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ヤヌシュ・プルシノフスキ――埋もれた鄙の“マズルカ”を再興させたヒーロー

2019.07.13

 6月9日〜13日、日本・ポーランド国交樹立100周年記念事業の一環で初来日ツアーに臨んだ、ヤヌシュ・プルシノフスキ・コンパニャJanusz Prusinowski Kompania。彼らグループが次々と繰り出す音は、ポーランド農村部にからくも温存された舞曲“マズルカ”の豊かなバリエーションだ。その純度の高い演奏と歌はエネルギッシュで野趣たっぷり。ときに哀愁を帯び、素朴な笑みを湛えるように逞しく美しい。ある種の洗練さえ感じさせるアンサンブルの完成度なのだが、余分な加工や脚色を排した潔い姿勢には、鄙の伝統に対する熱き敬意があふれていた。
 来日前に最新CDを一聴して、たちまち思い浮かんだのが……ブラジル北東部ペルナンブーコ州、内陸のサトウキビ農園地帯で受け継がれる民俗芸能。 “マラカトゥ・フラウ(農村のマラカトゥ)”や“ココ”に“シランダ”、演劇性を帯びる“カヴァロ・マリーニョ”を現代に蘇らせたバンド、メストリ・アンブロージオのサウンドだった。むろん両者はリズムに言語、文化背景さえまったく違う。同じ1990年代の伝統再興ムーヴメントとはいえ、某かの連動や接点があろうはずもない。
 それでもやっぱり、ヤヌシュと仲間たちの朴訥な歌と演奏、とりわけ一部の賑やかなレパートリーを聴くと、どうしてもメストリ・アンブロージオの記憶が甦ってしまう。農村マズルカ(※英語でruralと説明していたから、農村部の…の意で間違いない)で主に音頭を取るのは、フィドル(民俗ヴァイオリン/ポーランド語でスクシェプツァskrzypce)。かたやメストリ・アンブロージオの音頭取りは、ハベッカ(ヴァイオリンの原種にあたるレベック)。歌手やメロディー楽器がコール&レスポンスをユニゾンで展開していくところなんぞも、実にそっくりで……やがて全土の若い世代を踊りの輪へ巻き込む点でも共通している。
 ポーランドで生まれヨーロッパを席捲した3拍子の舞曲マズルカは、19世紀にワルツやポルカ、ショティッシュなどとともに中南米諸国のサロンで大流行した。仏語圏マルティニークでは、20世紀にもたらされクレオール化した8分の6拍子のマズルカが今もポピュラーな存在だ。また、中米ニカラグア北部にもインスト音楽のマズルカが定着していると、90年代にカルロス・メヒア・ゴドイ御大が教えてくれた。
とまぁ、eLPop読者諸氏を喚起せんと、いささか我田引水に過ぎる前置きだが……埋もれかけた鄙の伝統を地道な活動で再興させていく謙虚な音楽家の話には、心揺さぶられる説得力があった。少年期のショパンを夢中にし、あまた作品の源となった農村マズルカ……その現シーンを牽引するヒーローへのインタビューに、しばしお付き合いいただきたい。(2019年3月20日/通訳:染谷和美氏/取材協力・写真提供:THE MUSIC PLANT)

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◆「マズルカは基本的に3拍子」というけれど…
――マズルカと総称されるスタイルには複数のバリエーションがあるとか。大別して3種と聞くが?
ヤヌシュ(以下) マズルカは、ポーランドで“マズレクmazurek”と呼ぶ舞曲で、歌入りの曲もある。様々なスタイルがあって、スロー種の“クヤヴィアクkujawiak”や“オベレクoberek”“マズレクmazurek”などがある。でもね、同時に土地ごとに異なる呼び名があって、ポドルズネ、ポドルズニャク、オクロングウェ……(※以下聞き取れず)等々、ものすごくたくさん名前があるんだ。
――いったい幾つぐらい呼び名があるの?
 誰も数えられないね(笑)。というか、誰も意識せずに演奏しているから。それぞれ違うメロディーとスタイルがあるので、各々の違いを識別するために便宜上名前を付けているだけなんだ。だから特にスタイル名という感じではない。例えば、メロディーの頭だけ歌ってみせて、「誰それが好きだった曲!」という風にリクエストする。「結婚式で教会に向かう時の曲!」とか、そういう憶え方なんだよ。それら多様なすべてをひっくるめて“マズレク”なんだ。
――最新CD『『In the footsteps』の中で、「オベレク from 〇〇」と書かれているのは、人名?
 そう、教わった人の名前を指している。個人から直接習った場合もあれば、録音物から採った場合もある。それは、マスターが誰であるかを忘れないために記しているんだ。
――では、その曲はマスターのオリジナルということ?
 いや、マスターによっては俺のメロディーだということもたまにあるが、普通はその人も他の誰かから教わり、それ以前も別の誰かからというように、世代間で受け継がれてきた伝統なんだ。で、その特徴的な節回しはつねに変化していく。例えばアルバムの最初の曲「オベレク from ピョートル・ガツァPiotr Gaca」。この人物は2年前、89歳で亡くなった。90歳の誕生日を迎える準備をしていたのに、その直前に他界してしまったんだよ。彼はとってもキュートなミュージシャンでね。同じ曲を隣人のスタイル、あるいは他のミュージシャンのスタイルでと、個性あふれる多彩な演奏法を弾き分けて再現できる人だった。
――ピョートル・ガツァ氏はフィドル・プレイヤー?
 そうだよ。彼はいろんなスタイルの装飾音に奏法、それぞれの個性を記憶して真似ることができて、もちろん自分の流儀も持っていた。彼と彼の弟が、まさに農村マズルカの2大巨匠と言える存在なんだ。滅多に二人が一緒に演奏することはなかったんだが、共演すると1曲目はもう最高! でも2曲目には喧嘩が始まってさ。「もうやってらんない!」と言い合いになって、やめちゃう(笑)。「お前が間違ってる」「いや、お前が……」ってね。つまりね、人によって同じ曲でもいかに違う演奏か、ってことなんだ。それぞれが異なるテイストを保って演奏しているわけだよね。で、僕らとしては、つねに教えてくれた人の個性を活かして演奏したいと考えている。と同時に、僕らならではのスタイルを伝えたいとも念じているわけなんだ。
――マズルカのそれらバリエーションは、特定の地域に集中しているのか?
 全土的なものだが、もちろん地方性はある。特に南部山岳地域のスタイルは、他とはまったく違うものだね。中央部マゾフシェの人々は、「私は“マズル”」と言い、「私は“マゾフシェ”生まれ」と言う。彼らがやる音楽すべてを、“マズレク”と呼ぶわけだ。
――マズルカ(マズレク)のリズムは基本3拍子で、アクセントの付け方がいろいろだという。でも、CDを聴くと……必ずしも2拍目か3拍目にアクセントがあるとは限らないような??
 そこは、皆さんに訊かれるところなんだが(笑)……喩えてみれば、マズルカのリズムは球体のようなものなんだよ。歌詞と歌、ダンスと肉体が一つになっていて、すべてが揃わないと理解できないんだ。昔々、フィドラーは単身、結婚式などの宴に乗り込んだものだった。ドラムスやベースのようなリズム隊は、マズルカを踊れる人なら誰でも演奏できちゃうからね。で、基本的にグルグル回るダンスだから、パートナーとの掛け合いで一体となりながら、コミュニケーションによって生じる自然なステップのアクセント、身体の動きが、そのままマズレクのリズムになっている。それを太鼓の音に置き換えようとすると、かえってややこしくなるんだ。(※と、まずはソロで踊ってみせ、続いてマネージャーと組み自然に生じるアクセントのポーズを披露してくれる) 僕はリズミカル・アニマルだから、踊りながら説明するのがだんだん面白くなってきたよ(笑)。次に、具体的にメロディーに乗せてみるね(※と、旋律を口ずさみながら両手で別個のビートを机叩きながら示す)……ほら、自然にポリリズムが成立していくんだ。

◆固有の舞曲マズルカの成り立ちについて…
――これら固有の音楽がポーランドで生まれたのは、何世紀ぐらいだったと言われているのか?
 難しい質問だ。16世紀にはろくな録音が残っていないから……あ、もちろんジョークさ(笑)。フォークミュージックはいずれにせよ、書かれなかった音楽だからね。記録に残されたたぶん最古のものが「フミエルのウエディングソング」で、未だに歌われ続けている。“フミエルchmiel”とは、ビールの原料の“ホップ”のことだ。シンボリックな結婚式のためのこの唄が、譜面に表されたものではないが、たぶん記録としては一番古い。15世紀のヨーロッパで、すでに“ポーリッシュ・スタイル”ともいうべきメロディーとリズムが発生していたそうだ。僕自身はそのことを、スカンジナビアの友人から教えてもらったんだけどね。スウェーデンとポーランドによる共同作業で、ルーツ探しの研究を試みたんだ。(※と言いながら、2016年作品『Polska Dance Paths』DVD+CD+ブックレットを紹介してくれる)
――ヤヌシュさんが共同で制作されたの?
 僕もディレクターの一人で、もちろん僕のバンドも参加しているよ。両国それぞれの特別な音楽チームをオーガナイズし、呼応する4つの曲を集めて、伝統の出合いという主旨を8曲で提示したんだ。
――それだけ、両国は密接な関係なわけ?
 同じ王のもと、統治された時代もあったくらいだからね(※16世紀末)。15〜16世紀、ポーランド固有のスタイルがヨーロッパへと広まっていった。中世の終わりからルネサンス初期には、スローダンスの潮流が4拍子から3拍子に代わっていくが……ドイツ式とポーランド式で、変化の仕方に明らかな違いが表れる。ドイツ式は4拍子を3拍子の中に均等に押し込んだ感じ。一方のポーランド式は、タタタッター|タタタッター|というスタイル。これが、シンプルなマズルカなんだ。ショパンをはじめ、ピアニストが弾くマズルカのスタイルだ。この違いはね、ポーランド語のアクセントから来たものなんだよ。歴史的なこのスタイルはヨーロッパ中に広まり、バロック組曲には必ずポロネーズが入るようになった。“ポロネーズ”とは、“ポーリッシュ・ダンス”の意。“ポルスカ”もまた、ポーリッシュ・ダンスを意味する。舞踏会の最初に演奏され、さぁ踊りましょうと人々を促すのが“ポロネーズ”だった。宮廷で皆が出て来ておじぎをし、踊り始めるのにぴったりのリズムだったわけ。以来、ポロネーズはヨーロッパ文化としてすっかり定着して、なかなかポーランド起源だとは認識されにくくなったんだろうけど。遡ると、そういう歴史なんだ。一方、マズルカのほうはテンポが速いけれど、基本的なリズムはポロネーズと同じと考えていい。
――では、やはりマズルカも、宮廷から庶民へと波及していったのか?
 そう言い切るのは難しいかな。人々の間に広く普及していた……言語同様、宮廷でも村々でも、身分と関係なしに。19世紀の偉大な音楽史家が、ポロネーズやマズレクが、あらゆる階級で踊られていたと記している。つまり、皆のためのダンスミュージックだったということだ。

◆ヤヌシュ・プルシノフスキ、かく農村マズルカと遭遇す…
――あまり聴かれなくなっていた農村マズルカと、あなたはどんな運命的出合いを果たしたのか? 探索の旅の始まりを聞かせて欲しい。
 実は、僕も農村の出身なんだ。ワルシャワの北にあるムワヴァMlawaという村で生まれた。両親は農業を営んでいて、今も僕は生家に住んでいる。今となっては、村というより町なんだけどね。世界的に都市化が進み、自分が町へ出て行かなくても、気づいたら町がこちらに迫って来て、村は町になっていた(笑)。僕自身も、ジャガイモ掘りや麦刈りを手伝っていたものさ。村では皆が集まって作業し、互いを大切にしていた。のちに僕が出会うような農村のミュージシャンたちの暮らしと、さほど変わらなかったよ。でも、僕の故郷の地域では、あまりマズルカが盛んじゃなかったんだ。両親はよく歌っていたけれど、クレイジーでポリリズムもありのマズルカじゃなかったな。十代の頃、フィドルを演奏していたんで、インプロヴィゼーション用に参考となる音楽はないかと探していたんだ。両親からアコーディオンを習い、耳で覚えた唄を歌い始めて……それが、12歳の頃。ギターを手にしてからは、ブルース、ジャズにロックンロールなど、友達と即興できる音楽を弾くようになっていった……なんとなく想像できるでしょ?
――えー、お生まれは何年?
 1969年生まれで、今50歳。この半世紀で、世界は大きく変化したもんだよねぇ……
――豊かな農村音楽と出合い、あなたは聴いて演奏するだけに留まらず、行動を起こした。仲間を集め、ダンス・コンサートやワークショップを開き、フェスティバルへと拡大させていく。その時、あなたが掲げた理念みたいなものがあったら教えて欲しい。確たる使命感をもって始めたの?
 うん、さっきの質問の答えの続きから……ポーランドでコミュニスト政権が終焉を迎え(※1989年9月7日)解放されたため、世の中が自由の気風にあふれていた。そのしばし後、村々のミュージシャンがマズルカを即興演奏しているのを聴いたんだ。それで、ワ〜オ!世界の音楽の中にずっと探し求めていたものが、ここにあったじゃないかと気づかされたんだ。これこそが自由であり、ブルースでありロックンロールだと……。僕の追い求めるものがここから発展させられるし、実現できるんじゃないかと思ったんだ。それが93年のことだった。それに、僕が子供の頃、音楽のクオリティを求めコンポーザーを目指していたことも思い出したんだ。とにかく自分の追い求めていた欲しいものすべてが、ここにあった。だから、まず自分が習うことから始めた。むろん未だ勉強中だけれど……長いこと弾けていないチューンもあるからね。いくらでも楽曲はあって、まだまだ学び続けるべきことがあるんだ。
――なるほど。
 僕が望んだのは、農村マズルカという音楽宇宙を、現代社会に取り戻すことだった。90年代には、まるで捨て石のような扱いを受け、世の中で忘れ去られていたから。当時の我々は、アメリカン・カルチャーのコピー漬けだったからね。中には良いコピーもあったが……本当の宝を自分たちが持っていることに、まったく気づいていなかった。よもや、その持ち主であるマスターたちが、ワルシャワから100キロほどの距離に住んでいたとは。僕は彼らから学び始めると同時に音楽イベントを主催し、農村から彼ら音楽家たちを招いてはバンド演奏をし、ダンスの伴奏をすることにしたんだ。そうすると、マスターたち自身も自分らの価値というものを認識し始めるだろ? イベントを始めて以来、徐々に徐々にこの関係性を取り戻し、それが定着していくにつれ、若者は家族をはじめ年長の音楽家に質問し、世代間を隔てていた繋がりがようやく戻ってきたんだよ。
――つまり、それまでマズルカが、特に注意を払われることはなかったと?
 92年の時点で、ワルシャワでポーランド音楽を聴けるところなんてなかったよ。グローバル都市にポーランド音楽の居場所はなかったね。若い音楽家がマズルカに親しむことなんて、まずあり得なかったんだ。
ヨアンナ(マネージャー&ダンス担当) 私が思うに、マズルカ・フェス(※2009年「マズルカ・オブ・ザ・ワールド・フェスティバル」としてスタートを切った)を除けば、今の首都にだって夜ごと聴けるところなんてないわ。状況はさほど変わっていない。7〜8年前ですら、ポーランド音楽を踊れる場があるなんて、人々は知らなかった。ワークショップもあるよと言われ、「そもそも、その踊りって何なの?」って感じだったのよ。フォークソング・フェスだとは聞いていたけれど、ステージと客席に分かれて体験するような普通のライヴだと思い込んでた。でも、コンパニャのフェスは違う! ステージの出演者も客も入り乱れて、一緒になって踊る。そういうものだとは、私たちですら当初は知らなかったの。(※今やその彼女が、コンパニャのマネージャー兼ダンサーで、管楽器担当ミハウ・ジャクMichal Zakの奥さんだ!)
 連日テレビ・ショーで紹介されるとか、そういう普及の仕方とはまったく違うからね。だけど、今となっては、農村マズルカはポーランド文化の中の“生きた”一部になり得たと思う。こんな逸話もあるんだよ……96年、僕らはヨーロッパをヒッチハイクで回り、ストリートで演奏していたんだ。ある日、パリのノートルダム近くで演奏していたら、ポーランド・ナンバーのバスが停まって、ポーランド人の学生たちが降りてきてさ。僕らの演奏を聴きながら、そのうち一人が尋ねてきたんだ。「これはアイリッシュ・ミュージック?」ってね(笑)。つまり、そんなところから僕らはスタートしたわけだよ(苦笑)。
――うーむ……
 僕としては、出合って以来ずっと愛し、より深く知ろうと努めてきた、かくも素晴らしい音楽や人々、そのストーリーが拒絶され、世界の商業的な何物かに取って代わられてしまっているというのは、あまりにも残念で恥ずかしいことだと思うんだ。だから、僕らのワークショップでは、何も知らない状態の若い人々にまずは演奏やダンスをトライしてもらい、例えば「キミのお祖父ちゃんやお祖母ちゃんに、マズルカの話を訊いてごらん?」と促すようにしている。
――もはや、社会的な活動ですね。
 ヤー、人にはコミュニティ、コネクション、それぞれ愛やストーリーがあり、家族がある。音楽とは、それらのてっぺん、山の頂に存在するものなんだ。

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www.januszprusinowskikompania.pl/en/portfolio-items/in-the-footsteps/
◎最新アルバム収録曲の詳細は、上記オフィシャルサイトで(※英語版あり)。前述のピョートル・ガツァはじめ、土地の伝統を繋いできた真のマスターたちの尊顔も拝める。2008年作『Janusz Prusinowski Trio/Mazurki』、2010年作『同トリオ/Serce』、2013年作『同トリオ/Po Kolana w niebie (Knee-Deep in Heaven)』の紹介コーナーも参照されたし。
www.mplant.com/
◎日本語解説付き、2019年4月14日発売の来日記念盤『ヤヌシュ・プルシノフスキ・コンパニャ/フットステップス』は、上記サイト「CD SHOP」より入手可能だ。

◎来日メンバーの担当楽器
☆ヤヌシュ・プルシノフスキJanusz Prusinowski:ヴォーカル、フィドル(ポーランド語でスクシェプツァskrzypce)、ポーリッシュ・アコーディオン(ハルモーニアharmonia)、ハンマー・ダルシマー(ツィンバウムcymbaum)
☆ピョートル・ピシュチャトフスキ Piotr Piszczatowski:バラバン・ドラムbaraban、フレイムドラム(ベンベネクbe,benek)、他
☆ミハウ・ジャク Michal Zak:木製フルート、クラリネット、サックス
☆シュチェパン・ポスピェシャルスキ Szczepan Pospieszalski:トランペット
☆マテウシュ・コヴァルスキ Mateusz Kowalski:バセトラ(basetla)、ダブルベース、他

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https://coldwar-movie.jp/
◎2019年6月28日より随時、全国で上映中、パヴェウ・パヴリコフスキ監督作『COLD WAR あの歌、2つの心』冒頭に、農村マズルカの歌い手や貴重な楽師の姿が登場する。時代に翻弄されながらも運命の出会いと別れを繰り返す、哀しき男女のストーリー。印象的な唄「オヨヨー♪」の魅力もさることながら、冷戦期に発足した民俗芸術団(※劇中のモデルは、かの有名な“マゾフシェ”)の内実なども織り込まれた、珠玉のモノクローム作品だ。
posted by eLPop at 03:57 | 佐藤由美のGO!アデントロ