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<エル・ポップ>トークライブ〜キューバ、プエルトリコ、ニューヨーク 黄金の三角関係〜 Vol.7(後半)

2019.05.02

2018年6月9日に開催した「黄金の三角関係 Vol.7〜サルサの時代」。
ようやく後半もアップです。まだ色々と続きそうな話の糸口が……。

★<エル・ポップ>トークライブ〜キューバ、プエルトリコ、ニューヨーク 黄金の三角関係〜 Vol.8
6月15日(土)開催予定で調整中!@Con Ton Tonです。
よろしくお願いいたします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(前半より続く)

O あぁ〜、なるほど。もともとあったけど、社会主義を経て、さらに…

I さらに。だって、そりゃもういろいろなものが入ってくるじゃないですか。アメリカの生活がどうだとかねぇ。マイアミとか行った人からも。それを、若い人が、そうやって暮らしたいよね、って思う時に、キューバでやろうとしたら、おカネしかないですよね。だけど可愛いのは、「おまえふざけんなよ、そんなにカネ取るのかよ」っていうと、「じゃあ、まけてやるよ」っていうのが可愛いんだけどね(笑)

T そうそうそう、その通りなんですよ(笑)。「キューバ人が色々言ってくるのは、ただ、彼ら、お金が欲しいだけなんですよ」ってキューバに長く住んでる友人が言ってたんだけど(笑)。「だから許してあげてください」って。だから、「ダメ、払わない」っていったら、「あ〜、そうですか」ってなるんだって。ただお金が欲しいだけっていう、まぁシビアですよね。それに昔から「カリブのユダヤ人」と比喩されるだけあって商売はうまいし。下手すると騙されるんじゃないの、って思ってしまいますよね。

I だから、ちょっと難しいなと思ったのが、僕も今回行った時にね、オビスポ通りを南の方に歩いて、それで中央駅に近いところで雨が降ってきたんで、自転車タクシーに乗ったんですよ。「乗っけて」って言って。で、降ろしてもらった時に、CUC(兌換ペソ)で25とか言ってきて、「おまえ、ふざけんなよ!!2,500 円か!」って(笑)「ありえねーだろ!」って、すっげーでっかい声でね、道端でガーって言ったら、これ、CUP(人民ペソ)でいいから、みたいな。「CUPで25でいいからってありえねーだろ、こんなもん10だろ」って。じゃあ10でいいから、って。可哀想だから25あげましたけど、だけど、まぁ、そういうことですよね。

T 輪タクでしょ? まぁ、あの、同じ距離行くんだから、タクシーと同じ値段をとりあえずいうっていう感じなんですよね。

I でも僕ね、そういう風に値切ってんだけど、これでいいのかなぁとか思ったりね。CUCで25払ってもいいんじゃねぇか、とかね、なんか非常に複雑な気持ちでした。

T 複雑な気持ちにはさせられますよね。俺らは、現地に住んでいるわけではなくて、旅行者なんだからね。現地の人と同じにしろというのは? だから、まぁ時と場合によるみたいな感じはしますよね。でもね、あんまりそれが行き過ぎちゃうと、それが旅行者のスタンダードになっちゃうっていうのも、なんかなぁ、って感じもするしね。

I そうですね。非常に難しいなと思いますね、本当に。

O じゃあ、つづいて、高橋さんお願いします。

T えっとですね、次はですね、オルケスタ・レベの「フィフィ・テテ・イ・ポポ(Fifí Teté y Popó)」っていうデビッド・バーンの「ルアカ・ボップ」レーベルが1980年代の終わりくらいですかね、キューバのコンピレーション出したんですが、そん中に入ってたやつです。一部では有名な曲なんですが、それを聞いてみましょう。


♪ Orquesta Revé/ フィフィ・テテ・イ・ポポ

T オルケスタ・レベで「フィフィ・テテ・イ・ポポ」1968年の曲ですね。これも、ちょっと聞いた感じだと、シャウトした、あと、ロック的なギターが入っているんですけど、もうリズムは完全にチャングイですね。エリオ・レベっていうのは、かなりのキーパーソンで、この時代このグループには、アダルベルト(・アルバレス)も参加してたことがあるし、後にロス・バン・バンを結成したフアン・フォルメルが参加していたり、後のリトゥモ・オリエンタル(Ritmo Oriental)の結成なんかにも関わったっていうことで、若い人たちもちゃんと登用していたんですね。サルサはキューバの伝統音楽の延長線上から出来た……まぁ、延長線上っていう言葉は良くないかも分からないけれど……そういう視点から見れば、邪道なのかも分かんないですが、僕は結構好きで。でも別に、キューバの伝統音楽の流れからは逸脱してないって思うんですよね。このベースとかね。ベースの刻み、あと、リズムの取り方とかっていうのは、やっぱり、キューバしか、ある意味できないっていうところがちゃんと入ってると思うし、それにこう、なんていうのかなトッポイっていうか、そんな歌詞とかを乗せているのは、やっぱりキューバ音楽の流れにちゃんと入ってるんじゃないかなぁっていう風に(思います)。あの、キューバにはサルサはないですから、基本的に。

I なるほど!

O 『Cuba Classics 2』に入ってましたねぇ。
cuba_classic_2.jpg

 この時代、他の曲も、ちょっと変わったことやったりしてて。キューバらしいって思うのは、アルバム1枚の中に、かなりバリエーションがあるんですよね。リズムのバリエーションとか、編成や構成のバリエーションとか、曲によってかなり違うんです。その辺はやっぱり、キューバ人のプライドって感じはしますけどね。

O 今のは何年くらいなんですか?

T 68年です。

I 
アメリカではもう、68年ってこんな音楽じゃないですよね。やっぱりすごい時差をすごく感じますよね。68年って言ったら、ラテンと混じるんだったらブーガルーみたいな音楽になってるわけだし、それからロックの方だって、もっと重い感じになったりしてて、こんな軽い、ロックン・ロールで軽い感じって、もうないわけですよね。だからそこんとこで、ズレがあることがよくわかるなぁ、と思って。やっぱりズレがあって、一挙に入ってきた時に、「おぉ!なんかこれも格好いい、これも格好いい」っていう、何かこう浮き足立った感じが、とってもしますね。

T なるほどねぇ。なんか新しいものが入ってきたらとりあえず演ってしまうんですよね。そのあたりは、カリブ的ですよね、キューバっていうのは。ニューヨークとか、ある意味プエルトリコもそうだと思うんだけど、(キューバは)シーンの前線に立つみたいな感覚は、あるようでなかったのではないかと。だから1950年代終わりからキューバで盛んになるニュー・リズムって、汎カリブの音に戻って行ったっていう感じで、その後70年代までずーっとその傾向は続いていくんですね。
 で、アルセニオとかは、アルセニオは別に亡命しようと思って亡命したわけではなくて、自分の目の治療でニューヨークに行ったわけだけど、ニューヨークに渡ったからこそ、ある意味、彼に独特なサウンドが出来上がったのではないかと。あともう一つ、1930年代のルンバの時代って、やっぱりクラシック系の人たちが中心になって、キューバの民族的なものを作品に取り入れて、ハバナ・キューバン・ボーイズとか、ああいうスタイルが出来たわけだけど、この時代は、もっと民衆が作ってたっていう気がしますよね。

O この時代っていうのは?

T 1960年代。要は、ルンバ・エイジの人たちっていうのは基本的にクラシックを勉強して…、まぁ、この時代の人達もほぼクラシックは勉強してたりはするんだけど…、1920〜30年代の昔のミュージシャンは、クラシックや舞台向け音楽に、キューバ的なもの(アフロやクリオージャ的なもの)を取り入れて新しい感覚のものを作っていったわけで、だから、やってる人たちも基本的に白人だったんですよね。でも1960年代までくると黒人が多くなってくる。表の舞台に立つ人たちもね、かなり(黒人の)比率が多くなってきて、音もこんな風になってきたんじゃないかなって、思うんですね。

 確かに、キューバ革命があった後、黒人の人たちも表に出るようになって……いわゆる高等教育を受けた白人じゃなくて……っていうのが音楽をやれるようになったっていう意味では、ストリート感覚が出たと思うんですけども、そのストリート感覚がね、その自分らが持ってるルンバとか……ルンバってあの、キューバン・ルンバね……の方に行くんじゃなくって、北米から流れてきた音楽の方に飛びついてるとこがね、とっても僕は面白いと思うんですよ。

T うん、そうそう。そこが面白いところで。

I 訛りが…。

T そうそう。訛りが。そこが面白いところ。さっきからずっと言ってるんですけど、自分たちの伝統音楽があるから、そこに取り入れよう、じゃなくて、外から来た流行を演ってみたら「いや、このリズムは俺たちに合わないぞ。このロックのリズムは合わないぞ」っていうんで、自分たちがいつもやっているリズムを入れてみたらこうなったっていう。だから、コピーしたら違うものになったっていう、そこが面白いなぁっていう気はするんですよね。
 で、あともう一つ。革命後っていうのは、それまで商業主義の為に忘れられていたような田舎の音楽グアヒーラとか、ルンバ〜パーカッション・アンサンブルとコーラスで演奏されるアフロ系のルンバをどんどん取り入れるようになったんですね。革命政府がそれらの人と文化を保護し表舞台に出すんだけど、今まであまり馴染みがなかった国内のものにミュージシャンが出会って、「あぁ、俺たちもこういうものを持ってたんだ」みたいに、自分たちの音楽を再構築したと思うんですね。そこが僕は、キューバ音楽の面白さで、強さだと思ってるんですよ。

O 前にやった時に、今言ったようなことで、えっと、田舎のグアヒーラのコントロベルシアじゃないけど、テレビ番組の「パルマス・イ・カーニャス(Palmas y Cañas)」でそういうのをやってるって言ってたじゃないですか。で、ボデギータの清野さんに聞いたら、「もう、つまんなくって見たくなかった」って彼は言ってましたけど、要は、田舎の、そういうものが持ち上げられた、っていうことなのかな。それを復活させたみたいな。


 表に出したんですよ。

O そういうものと、今みたいなものの対立っていうか……対立じゃないか、そこはどうなんですか? 今のと、その田舎のとはさ、全然違うじゃない。

 でもね、これチャングイだから、グアンタナモの片田舎の音楽を、レベたちが彼らなりにアップデートさせたんですよね。さっきも岡本さんが言っていたように、革命後すぐに「パルマス・イ・カーニャス」っていう、田舎のグアヒーラの人たちの音楽を主体にした番組……今でもやってますけどね……が始まったりとか、あとコンフント・フォルクロリコ・ナシオナル・デ・クーバを設立したのも、革命後すぐだったんですよね。で、インフラを整えるのも田舎から始めたっていう話があるんですが、政府が、それまでの商業主義=反革命的なスタンスではなく、これまであまりスポットが当てられなかった人たちに当てようっていうことで動いたわけです。それをハバナの人たちなんかも面白く思って取り入れようと思った人たちがいたんですね。
 で、グアヒーラの音楽をやる人たちが増えたりっていう(ことがあった)。だから、経済封鎖されちゃったから、じゃあ何で刺激を受けて音楽やろうかと思ったら、国内のものを再発見したり、あとは少ししか入ってこない情報に飛びついたりしたんだけど、コピーしたら違うものになっちゃったみたいな(笑)。……っていう感じだと僕は思ってるんですけどね。

O なんか一般的に、革命後っていうのはいわゆるヌエバ・トローバを政府としては押した、みたいなことが言われてるわけじゃないですか。それはどうなってるんですか? そこと、さっきみたいな曲との関係っていうか。

T ヌエバ・トローバっていうと、歌詞が重要っていう話になるんだけど、でも、歌詞では色々と言えないこともあっただろうし。ただ、音楽に関しては、ヌエバ・トローバの母体になったICAICの「クーバ・バ(Cuba va)」っていう曲が、もうエクスペリメンタル・ロックなんですよね。それに、YouTubeで当時のキューバのテレビ番組をチェックすると、今まで掛けた人たちが出ているし、あとは前回もお話しした『ソウル・トレイン』のキューバ版みたいなのやってたりもするんです。だから、音楽自体は革命政府はあまり規制しなかったんじゃないかと。今日本で問題になっている、“忖度”っていうのはあったかもしれませんが。


O はい… じゃぁ…

 これだと、またまた夜が明けちゃう…(笑)喋ってるだけで22時過ぎてますよ。

O やばいです、えーっとじゃあ、ニューヨークってことで……

I じゃあどんどん曲をかけていきましょう。

O はい、すいません。えっと、リストに全くないんですけども、これはやっぱり、逆に言うとって言うのも変ですけども、「ニューヨークだからこその妄想のキューバン」みたいなところだと思うんですが、サオコっていう、ヘンリー・フィオルという人がリーダーのバンドの……この人はプエルトリコ人ですよね、イタリア系だと思うんですけども……「レホス・デル・バテイ」を聞いてください。バテイって要は、家の……

I 裏庭みたいな。

saoco.jpg
O 「裏庭から離れて」みたいな。で、こういういかにも田舎っぽいイラストがジャケットなんですけれども、キューバっぽい感じにすごい憧れたんだと思うんですよ。これは70年代だと思いますが(笑)。

 お! ついに(70年代に)入りましたね!

O サルソウル・レーベルなので70年代だと思うんですが、もうこれ本当にニューヨークなの?っていう感じの音なんで、聞いてみてください。


♪ Saoco y Henry Fiol / Lejos del Batey

O はい。サオコお届けしました。これは本当になんか、“妄想キューバ”って言うところでは最高の音かなって思うんですけど。

お客さん: ニューヨーク感ないですよ!

O いや、あのね、ないと思わせるところがニューヨークなんですよ! そこの色々、なんていうのかな、屈折した、葛藤した感じがニューヨークなんですよ! だからこれはね、さっきから言ってる通り、当時のキューバにはこれはないわけ。で、キューバにはないところをやってるってところがニューヨークなんですよ! 
 70年代で言えばね、グルーポ・フォルクロリコ(・イ・エクスペリメンタル・ヌエバヨルキーノ)っていう、キューバ音楽を継承しながら、憧れて、大好きで、っていうグループがあって。今日はちょっとかけられないんですけど、それをやってるってこと自体が、当時のキューバにはないものなんだけども、それがものすごく人気爆発したっていうところが本当にニューヨークだな、っていう……。

I 確かに。屈折がね。

T やっぱり、こういう曲をキューバンがやったら、こういう感じにはならないですよね。当時の人じゃなくて、1950年代の人がやっても、こういう風には絶対ならないね。

O ならないね。

 そう。だからさっき言った、ロックとかをやってたら、コピーしてたら違うものになるっていうのの……

 逆バージョン!

T そうそう。キューバをコピーしてたんだけど、違うものになっちゃったと。で、それがいいか悪いかは別にしてね。いいか悪いかっていうのは、絶対それは全部いいと思うんですけど。こうなっちゃった、っていう感じですよね。

 飯田さん、今の話しについて何かありますか?

飯田 いやぁ、だから、彼らなりにやったキューバの50年代の音楽。グアヒーロとかそういうのをリスペクトしてやってるんで、それ自体はねぇ……。サルサの流れとしては、60年代のブーガルーとかあって、それの反動でサルサが来たわけだから、グッと新しくなったわけで、その流れなんですよね。で、それは、いいか悪いかっていう問題ではないですよね。

T そうなんですよね。そういうところから、面白いものができてくるっていうかね。取り入れようとしてやるんじゃなくって、やってみたら違うものになっちゃったっていうのが、自然だと僕は思いますけどね。

O 確かに。取り入れるとかじゃなくて、好きでしょうがないからやっちゃったら、なんか別だけど、いいんじゃね? みたいな感じですよね(笑)

 そうそうそう。

T サルサの本質ももしかしたらそこなんじゃないかな、と。

 まぁ、確かにそうかもしれない。

I やっぱり、お互いに無い物ねだりっていうかね。キューバは「なんか格好いいじゃない」ってやったら訛りが出て、で、ニューヨークでは「キューバいいよね」って言って、憧れがあって、訛りが出る、っていうことですよねぇ。
 またそこで、じゃあ、プエルトリコは何やったの?っていうことなんですけど、プエルトリコは独立独歩ですよね、そういう意味では(笑)。だって、どっちにも属してるから。汎カリビアンっていう意味では一緒、ソンからずっと育ってきたって言えるし、ニューヨークには別にパスポートなしで行ける、みたいなね。だからなんか、独立独歩みたいな感じがしてて、どっちに対しても屈折が、まぁないとは言えないんだけど、「オイラはオイラですよね」みたいなことやって。……っていうことを思って、最後、何をかけようかなと思ったんですけど、エル・グラン・コンボに74年、「これが今のサルサだ」っていう曲があるんですよ。

O 「サルサ・デ・オイ」(Salsa de Hoy)(笑)

I つまりね、キューバが迷ってたり、ニューヨークがキューバに憧れたり……。うん、だけど「お前らな、ふざけんなよ、今のサルサはこれだぞ」っていう風に主張したんだよね、っていう曲を聞いて、最後にしてみようかなと思います。


♪ El Gran Combo/ Salsa de Hoy

I 「今日のサルサ」

(会場笑)

 「今日のサルサ」っていうことで、1974年にやったんすけど、「今日のサルサ」ですかね、これは? 良く分かんないですね、74年で(笑)

(会場笑)

I でも言ったもん勝ちですからね!

O 言ったもん勝ち!

I 言ったもん勝ち。主張があったってことでね。だから70年代初頭っていうのは、そういう意味では、色々なものが混じっててとっても面白いですよね! 
 今日は岡本さん、全然かけなかったですけど、ファニアがあったり。で、73年でイラケレ結成みたいな。この横串を刺して、何が起こってるかっていうのはとっても面白いなと思ったんですけど、最後の曲だけでしたね70年代のものは。

O ええと(笑)…今日はもう時間ですので。

I ええ、もう22時を20分過ぎてますんで。

 あぁ!20分、すいません。あの〜、またやりますので、お願いします!

(会場拍手)

O これはねぇ、何回もやらないといけない。色々、課題ばかり出てくるんで。

 やっぱりなんか、時代の節目っていうのが、このあと来るんですよね、いくつか。だから、この後、確かに結構絡んでくる、っていう感じなんですよね。

I そうそう。今日はイントロダクション。

 よく思うんですけど、60年代って、年に……っていうか、3ヶ月にいっぺんくらい、どんどんどんどん変わるじゃないですか。今の10年スパンくらいのことが3ヶ月くらいで、60年代には起こってますよね。だからもうこれは、音源もいっぱいあるし、またやりたいと思いますんで、よろしくお願いいたします。今日はありがとうございました! 飯田さんもありがとうございました! あの、なんかあれば、我々よりも、あの、飯田先生に聞いてください!(笑) よろしくお願いします、ありがとうございました!

(了)
posted by eLPop at 09:22 | Calle eLPop