キューバでは何が流行ってたかっていうと、やっぱり(オルケスタ・)アラゴンであり、エンリケ・ホリンであり、まぁロベルト・ファスとか、後、もうちょっと若い世代だと、ページョ・エル・アフロカンとか、コンフント・ルンババーナとか、そういう40〜50年代に結成されたグループが新しいリズムとかやってましたが、新しくしても、やっぱり、前の時代を引きずっていた感じですよね。だから、他の国よりも数年遅れてそういう波がやってきたっていう感じじゃないかな。

ちなみに、ベニー・モレーが亡くなったのが63年だし、ロベルト・ファスが亡くなったのが66年なんで、いわゆるスターみたいな人たちがいなくなっていって、だんだん変わってくるのが60年代終わり。そして徹底的に変わるのが70年代入ってからって感じ。
で、録音自体は1974年の録音になるんですけど、リトモ・オリエンタル(Ritmo Oriental)っていうバンドがあって。50年代に結成されてるバンドで、アラゴンが新しいリズムなんかをやったのと同じ様な感覚で色々やっているバンドです。前回、前々回の60年代テーマの時にその辺のグループはいっぱいかけたんで、録音はちょっと若いんですけど、それをちょっと聞いていただきます。


♪ Orquesta Ritmo Oriental / María Baila El Son

 はい、リトモ・オリエンタルで「マリア・バイラ・エル・ソン(María Baila El Son)」。まぁ、やっぱりソンなんですよね。キューバ革命がきっかけで、ニューヨークっていうか米国の中のラテン系の人たちも、いろいろ変わったわけじゃないですか。で、当然キューバ国内でもかなりの部分が代わらざる得なくて、今まで夜のキャバレーなんかでやってた人たちが、やっぱり裏の社会との関係とかがいっぱいあるんで、なかなか表舞台に出られなくなったりだとか、そういう人たちは海外へ出ちゃったりだとか。逆に、アラゴンなんていうのは地方出身だったんで、そういうところはある意味すごくクリアだったらしく、活躍しやすくなったりとか。で、後で話そうと思うんですけど、キューバ国内で活動しにくくなった人たちは、メキシコとかメキシコ経由でマイアミとかへ行くんだけど、なかなかニューヨークまでは行かなかったんで、その辺でまたサルサとの距離っていうのができたんじゃないかなっていう感じはしますね。

 やっぱり、ソンなんですねぇ。

 そうですねぇ。この後の話になると思うんだけど、ファニアが盛り上がってきて、サルサがキューバに影響を与えるようになってきても、やっぱりソンなんですよ。自分たちはソンだ、っていうことは、絶対に崩さない。

 いま、夜の世界とか裏の世界って言ってたけど、やっぱり、革命後もそういうのはあったんですか?

 うん。やっぱり革命前に米国のマフィアなんかが牛耳ってるキャバレーとかナイトスポットとか、いっぱいあったわけじゃないですか。で、そこで働いてる人たちなんかは、やっぱり裏で色々とあったから、革命政府ができたときに、自分達もちょっとヤバいなと思って出たりとか。また、それまで活躍してた人たちが、あまりその後のテレビ出演とかレコーディングなんかが出来ないとかいうことは、やっぱり少しあったらしく、その辺でキューバの音楽シーンもどんどん変わっていったっていうか……。

 いまの録音は74年ですよね? 60年代後半には、前の回でやった「なんとかかんとかムシカモデルナ」とか、いわゆるジャズ的なのがワーって出てきたっていう話しがありましたが、でもそれは、一部っていうことなんですか? 人気があったのはやっぱりソンで、あれは一部の、トンがったものっていうことなんですか? あれはあれで、ソンの一方にあったもの…っていうことなのかな?

 キューバって、イラケレを、本当に一般の人たちが、普通に音楽ファンじゃない人たちも聴いて楽しむような国なので、オルケスタ・デ・ムシカ・モデルナ(Orquesta de Música Moderna)もやっぱり、演奏会をやると会場はいっぱいになったりしてたらしいですけど、多分、普段、普通の人たちが聞いて踊ったりしてるっていうのは、ソンだったりとか、あと、その時代やっぱりページョ・エル・アフロカンを代表とするような新しいリズム、ニューリズム(Nuevo Ritmo)っていうのがすごい流行ったんで、やっぱりそういうのとか。あとは前にかけたような、60年代にロックのグループもかなり出てきてヒットとか飛ばすんですよね……。

 あぁ! あの変なロックね(笑)。

 変なロック(笑)。そう、グァヒーラ・ロックとかね。なので、まぁその辺はどれが、っていうことでもないですし、どのグループがヒットしたかっていうのもなかなかわかんないんですね。でも、ページョ・エル・アフロカンの「マリア・カラコレス(María Caracoles)」とかは本当に大ヒットしたみたいですよね、革命期。

♪Pello El Afrokan / María Caracoles
(※ちなみにこの曲の冒頭のキメがサンタナの「Toussaint L'Overture」冒頭の元ネタとなっています)

 本当に60年代のキューバってすごい知りたい事多いです。っていうのは、革命直後は音楽どころじゃないから、あれだと思うんですけど、メディアとしては、ラジオと、音盤と、ライブとあるわけじゃないですか。で、その時に、音盤は、そう昔みたいに沢山作れない状況になってて、で、ラジオは、当然プロパガンダの番組もあるから、ガンガンやってて、ICAICなんかもそういう歌詞も含めた音楽をやってた。そしてライブがある、っていうことだと思うんですけども、やっぱりラジオって、すごい影響が大きいと思うんですよね、全土に聞こえる訳で。そこではいったいどんな音楽が流れたんでしょうか?

 その時代にキューバに行ったことがないんで具体的にはちょっと分かんないんですけど……(笑)。
でも、音盤では、それこそロックも出てたりとか、まぁ、反体制的な歌詞っていうのはやっぱりなかなか難しかったと思いますが、それは社会体制だけじゃなくって、どこの国でもある程度あることだから、そういう意味でも、一般的にも難しいんだけど。
レコード作りに関しては、革命前からいっぱい作ってたんでその後も作るんだけど、やっぱり色々物資がなかなか入ってこなくなるから、前の売れ残ったヤツをもう一回溶かして作ったりとかね。あと、マスターテープを潰しちゃって、新しいのを録音したりした、っていうのは、よく聞きますよね。その様にして作られたレコードは、色んなのが出てたように僕は思いますけどね。
革命後のキューバって、こんなに色々な音楽のタイプの録音されてたんだ、っていう感じはしますよね。ロックから田舎の音楽から、アフロ系のやつも録音されてるしね。

それと、ちょうど60年代前後、50年代終わりくらいから、キューバ音楽のルーツを見直そう…みたいな動きも起こったんですよね。オデリオ・ウルフェなどの音楽学者とかが中心になって、ダンソンを見直そうとダンソンのレコード出したりとか。それが、革命前後くらいかな。ソンのアルバムも出しましたね。ソンの古いスタイル、セステートとか、セプテートのね。これらの動きがちょうど革命の時期と重なっていたんですね。そういうのも含めて、いっぱい色々なのが出たんじゃないかなと。他にも例えば、さっき言ったオルケスタ・クバーナ・デ・ムシカ・モデルナ(Orquesta Cubana de Música Moderna)みたいな、いわゆるジャズ系のものも出てますね。フランク・エミリオなんかがやってたコンボ・ジャズみたいなのも出てるしね。ロックも出てるから、その辺っていうのは、歌詞の規制はあったけど、それ以外の規制っていうのは、僕はあんまりなかったような感じがしますね。

 そうすると、色々なものが出てるんだけど、キューバの外とは時代のズレがあったっていうことですね。例えば、68年でしたっけ?ブカネーロスとか出てたのは? あれって、ニューヨークとか世界のシーンだと、もう、5年遅れくらいな感じじゃないですか。で、ロス・バンバンも、69年にビートルズの66年とか65年の音で始まった。5年ズレてるけども、色々なことをやってる、と。こういう感じだった、っていう感じですかね。

 そうですね。それはやっぱりズレてたんでしょうね。原因は、革命なんかもあったでしょうし、それと、自国の音楽が色々ありすぎるっていうのもあるんじゃないかなっていうのも、ちょっとします。
60年代に人気があったし放送も一番されてたのはアラゴンなのかな。アラゴンは本当に人気あったみたいだから。

 なるほど。じゃ、サルサっていうことで、プエルトリコの話はまた後ほどやるとして……。でも、プエルトリコ人はニューヨークにもたくさんいたわけなんで、その辺の話をちょっと続けてしたいなと思うんですけども、さっき言ったように、ウィリー・コロンが67年に出て、ジョー・バターンが同じ年に出て。

で、やっぱり本当に画期的だったんだろうなと思うのは、ファニア・オール・スターズっていうのが68年に……ファニアってレーベルは64年にできたんですけど、ウィリー・コロンが出てジョー・バターンが出て一気にガーッと来て……それで、ちょうどそのころにレイ・バレットがユナイテッド・アーティスツから移籍してきたのが大きかったと思うんですけど、ニューヨークの「ザ・レッド・ガーター」っていうところで旗揚げ公演みたいなのをやって、それが『レコーデッド・“ライヴ”・アット・ザ・レッド・ガーター Vol.1』と『Vol.2』というアルバムとして出ているわけ。

有名なのはやっぱり『ライブ・アット・ザ・チーター』っていう、71年にやって72年にアルバムになったもので、それがサルサの爆発の象徴、シンボリックなアルバムだと思うんですけども、あそこになるともう完全に、サルサというか、デスカルガやマンボみたいなのもあったりとか、完全にラテン音楽になっている。でも、すごく面白いなと思うのは、『レッド・ガーター』の場合は、入ってる音楽がグジャグジャなんですよね。68年なんで、まだブーガルーの勢いがある頃で……終わりかけてはいますけど……、後は、R&Bみたいな曲があったりジャズみたいなのがあったり。なので、ちょっと聞いてみようかなと思います。まず、Vol.2のA面の1曲目「ソン・クエロ・イ・ブーガルー(Son, Cuero y Boogaloo)」。これ、レイ・バレットの曲。


♪ Fania All Stars / Son Cuero y Boogaloo

 こういう曲があるかと思えばですね、この後は、こういうボレロ…。


♪ Fania All Stars / Noche

 ボレロって言いましたけど、グァヒーラですね。

 聞いててほんと面白いなって思うのは、このグァヒーラっていう音楽を一世代前にニューヨークで誰がやってたのかな?って考えると…いま3人で話してたんですけど…全然思いつかないんですよね。プエンテがグァヒーラやってた? いや、思いつかない。ほかの人は? やってたかも知んないですけど、そうするとですね、ニューヨークじゃキューバからの巡業や音盤で聞いてて、「これはこれでカッコいいな」と思いながら若い人たちが育ってたっていうことかと思うと、すごい面白いなと思って。キューバから巡業もいっぱいあったわけですよね。

 もちろんそうですよね。キューバ人は、自分たちの島の中の活動だけじゃなかなか生活できないんで、外国にどんどん行ってますね。昔から中南米には出向いていたし、あとニューヨークにも。
この時代にはルディー・カルサドたちが、ニューヨークを中心に、キューバ系のもの流行らせたりしてましたよね。あと、プエンテ楽団でキューバっていうとビセンティコ・バルデスですね。ボレロの人ってイメージで、あんまりグァヒーラって歌う感じないけど。あと、カルサドがいたベリサリオ・ロペスやアントバルズの楽団もあったけど、やっぱりグァヒーラていうイメージはないですね。

まぁ、昔からニューヨークにもいっぱい来てたんだけど、革命後はやっぱりマイアミですよね。その前はメキシコだったんだけど、メキシコの経済があんまりよくなくなってきたんでアメリカの方に渡ってくる人たちもいて、っていう感じですよね。でも、やっぱりマイアミに一番流れたんじゃないですかね。ファハルドとかはもう62年に日本公演の帰路の途中にアメリカに亡命して、その後サルサっぽいようなの作ってんだけど、拠点はマイアミだったんですよね。

そう考えると、このアルバム(『レッド・ガーター』)の中でキューバ人って、ティンバレスのオレステス・ビラトーくらいで、他はほとんどいないんじゃないかな。だからこれ、キューバ人があと2〜3人入ってたら、全く違う雰囲気のものになってたと思うんですよね。あ、でもモンギート(・エル・ウニコ)が入ってますね、その二人くらいですよね、あ、モンゴ・サンタマリアも入ってるか。でももう少し多かったら、リズムの感じも全然違ってた気がするんですよね。

 ボビー・ロドリゲス(ベース)も入ってる。

 妄想でよく思うんですけどね、キューバの中で、ヨルバ系の音楽って、すごいリズムが複雑で難しいじゃないですか。でも、そのキューバの一昔前の世代の音が、どっから来たかって言ったら、例えばハイチの流れのトゥンバ・フランセサだったり、ソンが出来たり、それから、ダンソンからチャチャチャが出来たり…っていうのは、ずっとシンプルなリズムですよね。で、そういうものっていうのは、ニューヨークでも受け入れられやすかった、っていう感じがします。プエルトリコでも。だけどそれよりもっと複雑なリズムが好きな部分、例えばイラケレとかになってくると、もう完全にキューバ。そういう音とそれ以外のとこの色が分かれていった中で、グァヒーラはニューヨークでは受け入れやすかったタイプの音楽、リズムかなとか思ったりするんです。

 キューバには、そういうサンテリア関係とかルンバとかって、リズムが複雑なのもあったけど、やっぱりキューバですごく流行ってたっていうのは、50〜60年代だと、やっぱりコンフントでありチャランガであって、結構ノリが軽いんですよね。
僕は、逆にこのアルバムとか、ニューヨークのラテン…後にサルサになったサウンドの方が、リズムは重たくってどっしりしていると思うんです。アルセニオのことみんな好きだったっていうのは、その辺の感覚なんだろうなって。グァヒーラもなんかどっしりした感じでやってますよね。キューバの本国のやつはやっぱりカリブ音楽なんですよ。軽いんですよ。もっと軽快なんですよね、リズムが。まぁ、アフリカ系のサンテリアやルンバ系はもっと複雑で、また違う重さがあるんだけど、いわゆるポピュラー音楽で聞かれてるようなやつ、一般的にラジオで流れてたようなやつは、もっとこう、軽快な感じなんですよね。

 グァヒーラは、どっちかっていうと白人系の音楽だから、さっき伊藤さんが仰ってたように、すごい複雑なリズムっていうのとはまたちょっと違って、ポピュラリティーっていうかな、受け入れやすい。あとは、“歌”っていうところがあるから、そういう意味でも、真似しやすいっていうのは変だけど、取り入れやすいっていうところはあったのかなぁ、と思いますけどね。ええ、これも、妄想ですけど(笑)。
サルサが、その“妄想キューバ”をニューヨークで再現したものであるとすれば、こういうグァヒーラとかは、まさに、キューバらしい音なのかな、と。だからこれをずーっとやるというわけじゃないだろうけど、要素の一つとして……っていうところはあるのかなぁ、って、いま聞いて思いましたけども。

 そうですよね、そういう意味でも、このアルバムは面白いですよね。

 そうなんですよ。で、この次に入ってるのが、「レッド・ガーター・ストラット(Red Garter Strut)」っていうインスト。“ストラット”って、よくある、こういうブーガルー的な……


♪ Fania All Stars / Red Garter Strut

 はい、さっきちょっとブーガルーって言っちゃいましたけど、どっちかっていうとR&Bっていうか、もう完全に、キング・カーティスみたいなサックスがブリブリ吹いてて、言ってみれば、ちょっとあとの70年代……これ68年ですけど……少し後になればいわゆるフュージョンっていうか、クロスオーバーみたいなね、スタッフとか、ああいうところに通じるような感じなんで。なんかこう、サルサ云々っていうよりも、“ニューヨークの音”だなっていう感じがビリビリ来るんですけどね。どうですか?

 本当、頭のとこのベースなんか、完全にモータウンの、ジェイミー・ジェマーソンのベースみたいな感じですよね。ええっと、モータウンって60年でしたっけ?

 59年。

 59年。もうその頃から10年経ってて、イースト・ハーレムとハーレムが背中合わせの立地ですから、当然むちゃくちゃ聞かれてますよね、同じラジオの中で。で、それが、おぉカッコいい!っていう世代がやっちゃうわけですよね。だから、そこが入ってるのが、もうニューヨークしかありえない。だからさっきのグァヒーラと、モータウンというかR&Bを一緒にやって自然。で、とても面白いなと思うのは、この裏側見るとみんな、ビシッとシチサンに分けた世代なんですよね! まだこの時代は。

 そうそう、ギリギリっていうか、このちょっと後になると、もう……

 長髪、ロングヘアーなんですけど、この時までは、みんな短い髪で、やってるっていう、なんていうか、ちょうど過渡期のことだっていうのがね、その、ファッションとか、ネクタイとかって含め、すごいカッコいいなと。

 エディ・パルミエリにしても、多分この69年くらいから、なんかこうグシャグシャになっていくけど、もうちょっと前は、あの、カル・ジェイダーとやったアルバム(1966年の『エル・ソニード・ヌエボ』)もそうだけど、ちゃんとスーツ着て、ちょっと父っつあん坊や的な感じのジャケットで(笑)。
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だから本当に過渡期っていうか、ギリギリっていうか、なんか68〜69年って、そういうとこだから、めっちゃ面白い。

 めっちゃ面白いですよね、ファッションにしろ、音にしろ。

 そうそう。で、B面に行くとですね、これもまたちょっとブーガルー的な「キカプー・ジョイ・ジュース(Kikapoo Joy Juice)」っていうチャーリー・パルミエリが作った曲なんですけど、これちょっと聞いてみましょう。


♪ Fania All Stars / Kikapoo Joy Juice

 いまのピアノ・ソロはエディ・パルミエリだと思うんですけど……チャーリーが作った曲だっていうのもあって。で、エディ・パルミエリってファニアには入ってないんですよね、Ticoで。なんていうのかな、(ファニアから)わざとこう、ハブにされたようなとこもあるんですけど、これには入ってるっていう、そこもまた面白い。

 そうですね、あれ、なんですかね、パチェーコと、あのジェリー・マスッチの陰謀なんですかね?

 それも、あるんじゃないですか?!

 ありゃー。本当、この曲のカッコいいのは、多分ダンスをやられる方はわかると思うんですけども、ラテンでも踊れるし、ブラック・ミュージックとしても踊れるっていう、

 そうそうそう! ツイストみたいなのでも踊れるっていう。

 これが両方あるのが面白くって。で、この時代に、やっぱりそれがカッコいいと思って、(ダンサーの)エディー・トレスみたいな人が生まれてきたっていうところだと思うんですよね。両方の、そのビート感を持った。これがなかったら、やっぱりサルサじゃない感じはしますよね。

 やっぱりこの辺もね、ニューヨークの音だなっていう感じがねぇ! どうですか?

I ほんとそう思います。ニューヨークの音。サルサはやっぱりこの辺の感じとか、さっきのウィリー・コロンの「ジャジー」とか、あれがサルサっていう僕の中のイメージがやっぱありますよね。この時代にニューヨークのラテンからしか出てこなかった音みたいな感じですよね。

 だから、サルサとは何か?って言ったら、やっぱり僕は“ニューヨーク・ラテン”っていう言葉が一番合うのかな、と思う。まぁ、その後色々な解釈があって当然いいと思うんですけど。河村さんも、なんかこういうところがいいと思って最初好きになったんじゃないかな、っていう。やっぱりニューヨークの、っていうところがすごいキーワードっていうか、ポイントかなって思って。で、次に、ジョー・バターンが登場するんですよ。「イフ・ジス・ワールド・ワー・マイン」


♪ Joe Bataan / If this world were mine

 ジョー・バターンと、女性はララ。他ではあんまり聞いたことがない方なんですけど、ジョー・バターン、やっぱり歌いいなぁ、って思いました。でもこれ、もうラテンでもなくて、完全にR&B。で、ジョー・バターンは、このファニア・オール・スターズには入ってるんですけど……これは本人から聞いた話ですけど……「チーターも入ってくれ」って言われたんだけど、この時にギャラもらってなくって、「カネ払ってくれないから、もう、そんなの出ない」って言ったらしいんですよ。

I&T ああ〜。

 やっぱり、ジェリー・マスッチ……

I&T やっぱり、ジェリー・マスッチでしょうね〜(笑)

 ケチだって言ってましたね。でもこれ、ジョー・バターンが入ることによって、なんていうんですかね、このアルバムの幅広さっていうか、価値が倍増してるっていう感じが僕はして、本当にさっきから言ってますけど、ニューヨークだな〜って思います。どうですか?

 このアルバムって、この後の『ライヴ・アット・ヤンキー・スタジアム』(1975年)とかと比べると、なんかゴチャゴチャっとしているから、よくわかんないっていう感じを持つ人もいると思うんですけど、でも、一個一個、まだ溶け合ってない音があるっていう、実はそれが要素なんだっていう。グァヒーラとR&Bが一緒にいるっていう、そこが当時の出たてのところをあらわしていますよね。

 じゃあ次、B面最後の曲なんですけど、「リッチーズ・バッグ」。これ、リッチー・レイがピアノで参加してるんですけど、冒頭のとこ聞いてもらえれば分かるんですが、ジョー・バターンの曲名をフィーチャーした歌詞が出てくるんで、その辺も気を付けて聞いてほしいと思います。


♪ Fania All Stars / Riche’s Bag

 はい。ピアノ・ソロ入った瞬間に、来た! って(笑)

【会場】 笑

 すぐ分かります!

 リッチー・レイのピアノだってすぐわかりますよね。

 本当。リッチー・レイは『チーター』にも入ってますけど、この曲もね、なんかすごい展開ですよね。最初、ジョー・バターンの曲名を連呼する中から入って、一気にこういうところに突入してくるっていう。まぁ、いわゆるデスカルガですよねぇ。これは、なんていうんでしょうね、なんかすごい情念みたいなものを……(笑)

 情念!(笑)

 ……みたいなものを感じますけどね(笑)。特に、このリッチー・レイのピアノには。

 僕はリッチー・レイ大好きなんですけど、どういうところから来た人なんですか、音楽的に? ほら、彼らってすごい一途なものを持ってるじゃないですか。で、「ハラ・ハラ」とかっていうのを作ったりとかしちゃうし。このあたりの時代には、すでに自分たちのアルバム作ってるわけじゃないですか、Fonsecaとかのレーベルで。彼らは一体どういう環境、感覚で音楽を作っていたのか、興味があるんです。YouTubeとかでその当時のを見ると、格好とかロックなんですよね。で、なんかすごいロックっぽいギターとかも入れたりとかしてて、なんか不思議だなぁ、っていつも思ってて。

 ボビー・クルスの方が年上で、彼の楽団にリッチー・レイが入ったんですけど、最初はベーシストかなんかじゃなかったでしたっけ? 違いましたっけ?

 ピアノじゃなかった! うん、ベーシスト。最初入った時は。

 でものちにピアノで出てくる。なんていうんですかね、バロック調の……

 クラシカル、バロック調の。

 あと、後半になってくるとどんどん、宗教的な……。

 そうですねぇ。

 河村要助さんの本でいうと「水ぬるむころ甦るふたり連れ」(「サルサ天国」より)。不思議な二人組ですよねぇ。

 アルバムのジャケでも、おっぱい出したり、変な、なんだかよくわかんないのがあったり、

 そうそう。

 どっから来てんのか。あと高橋さんがいま、仰ってましたけど、その、ロック? ロック感、ロックっぽいリズムっていうか、R&Bっていうか、2つの間くらいのリズムで埋め尽くされたようなアルバムもある。面白いですよねぇ。プエルトリコの感覚は…あるかも知れないですけども、この人ってちょっと違うとこ持ってて。雑多なものが入ってくるのが、サルサが底力をもってる所以かな、って思ったですね。

 これは、プエルトリコだからってわけでもないし、ニューヨークだからっていうわけでもない。本当、不思議な人たちですよね。

 ねぇ……

 じゃあその辺は次回に(笑)。

 また次回ですか?! また引き伸ばしですか?!

【会場】 (笑)

 というわけでここで3分間休憩をいただきたいと思います。

(後半に続く)
posted by eLPop at 23:26 | Calle eLPop